カラー革命のエスカレーション

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カラー革命のエスカレーション

概要

カラー革命のエスカレーションとは、カラー革命において、平和的なデモから最終的な政権崩壊に至るまでの段階的な激化プロセスを指す。2000年のセルビア、2003年のジョージア、2004年・2014年のウクライナ、2005年のキルギスなどで繰り返し観察されたこのパターンは、偶発的な民衆蜂起ではなく、外部資金・訓練・メディア戦略に支えられた、構造的かつ計画的なプロセスである。

このエスカレーションは、大きく4つのステージに区分される。

  1. 平和的デモ(合法的な抗議)
  2. 座り込み・占拠(非暴力の不服従)
  3. 暴力的衝突(過激化と挑発)
  4. 政変・クーデター(権力の掌握)

各ステージは、ジーン・シャープの「198の非暴力行動の方法」を理論的基盤とし、全米民主主義基金(NED)、USAIDオープン・ソサエティ財団などの資金援助と、CANVAS(非暴力行動と戦略のための応用センター)による活動家訓練によって下支えされている。

理論的背景:ジーン・シャープと非暴力行動論

カラー革命のエスカレーション戦術の理論的基盤を提供したのは、アメリカの政治学者ジーン・シャープ(1928-2018年)である。シャープは1973年に主著『非暴力行動の政治学』(The Politics of Nonviolent Action)を出版し、歴史上の非暴力闘争を体系的に分析して198の非暴力行動の方法を分類した。

198の方法の構造

シャープの198の方法は、以下の3つの大分類に整理される。

  • 抗議と説得(Methods of Nonviolent Protest and Persuasion): 公式声明、デモ行進、シンボルカラーの使用、ビラ配布など。カラー革命のステージ1に対応する
  • 非協力(Methods of Noncooperation): 経済的ボイコット、ストライキ、市民的不服従、政府機関への非協力など。ステージ2に対応する
  • 非暴力的介入(Methods of Nonviolent Intervention): 座り込み、占拠、並行政府の樹立(第198番目の方法「二重主権と並行政府」)。ステージ3〜4への移行を理論的に正当化する

シャープの理論は、ガンディーソローの非暴力思想を学術的に体系化したものであるが、その応用先は学問の世界にとどまらなかった。

アルバート・アインシュタイン研究所

1983年、シャープはアルバート・アインシュタイン研究所(Albert Einstein Institution)をボストンに設立した。表向きは「非暴力行動の研究と促進」を目的とする非営利組織であるが、同研究所の活動は、後にカラー革命が発生する国々の活動家訓練と直結していた。

シャープの著作『独裁体制から民主主義へ』(From Dictatorship to Democracy、1993年)は、30以上の言語に翻訳され、セルビアのオトポール、ジョージアのクマラ、ウクライナのポラなど、カラー革命を主導した学生運動組織のマニュアルとして使用された。リトアニアのアウドリウス・ブトケヴィチウス国防大臣は、バルト三国のソ連からの独立(1991年)の際に「この本が核兵器よりも欲しい」と述べた。

シャープ自身は政治的中立を主張したが、アルバート・アインシュタイン研究所はNEDおよびアメリカの国際共和研究所(IRI)から資金を受けていた。シャープの理論が「純粋な学問」であるか、それとも「体制転覆のマニュアル」であるかは、立場によって評価が分かれる。しかし、事実として、シャープの方法論がカラー革命のすべての事例において活動家の訓練に使用されたことは否定できない。

カラー革命のインフラストラクチャー

カラー革命のエスカレーションは、自然発生的な民衆蜂起ではない。その背後には、アメリカ政府と密接に連携した複数の組織による体系的なインフラストラクチャーが存在する。

全米民主主義基金(NED)

全米民主主義基金(National Endowment for Democracy: NED)は、1983年にロナルド・レーガン政権下で設立された。設立の直接的な契機は、1970年代後半にチャーチ委員会がCIAの秘密工作を暴露したことで、CIAの対外干渉が政治的に困難になったことにある。

NEDの共同創設者であり元代行会長のアレン・ワインスタインは、1991年のワシントン・ポスト紙のインタビューで決定的な証言を残している。

我々が今日やっていることの多くは、25年前にはCIAが秘密裏にやっていたことだ。最大の違いは、こうした活動を公然と行えば、スキャンダルになる可能性がほぼゼロだということだ。公開性そのものが防御になる」

