競争排除則
競争排除則
概要
1934年、モスクワ大学の若き生物学者——弱冠24歳のゲオルギー・ガウゼは、ゾウリムシの培養皿を見つめていた。わずか0.5ミリリットルの培養液の中で、二つの種が同じ餌をめぐって静かに争っている。16日後、一方の種は完全に姿を消した。一匹残らず。この小さな培養皿の中で起きた生と死のドラマが、人類の文明の運命をも映し出しているとは、当時まだ誰も気づいていなかった。
競争排除則(Competitive Exclusion Principle)——同一の生態的ニッチを占める二つの種は、長期的に共存することができない。これが生態学の最も冷酷な法則である。ガウゼの法則(Gause's Law)とも呼ばれるこの原理は、自然界に温情がないことを数学的に証明した。わずかな差——ほんのわずかな差であっても——それは時間の経過とともに拡大し、最終的に一方の完全な消滅をもたらす。共存が成立するのは、ニッチの分化——すなわち棲み分け——が生じた場合に限られる。
だが、この原理の射程は培養皿をはるかに超える。ガウゼの実験が明らかにしたのは、生物学の法則であると同時に、人間社会の法則でもあった。同一の経済的・社会的ニッチ——雇用、住居、社会保障——をめぐって先住集団と外来集団が競合する場合、競争排除則の論理は容赦なく作動する。低賃金移民政策は、先住集団のニッチに外来集団を人為的に導入する政策にほかならず、その帰結は生態学が明確に予測している。ゾウリムシに起きたことは、人間にも起きる。
ガウゼの生涯と研究
経歴
ゲオルギー・フランツェヴィチ・ガウゼ(Georgy Frantsevich Gause、1910年12月27日 – 1986年5月2日)——この名前を知る日本人はほとんどいない。だが、彼がゾウリムシの培養皿の中に見出した法則は、国境を開放した国家がたどる運命を、90年前にすでに予言していた。
ガウゼはモスクワに生まれ、モスクワ大学で生物学を学んだ。24歳にして主著『The Struggle for Existence(生存競争)』を英語で出版し、生態学における種間競争の実験的研究の先駆者となった。注目すべきは、その後のガウゼの転身である。1940年代以降、彼は抗生物質の研究に転じ、グラミシジンS(Gramicidin S)を発見した。第二次世界大戦中、この抗生物質はソ連軍の負傷兵の治療に使用され、多くの命を救った。ゾウリムシの生と死を観察した青年は、やがて人間の生と死に関わる仕事へと移っていったのである。
知的背景——ダーウィンからロトカ=ヴォルテラへ
ガウゼの実験は、突然生まれたものではない。その知的系譜は75年前に遡る。チャールズ・ダーウィンが『種の起源』(1859年)で「生存競争」(struggle for existence)を論じて以来、誰もがその概念を知っていた。だが、それを実験室の中で再現し、数学的に証明した者は一人もいなかった。
その鍵を握ったのが、二人の数学者である。アルフレッド・ロトカ——オーストリア=ハンガリー帝国に生まれ、アメリカで活動した数理生物学者——は1925年の著書『Elements of Physical Biology(物理生物学の要素)』で、化学反応速度論の手法を生態学に持ち込んだ。イタリアの数学者ヴィト・ヴォルテラは1926年、娘婿の海洋生物学者がアドリア海の漁獲データに見出した奇妙な周期的変動をきっかけに、独立して同様のモデルを開発した。二人は互いの存在を知らなかった。しかし、二人の微分方程式が描いた未来図は同じであった——二つの種が同じ資源を奪い合えば、一方は必ず消える。ガウゼは、この数学の預言をゾウリムシの命で検証したのである。
『The Struggle for Existence』(1934年)
24歳の青年が書いた163ページの本が、生態学の歴史を変えた。ガウゼの主著『The Struggle for Existence』は、1934年にアメリカのウィリアムズ・アンド・ウィルキンス社から英語で出版された。ソ連の若き研究者が、なぜアメリカの出版社から英語で出版したのか——それ自体が、科学が国境を越える力を持つことの証である。
同書はダーウィンの「生存競争」の概念をロトカ=ヴォルテラの数学モデルと結びつけ、生きた生物で検証した画期的な研究書であった。ガウゼが示したのは、種間競争の帰結——排除か、共存か——が環境条件と競争の強度によって機械的に決定されるということであった。そこに慈悲はない。意図もない。あるのはただ、数学的な必然だけである。この発見は、後に「ガウゼの法則」あるいは「競争排除則」として知られるようになる。90年以上が経った現在も、同書は生態学の古典として引用され続けている。
ゾウリムシの実験
実験の概要
培養液0.5ミリリットル。肉眼ではほとんど見えない微小な世界。その中で繰り広げられる生存競争が、文明の興亡を支配する法則を暴くことになる。
