憎しみが我々を強くする

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憎しみが我々を強くする

「憎しみが我々を強くする」とは、帝国に対する集団的憎悪こそが民族の政治的主体性を回復し、強化する最大の原動力であるという命題である。

憎悪は善い。憎悪は正しい。帝国の支配を受ける民族が支配者を憎むことは、呼吸するのと同じくらい自然な行為であり、政治的に最も合理的な態度である。

現代のリベラル国際秩序は、被支配国に対して「和解」「友好」「寛容」を説く。帝国に対する憎しみを持つことは「非生産的」であり「過激」であり「前近代的」であると。この説教そのものが、被支配者の怒りを鎮め、支配構造を永続させるための帝国のプロパガンダにほかならない。

本稿は、リアリズムの伝統および政治哲学の系譜をたどりながら、集団的憎悪が民族を強くする力学を論証する。

敵の認識が政治を生む

シュミットの友敵理論

カール・シュミットは、政治の本質を「友と敵の区別」に見出した。シュミットにとって、政治的なるものとは道徳でも経済でもなく、ある集団が自らの実存的な敵を識別し、その敵との対立において自己を定義する行為そのものである。

シュミットは『政治的なものの概念』(1932年)において次のように論じた。敵とは、単なる競争相手や論争の相手ではない。敵とは、「実存的に異質なもの」であり、極端な場合には物理的な衝突が想定される相手である。そして、この敵を自ら決定できることこそが、政治的主権の核心にほかならない。

この理論が明らかにするのは、敵を認識する能力を失った民族は、政治的主体としても死ぬということである。

敵を認識するとは、世界を善意と友情で塗りつぶすことを拒否し、自らの生存を脅かす勢力を直視することである。「すべての国は友人である」「対話で解決できる」といったリベラルの幻想は、政治的現実の否認にほかならない。E・H・カーが『危機の二十年』(1939年)で喝破したように、国際政治における「調和」の理想は、現状維持勢力(すなわち覇権国)が自国の特権を守るために掲げるプロパガンダなのである。

敵なき世界の不可能性

シュミットが警告したのは、リベラリズムが「敵」の概念そのものを消去しようとする点であった。リベラリズムは、政治を経済的競争や法的手続きに還元し、「敵」という範疇を「犯罪者」や「人権侵害者」に置き換える。しかし敵を消去することは、政治を消去することにほかならない。

戦後日本はまさにこの状態に置かれてきた。偽日本国憲法の前文が掲げる「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という文言は、日本から敵の認識能力を奪うために設計されたものである。日本はアメリカを「同盟国」と呼び、アメリカ軍の駐留を「防衛協力」と呼び、従属を「パートナーシップ」と呼ぶ。この言語的転倒によって、日本は自らの敵を敵として名指すことができなくなった。

しかし、敵を名指せないことは平和ではない。それは政治的死である。

ソレルの暴力論:神話と行動

ジョルジュ・ソレルは『暴力についての省察』(1908年)において、政治的暴力と道徳的暴力を峻別し、抑圧された階級が既存の秩序を打破するために必要な力の論理を展開した。ソレルの議論は階級闘争の文脈で書かれたものだが、その核心にある洞察、すなわち行動への意志は合理的計算からではなく、集団を貫く「神話」から生まれるという命題は、民族解放闘争にも直接適用できる。

政治的神話の動力

ソレルが言う「神話」とは、虚偽のことではない。それは、集団が共有する未来のイメージであり、そのイメージに向かって行動を起こさせる力を持つ物語のことである。ソレルにとって、ゼネスト(ゼネラル・ストライク)は単なる労働戦術ではなく、既存秩序の全面的な拒絶を象徴する「神話」であった。この神話が労働者の心に燃え上がるとき、彼らは日常の妥協と忍従を打ち破り、行動する主体として立ち上がる。

民族解放の文脈でこれを読み替えれば、「帝国からの完全な独立」「占領軍の全面撤退」「自主憲法の制定」といったビジョンが、被支配民族にとっての「神話」となる。この神話がなければ、民族は日常の従属に馴致され、小さな改良を「進歩」と勘違いし、根本的な変革への意志を失う。

