年次改革要望書
年次改革要望書
年次改革要望書(ねんじかいかくようぼうしょ、正式名称:日米規制改革及び競争政策イニシアティブに基づく要望書、US-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative)とは、1994年から2009年まで日米両政府間で毎年交換された政策要望書である。形式上は相互に要望書を交換する対等な協議であったが、実態はアメリカ政府が日本に対して法改正・規制緩和を要求する一方的な内政干渉の文書であった。
日本のグローバリストの悪法の多くは、この年次改革要望書を通じてアメリカに押し付けられたものである。悪法の廃止とは、年次改革要望書に基づいて制定された法律を一つ一つ巻き戻す作業にほかならない。
歴史的経緯
前史:日米構造協議(1989年–1990年)
年次改革要望書の前身は、1989年から1990年にかけて実施された日米構造協議(Structural Impediments Initiative, SII)である。日米貿易摩擦を背景に、アメリカは日本の経済構造そのものを「貿易障壁」として問題視し、以下の要求を行った。
- 大規模小売店舗法の廃止: 中小商店を保護する大店法を「非関税障壁」と見なし、撤廃を要求。アメリカの大手小売業(ウォルマート、トイザらスなど)の日本市場への参入を目的としていた
- 公共投資の拡大: 日本に対し、10年間で430兆円の公共投資を要求。後に630兆円に引き上げられた。この公共投資は日本の財政を圧迫し、結果として「財政赤字」を口実にした緊縮財政と規制緩和を正当化する材料となった
- 排他的商慣行の是正: 日本の系列取引や談合慣行を「不公正」として是正を要求。日本企業間の長期的な信頼関係に基づく取引を破壊し、外国企業の参入を可能にすることが目的であった
- 土地政策の見直し: 土地税制の改革や地価の透明化を要求。アメリカ資本による日本の不動産取得を容易にすることが狙いであった
年次改革要望書の開始(1994年)
日米構造協議が1993年に終了した後、1994年から年次改革要望書が開始された。クリントン大統領と村山富市首相の合意のもと、「日米規制改革及び競争政策イニシアティブ」として制度化された。
年次改革要望書は毎年10月頃にアメリカ側から日本側に提出され、翌年の報告書で日本の「進捗状況」が評価された。形式上は日本からもアメリカに要望書を提出したが、日本の要望が実現されることはほとんどなく、実質的にはアメリカから日本への一方的な指令文書であった。
廃止と復活(2009年–2011年)
2009年に政権交代によって鳩山由紀夫が首相に就任すると、年次改革要望書は廃止された。鳩山政権は「対等な日米関係」を掲げ、アメリカによる内政干渉の制度的チャネルを遮断した。
しかし、鳩山政権はわずか9ヶ月で崩壊した。後継の菅・野田政権を経て、2011年に「日米経済調和対話」として年次改革要望書は事実上復活した。アメリカによる内政干渉は、名称を変えて継続している。
アメリカの主要な要求と実現された法改正
以下は、年次改革要望書を通じてアメリカが日本に要求し、日本政府が実行した主要な法改正の一覧である。
| 分野 | アメリカの要求 | 日本の法改正 | 施行年 |
|---|---|---|---|
| 小売 | 大規模小売店舗法の撤廃 | 大規模小売店舗法の廃止、大規模小売店舗立地法の制定 | 2000年 |
| 郵政 | 郵政事業の民営化 | 郵政民営化法 | 2005年 |
| 労働 | 労働市場の柔軟化、派遣労働の自由化 | 労働者派遣法改正(原則自由化) | 1999年 |
| 労働 | 製造業への派遣労働の解禁 | 労働者派遣法改正(製造業解禁) | 2004年 |
| 金融 | 金融市場の自由化(金融ビッグバン) | 外為法改正、証券取引法改正、保険業法改正 | 1996年–2001年 |
