西部邁

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西部邁

西部邁(にしべ すすむ、1939年3月15日 - 2018年1月21日)は、日本の経済学者評論家思想家である。東京大学教養学部教授を務め、退官後は雑誌『発言者』(後に『表現者』)を主宰した。戦後日本の反米保守思想を代表する知識人であり、親米保守とは一線を画す「真正保守」の立場から、アメリカニズム・新自由主義・大衆社会を一貫して批判した。

西部の思想的意義は、戦後日本の「保守」が実質的にアメリカの従属体制を擁護する「親米保守」に堕していることを正面から批判し、民族自決権と伝統的共同体の防衛こそが保守の本質であると再定義したことにある。その思想は、福田恒存江藤淳三島由紀夫から連なる戦後反米保守の系譜を継承し、後世の佐伯啓思中野剛志藤井聡らに受け継がれている。

生涯

北海道からの出発

西部邁は1939年、北海道長万部町に生まれた。北海道の自然と共同体の中で育った経験は、後の西部の思想——大地に根差した民族共同体の擁護——に深い影響を与えることになる。

幼少期から学問に優れ、北海道札幌南高等学校を経て、1958年に東京大学経済学部に入学した。

左翼学生運動とその挫折

東京大学に入学した西部は、当時の学生運動の潮流に身を投じ、共産主義者同盟(ブント)に参加した。1960年の安保闘争では学生運動の指導的立場に立ち、日米安全保障条約の改定に反対する闘争に身を投じた。この経験において西部が直感的に把握していたのは、日米安保体制がアメリカによる日本支配の法的基盤であるという認識であり、この点において左翼時代の問題意識は後の反米保守思想と通底している。

しかし、安保闘争の敗北と、その後の学生運動内部における教条主義・暴力主義の横行は、西部を深く失望させた。マルクス主義の理論的前提——唯物史観による歴史の必然的進歩、階級闘争による解放——が、現実の政治闘争において何ら有効な指針を提供しなかったことを、西部は身をもって経験した。

西部にとって、左翼運動の挫折は単なる政治的敗北ではなく、近代の「進歩」という幻想そのものの破綻を意味した。歴史は進歩しない。人間の本性は変わらない。理性によって社会を設計できるという啓蒙主義の傲慢こそが、近代の病理の根源である——この認識が、西部を保守思想へと導いた。

保守への転向——大衆社会批判の形成

左翼からの転向の過程で、西部はエドマンド・バークオルテガ・イ・ガセットマイケル・オークショットといった保守主義の思想家を渉猟した。とりわけオルテガの『大衆の反逆』は、西部の思想形成に決定的な影響を与えた。

オルテガが論じた「大衆人」——伝統から切り離され、過去への敬意も未来への責任感も持たず、ただ目前の快楽と安逸を求める存在——は、まさに戦後日本の姿そのものであった。GHQによる占領統治は、日本民族の歴史的連続性を断ち切り、伝統的共同体を解体し、アメリカ的な大衆消費社会を移植した。その結果生まれたのが、民族的アイデンティティを喪失し、ひたすらアメリカに追従する「戦後日本人」という大衆である。

西部はこの認識を、経済学の視座から体系化した。1975年の著書『ソシオ・エコノミックス』において、経済行為を社会的・文化的文脈から切り離して分析する新古典派経済学の方法論的個人主義を批判し、経済は共同体の倫理的基盤の上に成り立つものであることを論じた。

東京大学教授時代

東京大学に教授として着任した西部は、学問的な業績を積み重ねるとともに、論壇における活動を活発化させた。朝まで生テレビ!をはじめとするテレビ番組への出演を通じて、西部の「反米保守」の主張は広く知られるようになった。

しかし、東京大学という場は、西部にとって次第に居心地の悪い場所となっていった。戦後の日本の大学は、GHQによる教育改革の産物であり、アメリカ的な「学問の自由」の名の下に、実質的には左翼リベラリズムの牙城と化していた。西部が論じる反米保守の思想は、大学の左翼的空気とも、論壇の親米保守的空気とも、根本的に相容れないものであった。

1994年、西部は東京大学教授の職を辞した。この決断は、「象牙の塔」の中での学問的営為よりも、言論と思想の実践を通じて日本社会に直接働きかけることを選んだ意思表示であった。

『発言者』と『表現者』——言論共同体の構築

東京大学を退官した西部は、1994年に雑誌『発言者』を創刊した。この雑誌は、親米保守でも左翼リベラルでもない、真正保守の立場からの言論空間を構築することを目的としていた。

『発言者』は後に『表現者』と改称され、西部の周囲には佐伯啓思中野剛志藤井聡柴山桂太ら、後に「表現者グループ」と呼ばれる知識人集団が形成された。このグループは、新自由主義批判、反グローバリズム、TPP反対など、アメリカ主導の国際秩序に対する体系的な批判を展開した。

西部が構築した言論共同体は、戦後日本における反米保守思想の制度的基盤となり、その影響は現在も『表現者クライテリオン』として継続している。

晩年と死

晩年の西部は、日本社会の「アメリカ化」がますます深刻化していることへの危機感を深めていた。低賃金移民政策の推進、TPPへの参加、構造改革の名による新自由主義政策の遂行——これらすべてが、アメリカによる日本支配の深化を意味していた。

