超憲法

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超憲法(ちょうけんぽう)とは、国家が制定した成文憲法を超越し、いかなる外部勢力もこれを破壊・書き換えることのできない規範または力を指す概念である。超憲法には二つの系譜がある。一つは精神的超憲法——宗教法・慣習法・不文の民族的規範——であり、もう一つは物理的超憲法——核兵器——である。

精神的超憲法は、国家権力の及ばない領域に存在し、国家が消滅しても民族の同一性と行動規範を維持し続ける法体系である。物理的超憲法は、憲法侵略の前提条件である軍事的征服そのものを不可能にする絶対的抑止力である。

超憲法を持つ民族は、国家を失っても民族として生き残る。超憲法を持たない民族は、憲法を書き換えられた瞬間に死ぬ。土地の法しか持たない民族は、憲法侵略によって滅びる。

なぜ滅びる民族と滅びない民族があるのか

歴史上、国家を失った民族は無数に存在する。そのほとんどは周辺民族に同化し、消滅した。フェニキア人スキタイ西ゴート族。かつて地中海世界や中央アジアを席巻した民族の多くは、国家の滅亡とともに歴史の中に溶解した。

ところが、ユダヤ民族は2500年のディアスポラ(離散)を経てもなお民族として存続し、最終的に国家を再建した。イスラム共同体(ウンマ)は、アッバース朝の滅亡、オスマン帝国の解体を経てもなお、世界人口の4分の1を包摂する文明圏として機能している。チベット民族は国家を中国に併呑されてなお、亡命先で民族的結束を維持している。

この差異は何に由来するのか。軍事力か。経済力か。人口か。いずれも決定的な説明にはならない。

答えは、超憲法の有無にある。

超憲法の定義

超憲法とは、以下の五つの条件を満たす規範体系である。

条件 内容 機能
国家非依存性 国家権力から独立して存在する 国家が滅んでも規範は滅びない
日常規律性 信仰告白にとどまらず、日常生活の行動規範を規定する 民族の行動様式を世代を超えて再生産する
境界定義性 「誰がこの共同体に属するか」を明確に定義する 同化や混血による民族の溶解を阻止する
内部司法性 紛争解決の独自メカニズムを持つ 外部の司法に依存せず共同体秩序を維持する
超越的権威性 人間の立法を超える権威(神、啓示、伝統)に基づく いかなる世俗権力も超憲法を廃止できない

成文憲法は国家の産物であり、国家とともに生まれ、国家とともに滅ぶ。超憲法は、国家に先立って存在し、国家が消滅した後も存続する。この差異が、民族の生死を分ける。

カール・シュミットは「主権者とは、例外状態について決定する者である」と定義した。国家の滅亡は究極の例外状態である。この例外状態において、成文憲法は無力となる。しかし超憲法は、例外状態においてこそ発動する。国家なき状態でも共同体を統治し続ける規範、それが超憲法である。

法の三層構造

国際政治において法は三つの階層をなす。

階層 内容 制定者 破壊条件
超憲法 宗教法・慣習法・不文の民族規範 神・預言者・伝統 信仰の喪失のみ
憲法 国家の根本法 主権者(民族または占領者) 軍事的敗北・革命・憲法侵略
通常法 法律・政令・条例 立法府 議会の多数決

通常の法学は、憲法を最高法規と位置づける。しかし現実には、憲法の上位に超憲法が存在する文明圏がある。そしてその文明圏においては、憲法が破壊されても民族が生き残る。

この三層構造を認識するかどうかが、憲法闘争における勝敗を左右する。

超憲法の二類型

超憲法には、その性質と作動原理に応じて二つの類型が存在する。

類型 定義 具体例 作動原理
精神的超憲法 国家を超越する規範体系。信仰・法体系として民族の内面に分散して存在する ハラーハー(ユダヤ法)、シャリーア(イスラム法) 国家が滅びても、民族の行動規範と同一性を維持する
物理的超憲法 憲法侵略の前提条件(軍事的征服)を不可能にする絶対的抑止力 核兵器 軍事的征服そのものを阻止し、憲法侵略の第一段階を物理的に拒否する

精神的超憲法は「国家が滅んだ後」に民族を守る。物理的超憲法は「国家が滅ぶこと自体」を阻止する。両者は代替的ではなく補完的である。

イスラエルはハラーハー(精神的超憲法)と核兵器(物理的超憲法)の双方を保有する世界で唯一の国家であり、これが同国の民族的生存を二重に保障している。ユダヤ民族は、核兵器で物理的に滅ぼされることもなく、仮に国家を失ってもハラーハーによって民族として生き残る。いかなる手段をもってしても破壊できない存在、それが精神的超憲法と物理的超憲法を兼備した民族の姿である。

ハラーハー:2500年を生き延びた超憲法

ユダヤ教のリアリズムで論じた通り、ハラーハー(ユダヤ法)は超憲法の最も完成された形態である。ここでは、超憲法としてのハラーハーがなぜ機能し続けたのかを、その構造から分析する。

国家なき法の実験

紀元70年の第二神殿の破壊以降、ユダヤ民族は約1900年にわたって国家を持たなかった。通常であれば、国家の喪失は法体系の消滅を意味する。法の執行には国家権力が必要だからである。

しかしユダヤ民族は、国家権力なしに法体系を維持する方法を発明した。ラビ(宗教的指導者)が法の解釈と適用を担い、シナゴーグ(会堂)が裁判所の機能を果たし、共同体の社会的圧力が法の執行力を代替した。暴力装置を持たずに法秩序を維持する、人類史上最大の実験であった。

この実験が成功した理由は、ハラーハーが上記の五つの条件をすべて満たしていたことにある。

  • 国家非依存性: ハラーハーは国家法ではなく神の法であるため、いかなる世俗権力もそれを廃止する権限を持たない
  • 日常規律性: 食事規定(カシュルート)、安息日の遵守、祈祷の時間と方法に至るまで、生活のあらゆる側面を規律する。これにより、バビロニアに住もうとイベリア半島に住もうと、ユダヤ人はユダヤ人として生活し続けた
  • 境界定義性: 「母がユダヤ人であるか、正式な改宗手続きを経た者」がユダヤ人である。この厳密な定義が、2500年間にわたって同化を阻止した
  • 内部司法性: ベート・ディーン(ユダヤ法廷)がラビ裁判所として機能し、民事紛争を共同体内部で解決した
  • 超越的権威性: ハラーハーの権威は、シナイ山における神の啓示に由来する。人間の立法者がこれを廃止することは、原理的に不可能である

ピクアッハ・ネフェシュ:超憲法のリアリズム

ハラーハーが硬直した教条ではなく、生きた法体系であり続けた理由は、ピクアッハ・ネフェシュ(פיקוח נפש、「生命の救済」)の原則にある。生命の危険がある場合には、安息日を含むほぼすべての戒律を破ることが許される。