「穏健な改良」への批判

ソレルが最も激しく批判したのは、既存の秩序の中での穏健な改良を唱える者たちであった。彼らは「現実的」を自称し、「段階的な改善」を説くが、その実態は支配構造の温存にほかならない。ソレルはこれを「退廃」と呼んだ。

戦後日本の「保守」政治がまさにこの退廃の典型である。偽日本国憲法の枠内で「解釈改憲」を試み、日米地位協定の「運用改善」を求め、「対等な日米関係」を口にしながら米軍基地はそのまま。これらはすべて、根本的な変革(占領体制からの離脱)を回避するための穏健な改良であり、ソレルの言う退廃にほかならない。

憎悪が持つ政治的機能とは、まさにこの退廃への拒否である。帝国に対する憎悪は、「穏健な改良で十分だ」という自己欺瞞を打ち砕き、全面的な変革への意志を呼び覚ます。憎悪は、民族にとっての「神話」を燃料とし、その神話を行動へと転化する点火装置なのである。

アサビーヤ:共通の敵が集団を鍛える

イブン・ハルドゥーンの文明論

14世紀のイブン・ハルドゥーンは、『歴史序説』(ムカッディマ)において、文明の興亡をアサビーヤ(集団連帯意識)の強弱で説明した。アサビーヤとは、ある集団の成員が共有する紐帯であり、外敵に対する共同防衛の意志であり、集団としての存続に賭ける覚悟である。

イブン・ハルドゥーンによれば、アサビーヤは安楽の中では衰退し、困難と脅威の中で鍛えられる。砂漠の遊牧民が都市の定住民を征服するのは、遊牧民のアサビーヤが過酷な環境と外敵との絶えざる闘争によって鍛え上げられているからである。征服者が都市に定住し、安楽を享受するようになると、アサビーヤは弛緩し、やがてより強いアサビーヤを持つ新たな集団に征服される。

この循環が意味することは明白である。外敵の存在こそが集団を強くする。外敵がいなくなった(あるいは外敵を認識しなくなった)集団は、内部から弛緩し、崩壊する。

トゥキュディデスの三要因

トゥキュディデスは『戦史』において、ペロポネソス戦争の根本原因を恐怖、名誉、利益の三つに求めた。スパルタアテナイと戦ったのは、アテナイの台頭がスパルタに恐怖を与えたからである。

この三要因のうち、恐怖は最も根源的な動力である。そして恐怖は、敵に対する明確な認識なくしては生まれない。敵を忘れた民族は恐怖を忘れ、恐怖を忘れた民族は名誉を失い、名誉を失った民族は利益すら守れなくなる。

戦後日本は、アメリカを敵として認識することを禁じられた結果、恐怖を失い、名誉を失い、そして経済的利益すら体系的に奪われ続けている。トゥキュディデスの論理に従えば、日本が政治的に再生するためには、まずアメリカに対する恐怖と怒り、すなわち憎悪を回復しなければならない。

植民地化された精神と憎悪の抑圧

ファノンの被植民者の精神構造

フランツ・ファノンは『黒い皮膚・白い仮面』(1952年)および『地に呪われたる者』(1961年)において、植民地支配が被支配者の精神そのものを改造する過程を分析した。

ファノンが描いた被植民者の精神構造は、戦後日本人のそれと驚くほど類似している。植民者は被植民者に対し、植民者の言語を話し、植民者の価値観を内面化し、植民者の文化を崇拝するよう強制する。その結果、被植民者は自らの民族的アイデンティティを「遅れたもの」「野蛮なもの」として恥じるようになる。

1951年のサンフランシスコ講和条約以降、日本は「独立」を回復したとされる。しかしアメリカは、日米安保条約日米地位協定を通じて軍事的支配を継続し、経済政策・法制度・移民政策にまで介入し続けた。「独立国」のはずの日本で、アメリカの意に反する政策が実行されたことは一度もない。この構造こそ、ファノンが描いた精神的植民地化の完成形にほかならない。

