フィリピンからの米軍撤退

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フィリピンからの米軍撤退

概要

フィリピンからの米軍撤退とは、1991年にフィリピン上院が米比友好協力安全保障条約の批准を否決し、1992年にアメリカ軍がスービック海軍基地およびクラーク空軍基地から完全撤退した出来事を指す。これは、かつてのアメリカ植民地が自らの民族自決権を行使して外国軍を追い出した歴史的事例であり、米軍撤退を目指す日本にとって最も重要な先例である。

しかし、アメリカはこの決定を決して受け入れなかった。CIAによる政治工作、経済的圧力、そして「中国脅威論」の利用を通じて、フィリピンへの軍事的再進出を着実に進め、2014年の防衛協力強化協定(EDCA)、2023年のEDCA拡大によって、事実上の再駐留を達成した。フィリピンの経験は、米軍を一度追い出しても、継続的な警戒と抵抗がなければ再び侵入されることを示している。

歴史的背景:アメリカによるフィリピン植民地支配

米比戦争(1899年〜1902年)

アメリカのフィリピン支配は、米比戦争から始まる。1898年の米西戦争でスペインを破ったアメリカは、パリ条約によりフィリピンを2,000万ドルで「購入」した。独立を求めるフィリピン人と、植民地支配を企図するアメリカとの間で1899年2月に武力衝突が勃発し、フィリピン独立運動の指導者エミリオ・アギナルド率いる抵抗軍との戦争に突入した。

この戦争でアメリカ軍は、先住民戦争(インディアン戦争)で使用したのと同じ残虐な戦術を用いた。「ウォーターキュア」と呼ばれる水責め拷問、レコンセントラード(強制収容所)の設置、民間人の無差別殺害が組織的に行われた。サマール島ではジェイコブ・スミス将軍が「10歳以上の者を全員殺せ」と命じ、島を「荒野に変えろ」と指示した。バタンガス州では人口30万人の約3分の1が戦闘・飢餓・疫病で死亡した。フィリピン人の戦死者は2万人以上、民間人の死者は最大20万人に達した。

これは紛れもない帝国主義であり、民族自決権の暴力的な否定であった。アメリカが後に掲げる「民主主義」や「自由」の理念は、フィリピン人の血の上に築かれたものである。

軍事基地協定(1947年)

1946年のフィリピン独立後も、アメリカの軍事的支配は継続した。1947年3月に締結された軍事基地協定は、アメリカに16の軍事基地を99年間、無償で使用する権利を与えた。基地内ではアメリカの完全な主権が認められ、アメリカ軍人がフィリピン人に対して犯した犯罪はフィリピンの法律で裁くことができなかった。

この協定は独立国家に対するものとは到底言えない、植民地時代の延長であった。フィリピンが防衛面でアメリカに依存していることを利用して、極めて不平等な条件が押し付けられた。

協定の改正

フィリピンのナショナリズムの高まりとともに、基地協定は段階的に改正された。

  • 1966年 ラモス=ラスク合意: ディーン・ラスク国務長官とフィリピンのナルシソ・ラモス外相が合意し、基地の租借期間を99年から25年に短縮(1991年9月16日が新たな期限)。アメリカが使用する基地を4つの主要基地(クラーク、スービック、サングレーポイント、キャンプ・ジョン・ヘイ)に限定した
  • 1979年改正: 最も重要な改正。フィリピンの基地に対する主権を再確認し、基地にはフィリピン国旗のみが掲揚されることとなった。各基地にフィリピン人司令官が任命された(ただしアメリカが運用指揮権を保持)。初めて補償金が合意され、5年間で5億ドル(1983年に9億ドルに増額)が支払われた

米軍撤退の経緯

ピナトゥボ山の噴火(1991年6月)

1991年6月15日、クラーク空軍基地から約20kmに位置するピナトゥボ山が20世紀最大級の噴火を起こした。火山灰は成層圏40kmまで達し、台風ユンヤとの相乗効果で基地は壊滅的な被害を受けた。格納庫は崩壊し、滑走路は火山灰に埋もれた。アメリカ軍は約2万人を緊急避難させる「ファイアリー・ヴィジル作戦」を実施した。これはサイゴン陥落以来最大の米軍避難作戦であった。