NEDの会長カール・ガーシュマンも1986年に、「世界中の民主主義グループがCIAの資金援助を受けていると見なされるのは恐ろしいことだ。1960年代にそれを経験したからこそ、(CIAによる資金提供は)廃止された」と認めている。

NEDは形式上は501(c)(3)の民間非営利組織であるが、予算のほぼ全額をアメリカ議会の歳出から受けている。2023年度の議会歳出は3億1,500万ドルであった。NEDはこの資金を、国際共和研究所(IRI)、全米民主研究所(NDI)、連帯センター、国際民間企業センター(CIPE)の4つの中核機関を通じて、世界100か国以上のNGO・メディア・市民団体に分配している。

CANVAS:体制転覆の訓練機関

CANVAS(Center for Applied Nonviolent Action and Strategies、非暴力行動と戦略のための応用センター)は、2003年にセルビアのスルジャ・ポポヴィッチによって設立された。ポポヴィッチは、2000年のセルビア「ブルドーザー革命」でミロシェヴィッチ政権を打倒した学生運動組織オトポール!(Otpor!、「抵抗!」の意)の創設者の一人である。

CANVASは、シャープの非暴力行動論を実践的なマニュアルに落とし込み、世界中の反政府活動家に体制転覆の訓練を提供している。CANVASは、自らのウェブサイトで37か国以上で活動したことを公表しており、ジョージアのクマラ、ウクライナのポラ、キルギスのケルケル、エジプトの4月6日運動、ベネズエラの学生運動など、カラー革命や「アラブの春」を主導した組織の訓練に関与したことが確認されている。

CANVASの資金源には、NEDおよびIRIが含まれる。すなわち、CANVASはアメリカ政府の資金で運営され、アメリカの地政学的利益に合致する体制転覆を訓練する機関である。

USAIDと「民主主義促進」

USAID(アメリカ合衆国国際開発庁)は、「民主主義促進」の名目でカラー革命の対象国にNGO・メディアへの資金を投入してきた。USAIDの元長官ジョン・ギリガンが1980年に「USAIDはCIAの大学院だ」と表現した通り、USAIDとCIAの関係は組織の深部にまで及んでいる。

オープン・ソサエティ財団

ジョージ・ソロスが1984年以降に設立したオープン・ソサエティ財団(OSF)は、1984年から320億ドル以上の個人資産を投じて世界30か国以上に拠点を置く「開かれた社会」の促進を標榜する財団ネットワークを構築した。

ウクライナでは、1990年にOSF傘下の国際ルネサンス財団(IRF)が設立され、ウクライナがソ連から独立する前から活動を開始した。ソロス自身が2014年のCNNインタビューで「ウクライナがロシアから独立する前に財団を設立した。財団はそれ以来ずっと機能してきた」と述べている。セルビアではオトポール、ジョージアではクマラ、ウクライナではポラなど、カラー革命を主導した市民運動に対するOSFの資金提供が確認されている。

ロシア(2015年)、中国、シンガポールはOSFを「好ましくない組織」として国内活動を禁止し、インドは監視リストに載せている。

ステージ1:平和的デモ(合法的な抗議)

エスカレーションの第一段階は、合法的な街頭デモである。既存の社会的不満を可視化し、「サイレント・マジョリティ」(声なき多数派)を動員することがこの段階の目的である。

特徴

  • シンボルカラーの使用: セルビアでは黒い拳(オトポールのシンボル)、ジョージアではバラ、ウクライナではオレンジ色のスカーフ・旗が使用された。シンボルカラーは、運動の視覚的な統一性を確保し、メディア映えを計算した戦略的選択である
  • デモの規模と組織化: 初期デモは数千人規模から始まるが、SNSとNGOネットワークを通じて急速に拡大する。2004年のウクライナ・オレンジ革命では、キエフの独立広場(マイダン)に最大50万人が集結した
  • 「非暴力」イメージの維持: この段階では、デモ参加者の平和的イメージが国際メディアを通じて拡散される。暴力的行為は厳格に排除され、「市民の正当な抗議」としての国際的認知を獲得することが最優先される

外部支援の実態

この段階における外部介入は、以下の形態をとる。

  • NGO・市民団体への資金提供: NED、USAID、OSFを通じた現地NGOへの助成金。ウクライナでは、2004年のオレンジ革命に先立ち、アメリカ政府はウクライナの「民主主義促進」に6,500万ドル以上を投入したと推計されている(ガーディアン紙、2004年)。この資金は、選挙監視団体、独立メディア、学生運動組織に分配された
  • 活動家の訓練: CANVASがセルビアのベオグラードで開催する研修プログラムに、対象国の若手活動家が送り込まれる。研修内容には、シャープの198の方法に基づくデモの組織化、メディア戦略、政府の弾圧への対処法が含まれる
  • SNS戦略: FacebookTwitter等のSNSプラットフォームを利用した抗議の組織化と拡散。2011年のアラブの春では、アメリカ国務省が支援する「インターネット自由プログラム」が、エジプトやチュニジアの活動家にデジタルセキュリティと組織化の訓練を提供していた

