「れいわ新選組」の版間の差分
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=== 概要 === | === 概要 === | ||
[https://ja.wikipedia.org/wiki/れいわ新選組 れいわ新選組]は、2019年に[https://ja.wikipedia.org/wiki/山本太郎 山本太郎] | [https://ja.wikipedia.org/wiki/れいわ新選組 れいわ新選組]は、2019年に[https://ja.wikipedia.org/wiki/山本太郎 山本太郎]によって結成された日本の政党である。消費税廃止、反緊縮財政、最低賃金の引き上げなど、経済的弱者の立場に立つ政策を掲げ、既存政党への不満の受け皿として支持を拡大してきた。 | ||
[[反米保守]] | [[反米保守]]の視座から見れば、れいわ新選組は日本の政党の中で数少ない'''リベラル・ナショナリスト政党'''として位置づけることができる。グローバリズム政党に堕した[https://ja.wikipedia.org/wiki/自由民主党_(日本) 自民党]がアメリカの[[年次改革要望書]]に従い、[[低賃金移民政策]]を推進し、日本の経済主権を売り渡してきたのに比べれば、れいわ新選組は'''遥かにナショナリスト'''である。少なくとも、日本国民の経済的利益を最優先に据え、アメリカ主導の新自由主義に対する批判に一貫性がある。 | ||
しかしながら、れいわ新選組のナショナリズムは'''リベラル・ナショナリズム'''——すなわち国籍主義に基づくリベラルな枠組みの中でのナショナリズム——であり、[https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨラム・ハゾニー ヨラム・ハゾニー]が『ナショナリズムの美徳』(The Virtue of Nationalism)で論じた民族的ナショナリズムとは本質的に異なる。この違いが、れいわ新選組の可能性と限界を同時に規定している。 | |||
=== | === リベラル・ナショナリズムとは何か === | ||
リベラル・ナショナリズムとは、国民国家の枠組みを支持しつつも、その内実を'''国籍'''(citizenship)に基づいて定義する立場である。民族・血統・文化的伝統ではなく、法的な国籍と憲法的価値への忠誠によって「国民」を定義する。 | |||
れいわ新選組の政策体系は、この'''リベラル・ナショナリズムの典型'''である。「この国に暮らすすべての人」を守るという包摂的な理念を掲げ、日本国籍の有無にかかわらず「弱者」を保護することを目指す。移民の権利保護を主張し、技能実習制度を批判するが、移民そのものを止めるのではなく移民の待遇を改善するという方向に解決策を見出す。 | |||
この立場は、'''アメリカのリベラル左翼の単なる模倣ではない'''。れいわ新選組がリベラルな枠組みを採用しているのは事実であるが、自民党のように外国の指示に従ってグローバリズムを推進しているわけではなく、日本の国民経済を守るという動機から一貫した政策体系を構築している点で、自民党とは根本的に異なる。 | |||
=== 自民党との比較——どちらがナショナリストか === | |||
「保守」を自称する[[自民党]]と比較した場合、れいわ新選組の方がナショナリストであることは明白である。 | |||
* '''新自由主義への態度''': 自民党は[[年次改革要望書]]に従い、[https://ja.wikipedia.org/wiki/小泉純一郎 小泉]構造改革、郵政民営化、[https://ja.wikipedia.org/wiki/環太平洋パートナーシップ協定 TPP]参加と、アメリカの要求に忠実に従ってきた。れいわ新選組は、これらの新自由主義政策を一貫して批判し、日本の国民経済を守ることを主張している。 | |||
* '''移民政策''': 自民党は「移民政策は採らない」と言いながら、技能実習制度と特定技能制度を通じて事実上の大規模移民を推進してきた。れいわ新選組は少なくとも、移民に頼る構造そのものを問題視し、日本人の賃金を上げることで労働力不足に対応するという方向性を持っている。 | |||
* '''アメリカへの態度''': 自民党は対米従属を外交の基軸とし、[[日米安全保障条約]]の強化、集団的自衛権の行使容認など、アメリカへの従属を深化させてきた。れいわ新選組は、在日米軍基地の問題を正面から取り上げ、アメリカ主導の国際秩序への追従を批判している。 | |||
自民党の「保守」とは、'''アメリカによる支配体制の保守'''にすぎないことは[[自民党]]の記事で詳論した通りである。国民経済を外資に切り売りし、移民で人口を補填し、アメリカの戦争に加担する政党の、一体どこが「ナショナリスト」なのか。この比較において、れいわ新選組の方がはるかに国民の利益に立脚した政策を提示していることは否定しがたい。 | |||
=== アメリカ批判の一貫性——知的に対話可能な政党 === | |||
れいわ新選組の最大の美点は、'''アメリカ批判に一貫性がある'''ことである。 | |||
山本太郎は、在日米軍基地の問題、日米地位協定の不平等性、アメリカ主導の新自由主義による日本経済の破壊を繰り返し指摘してきた。これは、対米従属を「日米同盟の深化」と言い換えて正当化する自民党とは根本的に異なる姿勢である。 | |||
''' | [[反米保守]]の立場から見れば、れいわ新選組は'''知的に対話可能な政党'''である。アメリカ帝国主義が日本の経済主権を蝕んでいるという現状認識を共有できる政党は、日本の政治空間において極めて少ない。自民党はアメリカの代理人であり、[https://ja.wikipedia.org/wiki/日本維新の会_(2016-) 日本維新の会]はアメリカ型の新自由主義を信奉し、[[日本保守党]]は反中・嫌韓に終始してアメリカへの従属を問わない。この状況において、アメリカの覇権そのものを問題視するれいわ新選組は、左右の違いを超えて対話しうる数少ない存在である。 | ||
