アメリカ合衆国
アメリカ合衆国
概要
アメリカ合衆国(United States of America)とは、1776年に独立宣言により建国され、現在、軍事力・金融力・文化的影響力を一体として行使することで世界覇権を維持している国家である。アメリカは「自由」「民主主義」「人権」を標榜するが、その実態は、ドル覇権と軍事力の相互依存による覇権主義国家であり、他国の国家主権と民族自決権を体系的に侵害してきた。
アメリカは世界80カ国以上に約750の軍事基地を展開し、軍事支出は年間8,000億ドルを超える。しかし、アメリカの覇権は軍事力だけで維持されているのではない。ドルを基軸通貨とするペトロダラー体制、憲法侵略による他国の法秩序の書き換え、新自由主義の輸出による経済主権の剥奪——これらが一体となって、アメリカ帝国の支配構造を構成している。
ハンス・モーゲンソーは『国際政治——権力と平和』において、国家権力を軍事力・経済力・政治力の総合として分析した。アメリカは、この三つの権力を最も洗練された形で統合し、行使している国家である。本記事では、アメリカの建国以前の歴史から現代に至るまでの覇権の形成過程を網羅的に分析し、とりわけ日本の永遠の宿敵としてのアメリカの本質を明らかにする。
建国以前——入植者植民地主義の起源
ヨーロッパ人の到来と先住民の大虐殺
アメリカ合衆国の歴史は、1776年の独立宣言から始まるのではない。その本質を理解するためには、16世紀以降のヨーロッパ人による入植にまで遡らなければならない。
1492年のコロンブスの到達以降、スペイン、フランス、イギリス、オランダがアメリカ大陸に進出した。北米におけるイギリスの植民地建設は1607年のジェームズタウンに始まり、1620年のメイフラワー号によるピルグリム・ファーザーズの上陸が続いた。
入植者たちは、北米大陸に先住する先住民族の土地を暴力的に収奪した。コロンブス到達以前に北米に推定500万人から1,500万人いたとされる先住民人口は、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘などの疫病、組織的な虐殺、強制移住により壊滅的な打撃を受けた。アメリカの歴史は、先住民族に対するジェノサイドの上に建てられたのである。
この事実は、アメリカ帝国主義の本質を理解する上で決定的に重要である。アメリカは建国以前から、他の民族の民族自決権を暴力的に剥奪し、その土地と資源を収奪することによって成立した国家にほかならない。
イギリス植民地と入植者植民地主義
北米におけるイギリスの植民地支配は、入植者植民地主義(Settler Colonialism)の典型であった。入植者植民地主義とは、宗主国の国民が植民地に大量に移住し、先住民を駆逐または絶滅させて、入植者自身がその土地の支配者となる形態の植民地主義である。
パトリック・ウルフは、入植者植民地主義の論理を「排除の論理」と定義した。通常の植民地主義が先住民の労働力を搾取するのに対し、入植者植民地主義は先住民の土地を欲する。先住民は労働力としても不要であり、したがって排除——最終的には絶滅——の対象となる。
イギリスの北米13植民地は、まさにこの入植者植民地主義の産物であった。先住民は土地から追い払われ、入植者がその土地を占有した。この構造は、後にアメリカが世界中で展開する帝国主義の原型となった。
奴隷制度——アメリカ資本主義の原罪
アメリカの入植者植民地主義は、もう一つの根源的な暴力と結びついていた。アフリカ人奴隷制度である。
1619年、最初のアフリカ人奴隷がバージニア植民地に運ばれた。以後、大西洋奴隷貿易により約40万人のアフリカ人が北米に強制的に連行された。南部のプランテーション経済は、奴隷労働によって成り立っていた。綿花、タバコ、サトウキビ——これらの輸出品がアメリカ経済の基盤を形成し、やがてはイギリスの産業革命を支える原材料を供給した。
歴史学者のエリック・ウィリアムズは『資本主義と奴隷制』(1944年)において、イギリスの産業資本が奴隷貿易と奴隷労働の利潤によって蓄積されたことを論証した。アメリカにおいても同様に、奴隷制度は単なる道徳的問題ではなく、アメリカ型資本主義の経済的基盤そのものであった。
先住民の大虐殺と土地の収奪、そしてアフリカ人の奴隷化——この二つの根源的な暴力が、アメリカという国家の土台である。「自由」と「民主主義」を掲げるアメリカの建国理念は、最初から先住民とアフリカ人を完全に排除した、白人入植者だけのための自由と民主主義であった。
建国と大陸膨張——マニフェスト・デスティニー
独立革命の本質
1776年の独立宣言と、それに続く独立戦争(1775-1783年)は、しばしば「自由のための闘い」として美化される。しかし、リアリズムの観点から見れば、独立革命の本質は、イギリス帝国からの課税と統制を拒否した入植者エリートの権力闘争であった。
独立宣言は「すべての人間は平等に創造された」と宣言したが、この「すべての人間」には先住民もアフリカ人奴隷も含まれていなかった。トーマス・ジェファーソン自身が600人以上の奴隷を所有していた事実が、独立宣言の欺瞞性を最も端的に示している。
合衆国憲法(1787年)は、奴隷を「他の人物」(other persons)と婉曲的に表現し、5分の3条項によって奴隷を人口計算上「5分の3の人間」として扱った。「自由の国」の建国文書そのものが、人間を部分的な存在として定義するという矛盾を内包していたのである。