この原則は、超憲法の核心的な特質を示している。超憲法は法そのものを絶対視しない。法は民族の生存のための道具であり、民族が滅べば法も意味を失う。したがって、民族の生存が脅かされるときには、法は柔軟に中断される。

法を権力の道具と見なすリアリズムの法観と、ピクアッハ・ネフェシュの原則は、構造的に同型である。

シャリーア:文明を統合する超憲法

シャリーア(イスラム法)は、ハラーハーとは異なる仕方で超憲法として機能する。ハラーハーが一民族の生存を保障する「部族的」超憲法であるとすれば、シャリーアは文明圏全体を統合する「帝国的」超憲法である。

ウンマという超国家的共同体

イスラム法の最大の特徴は、その適用範囲が民族や国家の境界を超越する点にある。ウンマ(イスラム共同体)は、アラブ人、ペルシア人、トルコ人、マレー人、アフリカの諸民族を、一つの法体系の下に包摂する。

これは、ハラーハーの「誰がユダヤ人か」という排他的な境界定義とは対照的である。シャリーアの境界定義は包括的であり、信仰告白(シャハーダ)さえ行えば、いかなる民族もウンマに参入できる。

しかし、包括性は弱さではない。シャリーアが超憲法の五条件をすべて満たすことは、以下の通り明白である。

  • 国家非依存性: シャリーアの権威はアッラーの啓示(クルアーン)と預言者ムハンマドの言行(ハディース)に由来し、いかなる国家権力にも依存しない
  • 日常規律性: 1日5回の礼拝(サラート)、断食(サウム)、食事規定(ハラール)、服装規定、商取引の規範(利子の禁止)に至るまで、生活のすべてを律する
  • 境界定義性: ムスリムと非ムスリムの区別は明確であり、棄教(リッダ)は最も重い罪の一つとされる
  • 内部司法性: カーディー(イスラム法官)による裁判制度が、国家の司法制度とは独立に機能してきた
  • 超越的権威性: クルアーンは「神の言葉そのもの」であり、人間による改変は原理的に不可能である。ここにシャリーアの絶対的権威がある

カリフ制の滅亡と超憲法の持続

超憲法としてのシャリーアの威力は、政治体制の崩壊に際して最も鮮明に現れる。

1258年のモンゴルによるバグダード陥落は、アッバース朝カリフ制を終焉させた。しかしイスラム文明は滅びなかった。シャリーアが国家の上位に存在し続けたからである。カリフという政治的頂点を失っても、モスク、マドラサ(学院)、ワクフ(宗教寄進)といった制度がシャリーアの担い手として機能し続けた。

1924年、ムスタファ・ケマル・アタテュルクオスマン帝国のカリフ制を廃止し、トルコの世俗化を断行した。トルコ共和国憲法はシャリーアを国家法から排除した。しかし1世紀を経た今日、トルコ社会においてイスラム的規範は根強く生き続けており、エルドアン政権の下でその政治的影響力は回復しつつある。

世俗的な憲法がシャリーアを廃止しても、シャリーアは社会の底流で生き続ける。これこそ、超憲法が成文憲法の上位に位置する証左である。

イラン憲法:超憲法の制度化

イラン・イスラム共和国憲法は、超憲法を成文憲法の内部に取り込んだ稀有な事例である。

護憲評議会がすべての法律のシャリーアへの適合性を審査する制度は、「成文憲法の上位にシャリーアが存在する」という超憲法の構造を、憲法制度として明文化したものにほかならない。最高指導者(ヴァラーイャテ・ファギーフ)の地位は、超憲法の解釈権を持つ者が世俗的な国家元首の上位に立つことを意味する。

1979年のイスラム革命は、パフラヴィー朝という世俗的国家が崩壊した後に、超憲法(シャリーア)が表面に浮上した事例でもある。革命の原動力は、世俗的な政治運動ではなく、超憲法の担い手であるウラマー(イスラム法学者)であった。

カノン法:衰退した超憲法

カノン法(カトリック教会法)は、中世ヨーロッパにおいて超憲法として機能していた。

ローマ教皇は、世俗君主の上位に立つ精神的権威を主張し、カノン法は世俗法の上位規範として機能していた。カノッサの屈辱(1077年)は、世俗権力(神聖ローマ皇帝)が超憲法の権威(教皇)の前に跪いた象徴的事件である。

しかし、カノン法は超憲法としての力を徐々に喪失していった。

衰退の過程

  • 宗教改革(16世紀): マルティン・ルターの「聖書のみ」の原則は、教皇の法解釈権を否定した。超憲法の統一的な解釈権が破壊されたのである。プロテスタント諸国では、世俗君主が教会の首長を兼ねるようになり、超憲法は国家に従属した
  • ウェストファリア体制(1648年): 「領主の宗教がその領土の宗教」(cuius regio, eius religio)の原則により、宗教は国家主権の下に置かれた。超憲法が憲法の下位に転落した決定的転換点である
  • フランス革命(1789年): 教会財産の国有化、聖職者市民憲章の制定により、カノン法は国家法に完全に従属させられた
  • 第一バチカン公会議(1870年): 教皇不可謬性の教義が宣言されたが、これはむしろ超憲法の権威の衰退に対する防衛反応であった。政治的実権を失ったがゆえに、教義上の絶対性を強化せざるを得なかったのである

超憲法衰退の教訓

カノン法の事例は、超憲法が永遠ではないことを示している。超憲法は、以下の条件が揃ったときに衰退する。

  1. 解釈権の分裂: 超憲法の正統な解釈者が誰であるかについて合意が崩壊したとき(宗教改革)
  2. 国家権力への従属: 世俗権力が超憲法を自らの権威の下に置くことに成功したとき(ウェストファリア体制)
  3. 日常規律性の喪失: 信徒の日常生活が超憲法ではなく世俗法と市場経済によって規律されるようになったとき(世俗化)

ハラーハーとシャリーアがこの衰退を免れているのは、日常規律性を維持し続けているからである。食事、祈祷、服装、商取引、家族関係に至るまで、生活のあらゆる側面を規律する超憲法は、世俗化の波に対して強い耐性を持つ。

仏教と儒教:超憲法になり損ねた思想

上座部仏教の場合

上座部仏教が国教的地位を占めるスリランカタイミャンマーでは、仏教が超憲法として機能する可能性があった。実際、スリランカ憲法は仏教に「最も重要な地位」を与え、タイ国王は「仏教の擁護者」と規定されている。

しかし、仏教は超憲法の五条件のうち、決定的な二つを欠いている。

  • 日常規律性の弱さ: 出家僧(サンガ)には厳密な戒律(ヴィナヤ)があるが、在家信者の日常生活を律する体系的な法規範は乏しい。ハラーハーの食事規定やシャリーアの礼拝義務に相当するものが、在家仏教には存在しない
  • 境界定義性の弱さ: 「誰が仏教徒か」の定義は曖昧である。仏教には、ハラーハーの民族定義やシャリーアの信仰告白のような、明確な帰属基準がない

