間島問題
間島問題
概要と歴史的背景
間島問題(かんとうもんだい、間島/カンド)とは、現在の中国吉林省延辺朝鮮族自治州を中心とする地域の帰属をめぐる、朝鮮民族と中国の間の歴史的な領土紛争である。この問題は、単なる国境線の画定にとどまらず、近代条約体制が東アジアの伝統的秩序を破壊し、大国の利権によって小国の領土が売買される構造を象徴する事例として、国際政治学上きわめて重要な意味を持つ。
間島地域は、豆満江(図們江)の北岸に位置し、古くから朝鮮民族が居住・開墾してきた土地である。高句麗や渤海の旧領として朝鮮民族の歴史的記憶に深く刻まれており、19世紀後半には飢饉や災害を逃れた朝鮮人農民が大量に移住し、人口の圧倒的多数を占めるに至った。
しかし、この地域の帰属は、朝鮮民族の意思とは無関係に、清・日本・ロシアという大国の権力政治によって決定された。間島問題の本質は、条約とは正義の表現ではなく、その時の実力差を一時的に固定した記録に過ぎないというリアリズムの冷徹な命題を、東アジアの歴史の中で証明するものにほかならない。
冊封体制と「曖昧な安定」
東アジアの伝統的秩序
間島問題を理解するためには、まず近代以前の東アジアにおける国際秩序——すなわち冊封体制——の構造を把握しなければならない。
冊封体制とは、中国の皇帝が周辺国の君主に「冊封」を授け、形式的な上下関係(宗主国と朝貢国)を設定する国際秩序である。朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、明および清に対して朝貢を行い、清の冊封を受けていた。
しかし、この体制は西洋の植民地支配とは本質的に異なるものであった。
- 形式的な上下関係と実質的な自治: 朝鮮は清に対して定期的な朝貢使節の派遣と暦の採用を行ったが、内政・外交・軍事において広範な自律性を維持していた。朝鮮の法律、行政制度、教育制度は朝鮮独自のものであり、清が朝鮮の国内統治に直接介入することは原則としてなかった
- グレーゾーンの許容: 冊封体制の最大の特徴は、主権や国境を厳密に画定しないことにある。間島地域のような辺境においては、朝鮮人と満州人が混住し、双方の統治権が重層的に及ぶ「曖昧な領域」が存在した。この曖昧さは、紛争の火種ではなく、むしろ緊張を緩和する緩衝装置として機能していた
- 文化的共有による安定: 儒教の礼治秩序に基づく共通の文化的基盤が、武力に頼らない秩序維持を可能にしていた
デビッド・カンの分析——東アジアの長い平和
デビッド・カン(南カリフォルニア大学教授)は、著書『East Asia Before the West: Five Centuries of Trade and Tribute』において、西洋の近代国際法が導入される以前の東アジアが、同時期のヨーロッパよりもはるかに平和であったことを実証的に示した。
カンによれば、中国を中心とする朝貢秩序の下で、東アジアは1368年(明の建国)から1841年(アヘン戦争)までの約500年間にわたり、大規模な国家間戦争がほとんど発生しない「長い平和」を経験した。同時期のヨーロッパでは、三十年戦争、ナポレオン戦争をはじめとする大規模な国家間戦争が頻発していた。
カンの分析は、西洋の条約体制が「野蛮な東洋」に「文明的な秩序」をもたらしたという通説が根本的に誤りであることを示している。むしろ、西洋的な主権・国境の厳密な画定——すなわち条約体制——が東アジアに持ち込まれたことで、それまでの柔軟な秩序が破壊され、領土紛争がゼロサムゲーム化したのである。間島問題は、まさにこの構造的転換の産物にほかならない。
下関条約と冊封体制の崩壊
日清戦争と「朝鮮独立」の虚構
冊封体制を最終的に破壊したのが、日清戦争(1894-1895年)と、その講和条約である下関条約(1895年)である。
下関条約第1条は、清に対して「朝鮮国が完全無欠な独立自主の国であることを確認する」ことを要求した。これは表面上、朝鮮の「独立」を承認する条項であった。しかし、その実態は全く異なるものであった。
- 冊封体制の破壊: この条項の真の目的は、清と朝鮮の間の冊封関係を断ち切ることにあった。清の「保護」から切り離された朝鮮は、日本が介入しやすい「孤立した小国」に転落した
