「ドナルド・ホロウィッツ」の版間の差分

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# '''分離独立は国内紛争を国際紛争に転化する''': 国内の民族紛争が「より危険な国際紛争」となる
# '''分離独立は国内紛争を国際紛争に転化する''': 国内の民族紛争が「より危険な国際紛争」となる
# '''分離独立の権利は権限委譲を枯渇させる''': 「国際法で認められた、領域的に集中した少数民族の分離独立の権利を確立することが、民族間の和解の手段としての権限委譲を枯渇させる最善の方法である」。政府は分離独立を恐れて、民族的不満の初期段階で抑圧をもって応じるからである
# '''分離独立の権利は権限委譲を枯渇させる''': 「国際法で認められた、領域的に集中した少数民族の分離独立の権利を確立することが、民族間の和解の手段としての権限委譲を枯渇させる最善の方法である」。政府は分離独立を恐れて、民族的不満の初期段階で抑圧をもって応じるからである
== 憲法闘争のゼロサム理論 ==
ホロウィッツの理論の核心は、'''憲法闘争はゼロサムゲームである'''という認識にある。マジョリティのための憲法と、マイノリティのための憲法は'''排反的'''(mutually exclusive)であり、一方が得れば他方が失う。妥協や共存の余地はない。
=== 民族の力の凍結としての憲法 ===
'''民族の力の分割を凍結したものが、憲法'''である。そして、'''憲法闘争によって憲法が定まる'''。
すなわち、ホロウィッツにおける「憲法闘争」とは、民族・宗教・言語などの集団が国家の根本法(憲法)をめぐって支配と自治を争う政治闘争である。憲法は単なる法解釈争いではない。'''誰が主権者か、誰が国家を所有するかを決める権力戦争'''である。
このことは、以下の帰結をもたらす——'''憲法を見れば、次の戦争が分かる'''。憲法とは、ある時点における民族間の力関係の「凍結」であり、その力関係が変動すれば、新たな憲法闘争(すなわち次の戦争)が不可避となる。
=== マジョリティとマイノリティの排反的要求 ===
ホロウィッツの憲法闘争論では、マジョリティ民族とマイノリティ民族は構造的に異なる憲法を求める。
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! !! マジョリティ民族 !! マイノリティ民族
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| '''求める憲法''' || [[民族主義憲法]](「この国はこの民族のための国」) || [[法の支配]]の憲法(「すべての個人は平等」)
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| '''統治形態''' || '''中央集権''' || '''地方分権'''
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| '''国家の定義''' || 民族の所有物 || 個人の権利の保障装置
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| '''公用語''' || 民族の言語 || 複数言語の平等
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| '''歴史教育''' || 民族の物語(ナラティブ) || 「客観的」歴史
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この対立は構造的であり、解消不可能である。マジョリティが民族憲法を求めるのは「偏狭なナショナリズム」ではなく、政治の必然である。マイノリティが法の支配を求めるのは「普遍的正義」のためではなく、'''マジョリティの権力を制約するための政治的手段'''にすぎない。
=== 政治主体としての民族 ===
ホロウィッツの理論において、'''民族こそが政治主体'''(political actor)である。
政治主体とは何か。それは以下の三つの能力を持つ存在である。
# '''軍事力を持つ'''——物理的暴力を行使する能力
# '''ルールを定める'''——法・規範を制定する能力
# '''そのルールを暴力装置によって強制する'''——法の執行能力
民族は輪郭を持ち、戦争を行う能力を持つ。この意味で、民族は国家と同等の政治的実体である。
'''文化それ自体は、政治主体にはなり得ない。'''文化には輪郭がなく、軍事力を持たず、ルールを強制する能力がない。文化は拡散し、混淆し、消滅する。だが民族は統合も同化もしない。民族は消えない。民族は政治主体であり、実体である。
[[リアリズム]]は、この事実を直視することを要求する。リベラリストは民族を政治的な主体としては認めない。リベラリズムにとって、政治の主体は「個人」であり、民族は「文化」や「アイデンティティ」の問題に還元される。しかし、これは現実の歪曲である。
=== 主体性の幻想と構築 ===
個人や地方が自律的に「主体性」を持つという考えは、'''幻想'''である。
ホロウィッツの理論から導かれる主体性のメカニズムは、以下の通りである。
# '''指導者'''が、民族の言葉を語る
# '''大衆'''がその言葉を繰り返す
# 大衆は、その言葉をあたかも自らの言葉であるかのように語り始める
# この過程を通じて、大衆は「主体性を得た」と感じる
すなわち、'''中央が、個人や地方が持つべき主体性を定義し、個人や地方に主体性を与える'''のである。主体性とは、自然発生するものではなく、政治的に構築されるものである。
戒律を持つ[https://ja.wikipedia.org/wiki/一神教 一神教]の宗教——[https://ja.wikipedia.org/wiki/イスラム教 イスラム教]の[https://ja.wikipedia.org/wiki/シャリーア シャリーア]、[https://ja.wikipedia.org/wiki/ユダヤ教 ユダヤ教]の[https://ja.wikipedia.org/wiki/ハラーハー ハラーハー]——は、超憲法的な規範を持つ。国家が消滅しても、超憲法が民族に「主体性」を与え続ける。
日本にはそのような超憲法が存在しない。日本人の個人や地方に主体があるというのは、今も昔も見せかけにすぎない。中央が、個人や地方が持つべき主体性のすべてを定義し、それを「与えて」きたのである。
=== リアリズムと普遍主義の欺瞞 ===
政治にはリアリズムという観点がある。リアリズムの目から見れば、'''普遍主義の実現は、偏在的(partial)になる'''。なぜなら、普遍主義は常にその提唱者のアイデンティティを反映するからである。
「自由」「民主主義」「人権」「法の支配」——これらの「普遍的価値」は、実際にはアメリカという特定の国家・民族の利益を反映したものにほかならない。