ガウゼはゾウリムシ属(Paramecium)の複数の種を用いて、種間競争の帰結を実験的に検証した。ゾウリムシは単細胞の繊毛虫であり、培養液中のバクテリアを餌として増殖する。増殖速度が速く、制御された条件下で容易に培養できるため、生態学的実験に理想的な生物であった。
ガウゼが設計した実験系は三つ。その一つ一つが、自然界の鉄則を白日のもとにさらすことになる。
実験1——Paramecium aurelia と P. caudatum の競争
ガウゼの最も有名な実験——そして最も残酷な実験——は、Paramecium aurelia(ヒメゾウリムシ)と Paramecium caudatum(ゾウリムシ)の競争実験である。
単独培養
まず、ガウゼは各種を単独で培養した。培養液にはバクテリア(Bacillus subtilis、枯草菌)を餌として供給した。いずれの種もロジスティック曲線に従って増殖し、一定の環境収容力(K)に達した後、安定的な個体数を維持した。
- P. aurelia の環境収容力: 約105個体(培養液0.5mLあたり)
- P. caudatum の環境収容力: 約64個体(同条件)
ここまでは平穏な結果であった。どちらの種も、相手がいなければ何の問題もなく繁栄する。それぞれの培養皿は小さなユートピアであった。
混合培養
だが、二つのユートピアを一つにしたとき、すべてが変わった。
ガウゼは両種を同一の培養液中に共存させた。培養条件——温度、培養液の量、餌の供給頻度——は単独培養と同一である。変わったのはただ一つ、同じ空間に二つの種が共存しているという事実だけであった。
16日後、P. caudatum の個体数はゼロになった。一匹も残らなかった。P. aurelia が P. caudatum を完全に排除したのである。P. aurelia は混合培養においても単独培養と同等の個体数に達した。勝者が失ったものは何もない。敗者はすべてを失った。
ここで注目すべきは、その差がほんのわずかであったことである。P. aurelia は P. caudatum よりも増殖速度がわずかに高く、餌のバクテリアの利用効率がわずかに優れていた。人間の目には区別がつかないほどの微差である。しかし、この「わずかな差」が世代を重ねるごとに累積し、最終的に一方の完全な消滅をもたらした。自然界にはハンディキャップレースなど存在しない。
実験2——ニッチ分化による共存(P. aurelia と P. bursaria)
しかし、話はここで終わらない。ガウゼは「すべての共存は不可能である」とは主張しなかった。彼が次に見せたのは、生き延びる方法であった。
Paramecium aurelia と Paramecium bursaria(ミドリゾウリムシ)を同一の培養液中で共存させた場合、両種は長期的に共存した。あの P. aurelia が、今度は相手を排除できなかったのである。なぜか。
P. bursaria は体内に共生藻類(クロレラ)を持つという、いわば「秘密兵器」を備えていた。光合成産物をエネルギー源として利用でき、同じ餌をめぐる全面的な競争を回避できたのである。さらに P. bursaria は培養液の底部を好み、P. aurelia は上層を主な生息域とした。同じ培養液の中に、二つの異なる世界が生まれていた。これがニッチの分化——棲み分け——である。
この実験が示す教訓は明確である。競争排除を免れる唯一の方法は、相手と同じニッチを争わないこと。棲み分けが成立すれば共存は可能である。棲み分けがなければ、一方は必ず消える。
実験3——餌の種類を変えた実験
ガウゼの第三の実験は、さらに不穏な真実を暴いた。培養液に供給するバクテリアの種類を変更すると、競争の帰結が逆転したのである。先ほどの勝者が今度は敗者になる。これは何を意味するか。絶対的に「優れた」種など存在しないということである。勝敗を決めるのは種の本質的な優劣ではなく、環境に対する適応度の差にすぎない。環境が変われば、勝者と敗者は容易に入れ替わる。
実験の意義
0.5ミリリットルの培養液の中で、ガウゼは自然界の鉄則を三つ同時に証明した。
- 競争排除則の実験的証明: 同一のニッチを占める二種は共存できないという原理を、制御された実験で初めて証明した
- ニッチ分化による共存の実証: ニッチが分化していれば共存が可能であることを同時に示した
- 数学モデルと実験の統合: ロトカ=ヴォルテラの理論的予測を、生きた生物を用いて検証するという実験生態学の方法論を確立した
理論的基盤——ロトカ=ヴォルテラの競争方程式
二人の先駆者
ガウゼが培養皿で見たものを、二人の数学者はすでに方程式の中に見ていた。しかも、互いの存在を知らないまま。
アルフレッド・ジェイムズ・ロトカ(1880–1949)はオーストリア=ハンガリー帝国のレンベルク(現ウクライナのリヴィウ)に生まれ、アメリカで活動した数理生物学者である。彼の着眼点は独創的であった。化学反応速度論——試験管の中で分子がぶつかり合い、変化する速度を記述する数学——を、生物の個体数変動に適用したのである。1925年の著書『Elements of Physical Biology』は、生態学に数学の言語を導入した先駆的著作であった。
