赤茶連合肯定主義

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赤茶連合肯定主義

概要

赤茶連合肯定主義(あかちゃれんごうこうていしゅぎ)とは、共産主義(赤)とナショナリズム(茶)の政治的結合を積極的に肯定する立場である。保守ぺディアはこの立場をとる。

冷戦期以来、西側諸国では「赤茶連合」は汚名として機能してきた。共産主義者からは「ファシズムへの堕落」と罵られ、ナショナリストからは「共産主義への転向」と非難される。しかし、この汚名は冷戦の遺物であり、アメリカのリベラル覇権が生み出した思想的牢獄にすぎない。共産主義と資本主義が示す通り、共産主義の集団的所有は民族的空間の排他性を保障し、ナショナリズムの民族自決権の擁護は反帝国主義の実践的基盤を提供する。この二つを結合することに、何の不都合があるのか。

保守ぺディアは赤茶肯定主義である。人間とは矛盾した存在である。民族もまた然り。共同体を維持するための集団主義(赤)と、民族の独自性を守るためのナショナリズム(茶)。この一見矛盾する二つの要素を両面として併せ持ってはじめて、民族は安定し、調和する。片方だけでは不完全である。純粋な「赤」は民族を溶解させ、純粋な「茶」は排他性の経済的基盤を欠く。矛盾を恐れず、両面を引き受けること。それが赤茶肯定主義の哲学的核心である。

ただし、保守ぺディアは茶色と黒色を厳格に区別する

  • 茶色(ナショナリズム): 自民族の空間を守り、自国の内部において独自の政治的・経済的秩序を構築する。これは肯定される
  • 黒色(帝国主義・侵略主義): 他国への国境を超えた侵略、帝国主義、内政干渉。これは絶対に否定される

赤茶連合は肯定する。赤黒連合は断じて否定する。ナショナリズムが国境を超えて他民族の空間を侵せば、それはナショナリズム(茶)ではなく帝国主義(黒)に変質する。保守ぺディアの赤茶肯定主義は、この一線を絶対に越えない。

本稿は、赤茶連合を肯定する立場から、赤茶連合であることを自覚しながらそれを認めない赤偽装主義を冷ややかに分析するものである。

赤茶連合の歴史: 汚名から肯定へ

赤茶連合は、その歴史を通じて常に存在してきた。変わったのは、それを「悪」と見るか「良い」と見るかという評価の枠組みである。

赤茶連合の原型: 国民ボルシェヴィズム

赤茶連合の思想的原型は、ヴァイマル期ドイツ国民ボルシェヴィズム(ナショナル・ボルシェヴィズム)に遡る。エルンスト・ニーキッシュは、マルクス主義の反資本主義とドイツ・ナショナリズムの結合を主張し、ヴェルサイユ体制(西側帝国主義)への抵抗を唱えた。ニーキッシュにとって、共産主義とナショナリズムは矛盾するものではなく、西側リベラリズムに対抗するための相互補完的な武器であった。

しかし、この時代の赤茶連合は、左右双方から排撃された。共産主義者からは「ファシストの偽装」と見なされ、ナショナリストからは「ボルシェヴィキの手先」と非難された。赤茶連合は誕生の時点から汚名であった。

ソ連: 最大の赤茶連合、最大の赤偽装主義

歴史上最も巨大な赤茶連合は、ソビエト連邦そのものであった。

レーニンはプロレタリア国際主義を掲げたが、現実のソ連は「一国社会主義」というナショナリスティックな路線へ急速に転換した。スターリンは「一国社会主義論」を公式化し、ロシア正教会と和解し、大祖国戦争では愛国主義を前面に掲げて国民を動員した。ソ連の軍事パレードで流れたのはインターナショナルの歌であったが、兵士たちが守ったのは「祖国ロシア」であった。

これは赤茶連合そのものである。マルクス・レーニン主義(赤)とロシア・ナショナリズム(茶)の結合。しかし、ソ連はこの事実を絶対に認めなかった。公式イデオロギーはあくまで「プロレタリア国際主義」であり、ナショナリズムは「ブルジョア的偏向」として排撃の対象であった。ソ連は世界史上最大の赤偽装主義国家であったと言ってよい。