欧州では「'''二重基準を持つことが基準である'''」(Double standard is the standard)という名言がある。普遍主義を唱える者が最初にそれを裏切る。
その最も鮮明な例が[[イスラエル基本法]]である。イスラエルは2018年に「'''イスラエルはユダヤ人のための民族的郷土国家である'''」と基本法に明記した。自国には民族国家の権利を認めながら、他国には[[法の支配]]と「平等」を強要する——これが普遍主義の実態である。
リアリズムのホロウィッツは、まさにこの現実を直視した上で、'''[[憲法闘争]]'''という概念を定義したのである。
=== 憲法闘争の勝者と敗者 ===
==== 勝者——民族憲法の獲得 ====
憲法闘争に勝利した民族は、以下を実行する。
* 憲法で国家を'''「○民族の国家」'''と定義する
* 公用語を民族の言語に、国教を民族の宗教に定める
* 国旗・国歌を民族のシンボルとする
* 歴史教育を民族の物語(ナラティブ)として構築する
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! 国家 !! 憲法上の民族的規定 !! 憲法闘争の結果
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| '''ロシア''' || 「ロシア語を国家形成民族の言語」(2020年改正) || 勝利
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| '''中国''' || 「中華民族の偉大な復興」を国家目標 || 勝利
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| '''トルコ''' || 「トルコ国家」の不可分性 || 勝利
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| '''イスラエル''' || 「ユダヤ人の民族的郷土国家」 || 完全勝利
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| '''韓国''' || 「大韓国民」の民族的法統の継承 || 勝利
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| '''北朝鮮''' || 朝鮮民族の主体性 || 勝利
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| '''東欧諸国''' || 民族的アイデンティティの憲法保護 || 勝利
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| '''スリランカ''' || シンハラ民族の優位の制度化 || 勝利
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| '''日本''' || 民族的規定なし(「国民主権」のみ) || '''敗北'''
|}
==== 敗者——民族の権利の消去 ====
憲法闘争に敗北すると、民族の権利は奪われ、代わりに「自由と民主主義」を謳う憲法を押し付けられる。
'''日本民族は、この憲法闘争に敗れた民族である。'''
日本民族は米軍に軍事的に敗北し、[[日本国憲法]]から民族の権利を消された。日本民族は'''憲法的に殺された'''のである。日本は、日本民族のものではなくなった。日本民族は、国家を持たない民族に格下げされた。
=== 文化主義批判 ===
文化主義的な楽観論——「日本文化は包容力がある」「[https://ja.wikipedia.org/wiki/八百万の神 八百万の神]の多神教だから移民も受け入れられる」——を明確に否定しなければならない。
自民族の文化が統合や同化に優れているとは思わない。日本民族の文化は特別ではない。[https://ja.wikipedia.org/wiki/イスラム教 イスラム教]のような強固な戒律に裏打ちされた生存力を、日本文化は持っていない。'''文化主義とは傲慢さの表れ'''ではないだろうか。
民族は統合も同化もしない。文化の力で他民族を「日本人にする」ことができるという幻想は、リアリズムの前に崩壊する。
=== 冷たい内戦——アイデンティティ政治の時代 ===
日本民族は今、死のうとしている。アメリカによって殺されようとしている。
イデオロギー政治の時代は終わった。今始まっているのは'''アイデンティティ政治'''の時代である。「自分たちは何者か」「この国は誰のものか」——これが政治の中心的問いとなる。これは'''冷たい内戦'''(Cold Civil War)である。
アメリカにおいても同じ現象が起きている。白人という民族が少数派に転落する前に、多数派である間に有利な条件で内戦を起こそうとする動きがある。「アメリカは内戦に向かうのか」——この問いは、ホロウィッツの憲法闘争論が予測する必然的帰結である。
=== 日本への適用——憲法闘争への回帰 ===
[[法の支配]]を押し付けられた日本をどうすべきか。
「国民が主体的に考えればいい」「米軍を追い出すには国民の覚醒が必要だ」——このような素朴な楽観論は、ホロウィッツの理論に照らせば幻想である。今も昔も、国民が自律的に「主体性」を持ったことなどない。
[[リアリズム]]で考えれば、以下のことが明白である。
* 意味のない靖国参拝はあり得ない。靖国とは、'''[[米軍撤退]]のための'''政治的シンボルでなければならない(→[[靖国宣言]])
* 日本の対米自立には、'''中国やロシアの賛同'''がなければ実現不可能である。孤立した日本単独での対米独立は、パワーバランスの観点から非現実的である
* [https://ja.wikipedia.org/wiki/参政党 参政党]のような政党は、このリアリズムを欠いている
==== 日本民族の構成 ====
日本民族は、'''大和民族とアイヌ民族の二元一体'''として構成される。これは[https://ja.wikipedia.org/wiki/中華民族 中華民族]の「多元一体」論([https://ja.wikipedia.org/wiki/費孝通 費孝通])を参考にした概念である。[https://ja.wikipedia.org/wiki/琉球民族 沖縄・琉球民族]は、大和民族の支族として位置づけられる。
日本民族において大和が中心であることは、大和民族の伝統である[https://ja.wikipedia.org/wiki/皇室 皇室]制度によって間接的に示される。
日本文明独自の哲学から、周辺国との共存のための自己制約をどのように構築できるかが、新たな憲法秩序の重要な課題である。
==== 結論——ゼロサムゲームにおける勝利 ====
'''米軍と移民を排除し、「日本は日本民族のもの」とする[[新日本憲法]]を制定する'''——これが、ホロウィッツの憲法闘争論から導かれる唯一の結論である。
日本に対して内政干渉できる存在は、米軍以外には存在しない。米軍を排除し、憲法闘争に勝利する以外に、日本民族の再生の道はない。
憲法闘争は、ゼロサムゲームである。