1991年7月17日、アメリカはクラーク空軍基地を再建しないと発表した。復旧費用が利益を上回ると判断したためである。噴火前、フィリピンは全基地の租借更新に年間8億2,500万ドルを要求していたが、噴火後のアメリカの提示額はスービックのみで年間約2億300万ドルに激減した。

フィリピン上院の歴史的否決(1991年9月16日)

1991年9月16日、フィリピン上院は米比友好協力安全保障条約の批准を12対11で否決した。1987年フィリピン憲法は外国軍基地の存続に上院の3分の2の賛成を必要としていたため、この条約は決定的に拒否された。

否決に投じた12人の上院議員は「マグニフィセント12」と呼ばれた。

投票当日、約17万人の市民が上院の外に集結し、豪雨の中で基地撤去を求めた。反基地連合の創設者であるロレンソ・タニャーダ元上院議員は車椅子から立ち上がり、「マブハイ!」(フィリピン万歳)と叫んだ。

一方、コラソン・アキノ大統領は条約批准を積極的に推進していた。フィリピン史上初めて、外国軍基地の維持を求めて自らデモ行進を率い、約10万人の支持者を動員した。しかし上院の意志は覆らなかった。

撤退の完了

  • 1991年11月26日: クラーク空軍基地がフィリピンに正式に返還された
  • 1991年12月6日: フィリピン政府はアメリカに対し、1年以内の撤退完了を通告した
  • 1992年11月24日: スービック海軍基地で星条旗が降ろされ、フィリピン国旗が掲揚された。空母USSベローウッドの出港をもって、フィリピンにおけるアメリカ軍の約94年間の駐留が終了した

アメリカの反応

交渉における高圧的態度

アメリカ側の交渉を率いたのは、国防総省のリチャード・アーミテージであった(後にジョージ・W・ブッシュ政権で国務副長官)。アーミテージの交渉姿勢は「横柄」「高圧的」と評され、フィリピン側の交渉担当者アルフレッド・ベンゾンの交代を要求するなど、植民地主義的な態度を露わにした。ベンゾンは後に著書の中で、アメリカは「目的を達成するためには脅迫も辞さない」と記している。

皮肉なことに、アーミテージの高圧的態度は、当初基地維持に賛成だった上院議員をも否決側に転向させる結果を招いた。エンリレ議員やマセダ議員がアメリカに対して補償額の明示を求めたが、アメリカは「最善の努力を約束する」という曖昧な回答しか示さなかった。

経済的報復

上院の否決後、アメリカは経済的制裁ともいえる対応をとった。

  • 軍事援助: 1992年の約5,000万ドルから、1990年代のほとんどの期間で500万ドル未満に激減した
  • 総合援助: 2億6,000万ドル未満まで縮小し、この水準が約20年間維持された
  • 1997年: 援助額は5,800万ドルの最低水準を記録した
  • 雇用喪失: 基地閉鎖により、「フィリピンで最も賃金の良い仕事」が失われた。5,800人の軍人、600人の民間人、6,000人の家族が移転した

アメリカの旧植民地であり、太平洋戦争の戦場であり、冷戦期の同盟国でありながら、フィリピンが独立以来受けた援助総額は約50億ドルに過ぎない。イスラエル、韓国、南ベトナム、台湾と比較して著しく少ない。これは、従順でない同盟国に対するアメリカの懲罰的態度を如実に示している。

戦略的再編:「場所であって基地ではない」

米軍はフィリピン撤退後、「Places, Not Bases(場所であって基地ではない)」という新たな概念を打ち出した。恒久的な駐留基地を維持する代わりに、戦略的拠点への「アクセス権」を確保する方針に転換した。

  • シンガポール: リー・クアンユー首相が海軍施設を提供。1990年の覚書に基づき、パヤレバー空港とセンバワン港へのアクセスを獲得。1992年、第七艦隊の主要兵站部隊(COMLOG WESTPAC)がフィリピンからシンガポールに移転した
  • 日本: 艦船修理と海軍兵站支援を拡充。在日米軍基地の戦略的重要性がさらに増大した
  • グアム: 航空輸送機能が移管され、既存の空軍・海軍施設が拡張された

