歴史叙述の覇権構造

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歴史叙述の覇権構造

概要

歴史叙述の覇権構造とは、アングロサクソン-ユダヤ文明圏が、通信社・新聞・放送・映画・学術界という情報インフラを独占することによって、何が「歴史的事実」であり、何が「正義」であり、何が「悪」であるかを定義する権力を握ってきた構造を指す。

歴史とは、過去に起きた出来事の客観的記録ではない。歴史とは、覇権国が自らの支配を正当化するために語る物語である。誰が歴史を語るかが、何が「事実」とされるかを決定する。そして近代以降、歴史を語る権力を一貫して握ってきたのは、大英帝国とその後継者であるアメリカ合衆国——すなわちアングロサクソン-ユダヤ文明圏である。

E・H・カーは『歴史とは何か』(1961年)において、「歴史とは、歴史家と事実の間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去の間の尽きることのない対話である」と論じた。この定義を権力論的に読み替えれば、歴史とは、現在の覇権国が過去を自らの利益に従って再構成する行為にほかならない。歴史を語る者が世界を支配し、歴史を語られる者が支配される——これが歴史叙述の覇権構造の本質である。

言葉が歴史を作る——覇権と歴史叙述の構造

「勝者の歴史」の構造

「歴史は勝者が書く」という格言は、単なる比喩ではなく、国際政治の構造的現実である。

ハンス・モーゲンソーは『国際政治——権力と平和』において、権力の形態を三つに分類した。軍事力(physical power)、経済力(economic power)、そして精神に対する権力(power over minds)である。モーゲンソーは、精神に対する権力こそが最も持続的で効率的な支配の形態であると指摘した。歴史叙述の支配は、この「精神に対する権力」の核心を構成する。

具体的なメカニズムは以下の通りである。

  • 概念の定義権: 「侵略」「自由」「民主主義」「人権」「テロリズム」「ジェノサイド」——これらの概念をどう定義し、どの事例に適用し、どの事例に適用しないかを決定する権力。アメリカの広島・長崎への原爆投下は「戦争の早期終結のための正当な行為」とされ、「大量殺戮」や「戦争犯罪」とは定義されない。一方、ドレスデン爆撃は「戦争の悲劇」として語られるが、東京大空襲は世界の歴史叙述においてほとんど言及すらされない
  • 歴史の時間軸の設定権: どの時点から歴史を語り始めるかを決定する権力。パレスチナ問題は「テロとの戦い」として語られ、1948年以前のナクバ(パレスチナ人の追放)から語られることは稀である。日米関係は「真珠湾攻撃」から語られ、それ以前のアメリカによる対日経済封鎖やハル・ノートから語られることはない
  • 「語られない歴史」の創出: 何を語るかだけでなく、何を語らないかを決定する権力。アメリカによる憲法侵略、CIAによる他国政府の転覆、通信社による情報独占——これらは「歴史」としてほとんど語られない。語られない歴史は、存在しなかった歴史と同義になる

言葉の支配——概念を定義する権力

歴史叙述の覇権は、概念の定義権として最も鮮明に現れる。

「テロリズム」という概念を例にとれば、その定義は覇権国の利益に完全に従属している。アメリカの同盟国に対する暴力は「テロ」と定義され、アメリカ自身が行う暴力は「対テロ作戦」「平和維持活動」「民主化支援」と定義される。イラク戦争で殺害された数十万のイラク市民は「巻き添え被害」(collateral damage)と呼ばれ、「大量殺戮」とは呼ばれない。

カール・シュミットは、「人類の名において戦う者は、敵から人間性を剥奪しようとしている」と警告した。「自由と民主主義のために」という言葉で包装された軍事行動は、敵対者を「人類の敵」として定義することで、あらゆる暴力を正当化する。概念を定義する権力を握る者は、正義と悪の境界線そのものを自由に引くことができる。

学術界の支配——知の覇権

英語圏アカデミアの構造的覇権

歴史叙述の覇権を支える最も重要な基盤の一つが、英語圏の学術界(アカデミア)による知の生産の独占である。

世界の学術的「知」は、圧倒的に英語で生産され、英語で流通し、英語で評価される。インパクトファクターの高い学術誌はほぼすべて英語圏の出版社が支配しており、Nature(イギリス)、Science(アメリカ)、各分野の主要ジャーナルはアメリカとイギリスの大学・出版社によって運営されている。

この構造がもたらす帰結は以下の通りである。

  • 研究テーマの規定: 英語圏の学術界が「重要」と認定するテーマのみが国際的に研究される。アメリカの帝国主義に対する構造的批判は「学術的」とはみなされにくい
  • 方法論の独占: 「科学的」と認められる研究方法は、英語圏の学術界が定義する。リアリズム的分析は、リベラル国際秩序を前提とする主流学界では周縁化される傾向にある
  • 評価基準の支配: 学者の「業績」は英語圏ジャーナルへの掲載数で測定される。非英語圏の学者は、自国語で書けば「国際的に認められない」とされ、英語で書けば英語圏の規範に従わざるを得ない

学術的権威の生産装置

アントニオ・グラムシが論じた「文化的ヘゲモニー」の概念は、この構造を理解する鍵を提供する。グラムシは、支配階級は軍事力や経済力だけでなく、知的・文化的な指導権(ヘゲモニー)を通じて被支配者の「同意」を調達すると論じた。

英語圏の大学——ハーバード大学オックスフォード大学スタンフォード大学ケンブリッジ大学——は、世界の知的エリートを吸引し、アングロサクソン-ユダヤ文明圏の価値観と世界認識を「学問」として内面化させ、彼らを自国に送り返す。USAIDの記事で論じた通り、アメリカ政府の資金で運営される研究プログラムが「学術的権威」を纏って各国の政策に影響を与える構造は、帝国主義の知的インフラにほかならない。