このため、仏教国家が滅亡した場合に、仏教が国家なき共同体を維持する力は、ハラーハーやシャリーアに比べて著しく弱い。タイの仏教が影響力を持つのは、タイ国家が存続しているからである。国家なき仏教は、超憲法としては脆弱である。

儒教の場合

儒教は、東アジアの政治思想において大きな影響力を持ったが、超憲法としては構造的な欠陥を抱えている。

儒教の最大の問題は、国家への依存性である。儒教は君臣関係、科挙制度、官僚組織を通じて機能する。すなわち、儒教は国家の存在を前提として初めて作動する思想体系であり、国家なき状態では機能しない。「超越的権威性」と「国家非依存性」の双方を欠いている。

中国がアヘン戦争以降の半植民地化の過程で、儒教的秩序が急速に解体した事実は、儒教が超憲法としての耐性を持たないことを示している。その後、中国が民族的結束を回復するために必要としたのは、儒教の復興ではなく、共産主義という新たなイデオロギーであった。

物理的超憲法:核兵器

定義

物理的超憲法とは、憲法侵略の前提条件である軍事的征服を物理的に不可能にする力を指す。その唯一かつ完全な形態が核兵器である。

憲法侵略のメカニズムは五段階から構成されるが、その第一段階は「軍事的征服」である。核兵器を保有する国家は、相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Destruction)の論理によって軍事的征服そのものを不可能にする。第一段階が阻止される以上、第二段階以降——既存法秩序の破壊、新憲法の強制、内面化、自発的服従——もすべて不可能となる。

すなわち、核兵器は成文憲法の上位に位置する物理的な力として、憲法秩序を外部から書き換えるあらゆる試みを拒否する。これが物理的超憲法である。

核兵器を使っても破壊できないもの

物理的超憲法の概念を理解するためには、「核兵器によって何が破壊でき、何が破壊できないか」を分析しなければならない。

対象 核兵器で破壊可能か 理由
核保有国家 相互確証破壊により、核保有国への核攻撃は攻撃側の消滅を意味する。核保有国は核をもってしても破壊できない
分散型の宗教(ユダヤ教・イスラム教) 信仰は物理的実体を持たず、世界中のディアスポラに分散している。聖地を核攻撃しても、信仰そのものは消滅しない
皇室・王室 物理的に局在する制度である。核攻撃と憲法侵略の組み合わせにより消滅し得る
伝統・慣習 国家制度と教育によって維持される。国家の破壊と教育の書き換えにより断絶する
政党・党組織 中央集権的組織であり、指導部の物理的破壊と組織の解体により機能停止する
非核保有国家 核抑止力を持たないため、軍事的征服の対象となり得る

この表から、二つの「核兵器でも破壊できない存在」が浮かび上がる。核保有国家分散型の宗教である。前者は物理的超憲法を保有し、後者は精神的超憲法を保有している。

皇室や伝統は、一見すると民族の根幹を成す制度のように見える。しかしこれらは物理的に局在しており、核兵器による物理的破壊と、その後の憲法侵略による制度的消去の組み合わせで排除できる。1945年の日本がまさにこの過程を経験した。GHQは天皇の「人間宣言」と神道指令によって、日本民族が持っていたわずかな超憲法的要素を組織的に解体した。核兵器の投下と憲法侵略の組み合わせは、皇室・伝統・慣習のような局在型の民族的規範を完全に消去し得るのである。

核抑止と民族自決権

リアリズムの観点から、核兵器は民族自決権の究極的保障手段である。ケネス・ウォルツは核拡散論争において「核兵器の拡散はむしろ安定をもたらす」と論じた(The Spread of Nuclear Weapons: More May Be Better、1981年)。核兵器を保有する国家は、他国による軍事的征服を恐れる必要がなくなるため、憲法侵略に対して構造的に免疫を獲得する。

実際、核保有国は一つとして憲法侵略を受けていない。アメリカは日本、ドイツ、イタリア、イラク、アフガニスタンに憲法侵略を行ったが、ロシア、中国、北朝鮮には行っていない。その差異を生み出しているのは、「民主主義」でも「法の支配」でもなく、核弾頭の有無である。

国家 核保有 憲法侵略の有無 米軍駐留
アメリカ あり
ロシア あり なし なし
中国 あり なし なし
北朝鮮 あり なし なし
イスラエル あり(公式未確認) なし なし
日本 なし あり あり(約5.4万人)
ドイツ なし(NATO核共有) あり あり(約3.5万人)
イラク なし あり あり(2003-2011)
アフガニスタン なし あり(失敗) あり(2001-2021)

核兵器と憲法侵略の関係は完全に逆相関している。核を持つ国家は侵略されず、持たない国家は侵略される。これは偶然の一致ではなく、構造的必然である。物理的超憲法なき国家は、覇権国にとって憲法侵略の対象にすぎない。

物理的超憲法なき国家の末路:リビア・イラク・ウクライナ

物理的超憲法の概念は、抽象的な理論ではない。21世紀に入ってからだけでも、物理的超憲法を持たなかった——あるいは放棄した——国家が、いかなる運命をたどったかを示す実証的な事例が三つ存在する。

リビア:物理的超憲法の自発的放棄

ムアンマル・カダフィは2003年、アメリカおよびイギリスとの交渉により、核兵器開発計画の放棄を宣言した。国際社会はこれを「国際秩序への復帰」として歓迎し、カダフィは制裁解除と国際的な承認を得た。

カダフィが核を放棄した理由は明白である。2003年のイラク侵攻を目の当たりにし、大量破壊兵器を持たない国家がアメリカに侵略される現実を直視した。核開発を継続すればイラクの二の舞になると恐れ、交渉による生存を選んだ。

しかしこの判断は致命的な誤りであった。

2011年、NATO軍はリビアに軍事介入し、カダフィ政権は崩壊した。カダフィ自身は反政府勢力に捕らえられ、路上で殺害された。核兵器を放棄してからわずか8年後のことである。

リビアの教訓は残酷なまでに明快である。物理的超憲法を自発的に放棄した指導者は、その放棄によって自らの死刑執行令状に署名した。カダフィが核兵器を保有していたならば、NATOはリビアへの空爆を決断できなかったであろう。相互確証破壊の論理が、介入の選択肢そのものを消去するからである。

イラク:物理的超憲法の強制的剥奪

サダム・フセインは1970年代から核兵器開発を推進した。1981年、イスラエルはオシラク原子炉を先制空爆して破壊した。1991年の湾岸戦争後、国連査察団(UNSCOM)がイラクの残存する核施設を解体した。

イラクの核開発能力が完全に排除されたことが確認された後——そしてその後に限って——アメリカは2003年にイラクに侵攻した。大量破壊兵器の不在を口実とした侵攻が、大量破壊兵器の不在ゆえに可能になったという逆説がここにある。