- 「独立」という罠: 朝鮮にとっての「独立」とは、清という後ろ盾を失い、日本の勢力圏に単独で放り出されることを意味した。冊封体制の下では、朝鮮は清の名目的な保護の下で実質的な自治を享受していた。「独立」は、この安定した秩序からの引き剥がしにほかならなかった
- 西洋的国際法の強制: 下関条約は、東アジアの伝統的な「重層的・曖昧な関係」を西洋的な「排他的主権」の枠組みに無理やり押し込んだ。国際法の用語で「独立」と宣言した瞬間、朝鮮は冊封体制の柔軟な保護を失い、帝国主義列強の権力政治に裸で晒されることになった
朝鮮から見た「独立」の意味
朝鮮の側から見れば、下関条約がもたらした「独立」は、自国の運命が頭越しに決められる主権喪失の始まりであった。
朝鮮は日清戦争の当事国ではないにもかかわらず、日本と清という二つの大国が朝鮮の国際的地位を勝手に決定した。これはウェストファリア体制が建前とする「主権国家の平等」とは正反対の現実——大国が小国の運命を決定する権力政治——を露骨に示している。
下関条約から韓国併合(1910年)までの15年間は、朝鮮が段階的に主権を剥奪されていく過程であった。「独立」の宣言から植民地化まで、わずか15年。条約体制が朝鮮に約束した「独立」は、帝国主義の食卓に載せられるまでの猶予期間に過ぎなかったのである。
間島協約——条約の暴力性
日本による「領土の売却」
間島問題が最も露骨な形で条約体制の暴力性を示したのが、1909年の間島協約(日清間島協約)である。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、間島地域の帰属をめぐって清と朝鮮(および日本)の間で対立が続いていた。朝鮮側は、豆満江北岸の間島が朝鮮人の居住地であり朝鮮の管轄に属すると主張し、1903年には李範允を間島管理使として派遣した。日本は韓国統監府の出先機関として「間島派出所」を設置し、この地域に対する影響力を行使していた。
しかし、1909年9月4日に締結された間島協約において、日本は間島の領有権を清に譲渡した。その見返りとして日本が得たものは、以下の利権であった。
- 南満州鉄道の安奉線延長権
- 撫順・煙台の炭鉱採掘権
- 吉長鉄道の建設に関する優先権
すなわち、日本は朝鮮民族が歴史的に居住してきた土地の領有権を、満州における鉄道利権と引き換えに売り渡したのである。これは条約体制の本質——大国が小国の領土を自国の利権で取引する——を最も端的に示す事例である。
日本とロシアの思惑
間島協約における日本の行動は、朝鮮のための交渉ではなく、満州支配の布石であった。日本の真の狙いは、間島の領土的帰属ではなく、満州における鉄道網の掌握にあった。間島を清に「譲る」代わりに、間島に居住する朝鮮人に対する領事裁判権を確保し、清の領土内にありながら日本が警察権を行使できる「特殊な地位」を獲得した。これは後の満州事変へと繋がる中国大陸進出の橋頭堡となった。
ロシアにとって間島周辺は、自国の沿海州(ウラジオストク)と接する極めて敏感な地域であった。日露戦争(1904-1905年)に敗れた直後のロシアは、日本が間島を通じて満州北部へさらに勢力を拡大することを警戒していた。ロシアにとっては、弱体化した清が間島を管理している方が、日本が直接ロシア国境に迫るよりも自国の安全保障にとって都合が良かった。
日本とロシアに共通していたのは、当事者である朝鮮の意思を完全に無視した点である。朝鮮は、日本が自国のために交渉してくれると期待していたが、日本は朝鮮の領土を自国の利権の「取引材料」として使い、ロシアは朝鮮の主権回復よりも日本との勢力均衡を優先した。
朝鮮民族にとっての間島協約
間島協約は、朝鮮民族の意思を完全に無視して締結された。当時すでに日本の保護国となっていた大韓帝国には外交権がなく、自国の領土に関する交渉に参加する資格すら与えられなかった。
間島協約が示す構造は以下の通りである。
- 主権の不在: 朝鮮は自国の領土の帰属を決定する主体としてすら認められなかった
- 条約の一方性: 日本と清が二国間で朝鮮の領土を処分し、朝鮮は完全に排除された
- 利権との等価交換: 民族の歴史的領土が、鉄道と炭鉱という経済的利権と等価に扱われた