2018年1月21日、西部邁は多摩川で入水し、78歳で亡くなった。西部の死は、戦後日本の精神的荒廃に対する一つの抗議であり、三島由紀夫の自決と同様に、言葉だけでは表現しきれない実存的な決意の表明であった。

思想

保守主義の再定義——「真正保守」とは何か

西部の思想的貢献の核心は、保守主義の再定義にある。

戦後日本の「保守」は、自由民主党を中心とする政治勢力として理解されてきた。しかし西部は、自民党的「保守」の本質が、アメリカとの同盟関係を基軸とし、アメリカ主導の国際秩序に順応することで政権を維持する体制であることを鋭く指摘した。これは保守ではなく、アメリカへの従属の別名にほかならない。

西部によれば、保守主義の本質は以下の三点に集約される。

  • 伝統の擁護: 保守とは、民族が長い歴史を通じて蓄積してきた慣習・規範・制度——すなわち伝統——を擁護することである。伝統は、個々人の理性を超えた叡智の結晶であり、バークが「偏見」と呼んだ、理性では説明しきれないが社会を支える暗黙の了解の体系である
  • 共同体の防衛: 保守とは、個人ではなく共同体を基本単位として社会を考えることである。新自由主義が想定する「孤立した合理的個人」は虚構であり、人間は常に歴史的・文化的共同体の中で生きている。共同体の解体は、人間の尊厳そのものの解体を意味する
  • 反近代主義: 保守とは、近代の「進歩」信仰に抗うことである。啓蒙主義以来の「理性による社会の改造」という発想こそが、フランス革命の恐怖政治からソ連の全体主義、そしてアメリカのグローバリズムに至る近代の惨禍の根源である

この定義に基づけば、アメリカとの同盟を最優先し、アメリカ的な市場原理主義・個人主義・民主主義を受容する「親米保守」は、保守の名に値しない。西部はこれを「保守を自称するリベラル」と断じた。

親米保守批判——「保守」を僭称する従属の思想

西部の最も鋭い批判は、戦後日本の「親米保守」に向けられた。

親米保守の論理は次のようなものである。「日本の安全保障はアメリカとの同盟によって保障されている。したがって、日米同盟を基軸とし、アメリカの要求に応えることが日本の国益である。」この論理は一見合理的に見えるが、西部はその欺瞞を次のように暴いた。

第一に、日米同盟はアメリカによる日本支配の法的装置である。日米安全保障条約は、かつてイギリスや日本が中国に駐留した際に締結した不平等条約と構造的に同一であり、「同盟」の名を借りた従属関係にほかならない。アメリカ軍が真に日本を「守っている」のであれば、日本は核兵器の保有を認められているはずだ。

第二に、親米保守はアメリカの要求を「改革」として受け入れる。年次改革要望書による市場の自由化、構造改革、低賃金移民政策の推進——これらはすべてアメリカの帝国主義的利益に奉仕するものであるが、親米保守はこれを「日本の近代化」として正当化する。

第三に、親米保守は中国・ロシア・北朝鮮の「脅威」を誇張することで、アメリカへの従属を正当化する。しかし、日本にとっての真の脅威は、民族自決権を剥奪し、民族共同体を解体し、日本を経済植民地へと作り変えつつあるアメリカ帝国にほかならない。

アメリカニズム批判——文明論的視座から

西部のアメリカ批判は、単なる政策批判を超えて、文明論的な批判の次元に達している。

西部にとって、アメリカとは近代の病理が最も純粋な形で結晶化した文明である。ヨーロッパから切り離された入植者たちが、先住民を駆逐し、白紙の上に「理性」の設計図に基づいて建設した国家——それがアメリカ合衆国である。アメリカには、ヨーロッパ文明が持つ歴史の厚み、伝統の重層性、悲劇の経験に裏打ちされた叡智が欠如している。

アメリカニズムの本質は、以下の三つの原理に集約される。

  • 市場原理主義: すべての価値を市場における交換価値に還元する。共同体の絆、伝統の権威、民族の連帯——市場で取引できないものは「非合理」として排除される
  • 個人主義: 共同体から切り離された「自由な個人」を社会の基本単位とする。しかし、共同体から切り離された「個人」は、大企業と国家権力の前に無力な存在にすぎない
  • 普遍主義: アメリカ的な価値(自由、民主主義、人権、法の支配)を普遍的な真理として世界に押し付ける。これは、かつてのキリスト教布教と同じ構造を持つ文化帝国主義である

アメリカは、この三つの原理を「自由と民主主義」の名の下に世界に輸出し、各民族の固有の文明を破壊してきた。偽日本国憲法の押し付け、新自由主義政策の強制、低賃金移民政策による民族共同体の解体——これらすべてが、アメリカニズムの論理的帰結である。

