社会進化学
社会進化学
概要
社会進化学とは、進化生物学の理論と方法論を人間の社会行動、文化、制度に適用する学問分野である。宗教、道徳、民族主義、法制度、経済慣行、戦争——これらの社会現象を、自然淘汰と文化進化のレンズを通じて分析することが社会進化学の課題である。
社会進化学は、人類進化学が扱う生物学的進化の延長線上に位置するが、独自の分析対象を持つ。それは、遺伝子だけでなく文化(社会的に学習された行動、信念、規範の体系)が進化の単位となりうるという発見である。この遺伝子-文化共進化(gene-culture coevolution)の理論は、人間社会の複雑さを理解するための最も強力な枠組みの一つとなっている。
リアリズムの観点から、社会進化学は二つの重要な洞察を提供する。第一に、民族、宗教、文化的伝統が進化的機能を持つ集団適応であるという視点。第二に、これらの集団適応をめぐる競争——すなわち文化的集団淘汰——が、歴史の駆動力であるという視点である。
遺伝子-文化共進化理論
二重継承理論
二重継承理論(Dual Inheritance Theory)は、ロバート・ボイド(UCLA)とピーター・リチャーソン(UCデイヴィス)によって1985年の著書『文化と進化過程』で体系化された。
この理論の核心は以下の通りである。人間の行動は、二つの独立した進化過程——遺伝的進化と文化的進化——の相互作用の産物である。文化は、社会的学習を通じて伝達され、変異し、適応度に基づいて淘汰されるという点で、遺伝子と同様にダーウィン的な進化過程に従う。しかし、文化の進化は遺伝子の進化とは異なるメカニズムを持つ。
- 伝達の速度: 文化は遺伝子よりもはるかに速く進化する。遺伝子の進化が数世代を要するのに対し、文化的革新は一世代で広まりうる
- 伝達の方向: 遺伝子は親から子への垂直伝達に限られるが、文化は師弟関係(斜め伝達)や同世代間(水平伝達)でも伝達される
- 獲得形質の遺伝: 遺伝子においてはラマルク的遺伝(獲得形質の遺伝)は生じないが、文化においては個体が学習した新しい行動が次世代に伝達されうる
- 選択的模倣: 文化の伝達には、成功者を模倣する「威信バイアス」と、多数派に従う「同調バイアス」が作用する
ボイドとリチャーソンは、この同調バイアスの存在が、文化的集団淘汰を可能にすることを数学的に示した。同調バイアスは集団内の文化的均一性を維持し、集団間の文化的差異を増大させる。これにより、集団間の文化的変異が維持され、集団レベルの淘汰が作動する条件が整う。
文化が遺伝子を変える
遺伝子-文化共進化の最も劇的な証拠は、文化的革新が遺伝的進化を駆動した事例群である。
- 乳糖耐性: 約8000年前、北ヨーロッパと東アフリカの牧畜民集団において、成人期の乳糖消化能力が独立に進化した。牧畜という文化的実践が、乳糖耐性遺伝子に対する強い淘汰圧を生み出した
- アミラーゼ遺伝子のコピー数: 農耕文化を発展させた集団では、唾液アミラーゼ遺伝子(AMY1)のコピー数が増加した。デンプン消化能力の向上が、農耕社会において適応的であったためである
- 鎌状赤血球と農耕: サハラ以南のアフリカにおいて、農耕の拡大がマラリア媒介蚊の生息地を拡大し、鎌状赤血球遺伝子の頻度上昇を引き起こした
- アルコール代謝酵素: 東アジアにおけるアルコール脱水素酵素(ADH1B*47His)の高頻度は、稲作文化と発酵食品の文化的伝統に関連すると考えられている
ジョセフ・ヘンリック(ハーバード大学)は著書『我々の成功の秘密——文化はいかにして人類の進化を駆動し、種を家畜化し、より賢くしたか』(2016年)において、人類は文化によって「自己家畜化」したと論じた。文化的環境が遺伝的淘汰圧を変化させ、協力的な行動、社会的学習能力、言語能力を遺伝的に強化したのである。
この理論は、保守ぺディアの基本思想にとって深遠な含意を持つ。文化は単なる「上部構造」ではなく、遺伝子を物理的に変化させる力を持つ。民族の文化的伝統を破壊することは、その民族の遺伝的進化の方向性を断ち切ることを意味する。グローバリズムによる文化の均質化は、数千年にわたる遺伝子-文化共進化のプロセスを暴力的に中断する行為にほかならない。
宗教の進化学的分析
コストリー・シグナリング理論
宗教はなぜ存在するのか。進化生物学の観点からは、宗教は個体の適応度を低下させるはずのコストの高い行動(断食、苦行、巡礼、経済的犠牲、性的制約)を要求する。なぜ自然淘汰はこのようなコストの高い行動を排除しなかったのか。
この問いに対する最も有力な回答が、コストリー・シグナリング理論(Costly Signaling Theory of Religion)である。この理論は、アモツ・ザハヴィのハンディキャップ原理を宗教行動に適用したものであり、ウィリアム・アイロンズ(ノースウェスタン大学)とリチャード・ソシス(コネチカット大学)によって発展された。
理論の骨子は以下の通りである。コストの高い宗教的行動——時間を消費する儀礼、厳格な食事制限、危険な通過儀礼、経済的犠牲——は、集団への忠誠の信頼できるシグナルとして機能する。コストが高いからこそ、フリーライダー(集団の利益にただ乗りする者)はこのシグナルを偽ることができない。
ソシスの経験的研究は、この理論を劇的に裏付けた。19世紀のアメリカにおけるコミューン(共同体)の存続期間を分析した結果、宗教的コミューンが信者に要求するコストの高い犠牲の数と、そのコミューンの存続期間には直線的な正の相関があった。一方、世俗的コミューンではそのような相関は見られず、大半が8年以内に崩壊した。