==== 参政党との対比——知的水準の断絶 ==== | |||
この「知的に対話可能」という評価の意味は、[[参政党]]と比較すればより鮮明になる。 | |||
参政党は「日本を取り戻す」「日本の歴史を誇ろう」といったスローガンを掲げ、表面上は民族主義的な外見を持つ。しかし、[[参政党]]の記事で詳論した通り、その実態は'''理論的基盤を持たない「雰囲気愛国政党」'''であり、知的な議論の相手として成立しない。 | |||
[ | |||
参政党の主張は理論的検証に耐えられない。「日本の国益を守る」と言いながら日米同盟を堅持し、「自主防衛」を掲げながら[[米軍撤退]]には言及せず、「経済的自立」を唱えながら新自由主義的な経済成長路線に回帰する——これらの矛盾を指摘すれば、参政党は理論的に応答することができない。なぜなら、参政党の「五本柱」は体系的な政治理論から導き出されたものではなく、支持者の感情に訴えるために寄せ集められたスローガンにすぎないからである。 | |||
一方、れいわ新選組の主張には、リベラル・ナショナリズムという'''知的枠組み'''がある。その枠組みには限界があるが——それは後述する——少なくとも内部的に一貫している。「新自由主義に反対する、なぜならそれが国民経済を破壊するからだ」「アメリカの内政干渉に反対する、なぜならそれが日本の主権を侵害するからだ」という論理の連鎖が成立している。 | |||
'''知的に対話できる相手とは、前提を共有し、論理を展開し、反論に応答できる相手のことである。'''れいわ新選組はリベラル・ナショナリズムの前提から出発して論理的に一貫した体系を構築しており、その前提を批判することで生産的な議論が可能である。参政党にはそもそも批判すべき理論的前提がなく、批判しようにも手がかりがない。感情的スローガンに対しては、知的な批判は空振りに終わる。 | |||
さらに問題なのは、参政党の[https://ja.wikipedia.org/wiki/神谷宗幣 神谷宗幣]党首に'''オリジナルの知性が感じられない'''ことである。神谷の主張を注意深く追えば、反緊縮や反新自由主義の論点の多くが、れいわ新選組や山本太郎がすでに提起した議論の後追いであることに気づく。自らの理論的基盤から独自の主張を導き出すのではなく、世論の風向きを見ながら他党の論点を取り込んでいるにすぎない。'''追従者(フォロワー)には、思想的指導者の役割は務まらない。''' | |||
この知的水準の問題は、国際政治において致命的な意味を持つ。[[民族自決権]]の回復と[[米軍撤退]]を実現するためには、日本の政治指導者は[https://ja.wikipedia.org/wiki/習近平 習近平]や[https://ja.wikipedia.org/wiki/ウラジーミル・プーチン プーチン]のような指導者と対等に渡り合わなければならない。習近平は[https://ja.wikipedia.org/wiki/中華人民共和国の歴史 中国共産党百年の歴史]の中から自国の戦略的利益を体系的に導き出し、プーチンは[https://ja.wikipedia.org/wiki/ユーラシア主義 ユーラシア主義]と[[第四の理論]]の思想的基盤の上に多極化世界の構想を展開している。これらの指導者は、国際政治の権力構造を深く理解し、自民族の生存戦略を冷徹に計算している。 | |||
神谷宗幣の「日本を取り戻す」と、これらの指導者の知的水準との間には'''埋めがたい断絶'''がある。スローガンの反復と感情的演説では、国際政治のリアリズムの場において対等なプレイヤーとなることはできない。日本の独立を勝ち取るためには、相手国の指導者と同等以上の知的水準で戦略を構想できる政治指導者が必要であり、参政党にはその人材が存在しない。 | |||
==== れいわの指導者——民族リアリズムなき国際リアリズム ==== | |||
では、れいわ新選組の指導者である[https://ja.wikipedia.org/wiki/山本太郎 山本太郎]はどうか。 | |||
山本太郎には、神谷宗幣にはない'''独自のリアリズムの読み'''がある。それは民族リアリズムではない。核武装論も民族主義的世界観も持たない。しかし、山本にはリベラルな枠組みの中で練り上げた'''国際協調路線としてのリアリズム'''が存在する。 | |||
その核心は、'''日本は[https://ja.wikipedia.org/wiki/核拡散防止条約 NPT体制]に基づく国際貿易体制の中でしか生きられない'''という冷徹な現状認識である。資源を持たず、食料自給率も低い日本が生存するためには、国際的な貿易秩序が安定していなければならない。そのためには中国やロシアとの協調関係が不可欠であり、アメリカに追従して中露と敵対する路線は日本の国益を損なう——これがれいわなりのリアリズムの帰結である。 | |||
この読みは、'''民族リアリズムとは異なる経路から、一部において同じ結論に到達している'''点で注目に値する。[[反米保守]]がドゥーギンの[[第四の理論]]やハゾニーの民族主義から導き出す「中露とは敵対すべきではない」という結論を、山本太郎はNPT体制と国際貿易の現実から導き出している。理論的基盤は異なるが、到達点が重なることは、その結論の堅牢さを示唆している。 | |||
神谷宗幣が「日本を取り戻す」と叫びながら日米同盟を堅持し、中国脅威論を煽り、結果としてアメリカの対中封じ込め戦略の駒として機能しているのとは対照的に、山本太郎は'''アメリカの覇権戦略そのものを批判する知的一貫性'''を維持している。国際政治の場において、習近平やプーチンと直接渡り合えるかどうかはさておき、少なくとも彼らの戦略的意図を理解し、対話の回路を開く知性は備えている。 | |||
保守ぺディアの視座から見れば、れいわ新選組とは'''前提が異なる対話相手'''であり、参政党は'''対話が成立しない相手'''である。この差は決定的である。 | |||
=== ヨラム・ハゾニーによるリベラル・ナショナリズム批判 === | |||
