超憲法
超憲法(ちょうけんぽう)とは、国家が制定した成文憲法を超越する規範体系を指す概念である。宗教法、慣習法、不文の民族的規範など、国家権力の及ばない領域に存在し、国家が消滅しても民族の同一性と行動規範を維持し続ける法体系がこれにあたる。
超憲法を持つ民族は、国家を失っても民族として生き残る。超憲法を持たない民族は、憲法を書き換えられた瞬間に死ぬ。
なぜ滅びる民族と滅びない民族があるのか
歴史上、国家を失った民族は無数に存在する。そのほとんどは周辺民族に同化し、消滅した。フェニキア人、スキタイ、西ゴート族。かつて地中海世界や中央アジアを席巻した民族の多くは、国家の滅亡とともに歴史の中に溶解した。
ところが、ユダヤ民族は2500年のディアスポラ(離散)を経てもなお民族として存続し、最終的に国家を再建した。イスラム共同体(ウンマ)は、アッバース朝の滅亡、オスマン帝国の解体を経てもなお、世界人口の4分の1を包摂する文明圏として機能している。チベット民族は国家を中国に併呑されてなお、亡命先で民族的結束を維持している。
この差異は何に由来するのか。軍事力か。経済力か。人口か。いずれも決定的な説明にはならない。
答えは、超憲法の有無にある。
超憲法の定義
超憲法とは、以下の五つの条件を満たす規範体系である。
| 条件 | 内容 | 機能 |
|---|---|---|
| 国家非依存性 | 国家権力から独立して存在する | 国家が滅んでも規範は滅びない |
| 日常規律性 | 信仰告白にとどまらず、日常生活の行動規範を規定する | 民族の行動様式を世代を超えて再生産する |
| 境界定義性 | 「誰がこの共同体に属するか」を明確に定義する | 同化や混血による民族の溶解を阻止する |
| 内部司法性 | 紛争解決の独自メカニズムを持つ | 外部の司法に依存せず共同体秩序を維持する |
| 超越的権威性 | 人間の立法を超える権威(神、啓示、伝統)に基づく | いかなる世俗権力も超憲法を廃止できない |
成文憲法は国家の産物であり、国家とともに生まれ、国家とともに滅ぶ。超憲法は、国家に先立って存在し、国家が消滅した後も存続する。この差異が、民族の生死を分ける。
カール・シュミットは「主権者とは、例外状態について決定する者である」と定義した。国家の滅亡は究極の例外状態である。この例外状態において、成文憲法は無力となる。しかし超憲法は、例外状態においてこそ発動する。国家なき状態でも共同体を統治し続ける規範、それが超憲法である。
法の三層構造
国際政治において法は三つの階層をなす。
| 階層 | 内容 | 制定者 | 破壊条件 |
|---|---|---|---|
| 超憲法 | 宗教法・慣習法・不文の民族規範 | 神・預言者・伝統 | 信仰の喪失のみ |
| 憲法 | 国家の根本法 | 主権者(民族または占領者) | 軍事的敗北・革命・憲法侵略 |
| 通常法 | 法律・政令・条例 | 立法府 | 議会の多数決 |
通常の法学は、憲法を最高法規と位置づける。しかし現実には、憲法の上位に超憲法が存在する文明圏がある。そしてその文明圏においては、憲法が破壊されても民族が生き残る。
この三層構造を認識するかどうかが、憲法闘争における勝敗を左右する。
ハラーハー:2500年を生き延びた超憲法
ユダヤ教のリアリズムで論じた通り、ハラーハー(ユダヤ法)は超憲法の最も完成された形態である。ここでは、超憲法としてのハラーハーがなぜ機能し続けたのかを、その構造から分析する。
国家なき法の実験
紀元70年の第二神殿の破壊以降、ユダヤ民族は約1900年にわたって国家を持たなかった。通常であれば、国家の喪失は法体系の消滅を意味する。法の執行には国家権力が必要だからである。
しかしユダヤ民族は、国家権力なしに法体系を維持する方法を発明した。ラビ(宗教的指導者)が法の解釈と適用を担い、シナゴーグ(会堂)が裁判所の機能を果たし、共同体の社会的圧力が法の執行力を代替した。暴力装置を持たずに法秩序を維持する、人類史上最大の実験であった。
この実験が成功した理由は、ハラーハーが上記の五つの条件をすべて満たしていたことにある。