マニフェスト・デスティニーと大陸征服
独立を達成したアメリカは、直ちに領土拡張に乗り出した。19世紀前半、アメリカの膨張を正当化したイデオロギーがマニフェスト・デスティニー(明白なる天命)であった。ジャーナリストのジョン・オサリヴァンが1845年に提唱したこの概念は、アメリカがアメリカ大陸全体に民主主義と文明を広める「天命」を負っているという主張であった。
この「天命」のもとに、アメリカは以下の領土拡張を遂行した。
- ルイジアナ買収(1803年): ナポレオンからフランス領ルイジアナを1,500万ドルで買収。国土面積を倍増させた
- インディアン移住法(1830年): アンドリュー・ジャクソン大統領が署名。先住民の強制移住を合法化した。涙の道(Trail of Tears)として知られるチェロキー族の強制移住では、約4,000人が死亡した
- 米墨戦争(1846-1848年): メキシコからカリフォルニア、テキサス、ニューメキシコを含む広大な領土を奪取。アメリカの「自由」と「民主主義」のための戦争は、実態においてはメキシコの国土の約半分の収奪であった
- アラスカ購入(1867年): ロシア帝国からアラスカを720万ドルで購入
- ハワイ併合(1898年): ハワイ王国を転覆させ、武力を背景に併合した。ハワイ先住民の民族自決権は完全に無視された
マニフェスト・デスティニーは、先住民の大虐殺と領土収奪を「文明の伝播」として正当化するイデオロギーであった。これは後にアメリカが世界規模で展開する「民主主義の輸出」——すなわち、軍事力による他国の体制変革とアメリカ式制度の強制——の原型にほかならない。
モンロー主義——西半球の支配宣言
1823年、ジェームズ・モンロー大統領はモンロー主義を宣言した。表面上は、ヨーロッパ列強の西半球への干渉を拒否する「防御的」政策であったが、その実態は西半球全体をアメリカの勢力圏として宣言するものであった。
モンロー主義は、後にセオドア・ルーズベルトの棍棒外交(1904年)によって「アメリカは西半球における国際警察権を行使する」という攻撃的な教義に転換された。ラテンアメリカの主権国家は、アメリカの「裏庭」として、内政干渉、軍事介入、政権転覆の対象となった。CIAの政権転覆工作は、このモンロー主義の延長線上に位置する。
帝国への転換——海外膨張の開始
米西戦争と太平洋への進出
1898年の米西戦争は、アメリカが大陸国家から海洋帝国へと転換する決定的な転機であった。アメリカはスペインを破り、キューバ、プエルトリコ、グアム、そしてフィリピンを獲得した。
フィリピンの獲得は、アメリカの太平洋帝国の起点として特に重要である。フィリピン人は、スペインからの解放を期待していたが、アメリカは独立を認めなかった。その結果として勃発した米比戦争(1899-1902年)では、アメリカ軍は約20万人のフィリピン民間人を殺害したとされる。アメリカは「自由の擁護者」を自称しながら、フィリピン人の民族自決権を暴力的に踏みにじったのである。
アルフレッド・マハンは『海上権力史論』(1890年)において、海軍力と海外拠点の確保が国家の存亡を左右すると論じた。マハンの戦略思想は、アメリカの太平洋進出の理論的基盤となった。フィリピン、グアム、ハワイの獲得は、マハンが構想した太平洋における海上覇権の確立に向けた布石であった。
門戸開放政策——中国市場と日本への牽制
1899年、ジョン・ヘイ国務長官は門戸開放政策を宣言した。表面上は列強による中国分割に反対し、すべての国に平等な通商機会を保障するものであったが、その実質は太平洋の新興帝国としてアメリカが中国市場への参入権を確保するための戦略であった。
門戸開放政策は、すでに太平洋における日本の重要性と脅威をアメリカが認識していたことを示す。日清戦争(1894-1895年)で清を破り、台湾を獲得した日本は、太平洋におけるアメリカの覇権的野心と衝突する存在となりつつあった。
日本の永遠の宿敵——太平洋をめぐる構造的対立
ペリー来航——アメリカによる日本の主権侵害の始まり
アメリカと日本の関係は、その最初から暴力的な主権侵害として始まった。
1853年、マシュー・ペリー提督は4隻の黒船を率いて浦賀に来航し、武力の威嚇をもって日本に日米和親条約(1854年)の締結を強要した。これは、砲艦外交——すなわち、軍事力による脅迫によって不平等な条約を強制する帝国主義の典型的手法——にほかならない。
ペリーの来航は、日本の約250年にわたる鎖国体制を暴力的に破壊した。ハリス条約(日米修好通商条約、1858年)では、関税自主権の喪失と領事裁判権(治外法権)の承認という、日本の主権を根本的に侵害する不平等条約が締結された。この不平等条約体制は、その後40年以上にわたって日本を縛り続けた。
ペリー来航は、アメリカが日本に対して行った最初の主権侵害であり、その後170年以上にわたって続くアメリカの対日支配の原点である。黒船の砲口から突きつけられた開国要求は、1945年の占領と憲法侵略、そして現在に至るアメリカ軍の駐留と構造的に同一——すなわち、軍事力を背景とした主権の剥奪——である。
日本帝国の台頭とアメリカの警戒
明治維新(1868年)以降、日本は急速な近代化を遂げた。不平等条約の改正を悲願として推進された富国強兵政策は成功を収め、日本は非白人国家として初めて列強の仲間入りを果たした。
