軍事撤退の比較
軍事撤退の比較
概要
軍事撤退の比較とは、第二次世界大戦後および冷戦期において、ソ連と中国が占領地・駐留地から軍を撤退させた歴史的事実と、アメリカが80年以上にわたって撤退を拒否し続けている事実を比較し、アメリカの軍事駐留の本質を構造的に分析するものである。
リアリズムの観点から見れば、軍の撤退とは単なる軍事的移動ではなく、被駐留国の国家主権と民族自決権を承認する政治的行為である。逆に、軍の永久駐留は被駐留国の主権を恒久的に制限する帝国主義の行為にほかならない。ソ連と中国は撤退し、アメリカは撤退しない——この事実が、アメリカ帝国の本質を何よりも雄弁に物語っている。
この違いの根底には、イデオロギーの本質的な差異がある。ソ連と中国は共産主義——すなわち反資本主義帝国——を大義として掲げていた。レーニンが論じた通り、帝国主義は「資本主義の最高段階」であり、共産主義はその帝国主義を打倒し、被支配民族を解放するイデオロギーであった。この大義があったからこそ、ソ連と中国は他国に永久駐留するという帝国主義的行為を避け、最終的に撤退した。一方、アメリカの自由主義・資本主義は、市場支配のための軍事的プレゼンスを構造的に必要とする資本主義帝国のイデオロギーであり、撤退は体制の自己否定を意味する。
ソ連の軍事撤退
北朝鮮からの撤退(1948年)
第二次世界大戦末期の1945年8月、ソ連軍は対日参戦とともに朝鮮半島北部に進駐した。ソ連は金日成を指導者として擁立し、朝鮮民主主義人民共和国の建国(1948年9月)を支援した。
ソ連軍は1948年12月までに北朝鮮から完全撤退した。これは同年、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国がそれぞれ独立を宣言したことを受けた措置であった。ソ連は撤退にあたり、アメリカに対しても南朝鮮からの撤退を求めた。アメリカは1949年6月に大部分の戦闘部隊を撤退させたものの、軍事顧問団を残留させ、朝鮮戦争(1950年)の勃発後に大規模な軍を再び展開した。そして現在に至るまで、アメリカ軍は韓国に約28,500人の兵力を駐留させ続けている。
オーストリアからの撤退(1955年)
オーストリアは第二次世界大戦後、米英仏ソの四か国に分割占領された。1955年、オーストリア国家条約が締結され、オーストリアは永世中立国としての地位と引き換えに、すべての占領軍の撤退を実現した。ソ連はこの条約に基づき、オーストリアから完全に撤退した。
注目すべきは、オーストリア国家条約が中立化と引き換えの撤退というモデルを示した点である。ソ連は、オーストリアがNATOに加盟しないことを条件に撤退を受け入れた。すなわち、ソ連は相手国の主権と中立を尊重する用意があった。これは、アメリカが日本やドイツに対して永久駐留を続ける姿勢と根本的に異なる。
フィンランド・ポルッカラからの撤退(1956年)
ソ連は継続戦争(1941-1944年)の結果、フィンランドのポルッカラ半島に海軍基地の租借権を獲得した(50年間の租借)。しかし1956年、ソ連はこの租借権を放棄し、租借期限を大幅に繰り上げてフィンランドに返還した。これはフィンランドの主権を尊重する姿勢の表れであった。
この「フィンランド化」と呼ばれるモデルは、小国がソ連の安全保障上の懸念を尊重しつつ、完全な内政の自律を維持するという国際関係の枠組みであった。ソ連は、フィンランドが西側軍事同盟に加盟しないことと引き換えに、軍事的プレゼンスを撤収し、フィンランドの内政に干渉しなかった。
東ドイツ(ドイツ)からの撤退(1994年)