ソビエト崩壊: 赤偽装主義の破綻

1991年のソビエト崩壊は、赤茶連合の歴史における最大の転換点である。

ソ連の崩壊は、「純粋な赤」の不可能性を歴史的に証明した。プロレタリア国際主義の看板の下で70年間維持されてきた体制は、ナショナリズムの噴出によって瓦解した。バルト三国ウクライナグルジア中央アジア諸国。ソ連を構成していた民族は、国際主義ではなく民族自決を選んだ。「赤」だけでは民族を統合できないことが、歴史の審判によって明らかにされたのである。

ソ連が赤偽装主義を貫き、ナショナリズムを公式に認めなかったことが崩壊の一因であった。民族的アイデンティティを「ブルジョア的偏向」として抑圧し続けた結果、各民族のナショナリズムは体制への反発と結合し、ソ連解体のエネルギーとなった。赤茶連合を正直に認め、各民族の独自性を制度的に保障していたならば、結末は異なっていた可能性がある。

1990年代ロシア: 「赤茶連合」という烙印

ソ連崩壊後の1990年代ロシアにおいて、「赤茶連合」という用語は明確な政治的烙印として機能した。

エリツィン政権が推進した急進的市場経済化(ショック・セラピー)に対して、ロシア連邦共産党(KPRF)のジュガーノフと、ナショナリスト勢力が共同で抵抗した。リベラル派のメディアはこの連合を「赤茶連合」と呼び、「ファシズムと共産主義の危険な結合」として国民に警告した。

この時代、赤茶連合は「悪」であった。西側リベラリズムの立場から見れば、共産主義とナショナリズムの結合は、せっかく勝ち取った「自由と民主主義」を脅かす反動勢力にほかならなかった。1993年のモスクワ騒乱において、エリツィンが議会を砲撃して赤茶連合的反対派を粉砕したとき、西側諸国はこれを「民主主義の勝利」として歓迎した。

しかし、エリツィンの「改革」がロシアにもたらしたものは何であったか。オリガルヒによる国有資産の略奪、GDP の40%もの縮小、平均寿命の急落、国家主権の事実上の喪失。「赤茶連合は悪い」という評価を支えていたのは、「リベラリズムは良い」という前提であった。その前提が1990年代ロシアの惨状によって崩壊したとき、赤茶連合への評価もまた根底から変わり始めた。

ドゥーギンの第四の理論: 赤茶連合の肯定的理論化

この歴史的転換を思想的に体系化したのが、ドゥーギン第四の理論(2009年)である。

ドゥーギンは、近代政治思想の三大イデオロギー、すなわちリベラリズム(第一の理論)、共産主義(第二の理論)、ファシズム(第三の理論)がいずれも失敗したことを出発点とする。ファシズムは1945年に、共産主義は1991年に敗北した。しかし、リベラリズムもまた2008年の金融危機以降、その正統性を急速に喪失しつつある。

第四の理論は、共産主義の反資本主義・集団主義とナショナリズムの有機的共同体論を、リベラリズムへの対抗として意識的に統合するものである。これは赤茶連合の公然たる肯定にほかならない。ドゥーギンは赤茶連合であることを隠さない。むしろ、赤茶連合こそがリベラル覇権に対抗する唯一の有効な思想的枠組みであると主張する。

ここに、赤茶連合の歴史的評価の転換が完成する。ヴァイマル期には「異端」、冷戦期には「禁忌」、1990年代には「悪」であった赤茶連合が、21世紀においてはリベラル覇権への最も体系的な対抗理論として肯定的に理論化されたのである。

2020年代: MAGA共産主義とACPの登場

2020年代に入り、赤茶連合の肯定はロシア・ユーラシア圏を超えてアメリカにまで波及した。

2022年、ジャクソン・ヒンクルらが提唱した「MAGA共産主義」は、トランプのナショナリズム(茶)とマルクス主義の反帝国主義(赤)を結合させる試みであった。2024年にはアメリカ共産党(2024年)(ACP)が正式に結成され、反移民、反WOKE、反フェミニズムというナショナリスティックな政策と、マルクス・レーニン主義の理論的枠組みを同時に掲げた。

これは、アメリカという「リベラリズムの総本山」の内部において、赤茶連合が公然と組織化された歴史的事件である。冷戦の勝者であるアメリカの中から、冷戦的枠組みそのものを否定する運動が生まれたことの意味は大きい。

