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| {{混同|法治国家}}{{Portal|法学}}
| | == 法の支配 == |
| '''法の支配'''(ほうのしはい、{{lang-en|rule of law}})は、[[自由主義国]]が採用している法秩序である。対義語は[[法治主義]]。法の支配では、あらゆる個人を平等に扱うことを謳う自然法や硬性憲法に違反する法律を為政者が制定できない。一方で、法治主義では、為政者は柔軟に、法律を自由に制定することができる。法の支配は、原理的に民族主義を禁止しており、法治主義は民族主義を謳うことができる。
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| 覇権国家の支配の道具としての[[法の支配]]
| | === 概要 === |
| 法の支配は、アメリカ合衆国が他国を遠隔地から支配するための道具である。アメリカは、ドイツ、日本、イラクを侵略して、法の支配に基づく自由主義憲法を制定していった。
| | 法の支配(Rule of Law)とは、国家権力の行使が法律に基づいて行われるべきとする原則である。西洋近代政治思想の根幹をなす概念とされ、恣意的な権力行使の抑制を目的とするものと一般に理解されている。 |
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| [[法の支配]]の国の特徴 | | しかし、[[リアリズム]]の観点からこの概念を分析すれば、法の支配の本質はそれとは全く異なる。'''法の支配とは、帝国が遠隔地から他国を支配するための最も洗練された道具'''である。 |
| アメリカ合衆国の軍隊が駐留している国は、法の支配に基づく憲法が制定されている。これらの国では、民族主義が禁止されており、代わりに自由主義や人種平等主義、経済主義が採用されている。そのため、法の支配の国家は、もれなく移民や難民で国が溢れている。
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| 法の支配と新自由主義の関係
| | === 帝国の遠隔支配の道具としての法の支配 === |
| 法の支配による硬直的な行政運用は、新自由主義を成立させるための土台となる。
| | 古代ローマ帝国以来、あらゆる帝国は法によって支配を制度化してきた。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ローマ法 ローマ法]は、広大な版図を統治するための「遠隔操作装置」であった。軍団を常駐させることなく、法の網が帝国の意志を隅々まで浸透させた。 |
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| 法の支配vs法治主義
| | 現代においてこの機能を最も巧みに行使しているのは、アメリカ合衆国である。アメリカは、'''軍事力'''と'''法の支配'''という二つの柱によって世界を統治している。 |
| 1945年以降の世界のイデオロギー対立は、資本主義vs共産主義に始まった。東西冷戦はソビエト崩壊により決着がつき、資本主義が世界を席巻した。1980年以降の世界のイデオロギー対立は、新自由主義vs国家資本主義となった。2022年にアメリカ合衆国がワシントンコンセンサスを放棄して国家資本主義を採用したことで、新自由主義の敗北が決定した。今の世界のイデオロギー対立は法の支配vs法治主義となっているが、2025年1月に就任したトランプ大統領は法の支配からの脱却を図っており、法治主義の勝利に終わっている。
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| 「法の支配」とは、統治される物だけでなく統治する側もまた、より高次の法によって拘束されなければならないという考え方である<ref name="宇野p58">[[#宇野|宇野p58]]</ref>。[[大陸法]]的な[[法治主義]]とは異なり、法の支配では法律をもってしても犯しえない[[権利]]があり、これを[[自然法]]や[[憲法]]などが規定していると考える<ref name="宇野p58" />。
| | ==== 法の支配の帝国的メカニズム ==== |
| * 法の支配における「法」<ref group="注釈">lawは、[[ロマンス語|ラテン系]]の[[フランス語]]起源の単語の多い[[英語]]には珍しく、[[イングランド]]を支配した[[ヴァイキング]]の[[デーン人]]の用いた[[古ノルド語]]の「置かれた物」という言葉が語源。それが掟(オキテ)、法という意味となった。イングランド東部にはデーン([[北海帝国]])支配時代の[[慣習法]]などの残った[[デーンロー地方]]がある。</ref> とは、全法秩序のうち、「根本法」と「基本法」のことを指す<ref name="ashibe_p5">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、5頁</ref>。
| | 法の支配が帝国の道具として機能するメカニズムは以下の通りである。 |
| * 法の支配は、歴史的には、中世イギリスの「法の優位」の思想から生まれた英米法系の基本原理である<ref name="ashibe_p14">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、14頁</ref>。
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| * 法の支配は、専断的な国家権力の支配、すなわち人の支配([[数の暴力|議会の多数派]]を含む)を排し、全ての統治権力を(折々の権力者、あるいは[[数の暴力|議会の多数派]]の主張する法ではなく、理性により整理され、圧倒的大多数の諸国民により信任されるであろう)「法」で拘束することによって、[[被治者の同意|被治者の権利ないし自由を保障すること]]を目的とする[[立憲主義]]に基づく原理であり、[[自由主義]]、[[民主主義]]とも密接に結びついている<ref name="ashibe_p14">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、14頁</ref>。
