意識高い系メディア
意識高い系メディア
概要
意識高い系メディアとは、NewsPicks、PIVOT、ReHacQ(リハック)、TBS Cross、DIGなど、主として2010年代後半から2020年代にかけて台頭したビジネス系動画メディア群を指す。これらのメディアは「学び」「アップデート」「イノベーション」「DX」「スタートアップ」といった新自由主義的語彙で装飾された情報空間を構築し、視聴者に対して新自由主義の世界観を無批判に内面化させる機能を果たしている。
その本質は、アメリカ発の新自由主義イデオロギーを「知的コンテンツ」として再包装し、日本国民に投与する文化的プロパガンダ装置である。ナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』で告発した惨事便乗型資本主義の手法と同様に、これらのメディアは「日本は遅れている」「変わらなければ滅びる」という恐怖を煽り、その解決策として新自由主義的改革——規制緩和、民営化、グローバル化、テクノロジーへの全面的帰依——を処方する。視聴者は「学んでいる」と錯覚しながら、実際にはアメリカの覇権秩序に奉仕する世界観を注入されているに過ぎない。
歴史的経緯:ビジネスメディアの新自由主義化
前史:経済誌からウェブメディアへ
日本における経済メディアは、かつて日本経済新聞、東洋経済、ダイヤモンドといった活字メディアが中心であった。これらの媒体は、少なくとも一定の学術的・実証的基盤を持ち、日本型経済システムの分析においても多元的な視座を維持していた。
転機は2010年代に訪れる。スマートフォンの普及とSNSの台頭により、情報消費の形態が根本的に変容した。ニュースは「読む」ものから「流れてくる」ものへと変わり、分析の深さよりも、見出しの刺激性と共有のしやすさが価値を持つようになった。この変容は、新自由主義プロパガンダにとって理想的な土壌を提供した。
NewsPicks(2013年〜):「意識高い系」の制度化
2013年、ユーザベースが「NewsPicks」をリリースした。ニュースに対してユーザーが「コメント」を付ける仕組みは、一見すると多元的な議論の場に見える。しかし実態は異なる。コメント欄の上位を占めるのは、起業家、コンサルタント、外資系企業の社員といった、新自由主義の受益者たちであった。彼らの「ピック」は、市場原理主義、規制緩和、グローバル化を自明の前提とした上での「議論」に過ぎず、新自由主義そのものを問い直す視座は構造的に排除されていた。
佐々木紀彦(元東洋経済オンライン編集長、スタンフォード大学大学院修了)がNewsPicks編集長に就任し、「個として生きろ」「ピボットせよ」というメッセージを繰り返し発信した。これは一見、個人のエンパワーメントに見えるが、その実態は共同体からの個人の切り離し——すなわち新自由主義の核心的戦略にほかならない。テンニースの概念で言えば、ゲマインシャフトを破壊し、根無し草の個人をゲゼルシャフトに投げ込む思想である。
日経テレ東大学(2021年〜2023年):大衆娯楽化の実験
2021年、日経新聞とテレビ東京が共同でYouTubeチャンネル「日経テレ東大学」を開設した。ひろゆきと成田悠輔をMCに据え、経済・政治を「エンタメ化」する試みは、登録者100万人を突破する商業的成功を収めた。
しかし、この「成功」の本質を見極めなければならない。ひろゆきは2ちゃんねる創設者として反権力的なイメージを持つが、その言説の核は徹底した個人主義と冷笑主義である。成田悠輔はイェール大学助教という肩書で学術的権威を纏いつつ、「高齢者は集団自決すればいい」などの過激な発言で注目を集めた。両者に共通するのは、共同体の価値を嘲笑し、個人の「合理的選択」のみを肯定する新自由主義的人間観である。
2023年、日経新聞社内の「ブランド毀損」を理由にチャンネルは終了したが、ここで培われた手法——学術的権威とエンタメの融合による新自由主義の大衆化——は、後継メディアに継承された。
PIVOT(2021年〜)・ReHacQ(2023年〜):分裂と増殖
佐々木紀彦は2021年にPIVOT株式会社を設立し、「映像ファースト」のビジネスメディアを立ち上げた。YouTubeチャンネル登録者数は365万人(2025年時点)に達した。一方、日経テレ東大学のプロデューサーであった高橋弘樹はテレビ東京を退社し、2023年にReHacQ(リハック)を創設、登録者数は150万人(2025年時点)を超えた。