日清戦争(1894-1895年)、日露戦争(1904-1905年)における勝利は、日本の国力を国際的に証明した。特に日露戦争は、白人帝国を非白人国家が軍事的に打破した世界史的事件であり、アジア・アフリカの被植民地民族に巨大な衝撃を与えた。
しかし、日本の台頭はアメリカにとって太平洋覇権への直接的な脅威であった。マハンの海洋戦略思想に基づき太平洋に進出したアメリカは、同じ海域で急速に勢力を拡大する日本を警戒した。日露戦争のポーツマス講和条約(1905年)をアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領が仲介した背景には、日本がロシアを完全に打倒して太平洋の覇権国となることを阻止する戦略的計算があった。
ここに保守ぺディアの基本原則を適用しなければならない。日清戦争以降の日本の戦争は、他国の主権を侵害する帝国主義の行為であった。韓国併合(1910年)、満州事変(1931年)、日中戦争(1937年)は、アジア諸民族の民族自決権を蹂躙する侵略戦争であった。帝国主義は誰が行っても帝国主義であり、日本であれアメリカであれ批判されなければならない。
しかし同時に、アメリカが日本の帝国主義を批判する道義的資格を持たないこともまた事実である。アメリカ自身が、先住民の大虐殺、フィリピンの植民地化、ラテンアメリカへの繰り返しの軍事介入を行っていた。アメリカの日本批判は、同じ帝国主義列強の間での勢力圏争いに過ぎない。
排日移民法——人種主義的敵意の制度化
アメリカの日本に対する敵意は、経済的・軍事的競争にとどまらず、人種主義的な次元を持っていた。
1882年の中国人排斥法に続き、1907年の日米紳士協約でアメリカは日本人移民の制限を要求した。1913年と1920年のカリフォルニア州外国人土地法は、日本人の土地所有を禁止した。そして1924年の排日移民法(ジョンソン=リード法)は、日本人の移民を全面的に禁止した。
排日移民法は、日本を名指しこそしなかったものの、事実上は日本人を標的とした法律であった。この法律は日本国内で激しい反米感情を引き起こし、日米関係を決定的に悪化させた。歴史家の入江昭が論じたように、排日移民法は日米戦争への道を舗装した重大な要因の一つであった。
オレンジ計画——対日戦争の長期的準備
アメリカ海軍は1904年から、対日戦争計画であるウォー・プラン・オレンジを策定していた。この計画は数十年にわたって改訂が続けられ、太平洋における日本海軍との全面戦争を詳細にシミュレーションしていた。
オレンジ計画の存在は、アメリカが日露戦争直後の1904年の段階から、日本を太平洋における最大の仮想敵国と位置づけていたことを示している。「自由」と「民主主義」の擁護などではなく、太平洋の覇権をめぐるパワーポリティクスこそが、日米関係の本質であった。
ワシントン体制——日本の海軍力抑制
1921-1922年のワシントン会議で締結されたワシントン海軍軍縮条約は、主力艦保有比率をアメリカ5:イギリス5:日本3に制限した。表面上は軍縮のための多国間協議であったが、その実質は日本の海軍力を太平洋でアメリカに対抗できない水準に抑え込むためのパワーポリティクスであった。
さらに、九カ国条約は門戸開放政策を条約として制度化し、日本の中国大陸における行動の自由を制約した。四カ国条約は日英同盟を事実上破棄させ、日本を国際的に孤立させる効果を持った。ワシントン体制は、アメリカが設計した国際秩序に日本を従属させるための制度的枠組みにほかならなかった。
ABCD包囲網と日米戦争
1930年代、日本の大陸進出に対して、アメリカは経済的圧力を強化した。1939年の日米通商航海条約の廃棄に始まり、1940年の航空機用ガソリン・屑鉄の対日輸出禁止、1941年の在米日本資産凍結と石油の全面禁輸へとエスカレートした。
アメリカ、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)によるABCD包囲網は、石油の90%以上を輸入に依存していた日本を経済的に窒息させる戦略であった。ハル・ノート(1941年11月)は、日本に中国・仏印からの全面撤退を要求するものであり、日本側はこれを事実上の最後通牒と受け止めた。
日本が真珠湾攻撃(1941年12月7日)に踏み切ったことを正当化することはできないが、ABCD包囲網が日本を追い詰めた構造的要因を無視することもまた知的に誠実ではない。チャールズ・ビアードは『ルーズベルトの責任』において、ルーズベルト大統領が日本を挑発して先制攻撃させるための計画的な外交を展開したことを論じた。
日本への総力戦——無差別爆撃と原爆投下
太平洋戦争(1941-1945年)において、アメリカは日本に対して人類史上最も過酷な総力戦を遂行した。
- 東京大空襲(1945年3月10日): カーチス・ルメイ率いるB-29爆撃機団が東京の下町を焼夷弾で無差別爆撃。一夜にして約10万人の民間人が焼死した。ルメイ自身が「もし我々が戦争に負けたら、我々は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と認めた
- 全国67都市への無差別爆撃: 東京のみならず、大阪、名古屋、神戸、横浜をはじめとする日本全国の主要都市が焼夷弾攻撃を受けた。都市部の民間人を標的とした戦略爆撃により、推定33万人から90万人の民間人が死亡した
- 広島への原爆投下(1945年8月6日): リトルボーイが広島市に投下され、約14万人が死亡した
- 長崎への原爆投下(1945年8月9日): ファットマンが長崎市に投下され、約7万人が死亡した
