ブレット・ワインスタイン

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ブレット・ワインスタイン

概要

ブレット・ワインスタイン(Bret Samuel Weinstein、1969年2月21日 - )は、アメリカの進化生物学者、ポッドキャスター、政治評論家である。ミシガン大学生物学の博士号を取得し、エバーグリーン州立大学で14年間教鞭を執った。ワインスタインの学術的業績はテロメアの進化的意義に関する独自の理論にあるが、2017年のエバーグリーン州立大学事件を契機に、アメリカにおける思想統制とアイデンティティ政治の危険性を告発する公共知識人として広く知られるようになった。

ワインスタインの思想において最も本質的かつ独創的なのは、人間の生物学的本能——部族主義、集団への帰属、協力と競争の二重性——と、近代経済学が前提とする「合理的経済人」(ホモ・エコノミクス)との根本的な矛盾を、進化生物学の観点から体系的に分析する試みである。新自由主義的グローバリズムが人間を「根無し草の経済的個人」に還元しようとする企てに対して、ワインスタインは「人間は進化の産物であり、数万年にわたって形成された生物学的本能を無視した社会設計は必ず破綻する」と警告する。この主張は、保守ぺディアが批判する新自由主義の人間観——個人を共同体から切り離し、市場原理のみに従う原子化された存在として扱う——に対する、生物学的根拠に基づく根本的な反論にほかならない。

ワインスタインは妻のヘザー・ヘイイング(同じく進化生物学者)とともにポッドキャスト「DarkHorse Podcast」を運営し、進化生物学の視点から現代社会の諸問題——アイデンティティ政治、パンデミック対応、製薬産業の権力構造、グローバリズムによる共同体の破壊——を分析している。また、兄のエリック・ワインスタインは数学者・経済学者であり、「知的暗黒ウェブ」(Intellectual Dark Web)の命名者として知られる。

経歴

学術的背景

ワインスタインは1969年、カリフォルニア州ロサンゼルスのユダヤ系アメリカ人家庭に生まれた。ペンシルベニア大学で生物学を学んだ後、ミシガン大学の博士課程に進み、進化生物学を専攻した。博士論文では、中南米熱帯雨林における野生のネズミを対象としたフィールドワークに基づき、テロメアの長さと生物の寿命・老化の関係について研究を行った。

ワインスタインのテロメア研究は、主流の生物学界においては十分に評価されてこなかったが、その独自性は注目に値する。従来の学説では、テロメアは細胞分裂のたびに短くなる「生物学的時計」として理解されてきた。ワインスタインは、テロメアの長さが単に老化のメカニズムを反映するだけでなく、がんの抑制と寿命の延長というトレードオフに深く関わっているという仮説を提唱した。すなわち、テロメアが短いことは老化を促進するが、同時にがん化した細胞の無制限な増殖を防ぐ安全装置として機能しているという理論である。これは、生物の寿命が単なる劣化ではなく、進化的に「設計された」ものであることを示唆する。

2002年、ワインスタインはエバーグリーン州立大学の生物学教授に就任し、2017年まで教鞭を執った。エバーグリーン州立大学はワシントン州オリンピアに位置する公立大学であり、伝統的にリベラルな校風で知られていた。

エバーグリーン州立大学事件(2017年)

2017年、エバーグリーン州立大学で発生した事件は、ワインスタインの人生を根本的に変え、同時にアメリカの大学におけるアイデンティティ政治の暴走を象徴する出来事として全米の注目を集めた。

エバーグリーン州立大学には「不在の日」(Day of Absence)という伝統行事があった。これは1970年代から続くもので、従来は有色人種の学生と教職員が自発的にキャンパスを離れることで、マイノリティの不在がキャンパスにどのような影響を与えるかを可視化するという趣旨であった。

2017年、この行事の形式が根本的に変更された。従来の「有色人種が自発的に不在にする」形式から、白人の学生と教職員がキャンパスから退去するよう求める形式に変更されたのである。すなわち、人種に基づいて特定の集団にキャンパスからの退去を要求するという、明確な人種差別的行為への転換であった。