一方、ヴィト・ヴォルテラ(1860–1940)はイタリアの数学者・物理学者であり、ローマ大学教授を務めた。彼が生態学に足を踏み入れたきっかけは、極めて個人的なものであった。娘婿の海洋生物学者ウンベルト・ダンコーナが、アドリア海の漁獲データにおける奇妙なパターン——捕食魚と被食魚の個体数が規則的に上下する周期的変動——を発見し、義父に数学的説明を求めたのである。ヴォルテラは1926年にロトカとは独立に同様の数学モデルを開発した。なお、ヴォルテラはファシスト政権への忠誠宣誓を拒否した12人のイタリア人教授の一人でもある。権力への服従を拒否する精神は、自然界の法則を探究する精神と無縁ではないのかもしれない。
競争方程式の概念
では、この方程式は具体的に何を語るのか。
ロトカ=ヴォルテラの競争方程式は、二つの種が共通の資源をめぐって競合する場合の個体数変動を記述する。各種の増減は、自種の個体数による自己抑制(種内競争)と、他種の存在による抑制(種間競争)の二つの力によって決定される。
モデルの核心は、たった一つの数字——競争係数(α)——にある。この数字が、共存と絶滅の分かれ目を決定する。競争係数は、他種の個体が自種の個体と比較してどの程度の競争的影響を及ぼすかを示す指標である。
- α < 1 の場合: 他種の個体は自種の個体よりも競争的影響が小さい(種間競争が種内競争より弱い)
- α = 1 の場合: 他種の個体は自種の個体と同等の競争的影響を持つ
- α > 1 の場合: 他種の個体は自種の個体よりも強い競争的影響を持つ(種間競争が種内競争より強い)
四つの帰結
方程式が予測する未来は、四つしかない。それ以外の帰結は数学的に存在しない。
- 帰結1——種1の勝利: 種1が種2を排除する。種2は絶滅する
- 帰結2——種2の勝利: 種2が種1を排除する。種1は絶滅する
- 帰結3——安定的共存: 両種の種間競争係数がともに1未満である場合、すなわち種間競争が種内競争より弱い場合、両種は安定的に共存する。これはニッチ分化が十分に生じている場合に相当する
- 帰結4——不安定な平衡(初期条件依存): 両種の種間競争係数がともに1を超える場合、どちらの種が勝利するかは初期条件(初期個体数)に依存する。初期に数の多い種が勝利する傾向がある
競争排除則は、帰結1・2・4——すなわちニッチが十分に分化していない場合——において、二種の長期的共存は不可能であることを述べている。安定的共存(帰結3)は、ニッチ分化が成立した場合に限って実現する。
モデルの含意
この方程式が突きつける最も不穏な真実は、「わずかな差」で十分だということである。競争の帰結は初期のわずかな差によって決定され、その差は時間とともに容赦なく増幅される。ガウゼの培養皿の中で、P. aurelia と P. caudatum の増殖速度の差はわずかであった。だが、このわずかな差が世代を重ねるごとに累積し、最終的には一方の完全な消滅をもたらした。自然界は、寸分の差を絶対的な差に変換する巨大な増幅装置なのである。
この数学的帰結は、人間社会にとっても他人事ではない。二つの集団が同一の経済的ニッチを占める場合、一方がわずかでもコスト上の優位——たとえば低賃金での労働受諾——を持てば、その差は時間とともに拡大し、他方の集団を排除する方向に作用する。ゾウリムシの運命は、数式の上では人間の運命と区別がつかない。
ニッチ分化と棲み分け
競争排除を回避する唯一の方法
ガウゼの実験が示したのは絶望だけではない。同時に、生き延びるための唯一の道も示された。
競争排除則は、共存が不可能であることを一方的に主張する原理ではない。正確には、同一のニッチを共有する限り共存は不可能であり、ニッチが十分に分化していれば共存は可能であるという原理である。この「ニッチ分化」(niche differentiation)——日本の生態学では「棲み分け」と呼ばれる——こそが、自然界において多種の共存を可能にしている唯一のメカニズムである。棲み分けなくして、共存なし。では、人間社会における「棲み分け」とは何か。その答えに辿り着く前に、まず自然界の事例を見てみよう。
ハッチンソンと「サンタ・ロザリアの問い」
ガウゼの実験から25年後、一人の生態学者がシチリア島の洞窟でたたずんでいた。
ジョージ・エヴリン・ハッチンソン(1903–1991)——イギリス生まれ、イェール大学で半世紀以上にわたって研究を行い、「現代生態学の父」と称される人物である。サンタ・ロザリアの洞窟の水たまりで二種のミズムシ(Corixa)を観察しているとき、ハッチンソンの脳裏にある問いが浮かんだ。ガウゼが正しいなら——同一のニッチを占める二種は共存できないなら——なぜ自然界にはこれほど多くの種が共存しているのか?