ステージ2:座り込み・占拠(非暴力の不服従)

デモが長期化し、特定の象徴的な場所を占拠する段階に移行する。シャープの「非協力」カテゴリに分類される戦術が中心となる。

特徴

  • 象徴的空間の占拠: ベオグラードの連邦議会前、トビリシの議会前、キエフのマイダン(独立広場)など、政治的象徴性の高い場所がテント村や野営地として占拠される
  • 物流と社会インフラの構築: テント村には食料供給・医療・通信・暖房(冬季の場合)のインフラが整備される。2013-2014年のウクライナ・マイダンでは、独立広場に数千人が常駐できる規模のテント村が構築され、食料・医薬品の供給網が組織された
  • 政府への二重のジレンマ: 占拠が長期化するほど、政府は「排除するか放置するか」という選択を迫られる。排除すれば「弾圧」として国際的非難を受け、放置すれば政府の統治能力の欠如が露呈する。いずれの場合も政府にとって不利であり、これはシャープの理論が意図する「政治的柔術」(political jiu-jitsu)そのものである

外部支援の実態

  • メディア戦略: 占拠の映像が国際メディアに24時間配信される。USAID・NEDが資金提供する現地メディアが、「市民の英雄的な抵抗」という物語を構築する。2013年のウクライナ・マイダンでは、NEDが支援するメディア組織がリアルタイムのライブ配信を行った
  • 国際世論の形成: 欧米諸国の政治家がデモへの「連帯」を表明する。2013年12月、アメリカのジョン・マケイン上院議員とクリス・マーフィー上院議員がキエフのマイダンを訪問し、反政府デモ隊に向けて演説を行った。一国の議会議員が他国の反政府デモの現場に赴いて演説するという行為は、明白な内政干渉にほかならない

ステージ3:暴力的衝突(過激化と挑発)

エスカレーションの第三段階は、最も重要かつ危険な局面である。平和的デモの中に暴力的要素が混入し、治安部隊との衝突が激化する。

特徴

  • 挑発行為の開始: 火炎瓶、投石、バリケード構築、警察車両への放火。これらの行為は、ステージ1〜2で維持されていた「平和的デモ」のイメージとは明確に異なる。しかし、メディアは一貫して「弾圧する警察 vs. 抵抗する市民」という二項対立の構図で報じる
  • 「殉教者」の創出: ステージ3の核心は、治安部隊を挑発して実力行使(発砲など)を誘発させ、犠牲者を出すことにある。犠牲者は「殉教者」として祭り上げられ、国内外の世論を一気に現政権打倒へと傾ける。この「殉教者」の戦略的利用は、シャープの理論における「政治的柔術」の極端な応用である
  • 過激派の混入: 平和的デモ参加者の中に、組織された武装グループが混入する。これらのグループの出自と資金源はしばしば不明であるが、デモ全体を暴力的な方向へ押し流す役割を果たす

2014年ウクライナ・マイダンの事例

ステージ3の最も詳細に記録された事例は、2014年2月のウクライナ・マイダンである。

  • 2014年2月18-20日: マイダンで大規模な衝突が発生。デモ隊と治安部隊ベルクート(Berkut、ウクライナ内務省の特殊機動隊)の間で激しい戦闘が行われた。この3日間で約100名が死亡した(「天国の百人」と呼ばれる)
  • 狙撃手の謎: 2月20日、マイダンのデモ隊と治安部隊の双方に対して狙撃が行われた。カナダ・オタワ大学のイヴァン・カチャノフスキー教授は、2015年の学術論文「マイダンの虐殺」において、法医学的証拠と弾道分析に基づき、狙撃手がデモ隊側が占拠していた建物(ホテル・ウクライナ、音楽院ビル等)から発砲していた証拠を提示した。すなわち、デモ隊と治安部隊の双方を狙撃することで、最大限の流血と混乱を引き起こし、政変を不可逆的にするための偽旗作戦(false flag operation)の可能性が学術的に指摘されている
  • ヴィクトリア・ヌーランドの電話: 2014年2月初旬、アメリカのヴィクトリア・ヌーランド国務次官補とジェフリー・パイアット駐ウクライナ大使の電話会話が傍受・公開された。この通話の中で、ヌーランドはウクライナの次期政権の人事について具体的に議論し、ヤツェニュクを首相に据えるべきだと述べ、EUの仲介案に対して「EUなんかくそくらえ」("Fuck the EU")と発言した。この通話は、アメリカがウクライナの政権交代を主導していたことの決定的な証拠である。ヌーランドはまた、2013年12月の演説で、1991年のウクライナ独立以降、アメリカがウクライナの「民主的制度の構築」に50億ドル以上を投資してきたと述べた