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| * 法の支配は、極めて歴史的な概念で、時代や国、論者により異なる様相を呈する多義的な概念である点に留意が必要である<ref name="ashibe_p14">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、14頁</ref>。
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| == 歴史 ==
| | '''第一段階: ルールの設定''' |
| === 古代 ===
| | 覇権国(アメリカ)が、自国に有利なルールを「普遍的価値」として定立する。「民主主義」「人権」「自由市場」「法の下の平等」といった概念がこれにあたる。 |
| 「法の支配」の原型は、[[古代ギリシア]]の[[プラトン]]<ref>プラトン著・[[森進一]]、[[池田美恵]]、[[加来彰俊]]訳『法律(上)』(岩波文庫)255頁</ref> や[[アリストテレス]]の思想<ref group="注釈">[[政治学 (アリストテレス)|政治学]]の項参照。</ref> を経て発展した[[ローマ法]]や[[ヘレニズム法学]]に求める見解や<ref>佐藤幸治『憲法(第3版)』77頁、阪本昌成『憲法理論Ⅰ』59頁</ref>、[[古き良き法]]に由来する中世の[[ゲルマン法]]に求める見解もあり、一定しない。[[比較法学]]の観点では世界各地の諸部族には固有の法体系が確認され、多くの場合は仲裁者としての法の管理人の口唱により伝承される種類のものであって、彼らにより新たな法が「発見」されることはあっても部族長が容易に創作できる物ではなかったと考えられている。
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| {{quotation|市民の誰が支配するよりも、同一の原則である法が支配する方が適切だ。仮に特定の人々に最高権力を置く利点がある場合には、彼らは法の守護者および執行者としてのみ任命されるべきである。|[[政治学 (アリストテレス)|政治学]]''|[[アリストテレス]]|[[:en:s:Politics (Ellis)/Book 3#3:16|3.16]]}}
| | '''第二段階: ルールの内面化''' |
| | 被支配国に対し、これらのルールを憲法レベルで受容させる。日本国憲法は、この内面化の最も完璧な事例である。占領軍が起草した憲法を「日本の憲法」として受け入れさせることで、外部から押し付けられたルールが「自国のルール」として内面化される。 |
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| {{quotation|我々が自由であるために、我々は皆、法の奴隷でなければならない。({{lang-la|Omnes legum servi sumus ut liberi esse possumus}})|[[キケロ]]|<ref name=Wormuth>Wormuth, Francis. ''The Origins of Modern Constitutionalism'', page 28 (1949).</ref>}}
| | '''第三段階: 自発的服従''' |
| | 内面化が完了すれば、もはや軍事力は不要である。被支配国は「法の支配を守る」「立憲主義を尊重する」という名目で、'''自ら進んで'''覇権国に有利なルールを遵守する。憲法改正を「立憲主義の破壊」として忌避する日本の護憲論は、この自発的服従の最たる例である。 |
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| === 中世 ===
| | '''第四段階: 逸脱者への制裁''' |
| 「法の支配」が、明確な形としてあらわれたのが[[中世]]の[[イギリスの歴史#中世|イギリス]]においてであることには、ほぼ異論がない<ref>佐藤幸治『憲法(第3版)』77頁</ref>。
| | ルールに従わない国家は、「法の支配を逸脱した」「自由と民主主義に反する」として、経済制裁や軍事介入の対象となる。イラク、リビア、シリアなどがその例である。 |
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| [[ヘンリー・ブラクトン]]の「王は人の下にあってはならない。しかし、国王といえども神と法の下にある」という[[法諺]]が引用されるように少なくとも中世のイギリスに「法の優位」(Supremacy of Law) の思想は存在していたとされる<ref>上掲『現代イギリス法辞典』54頁</ref>。中世のイギリスでは、国王さえ服従すべき高次の法(higher law)があると考えられ、これは「根本法」ないし「基本法」(Fundamental Law)と呼ばれ、この観念が近代立憲主義へと引きつがれるのである<ref name="ashibe_p5">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、5頁</ref>。そのため、法の支配は、立憲主義に基づく原理とされている<ref name="ashibe_p14">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、14頁</ref>。
| | === 日本国憲法における法の支配 === |
| | [[日本国憲法]]は、法の支配の帝国的メカニズムを最も忠実に体現する文書である。その主要な条文は、いずれもアメリカの覇権を法的に制度化する機能を持つ。 |