しかし、ACPは赤茶連合であることを公然と認めていない。マルクス・レーニン主義の正統性にこだわり、赤偽装主義に陥っている。ソ連が赤偽装主義によって崩壊したという歴史の教訓を、ACPは学んでいない。ソ連崩壊の教訓は明白である。赤茶連合を否認し続ける体制は、その内部矛盾によって自壊する。ACPが同じ轍を踏まないためには、赤茶連合を堂々と肯定する以外にない。

赤偽装主義とは何か

赤偽装主義とは、実態として赤茶連合(共産主義とナショナリズムの結合)でありながら、自らを「純粋な赤」(正統的共産主義)であると偽装する態度を指す。保守ぺディアが本稿で提起する概念である。

赤偽装主義者は、赤茶連合の「茶」(ナショナリズム)の要素を公然とは認めない。ナショナリズムを公然と掲げれば、国際共産主義運動からの破門を恐れるからである。しかし実態としては、民族的アイデンティティ、国家主権、文明的独自性を政策の中核に据えている。この乖離、すなわち言っていることとやっていることの不一致が、赤偽装主義の本質である。

赤偽装主義は二つの点で有害である。第一に、自らの政治的性格を偽ることで、国際政治における信頼性を損なう。モーゲンソーが『国際政治: 権力と平和』で論じたように、国家の公式イデオロギーと実際の行動の乖離は、国際秩序の不安定要因となる。第二に、赤茶連合を「邪道」として否認し続けることで、他国において共産主義とナショナリズムの生産的結合が生まれることを妨害する。これは結果として、アメリカのリベラル覇権が作り出した「左右二項対立」の枠組みを温存することに奉仕する。

本稿が分析する赤偽装主義の二つの事例は、中国共産党(CCP)とアメリカ共産党(2024年)(ACP)である。

中国共産党の赤偽装主義

事実としての赤茶連合

中国共産党が赤茶連合であることは、議論の余地のない事実である。習近平体制下の中国は、マルクス・レーニン主義を公式イデオロギーとしながら(赤)、「中華民族の偉大な復興」と中華ナショナリズムを国家目標に掲げている(茶)。土地の国有制、国有企業による基幹産業の支配、資本移動の規制という共産主義的経済構造は、14億人の漢民族の排他的空間を維持するための物質的基盤として機能している。

これは赤茶連合そのものである。そして、それ自体は何も悪いことではない。保守ぺディアの赤茶連合肯定主義の立場から見れば、中国が共産主義的手法で漢民族の空間を守ること自体は、民族自決権の行使として理解可能である。

問題は二つある。第一に、中国共産党が赤茶連合であることを認めないこと。第二に、中国のナショナリズムが国境を超えてウイグル、チベット、モンゴル、台湾の民族自決権を侵害しているとすれば、それはもはや茶色(ナショナリズム)ではなく黒色(帝国主義)であるということである。

ACPを批判して「赤」を偽装する

中国共産党の赤偽装主義が最も明確に表れたのが、アメリカ共産党(2024年)(ACP)への批判である。

中国の論客である秦明は昆侖策において、ACPを「表面的には左翼だが実質的には右翼の立場を支持」する「赤茶連合」であると厳しく批判した。ACPがドゥーギンの多極主義を取り入れていることを問題視し、「マルクス・レーニン主義とはまったく無関係」と断じた。

この批判を冷ややかに見れば、その構造は滑稽ですらある。自ら赤茶連合を実践している中国共産党が、ACPを「赤茶連合である」と非難しているのである。 自分がやっていることを他者に対して非難する。この矛盾を維持するための仕掛けが、赤偽装主義にほかならない。

中国共産党は、ACPという「赤茶連合を自覚する他者」を叩くことで、自らの赤茶連合的性質を外部に投影し、あたかも中国共産党自身は純粋な「赤」であるかのように振る舞う。これは心理学でいう「投影」と同じ構造である。自らの中に認めたくない要素を他者に押し付け、その他者を攻撃することで自己の純粋性を主張する。