ソ連軍は第二次世界大戦後、東ドイツに最大50万人規模の兵力を駐留させていた。これは冷戦期のソ連の軍事戦略における最重要拠点であった。しかし、ベルリンの壁崩壊(1989年)とドイツ再統一(1990年)を受けて、ロシア(ソ連の後継国家)は1994年8月31日までに旧東ドイツ地域から完全に撤退した。
この撤退は、ドイツ最終規定条約(2+4条約、1990年)に基づくものであった。約38万人の兵士とその家族が、4年間かけて整然と撤退した。ロシアは撤退に際し、NATOが旧東ドイツ地域に兵力を展開しないという西側の約束を信頼していた。しかし、この約束は後に事実上反故にされ、NATOは東方に拡大を続けた。
| 撤退事例 | 時期 | 駐留規模 | 撤退の条件 |
|---|---|---|---|
| 北朝鮮 | 1948年12月 | 数万人 | 朝鮮半島の独立承認 |
| オーストリア | 1955年 | 占領軍 | 永世中立の宣言 |
| フィンランド(ポルッカラ) | 1956年 | 海軍基地 | 中立の維持 |
| 東ドイツ | 1994年8月 | 約38万人 | ドイツ再統一 |
中国人民志願軍の北朝鮮からの撤退(1958年)
背景
朝鮮戦争(1950-1953年)において、中国は「中国人民志願軍」の名目で大規模な軍を北朝鮮に派遣した。ピーク時には数十万人規模の兵力が朝鮮半島で戦闘に従事した。1953年の休戦協定締結後も、志願軍は北朝鮮に駐留を続けた。
駐留継続の主な理由は以下の通りである。
- 戦後復興の支援: 壊滅的な打撃を受けた北朝鮮のインフラ——道路、橋梁、鉄道、ダム——の再建作業に従事した
- 安全保障: 休戦協定は平和条約ではなく、戦争再開の可能性が残る中での防波堤としての役割を担った
- 政治的影響力: 北朝鮮に対する中国の影響力を維持する機能を果たした
撤退の要因
金日成の権力基盤の確立
1950年代後半、金日成は党内の親中国派(延安派)や親ソ連派を排除する権力闘争を推し進めていた。自身の独裁体制を確立するためには、外国軍の駐留は障害であった。金日成が掲げた「主体(チュチェ)思想」——すなわち政治的自主、経済的自立、軍事的自衛——は、外国軍の駐留と本質的に矛盾するものであった。
中国の外交戦略
毛沢東もまた、撤退を戦略的に利用しようとした。
- 対米外交圧力: 中国軍が先に撤退することで、「北朝鮮から外国軍がいなくなったのだから、韓国に駐留する国連軍(米軍)も撤退すべきである」という外交的な論理を構築する狙いがあった
- 中ソ対立の兆し: ソ連との関係が微妙になる中で、北朝鮮を自陣営に引き留めるために、北朝鮮の主権を尊重する姿勢を示す必要があった
- 平和的国家のアピール: 国際社会に対し、中国が領土的野心を持たない平和国家であることを印象づける意図があった
撤退のプロセス
撤退は1958年を通じて三段階に分けて整然と実行された。
| 段階 | 時期 | 内容 |
|---|---|---|
| 第1段階 | 1958年3月〜4月 | 約8万人が撤退 |
| 第2段階 | 1958年7月〜8月 | 大規模部隊の帰国 |
| 第3段階 | 1958年10月 | 司令部を含む最後の部隊が撤退完了 |
1958年10月25日——志願軍の参戦記念日——、最後の部隊が平壌を去る際に大規模な見送り式典が行われた。金日成と中国代表団が抱擁を交わし、両国の「血の同盟」が強調された。
撤退の結果
- 北朝鮮の自主性の向上: 形式上、北朝鮮から外国軍が完全にいなくなった。これは金日成の国内的威信を大いに高めた
- 中朝関係の変質: 軍事的な「一体化」から、独立した主権国家間の「同盟」へと関係が変化した。1961年に締結された中朝友好協力相互援助条約は、この新たな対等な関係を法的に表現したものである