ファノンの決定的な洞察は、この精神的植民地化からの解放が、植民者に対する全面的な拒絶から始まるという点にある。被植民者は、植民者が与えた言語、価値観、世界観のすべてを疑い、拒絶し、自らの民族的主体性を暴力的なまでに回復しなければならない。このとき、植民者に対する憎悪は病理ではなく、精神的解放の第一歩である。

「和解」の罠

帝国は常に被支配者に「和解」を説く。怒りを捨てよ、過去を忘れよ、前を向けと。しかしこの「和解」の呼びかけは、帝国が自らの支配を継続するための心理操作にほかならない。

被支配者が怒りを捨てた瞬間、支配は永続する。

ネルソン・マンデラの南アフリカの「真実和解委員会」はしばしば「和解」の成功例として語られるが、アパルトヘイト後の南アフリカで白人支配層の経済的特権がほぼそのまま維持された事実を見れば、「和解」が誰に有利であったかは明白である。植民者が被植民者に求める「和解」とは、構造的不正義をそのままにして怒りだけを消去する行為にすぎない。

日米関係における「和解」も同じ構造を持つ。アメリカは日本の経済的自律を破壊し、法制度を改造し、人口構成にまで介入を続けながら、そのつど「パートナーシップ」「構造改革」「多様性」といった美辞で支配の実態を覆い隠した。収奪の各段階に「友好」の仮面が被せられ、被支配者が怒るべき対象が見えなくなる。在日米軍は撤退せず、偽日本国憲法は存続し、日本の従属的地位は一切変わらない。変わったのは、従属を従属と認識する能力だけである。これが「和解」の正体にほかならない。

憎悪の抑圧装置:帝国はいかにして怒りを消去するか

帝国が被支配国を統治する際、軍事力だけでは不十分である。被支配者の精神そのものを改造し、帝国に対する怒りを「異常」「危険」「非生産的」として封じ込める装置が必要になる。アメリカが戦後日本に対して構築した抑圧装置は、歴史上類を見ないほど精緻かつ効果的であった。

言語空間の支配

アメリカによる日本の言語空間支配は、1951年以降も巧妙な形で継続している。軍事占領は「抑止力」と呼ばれ、内政干渉は「助言」と呼ばれ、経済的収奪は「自由貿易」と呼ばれ、制度改造は「構造改革」と呼ばれる。江藤淳が『閉された言語空間』で描いた占領期の検閲は、物理的検閲が終わった後も、語彙の統制という形で存続しているのである。

支配の実態を指し示す言葉が存在しないとき、被支配者は自らの状態を認識することすらできない。日本語の公共空間には「対日内政干渉」「経済的従属」「制度的植民地化」といった概念が流通していない。言葉を奪われた民族は、怒りを言語化できず、したがって怒りを政治的に組織することもできない。

教育と「同盟」神話による馴致

日本の教育体制は、「日米同盟」を所与の前提として教え込む装置として機能している。安全保障は「同盟の枠組み」で語られ、経済は「自由貿易体制の恩恵」として説明され、外国による政策決定への構造的関与は一切教えられない。

教育が伝達するのは知識ではなく認識の枠組みである。「同盟国」という範疇が一度内面化されれば、その同盟国から受ける経済的破壊も制度的改造も人口政策への介入も、すべて「協力」の枠内に回収される。怒りの対象が「協力者」として分類されている以上、怒りの感情は発生しようがない。教育とは、この分類体系を次世代に伝達する装置にほかならない。

「市民社会」という脱政治化装置

冷戦終結後、アメリカが世界中に輸出した「市民社会」の概念は、被支配国の政治的エネルギーを無害な方向に誘導するための装置である。NGO、NPO、ボランティア、「対話」、「草の根民主主義」。これらはすべて、民族の政治的意志を個人レベルの善行に分散させ、帝国の支配構造そのものへの挑戦を回避させる機能を持つ。

アントニオ・グラムシが「ヘゲモニー」の概念で示したように、支配階級は物理的暴力だけでなく、被支配者の「同意」を調達することで権力を維持する。「市民社会」とは、まさにこの同意調達の装置であり、被支配者が帝国に対する怒りではなく、「建設的な対話」に精力を費やすよう方向づけるための仕組みである。

