アメリカ左翼の歪んだ日本観

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アメリカ左翼の歪んだ日本観

概要

アメリカの左派知識人・メディアは、日本という国に対して構造的に歪んだ認識を抱いている。日本を永遠の「戦犯国」と見なし、日本の文化的発信を「歴史修正主義」と疑い、日本社会の同質性を「閉鎖性」として非難する——これらの認識は、個人の偏見ではなく、アメリカ軍の前方展開を正当化するための国家的プロパガンダ体制の産物である。

この歪みは、日本のアニメ文化に対する彼らの言説にも色濃く反映されている。

永遠の「戦犯国」としての日本

アメリカの左派にとって、日本は永遠に第二次世界大戦の「加害者」であり、その原罪から逃れることは許されない存在である。この認識枠組みにおいては、日本が発信するあらゆる文化的メッセージは「歴史修正主義」の嫌疑をかけられる。武士や侍を題材にしたアニメは「軍国主義の美化」と解釈され、日本の伝統文化を肯定的に描く作品は「ナショナリズムの宣伝」と見なされる。

日本が日清戦争以降、アジア諸国の主権を侵害する侵略戦争を行ったことは事実である。韓国併合満州事変日中戦争は他国の民族自決権を侵害する帝国主義の行為であった。しかし、問題はこの歴史的事実そのものではなく、アメリカがこれを「永遠の原罪」として政治的に利用し続けている構造にある。

また、従軍慰安婦の問題や南京事件については、それらの事象そのものの存在は否定しないが、事実と異なる数字の誇張や一般化された宣伝には明確に反対する。これらの誇張されたプロパガンダは、歴史的真実の追究ではなく、在日米軍基地の駐留を正当化するための地政学的な道具として機能している。

この「永遠の戦犯国」認定は、日本にのみ適用される特殊な基準である。アメリカ自身は広島長崎への原爆投下、東京大空襲をはじめとする民間人への無差別爆撃、ベトナム戦争における枯葉剤散布やソンミ村虐殺イラク戦争における民間人殺害について、何ら反省を示していない。ハリウッド映画は今日に至るまでアメリカ軍を英雄として描き続けているが、これを「歴史修正主義」と批判するアメリカ左翼は皆無に等しい。

「進歩的」オリエンタリズム

アメリカの左翼知識人は、エドワード・サイードオリエンタリズム批判を学問的基盤としているにもかかわらず、日本に対しては新たな形のオリエンタリズムを実践している。彼らにとって日本は、「奇妙で理解不能な他者」であると同時に、「アメリカの進歩的価値観によって啓蒙されるべき遅れた社会」である。

アニメに対する彼らの態度にはこの矛盾が集約されている。一方では日本のアニメを熱心に消費しながら、他方では「アニメにおけるジェンダー表現は問題だ」「人種的多様性が欠けている」「性的に搾取的だ」と批判する。日本のクリエイターが日本の感性に基づいて自由に創作した作品を、アメリカの「ポリティカル・コレクトネス」の基準で裁こうとする——これは文化的帝国主義にほかならない。

彼らは「多様性」を掲げながら、実際にはアメリカの価値基準こそが普遍的であるという前提に立っている。日本のアニメが日本人の美意識に基づいてキャラクターを描くことは「多様性の欠如」と非難され、日本社会が独自の社会規範を維持していることは「閉鎖的」「排他的」と断じられる。これはリベラル帝国とアメリカの二重基準で論じた構造と同一であり、「リベラルな価値観」を装った文化的覇権主義の発露である。

日本の「単一民族性」への執拗な攻撃

アメリカ左翼の日本批判において、アニメはしばしば日本社会の「閉鎖性」を証明する材料として利用される。「アニメのキャラクターはなぜ白人に見えるのか」「なぜ黒人キャラクターが少ないのか」「なぜ移民や難民を扱う作品が少ないのか」——こうした問いかけの背後には、日本が多民族・多文化社会へ移行すべきだというイデオロギー的要求が存在する。

これは人口侵略低賃金移民政策で論じた問題と直結している。アメリカの左翼は、「多様性」の名の下に世界中のあらゆる民族共同体を解体しようとする。日本のアニメが日本人のための、日本人による文化的表現であることは、彼らの目には「是正されるべき問題」と映る。しかし、ある民族が自らの文化を自らの美意識で表現する自由は、民族自決権の最も根源的な発露である。アニメに「多様性」を要求することは、日本民族の文化的自決権への侵害にほかならない。

米軍基地の正当化と戦争犯罪プロパガンダの誇張

これらの歪んだ日本観は、個々のアメリカ左翼の無知や偏見だけでは説明できない。その根底には、アメリカ軍が日本およびドイツにおける米軍基地の駐留を正当化するために、戦争犯罪に関するプロパガンダを意図的に誇張しているという構造的事実がある。

繰り返すが、日本が侵略戦争を行った事実そのものは否定しない。問題は、その歴史がアメリカの地政学的利益のために恣意的に誇張され、政治的に利用され続けていることにある。