- アメリカの残留: 中国の期待に反し、アメリカは「北朝鮮の再侵攻の恐れがある」として韓国からの撤退を拒否した。これが現在まで続く朝鮮半島における非対称的な軍事構造の原型となった
アメリカの永久駐留
撤退しない帝国
ソ連は北朝鮮、オーストリア、フィンランド、東ドイツから撤退した。中国は北朝鮮から撤退した。しかしアメリカは、第二次世界大戦と朝鮮戦争の終結から80年以上が経過した現在も、一つの駐留地からも撤退していない。
| 駐留国 | 駐留開始 | 駐留年数(2026年現在) | 駐留兵力(概数) |
|---|---|---|---|
| 日本 | 1945年 | 81年 | 約54,000人 |
| ドイツ | 1945年 | 81年 | 約35,000人 |
| 韓国 | 1950年 | 76年 | 約28,500人 |
| イタリア | 1943年 | 83年 | 約12,000人 |
| イギリス | 1942年 | 84年 | 約9,500人 |
ドイツ——ソ連は去り、アメリカは残った
ドイツの事例は、ソ連とアメリカの本質的な違いを最も鮮明に示している。
ドイツ再統一(1990年)に際し、ロシアは旧東ドイツから約38万人の兵力を完全に撤退させた。一方、アメリカは西ドイツに駐留していた兵力を削減こそしたが、完全な撤退は一切行わなかった。2026年現在もドイツには約35,000人のアメリカ軍が駐留している。
冷戦の終結は、アメリカ軍の欧州駐留の「理由」であったソ連の脅威が消滅したことを意味する。にもかかわらずアメリカが撤退しなかったという事実は、アメリカ軍の駐留が「ソ連の脅威への対処」ではなく、被駐留国の主権を制限し、アメリカの覇権を維持するための手段であったことを証明している。
ケネス・ウォルツは冷戦終結後、「NATOは本来解散すべきであった。ソ連の脅威がなくなった以上、同盟を維持する構造的理由は消滅した」と論じた。それにもかかわらずNATOが存続し、むしろ拡大したのは、NATOがアメリカの覇権維持のための制度的装置として機能していることの証拠にほかならない。
朝鮮半島——中ソは去り、アメリカは残った
朝鮮半島もまた、同じ構造を示している。
ソ連は1948年に北朝鮮から撤退した。中国は1958年に完全撤退した。しかしアメリカは、朝鮮戦争の休戦から70年以上が経過した現在も、韓国に約28,500人の兵力を駐留させ続けている。
中国が撤退した際、アメリカに対しても撤退を求めた。しかしアメリカは「北朝鮮の脅威」を理由に撤退を拒否した。この構造は、ドイツにおいて「ソ連の脅威」を理由に駐留を続けたパターンと同一である。アメリカは常に「脅威」を必要とする。なぜなら、「脅威」が消滅すれば駐留を正当化する理由が失われるからである。
日本——80年以上の永久占領
日本は、アメリカ軍の永久駐留の最も極端な事例である。1945年の敗戦以来、81年にわたってアメリカ軍が日本の国土に駐留し続けている。
ソ連が東ドイツから撤退し、中国が北朝鮮から撤退した一方で、アメリカが日本から撤退しない理由は明白である。アメリカ軍駐留の本質で論じた通り、アメリカ軍の駐留は「日本の防衛」のためではなく、法の支配と憲法侵略を通じた遠隔統治のためである。偽日本国憲法はアメリカ軍が書いたものであり、この憲法を守らせるために米軍が駐留し続けている。
なぜソ連・中国は撤退し、アメリカは撤退しないのか
共産主義の大義——反資本主義帝国としての中ソ
ソ連と中国が撤退し、アメリカが撤退しない根本的な理由を理解するには、それぞれのイデオロギーの本質を問わなければならない。