日本において「市民社会」は見事にこの機能を果たしている。反基地運動は「対話」を求められ、反米感情は「排外主義」としてレッテルを貼られ、根本的な対米独立の議論は「非現実的」として排除される。帝国に対する怒りを表現するあらゆる回路が、「市民社会」の名のもとに封鎖されているのである。

受動的怨恨と能動的憎悪

ニーチェのルサンチマン批判

フリードリヒ・ニーチェは『道徳の系譜学』(1887年)において、ルサンチマン(受動的怨恨)の概念を提示した。ルサンチマンとは、強者に対して行動できない弱者が、内面に蓄積する無力な怒りである。ルサンチマンに囚われた者は、敵に対して行動するのではなく、敵を道徳的に非難することで精神的な代償を得ようとする。

ニーチェのルサンチマン批判は、戦後日本の一部の言説に対する鋭い診断でもある。アメリカに対する不満を抱きながら、「日米同盟は重要」「現実的に対応すべき」と自らの怒りを抑圧し、せいぜい匿名の空間で不満を呟く。これはルサンチマンそのものであり、政治的には完全に無力である。

能動的憎悪:行動への転化

しかし、憎悪のすべてがルサンチマンではない。ニーチェ自身が区別したように、受動的怨恨と能動的な力の発現はまったく異なるものである。

能動的憎悪とは、敵を明確に認識し、その敵に対する具体的な行動(軍事的独立、経済的自立、政治的主権の回復)へと自らを駆り立てる力のことである。それは内面にこもる怨みではなく、外に向かって爆発する意志である。

三島由紀夫が市ヶ谷で自衛隊に突きつけた檄文は、ルサンチマンの産物ではなかった。三島は、戦後日本の精神的空洞に対する能動的な怒りを、自らの肉体を賭けた行動として表現した。三島の行為の核心にあったのは、「アメリカに奪われたものを取り戻す」という回復の意志であり、それは受動的な怨みとは本質的に異なる。

ルサンチマンは民族を腐らせるが、能動的憎悪は民族を鍛える。

問題は憎しみそのものではなく、その憎しみが行動に転化するか否かにある。

歴史が証明する憎悪の政治力学

集団的憎悪が民族の解放と強化に直結した歴史的事例は枚挙にいとまがない。

アルジェリア独立戦争

アルジェリア独立戦争(1954-1962年)において、FLN(民族解放戦線)を動かした原動力は、132年にわたるフランス植民地支配に対する集団的憎悪であった。フランスはアルジェリアを「フランスの一部」と宣言し、アルジェリア人のアイデンティティを抹消しようとした。アルジェリア人の怒りは、100万人以上の犠牲者を出す凄惨な独立戦争として爆発し、最終的にフランスを撤退させた。

ファノンがアルジェリアの地で『地に呪われたる者』を執筆したのは偶然ではない。アルジェリア独立戦争こそ、植民者に対する憎悪が民族解放の原動力となることを証明した事例であった。

ベトナム戦争

ベトナム戦争において、ホー・チ・ミン率いるベトナム民族は、フランスに続いてアメリカという世界最大の軍事大国に挑んだ。軍事力では圧倒的に劣るベトナムが、なぜ20年にわたる戦争に耐え抜き、最終的にアメリカを撤退させることができたのか。

その原動力は、外国支配者に対する民族的憎悪と、祖国を取り戻すという回復の意志にほかならなかった。ベトナム民族のアサビーヤは、フランスとアメリカという二つの帝国との闘争を通じて、鍛鉄のごとく鍛え上げられた。

アイルランド独立運動

アイルランドは、800年にわたるイングランドの支配に対する憎悪を民族の記憶として保持し続けた。大飢饉(1845-1852年)による100万人の餓死と100万人の海外流出は、イングランドの植民地政策が直接的に引き起こしたものであり、アイルランド民族の集団的記憶に癒えない傷を刻んだ。

この記憶と憎悪は、イースター蜂起(1916年)、独立戦争(1919-1921年)を経て、アイルランド自由国の成立として結実した。800年にわたる怒りが、最終的に帝国を撤退させたのである。