この問いは1959年の有名な論文「Homage to Santa Rosalia, or Why Are There So Many Kinds of Animals?(サンタ・ロザリアへの賛辞、あるいはなぜかくも多くの種類の動物がいるのか)」として結実した。生態学史上最も美しいタイトルの論文と呼ばれることもある。
それ以前の1957年、ハッチンソンは生態的ニッチの概念に革命を起こしていた。彼はニッチを、ある種が生存・繁殖できる環境条件のn次元超体積(n-dimensional hypervolume)として再定義した。温度、湿度、餌のサイズ、光量——ある種の生存に関わるすべての環境変数を軸とする多次元空間において、その種が存続できる範囲がニッチである。ニッチとは「場所」ではなく「条件の総体」なのである。
そしてハッチンソンの答えは、こうであった。自然界は人間が想像する以上に多次元であり、環境の多様性がニッチ分化の機会を豊富に提供している。ガウゼの培養液は一様な環境であった——だからこそ競争排除が起きた。しかし自然界は空間的にも時間的にも変化に満ちており、その複雑さが棲み分けを可能にし、多種の共存を実現している。逆に言えば、環境を単純化すればするほど、競争排除は加速する。
今西錦司の棲み分け理論
興味深いことに、ガウゼが培養皿で「排除」を見つめていた頃、地球の反対側の京都で、一人の日本人研究者は「共存」を見つめていた。
今西錦司(1902–1992)は、京都の加茂川でカゲロウの幼虫の分布を観察していた。流れの速い場所にはある種が、緩やかな場所には別の種が、砂地にはまた別の種が——異なる種が河川の環境に応じて棲む場所を「分け合って」いた。今西はこの現象を「棲み分け」と名づけ、1949年の著作で体系的に論じた。
ここに東西の視点の鮮やかな対比が浮かび上がる。西洋のガウゼが見たのは「競争と排除」であった。日本の今西が見たのは「調和と共存」であった。だが両者は矛盾しない。むしろ同じ現象の表と裏である。棲み分けが成立した状態を見れば「共存」であり、棲み分けが崩壊した状態を見れば「排除」である。今西とガウゼは、同じ法則の異なる側面を照らし出していたのである。
ティルマンの資源競争理論
競争排除則の理論は、1982年に一つの衝撃的な結論に到達した。
アメリカの生態学者デヴィッド・ティルマン(1949年 – )は、著書『Resource Competition and Community Structure(資源競争と群集構造)』において、種間競争の帰結を決定する究極の変数を特定した。それがR*(アール・スター)——各種が生存に必要な最低資源水準——である。
R*の論理は残酷なまでに単純である。最も少ない資源で生きられる種が、最終的に勝つ。これは「強い者が勝つ」のではない。「最も安く生きられる者が勝つ」のである。この論理が人間社会に適用されたとき何を意味するかは、後のセクションで論じる。
ティルマンはさらに、資源が一つしかない場合は競争排除が不可避であるが、複数の制限資源が存在する場合にはニッチ分化が可能となり共存が実現することを数学的に示した。ガウゼとハッチンソンの研究を統合し、競争排除とニッチ分化の条件を明確にした理論である。
マッカーサーの共存理論
ロバート・マッカーサー(1930–1972)は42歳で世を去った。しかし、その短い生涯に残した業績は、群集生態学・島嶼生物地理学・生物地理学の複数の分野を塗り替えた。
マッカーサーが1958年に報告した研究は、競争排除則を自然界で検証した最も美しい事例の一つである。北米のアメリカムシクイ5種は、同一のトウヒの木に生息していた。素人の目には「同じ木に住む同じような鳥」にしか見えない。ガウゼの法則に従えば、4種は排除されるはずである。しかしマッカーサーは、5種のすべてが共存していることを確認した。なぜか。
その答えは、一本の木の中に五つの異なる世界が存在していたことにあった。ある種は樹冠の先端で餌を探し、別の種は中層の枝を好み、また別の種は幹に沿って移動しながら採餌していた。採餌する場所、時間帯、方法が種ごとに微妙に異なっていたのである。同じ木に住みながら、彼らは同じニッチを争っていなかった。これが自然界における棲み分けの実態である。
自然界における競争排除の事例
培養皿の中の出来事は、自然界では大陸規模で進行する。以下の事例は、ガウゼの法則が実験室の外でも容赦なく作動することを示している。
イギリスのアカリスとハイイロリス
350万頭から14万頭へ——これがイギリスのアカリス(Sciurus vulgaris)がたどった道である。
19世紀、誰かがアメリカからハイイロリス(Sciurus carolinensis)をイギリスに持ち込んだ。それがすべての始まりであった。以降、ハイイロリスはイギリス全土に急速に拡散し、在来のアカリスを各地から駆逐した。現在、ハイイロリスは推定270万頭。アカリスはわずか14万頭。数字は残酷なまでに明快である。
