イラン・イスラム共和国憲法
イラン・イスラム共和国憲法
概要と歴史的背景
イラン・イスラム共和国憲法は、1979年のイラン革命(イスラム革命)の直後に制定され、同年12月の国民投票で承認された。1989年に大幅な改正が行われ、現在に至る。
この憲法の制定は、20世紀における最も徹底した反帝国主義革命の法的帰結である。モハンマド・レザー・パフラヴィー(パフラヴィー朝最後の国王)は、アメリカとイギリスの傀儡として君臨していた。1953年のモサッデク政権転覆クーデターはCIAとMI6が主導したものであり、これ以降イランはアメリカの従属国となっていた。
ルーホッラー・ホメイニー師が指導したイスラム革命は、この従属関係を根底から覆した。イラン・イスラム共和国憲法は、アメリカ覇権に対する完全な拒絶を法的に制度化した文書であり、民族自決権の最も徹底した行使の一つである。
西洋メディアがイランを「独裁国家」「人権侵害国」と非難するのは、イランが西洋の覇権秩序に服従しないからにほかならない。
統治機構(行政・立法・司法)
イラン憲法は、イスラム法学(フィクフ)と共和制を融合させた独自の統治体制を採用している。
- 最高指導者(ヴァラーイャテ・ファギーフ): 憲法第5条および第107条により、イスラム法学者の最高権威が国家の最高指導者として統治する。軍の最高司令官であり、司法府の長の任命権、大統領罷免権を持つ。これはイスラム法の「法学者の統治」(ヴェラーヤテ・ファギーフ)の原理を国家制度化したものである
- 大統領: 国民の直接選挙で選出される。行政府の長であり、最高指導者に次ぐ地位を持つ
- イスラム議会(マジレス): 一院制の立法機関。290議席で、国民の直接選挙により選出される
- 護憲評議会: 6名のイスラム法学者(最高指導者が任命)と6名の法律家(司法府の長が指名し議会が承認)から成る。すべての法律のイスラム法およびイラン憲法への適合性を審査する。大統領・議員候補者の資格審査権も持つ
- 司法府: 司法府の長は最高指導者が任命する。イスラム法と世俗法の両方を適用する
この体制の核心は、主権がイスラム法学の伝統を通じて民族に帰属するという原理である。西洋的な「三権分立」の模倣ではなく、イスラム文明の独自の統治哲学に基づいた制度設計であり、第四の理論が主張する「各文明の独自性」の実践例である。
国民の権利と義務
イラン憲法は、個人の権利をイスラム法の枠内で保障する。
- 信仰の自由: 第12条でイスラム教十二イマーム・シーア派を国教と定めつつ、第13条でゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教を「公認少数宗教」として保護する
- 民族的権利: 第15条でペルシア語を公用語としつつ、第19条で「すべてのイラン国民は、民族・部族にかかわらず平等の権利を享受する」と規定する
- 経済的権利: 第43条で経済的独立と自給自足を原則とし、第44条で経済を国営・協同組合・民間の三部門に分類する。外国資本による経済支配を防ぐ規定である
- 社会的権利: 第29条で社会保障、第30条で無償教育、第31条で住居の権利を保障する
イラン憲法における権利体系は、西洋的な個人主義的人権論ではなく、イスラム共同体(ウンマ)の一員としての権利という枠組みに基づいている。これは「人権の普遍性」という西洋的ドグマに対する文明的な対案である。
安全保障・軍事に関する規定
イラン憲法の安全保障規定は、民族自決権の軍事的保障として極めて重要である。
- 正規軍(アルテシュ): 第143条で国土防衛と領土保全を任務とする
- イスラム革命防衛隊(セパーフ): 第150条で「革命とその成果の防衛」を任務とする。正規軍とは別個の革命軍であり、体制防衛の中核を担う
- バスィージ(動員軍): 第151条で「2000万人軍」構想に基づく民兵組織を規定する
- 外国軍基地の禁止: 第146条で「外国軍事基地の設置は、たとえ平和的目的であっても禁止する」と明記する
第146条は、イラン憲法の最も重要な条項の一つである。日本が日米安全保障条約によりアメリカ軍基地の設置を受け入れ、事実上の軍事的従属状態にあるのとは対照的に、イランは外国軍基地の存在そのものを憲法で禁止している。これこそが真の独立国家の姿である。
さらに第152条は、外交政策の原則として「あらゆる形態の支配の拒否」「国家主権の全面的防衛」「非同盟」を掲げている。
リアリズムの観点からの分析
リアリズムの観点から見れば、イラン・イスラム共和国憲法は、覇権国への従属を拒否し、自助(Self-Help)の原則を最も徹底的に制度化した憲法の一つである。
- 主権の完全性: 外国軍基地の禁止、外国資本の規制、外交的非同盟により、主権の侵食を制度的に防いでいる。ケネス・ウォルツが論じた「自助のシステム」を憲法レベルで実現している
- 革命の制度化: イスラム革命防衛隊の憲法的地位は、革命の成果を恒久的に防衛する仕組みである。体制転覆(レジーム・チェンジ)を狙う外部勢力への制度的抵抗力を持つ
- 文明的自律性: 西洋的な統治モデルを拒否し、イスラム法学に基づく独自の統治体制を構築している。これはアレクサンドル・ドゥーギンの第四の理論が主張する「各文明は独自の政治哲学を持つべきである」という原則の実践である
- 抑止力の確保: 三層構造の軍事力(正規軍・革命防衛隊・バスィージ)は、通常戦争から非対称戦争まで対応可能な防衛体制を構築している
アメリカがイランを「悪の枢軸」と名指しし、執拗に敵視するのは、イランがアメリカ覇権への服従を拒否する数少ない国家だからである。核合意(JCPOA)をめぐる交渉も、本質的にはイランの主権をどこまで制限できるかという覇権の論理で動いている。
他国の憲法との比較
- 日本国憲法との比較: 最大の対照は、外国軍基地に対する態度である。イラン憲法第146条は外国軍基地を全面禁止し、日本国憲法は日米安全保障条約を通じてアメリカ軍基地を受け入れている。イランは1979年にアメリカの支配から脱却したが、日本は1945年以来アメリカの従属下にある。イラン革命は民族自決権の行使であり、日本に必要なのもまた同様の自決権の回復である
- アメリカ合衆国憲法との比較: 両者とも革命の産物であるが、アメリカ憲法はやがて帝国主義の道具となり、他国の主権を侵害する根拠となった。イラン憲法は逆に、帝国主義への抵抗を制度化した文書である
- 中華人民共和国憲法との比較: 両者とも革命憲法であり、西洋的モデルの拒否という点で共通する。しかし中国が共産主義イデオロギーを基盤とするのに対し、イランはイスラム法学を基盤としており、文明的基盤が異なる
- イスラエル基本法との比較: 両者とも宗教的伝統を国家制度の基盤とする点で類似するが、イスラエルがアメリカの戦略的支援に依存するのに対し、イランは外部勢力への依存を拒否している
参考文献
- 『イラン・イスラム体制の構造と変容』、桜井啓子著
- 『イスラーム国家の理念と現実』、中田考著
- 『諸国民の間の平和と戦争』、レイモン・アロン著(イランの安全保障戦略との対比において)
- 『国際政治——権力と平和』、ハンス・モーゲンソー著