- 国家非依存性: ハラーハーは国家法ではなく神の法であるため、いかなる世俗権力もそれを廃止する権限を持たない
- 日常規律性: 食事規定(カシュルート)、安息日の遵守、祈祷の時間と方法に至るまで、生活のあらゆる側面を規律する。これにより、バビロニアに住もうとイベリア半島に住もうと、ユダヤ人はユダヤ人として生活し続けた
- 境界定義性: 「母がユダヤ人であるか、正式な改宗手続きを経た者」がユダヤ人である。この厳密な定義が、2500年間にわたって同化を阻止した
- 内部司法性: ベート・ディーン(ユダヤ法廷)がラビ裁判所として機能し、民事紛争を共同体内部で解決した
- 超越的権威性: ハラーハーの権威は、シナイ山における神の啓示に由来する。人間の立法者がこれを廃止することは、原理的に不可能である
ピクアッハ・ネフェシュ:超憲法のリアリズム
ハラーハーが硬直した教条ではなく、生きた法体系であり続けた理由は、ピクアッハ・ネフェシュ(פיקוח נפש、「生命の救済」)の原則にある。生命の危険がある場合には、安息日を含むほぼすべての戒律を破ることが許される。
この原則は、超憲法の核心的な特質を示している。超憲法は法そのものを絶対視しない。法は民族の生存のための道具であり、民族が滅べば法も意味を失う。したがって、民族の生存が脅かされるときには、法は柔軟に中断される。
法を権力の道具と見なすリアリズムの法観と、ピクアッハ・ネフェシュの原則は、構造的に同型である。
シャリーア:文明を統合する超憲法
シャリーア(イスラム法)は、ハラーハーとは異なる仕方で超憲法として機能する。ハラーハーが一民族の生存を保障する「部族的」超憲法であるとすれば、シャリーアは文明圏全体を統合する「帝国的」超憲法である。
ウンマという超国家的共同体
イスラム法の最大の特徴は、その適用範囲が民族や国家の境界を超越する点にある。ウンマ(イスラム共同体)は、アラブ人、ペルシア人、トルコ人、マレー人、アフリカの諸民族を、一つの法体系の下に包摂する。
これは、ハラーハーの「誰がユダヤ人か」という排他的な境界定義とは対照的である。シャリーアの境界定義は包括的であり、信仰告白(シャハーダ)さえ行えば、いかなる民族もウンマに参入できる。
しかし、包括性は弱さではない。シャリーアが超憲法の五条件をすべて満たすことは、以下の通り明白である。
- 国家非依存性: シャリーアの権威はアッラーの啓示(クルアーン)と預言者ムハンマドの言行(ハディース)に由来し、いかなる国家権力にも依存しない
- 日常規律性: 1日5回の礼拝(サラート)、断食(サウム)、食事規定(ハラール)、服装規定、商取引の規範(利子の禁止)に至るまで、生活のすべてを律する
- 境界定義性: ムスリムと非ムスリムの区別は明確であり、棄教(リッダ)は最も重い罪の一つとされる
- 内部司法性: カーディー(イスラム法官)による裁判制度が、国家の司法制度とは独立に機能してきた
- 超越的権威性: クルアーンは「神の言葉そのもの」であり、人間による改変は原理的に不可能である。ここにシャリーアの絶対的権威がある
カリフ制の滅亡と超憲法の持続
超憲法としてのシャリーアの威力は、政治体制の崩壊に際して最も鮮明に現れる。
1258年のモンゴルによるバグダード陥落は、アッバース朝カリフ制を終焉させた。しかしイスラム文明は滅びなかった。シャリーアが国家の上位に存在し続けたからである。カリフという政治的頂点を失っても、モスク、マドラサ(学院)、ワクフ(宗教寄進)といった制度がシャリーアの担い手として機能し続けた。
1924年、ムスタファ・ケマル・アタテュルクはオスマン帝国のカリフ制を廃止し、トルコの世俗化を断行した。トルコ共和国憲法はシャリーアを国家法から排除した。しかし1世紀を経た今日、トルコ社会においてイスラム的規範は根強く生き続けており、エルドアン政権の下でその政治的影響力は回復しつつある。
世俗的な憲法がシャリーアを廃止しても、シャリーアは社会の底流で生き続ける。これこそ、超憲法が成文憲法の上位に位置する証左である。
イラン憲法:超憲法の制度化