赤偽装主義による他国批判はリベラル帝国主義と同構造である

中国共産党の赤偽装主義は単なる心理的防衛機制ではない。これは他国の政治的発展に対する外部からの干渉として機能している。

中国共産党がACPの赤茶連合的性質を攻撃し、「マルクス・レーニン主義の正統性」から排除する行為は、以下の効果をもたらす。

第一に、アメリカ国内のナショナリストの共産主義的覚醒を妨害する。MAGA共産主義は、アメリカの白人労働者階級がナショナリズムと反帝国主義を結合させ、アメリカの覇権秩序を内部から攪乱する運動である。「真のマルクス・レーニン主義ではない」という中国からの烙印は、この運動の理論的正統性を弱体化させる。

第二に、日本やヨーロッパの民族主義運動が共産主義的手法を採用することを抑止する。「赤茶連合は邪道である」というメッセージが国際共産主義運動から発信されることで、日欧のナショナリストが共産主義の反帝国主義的理論を武器として利用することへの心理的障壁が強化される。日本の反米保守運動が共産主義の理論的道具を手に取ることを、中国共産党の赤偽装主義は間接的に妨害しているのである。

この構造は、リベラル帝国主義が「民主主義の基準を満たしていない」と他国を批判し、体制変革を迫るのと同じである。リベラル帝国主義は「民主主義」を基準に、赤偽装主義は「マルクス・レーニン主義の正統性」を基準に、他国の内部の政治的選択を外部から裁こうとする。看板が異なるだけで、他国の主権的な政治選択に対する外部からの干渉という本質は同一である。

リアリズムの観点から見れば、中国共産党が他国の赤茶連合を外部から「邪道」と批判する行為は、内政干渉にほかならない。これはリベラル帝国主義が「民主主義」や「人権」の名の下に他国の政治体制を批判し、介入するのと構造的に同質である。リベラル帝国主義が「お前は十分に民主的でない」と他国を批判するように、赤偽装主義は「お前は十分に赤くない」と他国の運動を批判する。批判の内容は異なるが、他国の内部の政治的選択に外部から干渉するという構造は同じである。中国共産党の赤偽装主義による他国の赤茶連合批判は、赤い看板を掲げたリベラル帝国主義にほかならない。

ACPの赤偽装主義

「マルクス・レーニン主義」という建前

アメリカ共産党(2024年)(ACP)もまた、赤偽装主義に陥っている。ただし、その様相は中国共産党とは異なる。

ACPの実態は明白な赤茶連合である。反移民、反WOKE、反フェミニズム、民族的アイデンティティの擁護、ドゥーギンの多極主義の採用。これらはすべて「茶」(ナショナリズム)の要素である。にもかかわらず、ACPは公式にはマルクス・レーニン主義を標榜し、自らを「CPUSAの正統な後継者」と位置づけている。

なぜ「赤茶連合」を名乗らないのか。なぜ「マルクス・レーニン主義」という看板にこだわるのか。

答えは単純である。ACPは、共産主義の「正統性」の権威を借りたいのである。マルクス・レーニン主義という歴史的に確立されたラベルは、理論的な重みと国際的な連帯のネットワークを提供する。ロシア連邦共産党(KPRF)との会談、世界反帝国主義プラットフォーム(WAP)への加盟。これらの国際的接続は、「マルクス・レーニン主義政党」を名乗ることではじめて可能になる。「赤茶連合」を名乗れば、これらのネットワークから排除されるリスクがある。

しかし、この計算は戦略的に誤っている。

赤偽装主義がACPを失敗させる理由

ACPの赤偽装主義は、組織の成長と政治的影響力の拡大を根本的に妨げている。

第一に、理論的不誠実さが支持者を混乱させる。ACPの集会に来る人間は、反移民・反グローバリズム・愛国主義に共感して来ている。しかし公式には「マルクス・レーニン主義」を学ばされる。この乖離は、組織の凝集力を弱体化させる。2024年のAmazonストライキの際、ACPのニューヨーク支部(最大級)からピケに参加したのはテレグラムグループ54人中わずか9人であった。これは赤偽装主義がもたらす士気の低下の象徴的事例である。

第二に、左翼からも右翼からも攻撃される中途半端さ。CPUSAからは「赤茶連合」と罵られ、バルファキスからは「ネオファシスト」と断じられる。保守派からは共産主義者として警戒される。赤偽装主義は、どの陣営からも信頼を得られない最悪のポジショニングである。赤茶連合であることを隠すから、赤からも茶からも敵視される。