しかし、れいわ新選組のナショナリズムには構造的な限界がある。[https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨラム・ハゾニー ヨラム・ハゾニー]が『ナショナリズムの美徳』で論じた枠組みに基づけば、その限界は明確になる。 | |||
ハゾニーは、国際秩序を「帝国主義」と「ナショナリズム」の対立として描く。帝国主義は普遍的な価値(「人権」「法の支配」「自由市場」)を掲げて他国の主権を侵害する。ナショナリズムは、各民族が自らの伝統と文化に基づいて自治する権利を擁護する。ハゾニーにとって、真のナショナリズムとは'''民族的紐帯'''(bonds of mutual loyalty among members of a nation)に基づくものであり、抽象的な法的原則に基づくリベラル・ナショナリズムとは区別される。 | |||
リベラル・ナショナリズムの問題は、'''国籍主義という「箱」の中で考える'''ことにある。国籍(法的地位)によって「国民」を定義すれば、その「国民」の範囲は法律によっていくらでも拡大できる。移民に国籍を付与すれば「国民」が増え、多文化共生が進み、やがて民族としての一体性は溶解する。リベラルな原理に基づく「国民」の定義は、民族共同体を守る防壁として機能しない。 | |||
=== リアリズムへの対応力の欠如 === | |||
リベラル・ナショナリズムのより深刻な問題は、'''国際政治のリアリズムに対応できない'''ことである。 | |||
[https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・モーゲンソウ ハンス・モーゲンソー]が分析した国際政治の現実——二重基準、裏切り、勢力均衡——に対して、リベラルな原則は無力である。国際社会では、すべての国が同じルールに従うことはない。アメリカは「自由」と「民主主義」を掲げながら他国の主権を蹂躙し、「[[法の支配]]」を説きながら自国の利益のためにルールを書き換える。こうした二重基準に対して、「正しい原則を掲げれば皆が従う」というリベラルな信念は、何の対抗力も持たない。 | |||
裏切りもまた国際政治の常態である。同盟国は利益が変われば裏切り、条約は紙切れになる。リベラル・ナショナリズムは、法的枠組みと国際的な合意を信頼するが、リアリズムの視座から見れば、'''信頼できるのは自国の軍事力と民族の団結だけ'''である。 | |||
そして何より、世界の大多数の国家は、リベラルな国籍主義ではなく'''民族主義'''によって動いている。中国は漢民族の国であり、イスラエルはユダヤ民族の国であり、韓国は朝鮮民族の国である。国際政治において民族的利益を追求する国家に対して、リベラルな国籍主義で対抗することは、剣を持つ相手に素手で立ち向かうようなものである。 | |||
れいわ新選組がリベラルな枠組みの中に留まる限り、'''日本民族の利益を守るために必要な冷徹な判断'''——誰が敵で誰が味方か、何を守り何を犠牲にするか——を下すことができない。リアリズムの世界では、リベラルな原則は贅沢品であり、まず生存を確保した上でなければ成り立たない。 | |||
=== 民族リアリズムの欠如——原発と夫婦別姓 === | |||
れいわ新選組の政策の中で、民族リアリズムの欠如が顕著に表れているのが、'''原発政策'''と'''夫婦別姓'''に対する姿勢である。 | |||
==== 原発政策 ==== | |||
れいわ新選組は原発の即時廃止を主張している。[https://ja.wikipedia.org/wiki/福島第一原子力発電所事故 福島第一原発事故]の悲惨さを考えれば、国民感情としての脱原発は理解できる。しかし、民族リアリズムの観点から見れば、原発の廃止は'''エネルギー安全保障の放棄'''にほかならない。 | |||
日本は資源小国であり、エネルギーの大部分を海外からの輸入に依存している。原子力は、その依存を軽減しうる数少ない選択肢の一つである。さらに、原子力技術の維持は将来的な'''核武装の選択肢'''を保持することを意味する。[[民族自決権]]を真に守るためには、自主防衛——究極的には核抑止力——が不可欠であり、原子力技術の基盤を放棄することは、その選択肢を自ら閉ざすことになる。 | |||
れいわ新選組の脱原発は、リベラルな理想主義に基づく政策であり、日本民族の長期的な生存戦略としては致命的な欠陥を持つ。 | |||
==== 夫婦別姓 ==== | |||
れいわ新選組は選択的[https://ja.wikipedia.org/wiki/夫婦別姓 夫婦別姓]制度の導入を支持している。これもまた、個人の権利というリベラルな原則からは論理的に導かれる主張であるが、民族リアリズムの視点からは問題がある。 | |||
家族制度は、民族共同体の最小単位である。姓の統一は、家族としての一体性と世代を超えた連続性の象徴であり、日本の民族的伝統の一部である。選択的夫婦別姓は、「選択」の名のもとに家族の紐帯を弱め、'''個人の原子化'''を促進する方向に作用する。これは[[法の支配]]の記事で分析したアメリカ的個人主義の浸透と軌を一にしている。 | |||
もちろん、れいわ新選組が夫婦別姓を主張する動機は、女性の権利という観点からであり、その問題意識自体は理解できる。しかし、民族共同体の維持という観点がそこには欠落している。 | |||
=== 左翼からの反米独立運動の限界 === | |||
れいわ新選組に対する最も根本的な評価は、'''左翼からの反米独立運動には構造的な限界がある'''という歴史的事実に基づかなければならない。 | |||
[[日本共産党]]は戦後80年にわたって存在し続けてきたが、アメリカ軍を一兵たりとも撤退させることはできなかった。[[社民党]](旧社会党)は、かつて自民党に次ぐ勢力を誇ったが、今や消滅寸前である。左翼的な反米・反基地運動は、沖縄において粘り強い闘争を続けてきたが、在日米軍の本質的な縮小には至っていない。 | |||
この歴史が証明しているのは、'''左翼の枠組みでは、日本において反米独立運動の多数派を形成することができない'''という現実である。 | |||