宗教は集団適応である
デイヴィッド・スローン・ウィルソンは著書『ダーウィンの聖堂——進化、宗教、社会の本質』(2002年)において、宗教を集団レベルの適応として分析した。ウィルソンの論理は以下の通りである。
宗教は以下の機能を通じて、集団の適応度を高める。
- 集団内の協力の促進: 共有された信念体系、集団的儀礼、超自然的監視者(神)への信仰が、集団成員間の信頼と協力を促進する
- フリーライダーの排除: コストの高い参加要件と、逸脱者への超自然的制裁(地獄、神罰)の脅威が、集団への貢献を確保する
- 集団の境界の維持: 食事制限(カシュルート、ハラール)、服装規定、言語的・儀礼的独自性が、「我々」と「彼ら」の境界を明確に維持する
- 集団的意思決定の調整: 宗教的権威(ラビ、イマーム、司祭)が集団の意思決定を調整し、集合行為問題を解決する
ウィルソンの分析は、宗教を「迷信」や「非合理性」として退けるリベラルな世俗主義の浅薄さを暴くものである。宗教は、数千年にわたる文化的集団淘汰の中で洗練されてきた集団の生存装置である。世俗的合理主義は、この集団の生存装置を破壊しながら、それに代わる等価な集団的結束のメカニズムを提供していない。
ユダヤ教の集団進化戦略——学術的論争
問題の所在
ユダヤ教のリアリズムの記事で分析したように、ユダヤ教はリアリズムの諸原則を最も忠実に体現する宗教・法体系である。社会進化学の観点からは、ユダヤ教はさらに踏み込んだ問いを提起する——ユダヤ教は、集団の進化的適応度を最大化するために設計された「集団進化戦略」として理解できるのか。
この問いをめぐっては、激しい学術的論争が存在する。以下では、主要な理論と批判を客観的に検討する。
ケヴィン・マクドナルドの理論
ケヴィン・マクドナルド(カリフォルニア州立大学ロングビーチ校、退職)は、三部作において最も包括的な(そして最も論争的な)理論を展開した。
- 『一人で住む民族——集団進化戦略としてのユダヤ教』(1994年)
- 『分離とその不満——反ユダヤ主義の進化理論に向けて』(1998年)
- 『文化の批評——20世紀の知的・政治的運動へのユダヤ人の関与の進化的分析』(1998年)
マクドナルドの中心的テーゼは以下の通りである。ユダヤ教は、ユダヤ民族の遺伝的適応度を最大化するための「集団進化戦略」——すなわち、文化的・宗教的・社会的慣行の体系——として機能してきた。この戦略には以下の要素が含まれる。
- 外婚の制限: ハラーハーによるユダヤ人の定義と、異民族との婚姻の制限が、遺伝的境界を維持する
- 文化的分離の強化: 食事法(カシュルート)、安息日の遵守、ヘブライ語の維持が、文化的境界を維持する
- 集団内の慈善と経済的協力: ユダヤ共同体内部の相互扶助が、集団成員の経済的成功を促進する
- 高い知的水準の選択: タルムード学習の伝統が、知的能力に対する淘汰圧を生み出した
- 集団的忠誠の強化: 選民思想と迫害の歴史的記憶が、集団的一体感を維持する
マクドナルドはさらに『文化の批評』において、20世紀の主要な知的・政治的運動——ボアズ派人類学、フロイト派精神分析、フランクフルト学派、多文化主義——が、ユダヤ人の集団的利益に奉仕するように(意識的または無意識的に)機能してきたと論じた。
マクドナルドへの学術的批判
マクドナルドの理論は、進化心理学の主流から激しい批判を受けている。
ジョン・トゥービーの批判: 人間行動進化学会(HBES)の元会長であるジョン・トゥービーは、「マクドナルドの理論——ユダヤ人に関するものだけでなく——は、この分野の根本原則に違反している」と述べた。トゥービーは、マクドナルドが一般的に信用されていない自然淘汰の見方を擁護していると指摘した。
ネイサン・コフナスの「デフォルト仮説」: 最も詳細な学術的反論は、ネイサン・コフナスが2018年に学術誌『Human Nature』に発表した論文「集団進化戦略としてのユダヤ教——ケヴィン・マクドナルドの理論の批判的分析」である。
コフナスは、マクドナルドの文献の引用を逐一検証し、原典においてマクドナルドの主張を裏付ける記述が存在しない事例を多数発見した。さらに、マクドナルドがユダヤ人によって「支配されている」と主張した運動において、実際にはユダヤ人以上に影響力のある非ユダヤ人が多数存在することを指摘した。
コフナスが提案した代替説明が「デフォルト仮説」である。この仮説によれば、ユダヤ人が知的・政治的運動に過剰代表されている理由は、二つの要因のみで説明できる。
- 平均的に高い知能指数: アシュケナジ系ユダヤ人の平均IQは、周囲の非ユダヤ人集団よりも高いとされる
- 都市部への集中: ユダヤ人は歴史的に影響力のある都市部に集中して居住していた
この二つの要因のみで、ユダヤ人がほぼ全ての主要な知的・政治的運動——保守的な運動を含む——に過剰代表されていることが説明できる。20世紀の右派運動に反ユダヤ主義的なものが多かったため、結果的にユダヤ人の政治参加が左派に偏った印象を与えるが、反ユダヤ主義的でない右派運動にもユダヤ人は過剰代表されている。
デフォルト仮説とマクドナルドの理論は異なる予測を生む。デフォルト仮説が正しければ、ユダヤ人は対立する運動の指導層にも過剰代表されているはずであり、コフナスはこれが経験的に確認されると論じた。
コンサーバペディアの分析
アメリカの保守系百科事典コンサーバペディア(Conservapedia)も、ユダヤ教の進化学的分析に一定の注目を払っている。コンサーバペディアの立場は、保守ぺディアの立場とは一部重なるが本質的に異なる。コンサーバペディアはキリスト教保守主義の視点からユダヤ教を論じる傾向があり、進化生物学そのものに対して懐疑的な態度を取ることが多い(創造論・知的設計論を支持する記事が含まれる)。