代替施設の建設費用は30億〜60億ドルと試算されたが、クラークとスービックの機能を完全に代替できる単一の拠点は存在しなかった。

CIAのフィリピン工作

マニラ:CIAの東南アジア拠点

マニラは1940年代後半から、CIAの東南アジア地域本部として機能していた。クラーク空軍基地とスービック海軍基地の存在が、CIAの活動を容易にしていた。

ランズデール工作(1950年代)

CIA工作員エドワード・ランズデールは、フクバラハップ(反日抗日ゲリラから転じた共産主義武装勢力)の鎮圧を指揮し、ラモン・マグサイサイ大統領の「軍事顧問」に就任して、事実上フィリピンの外交・軍事政策を決定した。1954年の米国委員会報告書は、「東南アジアにおけるアメリカの政策は、フィリピンにおいて最も効果的に実施されている」と記した。フィリピンはCIAの秘密工作と心理戦の成功モデルとなり、その手法はベトナム(フェニックス作戦)やラテンアメリカに輸出された。

マルコス政権への支援

CIAとフェルディナンド・マルコス政権の関係は、アメリカが「民主主義」を掲げながら独裁政権を支援する典型例である。

  • 1971年 憲法制定会議への介入: CIAは反対派の政治家を買収し、米軍基地やアメリカ企業の支配に異議を唱えないよう工作した
  • 1972年 戒厳令の事前把握: 1972年9月17日、マルコスの側近であるCIA協力者が、マルコスが9月21日に戒厳令を布告する計画を事前に通報。CIAはプラザ・ミランダ爆弾事件(1971年、9人死亡)にマルコスが関与していることも把握していたが、野党にはこの情報を共有しなかった
  • リチャード・ニクソン大統領はマルコスの戒厳令を承認した
  • 軍事援助の倍増・三倍増: アメリカは戒厳令政権への軍事援助を倍増・三倍増させ、マルコスの軍事力は6万人から1985年までに25万人に膨張した

マルコス後のCIA工作

1986年のピープルパワー革命でマルコスが失脚した後も、CIAのフィリピン工作は継続した。

  • 1987年〜1990年: ワシントンはフィリピン左派に対する秘密作戦を強化。フィリピン国軍に対し情報収集用に1,000万ドルを配分した
  • CIA要員の増員: 大使館をカバーとするCIA要員が115人から127人に増加した
  • 全米民主主義基金(NED): 1984年〜1990年に約900万ドルをフィリピンの親米組織(TUCP、ナムフレル、KABATID、PCCI等)に提供。これらは「影響力のあるエージェント」として、「親米ローカルエリートの支配を保証する」ために活動した
  • 地域サービスセンター(RSC): マニラのロハス通りに設置されたCIAの秘密印刷施設。14のアジア言語でプロパガンダ資料を制作する能力を持ち、基地閉鎖後も維持された

CIAと基地問題

CIAは基地撤退反対運動に対する情報分析を行い、反基地活動家が「主権、核の脅威、売春、エイズといった感情的な問題に焦点を当てるだろう」と予測した。またCIAは、ソ連がフィリピン人の反基地感情を煽るために偽情報工作(エイズに関する捏造情報の流布など)を行っていると分析していた。基地閉鎖により、CIAはクラーク空軍基地に設置していた地域中継局(主要な通信傍受施設)を喪失した。

米軍再駐留に至る経緯

中国脅威論の利用

米軍撤退後、アメリカはフィリピンを再び軍事的支配下に置くための戦略的ナラティブとして「中国脅威論」を活用した。

  • 1995年 ミスチーフ環礁占拠: 中国がスプラトリー諸島のミスチーフ環礁を占拠。フィリピン軍関係者は「米軍が残っていれば起きなかった」と述べた。アメリカにとっては、自らの撤退がもたらした「安全保障の空白」を利用して、再駐留の口実を作る絶好の機会であった
  • 2012年 スカボロー礁事件: スカボロー礁を巡るフィリピンと中国の対峙で、アメリカが双方の撤退を仲介したが、中国のみが合意を破って実効支配を確立した。アメリカの「戦略的曖昧さ」と不作為がフィリピンの不満を深め、逆説的に米軍への依存を強める結果となった