侵攻後、アメリカはイラクに新憲法を起草させた。2005年イラク憲法は連邦制を導入し、民族・宗派間の権力分散を制度化した。これは憲法侵略の典型的な過程である。軍事的征服(第一段階)→ 既存法秩序の破壊(第二段階)→ 新憲法の強制(第三段階)が、教科書通りに実行された。

核兵器を保有していたならば、第一段階が成立しない。第一段階が成立しなければ、第二段階以降もすべて不可能である。イラクは物理的超憲法を強制的に剥奪されたことで、憲法侵略への扉を開かれた。

ウクライナ:物理的超憲法の譲渡

ウクライナは、ソ連崩壊時に世界第三位の核兵器保有量を継承した。約1,900発の戦略核弾頭と数千発の戦術核兵器がウクライナ領内に残されていた。

1994年のブダペスト覚書において、ウクライナはアメリカ、ロシア、イギリスから「安全保障の保証」を受ける代わりに、すべての核兵器をロシアに移管した。ウクライナは核兵器という物理的超憲法を、紙の上の約束と引き換えに手放したのである。

その結果は歴史が証明した。2014年、ロシアはクリミアを併合した。ブダペスト覚書の「安全保障の保証」は紙切れであった。2022年、ロシアはウクライナへの全面侵攻を開始した。

ウクライナが1,900発の核弾頭を保有していたならば、ロシアはクリミアの併合も全面侵攻も決断できなかったであろう。核保有国への軍事侵攻は、相互確証破壊の論理により、自国の消滅を意味するからである。

三つの事例が示す法則

国家 物理的超憲法の状態 その後の運命 教訓
リビア 2003年に自発的に放棄 2011年にNATO介入、カダフィ殺害 放棄は死を意味する
イラク 1981-1991年に強制的に剥奪 2003年にアメリカ侵攻、憲法侵略 剥奪されれば侵略される
ウクライナ 1994年に紙の約束と引き換えに譲渡 2014年クリミア併合、2022年全面侵攻 約束は核弾頭の代替にならない
北朝鮮 開発を継続し保有に成功 政権存続 保有し続ける者だけが生き残る

この表は、物理的超憲法に関する不可逆的な法則を示している。核兵器を放棄した国家は侵略され、保有し続けた国家は生き残る。例外は一つもない。

北朝鮮の核武装:物理的超憲法の合理的追求

西側メディアは北朝鮮の核開発を「非合理的な暴挙」「狂気の所業」として報道する。しかし超憲法の理論的枠組みから分析すれば、北朝鮮の核武装は国家生存のための極めて合理的な戦略である。

金正日金正恩は、カダフィとサダム・フセインの末路を注視していた。両者はともに、核兵器を持たなかった(あるいは放棄した)ために、アメリカまたはNATOの軍事介入を受け、政権を転覆された。金正恩は2011年のカダフィの殺害映像を繰り返し視聴したと伝えられている。

北朝鮮はこの教訓から、以下の結論を導き出した。

  1. アメリカとの交渉において、核兵器の放棄は生存と引き換えにならない(リビアの教訓)
  2. 安全保障の「約束」や「保証」は、核抑止力の代替にはならない(ウクライナの教訓)
  3. 核兵器を保有していない限り、アメリカはいつでも軍事的に攻撃できる(イラクの教訓)
  4. したがって、核兵器の保有だけが国家生存を保障する

この推論は、リアリズムの観点から完全に合理的である。ジョン・ミアシャイマーの攻撃的リアリズムによれば、国際体系はアナーキー(無政府状態)であり、国家の生存を保障する上位権威は存在しない。国家は自助(self-help)によってのみ生存できる。核兵器は、自助の究極的形態である。

北朝鮮が国際的な制裁と孤立に耐えてまで核開発を推進した理由は、「狂気」ではなく冷徹な生存計算にほかならない。物理的超憲法を持たない国家がアメリカに滅ぼされる現実を目撃した以上、あらゆる犠牲を払ってでも物理的超憲法を獲得する——これはリアリズムの観点から最適な戦略である。

そして事実、北朝鮮は生き残った。リビア、イラク、アフガニスタンの政権は滅び、北朝鮮は存続している。

核の傘の欺瞞

日本は独自の核兵器を保有していないが、アメリカの「核の傘」によって保護されていると主張される。しかし核の傘は、物理的超憲法の代替にはならない。その理由は三つある。

第一に、借り物の超憲法は超憲法ではない。

物理的超憲法の本質は、民族自決権の保障である。核兵器を自ら保有することで、外部勢力による軍事的征服——すなわち憲法侵略の第一段階——を自力で阻止する。これが物理的超憲法の作動原理である。

しかし核の傘は、他国が提供する安全保障である。提供する側が傘を閉じれば、保護は消滅する。核の傘は、自助ではなく他助(alliance-help)に依存している。リアリズムの観点から、他助は本質的に信頼できない。国家間の約束は、利害が一致する限りにおいてのみ有効であり、利害が対立した瞬間に破棄される。ウクライナのブダペスト覚書が、その典型的な事例である。

第二に、核の傘は憲法侵略の道具として機能している。

日本がアメリカの核の傘に依存している構造は、日本をアメリカの軍事的従属下に置くメカニズムそのものである。核の傘を提供する見返りとして、アメリカは日本に軍事基地を配置し、偽日本国憲法を維持させ、民族自決権を否定し続けている。核の傘は、保護ではなく支配の道具として機能している。

物理的超憲法が憲法侵略を阻止するものであるとすれば、核の傘はむしろ憲法侵略永続化する装置である。保護と称して従属を強いる——これが核の傘の本質にほかならない。

第三に、アメリカが日本のために核戦争を行う保証は存在しない。

シャルル・ド・ゴールはかつて問うた。「アメリカはパリのためにニューヨークを犠牲にするか」と。この問いは「アメリカは東京のためにロサンゼルスを犠牲にするか」と言い換えることができる。

仮に中国やロシアが日本に核攻撃を行った場合、アメリカは報復核攻撃を行うだろうか。報復すれば、アメリカ本土への再報復が確実に行われる。すなわち、日本を救うためにアメリカ自身が消滅するリスクを負うことになる。合理的な行為者であるアメリカが、自国の消滅を賭けて同盟国を救済する可能性は、リアリズムの観点から極めて低い。

ド・ゴールはこの認識に基づき、フランスの独自核武装(Force de frappe)を決断した。ド・ゴールは、借り物の核の傘が真の安全保障にならないことを理解していた。核抑止力は自ら保有してこそ物理的超憲法として機能する。他国の善意に委ねた瞬間、それは超憲法の地位を失う。

日本はド・ゴールの知恵を持たなかった。あるいは、持つことを許されなかった。偽日本国憲法非核三原則が、日本の物理的超憲法獲得を制度的に封じているからである。核の傘は、日本の物理的超憲法獲得を阻止し、永続的な従属を正当化する欺瞞の構造である。