日本においても、アメリカで学位を取得した「知日派」(Japan handlers)が日本研究の権威として君臨し、彼らの分析枠組みが日本のメディアと政策に影響を与え続けている。日本の学者もまた、英語圏のジャーナルに掲載されることを「業績」として追求し、その過程でアングロサクソン的な学術規範を無意識に内面化していく。

言葉による支配——英語という帝国の言語

歴史叙述の覇権は、英語という言語そのものの覇権によって支えられている。

英語は、国際外交、国際法、学術研究、ビジネス、インターネット、航空管制、科学技術のすべてにおいて支配的地位を占める。この言語覇権は、大英帝国の植民地支配とアメリカの戦後覇権という二段階の帝国主義によって構築されたものであり、「英語が便利だから」自然に広まったのではない。

言語の覇権は以下の権力効果を生む。

  • 思考枠組みの規定: 英語で思考する者は、英語に埋め込まれた概念体系——個人主義、権利、自由、市場——を通じて世界を認識する。「rule of law」という英語の概念を日本語の「法の支配」に翻訳した瞬間、その概念の帝国主義的起源は隠蔽され、あたかも普遍的な原則であるかのように受容される
  • 翻訳の非対称性: 英語で書かれたものは世界中に翻訳されるが、非英語圏で書かれたものが英語に翻訳されることは稀である。日本語で書かれた緻密な分析が国際的に「存在しない」とみなされる一方、英語で書かれた粗雑な日本論が「権威ある分析」として流通する
  • 沈黙の強制: 英語を話せない者は、国際的な言論空間から排除される。世界人口の大多数は英語を母語としないにもかかわらず、国際的な「議論」は英語でのみ行われる。これは、非英語圏の人々に構造的な沈黙を強いる言語的帝国主義である

ロバート・フィリプソンは『言語帝国主義』(Linguistic Imperialism、1992年)において、英語の世界的普及が大英帝国とアメリカの意図的な言語政策の産物であることを論証した。ブリティッシュ・カウンシルフルブライト・プログラムは、英語教育を通じた文化的覇権の浸透装置にほかならない。

「普遍性」の欺瞞

歴史叙述の覇権を正当化する最も強力なイデオロギーが、「普遍性」(universality)の主張である。

アングロサクソン-ユダヤ文明圏は、自らの価値観——個人主義、自由主義、法の支配、人権、民主主義——を「普遍的」であると宣言する。「普遍的」であるがゆえに、それは全世界に適用されるべきであり、それに従わない者は「未開」「権威主義」「人権侵害」として批判される。

しかし、法の支配の記事で詳述した通り、これらの「普遍的価値」は西洋近代の特殊な歴史的産物にすぎない。法の支配はイギリスの権力闘争の産物であり、人権概念はフランス革命の文脈で生まれ、民主主義の現代的形態はアメリカ独立革命に由来する。これらの特殊な歴史的経験を「普遍的」と称することは、自文明の特殊性を人類全体の規範として押し付ける文化帝国主義にほかならない。

サミュエル・ハンティントンは『文明の衝突』において、「西洋にとって普遍的であるものは、非西洋にとっては帝国主義的である」と指摘した。ハンティントン自身はアメリカの保守派であったが、「普遍的価値」が実際には西洋文明の特殊な価値観であることを正確に認識していた。

第四の理論の提唱者アレクサンドル・ドゥーギンは、リベラリズムの「普遍性」の主張を「最後の全体主義」と呼んだ。共産主義もファシズムも自らを「普遍的」と主張したが、リベラリズムだけがその「普遍性」の主張に成功し、代替案の存在そのものを否定している。「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)という主張は、リベラルな国際秩序以外に人類の未来はないと宣言するものであり、これ以上の全体主義的主張は存在しない。

二重基準——「普遍性」が普遍的でない証拠

「普遍的価値」が普遍的でないことの最も決定的な証拠は、その適用における二重基準(ダブルスタンダード)である。リベラル帝国とアメリカの二重基準で詳述した通り、アメリカは「普遍的価値」を自国の戦略的利益に従って選択的に適用する。

歴史叙述においても、この二重基準は顕著である。

事象 アングロサクソン-ユダヤの歴史叙述 適用されない事例
大量殺戮 ホロコーストは「人類史上最大の犯罪」として永遠に記憶される 広島・長崎への原爆投下(推定21万人以上の死者)は「戦争終結のための合理的判断」とされる
民族浄化 ボスニア紛争のセルビア人による民族浄化は厳しく断罪 ナクバ(1948年)におけるパレスチナ人70万人以上の追放は「独立戦争」として正当化
占領 ロシアのクリミア併合は「国際法違反」として制裁 イスラエルのヨルダン川西岸占領(1967年以降)は半世紀以上にわたり事実上黙認
核兵器 イランの核開発は「国際社会への脅威」 イスラエルの核保有はNPT体制の外で黙認
戦争犯罪 日本の戦争犯罪は東京裁判で裁かれた アメリカの戦争犯罪(ベトナム、イラク、アフガニスタン)が国際法廷で裁かれたことはない

この二重基準は偶発的なものではなく、歴史叙述の覇権構造から必然的に生じる。歴史を語る者は、自らの暴力を「正義」として語り、敵の暴力を「犯罪」として語る権力を持つ。その結果、同じ行為が一方では「大量殺戮」と呼ばれ、他方では「戦略的判断」と呼ばれる。

イスラエルに与えられた免除——リベラル秩序の真の受益者

二重基準の最も体系的な表出が、イスラエルに与えられた包括的な免除である。リベラルな国際秩序が掲げる「普遍的価値」——民主主義、人権、国際法の遵守、民族差別の禁止——のすべてにおいて、イスラエルは例外として扱われる。この免除の構造を分析することで、「普遍的価値」が実際には誰の利益に奉仕しているかが明らかになる。