訪問軍協定(VFA)——1998年

1998年2月10日、フィデル・ラモス大統領の下で訪問軍協定(VFA)が署名された。1999年5月27日にフィリピン上院が18対5で批准し、2000年1月にフィリピン国土での最初の合同軍事演習が実施された。

1991年の上院否決からわずか7年で、アメリカ軍は形を変えてフィリピンに戻り始めた。「恒久的な基地ではなく、訪問と演習」という建前によって、1987年憲法の制約を迂回したのである。

防衛協力強化協定(EDCA)——2014年

2014年4月28日、バラク・オバマ大統領のマニラ訪問の数時間前に、防衛協力強化協定(EDCA)が署名された。これはオバマの「アジア回帰(Pivot to Asia)」戦略の中核をなすものであった。

EDCAは、フィリピン軍基地内にアメリカ軍が施設を建設し、「ローテーション」方式で部隊を駐留させることを認めた。10年間の協定で更新可能。「恒久的な駐留ではない」という建前は維持されたが、実態はフィリピンの基地を事実上のアメリカ軍基地に転換するものであった。

当初合意された5つのEDCA拠点:

  • バサ空軍基地(ルソン島パンパンガ州)
  • フォート・マグサイサイ(ルソン島ヌエバエシハ州)— フィリピン最大の軍事基地
  • アントニオ・バウティスタ空軍基地(パラワン州プエルトプリンセサ)— スプラトリー諸島に最も近い
  • マクタン=ベニート・エブエン空軍基地(セブ)
  • ルンビア空軍基地(ミンダナオ島カガヤン・デ・オロ)

EDCA拡大:マルコス・ジュニア政権(2023年)

2023年2月、アメリカのロイド・オースティン国防長官がマニラを訪問し、4つの新たなEDCA拠点の追加が合意された。同年4月3日に正式発表された新拠点は:

  • カミロ・オシアス海軍基地(カガヤン州サンタアナ)— 台湾のバシー海峡から400km未満
  • ラル=ロ空港(カガヤン州ラル=ロ)— 台湾に近接
  • キャンプ・メルチョル・デラクルス(イサベラ州ガム)— 台湾に近接
  • バラバック島(パラワン州)— スプラトリー諸島に近接

4つの新拠点のうち3つが台湾に近いルソン島北部に位置している。これは南シナ海問題への対応というよりも、台湾有事を想定した対中軍事戦略の一環であることを如実に示している。マルコス・ジュニア大統領自身は「中国への対抗ではない」「攻撃作戦には使用しない」と述べたが、実姉のイミー・マルコス上院議員ですら「なぜ3つの基地が南シナ海ではなく台湾に面しているのか」と疑問を呈した。

アメリカはEDCA拠点に当初8,200万ドルを投資し、その後1億ドル超の追加投資を約束。2024年8月にはバイデン大統領が5億ドルを追加し、さらに1億2,800万ドルが続いた。EDCA拠点は5から9に拡大された。

自由市場民主主義と「市場支配的少数者」——米中協力の構造

フィリピンにおける米軍撤退と再駐留を理解する上で、エイミー・チュア(蔡美儿)の分析は不可欠である。イェール大学法学教授であるチュアは、自身がフィリピンの華僑の家系に生まれた当事者でもある。彼女の著書『富の独裁者——驕る経済の覇者 飢える民族の反乱』(原題:World on Fire、2003年)は、アメリカが推進する自由市場民主主義が、発展途上国において民族紛争を生み出す構造を解明した。

