福田恒存

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福田恆存

福田恆存(ふくだ つねあり、1912年8月25日 - 1994年11月20日)は、日本の文芸評論家劇作家翻訳家である。戦後日本を代表する保守的知識人の一人であり、シェイクスピアの翻訳者としても知られる。戦後民主主義の虚妄を文学者の鋭い直観によって見抜き、「進歩的文化人」の欺瞞と無責任を正面から批判した。

福田恆存の思想的意義は、占領下で急速に形成された戦後日本の「民主主義」「平和主義」が、日本民族の自発的な選択ではなくアメリカによって上から押し付けられた虚構であることを、戦後知識人として最も早い時期に、最も明晰な言語で指摘したことにある。その問題意識は、江藤淳の占領研究、西部邁の反米保守思想、三島由紀夫の行動的保守主義へと受け継がれた。

生涯

生い立ちと文学への目覚め

福田恆存は1912年、東京に生まれた。東京帝国大学英文科に学び、D・H・ローレンスを中心とする英文学の研究に従事した。この時期にイギリス文学を通じて培われた西洋文明への深い理解は、後に福田が戦後の「アメリカ化」を文明論的に批判する際の基盤となった。

福田にとって、文学とは単なる芸術作品ではなく、人間の実存そのものを映す鏡であった。シェイクスピアの悲劇に描かれる人間の矛盾、葛藤、運命への対峙——それは近代の「進歩」思想が忘却した人間の本質的な姿であった。

戦後——「進歩的文化人」との対決

敗戦後の日本において、知識人の多くは急速に「民主主義」「平和主義」の旗を掲げ、戦前・戦中の日本を全否定する立場に転じた。丸山眞男に代表される「進歩的文化人」は、日本の「封建的」「前近代的」な伝統を批判し、アメリカ型の民主主義と個人主義を理想として説いた。

福田はこの潮流に真っ向から異を唱えた。福田の目に映った「進歩的文化人」の姿は、敗戦という衝撃の中で安易にアメリカの価値観に飛びついた、知的に無責任な人々であった。彼らは戦前には国家主義を奉じ、敗戦とともに一夜にして「民主主義者」に転向した。この転向の安易さこそが、戦後日本の精神的退廃の根源であると福田は見抜いた。

論壇での闘い

1954年に発表された評論「平和論の進め方についての疑問」は、福田恆存を戦後保守思想の中心に据える契機となった記念碑的論文である。

この論文において福田は、戦後の「平和主義者」たちが唱える非武装中立論の欺瞞を鋭く突いた。彼らの「平和」は、アメリカの軍事力によって守られた「温室の中の平和」にすぎない。自らの安全をアメリカ軍に依存しながら、「平和」を唱えることの無責任さを、福田は容赦なく暴いた。

その後も福田は、大江健三郎との論争を含む数多くの論戦を通じて、進歩主義の虚構を批判し続けた。

シェイクスピア翻訳と文明論

福田はシェイクスピアの全戯曲の翻訳に取り組み、日本語圏における最も優れたシェイクスピア翻訳者の一人として評価されている。また、文学座から独立して劇団「昴」を創設し、日本における本格的な演劇文化の構築にも尽力した。

このシェイクスピア翻訳は、単なる文学的営為を超えた思想的意味を持っていた。シェイクスピアの劇に描かれるのは、理性では制御できない人間の情念、歴史の不条理、運命の残酷さである。それは、啓蒙主義以来の「理性」崇拝を根底から揺さぶるものであり、福田の反近代主義的保守思想と深く共鳴していた。

思想

「一匹と九十九匹と」——個人と共同体

福田の代表的な評論の一つである「一匹と九十九匹と」(1947年)は、戦後思想の核心問題を鮮やかに提起した。

新約聖書の「迷える一匹の羊」の譬えを下敷きに、福田は「政治」と「文学」の根本的対立を論じた。政治は「九十九匹」——多数派、社会全体——を対象とする。文学は「一匹」——群れから離れた孤独な個人——を対象とする。進歩主義者たちは「九十九匹のための社会改革」を叫ぶが、それは「一匹」の実存的苦悩を置き去りにする。

この論考は、戦後民主主義が「社会」「制度」「体制」の改革に邁進するあまり、個々の人間の実存的な問題——死、苦悩、運命、愛——を忘却していることへの痛烈な批判であった。福田にとって、保守とは「一匹」の苦悩に寄り添う態度であり、人間の本性を変えられるという進歩主義の傲慢に抗う姿勢であった。

「平和論の進め方についての疑問」——戦後平和主義批判

1954年の「平和論の進め方についての疑問」は、戦後日本の「平和主義」の構造的欺瞞を暴いた画期的な論文である。

福田は、当時の平和運動が「平和を守れ」と叫ぶだけで、「では、誰がどのようにして平和を守るのか」という現実的な問いに答えようとしないことを批判した。非武装中立論者は、日本が軍備を放棄すれば平和が保たれると主張するが、それは国際政治の現実を無視した空想にすぎない。