他の国々はリベラリズムと贖罪意識によって徹底的に破壊される。日本はアジア侵略の罪悪感で、ドイツはホロコーストの罪悪感で、アメリカですら奴隷制と先住民虐殺の罪悪感で——それぞれの民族的結束を内側から解体させられている。唯一、この破壊の構造から免除されているのがイスラエルである。リベラリズムは他国を破壊するための道具であり、イスラエルはその道具の使い手の側に立っている。

エスノナショナリズムの特権

2018年、イスラエルは「ユダヤ民族国家法」(Nation-State Law)を基本法として制定した。イスラエル基本法の記事で詳述した通り、この法律は以下を明文で規定する。

  • 民族自決権の独占: 「イスラエル国における民族自決権の行使は、ユダヤ人に固有のものである」(第1条c項)。アラブ系市民を含む非ユダヤ人には民族自決権が認められない
  • ユダヤ人入植の国家的価値: 「国家はユダヤ人入植の発展を国家的価値とみなし、その確立と強化を奨励・促進する」(第7条)
  • ヘブライ語の唯一の公用語化: アラビア語は公用語の地位を剥奪され、「特別な地位」に格下げされた(第4条)

これは、リベラルな国際秩序が他のすべての国家に対して禁じている明示的なエスノナショナリズムにほかならない。ドイツが「ドイツ民族国家法」を制定すれば即座にナチズムの復活として国際社会から制裁を受けるだろう。日本が「日本民族国家法」を制定すれば「軍国主義の復活」として非難される。しかしイスラエルの場合、国際社会の反応は驚くほど限定的であった。

リベラルな国際秩序は、エスノナショナリズムを「悪」と定義する。多文化主義、多民族共生、「多様性」こそが「進歩的」とされ、民族的同質性を維持しようとする政策は「排外主義」「レイシズム」として断罪される。しかし、この規範はイスラエルには適用されない。イスラエルは堂々と民族国家を宣言し、ユダヤ教のリアリズムの伝統に基づくエスノナショナリズムを国是とすることが許されている。

贖罪意識の武器化——ホロコーストの政治利用

イスラエルへの免除を維持する最も強力なメカニズムが、ホロコーストの記憶の政治利用——すなわち贖罪意識の武器化である。

ノーマン・フィンケルスタインは『ホロコースト産業——同情の涙を搾り取る人々と「記憶」の政治的利用』(The Holocaust Industry、2000年)において、ホロコーストの記憶が政治的・経済的利益を追求するために体系的に利用されている構造を明らかにした。フィンケルスタイン自身がユダヤ人であり、その両親がホロコーストの生存者であることは、この告発の重みを一層増している。

贖罪意識の武器化は以下のように機能する。

  • 批判の封殺: イスラエルに対するいかなる批判も「反ユダヤ主義」として退けられる。パレスチナ人の権利を擁護することすら「反ユダヤ的」とラベリングされる。これは、イスラエル国家とユダヤ民族を意図的に同一視することで、国家批判を人種差別と等置する論理的操作である
  • 永続的な道徳的負債: ヨーロッパ諸国、特にドイツは、ホロコーストに対する永続的な「道徳的負債」を負わされ、イスラエルの政策を批判する道徳的資格を剥奪される。ドイツはイスラエルに対する最大の支援国の一つであり続けることを事実上強制されている
  • アメリカにおけるホロコースト記憶の制度化: ワシントンD.C.のナショナル・モールに合衆国ホロコースト記念博物館が設置されている。アメリカはホロコーストの当事国ではないにもかかわらず、首都の最も象徴的な空間にこの博物館が存在することは、ホロコーストの記憶がアメリカの政治において果たす機能を端的に示している

贖罪意識の輸出——日本とドイツとアメリカの永久的従属

ホロコーストの政治利用と同一の構造が、日本・ドイツ・アメリカに対して異なる形で適用されている。

日本の場合——反日メディアとアメリカの影響で詳述した通り、GHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)は、日本国民に「戦争の罪悪感」を組織的に植え付けた。江藤淳が『閉された言語空間』で明らかにしたこのプログラムは、検閲の存在を隠蔽しながら日本人の歴史認識を書き換えるものであった。慰安婦問題や南京事件に関する誇張されたプロパガンダは、この贖罪意識を定期的に再活性化させ、日本の民族主義的政策——すなわち米軍撤退新日本憲法の制定——を封じ込める機能を果たしている。日本人が「加害者意識」に囚われている限り、アメリカ軍を追い出せという主張は「右翼的」「危険」として封殺される。

ドイツの場合——ホロコーストの記憶は、ドイツのあらゆる民族主義的傾向を封殺する装置として機能している。ドイツ国民が自国の民族的利益を主張することは、常に「ナチズムの再来」という恐怖と結びつけられる。この贖罪意識によって、ドイツはNATOの枠組み内でアメリカの軍事戦略に従属し、EUの枠組み内で大量移民を受け入れ、自国の民族自決権を事実上放棄している。ドイツの民族主義憲法的な主張は、ヨーロッパにおいてすら許されない。

アメリカの場合——アメリカ自身もまた贖罪意識から免除されていない。奴隷制と先住民虐殺の歴史は、アメリカ国内において「多様性」イデオロギーの根拠として動員されている。「白人の罪」(white guilt)という概念は、アメリカのWASP(白人アングロサクソン・プロテスタント)の民族的結束を内側から解体する機能を持つ。アメリカは「人種のるつぼ」として自らを定義し直すことを強いられ、伝統的なアメリカのアイデンティティを主張することは「白人至上主義」として社会的に抹殺される。すなわち、世界最強の帝国すらも贖罪意識という道具によって操作されている