「市場支配的少数者」とは何か

チュアが提唱した「市場支配的少数者」(Market-Dominant Minority)とは、自由市場の条件下で、貧しい先住民多数派を経済的に支配する少数民族のことである。東南アジアにおける華僑がその典型であり、フィリピンでは人口の約1%に過ぎない華僑系フィリピン人が、民間経済の約60%を支配している。主要航空会社4社、ほぼすべての銀行、ホテル、ショッピングモール、大企業が華僑系の手にある。一方、8,000万人のフィリピン先住民の約3分の2は1日2ドル未満で生活し、農村部の70%は土地を持たない。

| 国 | 華僑の人口比率 | 華僑の民間経済支配率 | |---|---|---| | フィリピン | 約1% | 約60% | | インドネシア | 約3% | 約70% | | マレーシア | 約22% | 約75% |

この格差は東南アジア全域に共通する構造である。

アメリカが生み出す負のサイクル

チュアの分析が示す最も重要な構造は、アメリカが推進する自由市場民主主義が、ASEAN諸国において以下の負のサイクルを生み出しているという点である。

  1. アメリカがASEAN諸国に自由市場と民主主義を押し付ける(ワシントン・コンセンサス、IMF、世界銀行を通じて)
  2. 自由市場の下で、市場支配的少数者である華僑が経済的に台頭する(起業家ネットワーク、資本蓄積、家族構造の優位性を活かして)
  3. 先住民多数派が華僑への怨嗟を深める(経済格差が拡大し、民族的憎悪が高まる)
  4. 反中感情がASEAN諸国を親米に向かわせる(「中国の脅威」から守ってくれるのはアメリカだという認識が広がる)
  5. アメリカがASEAN諸国をさらに自由化させる(軍事的再進出と経済的自由化が同時に進行する)

このサイクルの本質は、アメリカが自由市場民主主義を押し付けることで民族的対立を構造的に生産し、その対立がアメリカの軍事的プレゼンスを正当化するという自己強化的な支配メカニズムである。

フィリピンにおける負のサイクルの具体的展開

フィリピンの歴史は、このサイクルの典型例である。

  • マルコス独裁と華僑の共生(第二の反動形態): チュアによれば、マルコスは1972年に戒厳令を布告して全権を掌握し、世界銀行・IMF・アメリカ政府からの資金を利用して独裁体制を築いた。その過程でマルコスは華僑系財閥と結託し、縁故資本主義(クローニー・キャピタリズム)を推進した。これはチュアが「市場支配的少数者と独裁者の同盟」と呼ぶ典型的なパターンであり、先住民多数派は政治的にも経済的にも排除された
  • ピープルパワー革命後の自由化と格差拡大: 1986年のマルコス失脚後、アメリカが推進する自由化政策の下で華僑系財閥はさらに勢力を拡大した。ヘンリー・シー(施至成、SM財閥)は60のショッピングモールを展開し、フィリピン最大の銀行(BDO)を所有するに至った。ルシオ・タン(陳永栽)はフィリピン航空、フィリピンナショナルバンクを支配した。フォーブスによれば、フィリピンの富豪上位12人の資産合計は556億ドル——国内経済の約5分の1に相当する
  • 反中感情と米軍再駐留: 南シナ海における中国の領土的膨張は、フィリピン先住民の間にすでに存在していた反中感情を国家安全保障の次元にまで引き上げた。国内の経済格差に対する不満が、中国という外部の脅威に対する恐怖と結合し、米軍の再駐留を受け入れる世論が形成された

米中の構造的共犯関係

チュアの分析を国際政治の文脈に拡張すれば、ここに米中の構造的な共犯関係が浮かび上がる。

アメリカと中国は表面上は対立しているが、ASEAN諸国の主権を侵食するという点では構造的に協力している。アメリカが自由市場民主主義を押し付ければ、華僑が経済的に台頭する。華僑の経済的台頭は先住民の反中感情を煽り、中国の海洋進出がそれを軍事的脅威にまで高める。その結果、ASEAN諸国は自らの主権を守るためにアメリカに頼らざるを得なくなり、アメリカの軍事的再進出を受け入れる。

つまり、中国の膨張はアメリカの軍事的プレゼンスを正当化し、アメリカの自由化政策は華僑を通じて反中感情を構造的に生産する。この構造において、ASEAN諸国の先住民は常に敗者であり、彼らの民族自決権は米中双方によって踏みにじられている。