== 憲法設計の理論 ==
== 憲法設計の理論 ==
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==


* [[憲法闘争]]
* [[憲法侵略]]
* [[民族主義憲法]]
* [[国家主権]]
* [[国家主権]]
* [[民族自決権]]
* [[民族自決権]]
* [[憲法侵略]]
* [[カール・シュミット]]
* [[カール・シュミット]]
* [[偽日本国憲法]]
* [[偽日本国憲法]]
* [[新日本憲法]]
* [[法の支配]]
* [[法の支配]]
* [[リアリズム (国際政治学)]]
* [[リアリズム (国際政治学)]]
* [[ユダヤ教のリアリズム]]
* [[イスラエル基本法]]
* [[リベラル帝国とアメリカの二重基準]]
* [[アメリカ軍が書いた憲法]]
* [[米軍撤退]]
* [[靖国宣言]]
* [[内政不干渉]]
* [[内政不干渉]]



2026年2月15日 (日) 01:57時点における最新版

ドナルド・ホロウィッツ(Donald L. Horowitz, 1939年6月27日 - )は、アメリカの法学者・政治学者。デューク大学法学・政治学教授(ジェームズ・B・デューク冠教授)。民族紛争と憲法設計に関する世界的権威であり、分裂社会における憲法闘争の理論を構築した。

保守ぺディアにおいては、ホロウィッツの憲法闘争理論を、憲法侵略国家主権の分析枠組みとして位置づける。憲法は中立的な法文書ではなく、民族集団間の権力闘争の産物であるというホロウィッツの洞察は、外部勢力による憲法の強制がいかに民族の自決を破壊するかを理論的に明らかにしている。

生涯

学歴

1939年、ニューヨーク市に生まれる。

  • 1959年: シラキュース大学 学士号(AB)
  • 1961年: シラキュース大学 法学士号(LL.B.)
  • 1962年: ハーバード大学 法学修士号(LL.M.)
  • 1965年: ハーバード大学 政治学修士号(AM)
  • 1968年: ハーバード大学 政治学博士号(Ph.D.)

経歴

  • 1965-1966年: 合衆国地方裁判所(ペンシルヴェニア東部地区)法務官
  • 1967-1969年: ハーバード大学国際問題研究センター研究員
  • 1969-1971年: 合衆国司法省弁護士
  • 1972-1975年: ブルッキングス研究所研究員
  • 1975-1981年: スミソニアン研究所 移民・民族研究所上級研究員
  • 1980年-: デューク大学法学・政治学教授
  • 1994年-: デューク大学ジェームズ・B・デューク冠教授(法学・政治学)

ロシア、ルーマニア、ナイジェリア、タタルスタン、北アイルランド、スリランカ、フィジー、ボスニア、アフガニスタン、インドネシアなど多数の国で、民族紛争と憲法設計に関するコンサルタントを務めた。2006年には、米国務長官の民主主義推進諮問委員会委員に任命された。

主要著作

題名 出版社 要旨
1977 The Courts and Social Policy(裁判所と社会政策) ブルッキングス研究所 裁判所の社会政策形成能力と限界を分析。ブラウンロウ賞受賞
1980 Coup Theories and Officers' Motives(クーデター理論と将校の動機) プリンストン大学出版局 スリランカのクーデター未遂事件の参加者23名へのインタビューに基づく比較分析
1985 (2000改訂) Ethnic Groups in Conflict(紛争のなかの民族集団) カリフォルニア大学出版局 主著。民族紛争の包括的比較研究。5,000以上の学術引用を持つ画期的著作
1991 A Democratic South Africa?(民主的な南アフリカ?) カリフォルニア大学出版局 ポスト・アパルトヘイト南アフリカへの求心的憲法設計を提案。ラルフ・バンチ賞受賞
2001 The Deadly Ethnic Riot(致命的な民族暴動) カリフォルニア大学出版局 約50カ国の約150の暴動を分析した、民族暴動に関する初の包括的比較研究
2013 Constitutional Change and Democracy in Indonesia(インドネシアにおける憲法変動と民主主義) ケンブリッジ大学出版局 インドネシアの漸進的・内部主導型の憲法改革過程を分析
2021 Constitutional Processes and Democratic Commitment(憲法過程と民主的コミットメント) イェール大学出版局 憲法制定過程が民主的コミットメントを確保するように設計されるべきことを論証
2025 The Promise and Perils of Devolution(権限委譲の約束と危険) オックスフォード大学出版局 連邦制と地域自治の利点と機能不全を検証。アジア・アフリカ6カ国の判例を分析