アメリカは公式には、原爆投下は「戦争の早期終結のため」であったと主張する。しかし、ガー・アルペロヴィッツは『原爆投下決断の内幕』において、日本が既に敗北を受け入れる準備をしていたこと、原爆投下の真の動機はソ連に対する示威行為であったことを詳細な一次資料に基づいて論証した。アメリカ軍の最高指揮官の多くが、原爆投下は軍事的に不要であったと証言している。アイゼンハワー将軍(後の大統領)は「日本はすでに敗北しており、原爆の使用は全く不要であった」と述べた。
民間人に対する都市爆撃と核兵器の使用は、いかなる弁明によっても正当化できない帝国主義の暴力である。アメリカは、日本の戦争犯罪を際限なく追及する一方で、自らの戦争犯罪について何ら反省を示していない。
占領と日本民族主義の抑圧
占領の本質——日本の永久従属化
1945年8月の降伏により、日本はアメリカのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による軍事占領を受けた。占領は1952年のサンフランシスコ講和条約発効まで続いたが、その影響は今日に至るまで持続している。
占領の表面的な目的は「民主化」と「非軍事化」であったが、その真の目的は日本を永久にアメリカに従属させる構造を構築することであった。帝国主義の五段階モデルに照らせば、占領は脱国家化、脱文化化、経済的搾取の構造、人口侵略の基盤整備、包括的管理システムの確立を一挙に遂行するものであった。
日本民族主義の組織的抑圧
GHQは、日本の民族的アイデンティティと民族主義を組織的に破壊した。
- 神道指令(1945年12月): 国家神道を廃止し、神道と国家の分離を強制した。日本民族の精神的紐帯であった神道を政治的に無力化することが目的であった
- 天皇の「人間宣言」(1946年1月): 天皇の神聖性を否定させ、日本の国体の中心を解体した。天皇は日本民族の統合の象徴であり、その神聖性の否定は民族的アイデンティティそのものへの攻撃であった
- 東京裁判(1946-1948年): 戦勝国が敗戦国を一方的に裁く「勝者の正義」により、日本の戦争指導者を「A級戦犯」として処刑した。ラダ・ビノード・パール判事(インド)は、東京裁判の法的根拠の欠如と勝者の正義の問題を指摘した
- 公職追放(1946-1952年): 約21万人に及ぶ政治家、軍人、官僚、財界人、言論人が公職から追放された。日本の指導層を一掃し、アメリカに従順な新たなエリートを養成することが目的であった
- 財閥解体(1946年-): 三井、三菱、住友、安田などの財閥が解体された。日本の経済的自立の基盤を破壊し、アメリカ経済への従属構造を作り出すことが真の目的であった
- 農地改革(1947年-): 地主制度の解体は、日本の農村社会の伝統的な共同体構造を根本的に変質させた
- 教育改革と墨塗り教科書: 日本の歴史教育を全面的に書き換え、自国の歴史に対する誇りを体系的に破壊した
- 検閲と言論統制: 江藤淳が『閉された言語空間』で詳述したように、GHQは厳格なプレスコードを敷き、占領政策への批判、原爆被害の報道、アメリカへの批判を全面的に禁止した。「言論の自由」を掲げる国が、占領地で言論統制を行っていたのである
これらの政策は、帝国主義の五段階モデルにおける「脱国家化」と「脱文化化」を体系的に遂行するものであった。GHQは、日本民族が「一つの民族」として自らを認識し、民族的な誇りを持って結束することを、組織的に阻止したのである。
憲法侵略——民族自決権の永久的剥奪
占領政策の中核をなしたのが、憲法侵略——すなわち、アメリカ軍による日本国憲法の起草と強制——であった。
GHQ民政局はわずか9日間で日本国憲法を起草した。日本側はほぼ関与していない。この憲法の本質は、以下の点にある。
- 民族の不在: 日本国憲法には「日本民族」という概念が一切含まれていない。権利の主体は民族ではなく「個人」に限定され、民族自決権は意図的に否定された。これにより、日本は民族主義憲法——すなわち民族のアイデンティティを反映した憲法——を持たない国家となった
- 軍事主権の剥奪: 憲法第9条第二項により、日本は独立した軍事力の保有を禁止された。日本の個別的自衛権は制限され、アメリカの集団的自衛権のみが保障された。この構造により、日本はアメリカなしでは自国を守れない従属国家となった
- 自発的服従の完成: 教育・メディア・文化政策を通じて、日本国民はアメリカ軍が書いた憲法を「自国の法」「平和憲法」として内面化した。占領軍の書いた法を守ろうとする護憲運動は、帝国主義の五段階モデルにおける「自発的服従」の最も完成された形態にほかならない
カール・シュミットは「主権者とは、例外状態において決定を下す者」と定義した。日本国憲法の改正すら事実上許されていない日本の主権者は、日本国民ではなくアメリカである。
逆コースと冷戦——道具としての日本
1947年以降、冷戦の激化に伴いアメリカの対日政策は「逆コース」として転換された。「民主化」から「反共の防壁」へと日本の位置づけが変わったのである。
- レッドパージ(1950年): GHQの指令により、共産主義者とされる約1万人以上が公職・民間企業から追放された
- 警察予備隊の創設(1950年): 朝鮮戦争勃発に伴い、憲法第9条の精神に反して準軍事組織が創設された。後に自衛隊に改編