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| 当時は[[ボローニャ大学]]で、[[ローマ法]]の研究が進み、[[1240年]]に[[ローマ法大全]]の『標準注釈』が編纂されると、 西欧諸国から留学生が集まるようになり、英国にも[[オクスフォード大学]]、[[ケンブリッジ大学]]が相次いで設立されるなどしてローマ法の理論が研究され、一部持ち込まれたという時代であるが、既に英国全土の共通法ともいえる[[コモン・ロー]]の発展を見ていた英国では、大陸において発展した「一般法」([[ユス・コムーネ]]、jus commune)を取り込む必要は乏しかった。そのため、後にローマ法に由来する[[主権]]の概念とコモン・ローとの緊張関係が問題となったが、英国では、「法の主権」の概念の下、「法の優位」が説かれたことがあった。しかし、その思想は、封建領主と領民との間の封建的身分が前提とされた関係理論に基づいていたのであって、[[マグナ・カルタ]]においては、[[バロン]]の有する中世的特権の保護するために援用されたのである。また、その思想は、被治者の権利・自由の保護を目的としていたわけではなく、[[道徳]]・古来の[[慣習法]]と密接に結びついた当時のキリスト教的な[[自然法論]]と親和性のあるものであったのである<ref name="ashibe_p5">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、5頁</ref>。
| | * '''[[日本国憲法第9条]]''': 軍事的自助の手段を法的に剥奪し、アメリカの軍事的保護への永続的依存を構造化する。「平和主義」の名の下に、被支配国の武装を禁じる。 |
| | * '''[[日本国憲法第14条]]''': 「法の下の平等」により民族的基盤に基づく政策を不可能にし、民族的同質性を法的に解体する。「平等」の名の下に、被支配国の民族的結束を破壊する。 |
| | * '''[[日本国憲法第25条]]''': 生存権を個人の権利として構成し、移民への社会保障提供を法的に正当化する基盤を提供する。「人権」の名の下に、被支配国の社会保障制度を開放させる。 |
| | * '''[[日本国憲法第29条]]''': 個人の財産権を絶対視し、外国資本の流入に対する民族的・国家的防衛を困難にする。「自由市場」の名の下に、被支配国の経済的主権を浸食する。 |
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| 以上に対し、被治者の権利・自由の保障を目的とする近代的な意味での「法の支配」は、中世以後徐々にコモン・ロー体系が確立していったイギリスにおいてマグナ・カルタ以来の法の歴史を踏まえ、中世的な「法の優位」の思想を確認する形で、16世紀から17世紀にかけて、[[法曹]]によって発展させられた<ref name="ashibe_p5">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、5頁</ref>。
| | === リアリズムの観点からの分析 === |
| | [https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・モーゲンソー ハンス・モーゲンソー]は、国際法が大国の利益に奉仕する傾向を指摘した。「法の支配」もまた、この文脈で理解すべきである。 |
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| [[1606年]]、[[エドワード・コーク]]卿は、[[王権神授説]]によって「国王主権」を主張する時の国王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]に対し、ブラクトンの法諺を引用した上で、「王権も法の下にある。法の技法は法律家でないとわからないので、王の判断が法律家の判断に優先することはない。」と諫めたとされる<ref>上掲『現代イギリス法辞典』71頁</ref><ref group="注釈">コーク卿の『[[英国法提要]]』・『判例集』は、現在でも法の支配に関する不朽のテキストとされ、[[ウィリアム・ブラックストン]]の『[[イギリス法釈義]]』は、このコークの法思想を19世紀に継ぐべく書かれた、[[英国法]]の体系的なコメンタリーである。イギリスの植民地であったアメリカにおいては、[[不文法]](非[[成文法]])である英国法を知る手段は限定されたものであった中で、『英国法提要』・『イギリス法釈義』はアメリカの法曹に広く読まれるテキストとなり、[[アメリカ法]]に強い影響を与えることになる。</ref>。ここでは、コモン・ロー裁判所裁判官の専門的法判断の王権に対する優位が説かれており、中世的特権の保護から、市民的自由の保護への足がかりが得られるきっかけを作られたといえる<ref>上掲『現代イギリス法辞典』142頁</ref>。 | | [https://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード・ハレット・カー E・H・カー]は、『危機の二十年』において、「国際秩序における法と道徳は、現状維持勢力(status quo powers)の利益を反映する」と論じた。法の支配とは、'''現在の覇権国にとって都合の良い秩序を「法」として固定化し、それを変更しようとする勢力を「法の逸脱者」として排除する装置'''にほかならない。 |
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| [[1610年]]、コークによる[[医師ボナム事件]]の判決は、コモン・ローに反する制定法は無効と判示し、司法権の優位の思想を導くきっかけを作ったとされる<ref>別冊ジュリスト『英米判例百選(3版)』(有斐閣)90頁</ref>。 | | [[第四の理論]]の提唱者[https://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドル・ドゥーギン アレクサンドル・ドゥーギン]は、アメリカ主導のリベラルな国際秩序を「最後の全体主義」と呼んだ。法の支配は、このリベラル全体主義の法的表現である。「法を守れ」という命令は、「覇権国のルールに従え」という命令の言い換えにすぎない。 |