構造を整理すれば以下の通りである。

対象国 贖罪意識の内容 政治的機能 免除される国
日本 「アジア侵略」「慰安婦」「南京」 日本の再軍備・自主憲法制定・米軍撤退の封じ込め イスラエル(同時期のパレスチナにおけるユダヤ人武装組織の活動は問われない)
ドイツ ホロコースト ドイツの民族主義の封殺、NATO従属、大量移民の受容強制 イスラエル(パレスチナ人に対する政策は同じ基準で裁かれない)
アメリカ 奴隷制、先住民虐殺 アメリカ国内の民族的結束の破壊、「多様性」イデオロギーの強制 イスラエル(エスノナショナリズムを堂々と維持)

注目すべきは、贖罪意識を課される国は常にリベラルな国際秩序に従属させられる側であり、免除される国は常にエスノナショナリズムを維持できる側であるという構造的一貫性である。贖罪意識は「反省」や「道徳」の問題ではない。それは、特定の国家の主権と民族的結束を解体するために設計された政治的武器である。

漁夫の利——日米相互批判とイスラエルの不可視化

この贖罪意識の構造には、さらに深い層が存在する。それは、日本とアメリカが互いの戦争犯罪を批判し合うことで、真の受益者が不可視化されるという「漁夫の利」の構造である。

日米間の歴史叙述は、相互の戦争犯罪をめぐる告発と弁護の循環として構成されている。

  • アメリカが日本を批判する構造: 真珠湾攻撃の「卑怯な奇襲」、バターン死の行進、捕虜虐待、慰安婦、南京——これらの歴史叙述は、日本に永続的な罪悪感を植え付け、アメリカの日本駐留と偽日本国憲法の押し付けを正当化する機能を果たす。「あの残虐な日本を民主化し、平和にしてやったのはアメリカだ」——この物語が、80年間の蹂躙を「恩恵」として受容させる装置である
  • 日本がアメリカを批判しうる構造: 広島長崎への原爆投下(推定21万人以上の死者)、東京大空襲(推定10万人の死者)、日本全土の無差別爆撃、GHQによる憲法侵略、WGIPによる思想改造——これらはいずれも、戦争犯罪または民族自決権の重大な侵害として告発されうる。しかし、この告発は歴史叙述の覇権構造によって封殺されている

この相互批判の構造において決定的なのは、日本もアメリカも、互いの戦争犯罪を批判することに忙殺され、第三者の存在に目を向けないという点である。

日本の保守派は「アメリカの原爆投下は戦争犯罪だ」と主張する。アメリカのリベラル派は「日本の侵略戦争と戦争犯罪を忘れるな」と主張する。日本の左派は「日本の加害責任を直視せよ」と主張する。これらの主張はすべて一定の正当性を持つが、その議論の枠組み自体が、真の受益者を不可視化する機能を果たしている。

日本がアジアで侵略戦争を遂行し、アメリカが日本に原爆を投下していた同じ時期に、パレスチナでは何が起きていたか。イルグンレヒ(シュテルン・ギャング)といったユダヤ人武装組織は、イギリス委任統治領パレスチナにおいてアラブ人とイギリス人に対するテロ活動を行っていた。1946年のキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件、1948年のデイル・ヤシーン虐殺事件——これらの行為は、日本やドイツの戦争犯罪と同じ時代に同じ構造で行われた暴力であるが、歴史叙述においてはほとんど言及されない。

構造を図式化すれば以下のようになる。

当事者 歴史叙述における役割 結果
日本 「加害者」として批判され続ける(アジア侵略、慰安婦、南京) 贖罪意識による永久的従属。米軍撤退・自主憲法を主張できない
アメリカ 「解放者」として称賛される一方、原爆投下等の戦争犯罪を隠蔽 「正義の戦争」の神話に依存し続け、自国のロビー構造に目を向けない
イスラエル 歴史叙述の枠組みからほぼ完全に不在 日米両国が相互批判に消耗する間、エスノナショナリズムを着々と強化

日本とアメリカが「どちらが悪いか」を論じ続ける限り、この論争そのものから利益を得る第三者の存在は問われない。蚌鷸(ぼうよつ)の争い——鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)が争う間に漁夫が両方を捕らえる。日米の歴史認識論争は、まさにこの「漁夫の利」の構造を体現している。

この構造を打破するためには、日米両国の知識人が、相互批判の枠組みそのものを問い直さなければならない。「日本が悪い」「アメリカが悪い」という二項対立を超えて、この二項対立から誰が利益を得ているかを問うこと——これが歴史叙述の覇権構造を打破する第一歩である。

アメリカの駒化——帝国を操る構造

歴史叙述の覇権構造において最も見落とされがちな事実は、アメリカ自身もまたこの構造の駒として機能しているという点である。

ジョン・ミアシャイマースティーブン・ウォルトは『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』(The Israel Lobby and U.S. Foreign Policy、2007年)において、イスラエル・ロビー——特にAIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)——がアメリカの外交政策に対して行使する影響力の構造を詳細に分析した。ミアシャイマーはリアリズムの権威であり、ウォルトはハーバード大学ケネディ行政大学院の教授であるが、この著書の出版に際しては激しい「反ユダヤ主義」の告発を受けた。リアリズムの観点から国家利益を分析しただけで「反ユダヤ主義者」と断罪される——この反応そのものが、贖罪意識の武器化のメカニズムを証明している。