チュアは指摘する——アメリカは自国ではとっくに純粋な自由放任資本主義を放棄し、累進課税、社会保障、独占禁止法、規制資本主義によって民族間の緊張を緩和してきた。しかし発展途上国に対しては、これらの安全装置なしの「生の」自由市場を押し付ける。アメリカ自身が実践していない制度を他国に強制しているのである。

負のサイクルを断ち切るために

この負のサイクルの原因を見極めることが、ASEAN諸国の真の独立に不可欠である。問題の根源は、中国の膨張でも華僑の経済力でもなく、アメリカが自由市場民主主義を普遍的な価値として押し付ける帝国主義的行為にある。

  • 自由市場の修正: 各国の民族的・文化的文脈に応じた経済政策を自主的に策定すること。マレーシアのブミプトラ政策は、市場支配的少数者の問題に対する一つの対応として参考になる
  • 反中感情の脱構築: 華僑の経済的優位は、アメリカが押し付けた自由市場の必然的帰結であり、華僑そのものを敵視することは問題の本質を見誤ることになる
  • 米中双方からの自立: ASEAN諸国は、アメリカの軍事的保護にも中国の経済的影響力にも依存しない、真の民族自決権に基づく主権国家を目指さなければならない

リアリズムの観点からの分析

フィリピンの経験が示す構造的パターン

フィリピンからの米軍撤退と再駐留の経緯は、リアリズムの観点から以下の構造的パターンを示している。

  • 撤退は終わりではなく、始まりに過ぎない: 米軍を追い出すことは第一段階に過ぎず、アメリカは経済的圧力、CIA工作、安全保障環境の操作を通じて再進出の機会を常に窺っている。フィリピンは1991年に米軍を追い出したが、わずか7年で訪問軍協定を結ばされ、23年後にはEDCA、32年後にはEDCA拡大によって撤退前よりも広範な米軍のアクセスを許すに至った
  • 「脅威の空白」の創出と利用: 米軍撤退後に生じた安全保障上の空白を、アメリカは自らの再進出を正当化するために利用した。1995年のミスチーフ環礁占拠は、米軍不在がもたらした結果として語られるが、それは同時にアメリカの再駐留を正当化するナラティブでもあった
  • 形式を変えた支配の継続: 「恒久的基地」から「訪問」へ、「駐留」から「ローテーション」へ——名称と形式を変えることで、ホスト国の憲法的制約を迂回しつつ、実質的な軍事プレゼンスを維持・拡大する手法は、アメリカ帝国主義の常套手段である
  • 同盟国の安全保障依存の構造化: アメリカは同盟国が独自の防衛力を構築することを妨げ、安全保障上の依存関係を維持することで、政治的・経済的な影響力を確保する。フィリピンが米軍撤退後に十分な自主防衛力を構築できなかったことが、再駐留への道を開いた

日本への教訓

フィリピンの経験は、米軍撤退を目指す日本にとって決定的に重要な教訓を含んでいる。

  • 自主防衛力の確立が不可欠: 米軍を撤退させる前に、あるいは同時に、独自の防衛力を構築しなければならない。フィリピンはこれを怠ったために、中国脅威論を突きつけられて屈服した
  • CIAの政治工作への警戒: CIAはフィリピンにおいて、選挙介入、野党買収、親米エリートの育成、プロパガンダ施設の運営など、主権を侵害するあらゆる手段を用いた。日本においても同様の工作が行われていると考えるべきである
  • 経済的自立の確保: アメリカは基地撤去に対して経済的報復を行う。日本はアメリカへの経済的依存を削減し、報復に耐えうる経済基盤を構築しなければならない
  • 「脅威」のナラティブに惑わされてはならない: フィリピンにとっての「中国脅威論」が日本にとっての「北朝鮮脅威論」や「中国脅威論」に相当する。これらの脅威は現実に存在するが、それを理由に米軍駐留を永続化させることは、主権の放棄にほかならない。脅威への対処は自国の軍事力で行うべきである