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| 1610年、[[トマス・ヘドリィ]](Thomas Hedley)の[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]における長大な演説によって[[ノルマン征服]]以前の[[古き国制]](ancient constitution)の伝統を理由にコモン・ローの本質が明らかにされ、以後、議会ではヘドリィによって定式化されたコモンローの優位が繰り返し説かれることになった<ref group="注釈">「古き国制」の思想は、古くは[[ジョン・フォーテスキュー]]が主たる論者であり、後に[[エドマンド・バーク]]の「時効の憲法」(prescriptive Constitution)の思想に引き継がれていくが、バークの時代は法の支配の衰退期とされている。</ref>。ここでは、「庶民」(commoner)<ref group="注釈">庶民といっても、騎士(Knights)と一定の資産を有する「市民」(Burgesses)のことを指す。</ref>が議会に政治的参加をすることによって制定される法律の王権に対する優位が説かれており、民主主義と法の支配が密接に結びつくきっかけが作られたのである。そのため、法の支配は、民主主義とも密接に関連する原理とされている<ref name="ashibe_p14">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、14頁</ref>。
| | === 他国の対応 === |
| | * '''ロシア''': 2020年の[[ロシア連邦憲法]]改正で「国内法の国際法に対する優位」を明記し、法の支配の帝国的支配から脱却する意思を憲法レベルで表明した。 |
| | * '''中国''': 「法治」を掲げつつも、それは共産党の指導の下にある「中国の特色ある法治」であり、西洋的な法の支配とは本質的に異なる。外部のルールに従属することを拒否している。 |
| | * '''イラン''': イスラム法(シャリーア)に基づく独自の法体系を構築し、西洋的な法の支配を明確に拒否している。 |
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| [[1688年]]、[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー]]とその夫で[[オランダ総督|オランダ統領]]の[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世(ウィレム3世)]]をイングランド王位に即位させた[[名誉革命]]が起こると、これを受けて[[1701年王位継承法]]で裁判官の身分保障が規定されることによって法の支配は現実の制度として確立したのである<ref>上掲『現代イギリス法辞典』8頁</ref>。
| | これらの国々は、「法の支配」が覇権国の道具であることを理解し、それぞれの方法で法的主権を防衛している。 |
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| === アメリカ合衆国における法の支配 === | | === 結論 === |
| [[1787年]]、[[アレグサンダー・ハミルトン]]らによって成文憲法として起草されたのが[[アメリカ合衆国憲法]]であるが、これは「法の支配」を成文憲法によって実現しようとするものであった。合衆国は、イギリスが[[立憲君主制]]をとるのと異なり、[[共和制]]を採用し、執政体としては、君主に代わり[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]を[[アメリカ合衆国大統領選挙|選挙]]によって選出するものとした上で[[間接民主制]]をとって立憲主義を採用したのである。ここでいう共和制とは、人民主権の下、選出された代表者が権力を行使する政体のことである<ref name="taisikan">{{PDFlink|[http://aboutusa.japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-ejournals-usgovernment1.pdf アメリカ大使館資料室「アメリカ早わかり」『米国の中央政府、州政府、地方政府の概要』]}}</ref>。
| | 法の支配は、普遍的な正義の原則などではない。それは、覇権国が他国を遠隔地から支配するための最も効率的な道具である。銃を突きつけることなく、「法を守れ」と言うだけで、被支配国は自ら進んで覇権国のルールに従う。日本国憲法は、この法の支配の帝国的メカニズムを最も完璧に体現した装置である。 |
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| [[1803年]]、[[マーベリー対マディソン事件]]をきっかけに米国で発祥した[[違憲立法審査権]]は、コークの医師ボナム事件の判決にヒントを得て、「法の支配」から発想された憲法原理の一つである。
| | 真の主権回復とは、外部から押し付けられた「法」を廃棄し、自民族の手で自らの法を創ることにほかならない。 |
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| [[2025年]]、第47代大統領であるトランプ氏は、法の支配から逸脱した政治を実施していると指摘されている<ref> {{Cite news|url=https://amp.cnn.com/cnn/2025/02/11/politics/trump-threaten-rule-of-law-analysis|title=Trump threatens rule of law: Analysis|work=CNN.com|agency=[[CNN]]|date=2025-02-11|accessdate=2025-02-12}} </ref>。
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| == 解説 ==