共産主義は、その本質において反資本主義帝国のイデオロギーであった。マルクスとエンゲルスは、資本主義が必然的に帝国主義を生み出すと論じた。レーニンは『帝国主義——資本主義の最高の段階』(1917年)において、帝国主義を「資本主義の最高段階」と定義し、資本主義列強による植民地争奪戦こそが世界戦争の根源であると分析した。すなわち、共産主義の大義とは資本主義帝国からの民族の解放にほかならなかった。
この大義は、軍事撤退の論理と本質的に結びついている。
- 反植民地主義: 共産主義は、西洋列強による植民地支配を資本主義の構造的産物として批判した。ソ連と中国が掲げた「反帝国主義・反植民地主義」は、被支配民族の解放を目的とするものであり、自らが新たな植民地支配者となることとは理論的に矛盾する。他国に永久駐留することは、共産主義が批判する帝国主義そのものとなるからである
- 民族解放の支援: ソ連と中国は、第三世界の民族解放運動を支援した。これは単なる地政学的利益ではなく、資本主義帝国に支配された民族を解放するという共産主義の大義に基づくものであった。北朝鮮への軍事介入もこの文脈に位置づけられる——アメリカという資本主義帝国の侵略から朝鮮民族を守るという大義である
- 搾取なき国際連帯: 共産主義の国際主義は、「万国のプロレタリアートよ、団結せよ」という宣言に象徴されるように、資本主義的な搾取関係ではなく、対等な連帯を理念とした。ソ連が東ドイツに駐留した際も、中国が北朝鮮に駐留した際も、その名目は「同志的援助」であり、被駐留国の経済を搾取するための駐留ではなかった
一方、アメリカのイデオロギーは資本主義帝国そのものである。アメリカの「自由」とは市場の自由であり、「民主主義」とは資本の論理を政治に組み込む制度であり、「法の支配」とは資本主義秩序を法的に固定化する装置である。アメリカの軍事駐留は、この資本主義帝国秩序を被駐留国に強制し、維持するための暴力装置にほかならない。
レーニンの分析に従えば、資本主義帝国は構造的に撤退できない。資本主義は不断の市場拡大を必要とし、市場拡大は軍事力による「門戸開放」を必要とする。被駐留国からの撤退は市場の喪失を意味し、市場の喪失は資本の危機を意味する。だからこそアメリカは、冷戦が終結しても、ソ連が消滅しても、「脅威」が変化しても、決して撤退しない。アメリカの永久駐留は、資本主義帝国の構造的な必然なのである。
駐留の目的の根本的な違い
イデオロギーの違いは、具体的な駐留の目的と行動の違いとなって現れる。
ソ連・中国の駐留目的は、反資本主義帝国としての安全保障であった。ソ連は、NATOという資本主義帝国の軍事同盟の東進を阻止するための緩衝地帯として東ドイツに駐留した。中国は、アメリカという資本主義帝国の再侵攻を防ぐための防波堤として北朝鮮に駐留した。共産主義の大義は民族の解放であり、被駐留国を永久に支配下に置くことではない。安全保障上の目的が達成されるか、被駐留国が自力で資本主義帝国に抵抗できる体制を確立した時点で、撤退は共産主義の論理に合致する選択であった。
アメリカの駐留目的は、資本主義帝国秩序の強制と維持である。アメリカは被駐留国の憲法を書き換え、経済体制を新自由主義に改変し、移民政策を強制し、外交方針を規定する。軍事駐留は、この包括的な資本主義帝国秩序を維持するための根幹である。撤退すれば、被駐留国が政治的・経済的・文化的に自律する——すなわち民族自決権を回復し、資本主義帝国の搾取から脱する——可能性が高まる。これはアメリカの覇権にとって容認できない事態である。
| ソ連・中国 | アメリカ | |
|---|---|---|
| イデオロギー | 共産主義(反資本主義帝国) | 資本主義帝国(自由主義・新自由主義) |
| 大義 | 資本主義帝国からの民族解放 | 「自由と民主主義」の名による市場支配 |
