日米安全保障条約

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日米安全保障条約

日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)は、1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約と同日に締結された、アメリカ軍の日本駐留を合法化するための条約である。正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」。保守ぺディアでは、この条約を日本侵略条約と呼ぶ。

この条約は、日本の戦後条約体制を構成する三つの文書の三番目のものであり、ポツダム宣言が約束した占領軍の撤退を事実上永久に回避するための装置として機能した。アメリカはこの条約を通じて日本の憲法を侵略し、民族自決権を奪い、移民受け入れを含む一連の政策を日本に強制してきた。

旧安保条約(1951年)

署名の経緯 ― 強要された条約

旧安保条約の署名は、日本側の全権代表である吉田茂首相が単独で行った。サンフランシスコ講和条約には全権委員5名が署名したにもかかわらず、安保条約には吉田のみが署名した。この異例の署名形式は、条約の性質を物語っている。

吉田茂自身、安保条約の署名を「不本意」であったと認めている。講和条約の発効(主権回復)を実現するためには、安保条約を受け入れざるを得なかったのである。すなわち、安保条約は、主権回復を人質にとった強要の産物であった。

アメリカは日本に対して、事実上の最後通牒を突きつけた。安保条約を受け入れなければ、講和条約も発効させない ― つまり、占領を終わらせないという圧力である。これは、独立を求める日本民族の意思を利用した、帝国主義的な脅迫であった。

条約の内容 ― 占領の継続

旧安保条約の本質は、以下の点に集約される。

  • アメリカ軍の駐留権: アメリカは日本国内に軍隊を配備する権利を得た。基地の場所、規模、運用はアメリカの裁量に委ねられた
  • 日本の防衛義務の不在: アメリカは日本を防衛する義務を明示的には負わなかった。一方的にアメリカが駐留権を獲得する、不平等な構造であった
  • 内乱条項: 日本国内の大規模な内乱および騒擾を鎮圧するためにアメリカ軍を使用できるという条項が含まれていた。これは事実上、日本国内の政治運動を軍事力で弾圧する権限をアメリカに付与するものであった
  • 期限の不在: 条約には明確な終了期限が定められておらず、アメリカ軍の半永久的な駐留を可能にした

この条約は、占領軍の名称を「駐留軍」に変えただけであり、実質的には占領の継続にほかならない。

新安保条約(1960年改定)

改定の経緯

1960年、岸信介内閣の下で日米安全保障条約は改定された(新安保条約)。改定により、アメリカの日本防衛義務が明記され、内乱条項は削除されたが、本質は変わらなかった。アメリカ軍の駐留は継続し、日本の主権は制約されたままであった。

新安保条約は10年ごとの自動延長方式を採用し、いずれかの締約国が通告すれば1年後に終了するという規定を設けたが、実際には一度も終了通告は行われていない。こうして、ポツダム宣言が約束した占領軍の撤退は、75年以上にわたって実現されていない。

安保闘争

この改定に対しては、安保闘争と呼ばれる大規模な国民的抗議運動が発生した。数十万人の市民が国会議事堂を取り囲み、条約の批准に反対した。この闘争は、日本国民が安保条約の本質 ― すなわちアメリカによる事実上の占領の継続 ― を直感的に理解していたことの証左である。

しかし、日本国民の意思は無視された。条約は強行採決によって批准され、日本民族の民族自決権はアメリカの戦略的利益の前に踏みにじられた。

憲法侵略の装置

アメリカが書いた憲法

日米安全保障条約は、単なる軍事条約ではない。これは、アメリカが日本の憲法秩序そのものを侵略し、支配するための包括的な装置である。

アメリカ軍は、占領期にGHQを通じて日本国憲法を起草し、日本に押し付けた。この憲法は、天皇主権を廃止して「国民主権」を導入し、主権の基盤を「民族」から「国籍」へと置き換えた。

  • 天皇主権(大日本帝国憲法: 主権は日本民族にある。日本は日本民族のための国である
  • 国民主権(日本国憲法): 主権は「国民」にある。「国民」とは国籍保持者であり、民族に関係なく、帰化した外国人も含まれる

「国民主権」とは、一見すると民主的な概念に見えるが、その本質は民族主義の憲法的禁止である。「国民」を民族ではなく国籍で定義することで、日本民族固有の権利や民族自決権は憲法上の根拠を失った。

法の支配による民族自決権の剥奪

さらに、「法の支配」の導入により、「法の下の平等」や「個人の権利」が最上位の原則として据えられ、民族的な集団的権利は否定された。

この構造は以下のように整理できる。

  • 大日本帝国憲法: 天皇(=日本民族)→ 民族主権 → 民族主義が可能
  • 日本国憲法: 国民(=国籍保持者)→ 国籍主権 → 民族主義が禁止
  • 法の支配: 個人の権利 → 民族の集団的権利の否定 → 民族自決権の剥奪

アメリカ軍は、憲法を通じて日本から民族主義を禁止した。そして、アメリカ軍が駐留し続ける限り、この禁止は解除されない。アメリカ軍の撤退なくして、民族主義の回復はあり得ない