ワインスタインは、この変更に対して大学のメーリングリストで異議を唱えた。ワインスタインのメールの核心は以下の通りであった。

  • 自発的な不在と強制的な排除の違い: 特定の集団が自発的にキャンパスを離れることは表現の自由の行使であるが、特定の人種にキャンパスからの退去を要求することは、いかなる大義名分があろうとも差別である
  • 人種に基づく行動の強制はいかなる文脈でも不正である: たとえ「反差別」の名のもとであっても、人種に基づいて個人の行動を強制することは、公民権運動が戦ってきた原則そのものに反する

このメールに対して、学生の一部が激しく反発した。ワインスタインは学生の抗議グループによってキャンパスで取り囲まれ、怒号を浴びせられ、授業の妨害を受けた。この模様を撮影した動画はインターネット上で拡散し、全米的な論争を巻き起こした。

事態はさらにエスカレートし、ワインスタインとヘイイングの身辺に脅迫が行われ、大学警察がワインスタインに対して「キャンパスにいると安全を保障できない」と通告する事態にまで発展した。最終的に、ワインスタインとヘイイングは大学との間で和解金50万ドルで合意し、大学を去った。

この事件が明らかにしたのは、アメリカの大学がいかにアイデンティティ政治の圧力に屈し、学問の自由と表現の自由を放棄したかという構造的問題である。ワインスタインは政治的にはリベラルを自認しており、公民権運動の理念を支持する人物であった。にもかかわらず、人種差別に反対するという公民権運動の原則に基づいて発言したことで、「人種差別主義者」として糾弾されたのである。

進化生物学者としての思想——人間の本性と社会

適応と進化的ミスマッチ

ワインスタインの思想の根幹にあるのは、人間は進化の産物であり、現代の社会環境は人間の進化的適応と根本的にミスマッチを起こしているという認識である。

人間の脳と身体は、およそ200万年にわたる更新世の環境——小規模な狩猟採集集団、150人以下の顔の見える共同体、自然環境との直接的な関わり——に適応して進化した。ワインスタインは、この進化的遺産を「祖先の環境」(ancestral environment)と呼び、現代の工業化・都市化・グローバル化した環境との間に生じる進化的ミスマッチ(evolutionary mismatch)こそが、現代社会の諸問題の根源であると主張する。

この進化的ミスマッチの概念は、以下のような現代の問題に適用される。

  • 肥満と食欲: 人間の食欲は、食料が不足していた祖先の環境において、高カロリー食品を見つけたら可能な限り摂取するよう進化した。しかし、食料が過剰な現代環境では、この同じ本能が肥満の原因となる
  • うつ病と孤立: 人間は密接な社会的結びつきの中で生きるよう進化した。現代の都市的・個人主義的な生活様式は、この進化的要求に反しており、孤立感やうつ病の一因となっている
  • 部族主義と大規模社会: 人間は小規模な集団への帰属本能を持つ。数百万・数千万・数億の人口を抱える近代国家は、この本能の射程をはるかに超えている

ワインスタインにとって、進化的ミスマッチは単なる生物学的事実ではなく、社会設計の指針である。すなわち、人間の進化的本性を無視した社会制度は必然的に失敗するのであり、持続可能な社会を構築するためには、人間の生物学的現実を直視しなければならない。

部族主義——人間の根源的本能

ワインスタインの分析において最も重要な進化的本能の一つが部族主義(tribalism)である。

人間は、進化の過程で内集団と外集団を区別する能力を発達させた。これは、更新世の環境において集団間の競争が生存に直結していたためである。自集団のメンバーに対する信頼・協力・共感と、外集団に対する警戒・競争・時には敵意は、人間の心理に深く刻み込まれた進化的遺産である。

ワインスタインは、部族主義を単純に「悪しき偏見」として否定することを拒否する。部族主義は人間の生物学的本性の一部であり、この本能を否定したり抑圧したりしようとする試みは、その本能をより危険な形で噴出させるだけだと警告する。