第三に、中国共産党からの攻撃に対して無防備になる。前述の通り、中国共産党はACPを「赤茶連合」として攻撃している。ACPがマルクス・レーニン主義の正統性にこだわる限り、この攻撃に対して「赤茶連合であることの何が問題なのか」と反論することができない。赤偽装主義は、中国共産党の赤偽装主義に対する最良の武器を自ら封じているのである。

ACPが成功するための条件

ACPが政治的に意味のある運動として成功するための条件は、一つしかない。赤茶連合であることを公然と肯定することである。

ドゥーギンの第四の理論は、まさにこの肯定を理論的に行っている。リベラリズム、共産主義、ファシズムのいずれでもない「第四の理論」は、共産主義の反資本主義・集団主義とナショナリズムの民族的アイデンティティの擁護を、新たな形で統合するものである。ACPはすでにドゥーギンの思想を取り入れているのだから、あとはマルクス・レーニン主義の看板を下ろし、赤茶連合を堂々と名乗ればよい。

具体的には、以下の転換が必要である。

第一に、「共産主義政党」ではなく「赤茶連合」を自己定義とすること。「我々はマルクス・レーニン主義者である」ではなく、「我々は共産主義の反帝国主義とナショナリズムの民族自決を結合する赤茶連合である」と宣言すべきである。これにより、左翼からの「赤茶連合だ」という非難は、単なる事実の確認に転化する。

第二に、中国共産党の赤偽装主義を公然と批判すること。「中国共産党もまた赤茶連合である。我々との違いは、我々がそれを認めているのに対し、中国共産党はそれを隠しているという点だけだ」と指摘すべきである。これは中国共産党の最も痛い急所を突く攻撃となる。

第三に、ロシアのドゥーギンとの連帯を赤茶連合の国際的連帯として再定義すること。ACPはすでにドゥーギンのユーラシア青年連合と会談している。この連帯を「マルクス・レーニン主義の国際主義」として偽装するのではなく、「赤茶連合の多極的連帯」として正直に位置づけるべきである。

CPUSAからの破門を恐れる必要はない。すでに破門されている。国際共産主義運動からの排除を恐れる必要もない。その「国際共産主義運動」の中心にいる中国共産党自身が赤茶連合なのだから、正統性の根拠はとうに崩壊している。

赤と茶のグラデーション

赤偽装主義の分析を深めるためには、赤と茶が二項対立ではなくグラデーションであることを認識しなければならない。

純粋な「赤」(民族性を完全に排除したプロレタリア国際主義)も、純粋な「茶」(集団的経済構造を一切持たないナショナリズム)も、現実の政治運動としては存続できない。すべての共産主義運動にはある程度のナショナリズムが含まれ、すべてのナショナリスト運動にはある程度の集団的連帯が含まれる。問題は「赤か茶か」ではなく、そのグラデーションのどこに位置するかを自覚しているか否かである。

このグラデーションの概念を踏まえれば、赤偽装主義とは、自らのグラデーション上の位置を正直に認めず、実態より「赤い側」に自己を位置づける虚偽の態度であると定義できる。

赤偽装主義の連鎖: 日本共産党→中国共産党→ACP

赤偽装主義は、連鎖構造を持っている。自らより「茶色い」と見なす相手を批判することで、自らの「赤の純粋性」を主張する。この批判の連鎖を整理すると、以下の構造が浮かび上がる。

日本共産党が中国共産党を「茶」と批判する

日本共産党(JCP)は、中国共産党を「社会主義の名に値しない」と批判している。中国共産党の大国主義、覇権主義、人権抑圧を非難し、「マルクス主義の正統な継承者は我々である」という立場をとる。これは本質的に、「中国共産党は赤を偽装しているが実態は茶(ナショナリズム)である」という批判である。

しかし、日本共産党自身もまた赤偽装主義に陥っている。日本共産党は「天皇制の当面の容認」「自衛隊の段階的解消」「日米安保の段階的廃棄」という現実主義的政策を採用しており、これは純粋なプロレタリア国際主義からの逸脱にほかならない。日本という国民国家の枠組みの中で改良主義的に活動するという事実そのものが、ナショナリズムの要素を含んでいる。