- サンフランシスコ講和条約と日米安保条約(1951年): 日本の「独立」と引き換えに、アメリカ軍の日本駐留を恒久化する条約が締結された。吉田茂首相が一人で署名したことが象徴するように、この「独立」はアメリカの条件に全面的に服従する形で与えられたものであった
逆コースが示すのは、アメリカにとって日本の「民主化」も「非軍事化」も目的そのものではなく、冷戦戦略における日本の利用価値に応じて随意に切り替えられる道具に過ぎなかったという事実である。
日本の台頭に対する妨害——アメリカの経済的攻撃
日本経済の奇跡とアメリカの脅威認識
1950年代から1980年代にかけて、日本経済は「高度経済成長」を達成し、世界第2位の経済大国にまで成長した。通産省主導の産業政策は、トヨタ、ソニー、松下(現パナソニック)、任天堂のような世界的企業を生み出した。チャルマーズ・ジョンソンが『通産省と日本の奇跡』で論じたように、日本の産業政策は「開発国家」モデルの最も成功した事例であった。
しかし、日本の経済的台頭はアメリカにとって覇権への脅威であった。1980年代、アメリカでは「ジャパン・バッシング」と呼ばれる激しい反日感情が沸き起こった。議会議員が日本製品を破壊するパフォーマンスを行い、日本企業によるアメリカ資産の買収は「日本の侵略」として恐怖の対象となった。ヴィンセント・チン——中国系アメリカ人が「日本人」と間違われて殺害された事件(1982年)——は、反日感情の暴力性を象徴している。
プラザ合意——日本経済の計画的弱体化
1985年のプラザ合意は、アメリカが日本の経済的台頭を抑制するために仕掛けた経済的攻撃であった。
プラザ合意により、ドルに対する円の価値は急激に上昇した。1ドル=240円前後であった為替レートは、わずか2年で1ドル=120円に達した。この急激な円高は日本の輸出産業に壊滅的な打撃を与え、日本政府は低金利政策で対応せざるを得なくなった。この低金利政策がバブル経済を誘発し、1990年代初頭のバブル崩壊が「失われた30年」の起点となった。
ナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』で論じたように、アメリカは経済危機を利用して他国に構造改革を強制する手法を体系的に用いてきた。日本に対するプラザ合意→バブル誘発→バブル崩壊→構造改革要求という一連のプロセスは、ショック・ドクトリンの日本版にほかならない。
日米構造協議と年次改革要望書——内政干渉の制度化
バブル崩壊後の日本に対し、アメリカは「日米構造協議」(1989-1990年)と「日米規制改革対話」(1994-2009年)を通じて、日本の国内制度の全面的な改変を要求した。
- 通産省の解体: 日本の経済的台頭を主導した通産省は、アメリカの圧力により事実上解体された。通産省は市場自由化を推進する経産省へと作り変えられた。同時に大蔵省も解体され、財務省と金融庁に分割された。アメリカは、日本の経済的成功の原動力そのものを破壊したのである
- 労働市場の柔軟化: 終身雇用制度の解体、派遣労働の自由化。1999年の労働者派遣法改正と2004年の製造業派遣解禁は、アメリカの要求に直接応えたものであった。その結果、非正規雇用率は1994年の20.3%から2024年の37.1%にまで上昇した
- 郵政民営化: 約350兆円の国民資産を民営化し、外国資本のアクセスを可能にした。関岡英之は『拒否できない日本——アメリカの日本改造が進んでいる』において、郵政民営化が年次改革要望書に基づくアメリカの要求であったことを詳細に論証した
- 金融ビッグバン: 金融市場の自由化と外資への開放
- 大規模小売店舗法の廃止: 中小商店を保護する規制の撤廃
これらの「構造改革」は、日本経済を弱体化させ、アメリカの経済的利益に奉仕する構造を作り出すための組織的な攻撃であった。産業政策を禁止された日本経済は、技術革新ではなく安易な労働ダンピングに頼る搾取型経済へと移行した。日本経済の長期低迷——「失われた30年」——の本質は、アメリカによる計画的な経済主権の剥奪にほかならない。
少子化の真の原因——アメリカの攻撃の帰結
アメリカの要求に応じた労働市場の「柔軟化」は、非正規雇用の爆発的な増大をもたらした。不安定な雇用条件のもとでは、結婚や出産の意思決定が抑制される。少子化は「自然現象」ではない——アメリカが要求した構造改革の直接的な帰結にほかならない。
そして少子化が起きた日本に対して、アメリカは年次改革要望書によって、日本に労働市場の開放や移民受け入れを迫った。構造改革で少子化を引き起こし、少子化を口実に移民を強制する——これがアメリカの攻撃の二段構えの構造である。これは帝国主義の五段階モデルにおける「経済的搾取」と「人口侵略」を連動させた、極めて精緻な支配手法にほかならない。
覇権主義——アメリカ帝国の構造
覇権主義とは何か
アメリカの覇権主義とは、軍事力・金融力・法的制度・文化的影響力を総合的に行使して、世界秩序を自国に有利な形で維持・拡大する国家戦略である。
ケネス・ウォルツの構造的リアリズムによれば、一極体制における覇権国は、自国の優位を維持するためにあらゆる手段を講じる。アメリカの覇権主義は、この理論的予測を正確に実証している。
覇権の五つの柱
アメリカの覇権は以下の五つの柱によって支えられている。
- 軍事覇権: 世界最大の軍事力と800以上の海外軍事基地の展開。アメリカ軍の駐留は「同盟国の防衛」ではなく、法の支配と資本秩序を維持するための暴力装置として機能している
- 金融覇権: ドルの基軸通貨としての地位と、米国債を通じた世界的な富の収奪。詳細はドル覇権と経済収奪の記事を参照