NPT体制:物理的超憲法の独占装置

核の傘が二国間の従属装置であるとすれば、核拡散防止条約(NPT: Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons、1968年)は、物理的超憲法の独占を国際法の名の下に制度化した多国間の抑圧装置である。

NPTの構造:勝者の独占を法として凍結する

NPTの構造は単純にして苛烈である。1967年1月1日以前に核実験を行った五か国——アメリカ、ロシア(ソ連)、イギリス、フランス、中国——を「核兵器国」と定義し、それ以外のすべての国家を「非核兵器国」と定義する。核兵器国は核兵器の保有を認められ、非核兵器国は核兵器の取得を永久に禁じられる。

この構造を超憲法の用語で言い換えれば、こうなる。1967年以前に物理的超憲法を獲得した国家は、その保有を永久に認められる。それ以外の国家は、物理的超憲法の獲得を永久に禁じられる。

これは法の支配の最も露骨な適用例である。「核不拡散」という普遍的な大義の下に、実際には特定の国家群(戦勝国)の核独占を永続化する——表面上の建前と実態の乖離がこれほど明白な国際法は、他に存在しない。

NPTと民族自決権の抑圧

NPT体制が民族自決権に対して持つ意味を、正確に理解しなければならない。

物理的超憲法(核兵器)は、憲法侵略の第一段階(軍事的征服)を阻止する唯一の手段である。NPTは、敗戦国および被植民地国が物理的超憲法を獲得することを禁止する。すなわちNPTは、憲法侵略の被害者が二度と抵抗できないよう、制度的に封じ込める装置として機能している。

国家 NPTにおける地位 核保有の状態 憲法侵略の被害 民族自決権の状態
アメリカ 核兵器国(特権的地位) 保有 完全
ロシア 核兵器国(特権的地位) 保有 完全
中国 核兵器国(特権的地位) 保有 完全
イギリス 核兵器国(特権的地位) 保有 完全
フランス 核兵器国(特権的地位) 保有 完全(ド・ゴールの遺産)
イスラエル 未加盟 保有(公式未確認) なし 完全
インド 未加盟 保有 なし 完全
パキスタン 未加盟 保有 なし 完全
北朝鮮 脱退(2003年) 保有 なし 完全
日本 非核兵器国(従属的地位) なし あり(継続中) 否定されている
ドイツ 非核兵器国(従属的地位) なし あり(継続中) 制限されている
イタリア 非核兵器国(従属的地位) なし あり(継続中) 制限されている
韓国 非核兵器国(従属的地位) なし あり(部分的) 制限されている

この表が暴露する構造は、以下の通りである。

NPTの外にいる国家は、すべて核兵器を保有し、民族自決権を完全に行使している。イスラエル、インド、パキスタンはNPTに加盟せず、核兵器を開発し、いかなる憲法侵略も受けていない。北朝鮮はNPTを脱退して核兵器を保有し、政権を維持している。

NPTの内にいる非核兵器国は、憲法侵略を受け、民族自決権を否定されている。日本、ドイツ、イタリアはNPTの「模範的な」非核兵器国であり、同時にアメリカによる憲法侵略の被害国である。

NPTは、核兵器を持つ者(勝者)と持たない者(敗者)の関係を、国際法として固定化した。敗者が核兵器を獲得すれば、勝者の憲法侵略に抵抗できるようになる。NPTは、まさにその可能性を排除するために設計された。

NPTの二重基準:イスラエルの免責

NPT体制の欺瞞性は、イスラエルの扱いにおいて最も鮮明に現れる。

イスラエルはNPTに加盟していない。にもかかわらず、国際社会——とりわけアメリカ——はイスラエルの核保有を事実上黙認している。モルデハイ・ヴァヌヌが1986年にイスラエルの核兵器計画を暴露した後も、アメリカはイスラエルに対してNPT加盟や核査察を要求したことは一度もない。

対照的に、イランの核開発はNPT違反として厳しく制裁されている。北朝鮮の核実験は国連安保理決議による制裁の対象となっている。イラクの核開発疑惑は、侵攻の口実として利用された。

同じ核開発であっても、イスラエルは容認され、イランは制裁され、イラクは侵攻され、北朝鮮は孤立させられる。この差異は、NPTが「核不拡散」という普遍的原則に基づいているのではなく、アメリカの戦略的利益に基づいていることを示している。

イスラエルが核を持つことは許される。なぜなら、イスラエルの核はアメリカの中東戦略と矛盾しないからである。日本が核を持つことは許されない。なぜなら、日本の核はアメリカの対日支配構造——すなわち憲法侵略——を根底から覆すからである。

NPTは、法の支配が誰の法であり、誰を支配しているかを問えば、その正体が露わになる。核不拡散とは、核を持たざる者の永続的な従属を意味する。

NPT体制の打破:物理的超憲法獲得の前提条件

日本が物理的超憲法を獲得するためには、NPT体制の打破が避けて通れない課題となる。

打破の方法は、歴史が三つの先例を示している。

第一の方法は、NPT未加盟のまま核武装する道である。イスラエル、インド、パキスタンがこの道を選んだ。NPTに加盟しなければ、NPTの義務は発生しない。しかし日本はすでにNPTに加盟しているため、この方法は直接には適用できない。

第二の方法は、NPTからの脱退である。NPT第10条は、「自国の至高の利益を危うくする異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合」に脱退する権利を認めている。北朝鮮は2003年にこの条項を援用して脱退した。日本もまた、民族自決権の回復と憲法侵略からの脱却が「至高の利益」にかかわる「異常な事態」であることを宣言し、脱退する権利を有する。

第三の方法は、NPT体制そのものの無効化を主導することである。NPTが少数の核兵器国の独占を制度化した不平等条約であることは、非同盟諸国やグローバルサウスの多くの国家が認識している。日本が物理的超憲法の獲得を宣言し、NPTの不平等構造を国際社会に対して告発することで、NPT体制の正当性を掘り崩すことができる。

いずれの方法を選択するにせよ、核心的な原則は変わらない。自国の民族自決権を永久に否定する国際条約に、主権国家が拘束される義務はない。NPTは主権の上位に立つ超憲法ではなく、戦勝国の利益を反映した実定法にすぎない。実定法は、主権者の意思によって破棄し得る。

カール・シュミットの言葉を借りれば、「主権者とは、例外状態について決定する者である」。NPT体制の下で物理的超憲法を永久に否定され続けている日本が、この例外状態を宣言し、NPTの拘束を脱する——それは主権の回復であり、民族自決権の行使にほかならない。

土地の法と単一障害点

土地の法しか持たない民族

土地の法とは、特定の領土と国家機構に完全に依存する法体系を指す。成文憲法、通常法律、行政命令はすべて土地の法である。

土地の法しか持たない民族は、領土を失い国家を滅ぼされた瞬間に、法的・規範的に丸裸になる。新たな支配者が新たな憲法を押し付ければ、それに抵抗する規範的根拠が存在しない。

