国際政治―権力と平和

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国際政治―権力と平和

概要と歴史的背景

ハンス・モーゲンソー(Hans Joachim Morgenthau, 1904年 - 1980年)は、ドイツ生まれのアメリカの国際政治学者であり、古典的リアリズム(Classical Realism)の体系化者として知られる。その主著『国際政治―権力と平和』(Politics Among Nations: The Struggle for Power and Peace, 初版1948年)は、リアリズム国際政治学の基礎文献であり、「国益」「勢力均衡」の概念を学問的に確立した著作である。

モーゲンソーは、ヴァイマル共和政期のドイツで法学を学んだ。ユダヤ系ドイツ人であったモーゲンソーは、ナチスの台頭により1937年にアメリカに亡命し、シカゴ大学で教鞭をとった。モーゲンソーの思想形成には、ヴァイマル共和制の崩壊、ナチズムの台頭、第二次世界大戦の惨禍という経験が決定的な影響を与えている。

『国際政治―権力と平和』が出版された1948年は、冷戦が本格化した年であった。トルーマン・ドクトリン(1947年)、マーシャル・プラン(1948年)、ベルリン封鎖(1948年)。アメリカとソ連の対立が世界を二分する状況の中で、モーゲンソーは国際政治の本質を権力をめぐる闘争として冷徹に分析した。

この著作は、理想主義(国際連盟の集団安全保障、国際法の万能視、民主主義による平和)に対する根本的な批判として書かれた。E・H・カーの『危機の二十年』(1939年)がユートピアニズムへの最初の体系的批判であったとすれば、モーゲンソーの『国際政治』はリアリズムの積極的な理論構築を行った著作である。

主要思想:政治的リアリズムの六原則

六原則の体系

モーゲンソーは『国際政治』の冒頭で、政治的リアリズムの六つの基本原則を提示した。この六原則は、リアリズム国際政治学の理論的基盤を成す。

第一原則 — 政治は客観的法則に支配される

政治は、人間の本性に根ざした客観的な法則によって支配されている。これらの法則は人間の意志によって変えることはできない。リアリズムの任務は、これらの法則を発見し、理解することである。理想主義者は、世界を「あるべき姿」に変革しようとするが、リアリストは世界を「あるがままの姿」で理解しようとする。

第二原則 — 国益は権力の観点から定義される

政治的リアリズムの中心概念は、権力の観点から定義された国益(national interest defined in terms of power)である。この概念は、国際政治の分析に合理性と秩序をもたらす。政治家が何を語ろうとも、国家の行動は究極的には権力と国益の論理によって説明される。

第三原則 — 国益の内容は状況に応じて変化する

権力の観点から定義された国益という概念は、普遍的で不変のカテゴリーであるが、その具体的な内容は歴史的・政治的状況に応じて変化する。ある時代の国益が、別の時代の国益と同一であるとは限らない。

第四原則 — 道徳的原則と政治的行動は異なる

普遍的な道徳的原則が存在するとしても、それを国家の行動に機械的に適用することはできない。政治的行動は、その結果によって判断されなければならない。道徳的に「善い」政策が政治的に「賢い」政策であるとは限らず、その逆も然りである。

第五原則 — 一国の道徳的願望を普遍的道徳と同一視してはならない

特定の国家が自らの国益を「普遍的な道徳」として提示する場合、それは権力政治の一形態にすぎない。アメリカが「民主主義の拡大」「人権の擁護」を掲げるとき、それはアメリカの国益を道徳的言語で包装したものにほかならない。

第六原則 — 政治の領域は他の領域から独立している

政治的領域は、経済・法律・道徳とは異なる固有の論理を持つ。政治の問題を経済的効率性や法的正当性だけで判断することは不適切である。政治の論理は、権力の論理である。

権力政治の本質

モーゲンソーにとって、国際政治の本質は権力をめぐる闘争である。国家は権力を追求する。その目的は三つに分類される。

  • 現状維持政策(policy of the status quo): 既存の権力配分を維持しようとする政策。覇権国や現状に満足している国家が追求する
  • 帝国主義政策(policy of imperialism): 既存の権力配分を自国に有利に変更しようとする政策。台頭する大国や現状に不満を持つ国家が追求する
  • 威信政策(policy of prestige): 国家の権威と影響力を誇示する政策。軍事パレード、外交儀礼、文化的影響力の行使など

この分類において注目すべきは、モーゲンソーがアメリカの対外政策を帝国主義政策として分析しうる枠組みを提供したことである。アメリカが「現状維持」を標榜していても、その行動の実態が既存の権力配分を自国に有利に変更しようとするものであれば、それは帝国主義政策にほかならない。