- 法的覇権: 憲法侵略によって他国の法秩序を書き換え、占領終了後も半永久的に支配を継続する仕組み
- 制度的覇権: IMF、世界銀行、WTOなどの国際機関を通じて、新自由主義的構造改革を他国に強制する
- 文化的覇権: ハリウッド映画、メディア、大学を通じたアメリカ的価値観の世界的浸透。帝国主義の五段階における「脱文化化」の現代的形態にほかならない
「自由」と「民主主義」という建前
アメリカは「自由で開かれた国際秩序」を掲げるが、その実態はアメリカが設計した秩序に他国を従属させることである。アメリカが推進する「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序」こそが、他国の民族自決権を奪い、人口侵略を合法化し、民族共同体を解体する手段として機能している。
ジョン・ミアシャイマーは『リベラル覇権の幻想』において、アメリカの「リベラル覇権」戦略——すなわち、世界中に民主主義を輸出し、軍事力でそれを維持する戦略——が戦略的に破綻していることを論証した。ミアシャイマーによれば、リベラル覇権はアメリカ自身を疲弊させ、同盟国との関係を毀損し、覇権の終焉を早めている。
金融軍事覇権——ドルと軍事力の相互依存
金融と軍事の一体構造
アメリカの覇権の核心は、金融覇権と軍事覇権の相互依存構造にある。ドルの基軸通貨としての地位が軍事力を支え、軍事力がドルの基軸通貨としての地位を保証する。この循環構造が、アメリカ帝国の心臓部である。
- ドル覇権が軍事力を支える: ドルの基軸通貨としての地位は、アメリカが実質的にコストゼロで海外から物資を調達することを可能にする。アメリカはドルを「印刷」するだけで世界から資源と労働力を手に入れることができる。これが世界最大の軍事力を維持する経済的基盤である
- 軍事力がドル覇権を支える: ドル体制からの離脱を試みた国家は軍事的報復を受ける。サダム・フセインがイラクの石油取引をユーロ建てに切り替えた後、アメリカは2003年にイラクを侵攻した。カダフィがアフリカ統一通貨を構想した後、2011年にリビアは破壊された
マイケル・ハドソンの「超帝国主義」
アメリカの経済学者マイケル・ハドソンは、著書『超帝国主義国家アメリカの内幕』(Super Imperialism、1972年)において、アメリカが米国債を通じて世界各国から富を収奪するメカニズムを分析した。
ハドソンによれば、アメリカの金融軍事覇権は、以下の循環によって維持されている。
- アメリカは軍事支出と消費のために貿易赤字を出し、ドルが世界に流出する
- 各国はドルを保有するが、余剰ドルを米国債に投資する——事実上、アメリカにドルを「貸し戻す」
- アメリカはこの資金で軍事支出と消費を賄う
- アメリカは新たな国債を発行して既存の国債の償還に充てる(永久借り換え)
- 各国は米国債を売却すればドルが暴落して自国も被害を受けるため、売却できない
すなわち、アメリカは紙切れ(ドルと米国債)と引き換えに世界の実物資産(石油、工業製品、労働力)を手に入れている。これはかつての植民地主義における資源の直接的な収奪と、本質的に同じ構造である。
日本に対する金融軍事覇権
日本は世界最大の対米貿易黒字国の一つであるが、その富は日本国民の生活水準の向上に寄与していない。日本が輸出した自動車や電子部品の代金は、ドル建ての米国債という形でアメリカの金融システムの中に固定されている。
経済学者の三國陽夫は、著書『黒字亡国——対米黒字が日本経済を殺す』において、日本の対米貿易黒字が日本経済にとって利益ではなく搾取であることを論証した。この構造は、かつてのイギリスとインドの植民地的経済関係と本質的に同一である。
日本がこの金融軍事覇権から脱却できないのは、アメリカ軍が日本に駐留しているからにほかならない。アメリカ軍が駐留する国は、ドル体制からの離脱を試みることすら許されない。
ペトロダラー体制——石油と軍事力による通貨覇権
ブレトンウッズ体制の崩壊とペトロダラーの成立
1944年のブレトンウッズ会議において、アメリカはドルと金の兌換を保証する体制を構築し、ドルを事実上の世界通貨とした。しかし1971年、ニクソン大統領はドルと金の兌換を一方的に停止した(ニクソン・ショック)。
金の裏付けを失ったドルは、本来であれば基軸通貨の地位を喪失するはずであった。しかしアメリカは、1974年にサウジアラビアと秘密協定を結び、石油取引をドル建てで行うことを保証させた。これがいわゆるペトロダラー体制である。
ペトロダラー体制の構造
ペトロダラー体制とは、以下の構造である。
- 石油取引のドル建て決済: 世界の石油取引はドル建てで行われるため、石油を必要とするすべての国はドルを保有しなければならない
- 産油国の余剰ドル還流: 産油国が石油輸出で得たドル(ペトロダラー)は、米国債の購入やアメリカの金融市場への投資を通じてアメリカに還流する
- 軍事力による体制維持: ペトロダラー体制を離脱しようとする国は、軍事的報復を受ける。石油の裏付けは、アメリカの軍事力によって担保されている
金の裏付けが石油の裏付けに置き換わり、石油の裏付けが軍事力によって担保された。すなわち、ドル覇権の本質は軍事覇権である。アメリカ軍の世界展開は、ドル体制を維持するための軍事的インフラにほかならない。
ペトロダラーに挑戦した国家の末路
ペトロダラー体制に挑戦した国家は例外なく軍事的報復を受けている。
