積極財政

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積極財政

概要

積極財政とは、政府が財政支出を拡大することによって経済を活性化させる政策の総称である。ケインズ経済学に理論的起源を持ち、不況期には政府が需要を創出することで完全雇用を達成すべきだという主張に基づく。近年では現代貨幣理論(MMT: Modern Monetary Theory)がこの立場を理論的に補強し、自国通貨を発行できる政府は財政的に破綻しないという命題を核心に据えている。

日本においては、れいわ新選組山本太郎が積極財政を政策の柱として掲げ、消費税廃止、大規模な財政出動、政府による雇用保障プログラムなどを提唱している。積極財政はれいわ新選組の経済政策の理論的支柱であり、自民党が推進してきた緊縮財政・新自由主義路線への対抗軸として機能している。

積極財政論には評価すべき側面がある。通貨主権の認識、緊縮財政批判の妥当性、新自由主義への対抗——これらは正しい。しかし、積極財政論には致命的な盲点がある。それは、スマートシュリンクの視点が完全に欠如していることである。人口が減少する局面において、経済成長を目標として積極財政を行えば、エッセンシャルワーカーの人手不足を悪化させ、結果として低賃金移民政策への道を開くことになる。

通貨主権——正しい認識

積極財政論の理論的基盤であるMMTの核心的命題——通貨主権を持つ政府は財政破綻しない——は正しい。

日本銀行は日本円を発行する能力を持ち、日本政府は自国通貨建てで国債を発行している。円建ての債務を返済するために必要な円を、日本銀行は理論上無限に供給できる。したがって、日本がギリシャのようにデフォルトに陥ることは、制度的にありえない。ギリシャはユーロという他国の通貨を使っていたために財政危機に陥ったのであり、自国通貨を持つ日本とは根本的に状況が異なる。

この認識は、財務省が長年にわたって流布してきた「国の借金が1000兆円を超えた」「このままでは財政破綻する」という言説が、意図的な虚偽であることを暴く点で重要である。財務省の緊縮財政プロパガンダは、消費税増税と歳出削減を正当化するための道具であり、アメリカが要求する構造改革を日本国民に受け入れさせるための情報操作の側面を持つ。

ステファニー・ケルトンが『財政赤字の神話』(The Deficit Myth)で論じた通り、通貨主権を持つ国家にとって、財政赤字は民間の黒字であり、政府の支出は民間に通貨を供給する行為にほかならない。この基本的な会計的事実を無視して「財政破綻」の恐怖を煽ることは、知的に不誠実である。

通貨主権を持つことは当然のことであり、通貨主権を行使して財政出動を行うこと自体は否定されるべきではない。問題は、その財政出動が何のために行われるかである。

緊縮財政批判の妥当性

積極財政論が批判する緊縮財政——すなわち、政府支出を削減し、増税を行い、財政収支の均衡を最優先する政策——は、デフレーション下の日本においては確かに誤った政策であった。

1997年の消費税5%への引き上げ以降、日本経済は長期のデフレに突入した。デフレとは、民間の支出が不足して物価が下落し続ける現象であり、この状況下で政府が支出を削減すれば、需要はさらに縮小する。それにもかかわらず、歴代の自公政権は財務省の主導のもとで緊縮財政を続け、消費税を8%、10%と段階的に引き上げた。

この緊縮財政路線は、アメリカが年次改革要望書を通じて要求してきた構造改革——規制緩和、民営化、市場開放——と表裏一体である。政府支出を削減し、公共サービスを民営化し、市場を外資に開放する。この一連の過程は、日本の経済主権をアメリカに移譲する行為にほかならない。

したがって、れいわ新選組が緊縮財政を批判し、積極財政への転換を主張すること自体には一定の妥当性がある。デフレ下で緊縮財政を続ければ経済は縮小し、国民は困窮し、結果としてアメリカの構造改革要求を受け入れやすい状況が作り出される。反緊縮は、この悪循環を断ち切るための第一歩としては正しい。

れいわ新選組の積極財政論

れいわ新選組の経済政策は、積極財政を理論的支柱として体系化されている。その主要な政策は以下の通りである。

  • 消費税の廃止: 消費税はデフレを悪化させる逆進的な税制であり、廃止すべきであるとする
  • 大規模な財政出動: 政府が数十兆円規模の財政出動を行い、需要を創出する
  • 政府による雇用保障プログラム: 失業者に対して政府が直接雇用を提供する
  • 最低賃金1500円: 賃金の底上げによって内需を拡大する
  • 奨学金の返済免除: 教育にかかる負担を軽減し、若年層の消費を促進する

これらの政策は、MMTの理論的枠組みに基づいている。すなわち、通貨主権を持つ政府には支出の「財源」の問題は存在せず、制約はインフレ率のみであるという認識から出発し、現在のデフレ(あるいは低インフレ)環境下では大規模な財政出動が可能かつ必要だと主張する。