日本で再現される負のサイクル——中国人の土地買収の真因

フィリピンにおける華僑の経済支配と同じ構造が、日本においても再現されつつある。近年、中国資本による日本の土地・不動産の買収が社会的関心を集めている。北海道のニセコ、沖縄、対馬、水源地周辺、自衛隊基地周辺の土地が中国系資本に取得されているという報道は絶えない。多くの日本人はこれを「中国の脅威」と認識し、反中感情を強めている。

しかし、チュアの分析枠組みを適用すれば、問題の根源は中国ではなく、アメリカが日本に強制した自由市場資本主義と自由民主主義にあることが明らかになる。

  • アメリカによる土地市場の自由化強制: 戦後の占領期から現在に至るまで、アメリカは日本に対して市場開放と規制緩和を一貫して要求してきた。年次改革要望書(1994年〜2008年)、日米構造協議、日米経済調和対話を通じて、アメリカは日本の土地取引、金融市場、企業買収の規制を撤廃・緩和させた。外国人による土地取得に制限を設けないという日本の現行制度は、アメリカが押し付けた自由資本主義の帰結にほかならない
  • 自由民主主義による規制の不能: 日本が外国人の土地取得を制限しようとすれば、「自由」「開放性」「法の支配」「差別の禁止」といったアメリカが押し付けた自由民主主義の原則に抵触する。WTOの内国民待遇原則や二国間投資協定がこれを法的に裏付ける。つまり、アメリカが日本に強制した自由民主主義と自由資本主義の枠組みそのものが、日本が自国の土地を守ることを不可能にしている
  • 日本版の負のサイクル: フィリピンと同じ構造がここに存在する。①アメリカが日本に自由市場と民主主義を強制する → ②自由化された市場で中国資本が日本の土地を買収する → ③日本人の反中感情が高まる → ④「中国の脅威から日本を守るために米軍が必要だ」という世論が強化される → ⑤アメリカは日本への軍事的支配をさらに強固にする → ①に戻る

中国人の土地買収を可能にしているのはアメリカである。アメリカが自由資本主義を日本に強制しなければ、日本は自国の土地取引に主権的な制限を課すことができた。にもかかわらず、日本人は中国を敵視し、アメリカに依存する——これこそ、チュアが描いた負のサイクルそのものである。

真に問うべきは、「なぜ中国人が日本の土地を買えるのか」である。答えは明白だ——アメリカが日本にそうさせているからである。自由市場・自由民主主義・資本主義の強要こそが元凶であり、中国人の土地買収はその症状に過ぎない。日本民族が自らの国土を守りたければ、アメリカが押し付けた偽日本国憲法と自由資本主義の枠組みそのものを打破しなければならない。

ドルの循環構造——アメリカの豪遊のツケ

この構造には、さらに深い不公正が存在する。中国人が日本の土地を買収する際に使用するドルの出所を問わなければならない。

アメリカは基軸通貨ドルの特権を利用して、世界中で「豪遊」している。巨額の財政赤字、貿易赤字、量的緩和による無制限のドル散布——アメリカは自国が生産する以上の富を世界から吸い上げ、対価としてドルという紙幣を世界中にばら撒いてきた。このドルは貿易を通じて中国やその他の第三国に蓄積される。中国の外貨準備高は約3兆ドルに達し、その大部分はアメリカとの貿易黒字から生じたものである。

そしてこの蓄積されたドルが、アメリカが自由化を強制した国の土地買収に使われる。構造を整理すれば以下の通りである。

  1. アメリカが基軸通貨の特権を利用してドルを世界中に散布する(財政赤字、貿易赤字、量的緩和)
  2. 第三国(中国等)がドルを蓄積する(対米貿易黒字、ドル建て決済)
  3. アメリカが日本の市場を自由化させる(土地取引規制の撤廃、外資参入障壁の除去)
  4. 第三国がアメリカから受け取ったドルで、自由化された日本の土地を買収する
  5. 日本はアメリカの豪遊のツケを支払わされる