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| 法の支配における法(Law)とは、不文法であるコモン・ローおよび国会が制定する個々の[[法律]](a law、laws)を含めた全法秩序のうち、基本法(Fundamental laws)のことを指す。基本法は、形式的意義の憲法(憲法典)と区別する意味で、実質的意義の憲法と呼ばれている<ref group="注釈">憲法典のないイギリス法の訳語としては、端的に「統治構造」と訳すべきとの者もいる。</ref>。[[アメリカ合衆国]]、[[日本]]では、成文憲法典を制定されているので、基本法は原則として憲法典のことを指すが、それに限定されるわけではない<ref group="注釈">成文憲法典を持つ国では、最高法規である憲法に違背した制定法は無効とされ、裁判所が合憲性を判断する違憲審査制がとられているが、成文憲法典のないイギリスでは当然のことながら違憲審査制はない。成文憲法典のある国での違憲審査制の下では、合憲性判定の基準となる「憲法」は憲法典に限られ、基本法である実質的意義の憲法全てが含まれるわけではないとするのが通説である。</ref>。
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| 法の支配は、国会が権限を濫用して被治者の自由ないし権利を侵害することがあり得ることを前提とするものであって、権力に対し懐疑的で、[[立憲主義]]、[[権力分立]]と密接に結び付いている。ただし、どのように権力を分離するのかはその国の歴史によって異なり、合衆国のように厳格に三権に分立するというものでは必ずしもなく、イギリスのように議会と裁判所を明確に分離しないというような国もある。詳細は[[英国法#歴史]]を参照。
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| 法の支配は、名誉革命によって近代的憲法原理として確立したものであり、上掲のヘドリィの庶民院での演説によって明らかにされているように民主主義とも密接に結びついている。ただし、イギリスのように立憲君主制とも、合衆国のように共和制とも結びつき得るものであり、その国の歴史によって異なる多義的な概念である。ここでいう共和制とは、人民主権の下、選出された代表者が権力を行使する政体のことである<ref name="taisikan"/>。
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| その目的は、人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の「権利ないし自由」を保障することである。法の支配は、戦後現代的変容を余儀なくされており、その多義性ゆえ議論は錯綜を極めている。
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| === ダイシーと法の支配 ===
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| 法の支配を理論化したのは、[[ダイシー]]の{{仮リンク|『憲法序説』|en|Introduction to the Study of the Law of the Constitution}}であり、以後[[議会主権]](Parliamentary Sovereignty)と法の支配がイギリス憲法の二大原理とされるようになった<ref>上掲『現代イギリス法辞典』51~65、127頁</ref>。
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| ダイシーによれば、法の支配は以下の三つの内容をもつものとされる。
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| # 専断的権力の支配を排した、基本法の支配(人の支配の否定)
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| # すべての人が法律と通常の裁判所に服すること(法の前の平等、特別裁判所の禁止)
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| # 具体的な紛争についての裁判所の判決の結果の集積が基本法の一般原則となること。(具体的権利性)
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| ただし、ダイシー流の法の支配に対しては、ダイシー自身の政治思想や当時のイギリスの政治状況、例えば、[[コレクティビズム]](集産主義)という概念を作り出し批判するのは、自身の政治信条である[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ]]を擁護する点にあるのではないか、フランスでは行政行為に司法審査が及ばないと誤解したことに端を発する[[行政法]]に対する不寛容、法の支配の第3番目の内容は国会主権を否定するに等しいなど{{仮リンク|ジェニングズ|en|Ivor Jennings}}による体系だった批判がなされているが、ダイシー流の法の支配は現在でもイギリスの公法学界において多大な影響力を有している<ref>上掲『現代イギリス法辞典』55頁</ref>。
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| また、国会主権と法の支配との関係については、[[ハーバート・ハート|ハート]]VS[[ロン・フラー]]論争を代表に議論がなされているが<ref>上掲「現代イギリス法辞典」75頁</ref>、ダイシー流の法の支配は、国会を上訴権のない裁判所ととらえることなどにより国会主権が多数者支配を是認するものとはとらえず、コモン・ローの伝統的理解にむしろ忠実なものであるとの理解がイギリスの公法学界では通説とされている<ref>上掲『現代イギリス法辞典』66頁</ref>。
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| === 法の支配と法治主義 ===
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| [[大陸法]]系においては、ローマ法が普及するに伴い「法の支配(Rule of Law)」は衰退し、19世紀後半にドイツの[[ルドルフ・フォン・グナイスト]]が理論的に発展させた「[[法治主義]]」(rule by laws、[[ドイツ語|独]]:Rechtsstaat)が浸透していった<ref>阪本昌成『憲法理論Ⅰ』59頁</ref>。