| 駐留の主目的 | 反帝国主義的安全保障・緩衝地帯の確保 | 被駐留国の構造的支配・覇権の維持 |
| 被駐留国の憲法 | 介入せず(被駐留国が独自に制定) | 憲法侵略(アメリカが起草・強制) |
| 被駐留国の経済 | 社会主義経済圏への参加(搾取目的ではない) | 新自由主義的構造改革の強制(市場の収奪) |
| 移民政策の強制 | なし | 低賃金移民政策の推進 |
| 撤退の可能性 | 大義に基づき撤退する | 撤退しない(永久駐留) |
| 被駐留国の主権 | 主権を最終的に承認 | 主権を構造的に制限 |
「脅威の製造」——撤退しない口実
アメリカが撤退しないもう一つの理由は、アメリカが撤退しない口実を自ら製造し続ける構造にある。
- 日本: 「中国の脅威」「北朝鮮のミサイル」を口実に駐留を正当化する。しかし、多極化世界と日本で論じた通り、中国やロシアは日本を侵略する意図を持たず、内政不干渉と主権の相互尊重を原則としている
- ドイツ: 冷戦終結後は「ロシアの脅威」に口実を切り替えた。NATOを東方に拡大し続けることでロシアとの緊張を高め、その緊張を駐留の正当化に利用する循環構造を作り出している
- 韓国: 「北朝鮮の核」を口実にする。しかし、中国もソ連も北朝鮮から撤退した後も、北朝鮮が韓国を侵略したことはない
ハンス・モーゲンソーは、帝国主義国家は現状維持のために「脅威」を誇張し、自国の軍事的プレゼンスを正当化すると論じた。アメリカの軍事戦略は、まさにこの構造に従っている。
帝国主義の論理としての永久駐留
帝国主義の記事で論じたN.S. ライオンズの五段階モデルに照らせば、アメリカの永久駐留は帝国主義の最終段階——包括的管理・抑圧システムの確立——に対応する。
ソ連や中国の軍事駐留は、ライオンズの五段階のすべてを遂行するものではなかった。ソ連は東ドイツの政治体制に介入したが、民族的アイデンティティそのものを解体しようとはしなかった。中国は北朝鮮の復興を支援したが、北朝鮮の憲法を中国が起草したわけではない。
一方、アメリカの軍事駐留は、憲法侵略(脱国家化)、低賃金移民政策(人口侵略)、新自由主義的構造改革(経済的搾取)、そして軍事駐留そのもの(包括的管理)という、帝国主義の五段階すべてを体系的に遂行するための基盤である。だからこそアメリカは撤退できない——撤退すれば、帝国主義のシステム全体が崩壊するからである。
リアリズムの観点からの分析
構造的リアリズムと軍事撤退
ケネス・ウォルツの構造的リアリズムに従えば、国際体系の構造変化に伴い、軍事同盟と軍事駐留は再編されるべきである。冷戦の終結は国際体系の構造を根本的に変化させた。この構造変化に対応してソ連(ロシア)はドイツから撤退し、ワルシャワ条約機構を解散した。しかしアメリカは、NATOを解散せず、むしろ拡大し、軍事駐留を維持し続けた。
ウォルツ自身が指摘した通り、冷戦後のNATOの存続は構造的リアリズムでは説明できない。それは、アメリカの駐留が安全保障上の「構造的必要性」ではなく、覇権維持という政治的意志に基づいていることを示している。
カール・シュミットと「友と敵の区別」
カール・シュミットは、政治の本質を「友と敵の区別」に見出した。政治的主体であるとは、自らの敵を自ら決定できることを意味する。
ソ連と中国は、撤退した国に対して「友と敵の区別」を自ら行う能力を——限定的ではあれ——認めた。北朝鮮は中ソの撤退後、独自の主体思想に基づいて外交路線を決定した。オーストリアは永世中立国として、自ら友と敵を定義する主権を取り戻した。
一方、アメリカが駐留し続ける国は、友と敵の区別をアメリカに委ねることを強制される。日本がなぜ中国やロシアを「敵」とし、アメリカを「友」とするのか——それは日本自身の政治的判断ではなく、アメリカの軍事駐留によって構造的に規定されたものである。