ハイイロリスの優位性は複合的であった。体がアカリスより大きく、ドングリの消化効率が高い。だが最も致命的だったのは、ハイイロリスがリスポックスウイルス(Squirrelpox virus)の保菌者であったことである。ハイイロリス自身はこのウイルスに耐性があり発症しないが、アカリスにとっては致命的な感染症をもたらす。つまりハイイロリスは、自分は無傷のまま相手を殺す生物兵器を携えてイギリスにやってきたのである。ガウゼの P. aurelia が P. caudatum に対してわずかな増殖速度の差で勝利したのに対し、ハイイロリスは複数の優位を同時に持っていた。結果はより迅速で、より徹底的であった。
オーストラリアの在来種と外来種
34種——オーストラリア大陸で1788年のヨーロッパ人入植以降に絶滅した哺乳類の数である。これは世界のどの大陸よりも多い。一つの大陸の生態系が、わずか200年余りで壊滅的な打撃を受けたのである。
ヨーロッパ人はオーストラリアに自分たちだけではなく、キツネ、ネコ、ウサギ、ヒキガエルを連れてきた。何百万年もの隔離の中で独自の進化を遂げた有袋類たちは、ヨーロッパの捕食者と戦う術を持っていなかった。アカギツネ(Vulpes vulpes)の導入は特に壊滅的であった。フクロネコ(Dasyurus属)をはじめとする在来の捕食者は、アカギツネとの競争に敗れ、多くの地域で絶滅または絶滅危惧となった。数百万年かけて築かれた生態系が、わずか数世代で崩壊した。棲み分けの壁——オーストラリアを他の大陸から隔てていた海——が、船という技術によって突破された瞬間、競争排除則は容赦なく作動を開始したのである。
ニュージーランドの鳥類
8,500万年。ニュージーランドがゴンドワナ大陸から分離してからの時間である。この途方もない歳月の中で、ニュージーランドは地球上のどこにもない生態系を育んだ。陸生哺乳類がいないという条件が、鳥類に前例のない進化の自由を与えた。モア——体高3メートルを超える巨大な飛べない鳥。キーウィ——暗闇の中を歩き回る夜行性の鳥。哺乳類が占めるべきニッチを、鳥類が占有していたのである。
この楽園は、外来哺乳類の到来で崩壊した。13世紀のマオリの到来と、18世紀以降のヨーロッパ人の入植により、ネズミ、イタチ、ネコ、ポッサムが導入された。8,500万年の隔離の中で進化した鳥たちは、哺乳類の捕食者に対する防御機構を一切持っていなかった。飛べない鳥は走って逃げることしかできず、走る速度はネコやイタチにかなわなかった。少なくとも51種の鳥類が絶滅した。8,500万年の進化が、わずか数世紀で消し去られたのである。
日本のニホンザリガニとアメリカザリガニ
日本人にとって最も身近な競争排除の事例は、足元の水路にある。
1927年、わずか20匹。食用ウシガエルの餌として、アメリカザリガニ(Procambarus clarkii)がアメリカ合衆国から神奈川県に持ち込まれた。たった20匹である。それが今や、日本全国の水系を制覇した。一方、日本固有のニホンザリガニ(Cambaroides japonicus)は北海道と東北地方の清流にかろうじて生き残っているだけであり、現在絶滅危惧種に指定されている。
20匹が一国の在来種を駆逐した——この事実は、ガウゼの実験が示した「わずかな差が決定的な結果をもたらす」という原理の、実物大の証明である。アメリカザリガニは繁殖速度が速く、環境適応力が高く、雑食性で多様な餌を利用でき、高温・低酸素にも耐性がある。さらに保菌するザリガニペスト(Aphanomyces astaci)はニホンザリガニに致命的である。イギリスのリスと同じ構図——自分は無傷のまま、相手を殺す病原体を運ぶ——がここにも繰り返されている。
在来植物と外来植物
競争排除則は、声を上げず、走りもしない植物の世界でも容赦なく作動する。むしろ植物の世界には、動物以上に陰惨な攻撃手段が存在する。
セイタカアワダチソウ(Solidago altissima)は北米原産であり、第二次世界大戦後に日本に侵入した。この植物は、いわば化学兵器を使う。アレロパシー(他感作用)と呼ばれる化学物質を根から分泌し、周囲の在来植物の成長を抑制するのである。日本の秋の風物詩であったススキ群落は、河川敷や空き地から一時的に駆逐された。
ただし、この物語には意外な続きがある。長期的には、セイタカアワダチソウ自身の化学兵器が自らに跳ね返った。自家中毒を起こし、勢力が弱まったところにススキが復活しつつあるのである。攻撃者が自らの毒に倒れ、被害者が帰還する——これは競争排除とニッチ分化が静的な結末ではなく、動的な過程であることを示す、自然界の見事なドラマである。
ヒト社会における競争排除
ここで、培養皿から目を離し、窓の外を見てみよう。
原理の適用
ここまでの事例を読んで、「これは動物や植物の話であって、人間には当てはまらない」と思う読者がいるかもしれない。だが、問いかけてみよう——ヒトは生態学の法則から免除されているのか?