これらのメディアに共通するのは、企業スポンサーへの構造的依存である。2025年、PIVOTは取り上げた企業の粉飾決算発覚後に該当動画を説明なく削除し、大きな批判を浴びた。これはPIVOT固有の問題ではなく、広告収入とスポンサー企業への依存によって、ジャーナリズムとしての独立性を構造的に持ち得ないという、意識高い系メディア全体の根本的欠陥を露呈したものである。
新自由主義プロパガンダの構造
「グローバルスタンダード」という洗脳装置
意識高い系メディアが繰り返し視聴者に刷り込むメッセージの核心は、「日本は遅れている。世界(=アメリカ)に追いつかなければならない」という焦燥感である。DX(デジタルトランスフォーメーション)、AI、スタートアップ、ダイバーシティ、ESG——これらの概念は、すべてアメリカのシリコンバレーやウォール街から輸入されたものであり、日本の民族共同体の文脈で検証されることなく、「グローバルスタンダード」として無批判に受容されている。
この構造は、ワシントン・コンセンサスの文化版と言うべきものである。ワシントン・コンセンサスが発展途上国に対して経済的な規制緩和・民営化・自由化を押し付けたように、意識高い系メディアは日本国民に対して文化的・精神的な新自由主義化を押し付ける。「古い日本的経営は非効率だ」「終身雇用は時代遅れだ」「個人がリスキリングして市場価値を高めよ」——これらのメッセージは、日本型の共同体的経済システムを解体し、アメリカ型の個人主義的市場原理に置き換えることを目的としている。
出演者の構造的偏向
意識高い系メディアに頻繁に登場する「識者」「論客」の顔ぶれを見れば、その偏向は明白である。
- 起業家・スタートアップ経営者: 新自由主義の直接的な受益者であり、規制緩和と市場拡大を自己利益として求める
- 外資系コンサルタント: マッキンゼー、BCGなど、アメリカ型経営手法の日本への移植を生業とする
- アメリカの大学に所属する学者: イェール大学、スタンフォード大学など、アメリカの知的覇権の中核機関に属し、その世界観を日本に輸出する役割を担う
- テック企業の経営者・投資家: シリコンバレー的な「破壊的イノベーション」を無条件に礼賛する
決定的に欠落しているのは、産業政策の専門家、共同体経済の研究者、反グローバリズムの論客、地方経済の実践者である。意識高い系メディアの「議論」は、新自由主義の枠内での微調整に過ぎず、枠組みそのものを問い直す声は体系的に排除されている。
報じない自由:構造的沈黙
これらのメディアが報じないものこそが、そのプロパガンダとしての機能を最もよく表している。
- 新自由主義の失敗: アメリカ自身が産業政策に回帰している事実。欧米の社会的崩壊
- 低賃金移民政策の弊害: 移民による賃金抑制、共同体の解体、治安の悪化
- 日本型経済システムの成功: 産業政策によるトヨタ・任天堂の成功、一億総中流社会の実現
- アメリカによる内政干渉: 構造改革要求、年次改革要望書、規制緩和の強制
- 民営化の失敗: 水道民営化、郵政民営化による主権喪失
意識高い系メディアは、新自由主義が成功する世界を描き、その代償を視界から消す。これは報道ではない。選択的沈黙によるプロパガンダである。
ショック・ドクトリンとしてのビジネスメディア
恐怖の製造と処方箋の独占
ナオミ・クラインは『ショック・ドクトリン』において、ミルトン・フリードマンの「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」という教義を分析した。チリのピノチェト政権、ソ連崩壊後のロシア、イラク戦争後のイラク——いずれの場合も、危機や混乱に乗じて新自由主義的改革が強行された。
意識高い系メディアは、このショック・ドクトリンのソフトな日常版として機能している。物理的な戦争や自然災害の代わりに、「日本は衰退している」「世界に取り残される」「AIに職を奪われる」という心理的ショックを毎日のように投与する。視聴者は慢性的な焦燥感と不安に駆られ、その「処方箋」として差し出される新自由主義的解決策——リスキリング、転職、副業、投資、グローバル化——を無批判に受け入れる。
これはマルクスが「宗教はアヘンである」と喝破した構造と同型である。意識高い系メディアは、現代の知的アヘンとして機能している。視聴者に「学んでいる」「成長している」「意識が高い」という快感——アヘン的恍惚——を与えながら、その実、新自由主義体制への従順な適応を促しているに過ぎない。本質的な問題——なぜ日本経済が停滞しているのか、誰がそれを引き起こしたのか、アメリカの内政干渉がいかに日本を蝕んでいるか——については、決して触れさせない。