ステージ4:政変・クーデター(権力の掌握)

エスカレーションの最終段階は、軍や治安部隊が現政権を見限り、体制が崩壊する瞬間である。

特徴

  • 治安部隊の離反: ステージ3で流血が起きた際、軍・警察が「自国民に銃を向けられない」と判断した瞬間に、政変が確定する。セルビア(2000年)では軍と警察がミロシェヴィッチへの忠誠を放棄し、ジョージア(2003年)では治安部隊がシェワルナゼ大統領の排除に同意した
  • 首相官邸・議会の占拠: デモ隊(あるいはその先鋒部隊)が政府の中枢施設を物理的に占拠する。2003年のジョージアでは、サアカシュヴィリがバラを手に議会に突入し、シェワルナゼの演説を中断させた
  • 暫定政府の樹立と即座の国際承認: 旧政権の崩壊後、親欧米的な暫定政府が即座に樹立される。欧米諸国はこの新政権を間髪入れず承認し、「民主的な革命の成功」として正当化する。この即座の承認は、体制転覆が事前に調整されていたことを示唆する

「軍の離反」という転換点

カラー革命のエスカレーションにおいて最も決定的な瞬間は、軍と治安部隊がどちらに付くかである。

  • 成功例: セルビア(2000年)、ジョージア(2003年)、ウクライナ(2004年、2014年)、キルギス(2005年)では、軍が最終的に現政権を見限った
  • 失敗例: 中国(1989年の天安門事件)、ベラルーシ(2020年の反ルカシェンコ運動)、イラン(2009年の緑の運動)では、軍と治安部隊が政権への忠誠を維持したため、体制転覆は失敗した

この事実は、カラー革命が成功するか否かが、「民衆の意志」ではなく、治安部隊の忠誠心をいかに崩すかという権力工学の問題であることを示している。シャープの理論もこの点を認識しており、「権力の柱」(pillars of support)の切り崩しとして理論化している。

歴史的事例

以下に、カラー革命の4段階エスカレーションが実際に機能した主要事例を列挙する。いずれの事例においても、NED・USAID・OSFの資金提供、CANVASまたはオトポールによる訓練、欧米メディアによる「民主化」叙事詩の構築という共通のパターンが確認される。

セルビア「ブルドーザー革命」(2000年)

カラー革命の原型であり、以後のすべての事例に方法論を輸出した起点である。

  • 背景: ミロシェヴィッチ大統領は、1990年代のユーゴスラビア紛争を通じて欧米と対立し、1999年のNATOによるセルビア空爆を経て、欧米にとって排除すべき対象となっていた
  • 学生運動「オトポール!」: 1998年に設立された学生運動組織オトポール!(「抵抗!」)は、黒い握り拳をシンボルとし、シャープの非暴力行動論に基づく抗議活動を展開した。オトポールはNEDおよびIRIから資金を受け、アメリカの政治コンサルタント会社から選挙キャンペーンと抗議活動の訓練を受けた
  • 2000年9月の大統領選: ミロシェヴィッチの不正選挙を口実に大規模デモが発生。10月5日、数十万人のデモ隊がベオグラードの連邦議会を占拠した。治安部隊は最終的にデモ隊の鎮圧を拒否し、ミロシェヴィッチは辞任した
  • 外部資金: アメリカはセルビアの「民主化支援」に4,100万ドル以上を投入した(2000年9月のワシントン・ポスト紙の報道)。この資金はNED、USAID、OSFを通じてオトポール、選挙監視団体、独立メディアに分配された
  • CANVAS設立へ: オトポールの成功を受けて、指導者のスルジャ・ポポヴィッチは2003年にCANVASを設立し、セルビアの「成功モデル」を世界中に輸出する事業を開始した

ジョージア「バラ革命」(2003年)