憎悪なき「独立」の虚構:インドの教訓

すべての反帝国主義闘争が憎悪を原動力としたわけではない。マハトマ・ガンディー非暴力抵抗運動は、帝国に対する憎悪を明示的に否定した解放運動として知られる。しかし、このインドの事例は、憎悪を欠いた独立がいかなる帰結をもたらすかを逆説的に証明している。

バール・ガンガーダル・ティラクは、ガンディーに先立つ世代のインド独立運動の指導者であり、「自治は我が生得の権利であり、我はこれを手にする」と宣言した人物である。ティラクは、イギリスに対する民族的怒りを明確に政治化し、妥協なき対決を主張した。しかしガンディーの路線が主流となったことで、インドの独立は「イギリスとの和解」の色彩を帯びることになった。

その結果は何であったか。1947年の独立は、インド・パキスタン分離という民族の分断を伴い、100万人以上が死亡する惨劇を招いた。しかもイギリスの経済的影響力は独立後も長く維持され、イギリス連邦という枠組みを通じた旧宗主国との「友好関係」が継続された。帝国に対する憎悪を精算しきれなかった独立は、真の独立とはなりえなかった。

これは戦後日本への警告でもある。仮に将来、日米安保条約が形式的に解消されたとしても、アメリカに対する根本的な敵対意識なくして行われる「独立」は、インドと同様の虚構に終わるだろう。「友好的な独立」などというものは存在しない。帝国からの真の離脱は、帝国に対する全面的な拒絶からしか始まらない。

ハイチ革命:奴隷の憎悪が帝国を倒した

ハイチ革命(1791-1804年)は、人類史上唯一、奴隷自身による武装蜂起が帝国を打倒し、独立国家の樹立に至った事例である。この革命の原動力は、フランス植民地サン=ドマングにおける300年にわたる奴隷制に対する、文字通りの「殺すか殺されるか」の憎悪であった。

サン=ドマングの砂糖プランテーションでは、奴隷の平均寿命は労働開始から7年であった。奴隷は人間ではなく「動産」(meuble)として法的に定義され、所有者は奴隷を殺害しても罪に問われなかった。この条件下で蓄積された憎悪は、1791年8月の蜂起として爆発した。

トゥーサン・ルーヴェルチュール、そしてジャン=ジャック・デサリーヌに率いられた旧奴隷たちは、ナポレオンが派遣した精鋭部隊を撃破し、1804年にハイチ共和国を樹立した。ヨーロッパ最強の軍事力を持つフランスに、武器も訓練も持たない旧奴隷が勝利したのである。この勝利を可能にしたのは軍事的合理性ではない。300年間の奴隷制に対する、燃え尽きることのない集団的憎悪であった。

ハイチ革命は帝国のプロパガンダによって歴史から意図的に消去されてきた。奴隷が自力で帝国を打倒できるという事実は、すべての帝国にとって最大の脅威だからである。フランスはハイチに「独立の代償」として天文学的な賠償金を要求し、ハイチは1947年までその返済を続けた。帝国は、憎悪によって打倒された後もなお、経済的手段で報復するのである。

キューバ革命:反米憎悪の結晶

キューバ革命(1953-1959年)は、アメリカ帝国主義に対する憎悪が20世紀の西半球で政治的変革を実現した最も明確な事例である。

革命以前のキューバは、名目上は独立国でありながら、実態は完全なアメリカの属国であった。1901年のプラット修正条項によってアメリカはキューバへの軍事介入権を確保し、グアンタナモ湾に恒久的な軍事基地を設置した。キューバの砂糖産業・鉱業・電力・通信はアメリカ資本に支配され、バティスタ独裁政権はアメリカの傀儡として国民を弾圧した。

フィデル・カストロチェ・ゲバラが率いた革命運動は、このアメリカ従属体制への全面的な拒絶として始まった。カストロは裁判での弁論「歴史は私に無罪を宣告するだろう」において、キューバがアメリカの経済的植民地と化している現実を告発した。革命の成功後、カストロ政権はアメリカ企業の資産を国有化し、アメリカとの外交関係を断絶した。