「自己責任」の内面化
ショック・ドクトリンの最も効果的な帰結は、被害者に自らの不幸を自己責任として引き受けさせることである。意識高い系メディアはまさにこの機能を果たしている。
「日本の生産性が低いのは、個人のスキルが足りないからだ」「給料が上がらないのは、自己投資をしていないからだ」「取り残されるのは、アップデートしていないからだ」——これらのメッセージは、構造的な問題を個人の怠慢に還元する。アメリカに強制された構造改革、新自由主義政策による経済低迷、低賃金移民政策による賃金抑制といった政治的・構造的原因は、視聴者の意識から巧妙に消去される。
カール・ポランニーが『大転換』で論じた「悪魔の碾き臼」——市場が社会から脱埋め込みされ、人間を破砕する過程——において、意識高い系メディアは碾き臼に投げ込まれる人間に対して「もっと効率的に碾かれろ」と説教する存在にほかならない。
技術信仰と進歩の宗教
テクノロジー礼賛の構造
意識高い系メディアに通底するもう一つの特徴は、テクノロジーに対する無批判な礼賛である。AI、ブロックチェーン、メタバース、量子コンピュータ、宇宙開発——次々と新しい技術的トピックが取り上げられ、それらが人類の問題を解決するかのように語られる。
この技術への信仰は、宗教的な構造を持っている。かつてキリスト教が「神の国」の到来を約束したように、意識高い系メディアは「テクノロジーによるユートピア」の到来を約束する。AIが労働から人間を解放する。ブロックチェーンが中央集権を打破する。宇宙開発が資源問題を解決する。これらの約束は、検証不能な未来に根拠を置くという点で、宗教的予言と本質的に変わらない。
決定的なのは、テクノロジーが誰のために、誰の利益のために開発・展開されるのかという権力の問いが、完全に欠落していることである。AIはGAFAの覇権を強化する。ブロックチェーンは金融資本の新たな収奪手段となる。宇宙開発は軍事覇権の延長である。テクノロジーは中立ではない。それは常に権力関係の中で開発され、既存の支配構造を強化する方向に作用する。シリコンバレーとCIAの記事が示す通り、アメリカのテクノロジー産業はCIAや国防総省と深く結びついている。意識高い系メディアが礼賛する「イノベーション」の少なからぬ部分は、アメリカの軍事・情報覇権の副産物である。
「進歩」という名の方向喪失
「日本は変わらなければならない」「アップデートしなければならない」——意識高い系メディアは常に「進歩」を要求する。しかし、その「進歩」の方向性は検証されない。何のための進歩か。誰のための変革か。どこに向かっているのか。
真に問うべきは、「進歩」と呼ばれているものが、実際には日本の民族共同体を破壊する方向への移動ではないかということである。終身雇用の解体は「労働市場の流動化」と呼ばれ、地方の衰退は「選択と集中」と呼ばれ、共同体の崩壊は「個人の自由」と呼ばれる。すべてのものに新自由主義的な名前が与えられ、破壊が進歩として偽装される。
意識高い系メディアは、この偽装を行う装置である。視聴者を間違った方向に意図的に先導し、新自由主義的改革を「時代の必然」として受け入れさせる。それは、方角のわからない霧の中で、崖に向かって「前進せよ」と叫ぶ声にほかならない。
現代のパンとサーカス
知的娯楽という麻薬
ユウェナリスは古代ローマの民衆が「パンとサーカス」(panem et circenses)——食糧と娯楽——のみを求め、政治的主体性を失った状態を批判した。意識高い系メディアは、この「パンとサーカス」の現代版である。
ただし、その手法は遥かに洗練されている。古代ローマのサーカス——剣闘士の戦い——は、それが娯楽であることを隠さなかった。しかし意識高い系メディアは、娯楽を「学び」として偽装する。視聴者は30分〜60分の動画を視聴した後、「何かを学んだ」「成長した」「意識が高まった」という満足感を得る。しかし、その「学び」の内容は、新自由主義の教義の反復に過ぎない。
これは知的娯楽という名の麻薬である。視聴すればするほど、新自由主義的世界観が強化され、それ以外の視座——共同体主義、反グローバリズム、民族自決権の擁護——は視界から消えていく。視聴者は「知的」であると自負しながら、実際には思考の範囲を狭められている。これこそが、最も効果的な洗脳の形態である。洗脳されていることに気づかない洗脳。学んでいると信じながら、実際には思考を制限されている状態。