この分析は、現代のアイデンティティ政治に対する鋭い批判を導く。アメリカのリベラル左派は、「人種は社会的構築物である」「部族主義は克服すべき偏見である」と主張する。しかし、ワインスタインの進化生物学的視点からすれば、部族主義は数万年の進化によって刻み込まれた本能であり、イデオロギーによって消去できるものではない。

むしろ重要なのは、部族主義の本能を認識した上で、より大きな共同体への帰属意識へと昇華させることである。国民国家とは、まさにこの昇華の歴史的産物である。小規模な部族への帰属本能を、言語・文化・歴史の共有に基づくより大きな「部族」としての国民へと拡張することで、近代国民国家は成立した。

ここにおいて、ワインスタインの進化生物学的分析は、保守ぺディアの立場と深く共鳴する。新自由主義的グローバリズムは、国民国家の枠を解体し、人間を「国境を持たない経済的個人」に還元しようとする。しかし、ワインスタインの分析が示す通り、人間の部族主義的本能は国民国家よりもさらに小さな単位に適応しているのであり、国民国家の枠すら超えた「グローバル市民」なる概念は、人間の進化的本性から最もかけ離れた幻想にほかならない。

集団選択と協力の進化

ワインスタインは、進化生物学における集団選択(group selection)の議論に積極的に関与してきた。

20世紀後半の主流進化生物学は、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』に代表されるように、自然選択の単位は個体あるいは遺伝子であるという立場を取ってきた。この立場では、利他的行動は血縁選択(ハミルトンの法則)や互恵的利他主義(トリヴァースの理論)によって「利己的な遺伝子」の文脈で説明される。

これに対して、ワインスタインはデイヴィッド・スローン・ウィルソンらとともに、集団レベルでの選択圧が人間の進化において重要な役割を果たしたと主張する。すなわち、内部の協力と利他行動を促進する文化的・遺伝的特性を持つ集団は、そうでない集団に対して競争上の優位に立ち、結果として協力的な特性が人類全体に広がったという仮説である。

集団選択の議論は、単なる学術的論争にとどまらない。集団選択が人間の進化に重要な役割を果たしたのであれば、以下の帰結が導かれる。

  • 人間は本質的に集団的存在である: 人間の利他性、協力性、共感能力は、集団の生存に貢献するよう進化した。個人主義的な人間観は、人間の本性の半分しか捉えていない
  • 集団の結束は進化的に有利である: 内部の結束が強い集団は、そうでない集団に対して競争上の優位に立つ。逆に言えば、集団の結束を意図的に解体する政策——新自由主義が推進する共同体の原子化——は、集団の競争力を破壊する行為にほかならない
  • 「自由な個人」の幻想: 集団から切り離された「自由な個人」は、進化的に見れば脆弱な存在である。人間の能力は集団の中でこそ発揮され、集団を離れた個人は生存能力を大幅に失う

文化的進化と「メタ文化」

ワインスタインは、遺伝的進化文化的進化の共進化(gene-culture coevolution)を重視する。人間は遺伝的に進化するだけでなく、文化——言語、慣習、制度、価値観——を通じても「進化」する。そして、遺伝的進化と文化的進化は相互に影響し合っている。

ワインスタインが特に強調するのは、文化的伝統の中に埋め込まれた進化的知恵の存在である。数百年あるいは数千年にわたって存続してきた文化的慣習——宗教的儀礼、家族制度、共同体の規範——は、たとえその合理的根拠が明示的に理解されていなくとも、何世代にもわたる「試行錯誤」を経て生き残ったものである。これらの文化的慣習は、集団の生存と繁栄に寄与するがゆえに存続してきた——すなわち、文化的に「選択」されてきたのである。