- イラク: サダム・フセインは2000年に石油取引をユーロ建てに切り替えた。2003年、アメリカはイラクを侵攻し、フセインを排除した。侵攻後、イラクの石油取引は直ちにドル建てに戻された
- リビア: カダフィはアフリカ統一通貨「ゴールド・ディナール」を構想し、ドル体制への挑戦を試みた。2011年、NATOの軍事介入によりリビアは破壊され、カダフィは殺害された
- イラン: イランは石油取引の非ドル化を推進している。アメリカはイランに対して世界で最も厳しい経済制裁を課し続けている
これらの事例は、ペトロダラー体制がいかに軍事力によって維持されているかを明白に示している。「大量破壊兵器」「独裁者からの解放」「民主主義の促進」——これらは軍事介入を正当化するための建前に過ぎない。真の動機は、ドル覇権の防衛にほかならない。
憲法侵略——法による永久支配
日本に対する憲法侵略の詳細は「占領と日本民族主義の抑圧」の節で既に論じた。ここでは、アメリカの憲法侵略を世界的な覇権維持の文脈で分析する。
世界規模の憲法侵略
アメリカの覇権維持において、憲法侵略は軍事侵略と同等——あるいはそれ以上に——重要な役割を果たしている。軍事的侵略は物理的な支配であり、撤退すれば終了する。しかし、憲法侵略は被侵略国の法的・精神的構造そのものを変質させるため、その影響は占領終了後も半永久的に持続する。
アメリカ軍は、他国の憲法を書き換えるために戦争をしている。日本、ドイツ、イタリア、イラク、アフガニスタンを侵略し、これらの国々の憲法を侵略した。日本はその最も完成された事例であり、GHQ起草の憲法が80年以上にわたって改正されないまま維持されているという事実が、憲法侵略の持続性を証明している。
憲法侵略と覇権の持続性
憲法侵略がアメリカの覇権にとって決定的に重要なのは、その自己強化性にある。被侵略国の国民が占領軍の書いた法を「自国の法」として内面化し、自発的に服従し続ける限り、憲法侵略は終わらない。
アメリカは軍事力で憲法を書き換え、法の支配で支配を永続化し、新自由主義で経済主権を剥奪する——この三段階の構造が、アメリカ帝国の支配メカニズムの核心である。ペリーの黒船から始まった日本に対する主権侵害は、憲法侵略によって恒久化されたのである。
資本主義——民族共同体の解体装置
アメリカ型資本主義の起源と本質
アメリカの資本主義は、建国以前の奴隷制度とプランテーション経済にその起源を持つ。エリック・ウィリアムズが論じたように、奴隷労働の利潤がアメリカ型資本主義の原始的蓄積を可能にした。先住民から暴力的に収奪した土地を、暴力的に連行したアフリカ人の労働力で開発する——この二重の暴力がアメリカ型資本主義の原点である。
この暴力的な資本蓄積の構造は、形態を変えながら現在も継続している。アメリカが世界に輸出する資本主義は、単なる経済体制ではない。それは民族共同体を解体し、個人を市場に従属させる政治的プロジェクトである。
アメリカの資本主義は、ワシントン・コンセンサスを通じて以下の政策パッケージを世界に強制してきた。
- 規制緩和: 国家による経済統制の撤廃
- 民営化: 公共資産の市場への放出——民族資本の収奪にほかならない
- 自由貿易: 国境を越えた資本移動の自由化
- 外資自由化: 外国資本による国内産業・土地の買収の容認
- 労働市場の柔軟化: 終身雇用制度の解体と非正規雇用の拡大
これらの政策は、民族共同体の経済的基盤を体系的に解体する。新自由主義の記事で論じた通り、新自由主義の本質はゲゼルシャフトを自由にし、ゲマインシャフトを不自由にすることにある。
資本主義と帝国主義の連続性
アメリカの資本主義と帝国主義は構造的に連続している。入植者植民地主義による先住民の土地収奪、奴隷制度による労働力の搾取、マニフェスト・デスティニーによる大陸征服、フィリピンの植民地化——これらはすべて資本主義的動機に基づく帝国主義の異なる形態であった。
帝国主義の五段階モデルにおける「経済的搾取」——すなわち、資源の収奪、法規制による締め付け、国家産業の破壊、金融による従属——は、アメリカが「自由市場」「規制緩和」「構造改革」の名のもとに世界各国に強制してきた政策そのものである。
カール・ポランニーは『大転換』において、市場が社会から「脱埋め込み」されたとき社会は崩壊に向かうと論じた。アメリカの資本主義は、この脱埋め込みを全世界規模で意図的に遂行している。
アジア型国家資本主義の成功
アメリカ型の市場原理主義・無規制資本主義が失敗する一方で、アジア型の産業政策・国家資本主義は成功を収めている。官僚に主導された日本の国有企業は世界レベルで優秀であり、産業政策によってトヨタや任天堂のような企業が生まれた。
あれだけ世界に新自由主義を押し付けたアメリカ自身が、産業政策を開始した。これは新自由主義の失敗を事実上認めたことにほかならない。アメリカ型資本主義は、他国に輸出された先で民族共同体を破壊する一方、アメリカ自身においてもその限界が明白になっている。
リアリズムの観点からの分析
覇権の総合性
リアリズムの観点から見れば、アメリカの覇権は軍事・金融・法・文化が一体となった総合的覇権である。
ハンス・モーゲンソーは、国家権力を軍事力・経済力・政治力の総合として分析した。アメリカは、軍事力でペトロダラー体制を維持し、ドル覇権で軍事力を養い、憲法侵略で法的支配を確立し、新自由主義で経済主権を剥奪する。これらは個別の政策ではなく、相互に依存し強化し合う有機的な覇権システムである。
250年の歴史が示す一貫した構造