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| 法治主義は、法律によって権力を制限しようとする点で一見「法の支配」と同じにみえるが、法治主義は、手続として正当に成立した法律であれば、その内容の適正を問わない。したがって、「法の支配」が民主主義と結びついて発展した原理であるのと異なり、法治主義はどのような政治体制とも結びつき得る原理である。このような意味での法治主義を後に述べる実質的法治主義と対比する意味で「形式的法治主義」と呼ぶこともある<ref name="ashibe_p14">[[芦部信喜]]『憲法(新版補訂版)』岩波書店、14頁</ref>。
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| 他方、「法の支配」の下においては、たとえ「法律(立法)」の手続を経てなされるとしても、法律の内容は適正でなければならず、権利・自由の保障こそ本質的であるとする点に法治主義との差がある。このような違いが歴史的に生じたのは、イギリスにおいては、法とは、「古き国制」に由来する人の意思を超えたものであって、人の手によって創造され得るものでなく、発見するものであると伝統的に考えられてきたことが背景にあるとされている<ref>上掲樋口・129頁</ref>。
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| もっとも、現在では、ドイツでは、法律の内容の適正が要求される「実質的法治主義」の考え方が主流となっているが、反対に、イギリスでは、[[アンドレ・マルモー]]が代表する「古き良き法と法の支配は異なる」とする論調のように、多義的な概念である法の支配に政治哲学的な[[価値]]を持ち込むこと自体を批判し、法の支配と(形式的)法治主義を同視する見解が多い。
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| === 日本での展開 ===
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| 日本の法体系は、長らく慣習法を基調としてきたが、近代化の推進の為、[[明治憲法]]は、[[プロイセン]]・[[ドイツ法]]に準拠することとなり<ref group="注釈">[[明治十四年の政変]]の項を参照。</ref>、以後、法体系は大陸法系を基調として、明治憲法下でも(形式的)法治主義(法律による行政の原則)は認められてきた。
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| その後、アメリカ法に影響を受けた[[日本国憲法]]が制定されると、日本国憲法が法の支配を採用しているものなのかが問題となったが、制定法主義をとり、[[判例法主義]]をとるものではないという前提がある以上、ダイシー流の法の支配は採用されていないという点には異論はなく、結局は多義的な法の支配の内容をどのように解するかによってその結論が導かれると解されるようになった。
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| 現在の日本の憲法学においては、「法の支配」の内容は以下の4つとされている<ref name="ashibe_p14" />。
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| # '''人権の保障''' : 憲法は人権の保障を目的とする。
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| # '''憲法の最高法規性''' : 法律・政令・省令・条例・規則など各種法規範の中で、憲法は最高の位置を占めるものであり、それに反する全ての法規範は効力を持たない。
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| # '''司法権重視''' : 法の支配においては、立法権・行政権などの国家権力に対する抑制手段として、裁判所は極めて重要な役割を果たす。
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| # '''適正手続の保障''' : 法内容の適正のみならず、手続きの公正さもまた要求される。この法の適正手続、即ち[[デュー・プロセス・オブ・ロー]](due process of law)の保障は英米法の基本概念の一つでもある。
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| 日本国憲法は、権利の保障は[[日本国憲法第3章|第3章]]で、憲法の最高法規性は[[日本国憲法第10章|第10章]]で、司法権重視は[[日本国憲法第76条|76条]]・[[日本国憲法第81条|81条]]で、適正手続の保障は[[日本国憲法第31条|31条]]で、それぞれ定めているので、「法の支配」を満足していると見なされている<ref name="ashibe_p14" />。
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| これに対しては、日本国憲法施行の当初から、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による[[検閲]]や[[農地改革]]等により権利の保障は大きく歪められ、また、最高裁の下す[[違憲判決]]の少なさから、日本において「法の支配」は十分に機能していないとする見解もある{{要出典|date=2009年8月}}。
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| このように、現在の日本の[[公法学]]において、「法の支配」という概念が広く受容されるようになったが、そのため戦前とられていた法治主義との関係が問題とされるようになった。
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| 現在の日本の憲法学では、ドイツと同様に実質的法治主義と法の支配を統一的に理解する見解が多数であるが<ref>芦部『憲法(第3版)』岩波書店、15頁など</ref>、以下に述べるとおり両者を厳格に区別し、法の支配に一定の積極的な意義を見出す論者もいる。
