分業主義
農村は出生率が高く、都市は出生率が低い。低コストの農村で人が育ち、移動し、高コストの都市で労働のみに従事する。狭い都市部で、生殖ができないほど搾取された不安定で低賃金な労働者の存在は、株主にとっては最大の利益となる。無規制資本主義は、経済合理性のために分業と集積を無制限に進め、徹底的に労働者を搾取し、生物的合理性を低下させる。再生産できなければ外部から人を持って来れば良いという発想だ。生物が持続可能では無い。人から人間性、生物性、集団性、伝統を剥奪し、ゲマインシャフトを不自由にし、共同体から女性を駆り出して資本家に仕える労働力へと変え、固有の共同体と文明を破壊し、持続可能では無い。
農村と都市における、生殖と労働の非倫理的な分業が存在する。これは発展途上国と先進国の間の関係と同じである。
この分業体制が国内だけで閉じている場合は問題は無かった。生産地である農村と消費地である都会の分業は、どの国にも存在していた。
しかし、ヒトモノカネの世界的な自由貿易により、この資本的分業構造が国際的になると問題が生じる。
日本全体から人の畑である農村が消失して日本全体が都会化すれば、外国の農村の余剰人口が日本に流入することになるだろう。
日本文明は持続可能性を失うことになる。それをもたらした無規制資本主義と法の支配を許してはいけない。
かつての日本は、低コストの農村だった。日本の余剰人口は、高コストな南米へと流出した。
今の日本は、ヒトモノカネの消費地となり、ヒトモノカネの生産地としての機能は奪われている。人の畑である農村はアメリカによって攻撃されている。
アメリカが強制した無規制資本主義による自由化が原因だ。
関税を設定し、ヒトモノカネの輸入代替を進め、ヒトモノカネを収奪する消費地から生産地へと戻るべきだ。