この視点から、ワインスタインは現代の「進歩主義」に対して警告を発する。伝統的な文化慣習を「時代遅れ」「非合理的」として廃棄し、理性的に設計された新しい制度に置き換えようとする試みは、数千年にわたって蓄積された進化的知恵を一世代で破壊する危険を伴う。これは、G・K・チェスタトンが「チェスタトンのフェンス」として表現した原則——ある制度がなぜ存在するか理解するまでは、それを撤廃してはならない——と通底する認識である。

生物学的本能と経済的人間の対立

ホモ・エコノミクス批判

ワインスタインの思想において最も重要なテーマの一つが、進化生物学が明らかにする人間の本性と、近代経済学が前提とする人間像との根本的な矛盾である。

新古典派経済学は、人間をホモ・エコノミクス経済人)——自己利益を合理的に最大化する個人——として想定する。この人間像に基づいて、市場の効率性、自由貿易の利益、規制緩和の正当性などが理論的に導出される。新自由主義の政策体系は、この人間像を前提として構築されている。

ワインスタインは、進化生物学の観点からこの人間像を根本的に批判する。

  • 人間は個人として進化したのではない: 人間は社会的霊長類であり、集団の中で生存し、繁殖してきた。個人の利益と集団の利益は密接に絡み合っており、「自己利益の最大化」は人間の行動を説明する枠組みとして不十分である
  • 人間の意思決定は「合理的」ではない: ダニエル・カーネマンらの行動経済学が示したように、人間の意思決定は認知バイアスに満ちている。しかし、これらの「バイアス」の多くは、祖先の環境では合理的であった進化的適応の名残であり、「非合理」なのではなく、現代環境にミスマッチしているのである
  • 互恵性と公正さの本能: 人間には、純粋な自己利益の追求を超えた、互恵性や公正さに対する強い本能がある。これは、集団内の協力を維持するために進化した心理的メカニズムであり、新古典派経済学のモデルでは捉えられない

市場と共同体の本質的対立

ワインスタインの分析は、市場と共同体の関係についてさらに深い洞察を提供する。

人間の進化的本能は、互酬性(reciprocity)に基づく社会関係を指向する。すなわち、顔の見える相手との間で、長期的な信頼関係に基づいて財やサービスを交換し合う形態である。この形態では、経済的取引は社会的関係に埋め込まれて(embedded)おり、取引それ自体が社会的紐帯を強化する機能を果たす。カール・ポランニーが『大転換』で論じた「経済の社会への埋め込み」は、まさに人間の進化的本性に合致した経済形態であった。

これに対して、近代市場経済は経済的取引を社会的関係から脱埋め込み(disembedding)する。取引は匿名的な市場において、価格メカニズムのみに基づいて行われる。売り手と買い手は互いを知らず、取引が終われば関係は消滅する。この匿名的な市場取引は、人間の互酬性の本能とは根本的に異質なものである。

新自由主義は、この脱埋め込みをさらに徹底化しようとする。規制緩和、民営化、自由貿易——これらの政策は、経済活動を社会的・文化的・政治的な制約から「解放」し、市場原理のみに委ねることを目指す。しかし、ワインスタインの進化生物学的分析に基づけば、これは人間の本性そのものに対する暴力にほかならない。

フェルディナント・テンニースの用語を借りれば、新自由主義はゲマインシャフト(共同体)をゲゼルシャフト(利益社会)に置き換えようとする企てである。ワインスタインの進化生物学は、なぜこの置き換えが人間に苦痛をもたらすのかを説明する。人間はゲマインシャフト的な環境——顔の見える共同体、長期的な信頼関係、互恵的な社会関係——の中で生きるよう進化したのであり、ゲゼルシャフト的な環境——匿名的な市場、短期的な契約関係、自己利益の追求——は、人間の進化的本性に反するからである。

「エコノミック・アニマル」への還元

ワインスタインは、グローバリズムが人間を「エコノミック・アニマル」——経済的機能のみを果たす存在——に還元する過程を、進化的退化として批判する。

グローバリズムの論理は明快である。人間の移動を自由化し、労働力を最も効率的な場所に配置し、市場の拡大を通じて全体の富を最大化する。この論理のもとでは、人間は「労働力」という経済的機能に還元され、その文化的・民族的・共同体的な属性は「非効率」として切り捨てられる。