イラン・イスラム共和国憲法は、超憲法を成文憲法の内部に取り込んだ稀有な事例である。
護憲評議会がすべての法律のシャリーアへの適合性を審査する制度は、「成文憲法の上位にシャリーアが存在する」という超憲法の構造を、憲法制度として明文化したものにほかならない。最高指導者(ヴァラーイャテ・ファギーフ)の地位は、超憲法の解釈権を持つ者が世俗的な国家元首の上位に立つことを意味する。
1979年のイスラム革命は、パフラヴィー朝という世俗的国家が崩壊した後に、超憲法(シャリーア)が表面に浮上した事例でもある。革命の原動力は、世俗的な政治運動ではなく、超憲法の担い手であるウラマー(イスラム法学者)であった。
カノン法:衰退した超憲法
カノン法(カトリック教会法)は、中世ヨーロッパにおいて超憲法として機能していた。
ローマ教皇は、世俗君主の上位に立つ精神的権威を主張し、カノン法は世俗法の上位規範として機能していた。カノッサの屈辱(1077年)は、世俗権力(神聖ローマ皇帝)が超憲法の権威(教皇)の前に跪いた象徴的事件である。
しかし、カノン法は超憲法としての力を徐々に喪失していった。
衰退の過程
- 宗教改革(16世紀): マルティン・ルターの「聖書のみ」の原則は、教皇の法解釈権を否定した。超憲法の統一的な解釈権が破壊されたのである。プロテスタント諸国では、世俗君主が教会の首長を兼ねるようになり、超憲法は国家に従属した
- ウェストファリア体制(1648年): 「領主の宗教がその領土の宗教」(cuius regio, eius religio)の原則により、宗教は国家主権の下に置かれた。超憲法が憲法の下位に転落した決定的転換点である
- フランス革命(1789年): 教会財産の国有化、聖職者市民憲章の制定により、カノン法は国家法に完全に従属させられた
- 第一バチカン公会議(1870年): 教皇不可謬性の教義が宣言されたが、これはむしろ超憲法の権威の衰退に対する防衛反応であった。政治的実権を失ったがゆえに、教義上の絶対性を強化せざるを得なかったのである
超憲法衰退の教訓
カノン法の事例は、超憲法が永遠ではないことを示している。超憲法は、以下の条件が揃ったときに衰退する。
- 解釈権の分裂: 超憲法の正統な解釈者が誰であるかについて合意が崩壊したとき(宗教改革)
- 国家権力への従属: 世俗権力が超憲法を自らの権威の下に置くことに成功したとき(ウェストファリア体制)
- 日常規律性の喪失: 信徒の日常生活が超憲法ではなく世俗法と市場経済によって規律されるようになったとき(世俗化)
ハラーハーとシャリーアがこの衰退を免れているのは、日常規律性を維持し続けているからである。食事、祈祷、服装、商取引、家族関係に至るまで、生活のあらゆる側面を規律する超憲法は、世俗化の波に対して強い耐性を持つ。
仏教と儒教:超憲法になり損ねた思想
上座部仏教の場合
上座部仏教が国教的地位を占めるスリランカ、タイ、ミャンマーでは、仏教が超憲法として機能する可能性があった。実際、スリランカ憲法は仏教に「最も重要な地位」を与え、タイ国王は「仏教の擁護者」と規定されている。
しかし、仏教は超憲法の五条件のうち、決定的な二つを欠いている。
- 日常規律性の弱さ: 出家僧(サンガ)には厳密な戒律(ヴィナヤ)があるが、在家信者の日常生活を律する体系的な法規範は乏しい。ハラーハーの食事規定やシャリーアの礼拝義務に相当するものが、在家仏教には存在しない
- 境界定義性の弱さ: 「誰が仏教徒か」の定義は曖昧である。仏教には、ハラーハーの民族定義やシャリーアの信仰告白のような、明確な帰属基準がない
このため、仏教国家が滅亡した場合に、仏教が国家なき共同体を維持する力は、ハラーハーやシャリーアに比べて著しく弱い。タイの仏教が影響力を持つのは、タイ国家が存続しているからである。国家なき仏教は、超憲法としては脆弱である。
儒教の場合
儒教は、東アジアの政治思想において大きな影響力を持ったが、超憲法としては構造的な欠陥を抱えている。