この構造は、現代においても形を変えて繰り返されている。アメリカが日本の偽日本国憲法を通じて日本の主権を制約し、日本の意思とは無関係に東アジアの安全保障秩序を設計しているのと、構造的に同一である。
ブダペスト覚書——条約の空虚さの現代的証明
間島問題が示した条約体制の暴力性は、21世紀においても繰り返されている。その最も劇的な事例が、ウクライナをめぐるブダペスト覚書(1994年)の崩壊である。
1994年、ウクライナはソ連崩壊後に継承した世界第3位の核兵器を放棄する代わりに、ロシア・アメリカ・イギリスから「ウクライナの独立、主権、既存の国境を尊重する」という安全保障の約束を得た。
しかし、2014年のクリミア併合、2022年の全面侵攻において、ロシアはこの約束を完全に破棄した。軍事力を放棄して得た「紙の平和」の危うさが、これ以上ないほど明確に証明された。
ロシアの行動は以下の構造を持つ。
- 法的レトリックの悪用: ロシアは「集団的自衛権」や「ロシア語話者の保護」という国際法の用語を、自国の侵略を正当化するための「言葉の武器」として利用した
- 拒否権という構造的欠陥: ロシアが国連安全保障理事会の常任理事国として拒否権を持つため、犯人が警察官を兼ねる状態が生じ、国連の条約体制は完全に機能不全に陥った
- 地政学的恐怖の論理: プーチンにとってウクライナのNATO加盟は「喉元にナイフ」を突きつけられるミサイル配備を意味し、条約上の約束よりも自国の生存圏の確保が優先された
間島協約とブダペスト覚書は、100年以上の時を隔てながら、同一の真理を証明している。条約は、それを破棄するだけの実力を持つ者の前では、ただの紙切れに過ぎない。
東北工程と現代の歴史戦争
中国による歴史の「国有化」
間島問題は過去の遺物ではない。21世紀の現在も、形を変えて中朝関係の底流に潜む火種であり続けている。
2002年、中国政府は「東北工程」(東北辺疆歴史与現状系列研究工程)を開始した。これは中国社会科学院を中心とする国家プロジェクトであり、高句麗や渤海を「中国の地方政権」として再定義する歴史研究である。
しかし、この「学術研究」の政治的意図は明白である。
- 歴史的権利の先行確保: 高句麗を「中国の歴史」と確定させることで、将来的に朝鮮半島北部や間島地域に対する中国の「歴史的権利」を主張するための法的・政治的基盤を構築している
- 朝鮮半島有事への布石: 北朝鮮の体制が崩壊した場合、中国が軍事介入する正当性を「歴史的に見てこの地域は中国の影響圏であった」という論理で確保しようとしている
- 条約体制の利用: 近代条約体制が「明確な国境線」を要求するがゆえに、歴史の帰属を先に確定させた側が将来の領土交渉で有利になるという構造を、中国は巧みに利用している
北朝鮮の激しい反発
北朝鮮にとって、東北工程は単なる歴史論争ではなく、国家のアイデンティティと正統性に対する実存的脅威である。
北朝鮮は平壌を拠点とし、高句麗の継承者を自認している。高句麗を中国の地方政権と定義されることは、北朝鮮という国家の根幹を否定されるに等しい。
北朝鮮の反発は異例の激しさであった。
- 社会科学院の公式声明: 北朝鮮の歴史研究の最高機関が「中国の歴史家たちが歴史を歪曲している」と強く非難した
- 外交ルートでの抗議: 2004年頃、平壌を訪問した中国外交当局者に対し、歴史歪曲の中止を求める強い不満が伝達された
- ユネスコ世界遺産の登録合戦: 北朝鮮が「高句麗古墳群」の世界遺産登録を推進する一方、中国も自国内の高句麗遺跡を「中国の歴史遺産」として同時に登録申請し、2004年に両国の遺跡が同時登録されるという異例の事態が生じた
- 南北の「珍しい一致」: この問題では北朝鮮と韓国が足並みを揃えて中国に抗議するという、朝鮮半島においてきわめて稀な「民族共助」が実現した
中朝間の「数百年の疑心暗鬼」
東北工程と間島問題の背景には、中国と朝鮮民族の間に数百年にわたって蓄積されてきた相互不信の構造が存在する。
中国側の恐怖は以下の通りである。歴史上、中国の中央政府が弱体化するたびに辺境地帯が独立し、あるいは隣接勢力に切り取られてきた。もし将来、中国が内乱や衰退で弱体化した場合、朝鮮側(北朝鮮あるいは統一朝鮮)が「高句麗の旧領」という歴史的正当性を掲げて東北部へ進出し、あるいは延辺の朝鮮族が分離独立・合流を求めることを、中国は「歴史的な悪夢」として強く警戒している。東北工程は、この数百年先を見据えた「法的・歴史的防波堤」の構築にほかならない。