しかし、コンサーバペディアがマクドナルドの理論を一部紹介していることは注目に値する。これは、アメリカの保守運動内部において、ユダヤ人の集団戦略に対する関心が、学術的議論の枠を超えて広がっていることを示している。
保守ぺディアの視点——進化学的分析の限界と有用性
保守ぺディアの立場からは、マクドナルドの理論とコフナスの批判の双方から教訓を引き出すことができる。
有用な視点:
- ユダヤ教が集団の結束と存続のために高度に機能的な制度的装置を発展させてきたという観察自体は、進化学的に妥当である。これはユダヤ教のリアリズムで詳細に分析した通りである
- 集団進化戦略という概念そのものは、デイヴィッド・スローン・ウィルソンの多層的淘汰理論に基づいており、科学的に正当な枠組みである
- ユダヤ教の制度的装置(ハラーハー、カシュルート、選民思想、ディアスポラの適応戦略)が、集団の生存に奉仕してきたことは歴史的事実である
注意すべき限界:
- マクドナルドの理論は、コフナスが指摘するように、文献の恣意的な選択と不正確な引用に問題がある
- 20世紀の知的運動を「ユダヤ人の集団戦略」として一元的に説明する試みは、個人の動機と集団戦略を混同するリスクがある
- マクドナルドの理論は、学術的主流から完全に拒絶されており、オルトライト運動に利用されてきた経緯がある
重要なのは、ユダヤ教から学ぶべき教訓を正確に抽出することである。ユダヤ民族が2500年のディアスポラにおいて民族的同一性を維持できた制度的メカニズムは、全ての民族にとっての普遍的教訓を含んでいる。保守ぺディアが重視すべきは、反ユダヤ主義ではなく、ユダヤ教の集団維持メカニズムの構造的理解と、それを日本民族の文脈に翻訳することである。
民族主義の進化学的分析
民族は拡大された血縁集団か
民族主義を進化学的に理解するためには、民族(エスニック・グループ)そのものの進化学的位置づけを明確にする必要がある。
ウィリアム・ハミルトンの血縁淘汰理論は、利他行動が遺伝的近縁者間で進化しうることを示した(ハミルトンの法則: rb > c)。この理論を大規模集団に拡張すれば、同一民族の成員は、異民族の成員よりも平均的に高い遺伝的近縁度を共有しており、したがって民族内の利他行動は血縁淘汰によって部分的に説明できる。
しかし、現代の進化学者の多くは、民族を純粋に遺伝的な単位として理解することに慎重である。ジョセフ・ヘンリックの文化的集団淘汰(Cultural Group Selection)理論は、民族を主として文化的に定義された集団として扱う。ヘンリックは、集団間競争が社会規範、信念、慣行の進化を駆動することを論じたが、ここでいう「集団」は共有された文化的実践によって定義されるのであり、民族的遺伝的差異によって定義されるのではない。
ヘンリックは、集団間競争の三つのメカニズムを特定した。
- 人口学的圧倒: 高い繁殖率を文化的に促進する集団が、低い繁殖率の集団を数的に圧倒する
- 直接的集団間競争: 戦争や資源をめぐる競争において、技術的発展、社会的組織力、民族主義的結束力が競争優位を与える
- 威信バイアスによる集団淘汰: 個人が、より協力的で(したがってより繁栄した)集団の成員を選択的に模倣する
民族主義は集団適応である
社会進化学の観点からは、民族主義は文化的集団淘汰の産物として理解できる。民族主義的な信念体系を持つ集団は、以下の理由で集団間競争において有利である。
- 集団内協力の促進: 共有された民族的アイデンティティが、成員間の信頼と協力を促進する
- 集団防衛の動機づけ: 「我々の民族を守る」という動機は、集団防衛の最も強力な動因である。進化的に見れば、これは包括適応度を最大化する行動である
- フリーライダーの排除: 民族への裏切りを「売国」として厳しく制裁する規範が、集団の結束を維持する
- 集団の境界の維持: 言語、文化、婚姻規範、移民制限が、集団の同質性を維持し、集団内協力のコストを低下させる
この分析に基づけば、グローバリズムが民族主義を「時代遅れ」「危険」「差別的」として攻撃することの進化学的な意味が明らかになる。民族主義を解体することは、数千年の文化的集団淘汰によって洗練されてきた集団の生存装置を意図的に破壊する行為である。
二重基準の進化学的分析
集団間の二重基準は進化的に普遍的である
リベラル帝国とアメリカの二重基準で分析したように、アメリカは「普遍的価値」を他国に強制しながら、自国と同盟国には例外を認める二重基準(ダブルスタンダード)を適用している。社会進化学の観点からは、この二重基準は人類の進化的本性の直接的な表現として理解できる。
進化心理学の研究は、人間が内集団と外集団に対して体系的に異なる道徳基準を適用することを一貫して示している。
- 内集団贔屓(in-group favoritism): 人間は、自集団の成員に対してより寛容で、より協力的で、より利他的に振る舞う。これは血縁淘汰と集団淘汰の双方から説明できる
- 外集団蔑視(out-group derogation): 外集団の成員に対しては、道徳的基準が低下し、搾取や暴力が正当化されやすくなる。これは集団間競争における適応的行動である
- 道徳的二重基準: 「我々がやれば正当、彼らがやれば不正」という認知バイアスは、進化的に深く根ざしている