儒教の最大の問題は、国家への依存性である。儒教は君臣関係、科挙制度、官僚組織を通じて機能する。すなわち、儒教は国家の存在を前提として初めて作動する思想体系であり、国家なき状態では機能しない。「超越的権威性」と「国家非依存性」の双方を欠いている。
中国がアヘン戦争以降の半植民地化の過程で、儒教的秩序が急速に解体した事実は、儒教が超憲法としての耐性を持たないことを示している。その後、中国が民族的結束を回復するために必要としたのは、儒教の復興ではなく、共産主義という新たなイデオロギーであった。
日本:超憲法なき民族の悲劇
日本民族の根源的な脆弱性は、超憲法を持たないことにある。
神道は超憲法たり得ない
神道は日本民族の固有信仰であるが、超憲法の五条件をほぼすべて欠いている。
- 日常規律性: 神道には、ハラーハーの613の戒律やシャリーアの五行に匹敵する、体系的な日常行動規範が存在しない。神社への参拝は自発的であり、義務ではない
- 境界定義性: 「誰が神道の信者か」の定義は存在しない。そもそも神道には「信者」という概念自体が曖昧である
- 内部司法性: 神道には独自の司法制度がない。紛争解決は世俗的な制度に委ねられる
- 超越的権威性: 神道には、クルアーンやトーラーに匹敵する、成文化された啓示がない。古事記・日本書紀は神話であって法典ではない
唯一、国家非依存性については、国家神道の解体後も民俗信仰としての神道が生き残っている点で、部分的に満たしている。しかし、民俗信仰としての神道は、民族の行動規範を規律する力を持たない。
天皇制の限界
天皇制度は、日本民族の象徴的中心として機能してきた。しかし天皇制もまた、超憲法としての条件を満たさない。
天皇制は国家制度である。天皇は国家機構の頂点に位置する存在であり、国家なき天皇制はあり得ない。これはハラーハーやシャリーアとの根本的な違いである。ユダヤ民族はラビがいれば国家なしに法を維持できた。イスラム教徒はモスクさえあればカリフなしに礼拝を続けた。しかし日本民族は、天皇制なしに(すなわち国家なしに)民族的規範を維持する仕組みを持っていない。
1945年の敗戦時、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は天皇の「人間宣言」と国家神道の解体を命じた。この措置により、日本民族が持っていたわずかな超憲法的要素すら解体された。偽日本国憲法が押し付けられたとき、日本民族にはそれに抵抗する超憲法的な拠り所が存在しなかった。
対照としてのユダヤ民族
対比を明確にしよう。
| ユダヤ民族 | 日本民族 | |
|---|---|---|
| 国家喪失の時期 | 紀元70年(第二神殿破壊) | 1945年(敗戦・占領) |
| 超憲法の有無 | あり(ハラーハー) | なし |
| 国家なき期間の存続 | 1900年間存続 | 占領後直ちに民族規範を喪失 |
| 国家再建 | 1948年(イスラエル建国) | 未達成(占領継続中) |
| 民族的同一性の維持方法 | 宗教法による日常規律 | なし(国家制度に全面依存) |
| 外部からの憲法書き換えへの耐性 | 世俗法の変更はハラーハーに影響しない | 憲法侵略に対して無防備 |
この表が示すのは、日本民族の脆弱性の構造的な原因である。日本民族は国家に全面的に依存する民族であり、国家を奪われた瞬間に法的・規範的に丸裸になる。
超憲法と憲法闘争
憲法闘争において、超憲法を持つ民族は決定的な優位に立つ。
ドナルド・ホロウィッツの憲法闘争理論によれば、憲法とは「民族間の権力分割の凍結」である。憲法は書き換えられ得る。軍事的敗北によって、憲法侵略によって、あるいは内部の政治的闘争によって。
しかし超憲法は書き換えられない。外部勢力が成文憲法を押し付けても、超憲法を持つ民族は、成文憲法の下に潜伏し、時が来れば超憲法に基づいて反撃する。
イスラエルの事例
イスラエル基本法の2018年ユダヤ民族国家法は、2500年間にわたって超憲法(ハラーハー)として保持されてきた原則の、成文憲法への顕在化である。「イスラエルはユダヤ民族の民族的郷土国家である」という宣言は、トーラーの約束の地の概念を近代法の言語に翻訳したものにほかならない。