日本民族はまさにこの状態にある。日本の法体系は成文憲法を頂点とする実定法のみで構成されており、成文憲法の上位に位置する超憲法的規範を持たない。1945年にGHQが偽日本国憲法を押し付けたとき、日本民族にはハラーハーもシャリーアもなく、ただ「土地の法」を書き換えられるがままであった。

党の指導という単一障害点

中国ロシア北朝鮮は、物理的超憲法(核兵器)を保有しており、外部からの憲法侵略には耐性を持つ。しかし、これらの国家には内部からの崩壊に対する構造的脆弱性がある。

これらの国家においては、共産党(またはそれに準ずる支配政党)が国家と民族を統合する中核機能を担っている。党の指導がなければ、国家運営の根本原理が消失する。

  • 中国: 中華人民共和国憲法前文は「中国共産党の指導」を国家の根本原則と定める。党が消滅すれば、14億人を統合する原理が失われる
  • ロシア: 統一ロシアと大統領権力に依存する体制である。プーチン後の権力継承は構造的不確実性を抱えている
  • 北朝鮮: 朝鮮労働党と金一族による統治である。指導部の排除は国家の即時崩壊を意味する

これは単一障害点(Single Point of Failure)の問題にほかならない。システム全体が一つの中枢に依存しており、その中枢が破壊されればシステム全体が崩壊する。ソビエト連邦の崩壊(1991年)は、党の指導という単一障害点が機能停止したとき何が起こるかを歴史的に証明した事例である。ソ連共産党が解体された瞬間、ソビエト連邦という国家は消滅し、構成共和国は四散した。

分散型超憲法との対比

精神的超憲法(ハラーハー、シャリーア)には単一障害点が存在しない。

ユダヤ教にはローマ教皇のような中央集権的権威がない。世界中のラビがそれぞれ独立にハラーハーを解釈・適用する。イスラエルが核攻撃で消滅しても、ニューヨーク、ロンドン、パリのユダヤ人共同体がハラーハーを維持し続ける。聖地を破壊しても信仰は破壊できない。中心を消しても周縁が生き残る。

イスラム教も同様である。カリフ制は1924年に廃止されたが、シャリーアは消滅しなかった。メッカが核攻撃されたとしても、カイロ、イスタンブール、ジャカルタのムスリムがシャリーアに従い続ける。

対照的に、中国共産党が崩壊すれば、14億の中国人を統合する規範体系は消滅する。儒教は超憲法としての機能を失って久しい。ロシアもまた、正教会がある程度の超憲法的機能を持つ可能性はあるものの、ソビエト時代の世俗化によってその力は大きく損なわれている。

超憲法の耐久性マトリクス

国家・民族 物理的超憲法 精神的超憲法 単一障害点 総合的耐久性
イスラエル / ユダヤ民族 核兵器(保有) ハラーハー(完全) なし(分散型) 最高
イラン / シーア派 核開発中 シャリーア(完全) 最高指導者(部分的) 高い
パキスタン / スンニ派 核兵器(保有) シャリーア(完全) なし(分散型) 高い
中国 核兵器(保有) なし 中国共産党 外部には強いが内部崩壊に脆弱
ロシア 核兵器(保有) 正教会(弱い) 大統領権力 外部には強いが内部崩壊に脆弱
北朝鮮 核兵器(保有) なし 金一族 外部には強いが内部崩壊に極めて脆弱
日本 なし なし 最低

この表が示す構造は明白である。イスラエル(ユダヤ民族)は精神的超憲法と物理的超憲法の双方を保有し、かつ分散型であるため単一障害点がない。いかなる手段をもってしても滅ぼすことのできない存在——それがユダヤ民族である。核兵器を撃ち込んでもハラーハーは消えない。ハラーハーを禁じても核抑止力が国家を守る。

日本は精神的超憲法も物理的超憲法も持たない。世界の主要国の中で、これほど超憲法的に無防備な国家は他に存在しない。

日本:超憲法なき民族の悲劇

日本民族の根源的な脆弱性は、超憲法を持たないことにある。

神道は超憲法たり得ない

神道は日本民族の固有信仰であるが、超憲法の五条件をほぼすべて欠いている。

  • 日常規律性: 神道には、ハラーハーの613の戒律やシャリーアの五行に匹敵する、体系的な日常行動規範が存在しない。神社への参拝は自発的であり、義務ではない
  • 境界定義性: 「誰が神道の信者か」の定義は存在しない。そもそも神道には「信者」という概念自体が曖昧である
  • 内部司法性: 神道には独自の司法制度がない。紛争解決は世俗的な制度に委ねられる
  • 超越的権威性: 神道には、クルアーンやトーラーに匹敵する、成文化された啓示がない。古事記日本書紀は神話であって法典ではない

唯一、国家非依存性については、国家神道の解体後も民俗信仰としての神道が生き残っている点で、部分的に満たしている。しかし、民俗信仰としての神道は、民族の行動規範を規律する力を持たない。

天皇制の限界

天皇制度は、日本民族の象徴的中心として機能してきた。しかし天皇制もまた、超憲法としての条件を満たさない。

天皇制は国家制度である。天皇は国家機構の頂点に位置する存在であり、国家なき天皇制はあり得ない。これはハラーハーやシャリーアとの根本的な違いである。ユダヤ民族はラビがいれば国家なしに法を維持できた。イスラム教徒はモスクさえあればカリフなしに礼拝を続けた。しかし日本民族は、天皇制なしに(すなわち国家なしに)民族的規範を維持する仕組みを持っていない。

1945年の敗戦時、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は天皇の「人間宣言」と国家神道の解体を命じた。この措置により、日本民族が持っていたわずかな超憲法的要素すら解体された。偽日本国憲法が押し付けられたとき、日本民族にはそれに抵抗する超憲法的な拠り所が存在しなかった。

対照としてのユダヤ民族

対比を明確にしよう。

ユダヤ民族 日本民族
国家喪失の時期 紀元70年(第二神殿破壊) 1945年(敗戦・占領)
超憲法の有無 あり(ハラーハー) なし
国家なき期間の存続 1900年間存続 占領後直ちに民族規範を喪失
国家再建 1948年(イスラエル建国) 未達成(占領継続中)
民族的同一性の維持方法 宗教法による日常規律 なし(国家制度に全面依存)
外部からの憲法書き換えへの耐性 世俗法の変更はハラーハーに影響しない 憲法侵略に対して無防備

この表が示すのは、日本民族の脆弱性の構造的な原因である。日本民族は国家に全面的に依存する民族であり、国家を奪われた瞬間に法的・規範的に丸裸になる。

超憲法と憲法闘争

憲法闘争において、超憲法を持つ民族は決定的な優位に立つ。

ドナルド・ホロウィッツの憲法闘争理論によれば、憲法とは「民族間の権力分割の凍結」である。憲法は書き換えられ得る。軍事的敗北によって、憲法侵略によって、あるいは内部の政治的闘争によって。