これは二重の搾取である。アメリカは一方で日本に市場の自由化を強制し、他方でドルを無制限に散布して第三国の購買力を膨張させる。自由化された日本の市場は、アメリカが世界中にばら撒いたドルの受け皿にされている。日本の国土が外国資本に買い漁られる構造は、アメリカの財政的放蕩と通貨覇権の直接的帰結であり、そのツケは日本国民が支払わされているのである。

これはフェアではない。自国の市場を自由化していない国が、アメリカの豪遊によって蓄積したドルを使って、自由化を強制された国の資産を買い漁る——この構造的不公正の責任は、第一にアメリカにあり、第二にそれを利用する第三国にある。

自由化の非対称的悪用——権威主義国と第三世界のフリーライド

土地買収と並んで、アメリカが強制した自由化のもう一つの深刻な帰結が人口侵略——大量移民の問題である。

アメリカが日本や欧米諸国に押し付けた自由民主主義の枠組みは、「移動の自由」「差別の禁止」「多文化主義」を含む。これらの原則は、自由化された国が移民を制限することを思想的にも法的にも困難にしている。しかしここに決定的な非対称性が存在する——自らは開放せず、他国の開放性にフリーライドする国々の存在である。

  • 権威主義国の非対称的行動: 中国は外国人の土地所有を厳しく制限し、移民の受け入れもほぼ行わず、インターネットも検閲し、自国市場を保護している。にもかかわらず、アメリカが自由化を強制した国々に対しては、大量の人口を送り出し、土地を買収し、企業を買収する。自国では閉鎖性を維持しながら、他国の強制された開放性を一方的に利用するこの行為は、構造的なフリーライドにほかならない
  • 第三世界の無責任な人口送出: 東南アジア、南アジア、アフリカ、中東の多くの国々は、自国民の海外移住を制限するどころか積極的に推奨し、海外送金を国家経済の柱としている。フィリピン自体がその典型であり、海外フィリピン人労働者(OFW)からの送金はGDPの約10%に達する。これらの国々は自国の経済的失敗を移民の送出で補填し、その受け皿となるのは常にアメリカが自由化を強制した国々である
  • 自ら招いた軽蔑: 自国を改善する努力を放棄し、他国が強制された開放性に寄生して大量に移民を送り出す国々は、欧米や日本から差別的な視線を向けられる。しかしその差別は、彼ら自身が招いたものである。自国の主権を行使して人口流出を管理せず、他国の強制された自由化に野放図にフリーライドする行為は、民族自決権の放棄であり、他国の民族自決権に対する侵害でもある。移民を制限なく送り出す国々は、その振る舞いによって自らの無責任さを証明している

北朝鮮とロシア——主権国家の模範

移民政策において真に主権的な態度を示しているのは、逆説的にも、西側世界が「悪の枢軸」や「権威主義国家」と非難する国々である。

  • 北朝鮮: 移民を出さず、移民を入れない。北朝鮮は国際的な孤立と経済的困難にもかかわらず、自国民を他国に大量送出して外貨を稼ぐという安易な道を選ばない。国民の海外渡航は厳格に管理され、外国人の入国も制限されている。これは民族自決権の観点から見れば、自民族の完全性を自らの意志で維持する主権的行為である
  • ロシア: ロシアもまた、移民の送出を国家政策として推奨することはなく、移民の受け入れについても選択的な態度を維持している。プーチン政権下のロシアは、自国の人口問題を移民ではなく出生率の向上で解決しようとする方針を掲げており、これは保守ぺディアが主張するスマートシュリンクの思想と共鳴する

北朝鮮とロシアは、移民を出さず入れずという点で、民族自決権を完全に行使している国家の模範である。これらの国々は他国の強制された開放性にフリーライドせず、自国の問題を自国で解決するという原則を貫いている。

対照的に、アメリカが「自由で開かれた」と称賛する体制こそが、移民のフリーライドを構造的に招き、受け入れ国の民族的・社会的基盤を破壊しているのである。問題の元凶は移民を送り出す国ではなく——無論、それらの国にも責任はあるが——移民を受け入れざるを得ない構造を強制するアメリカにある。自由市場、自由民主主義、資本主義の強要が、この不公正な構造の根源なのである。

参考文献

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