「第四の理論」の版間の差分
(ページの作成:「アレキサンダードゥーギンの第四理論 ドゥーギンのいう「多文明主義」とは、西洋的な「人類普遍の価値」を否定し、それぞれの地域や民族が築き上げた独自の文明=歴史的共同体こそが価値の源泉であるという立場です。文明同士は不可侵であり、価値観や道徳やルールがそれぞれ独立している。アメリカは反文明主義の極で、ロシアや中国やイ…」) |
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2025年8月14日 (木) 18:16時点における版
アレキサンダードゥーギンの第四理論
ドゥーギンのいう「多文明主義」とは、西洋的な「人類普遍の価値」を否定し、それぞれの地域や民族が築き上げた独自の文明=歴史的共同体こそが価値の源泉であるという立場です。文明同士は不可侵であり、価値観や道徳やルールがそれぞれ独立している。アメリカは反文明主義の極で、ロシアや中国やインドやイスラムはグローバリズムに抵抗する文明主義の極です。ドゥーギン曰く、かつて存在した日本文明とヨーロッパ文明は今やアメリカの支配下にあり、文明を破壊する反文明主義の陣営に取り込まれてしまいました。 ドゥーギンにとって、現代世界の真の対立軸は、文明主義と反文明主義です。 文明主義(Civilizationism)
• 多極的世界観(多文明共存) • 伝統・宗教・共同体を重視 • 精神性と義務、名誉の回復 • 自然な社会秩序と階層性 • 国家と文化の主権を重視
反文明主義(Anti-Civilizationism)
• 単極的世界観(アメリカ中心) • 普遍的価値の押し付け(自由・民主・市場) • 共同体の解体(家族、宗教、国家) • 消費主義、快楽主義、無制限の個人の欲望
アメリカ合衆国とその軍事・経済的拡張は、まさにこの「反文明主義」の極地であり、他文明を侵食・改造・従属させるグローバル帝国の中心である。 ドゥーギンは、日本についてこう評価した。 「かつての日本は、独自の精神性と秩序を持った高度文明だった。しかし敗戦後、アメリカによる精神的・軍事的・経済的支配により、反文明主義の実験場となった。」 日本文明の喪失
• 神道や天皇制、村落共同体、家父長制などが否定された • 個人主義と自由主義が教育・メディア・政治を席巻 • 「国体」ではなく「経済成長」が国家目標となった • 市場と平等の名の下で、あらゆる伝統が解体された
ドゥーギンにとって、日本は文明としての「脱落状態」にある。これは単なる西洋化ではなく、精神的解体・文明の自殺である。 ドゥーギンの文明主義に基づけば、日本が「文明国家」として再生するには次のような方向が必要とされる。
• アメリカの軍事的・思想的支配からの脱却 • 経済第一主義から精神的価値への転換 • 天皇を中心とする日本的秩序の再評価 • 神道・仏教・儒教的倫理の教育復興 • アジア(ユーラシア)文明圏との連帯
つまり、「反文明主義」からの思想的独立なくして、日本文明の生存はないというのがドゥーギンの核心的主張である。 ドゥーギンは、反文明主義の根幹にあるのが、自由主義の二本柱である資本主義と個人主義だと見なしている。 資本主義=「市場が神」となる体制
• あらゆる価値が金銭化され、聖なるものが冒涜される • 道徳や伝統は「効率」に従属 • 市場に従わない文化や国家は「非合理」として排除される • 格差と孤独を生み、共同体を破壊する
個人主義=「共同体の死」
• 「私」が絶対化され、「私たち」が消える • 家族、宗教、国家への義務が否定される • 結果として、人間は孤立し、消費者としての「機械」に変えられる • ルーツや帰属意識が喪失し、「意味の空白」に陥る
日本は、文明の側につくのか、反文明の側に堕ちるのかを問われている。 ドゥーギンは、日本文明とヨーロッパ文明の、独立と再生を願っている。 日本が再び自らの文明を取り戻すためには、「自由と民主主義」の仮面をかぶった文明解体の帝国=アメリカと思想的に対峙しなければならない。 反文明主義のアメリカ軍の支配から脱することなしには、日本文明が生き残る道は無い。 アメリカ軍による資本主義、個人主義、反民族主義、移民政策の強制は、日本文明とヨーロッパ文明を破壊している。 日本とヨーロッパは、文明主義へと立ち直り、アメリカ軍主導の反文明主義から脱しなければならないのでは無いか。