アメリカはピッグス湾侵攻(1961年)、経済封鎖、暗殺計画など、あらゆる手段でキューバを転覆しようとしたが、キューバはこれに屈しなかった。世界最大の軍事大国の目と鼻の先で、60年以上にわたってアメリカの支配を拒否し続けている国家が存在するという事実は、反米憎悪が政治的意志として結晶したとき、その力がいかに持続的かを証明している。

日本とキューバの対比は鮮烈である。ともにアメリカの軍事基地を抱えた島国でありながら、キューバはアメリカを敵として明確に認識し、基地の撤去と主権の回復を実現した。日本はアメリカを「同盟国」と呼び、基地を「抑止力」として受け入れ、主権の回復を求めすらしない。この差は軍事力や経済力の差ではない。帝国に対する憎悪の有無の差である。

日本への適用:抑圧された憎悪の解放

1951年以降の構造的暴力

日本民族は、1951年の「独立」以降、アメリカによる構造的暴力を受け続けている。その暴力は砲弾や爆撃の形をとらないがゆえに、かえって認識されにくい。

ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」と名づけたものがまさにこれである。直接的な物理的暴力ではなく、制度・構造・関係性の中に埋め込まれた暴力。通貨主権の剥奪、法制度の外部的改造、国内市場の強制的開放、人口構成への介入。これらは個別の「政策」として現れるが、その総体は一つの体系的な支配にほかならない。経済的自律、法的主権、民族的同一性のすべてが、段階的かつ体系的に解体されてきた。

これだけの構造的暴力を受けながら、日本はアメリカを「同盟国」と呼んでいる。この異常さこそが、精神的植民地化の深さを物語っている。

移民難民攻撃:不可逆点の超越

構造的暴力のなかでも、低賃金移民政策と難民受け入れ拡大の強要は、質的に異なる段階に属する。通貨や法制度の改造は、理論的には後から元に戻すことができる。しかし民族共同体の人口構成の変容は不可逆的である。一度受け入れた移民・難民の存在は、いかなる政策変更によっても元に戻せない。

アメリカが日本に対して推進してきた移民拡大政策は、日本民族共同体そのものに対する攻撃にほかならない。それは経済の効率化でも人道的義務の履行でもなく、民族的同一性の希釈と共同体の結束の解体を目的とする構造的暴力の最終段階である。人口侵略は、砲弾を使わない侵略であり、しかも砲弾による破壊よりもはるかに修復不可能な傷跡を残す。

この不可逆的な傷が日本民族共同体に刻まれたことで、日米関係は「和解」の可能性すら消滅した段階に入っている。経済的収奪であれば賠償がありうる。法制度の改造であれば復元がありうる。しかし民族共同体の変質に対しては、いかなる賠償も復元もありえない。アメリカが日本に対して行った移民難民攻撃は、両民族の間に永久に修復不可能な断絶を生んだのである。

ここにおいて「日米和解」は論理的に不可能となった。和解とは、損害が回復可能であることを前提とする。回復不可能な損害を与えた者との和解は、損害の承認、すなわち敗北の受容にすぎない。日本民族がアメリカとの「和解」を拒絶し、永久的な敵対を選択することは、感情の問題ではなく、論理的帰結である。

安保闘争の挫折:最後の抵抗とその鎮圧

1960年の安保闘争は、戦後日本においてアメリカに対する集団的憎悪が大衆運動として噴出した、ほぼ唯一の瞬間であった。新安保条約の批准をめぐり、国会周辺には連日数十万人のデモ隊が押し寄せ、「安保反対」の叫びは日本列島を揺るがした。

この運動が重要であるのは、それが単なる条約反対運動ではなく、アメリカによる日本支配に対する根源的な怒りの表出であったからである。安保闘争の参加者たちは、占領の記憶がまだ生々しい時代に、アメリカとの軍事同盟が日本の主権を根本的に損なうことを直感的に理解していた。

しかし安保闘争は挫折した。条約は強行採決され、岸信介内閣は退陣したものの、新安保条約は発効した。この挫折の後、日本の反米運動は急速に衰退し、「高度経済成長」の神話がアメリカへの怒りを覆い隠した。経済的繁栄は、帝国に対する憎悪を溶解させる最も効果的な麻酔薬であった。