憲法闘争の理論

ホロウィッツの理論体系の核心は、憲法は民族集団間の権力闘争の産物であるという認識にある。憲法は中立的な法文書でも、普遍的な理念の表現でもない。それは具体的な政治的文脈の中で、具体的な集団が具体的な利益をめぐって闘争した結果である。

民族紛争の社会心理学的理論

『紛争のなかの民族集団』(1985年)において、ホロウィッツは民族紛争の三つの既存の説明――文化多元主義、経済的利己主義、近代化理論――を退け、社会心理学的理論を提示した。

集団間比較

人々は、自らの価値を他の集団との比較によって評価する。集団のアイデンティティは個人の自尊心の核心にある。植民地時代の政策が「先進的」集団と「後進的」集団の分類を生み出し、集団間比較を激化させた。

集団的権利意識

集団は、先住性、植民地遺産、あるいは「特別な使命」に基づく権利の主張を発展させる。集団の相対的な福祉が、社会全体の絶対的な福祉よりも重要になる。これが「権利の政治」――代表権と集団的承認をめぐる闘争――を生み出す。

支配への恐怖

民族的帰属意識は血縁関係に連なるものであり、集団間関係は他者による支配への恐怖によって駆動される。この恐怖が、憲法をめぐる闘争を極めて先鋭化させる。自らの集団が憲法上の保護を失えば、他の集団による支配が始まるからである。

序列体系と非序列体系

ホロウィッツの重要な類型論の一つが、民族体系の分類である。

  • 序列体系(Ranked System): 民族的序列が階級的序列と一致する。上位集団と下位集団が存在し、社会的移動がアイデンティティによって制限される(例: ルワンダ、公民権運動以前のアメリカ南部)。紛争は「階級闘争の色彩」を帯び、「戦争が起きる場合、それは社会革命の形態をとる」
  • 非序列体系(Unranked System): 民族集団が階級を横断する。各集団は並行的な構造として機能する。非序列体系における紛争は、階級革命ではなく、集団の相対的地位をめぐるものである

「民族紛争と階級紛争が重なるのは、民族性と階級が重なるとき――すなわち序列体系においてである。非序列体系のように民族集団が階級を横断する場合、民族紛争は階級紛争を妨げるか、覆い隠す」

民族性はなぜ階級より強力か

ホロウィッツは、民族性が階級よりも政治的に強力な社会的区分である理由を論じた。

  • 階級は完全には世襲的でなく、逃れることができる。階級的移動は可能であり、奨励すらされる
  • 民族性は家族と血縁に結びついており、より固定的である。民族の境界を越えることは、階級の境界を越えることよりはるかに困難である
  • 「言語の地位は、その言語を話す集団の地位を表す」。言語や公務員の構成比率が、集団の地位をめぐる象徴的闘争の焦点となる

分離独立の理論

ホロウィッツは、分離独立が起こる条件について、集団の「先進性」「後進性」と、地域の「先進性」「後進性」の二変数による類型論を提示した。

後進的地域 先進的地域
後進的集団 分離独立の可能性が最も高い(差別への恐怖、消滅への危機感) 分離独立の可能性は低い(先進的地域の人口中で少数派)
先進的集団 分離独立の可能性は低い(より大きな国家への労働・資本の輸出から利益を得る) 分離独立の可能性は低い(経済的コストが高すぎる。例: バスク)

分離独立の権利への批判

「分離独立の権利のひび割れた基盤」(2003年)において、ホロウィッツは分離独立を法的権利として確立することに反対した。

  1. 分離独立は均質な後継国家を生み出さない: 「分離主義地域には常に少数民族が存在する」。ビアフラにはエフィクとイジャウが、カシミールにはヒンドゥーが、スリランカのタミル地域にはムスリムが、コソボにはセルブとロマがいた
  2. 分離主義の動機はしばしば反民主的である: 「地域的多数派が少数派に対処すること――そしてそれを民主的な方法で行わないこと――こそが、分離主義運動を動機づけ、あるいはそれに寄与することが多い」
  3. 分離独立は国内紛争を国際紛争に転化する: 国内の民族紛争が「より危険な国際紛争」となる
  4. 分離独立の権利は権限委譲を枯渇させる: 「国際法で認められた、領域的に集中した少数民族の分離独立の権利を確立することが、民族間の和解の手段としての権限委譲を枯渇させる最善の方法である」。政府は分離独立を恐れて、民族的不満の初期段階で抑圧をもって応じるからである