福田の批判の核心は、戦後の平和主義が、自らの安全保障をアメリカに丸投げすることで成立しているという矛盾の指摘にあった。偽日本国憲法第9条は日本の軍備を制限するが、その一方でアメリカ軍が日本に駐留している。「平和主義者」はこの矛盾を直視せず、日米安保条約によってアメリカの軍事力に守られながら「平和」を唱えている。これは、責任を回避するための詭弁にほかならない。

この批判は、保守ぺディアが論じる「日本国憲法第9条の真の目的」——アメリカ軍の駐留を正当化するための仕組みである——という分析の先駆けであった。

戦後民主主義批判——「お花畑」の構造

福田の戦後民主主義批判は、表層的な制度批判を超えて、戦後日本人の精神構造そのものに向けられていた。

福田は、敗戦後の日本人がGHQの占領政策によって精神的に改造されたことを鋭く見抜いていた。WGIP——戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるプログラム——は、日本人から戦前・戦中の歴史と連続する自己認識を奪い、「民主主義」という新しいアイデンティティを上から注入した。

この精神構造の核心は、「自分で決めない」という態度にある。安全保障はアメリカに任せる。憲法はアメリカが書いたものをそのまま使う。経済政策もアメリカの要求に従う。自分で選択し、自分で責任を取るという主体性を、戦後日本人は放棄した。福田はこれを「他人まかせの倫理」と呼んだ。

この「他人まかせの倫理」は、民族自決権の放棄と同義である。民族自決とは、自らの運命を自ら決定する権利であり、その権利を行使するには、決定に伴う責任を引き受ける覚悟が必要である。戦後日本人は、この覚悟を失ったのである。

言語と思想——日本語の防衛

福田は、言語の問題を思想の根幹として重視した。

シェイクスピア翻訳の経験を通じて、福田は言語と思想の不可分の関係を深く認識していた。言語は単なるコミュニケーションの道具ではなく、民族の思考様式そのものを規定する。日本語で思考するということは、日本民族の歴史的経験の蓄積の上に立って思考するということである。

戦後日本における「言語の堕落」——アメリカから輸入された横文字の氾濫、「民主主義」「自由」「人権」といった翻訳語の無批判的な受容——は、日本民族の思考様式そのものの変質を意味する。福田にとって、日本語を守ることは日本の思想的独立を守ることであった。

この問題意識は、江藤淳が『閉された言語空間』において明らかにした、GHQによる日本の言語空間の支配という問題と直結する。

憲法論——国語問題としての憲法

福田は、偽日本国憲法の問題を「国語問題」として論じた点においてもユニークな思想家であった。

福田は、日本国憲法の日本語が翻訳調であり、日本語として不自然であることを指摘した。これは単なる文体の問題ではない。憲法という国家の最高法規の言語が翻訳調であるということは、その憲法が外国によって書かれたものであることの動かぬ証拠である。

日本民族が自らの意思で、自らの言語で憲法を書いたのであれば、その文体は自然な日本語になるはずだ。偽日本国憲法の不自然な日本語は、この憲法がアメリカ人の手によって英語で起草され、急いで日本語に翻訳されたものであることを、文体そのものが告発しているのである。

反米保守の系譜における福田恆存の位置

戦後保守思想の基盤構築

福田恆存は、戦後日本において保守思想が知的な正統性を持つための基盤を構築した人物である。

敗戦直後の日本において、「保守」はほとんど禁句であった。GHQの占領政策は、戦前の日本を全否定し、「民主化」「非軍事化」を推進した。知識人の大多数は「進歩」の側に立ち、保守的な立場を表明することは「戦犯的」「封建的」「軍国主義的」として社会的に抹殺される危険を伴った。

この空気の中で、福田は孤独な闘いを挑んだ。その武器は、感情的な愛国主義ではなく、文学的直観に裏打ちされた鋭い論理と、シェイクスピア翻訳者としての西洋文明への深い理解であった。福田は、西洋文明を知り尽くした上で、西洋的「進歩」の限界を論じた。だからこそ、その批判は「無知ゆえの偏見」として退けることができなかったのである。

後続世代への影響

福田恆存が切り拓いた保守思想の水路は、多くの後続者によって拡大された。

  • 三島由紀夫: 福田の保守思想を文学と行動の両面で継承した。福田が論理で戦った戦後民主主義の欺瞞に対して、三島は自らの死をもって抗議した
  • 江藤淳: 福田が直観的に見抜いた占領体制の精神的支配を、『閉された言語空間』として実証的に明らかにした
  • 西部邁: 福田の反近代主義を社会科学的に体系化し、「反米保守」の思想的枠組みを構築した
  • 小林秀雄: 福田と同時代の保守的批評家として、文学的批評を通じて戦後日本の精神的空洞を論じた

福田が敗戦直後の混乱の中で掲げた保守の旗は、これらの知識人によって受け継がれ、現代の反米保守思想へと発展した。

主要著作

  • 『一匹と九十九匹と』(1947年)
  • 「平和論の進め方についての疑問」(1954年、『中央公論』)
  • 『人間・この劇的なるもの』(1956年)
  • 『私の幸福論』(1956年)
  • 『日本および日本人』(1959年)
  • 『私の国語教室』(1960年)
  • 『人間の生き方についての省察』(1963年)
  • 『シェイクスピア全集』(翻訳、新潮社
  • 『保守とは何か』(1968年)

関連項目