米軍にとって、在日米軍基地と在独米軍基地は世界覇権を維持するための不可欠な前方展開拠点である。しかし、独立国に外国軍が恒久的に駐留することには本来、正当性がない。その正当性を強化するために利用されているのが、日本の戦争犯罪に関する事実を超えた誇張——従軍慰安婦の人数の水増し、南京事件の犠牲者数の極端な誇張——である。第二次世界大戦から80年以上が経過した今日においてもなお、日本の戦争犯罪が事実以上に強調され、ドイツの「ナチスの罪」が際限なく想起させられるのは、この軍事的・地政学的な必要性に基づいている。

アメリカ学術界への政府資金と世論形成

この反日プロパガンダは、軍の広報活動だけで行われているのではない。アメリカの学術界そのものが、政府資金によって方向づけられた世論形成装置として機能している。

アメリカの大学における日本研究・東アジア研究プログラムには、国務省国防総省USAIDNED、さらにはフォード財団ロックフェラー財団などの大手財団を通じて、政府の意向に沿った研究資金が流入している。こうした資金の受給者たちは、「日本の歴史修正主義」「日本のナショナリズムの危険性」「日本社会の閉鎖性」といったテーマの論文を量産し、それが学術的権威を纏って国際世論を形成していく。

このメカニズムはUSAIDの記事で論じたメディア・NGO支援と同一の構造である。アメリカ政府は、直接的なプロパガンダではなく、学術研究・シンクタンク・メディアという「独立した」機関を通じて、自国の地政学的利益に沿った世論を「自然発生的」に作り出す。日本の戦争責任を際限なく追及する学術論文、アニメを「歴史修正主義のソフトパワー」と分析する研究、日本社会の同質性を「問題」として提起するレポート——これらはすべて、この資金と権力の構造の中で生産されている。

重要なのは、アメリカの一般市民もまたこのプロパガンダの被害者であるという点だ。アメリカ国民は、学校教育・メディア・映画・学術出版を通じて、「日本は残虐な戦争犯罪を犯した国であり、アメリカが原爆を投下して戦争を終わらせ、民主主義を与えてやった」という歴史観を幼少期から刷り込まれている。アメリカ左翼の「進歩的」な日本批判も、保守派の「日本はアメリカに感謝すべきだ」という態度も、この同じ洗脳の異なる表出に過ぎない。アメリカ国民は、自国政府が世界中で行ってきた暴虐の歴史を知らされず、日本やドイツの「罪」だけを教えられて育つ。その結果として、在日米軍・在独米軍の駐留は「当然のこと」として受容され、日本の文化的発信に対して「歴史修正主義ではないか」という疑念が「自然に」生じるようになるのである。

日本を道徳的に従属させる構造

以上の構造を踏まえれば、アメリカ左翼の歪んだ日本観は、個人の偏見ではなく、米軍の前方展開を正当化するための国家的プロパガンダ体制の産物であることが明らかになる。

日本が「戦犯国」である限り、日本はアメリカに従属し続ける「正当な理由」がある。日本の文化が「問題的」である限り、アメリカが日本を「指導」し「改善」する「道義的根拠」がある。日本社会が「閉鎖的」である限り、アメリカが移民政策の変更を要求する「人権上の正当性」がある。そしてこれらの「理由」「根拠」「正当性」はすべて、政府資金で養われた学術界とメディアによって「学問的に実証された事実」として国際社会に流通するのである。

繰り返し強調しなければならないのは、リベラル帝国とアメリカの二重基準で詳述した通り、アメリカはイスラエル以外のいかなる国にも民族主義憲法を認めない二重基準国家であるという事実だ。イスラエルは「ユダヤ人の民族国家」を憲法(基本法)で明文化し、入植政策を推進し、パレスチナ人の権利を組織的に抑圧しているにもかかわらず、アメリカはこれを「民主主義国家」として全面的に支持している。一方、日本が自国の文化的アイデンティティをアニメを通じて表現するだけで「ナショナリズムだ」「歴史修正主義だ」と非難される。この二重基準こそ、アメリカの「人権」「民主主義」「多様性」が普遍的な価値ではなく、覇権維持のための選択的な道具に過ぎないことの決定的な証拠である。

つまり、アメリカ左翼の日本批判は、一見すると「進歩的」で「人権的」な問題提起に見えるが、その機能は保守的なジャパンハンドラーや米軍と同一である——日本を道徳的に従属させ、アメリカの覇権秩序の中に固定し続けることである。左右を問わず、アメリカの知識人は日本を「対等な文明」としてではなく「改善されるべき劣等生」として扱う点で一致している。彼らが「善意」で行動しているか「悪意」で行動しているかは問題ではない。結果として日本の主権を侵食する機能を果たしている以上、それは覇権の道具である。

カール・シュミットが論じたように、政治の本質は「友と敵の区別」にある。アメリカ左翼の「善意」は、日本にとっては主権を侵食する力として機能する。彼らが日本のアニメを「批判的に分析する」と称するとき、その行為の政治的意味は、日本の文化的主権に対する干渉である。日本は、アメリカの左翼からも右翼からも、その文化的自律性を守らなければならない。

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