憲法闘争のゼロサム理論

ホロウィッツの理論の核心は、憲法闘争はゼロサムゲームであるという認識にある。マジョリティのための憲法と、マイノリティのための憲法は排反的(mutually exclusive)であり、一方が得れば他方が失う。妥協や共存の余地はない。

民族の力の凍結としての憲法

民族の力の分割を凍結したものが、憲法である。そして、憲法闘争によって憲法が定まる

すなわち、ホロウィッツにおける「憲法闘争」とは、民族・宗教・言語などの集団が国家の根本法(憲法)をめぐって支配と自治を争う政治闘争である。憲法は単なる法解釈争いではない。誰が主権者か、誰が国家を所有するかを決める権力戦争である。

このことは、以下の帰結をもたらす——憲法を見れば、次の戦争が分かる。憲法とは、ある時点における民族間の力関係の「凍結」であり、その力関係が変動すれば、新たな憲法闘争(すなわち次の戦争)が不可避となる。

マジョリティとマイノリティの排反的要求

ホロウィッツの憲法闘争論では、マジョリティ民族とマイノリティ民族は構造的に異なる憲法を求める。

マジョリティ民族 マイノリティ民族
求める憲法 民族主義憲法(「この国はこの民族のための国」) 法の支配の憲法(「すべての個人は平等」)
統治形態 中央集権 地方分権
国家の定義 民族の所有物 個人の権利の保障装置
公用語 民族の言語 複数言語の平等
歴史教育 民族の物語(ナラティブ) 「客観的」歴史

この対立は構造的であり、解消不可能である。マジョリティが民族憲法を求めるのは「偏狭なナショナリズム」ではなく、政治の必然である。マイノリティが法の支配を求めるのは「普遍的正義」のためではなく、マジョリティの権力を制約するための政治的手段にすぎない。

政治主体としての民族

ホロウィッツの理論において、民族こそが政治主体(political actor)である。

政治主体とは何か。それは以下の三つの能力を持つ存在である。

  1. 軍事力を持つ——物理的暴力を行使する能力
  2. ルールを定める——法・規範を制定する能力
  3. そのルールを暴力装置によって強制する——法の執行能力

民族は輪郭を持ち、戦争を行う能力を持つ。この意味で、民族は国家と同等の政治的実体である。

文化それ自体は、政治主体にはなり得ない。文化には輪郭がなく、軍事力を持たず、ルールを強制する能力がない。文化は拡散し、混淆し、消滅する。だが民族は統合も同化もしない。民族は消えない。民族は政治主体であり、実体である。

リアリズムは、この事実を直視することを要求する。リベラリストは民族を政治的な主体としては認めない。リベラリズムにとって、政治の主体は「個人」であり、民族は「文化」や「アイデンティティ」の問題に還元される。しかし、これは現実の歪曲である。

主体性の幻想と構築

個人や地方が自律的に「主体性」を持つという考えは、幻想である。

ホロウィッツの理論から導かれる主体性のメカニズムは、以下の通りである。

  1. 指導者が、民族の言葉を語る
  2. 大衆がその言葉を繰り返す
  3. 大衆は、その言葉をあたかも自らの言葉であるかのように語り始める
  4. この過程を通じて、大衆は「主体性を得た」と感じる

すなわち、中央が、個人や地方が持つべき主体性を定義し、個人や地方に主体性を与えるのである。主体性とは、自然発生するものではなく、政治的に構築されるものである。

戒律を持つ一神教の宗教——イスラム教シャリーアユダヤ教ハラーハー——は、超憲法的な規範を持つ。国家が消滅しても、超憲法が民族に「主体性」を与え続ける。

日本にはそのような超憲法が存在しない。日本人の個人や地方に主体があるというのは、今も昔も見せかけにすぎない。中央が、個人や地方が持つべき主体性のすべてを定義し、それを「与えて」きたのである。

リアリズムと普遍主義の欺瞞

政治にはリアリズムという観点がある。リアリズムの目から見れば、普遍主義の実現は、偏在的(partial)になる。なぜなら、普遍主義は常にその提唱者のアイデンティティを反映するからである。

「自由」「民主主義」「人権」「法の支配」——これらの「普遍的価値」は、実際にはアメリカという特定の国家・民族の利益を反映したものにほかならない。

欧州では「二重基準を持つことが基準である」(Double standard is the standard)という名言がある。普遍主義を唱える者が最初にそれを裏切る。

その最も鮮明な例がイスラエル基本法である。イスラエルは2018年に「イスラエルはユダヤ人のための民族的郷土国家である」と基本法に明記した。自国には民族国家の権利を認めながら、他国には法の支配と「平等」を強要する——これが普遍主義の実態である。