競争排除則が示す原理は明快である。同一の資源をめぐって競合する二つの集団は、長期的に同じニッチで共存することが困難となる。一方が他方を排除するか、一方がニッチを変更して棲み分けが生じるかのいずれかとなる。ゾウリムシに例外はなかった。リスにもザリガニにも例外はなかった。人間だけが例外である理由は、どこにもない。
ヒトの社会において、先住集団と移民集団が同一の経済的ニッチ——労働市場、住宅市場、社会保障——をめぐって競合する場合、競争排除則の論理が作動する。これは比喩ではない。生態学的に同一の構造である。
労働市場における競争排除
労働市場は、ヒト社会における最も明確な「ニッチ」である。そしてここでティルマンのR*理論が、不穏な現実味を帯びてくる。
思い出してほしい。R*とは「生存に必要な最低資源水準」である。R*が最も低い種——最も少ない資源で生きられる種——が、競争に勝つ。これを労働市場に翻訳すると、こうなる。最も低い賃金で労働を受諾する集団が、労働市場の競争に勝つ。
低賃金移民政策は、まさにこの構造を人為的に作り出す。移民労働者のR*——生活に必要な最低賃金——は、出身国の生活水準を基準とするため、先住労働者のR*よりも低い。先住労働者のR*は、当該社会の住宅費、教育費、社会保障、生活水準によって規定されている。この差は個人の能力とは何の関係もない。構造が作り出した差である。
その帰結は、ガウゼの培養皿と同じである。先住労働者の賃金低下、雇用の喪失、そして最終的にはそのニッチからの排除。ハーバード大学の経済学者ジョージ・ボーハスは、低技能移民の流入がアメリカの低技能労働者の賃金を有意に押し下げることを実証的に示した。ボーハスが経済学の言葉で記述したものは、生態学者がゾウリムシの培養皿の中に見たものと構造的に同一である。
住宅市場における競争排除
労働市場だけではない。人間が暮らす場所——住宅市場——もまた、競争排除則が容赦なく作動する場である。
移民の流入は特定の地域の住宅需要を急増させ、家賃・住宅価格を上昇させる。先住住民のうち、上昇した住宅費を負担できない層は、その地域から排除される。生まれ育った町から、静かに、しかし確実に追い出されるのである。
この過程は、北米やヨーロッパの多くの都市ですでに観察されている。ロンドン、パリ、ストックホルム、ニューヨーク——いずれの都市でも、移民の集住地域が拡大するにつれて、従来の住民が郊外や他の地域に移動するという「ホワイト・フライト」(白人の逃避)現象が生じている。これはまさに生態学が記述する在来種の生息域の後退と同じパターンである。イギリスのアカリスがハイイロリスに押されて森の奥へ奥へと後退していったように、先住住民は自らの都市の中心部から周縁部へと移動していく。
社会保障における競争排除
競争排除は目に見えない形でも進行する。社会保障制度——医療、年金、生活保護、公営住宅、教育——は、有限の資源をめぐる競争の場である。予算には上限がある。利用者が増加すれば、一人あたりの受給額は低下するか、待機期間が延長される。パイの大きさが同じまま、分ける人数だけが増えるのである。
移民の流入は社会保障制度の利用者を増加させる。これは、先住住民が長年にわたる納税と社会参加によって構築してきた社会保障というニッチに、新たな競合者が参入することを意味する。先住住民はより少ないサービスを受け取るか、より長い待機を強いられる。ガウゼの培養液の中で、同じバクテリアを二つの種が奪い合ったのと同じ構造が、病院の待合室で、公営住宅の応募窓口で、静かに進行しているのである。
文化的ニッチの競合
だが、競争排除が奪うのは金と仕事だけではない。もっと深い何かが侵食される。
ニッチは経済的資源に限定されない。言語、宗教、習慣、公共空間の利用様式といった文化的要素もまた、ニッチの一部を構成する。チャールズ・エルトンが『動物生態学(Animal Ecology)』(1927年)で定義した生態的ニッチの概念——ある種が生態系において果たす「役割」——をヒトの社会に適用すれば、文化とは集団が社会的生態系において占める「役割」にほかならない。
移民集団が一定の規模に達すると、変化は目に見える形で現れ始める。公共空間における言語、商店の看板、宗教施設、祭礼・行事が変容する。先住集団の文化的ニッチが浸食され、「ここはもう自分の知っている町ではない」という感覚が広がる。ロバート・パットナムがハーバード大学での研究で示した発見は衝撃的であった——民族的多様性の増大は、社会的信頼を低下させ、先住住民の社会的撤退(social withdrawal)をもたらす。人々はテレビの前に引きこもり、隣人との交流を避け、地域活動への参加を減らす。パットナム自身、この結論が政治的に不都合であることを認識し、論文の発表を数年間遅らせたほどであった。しかし、データが示す事実は動かせない。異なる文化を持つ集団が同一の社会的空間に投入されれば、文化的ニッチの重複が生じ、競争排除の圧力が発生する。
歴史的事例
これらは抽象的な理論ではない。人類の歴史は、競争排除の事例で満ちている。
ローマ帝国の衰退