アメリカのロビー活動で論じた通り、イスラエル・ロビーの影響力は以下の領域に及ぶ。

  • 軍事的奉仕: アメリカはイスラエルに対して年間38億ドル(10年間で380億ドル)の軍事援助を提供している。アメリカの若者がイラク、シリア、アフガニスタンで戦った戦争の多くは、イスラエルの戦略的利益と密接に関連している。1996年にリチャード・パールらがイスラエルのネタニヤフ首相のために作成した報告書「クリーン・ブレイク」は、イラクのフセイン政権の打倒をイスラエルの安全保障戦略として提言していた。その7年後、アメリカの若者たちがイラクで命を落とすことになる
  • 外交的保護: アメリカは国連安全保障理事会においてイスラエル批判決議に対する拒否権を繰り返し行使してきた。1972年以降、アメリカがイスラエルを保護するために行使した拒否権は40回を超える。世界中の国々がイスラエルの行動を非難しても、アメリカ一国の拒否権によってすべてが無効化される
  • 国内政治の支配: アメリカ議会の議員は、AIPACの支持なくして再選が極めて困難であるとされる。イスラエルへの支持は、共和党・民主党を問わず、アメリカ政治における超党派的なコンセンサスとなっている。この構造は、アメリカの「民主主義」が誰の利益のために機能しているかを示す端的な証拠である
  • 言論空間の統制: イスラエルを批判する学者、ジャーナリスト、政治家は、「反ユダヤ主義者」としてキャリアを破壊される。大学においてもBDS(ボイコット・投資引揚・制裁)運動への参加は処分の対象となりうる。ミアシャイマーとウォルトの事例が示す通り、アメリカの言論の自由はイスラエル批判に関しては事実上停止している

すなわち、アメリカは「世界最強の帝国」でありながら、その外交・軍事政策の重要な部分がイスラエルの利益に奉仕するよう構造化されている。アメリカ国民は「自由と民主主義のために」戦っていると信じているが、実際にはアメリカの軍事力は、リベラルな国際秩序の恩恵を最も享受する国家——イスラエル——の安全保障を担保するために展開されている側面がある。アメリカ帝国主義の被害者である日本にとって、この構造の認識は決定的に重要である。日本を支配しているのはアメリカだが、そのアメリカ自身もまた、より深層の構造によって駒として使われている

リベラリズムの選択的破壊——エスノナショナリズムの二重基準

以上の分析から浮かび上がる構造は、次のように整理できる。

リベラリズム——多文化主義、「多様性」、個人主義、普遍的人権——は、特定の国家のエスノナショナリズムを破壊するために選択的に適用される道具である。

  • 日本に対して: 低賃金移民政策人口侵略、「多文化共生」の強制、日本の男女共同参画を通じた伝統的家族の解体——これらはすべてリベラルな価値の名の下に推進されている。日本が「日本人による日本のための国家」であり続けることは、リベラルな国際秩序においては「排外主義」として批判される
  • ドイツに対して: 2015年以降の大量難民受入れ、多文化主義の強制、民族的アイデンティティの表明に対する社会的制裁——ドイツ人がドイツの民族的性格を維持しようとすれば「ナチス」と呼ばれる
  • アメリカに対して: 奴隷制の贖罪意識を利用した「多様性」イデオロギーの浸透、伝統的なアメリカのアイデンティティの解体——WASPの文化的覇権は「白人至上主義」として攻撃される
  • イスラエルに対して: 何も適用されない。ユダヤ民族国家法は「民主主義との両立」として容認され、パレスチナ人の排除は「安全保障上の必要性」として正当化され、入植地の拡大は事実上黙認される

この構造は偶然の産物ではない。リベラリズムという「普遍的価値」は、特定の国家の利益に奉仕する選択的な道具として機能している。「普遍性」を主張することで他国のエスノナショナリズムを解体し、同時に一つの国家のエスノナショナリズムだけは「普遍性」の例外として維持される——これが歴史叙述の覇権構造の最も深層にある論理である。

超憲法的宗教——「人権」と「民主主義」の聖化

歴史叙述の覇権は、「人権」と「民主主義」を事実上の超憲法的宗教へと昇華させることで、批判不可能な絶対的権威を獲得している。

憲法闘争およびユダヤ教のリアリズムの記事で論じた通り、ユダヤ教のハラーハーやイスラムのシャリーアは、いかなる世俗法よりも上位に位置する「超憲法的規範」として機能する。これと同じ構造が、現代の「人権」と「民主主義」にも見られる。

  • 不可侵性: 「人権」や「民主主義」に対する根本的な疑問は、学術界においても公共言論においても事実上許されない。法の支配や「人権」の帝国主義的機能を分析すること自体が、「人権否定」「権威主義擁護」として排除される
  • 普遍性の主張: 「人権は人類普遍の価値である」という主張は、宗教における「神の法は全人類に適用される」という主張と構造的に同一である
  • 異端審問: 「人権」や「民主主義」に疑問を呈する者は、「権威主義者」「独裁者の手先」「ファシスト」として知的に破門される。これは、中世の異端審問と機能的に同等である
  • 布教活動: USAID全米民主主義基金(NED)、各種NGOは、「人権」と「民主主義」を世界に布教する宣教師集団として機能する

カール・シュミットは、リベラリズムが政治を道徳的カテゴリーに置き換えることで、真の政治的対立を隠蔽すると批判した。「人権」と「民主主義」を超憲法的宗教として聖化することで、覇権国は自らの権力行使を「道徳的義務」として正当化し、それに対する抵抗を「悪」として封殺する。これこそが、歴史叙述の覇権が到達した最も完成された形態である。

歴史を語る者たちの歴史

アングロサクソン-ユダヤ文明圏が歴史叙述の覇権を確立した過程には、明確な歴史的段階が存在する。

第一段階: 大英帝国と通信社の誕生(19世紀)