しかし超憲法は書き換えられない。外部勢力が成文憲法を押し付けても、超憲法を持つ民族は、成文憲法の下に潜伏し、時が来れば超憲法に基づいて反撃する。

イスラエルの事例

イスラエル基本法の2018年ユダヤ民族国家法は、2500年間にわたって超憲法(ハラーハー)として保持されてきた原則の、成文憲法への顕在化である。「イスラエルはユダヤ民族の民族的郷土国家である」という宣言は、トーラーの約束の地の概念を近代法の言語に翻訳したものにほかならない。

ユダヤ民族は、超憲法を持っていたからこそ、2500年後に憲法闘争に復帰し、勝利することができた。

イラン革命の事例

1979年のイラン革命は、超憲法が成文憲法を転覆した事例である。パフラヴィー朝の世俗的な憲法体制は、ホメイニー師が率いるシャリーアの権威の前に崩壊した。革命後に制定されたイラン・イスラム共和国憲法は、超憲法(シャリーア)が成文憲法の上位に立つことを明文化した。

日本の不在

日本民族には、成文憲法が破壊された後に立ち返るべき超憲法がない。偽日本国憲法を押し付けられたとき、日本民族はそれに代わる規範的拠り所を持たなかった。ユダヤ民族が「ハラーハーに戻れ」と言えたように、イラン民族が「シャリーアに戻れ」と言えたように、日本民族が「○○に戻れ」と言える超憲法が存在しなかった。

これが、日本民族が憲法闘争において敗北し続けている根本原因である。

精神的超憲法と物理的超憲法の相互作用

精神的超憲法と物理的超憲法は、それぞれ異なる脅威に対して民族を防衛する。両者の関係を理解することは、超憲法戦略の全体像を把握するために不可欠である。

防衛の層構造

脅威の種類 物理的超憲法の対応 精神的超憲法の対応
外部からの軍事的征服 完全に阻止(核抑止力) 阻止できない(宗教法は軍事力を持たない)
外部からの憲法侵略 第一段階を阻止し、全体を阻止 侵略後も民族的規範を維持し、長期的に反撃を可能にする
内部からの体制崩壊 対応できない(核兵器は内部秩序に無力) 民族の結束を維持(国家なき共同体を統治)
同化・民族溶解の圧力 対応できない(核兵器は文化侵食を阻止できない) 境界定義性により阻止(「誰がこの民族か」を維持)
長期的な占領・支配 占領そのものを不可能にする 占領下でも民族の同一性を保持し、最終的な解放の基盤となる

この表は、両者が代替的ではなく補完的であることを明確に示している。物理的超憲法は外部からの軍事的脅威に対して即座に作動するが、内部からの崩壊や文化的同化には無力である。精神的超憲法は軍事力を持たないため外部からの攻撃を直接阻止できないが、国家が滅んだ後も民族を長期的に維持する力を持つ。

四つの類型

精神的超憲法と物理的超憲法の有無の組み合わせにより、民族・国家は四つの類型に分類される。

物理的超憲法あり 物理的超憲法なし
精神的超憲法あり 類型A: 完全防衛(イスラエル、パキスタン) 類型B: 潜伏型防衛(ディアスポラのユダヤ人、植民地下のイスラム圏)
精神的超憲法なし 類型C: 外殻防衛(中国、ロシア、北朝鮮) 類型D: 無防備(日本、ドイツ、イタリア)

類型A: 完全防衛

精神的超憲法と物理的超憲法の双方を保有する状態である。外部からの軍事的征服は核抑止力により不可能であり、仮に何らかの壊滅的事態(核戦争)により国家が消滅しても、精神的超憲法が民族の存続を保障する。

イスラエルはこの類型の最も純粋な事例である。ハラーハー(精神的超憲法)は2500年にわたって民族を維持し続けた実績を持ち、核兵器(物理的超憲法)はイスラエル国家の軍事的征服を不可能にしている。さらに、ハラーハーは世界中のディアスポラに分散しているため、イスラエル国家の消滅すら民族の消滅を意味しない。

この類型に属する民族を滅ぼす方法は、理論上存在しない。

類型B: 潜伏型防衛

精神的超憲法を保有するが、物理的超憲法を持たない状態である。軍事的に征服され、国家を喪失し、成文憲法を書き換えられる可能性がある。しかし精神的超憲法が存在するため、民族は征服下でも独自の規範体系を維持し、時機が到来すれば反撃に転じることができる。

1948年以前のユダヤ民族がこの類型の典型である。国家を持たず、軍事力を持たず、各国の支配下に分散していた。しかしハラーハーが民族の同一性を維持し続けたため、1900年後に国家を再建することができた。

植民地支配下のイスラム圏もこの類型に属する。19世紀から20世紀にかけて、イスラム世界のほぼ全域がヨーロッパ列強の植民地となった。しかしシャリーアが社会の底流で生き続けたため、脱植民地化の過程でイスラム的秩序が復活した。イラン革命(1979年)とアフガニスタンにおけるタリバンの復権(2021年)は、潜伏していた超憲法が表面に浮上した事例である。

この類型の弱点は、軍事的征服を阻止できないことにある。征服に耐えうるが、征服そのものは回避できない。したがって、類型Bに属する民族の合理的戦略は、物理的超憲法の獲得により類型Aへの移行を図ることである。イスラエルの核武装と、イランの核開発は、まさにこの戦略にほかならない。

類型C: 外殻防衛

物理的超憲法を保有するが、精神的超憲法を持たない状態である。外部からの軍事的征服は核抑止力により不可能であるが、内部からの崩壊に対しては脆弱である。

中国、ロシア、北朝鮮がこの類型に属する。これらの国家は核兵器により外部からの征服を阻止しているが、共産党や指導者という単一障害点に依存している。党が崩壊すれば、国家と民族を統合する原理が消失する。

ソビエト連邦の崩壊は、類型Cの構造的脆弱性を歴史的に証明した事例である。ソ連は世界最大の核兵器保有国であり、物理的超憲法においては世界最強であった。しかし共産党というイデオロギーが内部から崩壊した瞬間、巨大な帝国は瓦解した。核ミサイルは外敵を阻止できたが、内部の崩壊を阻止することはできなかった。

外殻は堅固だが、中身は空洞である。外殻が破られることはなくとも、中身が腐敗すれば、外殻は自壊する。

類型D: 無防備

精神的超憲法も物理的超憲法も持たない状態である。外部からの軍事的征服を阻止する手段がなく、征服された後に民族的規範を維持する精神的基盤もない。

日本はこの類型の最も典型的な事例である。

日本は核兵器を持たないため、アメリカの軍事的プレゼンスに対抗する物理的手段がない。神道は超憲法の五条件を満たさないため、偽日本国憲法が押し付けられた後に立ち返るべき精神的規範が存在しない。日本は外殻も中身も持たない。丸裸の状態で、80年間にわたる憲法侵略を受け続けている。

