「人口侵略」の版間の差分
(ページの作成:「Upheaval」の作者 N.S. Lyons アメリカのシンクタンク(Intercollege studies institute)におけるスピーチの内容(意訳) https://youtu.be/MqLkh7UXBs0?si=OMp01_9e_2nCi3bJ 帝国は全て同じ手法を取る。 帝国が植民地において最初に取り組む第一の作業は、「脱国家化(De Nationalization)」である。 植民地主義とは、複数の国家や民族を一つの帝国の傘下に置いて支配する「多国家的…」) |
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2025年8月19日 (火) 17:01時点における版
Upheaval」の作者 N.S. Lyons アメリカのシンクタンク(Intercollege studies institute)におけるスピーチの内容(意訳) https://youtu.be/MqLkh7UXBs0?si=OMp01_9e_2nCi3bJ 帝国は全て同じ手法を取る。 帝国が植民地において最初に取り組む第一の作業は、「脱国家化(De Nationalization)」である。 植民地主義とは、複数の国家や民族を一つの帝国の傘下に置いて支配する「多国家的な政治体制」である帝国によって遂行される。帝国の対極にあるのは、「国家的アイデンティティ」、「民族的アイデンティティ」、「民族自決」である。したがって、いかなる植民地支配者にとっても最も重要な任務は、支配下にある民族が「一つのまとまった民族」「独自の文化的アイデンティティを持ち、「歴史的領土に根ざした存在」であるという認識を抑圧し、消し去ることである。 第二の作業は、「脱文化化(De Culturalization)」の過程である。 これは、ある民族の伝統文化、習慣、信仰、言語を剥ぎ取る行為である。歴史的なルーツを断ち切り、歴史的記憶を抹消するという意図的な行為であり、その手段として、検閲、プロパガンダ、思想教育、そして伝統や宗教の神聖性を貶める行為などが用いられる。しばしば、子どもたちがこの「再教育」プログラムの標的とされ、親の文化から意図的に引き離され、植民地制度の価値観の中で育てられる。 このような脱文化化はしばしば、「文明化」という名のもとに善意ある行為として描かれる。「遅れた、野蛮な、土着な」生活様式から「より進んだ」植民地支配者の文化的価値観や生活様式へと導いてやることで、現地民を「解放」するというのである。 支配を確実なものとするために、帝国は「分割統治(Divide and Rule)」という古典的な戦略を採る。 人為的に社会的・政治的ヒエラルキーを構築し、国内の少数派に権力を与え、多数派民族を抑え込ませる。帝国は、少数派が多数派の民族的台頭を恐れ、自らの保身のために帝国に忠誠を誓うよう設計する。こうして社会は分断され、民族間の連帯は破壊され、代わりに相互不信と対立が煽られる。 同時に、文化的・政治的な剥奪と並行して、現地民の経済的な剥奪と搾取も行われる。 段階的に、あるいは一気に、それまで彼らのものであった資源は取り上げられ、植民地権力とその取り巻きに再分配されていく。現地民の土地は接収され、過酷な法律、規制、課税政策によって、彼らが自らの事業や財産を保有し続けることが困難になるよう仕組まれる。 帝国はまた、現地の国家産業を意図的に破壊・抑圧し、国際的な独占企業との競争を防ぐこともある。金融メカニズムを通じて、国家とその民衆を搾取し、逃れられない複雑な負債の網に絡め取る。 現地民は、物質的資源だけでなく、価値観や社会的結束も奪われる。 彼らは安価な労働力として使われるか、帝国の対外戦争で「捨て駒」として兵役に就かされることもある。あるいは、もっと巧妙に、最も有望で優秀な若者たちを選抜し、故郷から離れた遠方の帝都へ吸い上げて、文化的アイデンティティを剥奪し、再教育し、国際的帝国制度に仕える「どこの国の者でもない人間」に仕立て上げる。 そして、植民地権力が与えることのできる最も破壊的で根源的な剥奪は、民族に対する「人口侵略(demographic invasion)」である。 それは、植民地支配者自身、あるいは外来の人口を大量に移住させることで成し遂げられる。 こうして、現地民の人口的・文化的多数派としての地位は薄まり、政治的発言権や制度・資源へのアクセスも次第に削がれていく。やがて、民族は少数派に転落し、「自国の中の異邦人」となる。 これは恐ろしく、かつ永続的な効果を持つ植民地戦略である。 帝国は何百万もの移民を移住させ、現地の民族集団を希薄化させることで、それらを脆弱で孤立した少数派へと変貌させる。 そして彼らは、自らがかつて独立した民族であったという明確な記憶さえも失ってしまう。 実際、このような侵略が完了した時点で、その民族が「後戻り」する道はもはや存在しない。国家は地図上から、そして歴史から抹消される。 このような植民地への移住が、現地民の数を意図的に減少させる目的で行われ、さらに彼らの出生率までも抑圧されるならば、それは正当に「ジェノサイド(民族絶滅)」と呼ばれるべきである。 もちろん、現地民がこれを黙って受け入れるとは考えにくい。民族は反乱を試みる。 そのため、植民地主義の最終的な命令は、「包括的な管理・抑圧システムの確立」である。 憲法、警察、監視、検閲、ヘイトスピーチ規制と称した言論の自由の制限、これらすべてが重罰によって支えられている。 意思決定権は、民族にとって理解不能な、超国家的な帝国官僚制度へと引き上げられる。命令は遠く離れた国際機関や帝国中心部のエリートたちから下され、あたかも「見えざるオリュンポスの山」からの布告のように与えられる。 現地民は次第に、「この巨大な帝国装置に挑むことは不可能であり、無意味であり、文明と進歩という不可避の潮流に逆らうことなのだ」と信じ込まされるようになる。 このようにして、植民地主義とは、国家性の剥奪、文化の剥奪、分断、資源の剥奪、そして支配という一連の過程なのである。 ———— アメリカのフォーラムで語られている内容は、帝国による植民地支配の全貌である。 植民地支配の最終目標は、民族国家の根幹を破壊することにある。 そして今日、植民地主義を最も洗練された形で遂行しているのがアメリカ帝国である。 かつて欧州や中東で繰り返されてきた、この帝国的戦略が、今まさに日本にも向けられている。 De Nationalization、De Culturalization、Demographic Invasionは、アメリカ帝国による植民地主義の結果である。 アメリカの行ってきた植民地支配の構図を直視し、アメリカ帝国に徹底的に抵抗するのは、今を生きている日本人の責務である。