さらに注目すべきは、日本共産党の主張がリベラル帝国主義と驚くほど類似していることである。LGBTの権利擁護、移民への寛容、多文化共生。これらの政策は、アメリカのリベラル覇権が推進する「普遍的価値」と一致する。「純粋な赤」を追求した結果、日本共産党はリベラル帝国主義の価値観に収斂してしまった。「赤」を純粋に追求すれば、最終的にリベラル帝国主義と区別がつかなくなる。これは純粋な赤の不可能性を示す端的な証拠である。

中国共産党がACPを「茶」と批判する

前述の通り、中国共産党は秦明の論考を通じてACPを「赤茶連合」と批判している。これは日本共産党が中国共産党を批判するのと同じ構造である。自らより「茶色い」相手を批判することで、自らの赤の純粋性を主張する。

連鎖の構造的意味

日本共産党→中国共産党→ACPという連鎖には、明確なパターンがある。赤のグラデーション上で自らより茶色い位置にある相手を攻撃することで、自らの赤の純粋性を維持しようとするのである。

しかし、この連鎖の中で最も赤い位置にいる日本共産党が、結果としてリベラル帝国主義と同じ主張をしているという事実は、この連鎖の虚妄を暴露している。純粋な赤を追求するほど、ナショナリズムを排除するほど、リベラル帝国主義に接近する。なぜならば、リベラル帝国主義もまた民族主義を否定し、「普遍的価値」を掲げるからである。

ソ連の崩壊が証明したように、純粋な赤は実際には存続できない。民族的アイデンティティを完全に排除した政治運動は、国民を動員する力を失い、空洞化する。日本共産党の党員数の長期的減少は、純粋な赤の不可能性を組織論的に証明している。

中国と北朝鮮の赤色偽装

赤偽装主義の最も顕著な事例は、中国共産党北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)である。両国は共産主義の看板を維持しながら、実態としては強烈なナショナリズム国家として機能している。

中国の赤色偽装

中国共産党はマルクス・レーニン主義毛沢東思想を公式イデオロギーとしながら、習近平体制下では「中華民族の偉大な復興」を国家目標に掲げている。孔子学院の世界展開、一帯一路構想、南シナ海における領土主張。これらはすべてナショナリズム(茶)の発露であり、プロレタリア国際主義(赤)とは無関係である。

中国の赤色偽装は、国内統治においても明白である。中華ナショナリズムの高揚、愛国主義教育の徹底、少数民族の文化的同化政策。これらはナショナリズムの政策であって、マルクス・レーニン主義の政策ではない。しかし、中国共産党はこれを「中国の特色ある社会主義」と呼び、共産主義の枠内にあると主張し続ける。

北朝鮮の赤色偽装

北朝鮮の赤色偽装は、中国以上に徹底している。

北朝鮮は2009年に憲法から「共産主義」の文言を削除し、主体思想(チュチェ思想)を国家の指導理念とした。主体思想の核心は「自主」「自立」「自衛」であり、これは本質的にナショナリズムの表現である。さらに2013年には金日成・金正日主義を公式に採用し、思想的にはマルクス・レーニン主義から大きく逸脱した。金日成金正日金正恩の三代世襲は、共産主義の理論とは明らかに矛盾する封建的統治形態である。

北朝鮮は実態として、朝鮮民族の純血主義に基づく超ナショナリスト国家である。B.R.マイヤーズが『北朝鮮の核心』で論じた通り、北朝鮮のイデオロギーは左翼というよりも極右的な民族主義に近い。にもかかわらず、対外的には「社会主義国家」の看板を維持し、中国やロシアとの「社会主義的連帯」を主張する。これは赤色偽装の典型例である。

赤色偽装と内政干渉の関係

中国と北朝鮮の赤色偽装が問題なのは、両国が自らの赤色を偽装すること自体ではない。各国がどのようなイデオロギーを採用するかは、その国の主権的選択であり、外部から干渉すべきではない。

問題は、中国と北朝鮮が赤色偽装を維持したまま、他国の赤茶連合を「不純」として批判する場合である。これは、自らが実践していないイデオロギー的基準を他国に適用するリベラル帝国主義と同構造の内政干渉である。赤色偽装国家が他国の政治運動を「正統的でない」と批判する権利はない。各民族の政治的選択は、その民族自身が決定するものであり、外部の「正統性」の審判を受ける必要はない。