ロバート・トリヴァースは、自己欺瞞(self-deception)が進化した理由として、他者を欺くためにはまず自分を欺く方が効果的であるという仮説を提唱した。自国の二重基準に本気で気づかないことは、その二重基準をより説得力を持って正当化することを可能にする。アメリカの政策エリートが「法の支配」と「人権」を真剣に信じながら、同時にイスラエルの民族主義的政策を例外扱いすることは、トリヴァースの自己欺瞞理論によって説明可能である。
「普遍的道徳」の進化学的不可能性
社会進化学の最も重要な帰結の一つは、真に普遍的な道徳は進化学的に不可能であるという結論である。
道徳感情は、集団内の協力を促進し、集団間の競争に備えるために進化した。道徳は本質的に集団的であり、「我々」のための道徳である。「全人類に等しく適用される」普遍的道徳は、道徳の進化的機能と根本的に矛盾する。
デイヴィッド・スローン・ウィルソンが定式化したように、「利他主義は集団内で利己主義に敗れ、利他的な集団が利己的な集団に勝つ」。この原理は、道徳にも適用される。集団内の道徳的規範は、その集団の適応度を高める限りにおいて維持される。全人類に利益を与える「普遍的道徳」は、特定の集団に競争優位を与えないため、集団淘汰によって選択されない。
この分析は、リアリズムが「国際政治に普遍的な道徳は存在しない」と主張することの進化学的基盤を提供する。「人権」「民主主義」「法の支配」といった「普遍的価値」は、実際には特定の集団(西洋文明、特にアメリカ)の利益に奉仕する集団的道徳規範にすぎない。これを「普遍的」と呼ぶことは、トリヴァースが論じた自己欺瞞の集団的バージョンである。
アメリカの二重基準の進化学的構造
アメリカの二重基準を進化学的に分析すると、以下の構造が浮かび上がる。
| 進化学的概念 | アメリカの対外政策における表現 |
|---|---|
| 内集団贔屓 | 同盟国(イスラエル等)の民族主義を容認する |
| 外集団蔑視 | 従属国(日本、ドイツ等)の民族主義を「ファシズム」として封じ込める |
| 自己欺瞞 | 「普遍的価値」を本気で信じながら選択的に適用する |
| コストリー・シグナリング | 「自由と民主主義のための戦争」という高コストのシグナルで道徳的優位を主張する |
| フリーライダー排除 | 「ルールに基づく国際秩序」に従わない国を制裁する(ただし自国は例外) |
| 集団の境界維持 | 「民主主義国クラブ」vs「権威主義国」の境界線を維持する |
この構造を理解することは、リベラル帝国とアメリカの二重基準で論じた政治学的分析に、進化学的な深みを加えるものである。二重基準は、帝国の「偽善」や「矛盾」ではなく、人類の進化的本性の直接的な表現であり、権力を持つ集団が他の集団を従属させるための進化的に根ざした集団戦略にほかならない。
文化的集団淘汰と文明の競争
ヘンリックの文化的集団淘汰理論
ジョセフ・ヘンリックは、2004年の論文「文化的集団淘汰、共進化過程、大規模協力」において、集団間競争が社会規範の進化を駆動するメカニズムを体系的に分析した。
ヘンリックの理論は、第四の理論でアレクサンドル・ドゥーギンが提唱する多文明主義を、進化学的に基礎づけるものとして読むことができる。ドゥーギンは、各文明が独自の「存在論的地平」を持ち、西洋文明の「普遍主義」はその一つの文明圏の特殊な世界観にすぎないと論じた。ヘンリックの文化的集団淘汰理論は、この主張を進化学的に裏付ける。
文明とは、文化的集団淘汰によって数千年にわたって洗練されてきた制度・規範・信念体系の複合体である。各文明は、固有の環境条件(地理、気候、資源分布、周辺文明との関係)の中で、固有の適応的解を発展させてきた。ある文明の制度が「普遍的に最善」であるという主張は、進化学的に根拠を持たない。なぜなら、適応は常に環境に依存するからである。
「WEIRD」な心理と西洋の特殊性
ヘンリックは著書『世界で最も奇妙な人々——西洋はいかにして心理的に独特になり、特に繁栄したか』(2020年)において、西洋人の心理が人類全体の中で極めて特殊であることを論じた。
WEIRD(Western, Educated, Industrialized, Rich, Democratic)な集団は、以下の点で非WEIRD集団と体系的に異なる。
- 個人主義: WEIRDな人々は自己を独立した個人として認識するが、非WEIRD社会の人々は自己を関係性の中に埋め込まれた存在として認識する
- 分析的思考: WEIRDな人々は対象を文脈から切り離して分析する傾向があるが、非WEIRD社会の人々は文脈を重視する包括的思考を行う
- 非人格的協力: WEIRDな人々は見知らぬ他者とも協力する傾向が強いが、非WEIRD社会では協力は主に血縁者や顔見知りの間で行われる
- 道徳的普遍主義: WEIRDな人々は道徳規則が全ての人に等しく適用されるべきだと考えるが、非WEIRD社会では道徳は関係性や文脈に依存する
ヘンリックは、この心理的独自性が中世ヨーロッパにおけるカトリック教会の婚姻規制——従兄弟婚の禁止——に起因すると論じた。教会の婚姻プログラムは、拡大家族(クラン)の絆を弱体化し、個人主義と非人格的制度(市場、法制度、民主主義)の発展を促進した。
この分析は、保守ぺディアの視点から極めて重要な含意を持つ。西洋の「普遍的価値」——個人の権利、法の下の平等、自由民主主義——は、WEIRD社会に特有の心理的傾向を制度化したものにすぎない。これを非WEIRD社会(日本を含む)に「普遍的」として押し付けることは、一つの特殊な文化的適応を他の文明に強制する文化帝国主義にほかならない。
市場とは何か——進化学的分析