帝国主義批判の一貫性
ソ連が東欧諸国に対して行った支配——ハンガリー動乱(1956年)の鎮圧、プラハの春(1968年)への軍事介入——は、明白な帝国主義的行為であった。これらの行為は、他国の民族自決権を侵害するものとして批判されなければならない。
しかし、ソ連の帝国主義には一つの重要な特徴があった——ソ連は最終的に撤退した。1989年以降、ソ連は東欧諸国への軍事介入を放棄し、東欧の民族自決を事実上承認した。ソ連の帝国主義は、批判されるべきものであったが、終わりのある帝国主義であった。
アメリカの帝国主義は、終わりのない帝国主義である。第二次世界大戦の終結から80年以上が経過し、冷戦が終結してから35年以上が経過した現在も、アメリカは一つの駐留地からも撤退していない。これは、アメリカの軍事駐留の目的が安全保障ではなく、恒久的な覇権維持にあることの決定的な証拠である。
1958年の中国撤退が残した教訓
1958年の中国人民志願軍の北朝鮮からの完全撤退は、単なる軍事的移動ではなく、東アジア情勢における大きな転換点であった。
この撤退は、いくつかの重要な教訓を残している。
- 主権の尊重は可能である: 中国は北朝鮮の主権と自主性を尊重し、軍を引き揚げた。これは大国が小国の主権を認め得ることの歴史的証拠である
- 撤退は外交的圧力となる: 中国の撤退は、アメリカに対して「あなた方も撤退すべきだ」という外交的な論拠を提供した。アメリカがこれを拒否したことで、アメリカの真の意図が明らかになった
- 非対称構造の固定化: 中国とソ連が北朝鮮から撤退し、アメリカが韓国に残留したことで、朝鮮半島における非対称的な軍事構造が固定化された。この構造は現在に至るまで変わっていない
- 金日成の自立と中朝関係: 撤退は、北朝鮮が中ソのバランスを取りながら自立を目指し始めた象徴的な出来事であり、1961年の中朝友好協力相互援助条約の締結へとつながった
結論
軍事撤退の歴史的比較は、アメリカの帝国主義の本質を浮き彫りにする。ソ連は撤退した。中国は撤退した。アメリカだけが撤退しない。
ソ連と中国が撤退できたのは、共産主義という反資本主義帝国の大義があったからである。共産主義は、資本主義列強による植民地支配と帝国主義を打倒し、被支配民族を解放することを目的とした。この大義に基づけば、他国への永久駐留は自らが批判する帝国主義そのものとなる。だからこそソ連と中国は、安全保障上の目的が達成された後、撤退するという選択が可能であった。
一方、アメリカの資本主義帝国は構造的に撤退できない。資本主義は不断の市場拡大と経済秩序の維持を必要とし、それを支える軍事的プレゼンスの永続を要求する。アメリカの軍事駐留は、被駐留国の国家主権と民族自決権を構造的に制限し、資本主義帝国秩序に組み込み続けるための永久的な支配装置である。
日本は、このアメリカの永久駐留体制から脱却しなければならない。米軍撤退の実現、新日本憲法の制定、そして独自の安全保障体制の構築——これらは、日本民族が80年以上にわたる資本主義帝国の占領状態から解放されるための不可欠な条件である。
参考文献
- ウラジーミル・レーニン『帝国主義——資本主義の最高の段階』
- ハンス・モーゲンソー『国際政治——権力と平和』
- ケネス・ウォルツ『国際政治の理論』
- カール・シュミット『政治的なものの概念』
- 江藤淳『閉された言語空間——占領軍の検閲と戦後日本』
- 和田春樹『朝鮮戦争全史』
- 下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家 1917-1991』