リアリズムのホロウィッツは、まさにこの現実を直視した上で、憲法闘争という概念を定義したのである。

憲法闘争の勝者と敗者

勝者——民族憲法の獲得

憲法闘争に勝利した民族は、以下を実行する。

  • 憲法で国家を「○民族の国家」と定義する
  • 公用語を民族の言語に、国教を民族の宗教に定める
  • 国旗・国歌を民族のシンボルとする
  • 歴史教育を民族の物語(ナラティブ)として構築する
国家 憲法上の民族的規定 憲法闘争の結果
ロシア 「ロシア語を国家形成民族の言語」(2020年改正) 勝利
中国 「中華民族の偉大な復興」を国家目標 勝利
トルコ 「トルコ国家」の不可分性 勝利
イスラエル 「ユダヤ人の民族的郷土国家」 完全勝利
韓国 「大韓国民」の民族的法統の継承 勝利
北朝鮮 朝鮮民族の主体性 勝利
東欧諸国 民族的アイデンティティの憲法保護 勝利
スリランカ シンハラ民族の優位の制度化 勝利
日本 民族的規定なし(「国民主権」のみ) 敗北

敗者——民族の権利の消去

憲法闘争に敗北すると、民族の権利は奪われ、代わりに「自由と民主主義」を謳う憲法を押し付けられる。

日本民族は、この憲法闘争に敗れた民族である。

日本民族は米軍に軍事的に敗北し、日本国憲法から民族の権利を消された。日本民族は憲法的に殺されたのである。日本は、日本民族のものではなくなった。日本民族は、国家を持たない民族に格下げされた。

文化主義批判

文化主義的な楽観論——「日本文化は包容力がある」「八百万の神の多神教だから移民も受け入れられる」——を明確に否定しなければならない。

自民族の文化が統合や同化に優れているとは思わない。日本民族の文化は特別ではない。イスラム教のような強固な戒律に裏打ちされた生存力を、日本文化は持っていない。文化主義とは傲慢さの表れではないだろうか。

民族は統合も同化もしない。文化の力で他民族を「日本人にする」ことができるという幻想は、リアリズムの前に崩壊する。

冷たい内戦——アイデンティティ政治の時代

日本民族は今、死のうとしている。アメリカによって殺されようとしている。

イデオロギー政治の時代は終わった。今始まっているのはアイデンティティ政治の時代である。「自分たちは何者か」「この国は誰のものか」——これが政治の中心的問いとなる。これは冷たい内戦(Cold Civil War)である。

アメリカにおいても同じ現象が起きている。白人という民族が少数派に転落する前に、多数派である間に有利な条件で内戦を起こそうとする動きがある。「アメリカは内戦に向かうのか」——この問いは、ホロウィッツの憲法闘争論が予測する必然的帰結である。

日本への適用——憲法闘争への回帰

法の支配を押し付けられた日本をどうすべきか。

「国民が主体的に考えればいい」「米軍を追い出すには国民の覚醒が必要だ」——このような素朴な楽観論は、ホロウィッツの理論に照らせば幻想である。今も昔も、国民が自律的に「主体性」を持ったことなどない。

リアリズムで考えれば、以下のことが明白である。

  • 意味のない靖国参拝はあり得ない。靖国とは、米軍撤退のための政治的シンボルでなければならない(→靖国宣言
  • 日本の対米自立には、中国やロシアの賛同がなければ実現不可能である。孤立した日本単独での対米独立は、パワーバランスの観点から非現実的である
  • 参政党のような政党は、このリアリズムを欠いている

日本民族の構成

日本民族は、大和民族とアイヌ民族の二元一体として構成される。これは中華民族の「多元一体」論(費孝通)を参考にした概念である。沖縄・琉球民族は、大和民族の支族として位置づけられる。

日本民族において大和が中心であることは、大和民族の伝統である皇室制度によって間接的に示される。

日本文明独自の哲学から、周辺国との共存のための自己制約をどのように構築できるかが、新たな憲法秩序の重要な課題である。

結論——ゼロサムゲームにおける勝利

米軍と移民を排除し、「日本は日本民族のもの」とする新日本憲法を制定する——これが、ホロウィッツの憲法闘争論から導かれる唯一の結論である。

日本に対して内政干渉できる存在は、米軍以外には存在しない。米軍を排除し、憲法闘争に勝利する以外に、日本民族の再生の道はない。

憲法闘争は、ゼロサムゲームである。

憲法設計の理論

「憲法設計――撞着語か?」

「憲法設計――撞着語か?」(2000年)は、ホロウィッツの憲法設計論の出発点となる論文である。

  • 分裂社会には特殊な制度が必要である: 「民族的に深刻に分裂した社会における民主主義の維持には、独特の問題群が伴う。これらの社会には、特別な制度群が必要とされるように思われる」
  • 憲法パッケージの全体が決定的である: 比例代表制は集団拒否権とともにあれば機能するかもしれないが、それなしでは機能不全に陥る。制度の個々の要素ではなく、パッケージ全体の整合性が問題となる
  • 非整合的な妥協は「最悪の組み合わせ」を生む: 異なる制度設計の要素を無原則に混合すると、多数派による排除を助長する選挙制度と、排除をより予測可能にする制度が組み合わされた、「最悪の組み合わせ」が生まれる
  • アメリカの建国者たちですら「あらゆる段階で即興した」: 憲法設計は事前の青写真に基づく合理的過程ではなく、政治的闘争と即興の連続である

求心主義(Centripetalism)