その理由はリアリズムの視点から明快に説明できる。日本の有権者の多数は保守層であり、「左翼」というラベルがつく運動には根強い警戒感がある。これは感情的な問題ではなく、構造的な問題である。冷戦期にアメリカが構築した日本の政治構造——自民党を中心とした保守支配体制——は、「反米=左翼=危険」という等式を国民意識に深く刻み込んだ。この構造の中で、左翼を名乗る勢力が反米独立の多数派を形成することは、ほぼ不可能である。 | |||
れいわ新選組は、日本共産党や社民党に比べれば、ポピュリズム的な手法によって若年層を中心に新しい支持層を開拓している。しかし、国政における議席数と得票率を見れば、日本の政権を担う水準には程遠い。 | |||
=== リアリズムの観点からの総合評価 === | |||
[[反米保守]]の立場から、れいわ新選組を総合的に評価する。 | |||
'''肯定すべき点:''' | |||
* アメリカ主導の新自由主義に対する批判が一貫しており、グローバリズム政党の自民党とは比較にならないほどナショナリスト的である | |||
* 在日米軍基地問題やアメリカの内政干渉を正面から批判する姿勢は、日本の政党の中では貴重である | |||
* 知的に誠実であり、対話可能な政党である。イデオロギー的な思考停止に陥っている自民党支持層や、反中・嫌韓に矮小化された「保守」とは異なり、アメリカ覇権そのものを構造的に批判する知的能力を持つ | |||
'''批判すべき点:''' | |||
* リベラル・ナショナリズムの枠組みに留まっており、ハゾニーが論じた民族的ナショナリズムの次元に到達していない | |||
* 国籍主義という「箱」の中で考える限り、民族共同体を守るための冷徹な判断ができない | |||
* 原発政策と夫婦別姓に見られるように、民族リアリズムの視点が欠如している | |||
* リアリズムが要求する二重基準、裏切り、勢力均衡への対応力を持たない | |||
=== 反米保守との合致と相違 === | |||
[[反米保守]]とれいわ新選組の関係は、'''完全な合致でも完全な対立でもない'''。両者の間には、決定的に一致する領域と、決定的に異なる領域が存在する。 | |||
==== 完全に合致する点——中露との非敵対 ==== | |||
'''中国・ロシアとは敵対すべきではない'''——この結論において、反米保守とれいわ新選組は完全に一致する。 | |||
反米保守は、ドゥーギンの[[第四の理論]]と多極化世界の構想から、各文明圏の自律性を認め、中露との共存を導き出す。れいわ新選組は、NPT体制に基づく国際貿易秩序の維持という現実主義から、中露との協調関係を導き出す。理論的経路は全く異なるが、結論は同一である。 | |||
この一致は偶然ではない。'''アメリカの覇権戦略を正確に分析すれば、中露敵対路線が日本の国益に反するという結論は必然的に導かれる。'''アメリカは[https://ja.wikipedia.org/wiki/封じ込め 封じ込め政策]の前線として日本を利用しており、日中・日露関係の悪化はアメリカの在日米軍駐留を正当化する口実となる。この構造を理解している者であれば、右であれ左であれ、中露との不必要な敵対を避けるという結論に至る。 | |||
「親米保守」が中国脅威論を煽り、ロシアを敵視するのは、アメリカの覇権戦略に無自覚に奉仕しているからであり、[[参政党]]が「日本の国益を守る」と言いながら事実上の対中封じ込め路線を走るのも同じ構造である。 | |||
==== 決定的に異なる点——核武装と民族主義 ==== | |||
しかし、反米保守とれいわ新選組の間には、'''埋めがたい溝'''も存在する。 | |||
'''第一に、核兵器保有の問題'''である。反米保守にとって、自主防衛の最終形態は核抑止力の保有であり、これなくして真の[[民族自決権]]は達成されない。核兵器を持たない国家は、核保有国の善意に自国の生存を委ねているに等しい。れいわ新選組は核廃絶を掲げ、原発の即時廃止を主張しており、核武装の選択肢そのものを放棄している。NPT体制の中で生きるというれいわのリアリズムは、裏を返せば'''核保有国が構築した秩序の中で被保護者として生存する'''ことを受け入れることであり、民族の完全な自立とは相容れない。 | |||
'''第二に、民族主義の問題'''である。反米保守にとって、「国民」とは法的地位(国籍)ではなく、血統・文化・歴史的記憶を共有する'''民族共同体'''である。[[人口侵略]]や[[低賃金移民政策]]への反対は、この民族観から必然的に導かれる。れいわ新選組はリベラル・ナショナリズムの枠組みの中にあり、「国民」を法的・市民的概念として捉える。多文化共生やマイノリティの権利を重視するリベラルな姿勢は、民族共同体の維持という観点からは脆弱性を抱える。 | |||
==== 合致と相違の戦略的含意 ==== | |||
この合致と相違の構図は、日本の独立運動の戦略を考える上で重要な含意を持つ。 | |||
中露との非敵対という点で完全に一致している以上、'''対米独立の局面においては、反米保守とれいわ新選組は戦術的に協力しうる。'''[[米軍撤退]]という最優先目標の実現に向けて、イデオロギーの差異を超えた連携は排除されるべきではない。 | |||
しかし、米軍を撤退させた後の日本のあり方——核武装か非核か、民族国家か市民国家か——において、両者は根本的に異なる構想を持つ。この相違は、独立達成後に政治的競争として展開されるべきものであり、独立以前の段階で争点化すべきではない。 | |||
'''まず米軍を追い出す。そのための連帯を否定する理由は、どこにもない。''' | |||
=== 結論——米軍を追い出せるなら誰でもいい === | |||
最終的な問いは、'''誰がアメリカ軍を日本から追い出せるか'''である。 | |||
[[米軍撤退]]を実現できるならば、それがれいわ新選組であれ、[[日本共産党]]であれ、[[社民党]]であれ構わない。政党のイデオロギーは手段であり、目的は日本民族の[[民族自決権]]の回復と[[国家主権]]の完全な確立である。 | |||