セルビアのモデルを初めて複製した事例である。

  • 背景: シェワルナゼ大統領は、かつてソ連の外相としてゴルバチョフの改革を支えた人物であったが、独立後のジョージアにおいて腐敗と経済停滞が深刻化していた
  • 学生運動「クマラ」: 2003年に設立された学生運動クマラ(Kmara、「もうたくさんだ!」の意)は、オトポールの直接的な指導を受けた。クマラの活動家はベオグラードに渡り、オトポールのメンバーから非暴力抗議の訓練を受けた
  • 2003年11月の議会選: 選挙不正を契機に大規模デモが発生。サアカシュヴィリがバラを手に議会に突入し、シェワルナゼの演説を中断させた。シェワルナゼは辞任に追い込まれた
  • 外部支援: USAIDはジョージアの有権者名簿の電子化に150万ドルを支出し、OSFは現地のNGO・メディアに資金を提供した。NED、IRI、NDIがジョージアの「市民社会」に投入した資金の総額は数千万ドルに達したとされる
  • 帰結: サアカシュヴィリ新大統領は就任後、NATO加盟とEU統合を推進し、2008年にロシアとの戦争を引き起こした。カラー革命の「成功」は、必ずしも対象国の安定や繁栄をもたらすわけではない

ウクライナ「オレンジ革命」(2004年)

  • 背景: 2004年の大統領選挙で、親ロシア派のヤヌコーヴィチと親欧米派のユシチェンコが対立した
  • 学生運動「ポラ」: 2004年に設立された学生運動ポラ(Pora、「時が来た!」の意)は、オトポールおよびクマラのモデルを踏襲し、CANVASから直接訓練を受けた
  • 選挙不正と大規模デモ: 2004年11月の決選投票でヤヌコーヴィチの不正当選が宣言されると、キエフの独立広場に最大50万人が集結し、「オレンジ」色を身にまとった抗議運動が展開された
  • 外部資金: アメリカ政府はウクライナの「民主主義促進」に6,500万ドル以上を投入した(ガーディアン紙、2004年11月26日)。この資金は、出口調査の実施、選挙監視、独立メディアの運営、学生運動の組織化に充てられた
  • 結果: 最高裁の判決により決選投票のやり直しが命じられ、ユシチェンコが当選した。しかし、ユシチェンコ政権は内紛と腐敗に苦しみ、2010年の大統領選では皮肉にもヤヌコーヴィチが合法的に当選した

ウクライナ「マイダン革命」(2013-2014年)

2回目のウクライナにおけるカラー革命であり、4段階エスカレーションの全過程が最も鮮明に記録された事例である。

  • ステージ1(2013年11月): ヤヌコーヴィチ大統領がEU連合協定への署名を延期したことを契機に、キエフの独立広場(マイダン)で抗議デモが開始。初期は数千人規模の平和的デモであった
  • ステージ2(2013年12月〜2014年1月): マイダンにテント村が設営され、長期占拠が開始。マケイン上院議員がマイダンを訪問して演説を行った。ヌーランド国務次官補がデモ隊にパンを配る映像が公開された。NEDが資金提供するメディアが24時間のライブ配信を行った
  • ステージ3(2014年2月18-20日): デモ隊と治安部隊ベルクートの間で大規模衝突が発生。マイダン周辺の建物から正体不明の狙撃手が双方を狙撃し、約100名が死亡した(「天国の百人」)。カチャノフスキー教授の研究は偽旗作戦の可能性を指摘している
  • ステージ4(2014年2月21-22日): EU仲介の合意が成立した翌日、ヤヌコーヴィチは首都を脱出。議会はヤヌコーヴィチの罷免を宣言し、暫定政権が成立した。ヌーランドが通話で推薦していたヤツェニュクが首相に就任した
  • 帰結: ロシアはクリミアを併合し、東部ドンバスで武装紛争が発生、最終的に2022年のロシアによる全面侵攻へと至った。マイダン「革命」は、ウクライナに民主主義でも安定でもなく、ヨーロッパ最大の戦争をもたらした

キルギス「チューリップ革命」(2005年)

  • 背景: アカエフ大統領の長期政権に対する不満が蓄積していた
  • 2005年2-3月の議会選: 選挙不正を契機にビシュケクで大規模デモが発生。デモ隊は大統領府を占拠し、アカエフは国外脱出した
  • 外部支援: NED、USAID、フリーダム・ハウスがキルギスの「市民社会」に資金を提供した。唯一の独立系印刷所はアメリカ政府の資金で運営されていた
  • 帰結: チューリップ革命後のキルギスは政治的混乱が続き、2010年に再び革命が発生した。カラー革命がもたらす「民主主義」の脆弱性を示す事例である