近代的な歴史叙述の覇権は、大英帝国の世界覇権と電信技術の発展とともに誕生した。

19世紀半ば、三つの通信社が世界の情報流通を支配した。フランスのアヴァス(1835年設立)、ドイツのヴォルフ(1849年設立)、イギリスのロイター(1851年設立)である。この三社は1870年に世界を分割する協定を結び、それぞれの「情報圏」を設定した。ロイターは大英帝国の版図——インド、東アジア、オーストラリア——を担当し、帝国の情報インフラとして機能した。

ロイターの創設者ポール・ジュリアス・ロイター(本名イスラエル・ベーア・ヨサファット)はドイツ出身のユダヤ人であり、ロンドンに移住してイギリスに帰化した。ロイターは大英帝国の海底電信ケーブル網と結びつき、帝国の通信インフラを利用して世界中に「ニュース」を配信した。すなわち、近代的な国際ニュースの流通は、その誕生の瞬間から大英帝国の物理的インフラと不可分であった。

アメリカではAP通信(1846年設立)が国内の情報流通を支配し、やがて国際的な影響力を拡大していった。

第二段階: 二度の世界大戦とプロパガンダの制度化(20世紀前半)

第一次世界大戦は、国家によるプロパガンダの制度化を決定的に進めた。イギリスはウェリントン・ハウス(戦争宣伝局、1914年設立)を通じて、ドイツ軍の「残虐行為」を誇張・捏造するプロパガンダを大規模に展開した。「ベルギーの赤ん坊を串刺しにするドイツ兵」という虚偽の物語は、アメリカの参戦世論を形成する上で決定的な役割を果たした。

第二次世界大戦においては、BBCとアメリカの戦時情報局(OWI: Office of War Information)が連合国側のプロパガンダを統括した。戦後、OWIの人員と技術はCIAに継承され、冷戦期の情報戦の基盤となった。

第三段階: アメリカの覇権と情報の一極支配(冷戦期)

冷戦期、アメリカは「自由世界のリーダー」として、情報空間の一極支配を確立した。

  • 通信社の再編: ドイツのヴォルフは第一次世界大戦後に消滅し、フランスのアヴァスは第二次世界大戦中に解体されてAFPとして再編された。結果として、英語圏の通信社——ロイター、AP、UPI——が世界の国際ニュース供給を事実上独占した
  • CIAによるメディア工作: モッキンバード作戦に代表されるCIAのメディア工作により、アメリカの主要メディアはCIAの影響下に置かれた。ジャーナリストのカール・バーンスタインは1977年の調査報道で、400人以上のアメリカ人ジャーナリストがCIAと協力関係にあったことを明らかにした
  • ラジオ・フリー・ヨーロッパ: CIAが資金提供した放送局が、東欧・ソ連圏に向けてアメリカの視点に基づく「ニュース」を発信し続けた

第四段階: デジタル覇権とプラットフォーム支配(21世紀)

インターネットの普及は、一見すると情報の民主化をもたらしたように見える。しかし実態は、アングロサクソン-ユダヤ文明圏の情報覇権がデジタル空間に拡張されたにすぎない。

GoogleFacebook(Meta)、X(旧Twitter)、YouTube——世界の情報流通を支配するプラットフォームはすべてシリコンバレーに本拠を置くアメリカ企業である。これらのプラットフォームのアルゴリズムが何を「表示」し、何を「抑制」するかを決定する権力は、新たな形態の歴史叙述の覇権にほかならない。

BBC——帝国の声

BBC(British Broadcasting Corporation)は、大英帝国の歴史叙述の覇権を体現する最も重要な放送機関である。

BBCは1922年にイギリス放送会社(British Broadcasting Company)として設立され、1927年に王立勅許状に基づく公共放送法人となった。BBCの海外放送部門であるBBCワールドサービスは、1932年に「BBCエンパイア・サービス」(BBC Empire Service)——すなわち帝国放送——として開始された。この名称そのものが、BBCの本質を端的に示している。

BBCワールドサービスは2014年までイギリス外務省の資金によって運営されていた。すなわち、BBCの国際放送は形式上「独立した公共放送」でありながら、実質的にはイギリス政府の外交政策を遂行する情報機関として機能していた。40以上の言語で放送されるBBCワールドサービスは、世界中の聴衆にイギリスの視点——すなわちアングロサクソン文明圏の視点——から再構成された「歴史」と「ニュース」を届け続けている。

BBCの「客観性」「中立性」という評判そのものが、最も効果的なプロパガンダの形態である。あからさまなプロパガンダは警戒されるが、「客観的で中立的な報道」を装ったプロパガンダは、受け手の批判的防御を無力化する。

ニューヨーク・タイムズ——アメリカの「記録紙」

ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)は、「記録紙」(newspaper of record)を自称し、アメリカの歴史叙述において中心的な役割を果たしてきた新聞である。

1896年にアドルフ・オックスが同紙を買収して以来、オックス=サルツバーガー家(ユダヤ系)がニューヨーク・タイムズを所有し続けている。「All the News That's Fit to Print」(報道に値するすべてのニュース)というモットーは、裏返せば「報道に値しない」と判断されたニュースは報道されないことを意味する。何が「報道に値する」かを決定する権力は、歴史叙述の覇権の核心である。

ニューヨーク・タイムズの歴史叙述における機能は以下の通りである。

  • 議題設定機能: ニューヨーク・タイムズが一面で取り上げるテーマが、アメリカの公共的議論の議題となり、ひいては世界の議題となる。同紙が報じないテーマは「存在しない」に等しい
  • 「専門家」の認定: ニューヨーク・タイムズに寄稿・引用される学者・専門家が、国際的な「権威」として認定される。同紙に認定されない分析は、いかに精緻であっても周縁化される
  • 歴史の一次草稿: ジャーナリズムは「歴史の一次草稿」と呼ばれる。ニューヨーク・タイムズが事件をどう報じるかが、後の歴史書における記述の基盤となる