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| [[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]は、伝統的な「法の支配」における「法」という観念が自律的で自然発生的なルールという意味合いを有していることを指摘して、日本の「法律」という観念との違いに言及し<ref>佐藤幸治『憲法(第3版)』81頁</ref>、法の支配を採用して、行政裁判所を廃止した日本国憲法下においても、[[公定力]]といった旧憲法下での行政法理論が生き続ける日本の公法解釈のあり方に疑問を呈するだけでなく<ref>佐藤幸治、田中成明『現代法の焦点』有斐閣リブレ、1987年</ref>、(実質的)法治主義は行政による事前抑制に親和的であるのに対し、法の支配は司法による事後抑制に親和的で、国民の司法への積極的な参加とこれを支える多くの法曹の存在が必要であるという積極的な意義がある点に違いがあるとする<ref>第154回国会「参議院憲法調査会」第2号</ref>。
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| これに対して、[[阪本昌成]]は、法の観念については、佐藤と同じく自生的秩序であるとして法の支配と法治主義を厳格に区別しつつも、法の支配を主権者も法律さえも拘束するメタ・ルールであるととらえ、佐藤とは正反対に、国民に一定の行為を要求するものではありえず、むしろ法の形式に着目し、それが一般的・抽象的でなければならず、その内容も没価値的・中立的なものであることを要求するものであるとして、法の支配に政治哲学的な価値を持ち込むことに反対する。英国の公法学界の通説と結論を同じくするが、阪本の学説は、[[スコットランド]]の古典的自由主義の系譜を継ぐものなので、当然のことといえる。
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| == 国連・持続可能な開発目標2030アジェンダ ==
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| 国連の2030年までに達成すべき目標として掲げる[[持続可能な開発目標|持続可能な開発目標(SDGs)]]のターゲット16.3において、法の支配を国家及び国際的なレベルで促進し、すべての人々に司法への平等なアクセスを提供することを謳っている。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/ic/gic/page3_001387.html |title=「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択する国連サミット |website=外務省 |date= |accessdate=2016-11-30}}</ref>
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| ==法の支配と経済思想との関係性==
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| [[フリードリヒ・ハイエク]]の考えでは、「法の支配」は政府の介入を最小限にし、個人の自由な経済活動を守るための基本原則であるとした。[[ミルトン・フリードマン]]は、特に『資本主義と自由』(Capitalism and Freedom)や『選択の自由』(Free to Choose)において、法の支配と自由市場の関係を強調した。
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| == 脚注 ==
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| === 注釈 ===
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| === 出典 ===
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| == 参考文献 ==
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| * [[伊藤正己]]『法の支配』[[有斐閣]]、1954年
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| * 伊藤正己『英米法における法の支配』[[日本評論社]]、1950年
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| * 伊藤正己・[[木下毅]]『アメリカ法入門(第4版)』日本評論社、2008年(初版は1961年)
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| * [[田中和夫 (法学者)|田中和夫]]『英米法概説〔再訂版〕』有斐閣、1981年
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| * 佐藤幸治『憲法(第3版)』[[青林書院]]、1995年
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| * [[樋口陽一]]『比較憲法(第3版)』青林書院、1992年
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| * 阪本昌成『憲法理論Ⅰ』([[成文堂]])、1993年
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| * [[戒能通厚]]編『現代イギリス法辞典』(新世社)、2003年
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| * {{Cite book|和書|author=宇野重規|authorlink=宇野重規|date=2013年|title=西洋政治思想史|publisher=[[有斐閣]]|isbn=978-4-641-22001-0|ref=宇野}}