権力の形態と外交の技術

権力の多面性

モーゲンソーは、国際政治における「権力」を単なる軍事力に還元しなかった。権力は多面的な現象であり、以下の要素から構成される。

  • 地理: 国土の広さ、地形の優位、海洋へのアクセス。島国としての地政学的優位を持つ国家と、大陸国家では権力の基盤が異なる
  • 天然資源: 食料の自給能力、エネルギー資源、鉱物資源。資源の自給度は、国家の戦略的脆弱性に直結する
  • 工業能力: 製造業の規模と技術水準。戦時には軍事生産能力に直結する
  • 軍事力: 兵員数、兵器の質と量、軍事技術、戦略的準備態勢
  • 人口: 量と質の双方。人口規模だけでなく、教育水準、健康状態、年齢構成も重要
  • 国民的性格: 国民のモラル、愛国心、結束力。数値化は困難だが決定的に重要
  • 国民の士気: 政府と国民の間の信頼関係、国家の目標に対する国民の支持
  • 外交の質: 外交政策の立案と遂行の能力。すべての要素を統合する「触媒」として、外交の質が決定的に重要

モーゲンソーが特に重視したのは、最後の「外交の質」である。他のすべての要素を持っていても、それを効果的に統合し、国益の追求に活用する外交能力がなければ、権力は実現しない。逆に、個々の要素で劣っていても、卓越した外交によって不利を克服することは可能である。

外交の四つの規則

モーゲンソーは、「外交の復活」を訴え、成功する外交の四つの規則を提示した。

  • 第一規則 — 外交は権力という布地に合わせて目標を裁断しなければならない: 国家の能力を超えた目標を追求してはならない。理想ではなく現実の権力に基づいて外交目標を設定すべきである
  • 第二規則 — 外交は他国の目標にも同じ配慮をしなければならない: 他国の利益と立場を理解し、妥協の余地を残す外交が必要である。すべての紛争を「善対悪」の戦いとして捉えてはならない
  • 第三規則 — 外交は政治的問題を法的問題に置き換えてはならない: 政治的紛争は政治的手段(交渉、妥協、取引)によって解決すべきであり、法的手段(国際法廷、条約の厳格な適用)に逃避してはならない
  • 第四規則 — 外交は国家の生存に関わらない問題で対立を先鋭化してはならない: 二次的な利害のために大国間の対立を激化させることは、外交の失敗である

これらの規則は、冷戦期のアメリカ外交に対する暗黙の批判でもあった。モーゲンソーは、アメリカがベトナム戦争において第一規則(能力に見合った目標の設定)と第四規則(二次的利害による対立の激化)を重大に違反したと批判した。

勢力均衡の理論

勢力均衡の必要性

モーゲンソーの理論において、勢力均衡(Balance of Power)は、国際秩序を維持する最も重要なメカニズムである。

国際体系に世界政府が存在しない以上、いかなる一国も圧倒的な優位を獲得することを阻止するメカニズムが必要である。それが勢力均衡である。ある国家が過度に強大になれば、他の国家が連合してこれに対抗する。この均衡のメカニズムによって、一国による世界支配が防止され、国際秩序が維持される。

モーゲンソーは、勢力均衡を以下のパターンに分類した。

  • 直接的対抗: 二つの国家が直接的に対抗する(例:冷戦期の米ソ対立)
  • 競争的均衡: 複数の国家が一つの弱小国・地域をめぐって競争する
  • 同盟による均衡: 国家が同盟を形成して他の国家群に対抗する

一極支配の不安定性

モーゲンソーの勢力均衡論に照らせば、冷戦後のアメリカの一極支配(unipolarity)は、国際秩序にとって不安定な状態である。

勢力均衡のメカニズムが正常に機能している状態では、いかなる一国も他のすべての国家を支配する力を持たない。しかし冷戦の終結とソ連の崩壊により、アメリカは唯一の超大国として「一極的な瞬間」を享受した。この状態において、アメリカの行動を制約する対抗勢力は事実上消滅した。

モーゲンソーの理論が予測するのは、一極支配は長続きしないということである。過度な権力の集中は、必然的に他の大国の対抗を招く。現在進行中の中国とロシアの台頭、BRICSの拡大、多極化への流れは、モーゲンソーの勢力均衡論が予測する「均衡への回帰」にほかならない。

国家権力の限界と道徳の位置づけ

権力の限界に対する認識

モーゲンソーは単なる「権力万能論者」ではない。彼は、権力には限界があることを明確に認識していた。

モーゲンソーが指摘した権力の限界は以下の通りである。

  • 勢力均衡の論理: 一国が過度に権力を追求すれば、他の国家が連合してこれに対抗する。権力の追求そのものが、権力を制限するメカニズムを作動させる
  • 国際的な道徳規範: 近代ヨーロッパの国際秩序は、貴族的な外交文化と共通の道徳規範(ヨーロッパ公法)によって権力の行使が一定程度制約されていた
  • 世論: 民主主義国家においては、国民世論が外交政策を制約する。世論が戦争を支持しなければ、政府は戦争を遂行できない