しかし、リアリズムの冷徹な分析は、左翼政党がその役割を果たす可能性は極めて低いことを示している。日本共産党の80年にわたる歴史がそれを証明しており、れいわ新選組もまた同じ構造的制約——「左翼」というラベルに対する日本の有権者の拒絶反応——から逃れることはできないだろう。 | |||
したがって、現実的な道筋としては、'''保守が反米になること'''を期待するほかない。[[反米保守]]の思想が保守層に浸透し、「親米保守」の欺瞞が広く認識されることで、初めて[[米軍撤退]]を求める多数派が形成される可能性が生まれる。保守層が「アメリカこそが日本の主権を脅かす最大の存在である」という認識に至ったとき、日本の独立は現実の政治課題となる。 | |||
れいわ新選組は、その日が来るまでの間、アメリカ批判の知的拠点として一定の役割を果たしうる。たとえリベラル・ナショナリズムの限界を超えることができなくとも、グローバリズムに堕した自民党よりも遥かにましな政党であることは、認めなければならない。 | |||
=== 参考文献 === | === 参考文献 === | ||
* 『ナショナリズムの美徳』(The Virtue of Nationalism)、[https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨラム・ハゾニー ヨラム・ハゾニー]著 | |||
* 『[https://ja.wikipedia.org/wiki/国際政治_権力と平和 国際政治]』、[https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・モーゲンソウ ハンス・モーゲンソー]著 | * 『[https://ja.wikipedia.org/wiki/国際政治_権力と平和 国際政治]』、[https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・モーゲンソウ ハンス・モーゲンソー]著 | ||
* 『[https://ja.wikipedia.org/wiki/国際政治の理論 国際政治の理論]』、[https://ja.wikipedia.org/wiki/ケネス・ウォルツ ケネス・ウォルツ]著 | * 『[https://ja.wikipedia.org/wiki/国際政治の理論 国際政治の理論]』、[https://ja.wikipedia.org/wiki/ケネス・ウォルツ ケネス・ウォルツ]著 | ||
* 『[https://ja.wikipedia.org/wiki/拒否できない日本 拒否できない日本]』、[https://ja.wikipedia.org/wiki/関岡英之 関岡英之]著 | * 『[https://ja.wikipedia.org/wiki/拒否できない日本 拒否できない日本]』、[https://ja.wikipedia.org/wiki/関岡英之 関岡英之]著 | ||
* 『[https://ja.wikipedia.org/wiki/閉された言語空間 閉された言語空間]』、[https://ja.wikipedia.org/wiki/江藤淳 江藤淳]著 | * 『[https://ja.wikipedia.org/wiki/閉された言語空間 閉された言語空間]』、[https://ja.wikipedia.org/wiki/江藤淳 江藤淳]著 | ||
* 『第四の政治理論』、[https://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドル・ドゥーギン アレクサンドル・ドゥーギン]著 | |||
[[Category:政党]] | [[Category:政党]] | ||
[[Category:政治学]] | [[Category:政治学]] | ||
[[Category:日本]] | [[Category:日本]] | ||
2026年2月18日 (水) 14:27時点における版
れいわ新選組
概要
れいわ新選組は、2019年に山本太郎によって結成された日本の政党である。消費税廃止、反緊縮財政、最低賃金の引き上げなど、経済的弱者の立場に立つ政策を掲げ、既存政党への不満の受け皿として支持を拡大してきた。
反米保守の視座から見れば、れいわ新選組は日本の政党の中で数少ないリベラル・ナショナリスト政党として位置づけることができる。グローバリズム政党に堕した自民党がアメリカの年次改革要望書に従い、低賃金移民政策を推進し、日本の経済主権を売り渡してきたのに比べれば、れいわ新選組は遥かにナショナリストである。少なくとも、日本国民の経済的利益を最優先に据え、アメリカ主導の新自由主義に対する批判に一貫性がある。
しかしながら、れいわ新選組のナショナリズムはリベラル・ナショナリズム——すなわち国籍主義に基づくリベラルな枠組みの中でのナショナリズム——であり、ヨラム・ハゾニーが『ナショナリズムの美徳』(The Virtue of Nationalism)で論じた民族的ナショナリズムとは本質的に異なる。この違いが、れいわ新選組の可能性と限界を同時に規定している。
リベラル・ナショナリズムとは何か
リベラル・ナショナリズムとは、国民国家の枠組みを支持しつつも、その内実を国籍(citizenship)に基づいて定義する立場である。民族・血統・文化的伝統ではなく、法的な国籍と憲法的価値への忠誠によって「国民」を定義する。
れいわ新選組の政策体系は、このリベラル・ナショナリズムの典型である。「この国に暮らすすべての人」を守るという包摂的な理念を掲げ、日本国籍の有無にかかわらず「弱者」を保護することを目指す。移民の権利保護を主張し、技能実習制度を批判するが、移民そのものを止めるのではなく移民の待遇を改善するという方向に解決策を見出す。
この立場は、アメリカのリベラル左翼の単なる模倣ではない。れいわ新選組がリベラルな枠組みを採用しているのは事実であるが、自民党のように外国の指示に従ってグローバリズムを推進しているわけではなく、日本の国民経済を守るという動機から一貫した政策体系を構築している点で、自民党とは根本的に異なる。
自民党との比較——どちらがナショナリストか
「保守」を自称する自民党と比較した場合、れいわ新選組の方がナショナリストであることは明白である。