北朝鮮側の恐怖もまた深刻である。北朝鮮が恐れているのは、中国が歴史を書き換えることで、将来的に北朝鮮の体制が動揺した際に「歴史的に見てここは中国の影響圏であった」として軍事介入する口実を作ることである。北朝鮮にとって東北工程は、国家消滅への第一歩として映っている。
この相互不信は、現代においても「石油パイプライン」という物理的な形で具現化している。中国の丹東から鴨緑江を越えて北朝鮮に伸びる石油パイプライン(中朝友誼輸油管)は、北朝鮮の「生命線」であると同時に「首輪」でもある。中国はこのバルブを閉めることで北朝鮮を数週間で機能停止に追い込む能力を持ち、実際に2003年の核危機や2017年のICBM発射時に供給を制限した。北朝鮮が中国に対して決定的な決裂を避けるのは、この物理的な支配構造に拘束されているからである。
この中朝関係の構造は、まさに冊封体制の現代版——「形式的には同盟、実質的には従属」——であり、条約体制によって「対等な主権国家」と定義された二国間関係の裏に、冊封的な上下関係が依然として機能していることを示している。
白頭山問題と「隠された譲歩」
間島問題と密接に関連するのが、白頭山(ペクトゥサン/長白山)の国境問題である。
1962年、金日成と周恩来の間で秘密裏に「中朝辺界条約」が締結され、白頭山頂上の天池が北朝鮮約55%、中国約45%の比率で分割された。
北朝鮮にとって白頭山は「革命の聖地」であり、金正日の出生地(公式歴史)とされる国家の象徴的聖地である。しかし朝鮮民族のナショナリストの間では、この分割は「中国からの支援を得るために金日成が領土を譲歩した」と見る向きがあり、本来は白頭山全体が朝鮮の領土であるという潜在的な主張が存在する。
この事例もまた、条約体制の限界を示している。大国(中国)と小国(北朝鮮)の間の条約は、実力差をそのまま反映する。北朝鮮が中国への経済的・軍事的依存を深めるほど、条約交渉において譲歩を強いられる構造は、1909年の間島協約において日本が朝鮮の領土を清に売り渡した構造と本質的に同一である。
条約体制の構造的限界
「デジタル」対「アナログ」
間島問題から現代のウクライナ侵攻に至るまで、条約体制が繰り返し示してきた構造的限界は以下の通りである。
- 国境のゼロサムゲーム化: 条約体制は主権と国境を排他的・厳密に画定するため、領土紛争が必然的にゼロサムゲームとなる。間島が「朝鮮のもの」か「中国のもの」かという二者択一を迫られた瞬間、妥協の余地は消滅した。冊封体制の下では、間島は「曖昧な辺境」として双方が共存できる空間であった
- 実力差の法的固定: 条約は締結時の実力差を法的に固定する装置である。日本が優位であった1909年に締結された間島協約は、日本の利権を法的に保障した。しかし、力関係が変化すれば条約は破棄される——ブダペスト覚書の崩壊が証明したように
- 小国の排除: 条約体制の主体は大国であり、小国は客体に過ぎない。間島協約において朝鮮が排除されたように、ブダペスト覚書においてウクライナの安全は大国の「善意」に依存していた
中国の「条約つまみ食い」——下関条約と間島協約のダブルスタンダード
条約体制の恣意的な運用を最も鮮明に示すのが、中国(中華人民共和国)による条約の「つまみ食い」である。
中国は、自国に不利な下関条約(1895年)については「帝国主義による不平等条約であり無効」と主張し、台湾の割譲を認めない。一方で、自国に有利な間島協約(1909年)については「国家間の正当な合意であり有効」と主張し、間島地域に領土問題は存在しないとする。
| 条約 | 内容 | 中国の立場 | 理由 |
|---|---|---|---|
| 下関条約(1895年) | 台湾・澎湖諸島の割譲 | 無効(不平等条約) | 「中国が損をする条約」は認めない |
| 間島協約(1909年) | 間島の領有権を清に確認 | 有効(正当な合意) | 「中国の領土を守る条約」は死守する |
この矛盾は、条約の「有効性」を判定する基準が国際法の一貫性ではなく、現在の中国の版図を最大限に維持できるかどうかという政治的利益にあることを暴露している。
