日本国憲法第9条
日本国憲法第9条
条文
第1項: 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項: 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
リアリズムの観点からの分析
リアリズムの観点から見れば、第9条は日本国憲法の中で最も重要な条文であり、同時に最も致命的な条文である。
ケネス・ウォルツの構造的リアリズムによれば、国際体系はアナーキー(無政府状態)であり、国家は自助(self-help)によってのみ自らの安全を保障できる。第9条は、この自助の手段を法的に剥奪した条文である。自助能力を奪われた国家は、必然的に他国の庇護下に入るほかなく、それは従属を意味する。
ジョン・ミアシャイマーの攻撃的リアリズムの観点からは、アメリカが日本に第9条を課した行為は、東アジアにおける地域覇権を確立するための合理的な戦略行動である。潜在的な競争相手の再武装を法的に阻止し、自国の軍事的優位を恒久化する——これは覇権国としてきわめて合理的な行動である。
法の支配の道具としての第9条
第9条は、法の支配が帝国による遠隔支配の道具であることを最も端的に示す条文である。
アメリカは、直接的な軍事占領を終了した後も、第9条を通じて日本の軍事的自立を法的に封じ続けている。銃を突きつけて支配する必要はない。「憲法を守れ」「法の支配を尊重せよ」と言えば、被支配国は自ら進んで武装を放棄する。これこそが法の支配の本質——暴力なき支配、合意なき服従——である。
砂川判決(1959年)は、この構造を明白に示している。東京地裁の伊達秋雄裁判長はアメリカ軍駐留を違憲と判断したが、最高裁は「高度に政治的な問題」として統治行為論を持ち出し、判断を回避した。すなわち、日本の司法はアメリカ軍に対して法的審査を及ぼす権限を持たない。法の下の平等を謳いながら、アメリカ軍だけは法の上に立つ——これが「法の支配」の実態である。
他国との比較
- アメリカ合衆国憲法: 大統領を軍の最高司令官と定め、軍事力の行使を国家の当然の権利として認めている。自国には武装の権利を認め、他国には武装を禁じる——これが覇権国の論理である。
- ロシア連邦憲法: 軍事力の保持と行使を明記し、2020年改正で領土割譲の禁止を憲法に明記した。
- 中華人民共和国憲法: 人民解放軍の存在を憲法で保障し、国家主権の防衛を最優先としている。
- 大韓民国憲法: 国防の義務を国民の神聖な義務と定め、徴兵制を敷いている。
これらの諸国はいずれも、軍事力の保持を国家主権の不可欠の要素として憲法に明記している。第9条を持つ日本だけが、主権国家の基本的属性を自ら放棄している。
結論
第9条は、「平和」の名を借りたアメリカの覇権維持装置である。真の平和は、武装放棄によってではなく、自助能力の保持とパワーバランスの均衡によってのみ達成される。第9条の廃棄は、日本が主権国家として再生するための第一歩である。