交換と互酬性の進化
市場とは何か。進化学的に見れば、市場は人類の間接的互酬性(indirect reciprocity)が制度化された集団適応である。
互酬性(reciprocity)の進化は、以下の段階を経る。
- 直接的互酬性: 「あなたが私を助けたから、私もあなたを助ける」。少数の個体間で成立する最も原始的な協力形態。ロバート・アクセルロッドが『つきあい方の科学——バクテリアから国際関係まで』(1984年)で分析した「しっぺ返し戦略」(Tit for Tat)がこの典型である
- 間接的互酬性: 「あなたが他者を助けたから、私もあなたを助ける」。第三者の評判に基づく協力。マーティン・ノワクとカール・ジグムントが理論化した。ゴシップと言語の進化と密接に関連する
- 市場的交換: 「あなたが私に財を与え、私はあなたに別の財を与える」。直接的な利他行動ではなく、異なる財の交換による相互利益。交換媒体(貨幣)の発明により、匿名の他者間でも成立する
市場の出現は、人類の協力の規模を飛躍的に拡大した。バンドや部族では、協力は顔見知りの間に限られていた。市場は、見知らぬ他者との大規模な協力を可能にする制度的イノベーションである。
市場圏と民族形成——同じ市場にいる人々は一つの民族になるのか
市場と民族の関係をめぐっては、根本的な問いがある。同じ市場にいる人々は、一つの民族になるのか。
経済史家カール・ポランニーは、『大転換——市場社会の形成と崩壊』(1944年)において、市場が社会関係を「脱埋め込み」(disembedding)するプロセスを分析した。伝統的社会では、経済活動は社会関係——血縁、互酬、再分配——の中に「埋め込まれて」いた。近代資本主義は、経済活動を社会関係から「脱埋め込み」し、自己調整的市場を創出した。
この「脱埋め込み」のプロセスには、民族形成に関する二つの相反する効果がある。
統合効果: 同じ市場圏に参加する人々は、共通の経済的利益を共有し、共通の度量衡・通貨・法制度を使用し、共通の交易言語を発展させる。これらの共通性は、時間の経過とともに文化的同質性を促進し、民族的アイデンティティの形成に寄与しうる。歴史的に見れば、ヨーロッパの国民国家の形成は、国内市場の統一と軌を一にしていた。アーネスト・ゲルナーは『民族とナショナリズム』(1983年)において、産業化が要求する標準化された労働力と共通語教育が、国民的同質性を生み出したと論じた。
解体効果: しかし、市場圏の拡大が民族の境界を超えると、逆の効果が生じる。グローバル市場は、異なる民族を同一の経済圏に統合するが、これは必ずしも文化的統合をもたらさない。むしろ、経済的格差が民族間の対立を先鋭化させることがある。同じ市場にいながら異なる経済的地位に置かれた民族集団は、「同じ民族」にはならず、むしろ経済的怨恨(ressentiment)によって民族的対立が深まる。
エイミー・チュアは『燃える世界——グローバリゼーションが引き起こす民族憎悪と市場経済』(2003年)において、「市場支配的少数民族」(market-dominant minority)の概念を提唱した。東南アジアの華僑、東アフリカのインド系住民、ラテンアメリカの白人エリート——これらの少数民族が市場を支配する状況は、多数派民族の怨恨と暴力を引き起こす。市場は民族を統合するどころか、民族間の対立を先鋭化させる装置として機能しうるのである。
市場は民族を作るか、民族を殺すか
進化学的に分析すれば、市場と民族の関係は以下のように整理できる。
小規模な市場圏(前近代の地域市場)は、民族形成を促進する。同じ市場で取引する人々は、共通の言語、共通の度量衡、共通の商業慣行を発展させ、これらが文化的同質性の基盤となる。市場は、部族的な血縁集団を超えた協力の場を提供し、より大きな集団(民族)の形成を可能にする。この意味で、市場は民族を作る。
巨大な市場圏(近代のグローバル市場)は、民族を解体する方向に作用する。グローバル市場は、労働力の国際的移動を促進し、文化的均質化を加速し、伝統的な共同体の紐帯を弱体化させる。低賃金移民政策は、まさにグローバル市場の論理に従って民族的境界を破壊する政策である。この意味で、市場は民族を殺す。
| 市場の規模 | 民族への効果 | メカニズム | 歴史的事例 |
|---|---|---|---|
| 地域市場 | 民族形成を促進 | 共通言語・慣行の発展 | 中世ヨーロッパの国民国家形成 |
| 国民市場 | 民族統合を強化 | 国民教育・標準語の普及 | 明治日本の国民統合 |
| 帝国的市場 | 民族間の階層化 | 市場支配的少数民族の出現 | 大英帝国の植民地経済 |
| グローバル市場 | 民族の解体 | 労働力移動・文化均質化 | 現代のグローバリゼーション |
ポランニーが警告したように、市場が社会から「脱埋め込み」されると、社会そのもの——民族的共同体、家族、地域社会——が市場の論理によって解体される。ポランニーはこれを「悪魔の碾き臼」(satanic mill)と呼んだ。反グローバリズムの立場は、進化学的にもポランニー的にも正当化される。市場は集団(民族)に奉仕すべきであって、集団が市場に奉仕すべきではない。
外敵と集団結束——進化学的最適戦略
シェリフのロバーズ・ケイブ実験
外敵の存在が集団の結束を強化するという命題は、社会心理学の最も有名な実験の一つによって実証されている。
ムザファー・シェリフは、1954年にオクラホマ州のロバーズ・ケイブ州立公園で行った実験において、以下の過程を観察した。