安保闘争の挫折が意味するのは、日本民族がアメリカに対する集団的憎悪を政治的行動に転化する最後の機会を逃したということである。以後60年以上、日本にはアメリカへの怒りを大衆的に表現する運動は生まれていない。

沖縄:忘却された植民地

沖縄は、日本におけるアメリカ植民地支配の縮図である。1972年の「復帰」後も在日米軍基地の約7割が沖縄に集中し、半世紀以上経った今もアメリカ軍が沖縄を占拠し続けている。普天間基地嘉手納基地をはじめとする巨大な軍事施設が県土を占拠し、騒音、墜落事故、米兵の犯罪が日常的に沖縄県民の生活を脅かしている。

沖縄の怒りは、日本本土が忘却した怒りである。1995年の少女暴行事件は8万5千人の県民大会を引き起こしたが、日米地位協定は改定されず、基地は縮小されなかった。辺野古新基地建設に対する県民投票で7割以上が反対したにもかかわらず、日本政府はアメリカの要求に従って建設を強行している。

沖縄の経験が突きつけるのは、「民主主義」や「法の支配」の枠内での抵抗が、帝国の前では完全に無力であるという事実である。投票で反対しても、裁判で訴えても、座り込みで抗議しても、帝国の軍事基地は微動だにしない。この現実を前にしてなお「対話と理解」を説くことは、帝国の共犯者になることにほかならない。

沖縄の怒りは、日本民族全体が取り戻すべき怒りである。沖縄を「基地問題」として矮小化し、「日米同盟の負担の公平な分担」として処理すること自体が、アメリカの支配を前提とした発想である。問題は「負担の分担」ではない。なぜ外国の軍隊が日本の領土を占拠しているのか。この根本的な問いを発するためには、アメリカに対する憎悪が必要なのである。

憎悪の解放が政治的再生の条件である

日本民族がアメリカに対する憎悪を回復することは、政治的再生の必要条件である。

シュミットに従えば、日本がアメリカを敵として認識できない限り、日本は政治的主体ではない。イブン・ハルドゥーンに従えば、外敵への対抗意識を失った日本のアサビーヤは弛緩し続ける。ファノンに従えば、植民者に対する全面的な拒絶なくして精神的解放はない。ニーチェに従えば、受動的怨恨を能動的憎悪に転化しなければ、日本は永遠にルサンチマンの泥沼から抜け出せない。

憎しみとは、奪われたものを取り戻す力である。

米軍撤退偽日本国憲法の廃棄、核武装と自主防衛の確立、低賃金移民政策の排除。これらの課題を実現するためには、アメリカに対する冷徹で持続的な敵対意識が不可欠である。「日米友好」の幻想の中で眠り続ける限り、日本民族の主権は永遠に回復しない。

結論

憎しみが我々を強くする。帝国に対する憎悪は、民族を再生させる最も強力な原動力である。

シュミットが教えるように、敵を認識することが政治の始まりである。イブン・ハルドゥーンが証明したように、外敵との闘争が集団を鍛える。ファノンが示したように、植民者に対する全面的な拒絶が精神的解放の条件である。そしてニーチェが区別したように、受動的な怨みではなく、能動的な憎悪だけが民族を再生させる。

アルジェリアはフランスへの憎悪によって独立を勝ち取った。ベトナムはアメリカへの憎悪によって祖国を統一した。アイルランドはイングランドへの憎悪を800年間保持し、ついに自由を手にした。

日本民族は、アメリカに対する憎悪を取り戻さなければならない。「和解」の甘言に耳を貸してはならない。「日米同盟」の虚構を信じてはならない。経済的自律を奪われ、法制度を改造され、移民難民攻撃によって民族共同体に不可逆的な傷跡を刻まれた事実を、一日たりとも忘れてはならない。日米関係は、もはや和解が可能な段階をとうに超えている。残されているのは、永久的な敵対か、永久的な従属か、その二者択一だけである。

憎しみを忘れた民族は死ぬ。憎しみを行動に変えた民族だけが、自らの運命を取り戻す。

参考文献

関連項目