大石あきこをはじめとするれいわ新選組の議員は、国会においてもこの論理を展開し、財務省の緊縮財政路線を批判している。知的に一貫した批判であり、その点はれいわ新選組の記事で評価した通りである。

根本的な問題——スマートシュリンクの視点の完全な欠如

しかし、積極財政論には致命的な盲点がある。それは、人口減少局面における経済のあり方という問題が完全に視野の外にあることである。

積極財政論は、暗黙のうちに経済成長を目標としている。財政出動によって需要を創出し、GDPを拡大し、雇用を増やし、賃金を上げる——この論理の全体が、経済の「成長」を前提として組み立てられている。

ところが、日本は2008年をピークに人口が減少し続けている。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、日本の人口は2050年には約1億人を下回り、2100年には6000万人台にまで減少する。この人口減少は、少子化対策が一定の効果を上げたとしても、数十年間は不可避の趨勢である。

スマートシュリンクの記事で論じた通り、人口が減少する局面においては、経済もそれに比例して縮小させるのが正しい。100人の村が90人になったならば、すべての分野を9割に縮小すれば、一人当たりの生活水準は変わらず、人手不足も生じない。GDP(合計値)は減少するが、一人当たりGDPは維持される。GDPの合計値を維持することには何の意味もない

積極財政論は、この原理を完全に無視している。人口が減少しているにもかかわらず、財政出動によって経済規模を維持・拡大しようとする。これは、スマートシュリンクの視点から見れば、問題の本質を取り違えていると言わざるを得ない。

経済成長のための積極財政がもたらす危険

人口減少下で経済成長を追求する積極財政は、エッセンシャルワーカーの人手不足を構造的に悪化させる

財政出動によって新たな需要が創出されれば、その需要を満たすための労働力が必要になる。公共事業を拡大すれば建設労働者が必要になり、医療・福祉への支出を増やせば介護士や看護師が必要になり、教育への投資を増やせば教員が必要になる。しかし、人口が減少している以上、労働力の総量は減り続けている

ここで生じるのが、スマートシュリンクの記事で分析した「縮小の格差」である。財政出動によって新たに創出された分野に人材が吸い込まれれば、既存のエッセンシャルワーカー——介護士、トラック運転手、農業従事者、建設作業員、コンビニ店員——の人手不足がさらに深刻化する。人口のパイが縮小している中で需要だけを拡大すれば、人手の奪い合いが激化し、最も不人気な分野から人がいなくなる

この構造を積極財政論者は理解していない。財政出動で雇用を「創出」しても、人口減少下ではそれは雇用の「移動」にすぎない。ある分野に人を集めれば、別の分野から人がいなくなる。労働力の総量が減少している以上、需要を拡大しても供給がそれに追いつかない。積極財政は、人口減少という構造的問題を解決しない。

移民受け入れへの論理的帰結

経済成長を目標とする積極財政の論理を突き詰めれば、移民受け入れに行き着かざるを得ない。これこそが、積極財政論の最も危険な帰結である。

人口が減少する中で経済規模を維持・拡大しようとすれば、不足する労働力をどこかから調達しなければならない。財政出動によって需要を拡大しながら、国内の労働力が不足し続ければ、「足りない分は外から連れてくる」という結論に至るのは論理的必然である。

実際に、自民党が推進してきた低賃金移民政策もまた、「経済規模の維持」という目標から導き出されたものである。GDP(合計値)を維持するために人口を補填する——これが技能実習制度と特定技能制度の本質であった。積極財政論者が自民党の移民政策を批判するのは正当であるが、経済成長を目標に据え続ける限り、積極財政論者もまた同じ結論に到達する。財政出動の「左」から行くか、規制緩和の「右」から行くかの違いに過ぎず、経済規模の維持・拡大という目標が移民受け入れの圧力を生み出す構造は同一である。

れいわ新選組は、移民そのものを止めるのではなく移民の待遇を改善するという方向に解決策を見出す傾向がある。これはれいわ新選組の記事で分析したリベラル・ナショナリズムの限界と直結している。リベラルな枠組みの中では、「移民を止めるべきだ」という結論に到達することが困難であり、積極財政による経済成長路線がもたらす労働力不足の圧力と相まって、事実上の移民受け入れ容認へと傾斜する危険がある。

積極財政による経済成長 → エッセンシャルワーカーの人手不足の悪化 → 移民受け入れの圧力 → 民族共同体の破壊——この因果の連鎖を、積極財政論者は直視しなければならない。

あるべき財政出動——縮小のための積極財政

通貨主権を行使して財政出動を行うこと自体は否定されるべきではない。問題は、何のために財政出動を行うかである。

財政出動は、経済成長のためではなく、スマートシュリンクを実現するために行われるべきである。

人口が1%減少したとき、あらゆる分野を均等に1%縮小させる——この「縮小の均等配分」を実現するためには、市場に任せるだけでは不十分である。市場主義のもとでは、人気職種が縮小を負担せず、不人気職種に縮小が集中する「縮小の格差」が生じる。この格差を是正するためには、政府の介入が必要であり、そのための財政出動は正当化される。