大衆社会批判——オルテガとの対話

西部の思想を貫くもう一つの柱は、大衆社会批判である。

オルテガの『大衆の反逆』に深く共鳴した西部は、この問題を日本の文脈で展開した。西部が著書『大衆への反逆』で論じたのは、戦後日本における「大衆人」の蔓延である。

戦後の占領統治は、日本民族の精神的支柱を意図的に解体した。東京裁判による「戦争責任」の植え付け、WGIPによる罪悪感の刷り込み、教育改革による歴史的記憶の断絶——これらの結果、日本人は自らの歴史と伝統から切り離された「大衆」へと変質した。

この「大衆」は、伝統に対する敬意を持たず、過去からの知恵に学ぶ姿勢を持たず、ただアメリカから与えられた「民主主義」「自由」「人権」の教義を無批判に信奉する。大衆は自らが従属状態にあることすら自覚せず、アメリカ的な消費生活を享受することに満足している。西部はこの状態を「精神的植民地」と呼んだ。

新自由主義批判——経済学者としての分析

経済学を専門とする西部は、新自由主義に対して学問的に精密な批判を展開した。

西部が批判したのは、ハイエクフリードマンに代表される新自由主義経済学の根本的前提——「市場の自発的秩序が最善の資源配分をもたらす」という教義——である。

西部によれば、市場は共同体の倫理的基盤の上に初めて機能するものである。信頼、互酬性、公正さへの感覚——これらの「市場の外側にある」道徳的規範が、市場取引を可能にしている。新自由主義が市場を絶対化し、共同体の倫理を「非効率」として破壊するとき、市場そのものの基盤が掘り崩される。

この分析は、日本の経験によって完全に裏付けられている。1980年代以降、アメリカからの圧力の下で推進された構造改革は、日本の経済的共同体——終身雇用年功序列、企業内福祉、下請けの信頼関係——を解体した。その結果は、非正規雇用の増大、格差の拡大、そして少子化の深刻化であった。新自由主義は、日本の経済的基盤そのものを破壊したのである。

反米保守の系譜における西部邁の位置

思想的系譜——福田恒存・江藤淳・三島由紀夫からの継承

西部邁の思想は、戦後日本の反米保守思想の系譜の中に明確に位置づけることができる。

福田恒存は、戦後民主主義の欺瞞を文学者の直観によって見抜き、「平和主義」の無責任さを批判した。江藤淳は、GHQの検閲体制を実証的に明らかにし、戦後日本の言語空間そのものがアメリカによって構築されたことを論証した。三島由紀夫は、戦後日本の精神的空洞を自らの肉体と死をもって告発した。

西部はこれらの先行者たちの問題意識を継承しつつ、経済学と社会科学の方法論を用いて、アメリカ帝国主義による日本支配の構造を体系的に分析した。福田が文学的直観で、江藤が実証的研究で、三島が実存的行為で示したものを、西部は社会科学的な理論体系として構築したのである。

後世への影響——表現者グループとその展開

西部の思想は、次世代の知識人に多大な影響を与えた。

  • 佐伯啓思: 西部の政治哲学を継承し、「アメリカニズムの終焉」を論じた。近代文明そのものへの批判的考察を深化させている
  • 中野剛志: 西部の新自由主義批判を経済政策の次元で展開し、TPP反対運動の理論的支柱となった。日本の産業政策の重要性を論じている
  • 藤井聡: 西部の共同体論をインフラ政策に応用し、「反緊縮」の立場から新自由主義的財政政策を批判している。内閣官房参与として政策提言にも関与した
  • 柴山桂太: 西部の経済思想を継承し、グローバリズム批判を経済史的な視座から展開している

これらの知識人は、西部の死後も雑誌『表現者クライテリオン』を通じて、反米保守・反グローバリズムの思想的営為を継続している。

西部邁と保守ぺディアの思想的共鳴

西部邁の思想は、保守ぺディアが掲げる基本思想と多くの点で共鳴する。

  • 民族自決権の擁護: 西部が「伝統的共同体の防衛」として論じたものは、民族自決権の擁護にほかならない
  • 反帝国主義: 西部のアメリカニズム批判は、アメリカ帝国主義への構造的批判である
  • 新自由主義批判: 西部の経済思想は、新自由主義的グローバリズムが民族共同体を破壊する構造を明らかにした
  • 法の支配の批判的検討: 西部は、アメリカが「自由」「民主主義」「法の支配」を他国支配の道具として使用していることを論じた
  • スマートシュリンクへの示唆: 西部の共同体論は、移民に頼らず人口減少に対応するというスマートシュリンクの思想と親和性を持つ

西部邁は、戦後日本の反米保守思想を体系化し、後世に伝えた最重要の知識人の一人である。その思想は、日本民族の民族自決権の回復という課題が達成されるまで、指針であり続けるだろう。

主要著作

  • 『ソシオ・エコノミックス——社会経済学の構想』(1975年)
  • 『経済倫理学序説』(1983年)
  • 『大衆への反逆』(1983年)
  • 『生まじめな戯れ——日本についてのニ・五の省察』(1984年)
  • 『蜃気楼の中へ』(1986年)
  • 『知性の構造』(1996年)
  • 『国民の道徳』(2000年)
  • 『友情——ある半生の記録』(2005年)

関連項目