さらに中国は、条約という「近代の理屈」だけでは不安であるため、東北工程という「古代の理屈」を重ねている。すなわち、(1)「近代の条約(間島協約)でもここは中国領である」、(2)「そもそも古代から、ここは中国の地方政権(高句麗)の土地であった」——という二段構えの論理で、朝鮮側がいかなる角度から領土主張を行っても論破できるよう防壁を築いているのである。
中国がこれほどまでに条約の使い分けに執心するのは、一度でも綻びを認めれば、チベット、ウイグル、南シナ海に至るまで、領土主張が連鎖的に崩壊することを恐れているからにほかならない。
安保理の構造的欠陥
条約体制の最も致命的な欠陥は、国連安全保障理事会の拒否権制度に集約される。常任理事国が侵略の当事者となった場合、条約体制は完全に機能停止する。ロシアによるウクライナ侵攻において、ロシアが安保理で拒否権を行使し続けたことは、加害者が裁判官を兼ねるという条約体制の構造的矛盾を白日の下に曝した。
この欠陥は、間島問題の時代からすでに存在していた。19世紀末から20世紀初頭の東アジアにおいて、条約を執行する「公正な第三者」は存在しなかった。条約は大国の意思を反映するものであり、大国自身がそれを破る場合、いかなる制裁も機能しない。
リアリズムの観点からの分析
モーゲンソーと「力が法を作る」
ハンス・モーゲンソーは『国際政治——権力と平和』において、国際法は大国の権力関係を反映するものであり、権力の裏付けのない法は無力であると論じた。
間島問題は、モーゲンソーのこの命題を東アジアの歴史において実証する。1909年の間島協約は、日本帝国の軍事力を背景とした「力の表現」であった。日本が朝鮮の領土を清に売り渡すことができたのは、日本が朝鮮を保護国として支配していたからであり、法的正当性は事後的に条約という形式で付与されたに過ぎない。
ウォルツと構造的制約
ケネス・ウォルツの構造的リアリズムに従えば、国際システムのアナーキー(無政府状態)において、国家は自助(self-help)によってのみ生存を確保できる。条約は自助の手段の一つに過ぎず、それ自体が国家の安全を保障するものではない。
朝鮮は冊封体制という「構造」の中で安全を確保していたが、日清戦争によってその構造が破壊された瞬間、自力で安全を確保する能力を持たない朝鮮は、帝国主義列強の餌食となった。間島の喪失は、構造的な保護を失った小国の必然的な運命であった。
カール・シュミットと「大空間」理論
カール・シュミットは『大地のノモス』において、国際秩序は抽象的な法規範ではなく、具体的な空間秩序(Raumordnung)に基づくべきであると論じた。シュミットの「大空間」(Großraum)理論は、各文明圏が自らの秩序原理に基づいて空間を組織する権利を持つことを主張する。
この観点から見れば、東アジアの冊封体制は、まさにシュミットのいう「大空間」秩序の東アジア的表現であった。中国を中心とする「大空間」の中で、朝鮮は自律的な「小空間」として存在し、間島のような辺境は「大空間」内の柔軟な境界として機能していた。西洋の条約体制がこの「大空間」を破壊し、人為的な線引きを強制したことが、間島問題を含む東アジアの領土紛争の根源である。
解決策——部分的冊封体制への回帰
条約体制の限界を超えて
間島問題に対する近代条約体制の枠組み内での「解決」は、構造的に不可能である。条約体制は国境を厳密に画定することを要求するが、間島のような歴史的に重層的な帰属を持つ地域に対して排他的な「白黒」の回答を強制すれば、紛争はさらに激化する。
現在の国際秩序の下では、間島は中国の領土として確定しており、これを条約上の手続きで変更することは現実的ではない。しかし、条約体制の「白黒」の論理を部分的に修正し、冊封体制が持っていた「グレーゾーンの柔軟性」を現代的な形で再導入することは、検討に値する。
提案: 「新朝貢的秩序」の構築
間島問題の解決策として、以下のような中朝間の「新朝貢的秩序」を提案する。
1. 延辺朝鮮族自治州の自治権の実質的拡大
現在の延辺朝鮮族自治州は、中国の民族区域自治制度の下に置かれているが、その自治権は限定的である。冊封体制の「形式的な上下関係と実質的な自治」の原理を応用し、以下を実現する。
- 朝鮮語教育の完全な保障: 朝鮮族の言語・文化教育を制度的に保障し、同化圧力を排除する