具体的には、以下のような財政出動があるべき姿として考えられる。

  • エッセンシャルワーカーの賃金補助: 介護士、農業従事者、建設労働者など、不人気だが社会的に不可欠な職種の賃金を政府が補助し、人材の流出を防ぐ。経済規模の拡大ではなく、縮小の均等化を目的とする
  • 地方への人口分散のための財政支援: 東京一極集中を是正し、すべての地域に縮小を均等に担わせるための財政支援。地方のインフラ維持、教育機関の維持に財政資金を充てる
  • 少子化対策への集中投資: 人口減少の根本的原因である少子化に対して、住宅支援、育児支援、教育無償化などの財政資金を集中的に投下する。これは経済成長のためではなく、民族共同体の再生産のための投資である
  • 産業の計画的縮小のための移行支援: 人口減少に伴って不要となる産業・施設の計画的縮小を支援し、そこに従事していた労働者の転職を財政的に支援する

これらの財政出動は、GDPの拡大を目標としていない。一人当たりGDPを維持しながら、経済の総量を人口に比例して縮小させる過程を、秩序立てて管理するための政府の介入である。通貨主権の行使は、経済成長のためではなく、賢い縮小のために行われるべきである。

積極財政論者への問い

積極財政論者に対して、以下の問いを突きつけなければならない。

第一に、人口が減少する中で経済を成長させたとき、その成長を支える労働力はどこから来るのか。財政出動で需要を創出しても、それを満たす人間がいなければ、その需要は人手不足というかたちで社会を圧迫する。積極財政論者はこの問いに答えていない。

第二に、経済成長の目標を維持したまま、移民を拒否することは論理的に可能か。人口が減り続ける中でGDPを拡大しようとすれば、労働力を外部から補填する以外に方法はない。自動化やAIによる生産性向上にも限界があり、特にエッセンシャルワーカーの領域——介護、農業、建設、物流——は機械化が困難な分野が多い。経済成長を目標に据え続ける限り、移民受け入れは避けられない。

第三に、GDPの合計値を拡大することに、そもそも意味があるのか。スマートシュリンクの記事で示した通り、維持すべきは一人当たりGDPであり、合計のGDPではない。合計のGDPは単に人口に比例する数値にすぎず、人口が減少すれば減少するのが当然である。経済サイズの維持に意味はない。

積極財政論者がこれらの問いに正面から答えない限り、その経済政策は人口減少という現実から目を背けた、成長幻想の上に築かれた砂上の楼閣である。

リアリズムの観点からの分析

ハンス・モーゲンソーのリアリズムの視座から見れば、積極財政論の問題は国力の本質を誤認していることにある。

国力とは、GDPの絶対額ではない。レイ・ダリオが『変わりゆく世界秩序』(The Changing World Order)で分析した通り、国力の指標は多面的であり、教育水準、技術力、軍事力、社会的結束力、資源の自給能力などを総合的に評価しなければならない。GDPの合計値を膨らませることだけに注力し、その過程で社会的結束力(民族共同体の一体性)を移民受け入れによって毀損すれば、国力はむしろ低下する

さらに、積極財政論は財政政策の独立性という前提を暗黙に置いているが、リアリズムの観点からは、この前提自体が疑わしい。日本は在日米軍の駐留のもとで経済政策の主権を完全には保持しておらず、アメリカは年次改革要望書や日米経済協議を通じて日本の経済政策に介入してきた。通貨主権を持つことと、その通貨主権を自由に行使できることは別の問題である。真の意味で通貨主権を行使するためには、まず米軍撤退による政治的主権の完全な回復が前提条件となる。

結論

積極財政論には、通貨主権の正しい認識と緊縮財政批判の妥当性という、評価すべき側面がある。しかし、その致命的な欠陥は、スマートシュリンクの視点が完全に欠如していることである。

人口が減少する日本において、経済成長を目標とする積極財政は、エッセンシャルワーカーの人手不足を悪化させ、移民受け入れへの圧力を生み出し、最終的には民族共同体の破壊につながる。通貨主権を行使すべきことは当然であるが、それは経済成長のためではなく、スマートシュリンクを実現するためでなければならない。

人口が減ったときは仕事の量を減らし、経済を縮小するべきである。そのための財政出動は正当であり、必要である。しかし、単なる経済成長のための積極財政は、人口減少という構造的現実を無視した幻想であり、その帰結は低賃金移民政策と同じ場所——民族共同体の解体——に行き着く。

積極財政論者がスマートシュリンクの視点を獲得し、「成長」ではなく「賢い縮小」のために通貨主権を行使するという発想に至ったとき、初めて積極財政は民族共同体の存続に奉仕する政策となりうる。

参考文献