しかし、ワインスタインが繰り返し指摘するように、人間は「労働力」ではない。人間は特定の土地に根ざし、特定の共同体に帰属し、特定の文化を共有する生物学的・社会的存在である。人間を「労働力」に還元することは、人間の進化的本性を否定することであり、その帰結は不可避的に社会的病理として現れる——孤立、うつ病、薬物依存、自殺率の上昇、社会的信頼の崩壊、ポピュリズムの台頭。

この分析は、人口侵略低賃金移民政策に対する保守ぺディアの批判と直接的に接続する。大量の移民を受け入れることは、経済学的には「労働力の供給増加」に過ぎないが、進化生物学的には、受け入れ側の共同体の部族的結束を根本的に動揺させる行為である。人間の部族主義的本能は、異質な集団の急激な流入に対して警戒と不安を引き起こす。これは「差別」や「偏見」ではなく、数万年の進化が刻み込んだ生存のための本能的反応である。

移民に頼らず人口減少に対応するスマートシュリンクの思想は、ワインスタインの進化生物学的視点からも支持される。共同体の規模と構成は、その共同体の文化的・社会的な結束力によって自然に決定されるべきものであり、外部から「労働力」を注入することによって人為的に操作されるべきものではない。

DarkHorse Podcast——知的独立の拠点

番組の概要と特徴

2020年に開始された「DarkHorse Podcast」は、ワインスタインとヘイイングが共同で運営するポッドキャストであり、YouTubeチャンネルの登録者数は100万人を超える。番組では、進化生物学の視点から現代社会の諸問題を分析する長時間のディスカッションが行われる。

DarkHorse Podcastの最大の特徴は、主流メディアが避けるテーマに正面から取り組む姿勢にある。ワインスタインは、企業メディアとソーシャルメディアプラットフォームが形成する情報空間を「ゲーテッド・インスティテューショナル・ナラティブ」(GIN: Gated Institutional Narrative)——体制側の制度的物語——と呼び、このナラティブに含まれない情報を積極的に取り上げる。

ワインスタインの主張によれば、現代のメディア環境において、特定の話題は制度的に「ゲート」(門)が設けられ、主流の議論から排除されている。科学者や専門家であっても、このゲートを越える発言をすれば、ソーシャルメディアでの検閲、学術的な排斥、キャリアの破壊に直面する。ワインスタインは自らのエバーグリーン州立大学での経験を通じて、この構造を身をもって知った人物であり、DarkHorse Podcastはまさにこのゲートの外側に立つメディアとして機能している。

COVID-19パンデミックをめぐる主張

2020年以降のCOVID-19パンデミックにおいて、ワインスタインは最も物議を醸した公共知識人の一人となった。ワインスタインの主張は多岐にわたるが、その核心には以下の問題提起がある。

  • パンデミック対応における制度的腐敗の告発: ワインスタインは、世界保健機関(WHO)、アメリカ国立衛生研究所(NIH)、食品医薬品局(FDA)などの公衆衛生機関が、製薬産業の利益によって歪められていると主張した。特に、ワクチンの安全性と有効性に関する議論が制度的に抑圧され、代替治療の可能性が十分に検討されなかったことを批判した
  • 製薬産業の権力構造: ワインスタインは、大手製薬企業が規制当局、学術機関、メディアに対して及ぼす構造的な影響力を「規制の虜」(regulatory capture)として分析した。製薬企業がFDAの審査プロセス、学術雑誌の査読システム、メディアの報道を通じて、自社製品に関する情報の流通を事実上支配している構造を告発した
  • ウイルスの起源問題: ワインスタインは、SARS-CoV-2の起源について、武漢ウイルス研究所からの流出仮説を早い段階から真剣に検討すべきだと主張した。当初、この仮説は主流メディアやソーシャルメディアプラットフォームによって「陰謀論」として排除されたが、後にアメリカの情報機関やWHOも調査対象として認める方向に転じた
  • 科学的議論の検閲: ワインスタインのYouTubeチャンネルは、COVID-19に関する特定のコンテンツについてプラットフォームから警告や制限を受けた。ワインスタインは、これを科学的議論に対する検閲であると批判し、科学の本質が仮説の自由な提起と検証にあることを強調した