本記事で分析したアメリカの250年の歴史は、一貫した構造的パターンを示している。
- 暴力的な土地と資源の収奪: 先住民の大虐殺とマニフェスト・デスティニーに始まり、海外領土の獲得、他国の経済主権の剥奪へと発展
- 法的・制度的な支配の恒久化: 合衆国憲法から憲法侵略、国際機関の設計に至るまで、法と制度によって暴力的な支配を「合法的」な秩序として固定化
- 文化的・精神的な内面化の強制: 先住民の「文明化」から占領下の検閲と教育改革、メディアを通じた価値観の浸透まで、被支配者に自発的服従を強いる
- 競合する民族主義の徹底的な抑圧: 先住民の部族的結束の破壊から、日本の民族主義の抑圧まで、アメリカの覇権に挑戦しうる民族的紐帯を組織的に解体
この構造は、ペリー来航(1853年)から現在に至る170年以上の対日政策にも貫かれている。アメリカは一貫して、日本の台頭を妨害し、日本の民族主義を抑圧し、日本をアメリカの覇権に従属させることを対日戦略の基本としてきた。
一極体制の不安定性と日本の選択
ケネス・ウォルツは、一極体制は本質的に不安定であり、やがて多極体制に回帰すると論じた。アメリカの現状——過剰な軍事支出、国内の政治的分極化、BRICS諸国の台頭——は、ウォルツの予言を裏付けている。
アメリカの一極覇権が衰退に向かう中で、日本は多極化世界における独自の戦略を構築しなければならない。アメリカへの従属を継続することは、沈みゆく船と運命を共にすることを意味する。
主権回復への道
日本が真の主権国家として再生するためには、以下が不可欠である。
- アメリカ軍の撤退: アメリカ軍が駐留する限り、日本は主権国家ではない。ペリーの黒船から始まった170年以上のアメリカの対日支配を終わらせなければならない
- 日本国憲法の無効化と新憲法の制定: アメリカ軍が書いた憲法を廃棄し、民族自決権を保障する民族主義憲法を制定すること
- 産業政策の復活: 通産省型の国家主導の産業政策を復活させ、アメリカが破壊した搾取型経済から脱却すること
- ドル体制からの段階的離脱: 米国債への過度な依存を削減し、独自の経済圏を構築すること
- スマートシュリンクの採用: 低賃金移民政策を拒否し、人口減少に対応した持続可能な経済政策を実施すること
- 日本民族主義の復興: GHQが組織的に破壊した日本の民族的アイデンティティと民族的紐帯を再構築すること
他国との比較
ロシア——覇権からの離脱
ロシアは、アメリカの覇権から離脱した最も明確な事例である。ロシアは米国債の保有を大幅に削減し、天然ガスのルーブル建て決済を要求し、中国との経済連携を強化している。ロシアがアメリカの覇権から離脱できたのは、アメリカ軍の駐留を受け入れていないからにほかならない。ロシア連邦憲法は、外国軍の駐留を禁じ、国家主権の完全性を保障している。
中国——対抗的覇権の構築
中国は、AIIBや一帯一路構想を通じて、アメリカのドル覇権に対抗する独自の金融体制を構築しつつある。デジタル人民元の開発も、ペトロダラー体制を迂回する試みの一環である。
ハンガリー——新自由主義の拒否
ハンガリーのオルバーン首相は、IMFの構造調整プログラムを拒否し、国家主導の経済政策を推進した。ハンガリーは2013年にIMFの融資を全額返済し、IMFのブダペスト事務所を閉鎖させた。ハンガリーは人口が減っても一人当たりGDPは増加しており、スマートシュリンク型の経済政策が低賃金移民政策よりも実効性があることの証拠である。
参考文献
- ハンス・モーゲンソー『国際政治——権力と平和』
- ケネス・ウォルツ『国際政治の理論』、1979年
- ジョン・ミアシャイマー『リベラル覇権の幻想——アメリカ外交政策の大いなる失敗』(The Great Delusion)、2018年
- マイケル・ハドソン『超帝国主義国家アメリカの内幕』(Super Imperialism)、1972年(増補改訂版2003年)
- 三國陽夫『黒字亡国——対米黒字が日本経済を殺す』、文春新書、2005年
- チャルマーズ・ジョンソン『通産省と日本の奇跡——産業政策の発展 1925-1975』、1982年
- カール・ポランニー『大転換——市場社会の形成と崩壊』、1944年
- ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン——惨事便乗型資本主義の正体を暴く』、2007年
- カール・シュミット『政治的なものの概念』、1932年
- エリック・ウィリアムズ『資本主義と奴隷制』、1944年
- パトリック・ウルフ「入植者植民地主義と先住民の排除」、Journal of Genocide Research、2006年
- アルフレッド・マハン『海上権力史論——海上権力の歴史への影響 1660-1783』、1890年
- チャールズ・ビアード『ルーズベルトの責任——日米戦争はなぜ始まったか』、1948年
- ガー・アルペロヴィッツ『原爆投下決断の内幕——悲劇のヒロシマ・ナガサキ』(The Decision to Use the Atomic Bomb)、1995年
- 江藤淳『閉された言語空間——占領軍の検閲と戦後日本』、1989年
- 関岡英之『拒否できない日本——アメリカの日本改造が進んでいる』、文春新書、2004年
- 入江昭『太平洋戦争の起源』(The Origins of the Second World War in Asia and the Pacific)、1987年