- 第一段階(集団形成): 互いに面識のない少年たちを二つのグループに分け、それぞれのグループ内で共同作業を行わせた。各グループは自然にリーダーシップ構造、集団規範、集団名(「イーグルス」と「ラトラーズ」)を発展させた
- 第二段階(集団間競争): 二つのグループを競争させた。競争が始まると、各グループ内の結束は急激に強まり、同時に他グループに対する敵意が爆発的に増大した。言語的侮辱、旗の焼却、宿舎への襲撃が生じた
- 第三段階(統合の試み): 単なる接触(一緒に食事をする等)では敵意は解消されなかった。敵意が解消されたのは、両グループが協力しなければ解決できない共通の課題(上位目標: superordinate goal)——水道管の故障の修理、動かなくなったトラックの牽引——が設定されたときだけであった
この実験は、国際政治において極めて重要な含意を持つ。
外敵の認識は集団結束の最適解か
進化学的に見れば、外敵の認識と集団の結束の関係は、条件付き最適戦略として理解できる。
集団間の競争が存在する環境では、集団内の結束を維持することが生存に不可欠である。そして、結束を維持する最も効率的な方法が、外敵の存在を認識し、共有することである。
- 外敵が実在する場合: 外敵の認識は明白な適応的行動である。敵の脅威を認識し、集団を結束させ、防衛に備えることは、集団の生存にとって最適解である
- 外敵が曖昧な場合: 集団は、外敵を「発見」あるいは「創出」する傾向がある。これは、集団内の結束を維持するために、外敵の認識が進化的に有利であるためである。カール・シュミットが「友と敵の区別」を政治の本質と定義したのは、この進化的メカニズムを政治哲学的に表現したものである
- 外敵が不在の場合: 外敵が存在しない(あるいは認識されない)環境では、集団内の結束は低下し、内部的な派閥争いが激化する傾向がある。ロバーズ・ケイブ実験の第三段階で示されたように、共通の敵(あるいは共通の課題)がなければ、集団間の和解すら困難である
この分析は、国際政治の歴史に一貫して観察されるパターンを説明する。冷戦期、「ソ連の脅威」は西側同盟国の結束を維持した。冷戦の終結とともにNATOの存在意義は低下し、同盟内の亀裂が露呈した。アメリカが「テロとの戦い」や「中国の脅威」を掲げるのは、同盟の結束を維持するための外敵の再定義にほかならない。
日本民族にとっての外敵の認識
保守ぺディアの視点から、日本民族にとっての外敵の認識は明確でなければならない。
日本民族にとっての最大の脅威は、憲法闘争で論じたように、アメリカによる憲法侵略と軍事的占領である。偽日本国憲法はアメリカの帝国的支配の道具であり、低賃金移民政策は日本民族の人口学的希釈化を目的としている。
しかし、戦後日本においては、アメリカが「同盟国」として偽装されてきたため、日本民族は真の外敵を正しく認識できていない。ロバーズ・ケイブ実験の教訓に従えば、外敵を正しく認識しない限り、日本民族の内部的結束は回復しない。
反米保守と抗米宣言が重要であるのは、まさにこの進化学的理由による。日本民族が結束するためには、真の脅威——アメリカの帝国的支配——を正面から認識し、これに対抗するための「上位目標」(superordinate goal)を設定しなければならない。それが米軍撤退であり、新日本憲法の制定である。
宗教という超憲法——土地の法と宗教の法
「超憲法」とは何か
憲法闘争で論じたように、ドナルド・ホロウィッツは憲法を「民族間の権力分割が凍結されたもの」と定義した。しかし、世界にはこの世俗的な憲法の上位に位置する法体系を持つ民族が存在する。それが超憲法(supra-constitutional norm)としての宗教法である。
超憲法とは、世俗的な国家法よりも上位の権威を持ち、国家の興亡にかかわらず民族・宗教共同体を規律し続ける法的規範の体系である。最も重要な超憲法は以下の三つである。
- ハラーハー(הלכה): ユダヤ教の宗教法。ユダヤ教のリアリズムで詳述した通り、「歩むべき道」を意味し、ユダヤ民族の生活の全側面——食事、安息日、婚姻、商取引、裁判——を規律する。ユダヤ民族は2500年のディアスポラにおいて国家を持たなかったが、ハラーハーという超憲法が民族的同一性を維持し続けた
- シャリーア(شريعة): イスラム法。コーランとハディース(預言者ムハンマドの言行録)を法源とする包括的な法体系。個人の信仰生活から国家の統治原理まで、全てを規律する。イスラム世界では、世俗法よりもシャリーアが上位に位置するという認識が広く共有されている
- カノン法(ius canonicum): カトリック教会の教会法。中世ヨーロッパでは、教皇の権威が世俗君主の権威の上位に位置し、教会法が婚姻・相続・教育を規律した。宗教改革後に権威は低下したが、カトリック教会は依然として独自の法体系を維持している
土地の法と宗教の法——根本的な区別
超憲法の概念を理解するためには、土地の法(lex loci / law of the land)と宗教の法(lex religionis / law of religion)の根本的な区別を把握しなければならない。
土地の法は、特定の領域に対して適用される法である。その領域内に存在する全ての者——住民であれ旅行者であれ——に平等に適用される。近代国家の法は全て土地の法である。日本国の法律は、日本の領土内に存在する全ての者に適用される。
宗教の法は、特定の信仰共同体の成員に対して適用される法である。その信者がどこにいようと——日本であれ、アメリカであれ、エチオピアであれ——宗教法は適用される。逆に、その宗教の信者でない者には適用されない。