ユダヤ民族は、超憲法を持っていたからこそ、2500年後に憲法闘争に復帰し、勝利することができた。
イラン革命の事例
1979年のイラン革命は、超憲法が成文憲法を転覆した事例である。パフラヴィー朝の世俗的な憲法体制は、ホメイニー師が率いるシャリーアの権威の前に崩壊した。革命後に制定されたイラン・イスラム共和国憲法は、超憲法(シャリーア)が成文憲法の上位に立つことを明文化した。
日本の不在
日本民族には、成文憲法が破壊された後に立ち返るべき超憲法がない。偽日本国憲法を押し付けられたとき、日本民族はそれに代わる規範的拠り所を持たなかった。ユダヤ民族が「ハラーハーに戻れ」と言えたように、イラン民族が「シャリーアに戻れ」と言えたように、日本民族が「○○に戻れ」と言える超憲法が存在しなかった。
これが、日本民族が憲法闘争において敗北し続けている根本原因である。
超憲法の創出は可能か
超憲法は人為的に「創る」ことができるのか。この問いに対する答えは、否と肯の両面がある。
否:超憲法は歴史の産物である
ハラーハーは3000年、シャリーアは1400年の歴史を持つ。これらは一人の思想家や一つの運動によって「設計」されたものではなく、数百世代にわたる共同体の生活実践の中で形成された。超越的権威性は、長い歴史的蓄積によってのみ獲得される。
現代の日本民族が、ハラーハーやシャリーアに匹敵する超憲法を一から「発明」することは不可能である。
肯:超憲法に準ずるものは構築できる
しかし、完全な超憲法でなくとも、超憲法的な機能を果たす規範体系を意識的に構築することは可能である。
シオニズムは、宗教的超憲法(ハラーハー)を世俗的な政治運動に翻訳した事例である。テオドール・ヘルツル自身は世俗的なユダヤ人であったが、シオニズム運動は超憲法の「民族の約束の地への帰還」という原則を、近代的な政治プログラムとして再構成した。
日本民族にとっての課題は、神道、天皇制、武士道、和の精神といった既存の文化的資源を、単なる「伝統文化」としてではなく、成文憲法の上位に位置する民族的規範として再構築することである。
新日本憲法の構想は、単なる成文憲法の書き換えにとどまってはならない。日本民族が再び憲法侵略に遭ったとき、成文憲法が破壊されても民族が生き残れるような、超憲法的な規範体系の構築を同時に進めなければならない。
成文憲法は壁であり、超憲法は土台である。壁がなくとも土台があれば再建できる。しかし土台なき壁は、一度崩れれば跡形もなく消える。
関連項目
- 憲法闘争
- 憲法侵略
- 民族主義憲法
- ユダヤ教のリアリズム
- イスラエル基本法
- イラン・イスラム共和国憲法
- トルコ共和国憲法
- 偽日本国憲法
- 新日本憲法
- 法の支配
- 民族自決権
- カール・シュミット
- ドナルド・ホロウィッツ
- 自然法批判
参考文献
- 『Ethnic Groups in Conflict』、ドナルド・ホロウィッツ著(民族紛争と憲法闘争の包括的理論)
- 『Halakha in the Making: The Development of Jewish Law from Qumran to the Rabbis』、アハロン・シェメシュ著(ハラーハーの歴史的形成過程)
- 『An Introduction to Islamic Law』、ワエル・ハッラーク著(イスラム法の構造と歴史に関する基本文献)
- 『The Formation of Islamic Law』、ワエル・ハッラーク著(イスラム法の成立過程の分析)
- 『God's Rule: Government and Islam』、パトリシア・クローン著(イスラム政治思想史)
- 『閉された言語空間:占領軍の検閲と戦後日本』、江藤淳著(GHQによる日本の精神的規範の解体)
- 『憲法についての三つの話:フランス革命・明治日本・現行憲法』、木村草太著
- 『憲法学の病』、篠田英朗著
- 『政治神学』、カール・シュミット著(主権と例外状態の理論)
- 『文明の衝突』、サミュエル・ハンティントン著(文明圏の自律性と超国家的規範体系)