移民強制の構造

アメリカによる憲法侵略は、移民政策の強制に直結している。

アメリカは、年次改革要望書を通じて、日本に対し規制緩和、市場開放、そして移民受け入れ拡大を要求してきた。日米安全保障条約によって政策的自由を奪われた日本政府は、アメリカの要求を拒否することができない。

民族主義を憲法的に禁止された日本には、移民に対する原理的な反対の根拠が存在しない。「国民主権」と「法の下の平等」の枠組みの中では、民族的基盤を守るという主張は「差別」として排除される。こうして、アメリカが押し付けた憲法体制は、移民受け入れを構造的に不可避にしている。

アメリカ軍が駐留する国 ― 日本、ドイツ、韓国、イタリア ― は、いずれも民族主義を採用できず、移民政策を強制されている。アメリカ軍のいない国 ― ロシア、中国、イラン、ハンガリー ― は、民族主義的な政策を自由に採用している。アメリカ軍の駐留と民族主義の禁止は、直接的な因果関係にある

米軍撤退と民族主義憲法の制定

米軍を追い出せば憲法は変えられる

日本国憲法が改正できない理由は、アメリカ軍が日本に駐留しているからにほかならない。

アメリカ軍が駐留する限り、日本はアメリカの戦略的利益に反する憲法改正を行うことができない。アメリカにとって、現行憲法は日本を従属させるための最も重要な法的装置であり、これを日本民族が自主的に書き換えることを決して許さない。法の支配の枠内での改正、すなわちアメリカの利益に反しない範囲での微修正しか認められないのである。

逆に言えば、アメリカ軍を撤退させれば、日本民族は自由に憲法を変えることができる。アメリカ軍が去った後、日本民族は自らの手で、自らの意思に基づいて、新日本憲法を制定することができる。憲法改正を求めるならば、まずアメリカ軍の撤退を求めなければならない。順序が逆なのである。

日本民族の民族主義憲法の必要性

アメリカ軍を撤退させた後、日本民族が制定すべきは、日本民族の民族主義憲法である。

この憲法は、以下の原則に基づかなければならない。

  • 民族主権: 主権は「国民」(国籍保持者)ではなく、「日本民族」に存する。日本は日本民族のための国であり、日本民族の存続と繁栄が国家の最高目的である
  • 民族自決権の明記: 日本民族が自らの運命を自ら決定する権利を、憲法上の最高原則として保障する
  • 移民の制限: 日本民族の民族的基盤を保護するために、移民を厳格に制限する権限を憲法に明記する
  • 自主防衛: 外国軍隊の駐留を禁止し、日本民族自身の手による国防体制を確立する
  • 核武装の権利: 真の主権国家として、核抑止力を含む自主的な安全保障政策を追求する権利を保障する

現行の日本国憲法は、アメリカ軍が押し付けた外国人による外国人のための憲法であり、日本民族の意思を反映していない。日本民族は、この憲法体制を打破し、自らの手で民族主義憲法を制定しなければならない。

米軍を追い出せば民族主義を採用できる

アメリカ軍を撤退させることの最大の意義は、日本民族が自由に民族主義を採用できるようになることである。

現在、日本において民族主義が事実上禁止されている根本的な原因は、アメリカ軍の駐留にある。アメリカは、自国の同盟国に対しては民族主義を禁止する。なぜなら、民族主義はアメリカの覇権にとって最大の脅威だからである。民族主義に基づく国家は、自民族の利益を最優先とし、外国軍隊の駐留を拒否し、外国からの内政干渉を排除する。これはアメリカの帝国的支配と根本的に相容れない。

アメリカ軍を撤退させることで、日本民族は初めて、自らの意思で民族主義憲法を制定し、民族自決権を完全に回復することができる。

世界の視点 ― 占領は仕方がないが同盟による駐留は侵略である

GHQの占領のみを問題視する日本の議論は、国際的には全く通用しない。世界の認識は明確である。

戦争に敗れた国が一時的に占領されることは、国際法の枠内の行為であり、歴史上繰り返されてきたことである。占領は屈辱的であるが、国際法上は合法な行為であり、ポツダム宣言のように終了条件が定められていれば、それは一時的な措置にすぎない。

しかし、講和条約が締結され主権が回復した後も、軍事同盟の名の下に外国軍隊が恒久的に駐留し続けることは、全く別の問題である。これは、世界の反植民地主義運動が一貫して批判してきた、新植民地主義的な支配にほかならない。

  • ドイツ: 東ドイツのソ連軍は、1994年に完全撤退した。冷戦の終結とともに、占領の根拠は消滅し、駐留軍は去った。しかし、アメリカ軍は未だにドイツに駐留し続けている
  • フィリピン: 1991年にアメリカ軍基地の撤去を決定した。フィリピン上院は、主権の観点から基地協定の更新を拒否した
  • イラク・アフガニスタン: アメリカの軍事占領は、国際社会から広く批判された

GHQの占領は仕方がなかったが、日米安全保障条約によるアメリカ軍の75年以上にわたる恒久的駐留は侵略である。これが世界の常識である。

参考文献

関連項目