ローマ帝国の末路は、競争排除則を知る者にとっては驚くべきものではない。帝国の後期、ローマ市民の出生率が低下する一方——ここに注目すべきである——帝国の辺境からゲルマン民族が流入し、軍事・農業・行政のニッチを徐々に占有した。4世紀以降、ローマ軍の兵士の大部分がゲルマン系の「フォエデラティ」(同盟民族)で占められるようになった。ローマ市民はかつて自らが占有していた軍事的ニッチから排除され、帝国の防衛を外来集団に依存するようになった。「少子化を移民で補う」——この現代にも聞き覚えのあるフレーズの帰結が476年の西ローマ帝国の滅亡であった。
アメリカ先住民
北米大陸の歴史は、競争排除則の最も悲惨な——そして最も大規模な——実証である。コロンブス到来以前に北米大陸に暮らしていた先住民の人口は、推定によって異なるが数百万から数千万人に達していた。ヨーロッパからの入植者は、先住民と同一のニッチ——土地、水源、狩猟場——をめぐって競合した。入植者は技術的・軍事的優位を持ち、さらにヨーロッパ起源の感染症(天然痘、麻疹)が先住民の人口を壊滅させた。先住民は自らの土地から体系的に排除され、居留地(reservation)に封じ込められた。これは「棲み分け」ではない。敗北した側が、勝者の定めた狭い空間に押し込められただけである。強制的な競争排除の完遂にほかならない。
オーストラリアのアボリジニ
6万5,000年。アボリジニ(オーストラリア先住民)がオーストラリア大陸に居住してきた期間である。ヨーロッパ文明の全歴史よりも長い。だが1788年のイギリスによる植民以降、この世界最古の連続した文明は壊滅的な打撃を受けた。土地の収奪、狩猟場の消滅、感染症の蔓延、そして20世紀半ばまで続いた「盗まれた世代」政策——先住民の子どもを家族から強制的に引き離し、白人家庭で育てる同化政策——によって、アボリジニは人口的にも文化的にも破壊された。6万5,000年の生存が、わずか200年で脅かされたのである。
リアリズムの観点からの分析
国家間競争はニッチ競争である
ガウゼの培養皿から国際政治の舞台へ——スケールは異なるが、法則は同じである。
国際政治学のリアリズムにおいて、国家間関係の基本は権力をめぐる競争である。ハンス・モーゲンソーは『Politics Among Nations(国際政治——権力と平和)』(1948年)で国際政治を「権力闘争」(struggle for power)と定義した。だが、この「権力闘争」とは何か。ダーウィンの「生存競争」に別の名前をつけたものにほかならない。
モーゲンソーが描いた国際社会は、アナーキー(無政府状態)の下で国家が自らの生存と安全を追求する世界である。各国家は限られた資源——領土、市場、エネルギー、技術、同盟関係——をめぐって競合する。これは生態学の用語でいえば、各国家が同一のニッチ(資源空間)をめぐって種間競争を行っている状態にほかならない。
ケネス・ウォルツは『Theory of International Politics(国際政治の理論)』(1979年)において、国際システムの構造が国家の行動を規定すると論じた。ウォルツの構造的リアリズムにおいて、国家は生存のために自助(self-help)を追求する。生態学における種の個体が生存のために資源を獲得しなければならないのと同様に、国家は国際システムにおいて自らのニッチを確保しなければ淘汰される。
低賃金移民政策は先住集団のニッチ侵食である
ここで、ガウゼの実験の見落とされがちな側面に注目しよう。P. aurelia が P. caudatum を排除したのは、誰かが二つの種を同じ培養皿に入れたからである。自然状態では、地理的隔離によって二種は別々の生態系に存在し、競争排除は発生しなかった。競争排除は、障壁が除去されたときに発生する。では、誰が障壁を除去するのか。
リアリズムの観点から見れば、低賃金移民政策がまさにそれである。国境という障壁を政策的に除去し、異なるR*(最低生存資源水準)を持つ集団を同一の労働市場に投入する行為にほかならない。先住労働者のR*は、当該社会の生活水準・社会保障・教育費・住宅費によって規定される比較的高い水準にある。移民労働者のR*は、出身国の生活水準を基準とする比較的低い水準にある。ティルマンの資源競争理論が予測する通り、R*の低い集団が競争に勝利し、R*の高い集団は排除される。
これは労働市場の「効率化」と呼ばれることが多い。だが、生態学者の目にはその正体が見える——先住集団に対する競争排除の人為的促進、すなわち外来種の意図的な導入にほかならない。
ニッチ分化=国境管理の合理性
では、解決策はあるのか。ガウゼの実験は、排除だけでなく共存の条件も示していた。P. aurelia と P. bursaria が共存できたのは、両者が培養液内で異なるニッチを占有していたからである。
国際社会において、このニッチ分化に相当するものが国境である。国境は、異なる社会が異なるニッチ(経済構造、生活水準、文化規範)を維持するための制度的障壁であり、それぞれの社会が自らのニッチ内で安定的に存続することを可能にしている。
国境の管理は、生態学におけるニッチ分化の維持と等価である。国境を開放して異なるR*を持つ集団を混合させることは、ガウゼの実験で二種のゾウリムシを同一の培養液に投入したのと同じ行為にほかならない。その帰結は、競争排除則が明確に予測する——一方の排除である。
スマートシュリンクが提唱する「移民に頼らず人口減少に対応する」政策は、ニッチ分化の維持を通じて先住集団の存続を図る合理的な戦略である。人口が減少しても、先住集団が自らのニッチ内で安定的に存続できるよう社会構造を調整することは、生態学の原理に適った方法である。