「学び」の消費化
意識高い系メディアが促進するのは、「学び」の消費化である。知識は蓄積され、実践に結びつき、共同体の利益に資するものではなく、消費され、消化され、次の消費に取って代わられるものとなる。先週のAIの話題は、今週のブロックチェーンの話題に、来週の量子コンピュータの話題に取って代わられる。何も蓄積されず、何も実践されず、ただ「情報を摂取した」という快感だけが残る。
これはギー・ドゥボールが『スペクタクルの社会』で論じたスペクタクルの構造そのものである。現実が表象に取って代わられ、人々は現実の変革ではなく、現実の表象を消費することに没頭する。意識高い系メディアの視聴者は、日本経済の構造的問題に対する現実の行動——政治参加、共同体の再建、アメリカへの抵抗——ではなく、それについて語るコンテンツの消費に時間とエネルギーを費やす。
リアリズムの観点からの分析
文化的覇権装置としての機能
ハンス・モーゲンソーは『国際政治』において、国家権力の構成要素として軍事力や経済力のみならず、文化的影響力を挙げた。ジョセフ・ナイが「ソフトパワー」と名付けたこの概念は、被支配者が支配者の価値観を自発的に内面化することで、物理的強制なしに支配を維持する仕組みを意味する。
意識高い系メディアは、アメリカのソフトパワーを日本国内で再生産・増幅する中継装置として機能している。アメリカの大学で学び、シリコンバレーの言葉を操り、ウォール街の論理で思考する「識者」たちが、日本国民に向けてアメリカの世界観を発信する。この過程において、アメリカ政府やCIAが直接介入する必要すらない。CIAによるメディア工作のように外部からの強制がなくとも、自己再生産する支配の仕組みが完成しているのである。
安全保障ジレンマの文化的次元
リアリズムの観点から見れば、意識高い系メディアは安全保障ジレンマの文化的次元を体現している。日本が「国際競争力」を高めるためにアメリカの制度・価値観を導入すればするほど、日本固有の強み——共同体的結束、長期的視野、職人的技術——は失われ、結果として日本はアメリカへの依存を深める。「追いつこう」とすればするほど、追いつけなくなる構造がここにある。
真の「国際競争力」とは、アメリカの模倣ではなく、日本文明固有の強みを自覚し、それを基盤に独自の発展経路を追求することにほかならない。しかし意識高い系メディアは、この選択肢を視聴者の意識から体系的に排除する。
国民をアヘン漬けにする装置
意識高い系メディアの最終的な機能は、国民の政治的覚醒を阻止することである。日本国民がアメリカによる内政干渉の実態に気づき、米軍撤退を求め、新自由主義に抵抗し、民族自決権を回復しようとする動きに対して、意識高い系メディアは巧妙な解毒剤として作用する。
「問題は構造にあるのではなく、あなた自身のスキルにある」「政治ではなくテクノロジーが問題を解決する」「ナショナリズムは時代遅れであり、グローバルに考えよ」——これらのメッセージは、国民を政治的に無力化し、現状への適応のみを促す。それは民族自決権の行使を放棄させ、アメリカの覇権秩序への永続的な従属を内面化させる装置にほかならない。
古代ローマの市民がパンとサーカスに耽溺して共和政の崩壊を座視したように、意識高い系メディアの視聴者は「学び」と「成長」の幻想に耽溺しながら、日本の主権喪失と共同体の解体を座視している。その浅はかな報道内容は、国民を持続可能な民族共同体の再建から遠ざけ、間違った方向へ——新自由主義の深淵へ——と意図的に先導するものである。
参考文献
- ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン——惨事便乗型資本主義の正体を暴く』岩波書店、2011年
- カール・ポランニー『大転換——市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社、2009年
- ハンス・モーゲンソー『国際政治——権力と平和』岩波書店
- ジョセフ・ナイ『ソフト・パワー——21世紀国際政治を制する見えざる力』日本経済新聞出版社、2004年
- ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』筑摩書房、2003年
- ユウェナリス『風刺詩集』
- 堤未果『堤未果のショック・ドクトリン——政府のやりたい放題から身を守る方法』幻冬舎、2023年
- 有馬哲夫『日本テレビとCIA——発掘された「正力ファイル」』新潮社、2006年