- 新自由主義への態度: 自民党は年次改革要望書に従い、小泉構造改革、郵政民営化、TPP参加と、アメリカの要求に忠実に従ってきた。れいわ新選組は、これらの新自由主義政策を一貫して批判し、日本の国民経済を守ることを主張している。
- 移民政策: 自民党は「移民政策は採らない」と言いながら、技能実習制度と特定技能制度を通じて事実上の大規模移民を推進してきた。れいわ新選組は少なくとも、移民に頼る構造そのものを問題視し、日本人の賃金を上げることで労働力不足に対応するという方向性を持っている。
- アメリカへの態度: 自民党は対米従属を外交の基軸とし、日米安全保障条約の強化、集団的自衛権の行使容認など、アメリカへの従属を深化させてきた。れいわ新選組は、在日米軍基地の問題を正面から取り上げ、アメリカ主導の国際秩序への追従を批判している。
自民党の「保守」とは、アメリカによる支配体制の保守にすぎないことは自民党の記事で詳論した通りである。国民経済を外資に切り売りし、移民で人口を補填し、アメリカの戦争に加担する政党の、一体どこが「ナショナリスト」なのか。この比較において、れいわ新選組の方がはるかに国民の利益に立脚した政策を提示していることは否定しがたい。
アメリカ批判の一貫性——知的に対話可能な政党
れいわ新選組の最大の美点は、アメリカ批判に一貫性があることである。
山本太郎は、在日米軍基地の問題、日米地位協定の不平等性、アメリカ主導の新自由主義による日本経済の破壊を繰り返し指摘してきた。これは、対米従属を「日米同盟の深化」と言い換えて正当化する自民党とは根本的に異なる姿勢である。
反米保守の立場から見れば、れいわ新選組は知的に対話可能な政党である。アメリカ帝国主義が日本の経済主権を蝕んでいるという現状認識を共有できる政党は、日本の政治空間において極めて少ない。自民党はアメリカの代理人であり、日本維新の会はアメリカ型の新自由主義を信奉し、日本保守党は反中・嫌韓に終始してアメリカへの従属を問わない。この状況において、アメリカの覇権そのものを問題視するれいわ新選組は、左右の違いを超えて対話しうる数少ない存在である。
参政党との対比——知的水準の断絶
この「知的に対話可能」という評価の意味は、参政党と比較すればより鮮明になる。
参政党は「日本を取り戻す」「日本の歴史を誇ろう」といったスローガンを掲げ、表面上は民族主義的な外見を持つ。しかし、参政党の記事で詳論した通り、その実態は理論的基盤を持たない「雰囲気愛国政党」であり、知的な議論の相手として成立しない。
参政党の主張は理論的検証に耐えられない。「日本の国益を守る」と言いながら日米同盟を堅持し、「自主防衛」を掲げながら米軍撤退には言及せず、「経済的自立」を唱えながら新自由主義的な経済成長路線に回帰する——これらの矛盾を指摘すれば、参政党は理論的に応答することができない。なぜなら、参政党の「五本柱」は体系的な政治理論から導き出されたものではなく、支持者の感情に訴えるために寄せ集められたスローガンにすぎないからである。
一方、れいわ新選組の主張には、リベラル・ナショナリズムという知的枠組みがある。その枠組みには限界があるが——それは後述する——少なくとも内部的に一貫している。「新自由主義に反対する、なぜならそれが国民経済を破壊するからだ」「アメリカの内政干渉に反対する、なぜならそれが日本の主権を侵害するからだ」という論理の連鎖が成立している。
知的に対話できる相手とは、前提を共有し、論理を展開し、反論に応答できる相手のことである。れいわ新選組はリベラル・ナショナリズムの前提から出発して論理的に一貫した体系を構築しており、その前提を批判することで生産的な議論が可能である。参政党にはそもそも批判すべき理論的前提がなく、批判しようにも手がかりがない。感情的スローガンに対しては、知的な批判は空振りに終わる。
さらに問題なのは、参政党の神谷宗幣党首にオリジナルの知性が感じられないことである。神谷の主張を注意深く追えば、反緊縮や反新自由主義の論点の多くが、れいわ新選組や山本太郎がすでに提起した議論の後追いであることに気づく。自らの理論的基盤から独自の主張を導き出すのではなく、世論の風向きを見ながら他党の論点を取り込んでいるにすぎない。追従者(フォロワー)には、思想的指導者の役割は務まらない。
この知的水準の問題は、国際政治において致命的な意味を持つ。民族自決権の回復と米軍撤退を実現するためには、日本の政治指導者は習近平やプーチンのような指導者と対等に渡り合わなければならない。習近平は中国共産党百年の歴史の中から自国の戦略的利益を体系的に導き出し、プーチンはユーラシア主義と第四の理論の思想的基盤の上に多極化世界の構想を展開している。これらの指導者は、国際政治の権力構造を深く理解し、自民族の生存戦略を冷徹に計算している。
神谷宗幣の「日本を取り戻す」と、これらの指導者の知的水準との間には埋めがたい断絶がある。スローガンの反復と感情的演説では、国際政治のリアリズムの場において対等なプレイヤーとなることはできない。日本の独立を勝ち取るためには、相手国の指導者と同等以上の知的水準で戦略を構想できる政治指導者が必要であり、参政党にはその人材が存在しない。
れいわの指導者——民族リアリズムなき国際リアリズム
では、れいわ新選組の指導者である山本太郎はどうか。
山本太郎には、神谷宗幣にはない独自のリアリズムの読みがある。それは民族リアリズムではない。核武装論も民族主義的世界観も持たない。しかし、山本にはリベラルな枠組みの中で練り上げた国際協調路線としてのリアリズムが存在する。
その核心は、日本はNPT体制に基づく国際貿易体制の中でしか生きられないという冷徹な現状認識である。資源を持たず、食料自給率も低い日本が生存するためには、国際的な貿易秩序が安定していなければならない。そのためには中国やロシアとの協調関係が不可欠であり、アメリカに追従して中露と敵対する路線は日本の国益を損なう——これがれいわなりのリアリズムの帰結である。
この読みは、民族リアリズムとは異なる経路から、一部において同じ結論に到達している点で注目に値する。反米保守がドゥーギンの第四の理論やハゾニーの民族主義から導き出す「中露とは敵対すべきではない」という結論を、山本太郎はNPT体制と国際貿易の現実から導き出している。理論的基盤は異なるが、到達点が重なることは、その結論の堅牢さを示唆している。