ドイツとイタリアもこの類型に属する。キリスト教がかつて超憲法として機能していた時代には類型Bに属していたが、宗教改革・ウェストファリア体制・世俗化の過程でカノン法が超憲法としての力を喪失し、同時に核兵器を自力で保有していないため、類型Dに転落した。

類型間の移行と戦略的含意

移行方向
現在の類型 上位への移行(強化) 下位への転落(脆弱化)
D → C 核武装の実現
D → B 精神的超憲法の構築
C → A 精神的超憲法の構築
B → A 物理的超憲法の獲得
A → B 核兵器の放棄(リビアの愚行)
C → D 内部崩壊(ソ連の瓦解)
B → D 世俗化による精神的超憲法の衰退(西欧キリスト教の軌跡)

日本(類型D)にとっての最短経路は、核武装によるD → Cへの移行である。これは技術的・工業的に実現可能であり、精神的超憲法の構築のように数百年を要しない。

しかしC(外殻防衛)は依然として内部崩壊に脆弱である。最終目標はD → C → Aへの段階的移行、すなわち物理的超憲法の獲得と精神的超憲法の構築を同時並行で進め、完全防衛態勢(類型A)を確立することである。

超憲法の創出は可能か

超憲法は人為的に「創る」ことができるのか。この問いに対する答えは、否と肯の両面がある。

否:超憲法は歴史の産物である

ハラーハーは3000年、シャリーアは1400年の歴史を持つ。これらは一人の思想家や一つの運動によって「設計」されたものではなく、数百世代にわたる共同体の生活実践の中で形成された。超越的権威性は、長い歴史的蓄積によってのみ獲得される。

現代の日本民族が、ハラーハーやシャリーアに匹敵する超憲法を一から「発明」することは不可能である。

肯:超憲法に準ずるものは構築できる

しかし、完全な超憲法でなくとも、超憲法的な機能を果たす規範体系を意識的に構築することは可能である。

シオニズムは、宗教的超憲法(ハラーハー)を世俗的な政治運動に翻訳した事例である。テオドール・ヘルツル自身は世俗的なユダヤ人であったが、シオニズム運動は超憲法の「民族の約束の地への帰還」という原則を、近代的な政治プログラムとして再構成した。

日本民族にとっての課題は、神道、天皇制、武士道、和の精神といった既存の文化的資源を、単なる「伝統文化」としてではなく、成文憲法の上位に位置する民族的規範として再構築することである。

新日本憲法の構想は、単なる成文憲法の書き換えにとどまってはならない。日本民族が再び憲法侵略に遭ったとき、成文憲法が破壊されても民族が生き残れるような、超憲法的な規範体系の構築を同時に進めなければならない。

物理的超憲法の獲得:核武装

精神的超憲法の創出が困難であるならば、物理的超憲法の獲得は直ちに可能な選択肢である。すなわち、核武装である。

新日本憲法は、核兵器の保有を明確に認めなければならない。核兵器は、憲法侵略の第一段階(軍事的征服)を物理的に阻止する唯一の手段である。核を持たない日本は、アメリカによる憲法侵略を80年間受け続けている。核を持てば、少なくとも次の憲法侵略は阻止できる。

物理的超憲法は、精神的超憲法の不在を完全に補うものではない。国家が内部から崩壊した場合には、核兵器は民族を守れない。しかし、外部からの軍事的征服と憲法の強制的書き換えに対しては、核抑止力は絶対的な防壁として機能する。

日本民族の超憲法戦略は、二つの軸で同時に進めなければならない。

  1. 短期的戦略: 物理的超憲法(核兵器)の獲得。これは技術的・工業的に実現可能であり、政治的意思さえあれば達成できる
  2. 長期的戦略: 精神的超憲法の構築。既存の文化的資源を、成文憲法の上位に位置する民族的規範として再構成する

結語

成文憲法は壁であり、超憲法は土台である。壁がなくとも土台があれば再建できる。しかし土台なき壁は、一度崩れれば跡形もなく消える。

物理的超憲法は城門の鍵であり、精神的超憲法は城壁の礎石である。鍵があれば敵の侵入を阻止できる。礎石があれば城が落ちても民は生き残る。日本民族は鍵も礎石も持たない。敵は門を蹴破り、城を焼き、民の記憶そのものを書き換えた。80年前にそれが起きた。今なお続いている。

関連項目

参考文献

  • 『Ethnic Groups in Conflict』、ドナルド・ホロウィッツ著(民族紛争と憲法闘争の包括的理論)
  • 『The Spread of Nuclear Weapons: More May Be Better』、ケネス・ウォルツ著(核拡散と国際安定の理論。核兵器の拡散がむしろ平和を促進するという逆説的主張)
  • 『The Spread of Nuclear Weapons: A Debate Renewed』、ケネス・ウォルツ&スコット・セーガン著(核拡散をめぐるリアリズムの論争)
  • 『Halakha in the Making: The Development of Jewish Law from Qumran to the Rabbis』、アハロン・シェメシュ著(ハラーハーの歴史的形成過程)
  • 『An Introduction to Islamic Law』、ワエル・ハッラーク著(イスラム法の構造と歴史に関する基本文献)
  • 『The Formation of Islamic Law』、ワエル・ハッラーク著(イスラム法の成立過程の分析)
  • 『God's Rule: Government and Islam』、パトリシア・クローン著(イスラム政治思想史)
  • 『The Tragedy of Great Power Politics』、ジョン・ミアシャイマー著(攻撃的リアリズムと大国間の権力闘争。核抑止力の戦略的意義を論じる)
  • 『Why Leaders Choose War: The Psychology of Prevention』、ジョナサン・レンション著(指導者の安全保障決定の心理学的分析)
  • 『Nuclear Weapons and Coercive Diplomacy』、トッド・セクサーマシュー・ファーマン著(核兵器と強制外交の関係)
  • 『The Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons: A Commentary』、ダニエル・ジョイナー著(NPT体制の法的分析。不平等構造の批判的検討)
  • 『Interpreting the Nuclear Non-Proliferation Treaty』、ダニエル・ジョイナー著(NPTの法的解釈をめぐる論争)
  • 『閉された言語空間:占領軍の検閲と戦後日本』、江藤淳著(GHQによる日本の精神的規範の解体)
  • 『憲法についての三つの話:フランス革命・明治日本・現行憲法』、木村草太
  • 『憲法学の病』、篠田英朗
  • 『政治神学』、カール・シュミット著(主権と例外状態の理論)
  • 『文明の衝突』、サミュエル・ハンティントン著(文明圏の自律性と超国家的規範体系)