ホロウィッツの最も重要な制度的提案が求心主義(または統合主義)である。これはアーレンド・レイプハルト多極共存型民主主義(コンソシエーショナリズム)に対する主要な対抗理論として位置づけられる。

求心主義の原理

  • 集団間の協力を促す制度的インセンティブを創出する
  • 民族間協力を選挙での成功の条件とし、単なる希望ではなく構造的必然とする
  • 民族的分断を制度化するのではなく、多民族政党の形成を奨励する
  • 制度設計を通じて民族性の脱政治化を図る
  • 分裂した政治的スペクトルの中央を強化する

票のプーリング(Vote Pooling)

ホロウィッツの中心的な制度的革新が票のプーリングのメカニズムである。

優先投票制(特に選択投票制 / Alternative Vote)の下では:

  • 政治家は選挙に勝つために複数の民族集団からの票を必要とする
  • ある民族集団が自前の候補者を当選させるには小さすぎる場合、有権者は他の集団の候補者に対して、過激派よりも穏健派に第二順位以下の票を投じることを選好する
  • これが穏健と民族間アピールに対する構造的インセンティブを生み出す
  • 「穏健さと、交換される票の相互的価値が、民族間連合を結びつける接着剤である」

歴史的成功事例

  • マレーシア(1950-60年代): アライアンス連合(UMNO、MCA、MIC)は、多民族選挙区における民族間の票のプーリングの上に構築された
  • ナイジェリア(第二共和政、1979年): 大統領選挙で、全国の地域にまたがる支持の地理的分散が要求された

求心主義 vs 多極共存型民主主義

求心主義(ホロウィッツ) 多極共存型民主主義(レイプハルト)
目標 民族間協力のインセンティブを構造的に創出 エリート間の権力分有による安定
選挙制度 選択投票制(AV) 比例代表制(PR)
選挙区 多民族選挙区 民族別選挙区
連合形成 選挙前の民族間連合 選挙後の大連立
民族性の扱い 脱政治化を目指す 制度化し、保護する
拒否権 なし 少数派拒否権

ホロウィッツによる多極共存型への批判

  1. 民族的分断を固定化する: 多極共存型は「民族性のような分岐するアイデンティティを統合するのではなく、制度化し、固定化する」
  2. 本質的に不安定な協力に依拠する: 「敵対的な協力に依拠しており、それは本質的に不安定である」
  3. エリートの裁量を過大評価する: 「多極共存型の理論は、自由選挙が行われている民族的に分裂した社会において指導者が享受する裁量を過大評価している...妥協者は、その側面に立つ過激派によって容易に置き換えられうる」
  4. 指導者の脆弱性: 指導者が妥協を試みるや否や、反対派は「集団の利益の売り渡しが進行している」と主張できる

外部から押し付けられた憲法への批判

ホロウィッツの理論は、外部勢力によって押し付けられた憲法の問題を鋭く照射する。

イラク憲法の失敗

ホロウィッツは、イラクの憲法制定過程を痛烈に批判した。

  • イラクは「急いで仕上げるよりも、時間をかけた方がはるかに良かっただろう」
  • イラクは「一部の人々だけが連邦制を望んでいたにもかかわらず、憲法制定過程から連邦制国家として現れた。スンニ派は確実に連邦制を望んでいなかった」
  • 最終的な憲法は「非常に急いで作られた、非常にアマチュア的な文書」であった
  • 皮肉なことに、イラクは「3人の人間によって書かれた非常に良い暫定憲法を持っており、それはより長い期間にわたって十分に機能しただろう」

デイトン憲法(ボスニア)の失敗

デイトン合意は、外部から押し付けられた憲法の典型例である。

  • 英語で起草され、ボスニアの議会や国民投票による承認を経ていない
  • 「例外的に複雑で非効率な統治システム」を創出した
  • 権力分有の対象となる集団を事前に決定することで、民族的分断を制度化した
  • 「民族主義エリートたちは、デイトンの枠組みを国家資源を私物化するための巧妙な仕組みとして利用してきた」

外部助言者への批判

『憲法過程と民主的コミットメント』(2021年)において、ホロウィッツは国際社会の憲法支援のあり方を批判した。

  • 国際的な助言者は、その有効性に関する実証的裏付けがないにもかかわらず、「広範な市民参加」を一律に推奨する
  • 研究によれば、市民参加は「民主的成果と相関が低い」
  • 「最も有益な外国の経験は、遠く離れた国々に存在しうるが、その教訓は未知であるか、接近不可能である」
  • 憲法は経験のない人々によって起草されるが、「外部者から受ける援助は、しばしば見かけほど有用ではない」

連邦制と権限委譲

連邦制の多様な機能

「連邦制の多様な利用法」(2007年)において、ホロウィッツは連邦制度が民族紛争に対して持つ8つの肯定的効果を特定した。大規模な民主国家のほぼ全てが連邦制を採用しているにもかかわらず、世界には約24の連邦制国家しか存在しない。多くの新興民主主義国は、連邦制を魅力的と感じていない。