神谷宗幣が「日本を取り戻す」と叫びながら日米同盟を堅持し、中国脅威論を煽り、結果としてアメリカの対中封じ込め戦略の駒として機能しているのとは対照的に、山本太郎はアメリカの覇権戦略そのものを批判する知的一貫性を維持している。国際政治の場において、習近平やプーチンと直接渡り合えるかどうかはさておき、少なくとも彼らの戦略的意図を理解し、対話の回路を開く知性は備えている。
保守ぺディアの視座から見れば、れいわ新選組とは前提が異なる対話相手であり、参政党は対話が成立しない相手である。この差は決定的である。
ヨラム・ハゾニーによるリベラル・ナショナリズム批判
しかし、れいわ新選組のナショナリズムには構造的な限界がある。ヨラム・ハゾニーが『ナショナリズムの美徳』で論じた枠組みに基づけば、その限界は明確になる。
ハゾニーは、国際秩序を「帝国主義」と「ナショナリズム」の対立として描く。帝国主義は普遍的な価値(「人権」「法の支配」「自由市場」)を掲げて他国の主権を侵害する。ナショナリズムは、各民族が自らの伝統と文化に基づいて自治する権利を擁護する。ハゾニーにとって、真のナショナリズムとは民族的紐帯(bonds of mutual loyalty among members of a nation)に基づくものであり、抽象的な法的原則に基づくリベラル・ナショナリズムとは区別される。
リベラル・ナショナリズムの問題は、国籍主義という「箱」の中で考えることにある。国籍(法的地位)によって「国民」を定義すれば、その「国民」の範囲は法律によっていくらでも拡大できる。移民に国籍を付与すれば「国民」が増え、多文化共生が進み、やがて民族としての一体性は溶解する。リベラルな原理に基づく「国民」の定義は、民族共同体を守る防壁として機能しない。
リアリズムへの対応力の欠如
リベラル・ナショナリズムのより深刻な問題は、国際政治のリアリズムに対応できないことである。
ハンス・モーゲンソーが分析した国際政治の現実——二重基準、裏切り、勢力均衡——に対して、リベラルな原則は無力である。国際社会では、すべての国が同じルールに従うことはない。アメリカは「自由」と「民主主義」を掲げながら他国の主権を蹂躙し、「法の支配」を説きながら自国の利益のためにルールを書き換える。こうした二重基準に対して、「正しい原則を掲げれば皆が従う」というリベラルな信念は、何の対抗力も持たない。
裏切りもまた国際政治の常態である。同盟国は利益が変われば裏切り、条約は紙切れになる。リベラル・ナショナリズムは、法的枠組みと国際的な合意を信頼するが、リアリズムの視座から見れば、信頼できるのは自国の軍事力と民族の団結だけである。
そして何より、世界の大多数の国家は、リベラルな国籍主義ではなく民族主義によって動いている。中国は漢民族の国であり、イスラエルはユダヤ民族の国であり、韓国は朝鮮民族の国である。国際政治において民族的利益を追求する国家に対して、リベラルな国籍主義で対抗することは、剣を持つ相手に素手で立ち向かうようなものである。
れいわ新選組がリベラルな枠組みの中に留まる限り、日本民族の利益を守るために必要な冷徹な判断——誰が敵で誰が味方か、何を守り何を犠牲にするか——を下すことができない。リアリズムの世界では、リベラルな原則は贅沢品であり、まず生存を確保した上でなければ成り立たない。
民族リアリズムの欠如——原発と夫婦別姓
れいわ新選組の政策の中で、民族リアリズムの欠如が顕著に表れているのが、原発政策と夫婦別姓に対する姿勢である。
原発政策
れいわ新選組は原発の即時廃止を主張している。福島第一原発事故の悲惨さを考えれば、国民感情としての脱原発は理解できる。しかし、民族リアリズムの観点から見れば、原発の廃止はエネルギー安全保障の放棄にほかならない。
日本は資源小国であり、エネルギーの大部分を海外からの輸入に依存している。原子力は、その依存を軽減しうる数少ない選択肢の一つである。さらに、原子力技術の維持は将来的な核武装の選択肢を保持することを意味する。民族自決権を真に守るためには、自主防衛——究極的には核抑止力——が不可欠であり、原子力技術の基盤を放棄することは、その選択肢を自ら閉ざすことになる。
れいわ新選組の脱原発は、リベラルな理想主義に基づく政策であり、日本民族の長期的な生存戦略としては致命的な欠陥を持つ。
夫婦別姓
れいわ新選組は選択的夫婦別姓制度の導入を支持している。これもまた、個人の権利というリベラルな原則からは論理的に導かれる主張であるが、民族リアリズムの視点からは問題がある。
家族制度は、民族共同体の最小単位である。姓の統一は、家族としての一体性と世代を超えた連続性の象徴であり、日本の民族的伝統の一部である。選択的夫婦別姓は、「選択」の名のもとに家族の紐帯を弱め、個人の原子化を促進する方向に作用する。これは法の支配の記事で分析したアメリカ的個人主義の浸透と軌を一にしている。
もちろん、れいわ新選組が夫婦別姓を主張する動機は、女性の権利という観点からであり、その問題意識自体は理解できる。しかし、民族共同体の維持という観点がそこには欠落している。
左翼からの反米独立運動の限界
れいわ新選組に対する最も根本的な評価は、左翼からの反米独立運動には構造的な限界があるという歴史的事実に基づかなければならない。
日本共産党は戦後80年にわたって存在し続けてきたが、アメリカ軍を一兵たりとも撤退させることはできなかった。社民党(旧社会党)は、かつて自民党に次ぐ勢力を誇ったが、今や消滅寸前である。左翼的な反米・反基地運動は、沖縄において粘り強い闘争を続けてきたが、在日米軍の本質的な縮小には至っていない。
この歴史が証明しているのは、左翼の枠組みでは、日本において反米独立運動の多数派を形成することができないという現実である。
その理由はリアリズムの視点から明快に説明できる。日本の有権者の多数は保守層であり、「左翼」というラベルがつく運動には根強い警戒感がある。これは感情的な問題ではなく、構造的な問題である。冷戦期にアメリカが構築した日本の政治構造——自民党を中心とした保守支配体制——は、「反米=左翼=危険」という等式を国民意識に深く刻み込んだ。この構造の中で、左翼を名乗る勢力が反米独立の多数派を形成することは、ほぼ不可能である。