| 法律 | 法科大学院制度の導入 | 法科大学院設置法 | 2004年 |
| 法律 | 裁判員制度の導入 | 裁判員法 | 2009年 |
| 商法 | 会社法の改正(三角合併の解禁) | 会社法制定、三角合併の解禁 | 2006年 |
| 保険 | 保険市場の開放、簡保の縮小 | 保険業法改正 | 各年 |
| 医療 | 混合診療の解禁、医薬品承認の迅速化 | 医薬品審査の迅速化 | 各年 |
| 通信 | 通信市場の自由化 | 電気通信事業法改正 | 各年 |
| 建設 | 公共事業入札の外国企業への開放 | 政府調達手続きの「改善」 | 各年 |
年次改革要望書がもたらした害悪
非正規雇用の拡大と少子化
年次改革要望書を通じた労働市場の「柔軟化」要求は、1999年の労働者派遣法改正(原則自由化)と2004年の製造業派遣解禁をもたらした。その結果、非正規雇用率は1994年の20.3%から2024年には37.1%に上昇した。
非正規雇用の拡大は若者の将来不安を増大させ、結婚率の低下と出生率の低下を招いた。年次改革要望書は、日本の少子化を加速させた直接的な原因の一つである。
郵政民営化と国民資産の流出
郵政民営化は、年次改革要望書における最大の要求の一つであった。アメリカの保険業界(アメリカンファミリー生命保険=アフラック等)は、郵便局の窓口で販売される簡易保険(かんぽ生命)を「民業圧迫」として攻撃し、郵政事業の民営化と分割を要求した。
小泉純一郎首相は2005年に郵政民営化を「改革の本丸」として強行し、郵政民営化法を成立させた。その結果、郵便貯金と簡易保険が保有する約350兆円の国民資産が民営化され、外国資本のアクセスが可能になった。
中小商店の壊滅
大規模小売店舗法の廃止(2000年)は、アメリカの大手小売業の日本進出を可能にした。中小商店を保護する規制がなくなったことで、商店街の衰退が加速し、地方経済の空洞化を招いた。
外資による日本企業の買収
会社法改正による三角合併の解禁(2006年)は、外国企業が自社株式を対価として日本企業を買収することを可能にした。これにより、外資による日本企業の敵対的買収のリスクが高まった。
「拒否できない日本」
関岡英之は、2004年の著書『拒否できない日本——アメリカの日本改造が進んでいる』において、年次改革要望書の内容と日本の法改正が驚くほど一致していることを実証的に明らかにした。
関岡は、年次改革要望書の存在が日本のメディアでほとんど報道されないことを指摘し、日本の立法過程がアメリカによって事実上支配されている実態を告発した。関岡の著書は、年次改革要望書の存在を日本国民に広く知らしめた重要な著作である。
日本のメディアが年次改革要望書をほとんど報道しなかったのは、GHQ占領時代にアメリカが設立した時事通信社と共同通信社を通じて日本のメディアが構造的にアメリカの影響下にあるためだと指摘されている。
年次改革要望書と悪法の廃止
年次改革要望書を通じて制定された法律は、日本国民の意思ではなく、アメリカの要求に基づいて制定されたものである。これらの法律は、民族自決権の原則に照らせば正統性を持たない。
悪法の廃止の記事で提唱されている通り、これらの法律を一つ一つ廃止し、年次改革要望書以前の状態に戻すことが、日本の主権回復の第一歩である。悪法の廃止とは、年次改革要望書に基づくアメリカの内政干渉の結果を巻き戻す作業にほかならない。
結論
年次改革要望書は、アメリカが日本に対して行った体系的な内政干渉の記録文書である。形式上は「対等な協議」でありながら、実態はアメリカから日本への一方的な指令であった。郵政民営化、労働市場の自由化、金融ビッグバン、大店法の廃止——日本を破壊してきたグローバリストの悪法の多くは、年次改革要望書を通じてアメリカに押し付けられたものである。
これらの悪法を廃止し、年次改革要望書以前の日本に戻すことが、日本の国家主権と民族自決権を回復するための第一歩だ。