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| == 関連項目 == | | == 関連項目 == |
| * [[立憲主義]] | | * [[日本国憲法]] |
| * [[法治国家]] | | * [[日本国憲法第9条]] |
| * [[国際法律家委員会]] | | * [[日本国憲法第14条]] |
| * [[欧州評議会]] | | * [[日本国憲法第25条]] |
| * [[法の支配ミッション]] | | * [[日本国憲法第29条]] |
| * [[デュー・プロセス・オブ・ロー]] | | * [[憲法侵略]] |
| | | * [[偽日本国憲法]] |
| == 外部リンク ==
| | * [[新日本憲法]] |
| * [[堀内健志]]「法の支配論と法律による行政の原理」『人文社会論叢-社会科学編-14号』75頁 {{ wayback | date = 20060304025730 | url = http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/jinbun/htm/pdf/s14.pdf#page=75 }} PDF | | * [[リアリズム (国際政治学)]] |
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法の支配
概要
法の支配(Rule of Law)とは、国家権力の行使が法律に基づいて行われるべきとする原則である。西洋近代政治思想の根幹をなす概念とされ、恣意的な権力行使の抑制を目的とするものと一般に理解されている。
しかし、リアリズムの観点からこの概念を分析すれば、法の支配の本質はそれとは全く異なる。法の支配とは、帝国が遠隔地から他国を支配するための最も洗練された道具である。
帝国の遠隔支配の道具としての法の支配
古代ローマ帝国以来、あらゆる帝国は法によって支配を制度化してきた。ローマ法は、広大な版図を統治するための「遠隔操作装置」であった。軍団を常駐させることなく、法の網が帝国の意志を隅々まで浸透させた。
現代においてこの機能を最も巧みに行使しているのは、アメリカ合衆国である。アメリカは、軍事力と法の支配という二つの柱によって世界を統治している。
法の支配の帝国的メカニズム
法の支配が帝国の道具として機能するメカニズムは以下の通りである。
第一段階: ルールの設定
覇権国(アメリカ)が、自国に有利なルールを「普遍的価値」として定立する。「民主主義」「人権」「自由市場」「法の下の平等」といった概念がこれにあたる。
第二段階: ルールの内面化
被支配国に対し、これらのルールを憲法レベルで受容させる。日本国憲法は、この内面化の最も完璧な事例である。占領軍が起草した憲法を「日本の憲法」として受け入れさせることで、外部から押し付けられたルールが「自国のルール」として内面化される。
第三段階: 自発的服従
内面化が完了すれば、もはや軍事力は不要である。被支配国は「法の支配を守る」「立憲主義を尊重する」という名目で、自ら進んで覇権国に有利なルールを遵守する。憲法改正を「立憲主義の破壊」として忌避する日本の護憲論は、この自発的服従の最たる例である。
第四段階: 逸脱者への制裁
ルールに従わない国家は、「法の支配を逸脱した」「自由と民主主義に反する」として、経済制裁や軍事介入の対象となる。イラク、リビア、シリアなどがその例である。
日本国憲法における法の支配
日本国憲法は、法の支配の帝国的メカニズムを最も忠実に体現する文書である。その主要な条文は、いずれもアメリカの覇権を法的に制度化する機能を持つ。
- 日本国憲法第9条: 軍事的自助の手段を法的に剥奪し、アメリカの軍事的保護への永続的依存を構造化する。「平和主義」の名の下に、被支配国の武装を禁じる。
- 日本国憲法第14条: 「法の下の平等」により民族的基盤に基づく政策を不可能にし、民族的同質性を法的に解体する。「平等」の名の下に、被支配国の民族的結束を破壊する。
- 日本国憲法第25条: 生存権を個人の権利として構成し、移民への社会保障提供を法的に正当化する基盤を提供する。「人権」の名の下に、被支配国の社会保障制度を開放させる。
- 日本国憲法第29条: 個人の財産権を絶対視し、外国資本の流入に対する民族的・国家的防衛を困難にする。「自由市場」の名の下に、被支配国の経済的主権を浸食する。
リアリズムの観点からの分析
ハンス・モーゲンソーは、国際法が大国の利益に奉仕する傾向を指摘した。「法の支配」もまた、この文脈で理解すべきである。
E・H・カーは、『危機の二十年』において、「国際秩序における法と道徳は、現状維持勢力(status quo powers)の利益を反映する」と論じた。法の支配とは、現在の覇権国にとって都合の良い秩序を「法」として固定化し、それを変更しようとする勢力を「法の逸脱者」として排除する装置にほかならない。
第四の理論の提唱者アレクサンドル・ドゥーギンは、アメリカ主導のリベラルな国際秩序を「最後の全体主義」と呼んだ。法の支配は、このリベラル全体主義の法的表現である。「法を守れ」という命令は、「覇権国のルールに従え」という命令の言い換えにすぎない。
他国の対応
- ロシア: 2020年のロシア連邦憲法改正で「国内法の国際法に対する優位」を明記し、法の支配の帝国的支配から脱却する意思を憲法レベルで表明した。
- 中国: 「法治」を掲げつつも、それは共産党の指導の下にある「中国の特色ある法治」であり、西洋的な法の支配とは本質的に異なる。外部のルールに従属することを拒否している。
- イラン: イスラム法(シャリーア)に基づく独自の法体系を構築し、西洋的な法の支配を明確に拒否している。
これらの国々は、「法の支配」が覇権国の道具であることを理解し、それぞれの方法で法的主権を防衛している。
結論
法の支配は、普遍的な正義の原則などではない。それは、覇権国が他国を遠隔地から支配するための最も効率的な道具である。銃を突きつけることなく、「法を守れ」と言うだけで、被支配国は自ら進んで覇権国のルールに従う。日本国憲法は、この法の支配の帝国的メカニズムを最も完璧に体現した装置である。
真の主権回復とは、外部から押し付けられた「法」を廃棄し、自民族の手で自らの法を創ることにほかならない。
関連項目