- 経済的自律性の拡大: 間島地域の経済運営において、朝鮮族コミュニティに実質的な意思決定権を付与する
- 文化的交流の制度化: 南北朝鮮との文化的・学術的交流を制度的に保障し、間島地域が朝鮮民族の文化的空間であり続けることを担保する
2. 歴史認識の「共有」
東北工程に象徴される「歴史の排他的所有権」の争いは、条約体制の「白黒」の論理の産物である。冊封体制の「重層的な帰属」の発想を現代に応用すれば、高句麗は中国の歴史でもあり朝鮮の歴史でもあるという「共有」の枠組みが可能になる。
- 「どちらのものか」から「共に受け継ぐ」へ: 高句麗・渤海の歴史を中国と朝鮮民族の「共有遺産」として位置づけ、排他的な所有権の主張を放棄する
- 共同研究の制度化: 中国・北朝鮮・韓国の歴史研究者による共同研究を制度化し、歴史をナショナリズムの道具ではなく学術的探究の対象として扱う
3. 白頭山の「聖地の共有」
白頭山については、現在の国境線を維持しつつも、冊封体制的な「曖昧さの知恵」を現代に復活させることを提案する。
- 白頭山共同管理区域の設定: 天池周辺を中朝共同管理の「聖域」として設定し、国境線ではなく共同管理の原理で運営する
- 宗教的・文化的アクセスの保障: 朝鮮民族にとっての聖地としての白頭山へのアクセスを、国境にかかわらず保障する
4. 「形式と実質の分離」
冊封体制の核心的な知恵は、形式的な序列と実質的な自由を分離した点にある。この原理を現代に応用する。
- 形式: 中国の領土主権と国境線は条約上尊重する(形式的な秩序の維持)
- 実質: 間島地域の朝鮮族コミュニティに対して、文化的・経済的・教育的自治を大幅に拡大する(実質的な自由の確保)
これは、かつての朝鮮が清に対して朝貢の形式を守りながら実質的な自治を享受していた構造の、現代的再現にほかならない。
「曖昧さ」の戦略的価値
近代の条約体制が東アジアにもたらしたのは、「明確さ」という名の暴力であった。国境を厳密に引き、主権を排他的に定義し、歴史の帰属を「白か黒か」で決定する——この「デジタル」的な秩序は、東アジアの現実に適合しない。
間島問題が示すように、東アジアの多くの地域は、複数の民族・国家の歴史が重層的に積み重なった土地である。これを一方に「確定」させようとする試みは、必然的に他方の怒りと不満を生む。
冊封体制が持っていた「アナログ」的な柔軟性——すなわち、形式と実質を分離し、グレーゾーンを許容する秩序——は、東アジアの領土問題に対する現実的な解決の枠組みを提供する。習近平政権が掲げる「人類運命共同体」は、西洋的な条約のルールを「不自然なもの」として退け、中国を中心とする伝統的秩序への回帰を志向するものであるが、その本質が中華帝国への服従を意味するリスクを孕んでいることにも注意しなければならない。
日本への教訓
間島問題が日本に与える教訓は、条約体制の「建前」と「実力」の関係についての冷徹な認識である。
日本は島国としての地政学的優位性——太平洋を通じた南北アメリカへの自由なアクセス——を有する。これはマラッカ海峡に縛られた「マラッカ・ジレンマ」を抱える中国に対する決定的な強みである。しかし、条約や同盟関係という「紙の保障」に安住すれば、間島を失った朝鮮やブダペスト覚書を破られたウクライナと同じ運命をたどりかねない。
日本が自国の主権と領土を守るために必要なのは、条約という建前を巧みに活用しつつ、「条約を破れば損をする」と相手に思わせる実力(抑止力)を維持し続けることである。条約は盾ではなく、実力という剣を飾る鞘に過ぎない。
参考文献
- デビッド・カン『East Asia Before the West: Five Centuries of Trade and Tribute』(コロンビア大学出版局)
- ハンス・モーゲンソー『国際政治——権力と平和』
- ケネス・ウォルツ『国際政治の理論』
- カール・シュミット『大地のノモス——ヨーロッパ公法という国際法における』
- アレクサンドル・ドゥーギン『第四の政治理論』
- 篠田英朗『国際社会の秩序』(東京大学出版会)
- ブルース・カミングス『朝鮮戦争の起源』
- 朴昌建「間島問題の歴史的経緯と国際法的考察」
- 石井明「中朝国境問題の歴史と現在」