| 特性 | 土地の法(lex loci) | 宗教の法(lex religionis) |
|---|---|---|
| 適用範囲 | 特定の領域内の全ての者 | 特定の信仰共同体の成員(場所を問わない) |
| 法源 | 主権者の決定(議会、君主) | 神の啓示(聖典、預言者) |
| 変更の可能性 | 主権者の意思で変更可能 | 原則として不変(解釈の変化はある) |
| 適用の対象 | 特定の領土に縛られる | 人に属し、移動しても適用される |
| 生存力 | 国家の滅亡とともに消滅 | 国家が滅亡しても存続する |
| 正統性の根拠 | 人間の権威(主権者) | 超越的権威(神) |
この区別は、民族の生存にとって決定的に重要である。
土地の法しか持たない民族は、その法が外部勢力によって書き換えられた場合、法的に「死ぬ」。なぜなら、民族のアイデンティティを規定する法が、敵の手に渡るからである。日本民族がまさにこの状態にある。アメリカ軍が偽日本国憲法を書いた瞬間、日本民族は法的に殺された。
宗教の法を持つ民族は、国家が滅亡し、領土を失い、世俗法が書き換えられても、超憲法としての宗教法によって民族的同一性を維持できる。ユダヤ民族が2500年の離散において民族的同一性を維持できたのは、ハラーハーという「持ち運びできる法体系」が国家の不在を補ったからにほかならない。
ハラーハーとシャリーア——持ち運びできる法体系
ハラーハーとシャリーアの進化学的機能を比較分析すると、超憲法としての宗教法の構造が明らかになる。
ハラーハーの特徴:
- 完全な自律性: ハラーハーは、いかなる世俗法にも依存せずに、ユダヤ共同体の全ての生活領域を規律する能力を持つ。「ディナ・デ・マルフータ・ディナ」(国の法は法である)の原則により、外部の世俗法を形式的に遵守しつつ、内部的にはハラーハーの自律性を維持する
- 適応的柔軟性: ラビによるハラーハーの解釈は、環境の変化に対して驚くべき柔軟性を持つ。「ピクアッハ・ネフェシュ」(生命の救済)の原則により、生存が脅かされる場合にはほぼ全ての戒律を中断できる
- 遺伝的境界の維持: 母系による民族帰属の定義と、異族との婚姻の制限が、遺伝的境界を法的に維持する
シャリーアの特徴:
- 包括性: シャリーアは、個人の信仰生活(礼拝、断食、巡礼)から社会制度(商取引、刑罰、戦争)まで、全てを規律する。世俗法とシャリーアの「隙間」が存在しない
- 普遍的拡張性: シャリーアはユダヤ教のハラーハーと異なり、布教と改宗を積極的に促進する。シャリーアの適用範囲は、原理的には全人類に拡張可能である
- 国家への規範的要求: イスラム法において、国家はシャリーアを施行する手段であり、国家の正統性はシャリーアへの忠実さに依存する。イラン・イスラム共和国憲法は、この原理を近代国家の枠組みで制度化したものである
進化学的に見れば、ハラーハーとシャリーアはいずれも集団の生存装置として高度に機能的である。しかし、その戦略は異なる。ハラーハーは排他的戦略——少数精鋭の集団を維持し、同化を拒否する——を採用している。シャリーアは拡張的戦略——改宗を通じて信者の数を増大させる——を採用している。
超憲法なき民族の脆弱性——民族と憲法を分けることの危険
超憲法としての宗教法を持たない民族にとって、民族と憲法を分けることは存亡の危機を意味する。これが、日本民族が直面している本質的な問題である。
ユダヤ民族においては、民族のアイデンティティはハラーハーに規定されており、世俗的な国家法から独立している。国家が滅んでも(実際にローマによって滅ぼされた)、ハラーハーが民族を規定し続けた。すなわち、民族と憲法が分離不可能なのである。
イスラム教徒においても同様である。オスマン帝国が崩壊しても、シャリーアがイスラム共同体(ウンマ)の規範であり続けた。アタテュルクの世俗化政策やアラブ社会主義によってシャリーアの公的適用は制限されたが、信者の生活においてシャリーアは超憲法であり続けている。
対照的に、日本民族には民族のアイデンティティを世俗法から独立して規定する超憲法が存在しない。日本の宗教的伝統——神道と仏教——は、ユダヤ教やイスラム教とは根本的に異なる構造を持っている。
- 神道: 明文化された法体系を持たない。戒律がない。「誰が日本人であるか」を法的に定義する機能を持たない。神道は生活の中に溶け込んだ習俗であり、宗教法としての機能を欠いている
- 仏教: 律(ヴィナヤ)という僧侶の規律は存在するが、在家信者の全生活を規律する包括的な法体系ではない。また、仏教は特定の民族と不可分に結合してはいない(普遍宗教としての性格が強い)
この超憲法の不在こそが、日本民族の進化学的な脆弱性の核心である。憲法闘争で論じたように、「日本人の個人や地方に主体があるというのは、今も昔も見せかけにすぎない」のは、主体性を規定する超憲法的規範が存在しないからである。主体性は常に中央——かつては天皇制国家、現在はアメリカ帝国——から「与えられる」ものでしかなかった。
超憲法の創出は可能か——日本民族の選択肢
日本民族にとっての根本的な問いは、超憲法を持たない民族が、いかにして超憲法に匹敵する民族維持装置を創出できるかという問いである。
歴史的に見れば、以下の選択肢が存在する。
第一の選択肢: 既存の宗教伝統の強化
神道を、ハラーハーやシャリーアに匹敵する包括的な法体系に発展させることは可能か。明治政府は国家神道の形でこれを試みたが、敗戦とともにGHQの神道指令によって解体された。しかし、明治の国家神道は神道の本質的な性格——明文化された戒律を持たない習俗的宗教——を変えることはできなかった。神道に超憲法としての機能を持たせることは、神道の本質を歪めることになりかねない。