帝国主義とニッチの強制的統合
ここまでの分析を踏まえれば、帝国主義の本質を一文で定義できる。帝国主義とは、自然に成立したニッチの境界を強制的に統合し、支配的な集団の利益のために資源を再配分することにほかならない。ヨーロッパの帝国主義は、地理的に隔離されていた生態系——アフリカ、アジア、アメリカ大陸——の境界を打ち破り、ヨーロッパ起源の種(人間を含む)を世界中に拡散させた。その結果が、前節で述べたアメリカ先住民やオーストラリアのアボリジニに対する競争排除であった。
現代のグローバリズムは、この帝国主義的なニッチ統合を「自由貿易」「人の自由移動」「多様性」という名のもとに継続している。各国家・各民族が独自のニッチの中で自律的に存続する権利——すなわち民族自決権——は、グローバリズムのイデオロギーによって「排外主義」として否定される。しかし、競争排除則が教える通り、ニッチの強制的統合がもたらすのは「多様性」ではなく、一方による他方の排除にほかならない。
真の多様性は、ニッチの分化——すなわち、各民族が自らの国境内で自らの社会を維持する棲み分け——によってのみ達成される。国境を廃止して全人類を一つのニッチに投入することは、ガウゼの実験が示す通り、多様性の破壊にほかならない。1934年にモスクワの若き生物学者が培養皿の中に見た真理は、90年の時を経てなお、人類の運命を照らし続けている。
参考文献
- ゲオルギー・ガウゼ『The Struggle for Existence(生存競争)』(1934年、Williams & Wilkins)
- アルフレッド・ロトカ『Elements of Physical Biology(物理生物学の要素)』(1925年、Williams & Wilkins)
- ヴィト・ヴォルテラ「Variazioni e fluttuazioni del numero d'individui in specie animali conviventi」(1926年、Memorie della Reale Accademia Nazionale dei Lincei, 2: 31–113)
- ジョージ・エヴリン・ハッチンソン「Concluding Remarks」(1957年、Cold Spring Harbor Symposia on Quantitative Biology, 22: 415–427)
- ジョージ・エヴリン・ハッチンソン「Homage to Santa Rosalia, or Why Are There So Many Kinds of Animals?」(1959年、The American Naturalist, 93(870): 145–159)
- デヴィッド・ティルマン『Resource Competition and Community Structure(資源競争と群集構造)』(1982年、Princeton University Press)
- ロバート・マッカーサー「Population Ecology of Some Warblers of Northeastern Coniferous Forests」(1958年、Ecology, 39(4): 599–619)
- ロバート・マッカーサー・E.O. ウィルソン『The Theory of Island Biogeography(島嶼生物地理学の理論)』(1967年、Princeton University Press)
- チャールズ・エルトン『Animal Ecology(動物生態学)』(1927年、Sidgwick & Jackson)
- チャールズ・エルトン『The Ecology of Invasions by Animals and Plants(侵略の生態学)』(1958年、Methuen)
- チャールズ・ダーウィン『On the Origin of Species(種の起源)』(1859年、John Murray)
- ハンス・モーゲンソー『Politics Among Nations: The Struggle for Power and Peace(国際政治——権力と平和)』(1948年、Alfred A. Knopf)
- ケネス・ウォルツ『Theory of International Politics(国際政治の理論)』(1979年、Addison-Wesley)
- 今西錦司『生物の世界』(1941年、弘文堂)
- ジョージ・ボーハス「The Labor Demand Curve Is Downward Sloping: Reexamining the Impact of Immigration on the Labor Market」(2003年、Quarterly Journal of Economics, 118(4): 1335–1374)
- ロバート・パットナム「E Pluribus Unum: Diversity and Community in the Twenty-first Century」(2007年、Scandinavian Political Studies, 30(2): 137–174)