2003年のイラク戦争に際しては、ニューヨーク・タイムズの記者ジュディス・ミラーがイラクの「大量破壊兵器」に関する虚偽の報道を行い、アメリカの参戦世論の形成に決定的な役割を果たした。「記録紙」の権威が、戦争を正当化する虚偽の「歴史」を書いたのである。ニューヨーク・タイムズは後にミラーの報道の一部について「誤り」を認めたが、イラク戦争によって殺害された数十万の市民の命は戻らない。

通信社——世界の「事実」を製造する装置

世界中の新聞・放送局が日々報じる「国際ニュース」の大部分は、少数の通信社(wire services)が配信する記事に依拠している。AP(アメリカ)、ロイター(イギリス)、AFP(フランス)の三大通信社が、世界のニュース供給の圧倒的多数を占める。

多くの国の新聞やテレビ局は、自前の国際特派員網を維持する資金力を持たない。そのため、通信社が配信する記事をそのまま翻訳・転載する。すなわち、世界中の人々が「知っている」と思っている国際情勢は、実際にはAP・ロイター・AFPの視点から切り取られた断片にすぎない。

通信社は「客観的事実」を配信していると主張するが、何を取材し、何を無視し、どの文脈でどの言葉を使って報じるかという選択そのものが、特定の世界観を反映している。アメリカの軍事行動は「作戦」(operation)と報じられ、アメリカの敵の軍事行動は「攻撃」(attack)と報じられる。この微細な言語的選択の集積が、世界の人々の歴史認識を形成する。

メディアと軍の共生構造

ペンタゴンとメディアの構造的関係

アメリカのメディアと軍は、相互依存的な共生関係にある。

ペンタゴン(国防総省)は巨大な広報機関を擁し、メディアに対して「取材アクセス」を提供する代わりに、報道の枠組みを規定する。イラク戦争における「従軍記者」(embedded journalist)制度は、この共生関係の典型である。記者は軍の部隊に同行して「最前線のリアルな報道」を行うが、その報道は必然的に軍の視点から構成される。敵対者の側の視点、民間人の被害、戦争の構造的原因は、「従軍」している限り見えない。

CIAもまた、メディアとの構造的関係を維持している。反日メディアとアメリカの影響で論じた正力松太郎とCIAの関係は、アメリカのメディア工作が日本にまで及んでいたことを示す一例にすぎない。ドイツのジャーナリスト、ウド・ウルフコッテは著書『買収されたジャーナリストたち』(Gekaufte Journalisten、2014年)において、ヨーロッパの主要メディアのジャーナリストがCIAやNATOの影響下にあったことを内部告発した。

映画産業——ハリウッドと国防総省

ハリウッド映画産業は、歴史叙述の覇権を大衆レベルに浸透させる最も強力な装置である。

アメリカ国防総省は「エンターテインメント連絡室」(Entertainment Liaison Office)を設置し、映画・テレビ番組の制作に対して軍事機材・施設・技術指導を提供している。この協力を得るための条件は、作品が軍を好意的に描くことである。脚本は国防総省の審査を受け、軍に不都合な描写は修正を求められる。

CIAもまた「エンターテインメント産業連絡室」を設置し、映画やテレビドラマの制作に関与している。

この協力関係によって制作された作品は枚挙にいとまがない。

  • トップガン(1986年): 海軍の全面協力のもとに制作され、アメリカ海軍への入隊希望者を劇的に増加させた。アメリカの軍事力を「かっこいい」ものとして描く典型的な軍事プロパガンダ映画である
  • プライベート・ライアン(1998年): 第二次世界大戦を「ナチスからヨーロッパを解放した正義の戦争」として描き、アメリカの軍事行動の道徳的正当性を歴史的に基礎づけた
  • ゼロ・ダーク・サーティ(2012年): ウサーマ・ビン・ラーディン殺害作戦を描いた作品であり、CIAが制作に協力した。「対テロ戦争」の正当性を娯楽を通じて浸透させる
  • アメリカン・スナイパー(2014年): イラク戦争におけるアメリカ軍狙撃手を「英雄」として描き、イラク人を「敵」として非人間化した

ハリウッド映画は、学術論文や新聞記事よりもはるかに広い範囲で、はるかに深く人々の歴史認識に影響を与える。世界中の人々が「知っている」第二次世界大戦の歴史は、歴史書よりもハリウッド映画によって形成されている。その映画が国防総省とCIAの協力のもとに制作されているという事実は、歴史叙述の覇権構造の最も大衆的な表現である。

ハリウッドの歴史叙述における役割は、エドワード・サイードが『文化と帝国主義』で論じた「文化と帝国主義の共犯関係」の現代的表現にほかならない。サイードは、西洋の文学・芸術が植民地支配を正当化する「文化的基盤」として機能してきたことを明らかにした。ハリウッドは、この機能を映像メディアの時代において最も効果的に遂行している。

米軍の物語——正義の戦争という神話

歴史叙述の覇権構造が生み出す最も重要な「物語」が、アメリカの軍事行動は常に正義のために行われるという神話である。

この神話は以下の要素で構成される。

「善い戦争」の神話

第二次世界大戦は、アメリカの歴史叙述において「善い戦争」(The Good War)として確立されている。「ナチスの暴虐からヨーロッパを解放し、日本の軍国主義からアジアを解放した」——この物語がアメリカの軍事行動のすべてを正当化する原型的神話として機能する。

しかし、この物語には重大な省略がある。アメリカの参戦動機が真にヨーロッパとアジアの「解放」であったのか、それとも国際秩序における覇権の確立であったのか——リアリズムの観点からは、後者が圧倒的に重要である。アメリカは第二次世界大戦を通じて、大英帝国に代わる世界覇権国としての地位を確立した。「解放」はその結果であり、動機ではない。