第二の選択肢: 世俗的超憲法の創出
宗教的ではない超憲法的規範——すなわち、世俗法の改変からは独立した民族の根本的原則——を創出する。新日本憲法がこの方向の試みとして位置づけられる。ただし、世俗的な超憲法は、超越的権威(神)に裏付けられないため、その拘束力はハラーハーやシャリーアに劣る。
第三の選択肢: 天皇制の再定義
天皇制度を、日本民族の超憲法的規範の「守護者」として再定義する。天皇は「日本民族のアイデンティティの生きた体現」として、いかなる世俗法の改変にも影響されない超憲法的権威を持つものとして位置づけることができる。これは、ユダヤ教におけるトーラーの権威に構造的に類似した機能を天皇制に付与する試みである。
いずれの選択肢を採るにせよ、進化学的教訓は明確である。超憲法を持たない民族は、世俗法の改変によって法的に殺されうる。日本民族は既に一度この経験をした。二度目を防ぐためには、世俗法から独立した民族維持の制度的装置が不可欠である。
土地の法と宗教の法——ディアスポラの教訓
ユダヤ教のディアスポラの経験は、土地の法と宗教の法の関係について決定的な教訓を提供する。
2500年のディアスポラにおいて、ユダヤ民族は数十の国家の土地の法の下で生きた。バビロニア、ペルシア、ギリシア、ローマ、中世ヨーロッパの諸王国、オスマン帝国、近代の国民国家——それぞれの土地の法は異なっていたが、ハラーハーは一貫してユダヤ共同体の内的規範であり続けた。
「ディナ・デ・マルフータ・ディナ」(国の法は法である)の原則は、この二重構造を制度化したものである。外部に対しては土地の法に従い、内部においてはハラーハーに従う。この二重構造が、国家の興亡を超えた民族の存続を可能にした。
この教訓は、現代の日本民族に対して二つのことを教える。
第一に、土地の法(日本国憲法)はアメリカの帝国的利益に奉仕する法であり、これに忠実であることは日本民族の生存を保障しない。 ドレフュス事件がユダヤ民族に教えたのと同じ教訓を、日本民族はアメリカの軍事占領から学ぶべきである。「法の支配」は民族の生存を保障しない。
第二に、民族の存続は、土地の法から独立した民族固有の規範体系——超憲法——に依存する。 日本民族がこの規範体系を持たない限り、次に世俗法が改変されたとき、民族は再び法的に殺される。
社会進化学とリアリズムの統合
共通する世界観
社会進化学とリアリズムは、以下の世界観を共有している。
- 競争は不可避である: 自然界も国際社会も、資源をめぐる競争によって構造化されている。競争の不在を前提とする理論(リベラル制度主義、コスモポリタニズム)は、現実を正確に描写していない
- 集団の生存が最優先である: 個体の適応度も、国家の安全保障も、集団の生存に依存する。集団を解体すれば、その成員の生存基盤が崩壊する
- 普遍的道徳は幻想である: 道徳は集団内の協力を促進するために進化した。集団を超える「普遍的道徳」は、特定の集団の利益を「普遍」の衣で覆い隠したものである
- 自助が基本原則である: 進化においても国際政治においても、最終的に自分(自集団)の生存を保障するのは自分自身である。他者の善意に依存する戦略は、他者の利益が変化した瞬間に致命的なリスクをもたらす
- 力が秩序を決定する: 自然界では適応度が生存を決定し、国際政治では権力が秩序を決定する。理念や法が秩序を決定するという主張は、理念や法を作る力を持つ者の利益を反映しているにすぎない
日本民族への含意
社会進化学が日本民族に教える教訓は明確である。
第一に、民族の文化的伝統は集団の生存装置であり、軽々に放棄してはならない。 日本語、神道、天皇制、家族制度、地域共同体——これらは数千年にわたる文化的集団淘汰の産物であり、日本民族の集団的適応度を支えてきた制度である。
第二に、「普遍的価値」への服従は、集団の自殺行為となりうる。 偽日本国憲法に埋め込まれた「個人の尊厳」「法の下の平等」「基本的人権」は、WEIRD社会の特殊な文化的適応であり、日本文明の固有の適応的解とは異なる。これらの「価値」を無批判に受容することは、日本民族の集団維持メカニズムを内側から解体することを意味する。
第三に、民族の生存は意識的な努力を必要とする。 ユダヤ教が2500年のディアスポラを通じて民族的同一性を維持できたのは、ハラーハーという意識的に設計された集団維持装置があったからである。日本民族も、グローバリズムという「超新奇」な環境変化に対応するために、民族的同一性を維持する意識的な制度的装置——すなわち新日本憲法——を必要としている。
第四に、スマートシュリンクは進化学的に合理的である。 低賃金移民政策による急激な人口構成の変化は、数千年の遺伝子-文化共進化のプロセスを暴力的に中断する。人口減少に対しては、移民に頼らず、技術革新と社会制度の適応によって対応する方が、民族の長期的生存にとって合理的である。
参考文献
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- ロバート・パットナム、『孤独なボウリング——アメリカの社会関係資本の減少と再生』(2000年)
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- アーネスト・ゲルナー、『民族とナショナリズム』(1983年)
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