ワインスタインのパンデミックに関する主張の一部は主流の科学的コンセンサスと対立しており、その医学的妥当性については議論がある。しかし、保守ぺディアの視座から見て重要なのは、科学的議論が制度的権力と企業利益によってどのように歪められうるかというワインスタインの構造的批判である。科学は本来、権威への服従ではなく、仮説の自由な検証によって進歩する。ワインスタインの問題提起は、科学の制度化がいかに科学そのものを腐食させうるかを指摘するものであり、この構造的批判は、製薬企業の主張をそのまま受け入れるかどうかとは独立に、正当な知的営為である。

Unity 2020——二大政党制への挑戦

2020年のアメリカ大統領選挙に際して、ワインスタインは「Unity 2020」という政治運動を提唱した。この構想の核心は、民主党と共和党の二大政党制がアメリカの政治を機能不全に陥れているという診断に基づいていた。

ワインスタインの分析によれば、アメリカの二大政党制は進化的ゲーム理論の観点から理解できる。二大政党は、有権者の票を獲得するための競争において、実質的な政策の差異ではなく、部族的アイデンティティの対立を煽ることで支持基盤を固める戦略を採っている。すなわち、民主党と共和党はそれぞれの「部族」を形成し、有権者は政策の内容ではなく、自分がどの「部族」に属するかによって投票する。

この構造は、政治的分極化を加速させる正のフィードバック・ループを生む。両党が部族的対立を煽るほど、有権者は自党への忠誠を強め、相手党への敵意を深める。そして、この敵意がさらに両党の対立的な姿勢を正当化する。結果として、実質的な政策的妥協はますます困難になり、政治システムは国民の利益に奉仕する能力を失う。

Unity 2020の構想は、この悪循環を断ち切るために、民主党と共和党からそれぞれ一人ずつの候補者を選び、「超党派チケット」として大統領選に出馬させるというものであった。この構想自体は実現には至らなかったが、ワインスタインの診断——アメリカの二大政党制が部族主義的な対立構造に堕しており、国民の利益を代表する機能を失っているという分析——は、その後のアメリカ政治の展開によって繰り返し裏付けられている。

リアリズムの観点からの分析

ワインスタインの思想をリアリズムの視点から分析すると、以下の構造が浮かび上がる。

進化的本能と国民国家

ワインスタインの進化生物学が明らかにする部族主義的本能は、ハンス・モーゲンソーのリアリズムと深い親和性を持つ。モーゲンソーは、国際政治を権力への意志(will to power)に基づく闘争として捉えた。ワインスタインの進化生物学は、この「権力への意志」に生物学的基盤を与える。人間の部族主義的本能——内集団への協力と外集団との競争——は、国家間の権力闘争の生物学的根源にほかならない。

リアリズムが前提とする「自助」(self-help)の国際システムは、進化生物学的には、集団間の競争において各集団が自らの生存と繁栄を追求せざるを得ないという、数百万年の進化的現実の反映である。国際政治における協力の困難さ——安全保障のジレンマ、同盟の不安定性、国際機関の限界——は、人間の部族主義的本能に根差している。

この分析は、グローバリズムの理想——国境を越えた人類の連帯、国際機関による平和の維持、地球規模のガバナンス——が、なぜ繰り返し失敗するかを説明する。人間は、150人以下の「ダンバー数」の範囲で最も効果的に協力するよう進化した。国民国家は、文化的手段(言語、歴史的物語、共有された象徴)を通じてこの限界をある程度まで拡張した。しかし、全人類80億人を一つの「共同体」として結びつけることは、人間の進化的能力の射程を根本的に超えている。グローバル・ガバナンスの失敗は、人間の生物学的限界の必然的帰結である