れいわ新選組は、日本共産党や社民党に比べれば、ポピュリズム的な手法によって若年層を中心に新しい支持層を開拓している。しかし、国政における議席数と得票率を見れば、日本の政権を担う水準には程遠い。
リアリズムの観点からの総合評価
反米保守の立場から、れいわ新選組を総合的に評価する。
肯定すべき点:
- アメリカ主導の新自由主義に対する批判が一貫しており、グローバリズム政党の自民党とは比較にならないほどナショナリスト的である
- 在日米軍基地問題やアメリカの内政干渉を正面から批判する姿勢は、日本の政党の中では貴重である
- 知的に誠実であり、対話可能な政党である。イデオロギー的な思考停止に陥っている自民党支持層や、反中・嫌韓に矮小化された「保守」とは異なり、アメリカ覇権そのものを構造的に批判する知的能力を持つ
批判すべき点:
- リベラル・ナショナリズムの枠組みに留まっており、ハゾニーが論じた民族的ナショナリズムの次元に到達していない
- 国籍主義という「箱」の中で考える限り、民族共同体を守るための冷徹な判断ができない
- 原発政策と夫婦別姓に見られるように、民族リアリズムの視点が欠如している
- リアリズムが要求する二重基準、裏切り、勢力均衡への対応力を持たない
反米保守との合致と相違
反米保守とれいわ新選組の関係は、完全な合致でも完全な対立でもない。両者の間には、決定的に一致する領域と、決定的に異なる領域が存在する。
完全に合致する点——中露との非敵対
中国・ロシアとは敵対すべきではない——この結論において、反米保守とれいわ新選組は完全に一致する。
反米保守は、ドゥーギンの第四の理論と多極化世界の構想から、各文明圏の自律性を認め、中露との共存を導き出す。れいわ新選組は、NPT体制に基づく国際貿易秩序の維持という現実主義から、中露との協調関係を導き出す。理論的経路は全く異なるが、結論は同一である。
この一致は偶然ではない。アメリカの覇権戦略を正確に分析すれば、中露敵対路線が日本の国益に反するという結論は必然的に導かれる。アメリカは封じ込め政策の前線として日本を利用しており、日中・日露関係の悪化はアメリカの在日米軍駐留を正当化する口実となる。この構造を理解している者であれば、右であれ左であれ、中露との不必要な敵対を避けるという結論に至る。
「親米保守」が中国脅威論を煽り、ロシアを敵視するのは、アメリカの覇権戦略に無自覚に奉仕しているからであり、参政党が「日本の国益を守る」と言いながら事実上の対中封じ込め路線を走るのも同じ構造である。
決定的に異なる点——核武装と民族主義
しかし、反米保守とれいわ新選組の間には、埋めがたい溝も存在する。
第一に、核兵器保有の問題である。反米保守にとって、自主防衛の最終形態は核抑止力の保有であり、これなくして真の民族自決権は達成されない。核兵器を持たない国家は、核保有国の善意に自国の生存を委ねているに等しい。れいわ新選組は核廃絶を掲げ、原発の即時廃止を主張しており、核武装の選択肢そのものを放棄している。NPT体制の中で生きるというれいわのリアリズムは、裏を返せば核保有国が構築した秩序の中で被保護者として生存することを受け入れることであり、民族の完全な自立とは相容れない。
第二に、民族主義の問題である。反米保守にとって、「国民」とは法的地位(国籍)ではなく、血統・文化・歴史的記憶を共有する民族共同体である。人口侵略や低賃金移民政策への反対は、この民族観から必然的に導かれる。れいわ新選組はリベラル・ナショナリズムの枠組みの中にあり、「国民」を法的・市民的概念として捉える。多文化共生やマイノリティの権利を重視するリベラルな姿勢は、民族共同体の維持という観点からは脆弱性を抱える。
合致と相違の戦略的含意
この合致と相違の構図は、日本の独立運動の戦略を考える上で重要な含意を持つ。
中露との非敵対という点で完全に一致している以上、対米独立の局面においては、反米保守とれいわ新選組は戦術的に協力しうる。米軍撤退という最優先目標の実現に向けて、イデオロギーの差異を超えた連携は排除されるべきではない。
しかし、米軍を撤退させた後の日本のあり方——核武装か非核か、民族国家か市民国家か——において、両者は根本的に異なる構想を持つ。この相違は、独立達成後に政治的競争として展開されるべきものであり、独立以前の段階で争点化すべきではない。
まず米軍を追い出す。そのための連帯を否定する理由は、どこにもない。
結論——米軍を追い出せるなら誰でもいい
最終的な問いは、誰がアメリカ軍を日本から追い出せるかである。
米軍撤退を実現できるならば、それがれいわ新選組であれ、日本共産党であれ、社民党であれ構わない。政党のイデオロギーは手段であり、目的は日本民族の民族自決権の回復と国家主権の完全な確立である。
しかし、リアリズムの冷徹な分析は、左翼政党がその役割を果たす可能性は極めて低いことを示している。日本共産党の80年にわたる歴史がそれを証明しており、れいわ新選組もまた同じ構造的制約——「左翼」というラベルに対する日本の有権者の拒絶反応——から逃れることはできないだろう。
したがって、現実的な道筋としては、保守が反米になることを期待するほかない。反米保守の思想が保守層に浸透し、「親米保守」の欺瞞が広く認識されることで、初めて米軍撤退を求める多数派が形成される可能性が生まれる。保守層が「アメリカこそが日本の主権を脅かす最大の存在である」という認識に至ったとき、日本の独立は現実の政治課題となる。
れいわ新選組は、その日が来るまでの間、アメリカ批判の知的拠点として一定の役割を果たしうる。たとえリベラル・ナショナリズムの限界を超えることができなくとも、グローバリズムに堕した自民党よりも遥かにましな政党であることは、認めなければならない。
参考文献
- 『ナショナリズムの美徳』(The Virtue of Nationalism)、ヨラム・ハゾニー著
- 『国際政治』、ハンス・モーゲンソー著
- 『国際政治の理論』、ケネス・ウォルツ著
- 『拒否できない日本』、関岡英之著
- 『閉された言語空間』、江藤淳著
- 『第四の政治理論』、アレクサンドル・ドゥーギン著