タイミングの問題

中心的な問題は、連邦制の解決策が紛争の経過において遅すぎる時点で導入されることである。遅れて導入された場合、「連邦制は、中央政府が下位単位に大量の権力を譲歩する問題となり、通常は単に民族的競争者が別々の区画の中で生活する能力を促進するためのものとなる」。連邦制は「分割の代替物」となってしまう。

民族連邦制のリスク

ホロウィッツは、民族的境界に沿った国家の分割が「民族的アイデンティティを制度化し深化させ、分離主義的傾向と集団間紛争の増大につながりうる」と警告した。

『権限委譲の約束と危険』(2025年)

最新著作において、ホロウィッツは以下を論じた。

  • 連邦制と地域自治が平和と民主主義を促進するという主張を評価した
  • 政治指導者は、反対派に力を与えることを恐れて権限委譲に消極的である
  • 異質的な権限委譲単位においては、権限委譲がしばしば「予期せぬ機能不全」を生む。すなわち、「単位の支配をめぐって争う集団間の紛争と、先住性に基づく優先権の主張の争い」である
  • 成功する権限委譲の前提条件として、強力な司法制度によって執行される「権利の屋根」を提唱した

権力分有の三大問題

「民族的権力分有――三つの大きな問題」(Journal of Democracy、2014年)において、ホロウィッツは権力分有の三つの構造的課題を特定した。

1. 採用可能性の問題

深刻な民族紛争を抱える78カ国(人口50万以上の123カ国中)のうち、権力分有の取り決めを持つのはわずか20カ国であり、5年以上持続したのは9カ国のみであった。求心主義であれ多極共存型であれ、その処方箋が実際に採用される条件は極めて限定的である。

2. 劣化の問題

求心主義体制においては、民族間連合を維持する選挙的取り決めが時間の経過とともに劣化しうる。

3. 不動の問題

多極共存型体制においては、少数派拒否権を含む強固な保障が硬直化(イモビリズム)を生む。「これら9つの存続事例の少なくとも半数が膠着状態にあることは、持続可能な権力分有の達成がいかに困難であるかを示唆している」。

憲法の普遍主義への批判

ホロウィッツの理論は、自由主義的な憲法の普遍主義に対する実証的な批判を提供する。

画一的モデルの否定

  • 「参加や討議のようないくつかの一般原則を別にすれば、憲法改革を実施するための画一的な(one-size-fits-all)処方箋は存在しない」
  • 「二つとして同じ国や条件の組み合わせ――歴史的、政治的、その他の――は存在しない」
  • 「標準的な自由民主主義的制度(比例代表制、権利章典、独立した司法制度など)という単一のモデルの憲法設計が全ての社会に移植できるという考え」は、深い文脈的差異を無視している

暫定憲法の重要性

ホロウィッツは、不安定な時期には恒久的な憲法の制定を急ぐのではなく、暫定憲法を使用すべきだと主張した。これは、外部勢力が「民主化」の名の下に急いで恒久的な憲法を押し付けるアメリカの手法への、実証的な批判である。

保守ぺディアの視点からの位置づけ

憲法闘争理論の意義

ホロウィッツの憲法闘争理論は、以下の点で保守ぺディアの立場と深く共鳴する。

  • 憲法は権力闘争の産物である: 憲法は普遍的な理念の表現ではなく、具体的な集団が具体的な利益をめぐって闘争した結果である。偽日本国憲法がアメリカによる憲法侵略の産物であるという認識と一致する
  • 外部から押し付けられた憲法は失敗する: イラク、ボスニアの事例が示すように、外部勢力が押し付けた憲法は、現地の民族的現実を無視し、紛争を悪化させる。これは日本国憲法の占領期における強制と同じ構造である
  • 民族性は政治の根本的な現実である: 民族性は階級よりも強力な社会的区分であり、憲法設計はこの現実を直視しなければならない
  • 画一的な自由主義的モデルは機能しない: 「画一的な処方箋は存在しない」というホロウィッツの主張は、アメリカが世界中に「自由と民主主義」を押し付ける憲法帝国主義への批判を実証的に裏付ける
  • 支配への恐怖が紛争を駆動する: 民族集団は他者による支配を恐れる。この恐怖こそが、民族自決権を擁護する根本的な理由である

カール・シュミットとの接点

ホロウィッツの憲法闘争理論は、カール・シュミットの政治神学と共鳴する。

  • シュミットは、憲法を「人民の政治的統一の類型と形態に関する全体的決断」と定義した。ホロウィッツは、憲法が民族集団間の権力闘争の産物であることを実証的に示した
  • シュミットが法規範の背後に主権者の決断を見出したように、ホロウィッツは憲法の条文の背後に民族集団の利害を見出す
  • いずれも、自由主義的な価値中立性の幻想を拒絶し、政治の具体的・実存的な次元を直視する

限界と留保

ホロウィッツ自身は民族排他主義の擁護者ではなく、むしろ民族間の協力と穏健化を目指す求心主義の理論家である。彼の処方的結論は民族間の和解と民主主義の深化を志向しており、民族的排他主義には向かない。しかし、彼の分析的枠組み――憲法が権力闘争の産物であること、外部から押し付けられた憲法が失敗すること、民族性が政治の根本的現実であること――は、国家主権民族自決権の擁護に不可欠な理論的基盤を提供する。

関連項目