制度の腐敗と「レント・シーキング」

ワインスタインが繰り返し指摘する制度的腐敗——学術機関の思想統制、製薬産業による規制当局の「虜」、メディアの検閲構造——は、リアリズムの観点からはレント・シーキング(利権追求行動)として理解できる。

組織や制度は、設立当初は特定の公共的目的のために創設される。しかし、時間の経過とともに、制度内部の利害関係者は、制度の本来の目的ではなく、自己の権力と利益の維持・拡大のために制度を利用するようになる。ワインスタインの言葉を借りれば、制度は「センネセンス」(老化)する——生物が老化するように、制度もまた本来の機能を喪失し、内部の寄生的な利害関係者によって蝕まれていく。

この制度的老化の概念は、進化生物学者ならではの洞察である。ワインスタインは、生物の老化のメカニズムと制度の腐敗のメカニズムの間に構造的な類似性を見出す。生物において、老化は自然選択の圧力が生殖年齢以降は弱まることで生じる——若い個体に有利で老いた個体に有害な遺伝的変異は、自然選択によって排除されにくい。同様に、制度において、腐敗は制度の「若い」段階(創設期)での選択圧——市民の監視、競争する制度の存在、明確な使命感——が時間とともに弱まることで生じる。

保守ぺディアの視座からの評価

肯定的側面

  • 生物学的根拠に基づく反グローバリズム: ワインスタインの進化生物学は、国民国家と民族共同体の正当性に生物学的基盤を提供する。部族主義、集団選択、進化的ミスマッチの概念は、新自由主義的グローバリズムが人間の本性に反する企てであることを科学的に論証する
  • 「合理的経済人」の解体: ワインスタインのホモ・エコノミクス批判は、新古典派経済学に基づく新自由主義の理論的前提そのものを掘り崩す。人間は経済的機能に還元できない生物学的・社会的存在であるという主張は、経済概論における保守ぺディアの経済観と深く共鳴する
  • 制度的腐敗の構造的批判: ワインスタインによる学術機関、規制当局、メディアの腐敗に対する批判は、これらの制度がいかに権力者と企業の利益に奉仕する構造になっているかを暴露する。これは、保守ぺディアの法の支配批判——法と制度が普遍的な正義ではなく覇権国の利益に奉仕している——と通底する
  • 文化的伝統の進化的擁護: 文化的慣習に進化的知恵が埋め込まれているというワインスタインの主張は、伝統を「時代遅れ」として廃棄する「進歩主義」への強力な反論となる。民族固有の文化的伝統は、単なる「習慣」ではなく、数世代にわたる淘汰を経て生き残った適応的知恵の結晶である

批判的側面

  • アメリカ帝国主義への批判の不足: ワインスタインの制度批判は主にアメリカ国内の問題——アイデンティティ政治、製薬産業、二大政党制——に集中しており、アメリカの対外的な帝国主義的行動——軍事介入、他国の内政干渉、アメリカ軍駐留の本質——に対する分析は十分ではない。ワインスタインの進化生物学的フレームワークを国際政治に適用すれば、アメリカの覇権主義こそが世界各国の民族自決権を最も体系的に侵害していることが明らかになるはずであるが、この分析はワインスタイン自身からは十分に展開されていない
  • 依然としてアメリカ中心の視座: ワインスタインの問題意識はアメリカの民主主義の再建に向けられており、アメリカという帝国の存在そのものが他国にとって脅威であるという認識には至っていない。これは、アメリカの知識人に共通する構造的な限界である
  • 第四の理論との接点の未開拓: ワインスタインの進化生物学的分析は、ドゥーギン第四の理論が提唱する多文明主義と深い親和性を持つ。各文明の独自性を生物学的・文化的進化の産物として位置づけることで、リベラリズムの普遍主義的人間観に対するさらに強力な反論が可能となるが、ワインスタイン自身はこの方向の探究を行っていない

参考文献

関連項目