さらに、広島・長崎への原爆投下、東京大空襲ドレスデン爆撃——これらの大量殺戮は「善い戦争」の物語の中では「必要な犠牲」として処理され、戦争犯罪としては語られない。帝国主義の記事で論じた通り、「善い戦争」の物語は、敗戦国の民族主義を永久に封じ込めるための装置として今日も機能している。

「解放者」としてのアメリカ

アメリカは自らを常に「解放者」として語る。ヨーロッパを「ナチスから解放」し、日本を「軍国主義から解放」し、韓国を「共産主義から解放」し、イラクを「独裁から解放」した——この「解放」の物語が、アメリカの世界中の軍事駐留を正当化する根拠となる。

しかし、「解放」された国々の現実を見れば、この物語の虚構性は明白である。日本は「解放」された結果、アメリカ軍が書いた憲法を押し付けられ、軍事的自助の能力を剥奪され、80年以上にわたって米軍基地の駐留を強いられている。ドイツもまた「解放」の名の下に分断され、NATOの枠組みの中で軍事的に従属させられた。イラクは「解放」された結果、国家が崩壊し、数十万人の市民が犠牲となった。

「解放」という言葉は、帝国主義を覆い隠す最も効果的な修辞である。「占領」を「解放」と呼び、「支配」を「保護」と呼び、「従属」を「同盟」と呼ぶ——この言語的操作によって、帝国主義は被支配者自身によって歓迎される。

「世界の警察官」という自己像

アメリカは「世界の警察官」として国際秩序を維持しているという自己像を、メディア・映画・学術を通じて世界に流布してきた。この自己像は、世界中の800以上の米軍基地と、年間8,000億ドルを超える軍事予算を正当化する物語的基盤である。

しかし、「警察」は法に基づいて行動し、法の下の平等を前提とする。アメリカの軍事行動が「法に基づいて」いないことは、リベラル帝国とアメリカの二重基準が明白に示している。イラク戦争は国連安保理の承認なく開始された。国際刑事裁判所(ICC)の管轄をアメリカは拒否しており、アメリカ軍の戦争犯罪が国際法廷で裁かれることはない。

「世界の警察官」とは、法に基づく秩序の維持者ではなく、自ら法を制定し、自らは法に服さず、他者のみに法を強制する覇権国の自己正当化の修辞にすぎない。

リアリズムの観点からの分析

E・H・カーの歴史論

E・H・カーは『歴史とは何か』において、歴史叙述が歴史家の立場と時代に規定されることを論じた。カーの議論を国際政治に適用すれば、国際的に流通する「歴史」は、覇権国の立場と利益に規定されることになる。

カーはまた『危機の二十年』において、「国際秩序における法と道徳は、現状維持勢力の利益を反映する」と論じた。歴史叙述もまた同様である。何が「歴史的事実」であり、何が「正義」であり、何が「悪」であるかの国際的合意は、現状維持勢力——すなわちアメリカを中心とするアングロサクソン-ユダヤ文明圏——の利益を反映している。

ノーム・チョムスキーの「合意の製造」

ノーム・チョムスキーエドワード・ハーマンは『合意の製造——マスメディアの政治経済学』(Manufacturing Consent、1988年)において、アメリカのマスメディアが権力構造に奉仕する「プロパガンダ・モデル」を提示した。

チョムスキーとハーマンの「プロパガンダ・モデル」によれば、マスメディアの報道内容は五つの「フィルター」——所有構造、広告収入、情報源への依存、批判への反発(flak)、反共イデオロギー——によって規定される。これらのフィルターにより、メディアは国家権力と資本の利益に沿った「合意」を国民の間に製造する。

この分析は、歴史叙述の覇権構造にそのまま適用できる。歴史として語られる内容は、メディアの所有者の利益、広告主の利益、政府情報源への依存、体制批判者への圧力、そしてリベラルな国際秩序のイデオロギーによってフィルタリングされている。

エドワード・サイードのオリエンタリズム

エドワード・サイードは『オリエンタリズム』(1978年)において、西洋が「東洋」について語る言説(ディスコース)が、東洋の客観的な現実を反映するのではなく、西洋の権力と欲望を反映することを論証した。

サイードの分析は、歴史叙述の覇権構造の文化的次元を照らし出す。アングロサクソン-ユダヤ文明圏が非西洋世界について語る「歴史」は、非西洋世界の現実ではなく、覇権国が非西洋世界をどう見たいかを反映している。日本について語られる「歴史」——「軍国主義の過去」「平和憲法の受容」「アメリカによる民主化の成功」——は、日本の現実ではなく、アメリカが日本をどう支配し続けたいかを反映した物語にすぎない。

結論

歴史叙述の覇権構造は、軍事力・経済力と並ぶ帝国支配の第三の柱である。通信社が「事実」を製造し、新聞が「議題」を設定し、放送局が「物語」を配信し、映画が「感情」を植え付け、学術界が「権威」を付与する——このシステム全体が連動することで、覇権国の視点が「客観的な歴史」として世界に受容される。

この構造に抵抗するためには、まずこの構造の存在を認識しなければならない。アメリカの通信社が配信する「ニュース」が客観的事実ではないこと、ハリウッド映画が描く「歴史」が真実ではないこと、英語圏の学者が語る「分析」が普遍的な知ではないこと——これらを自覚することが、歴史叙述の覇権からの解放の第一歩である。

各民族は、自らの歴史を自ら語る権利を持つ。歴史叙述の主権を取り戻すことは、軍事主権の回復(米軍撤退)、憲法主権の回復(新日本憲法の制定)と並ぶ、真の主権回復の不可欠の要素である。

参考文献

関連項目