CIAの秘密工作からカラー革命へ:手法の進化

カラー革命のエスカレーション戦術は、CIAの政権転覆工作の歴史的延長線上に位置する。1950年代から1970年代にかけて、CIAは直接的な軍事クーデター(イラン1953年、グアテマラ1954年、チリ1973年)を主導していた。しかし、1975年のチャーチ委員会による調査で、CIAの秘密工作が大量に暴露されたことで、この手法は政治的に維持不可能となった。

カラー革命は、CIAの秘密クーデターから進化した「公然」の体制転覆手法である。その本質的な構造は同一であるが、以下の点で洗練されている。

要素 CIAの秘密クーデター(1950-70年代) カラー革命(2000年代以降)
実行主体 CIA工作員、買収された軍人 現地の「市民団体」、NGO、学生運動
資金チャネル CIAの秘密資金 NED・USAID・OSFの「公然」の助成金
正当化の論理 「反共主義」 「民主主義の促進」
メディア戦略 プロパガンダ放送(CIAが設立した偽の放送局) 国際メディアによる「民主化」叙事詩の構築
手法 軍事クーデター、暗殺、経済封鎖 4段階エスカレーション(デモ→占拠→衝突→政変)
可否認性 秘密裏(しばしば暴露される) 「公然」の支援(外部介入の否認が容易)

この進化は、ワインスタインが述べた「かつてCIAが秘密裏にやっていたことを、今では公然と行っている」という言葉に集約される。カラー革命は、帝国主義的介入の技術的洗練にすぎず、その本質は変わらない。

リアリズムの観点からの分析

リアリズムの視点から分析すれば、カラー革命のエスカレーションは以下の構造を有する。

  • 「民主主義促進」の虚偽性: カラー革命は「民主主義の勝利」として語られるが、その帰結は必ずしも民主主義でも安定でもない。セルビアは政治的混乱を経験し、ジョージアはロシアとの戦争を引き起こし、ウクライナは2度のカラー革命を経て最終的にヨーロッパ最大の戦争の舞台となった。キルギスは「チューリップ革命」の5年後に再び革命が発生した。カラー革命の真の目的は「民主主義」ではなく、対象国をアメリカの地政学的勢力圏に組み込むことである
  • 民族自決権の侵害: カラー革命は、外部勢力(アメリカ)が他国の政治体制を転覆する行為である。NED・USAID・OSFの資金と、CANVASの訓練なしには、これらの「革命」は発生しなかったか、少なくともこれほどの規模には至らなかったであろう。他国の政権交代を外部から誘導・支援することは、その国の民族自決権に対する重大な侵害にほかならない
  • モーゲンソーの「権力の目的合理性」: モーゲンソーによれば、国家の外交政策は権力の獲得・維持・拡大を目的とする。カラー革命は、アメリカが「民主主義」「人権」「自由」という修辞を用いて、ロシアの勢力圏を浸食し、NATOとEUの東方拡大を推進するための権力政策である。その本質は、帝国主義の伝統的な論理と何ら変わるところがない
  • 国家主権の破壊: カラー革命のエスカレーション戦術は、ウェストファリア体制に基づく内政不干渉原則を根底から破壊する。「民主主義の促進」という名目のもとに、一国が他国の政権交代を組織的に支援することが許容されるのであれば、国家主権という概念は意味を失う

日本への示唆

カラー革命のエスカレーション戦術は、一見すると日本とは無関係に見える。しかし、アメリカによる内政干渉の手法は、「カラー革命」という劇的な形態をとらずとも、日本に対して恒常的に適用されている。

USAIDの記事で詳述した通り、アメリカは「民主主義促進」「DEI」「LGBT権利推進」「人権」といった名目で、対象国の社会構造に介入する。日本においても、年次改革要望書ジャパンハンドラーを通じた政策誘導、メディアへの間接的影響力行使は、カラー革命のステージ1と構造的に同一のメカニズムである。

日本は、偽日本国憲法という「憲法侵略」をすでに経験した国である。アメリカの体制転覆手法がCIAの秘密クーデターからカラー革命へ、そしてカラー革命から「民主主義促進」・「人権」・「DEI」による低強度介入へと進化してきた歴史を理解することは、現在進行中のアメリカによる日本への干渉を構造的に把握するために不可欠である。

参考文献

関連項目