この認識は重要である。リアリズムは「道徳の否定」ではなく、「道徳の政治的文脈における位置づけ」を論じる学問だからである。モーゲンソー自身は道徳を無視したのではなく、道徳が権力政治の中でどのように機能するかを分析した。

しかし同時にモーゲンソーは、20世紀の国際政治において、これらの制約メカニズムが弱体化していることを憂慮した。民族主義の台頭は共通の道徳規範を破壊し、全体戦争の時代は外交の余地を狭め、核兵器の出現は勢力均衡の論理を根本的に変容させた。

道義的十字軍の危険

モーゲンソーが最も警戒したのは、道徳主義の外交政策への導入である。

外交政策が「善対悪の戦い」「自由対専制の戦い」「民主主義対独裁の戦い」として定義されるとき、妥協の余地は消滅する。悪に対して妥協することは、悪への加担を意味するからだ。この道徳的絶対主義は、外交の柔軟性を破壊し、戦争をエスカレートさせる。

モーゲンソーはウッドロウ・ウィルソンの理想主義外交を批判した。ウィルソンは第一次世界大戦を「民主主義を安全にするための戦争」と定義し、国際連盟によって権力政治を超克できると信じた。しかし、道徳的理想に基づく国際秩序は、権力政治の現実の前に崩壊した。

この批判は、現代のアメリカ外交に完全に当てはまる。「テロとの戦争」は善対悪の道義的十字軍として遂行され、イラク戦争は「民主主義の拡大」という道徳的使命として正当化された。モーゲンソーならば、これらを外交の四規則のすべてに違反する「愚行」として断罪するだろう。

リアリズムの観点からの分析

モーゲンソーのアメリカ批判

注目すべきは、モーゲンソー自身がアメリカの外交政策に対する鋭い批判者であったことである。

モーゲンソーは、ベトナム戦争に対して早い段階から反対し、アメリカの介入を「国益に反する道徳的十字軍」として批判した。モーゲンソーの批判の核心は、アメリカが自国の国益を「自由世界の防衛」「共産主義の封じ込め」という普遍主義的な言語で正当化し、国益の冷徹な計算を道徳的熱狂で置き換えてしまったことにある。

これはまさに、第五原則(一国の道徳的願望を普遍的道徳と同一視するな)の違反である。モーゲンソーは、アメリカが自国の国益を「世界の利益」として提示する傾向を、リアリストの視点から厳しく批判した。

国益の再定義と日本

モーゲンソーの「権力の観点から定義された国益」の概念は、日本の外交政策を分析する上で決定的に重要である。

戦後日本の外交は、「日米同盟基軸」「国際協調」「自由貿易」を三本柱としてきた。しかしモーゲンソーの視点から見れば、これらの「外交原則」は、日本の国益ではなくアメリカの国益を反映したものにすぎない。

日本の真の国益とは何か。モーゲンソーの枠組みに従えば、それは権力の観点から定義された生存と自律にほかならない。具体的には、国家主権の完全な回復(偽日本国憲法からの脱却)、軍事的自律性の確保(米軍撤退)、経済的独立性の維持、民族的凝集力の保全(人口侵略への対抗)。

モーゲンソーのリアリズムに照らせば、日本は自らの国益を正確に定義し直さなければならない。「日米同盟基軸」は国益ではない。それはアメリカの国益への従属を美化した言い換えにすぎない。

日本への教訓

モーゲンソーの『国際政治―権力と平和』が日本に突きつける教訓は、以下に要約される。

第一に、国際政治の本質は権力闘争である。「法の支配」「国際協調」「普遍的価値」といった理想主義的な言辞に惑わされてはならない。国際政治を動かしているのは権力であり、権力の裏付けなき理想は無力である。

第二に、国益を正確に定義せよ。日本の国益は、アメリカが定義する「自由で開かれたインド太平洋」ではない。日本の国益は、日本民族の生存と自律である。この国益を権力の観点から追求する外交政策を構築しなければならない。

第三に、勢力均衡を活用せよ。多極化する世界は、日本にとって脅威であると同時に好機でもある。アメリカの一極支配が崩壊する過程で、日本は独自の外交空間を確保し、多極的な勢力均衡の中で自律的な位置を確立することが可能になる。

モーゲンソーのリアリズムは、国際政治の道徳的仮面を剥がし、権力の裸の構造を露呈させる。この冷徹な認識こそが、日本の民族自決権回復のための知的出発点である。

参考文献

関連項目