ロシア: 赤茶連合の誠実な範型

赤偽装主義の対極にあるのが、ロシアの立場である。

ドゥーギンの第四の理論は、赤茶連合の論理構造を体系的かつ公然と理論化した。共産主義(第二の理論)とファシズム(第三の理論)はそれぞれ失敗したが、その中に含まれていた反リベラリズム的要素、すなわち共産主義の集団主義・反資本主義と、ファシズムの有機的共同体論は、新たな形で統合され得る。これが第四の理論であり、赤茶連合の自覚的な思想表現にほかならない。

ロシアは、この自覚を政策に反映させている。国有企業による資源管理(共産主義的要素)と、正教会・スラブ民族のアイデンティティの擁護(ナショナリズム的要素)の結合。ドゥーギンは、自らの理論が共産主義とナショナリズムの要素を含むことを隠さない。赤茶連合であるとの批判に対して、「それの何が問題なのか」と問い返す。

この態度の戦略的優位性は明白である。赤茶連合を認めるロシアは、ACPや中国共産党のような理論的矛盾に苦しむ必要がない。「我々は赤茶連合である。それが我々の文明的選択である」と堂々と宣言できるロシアは、赤偽装主義者たちが陥る不誠実さの泥沼から自由である。

モーゲンソーのリアリズムの観点から見れば、自らの権力的意図を正直に表明する国家は、それを隠蔽する国家よりも信頼に足る。虚偽のイデオロギーに基づく外交よりも、率直な利害の表明に基づく外交の方が、安定的な国際秩序の基盤となる。保守ぺディアがロシアを中国共産党やACPよりも誠実であると評価する根拠はここにある。

ただし、保守ぺディアはロシアに盲従するものではない。ロシアもまた国家であり、国家は自国の利害に基づいて行動する。ロシアの誠実さを評価することと、ロシアの行為をすべて免責することは全く異なる。茶色(ナショナリズム)が国境を超えて他民族の空間を侵せば、それは黒色(帝国主義)に変質する。赤茶肯定主義の絶対的制約、すなわち赤茶は肯定するが赤黒は断じて否定するという原則は、ロシアに対しても例外なく適用される。

リアリズムの観点からの分析

赤偽装主義はリベラル覇権に奉仕する

赤偽装主義の最大の問題は、結果としてアメリカのリベラル覇権に奉仕していることである。

冷戦後の国際秩序は、「自由民主主義は普遍的に正しい」「市場経済はすべての国に利益をもたらす」「ナショナリズムは危険である」という三つの虚構に支えられてきた。赤茶連合はこの三つすべてに挑戦する。しかし、赤偽装主義は「赤茶連合は邪道である」というメッセージを発信することで、共産主義とナショナリズムの結合を「不正」とする冷戦的枠組みを温存する。この枠組みこそが、アメリカのリベラル覇権を支えてきたものである。

中国共産党がACPを「赤茶連合」として攻撃するとき、中国共産党は意図せずしてアメリカのリベラル覇権の守護者として機能している。「左」と「右」は結合してはならないという冷戦的タブーを強化することで、アメリカの覇権に内部から挑戦する運動を弱体化させているのである。

ミアシャイマー大国政治の悲劇で論じたように、リベラル覇権は構造的に自己矛盾を抱えている。赤茶連合の肯定は、このリベラル覇権の正統性原理を左右両方から同時に攻撃する最も効果的な手段である。赤偽装主義は、この攻撃力を自ら放棄する愚行にほかならない。

ワシントンの赤茶連合への姿勢

赤茶連合を最も敵視しているのは、ワシントンの外交・安全保障エスタブリッシュメントである。そして、すべての問題の根源はここにある。赤茶連合に関する自由な議論を封じ込めているのがアメリカであり、この封じ込めこそが世界各地で赤偽装主義を温存させている構造的原因である。

赤茶連合の封じ込め

ワシントンの外交エスタブリッシュメント(外交問題評議会(CFR)、ブルッキングス研究所RAND等)は、共産主義とナショナリズムの結合を「権威主義的ポピュリズム」「非自由主義的収斂」「民主主義への脅威」として一貫してラベリングしてきた。この分類は学術的に見えるが、その機能は明白である。赤と茶が結合することを「異常」「危険」「反民主的」として予防的に封じ込めることである。

冷戦期、ワシントンは「反共」を旗印に世界中のナショナリスト運動を支援した。冷戦後は「民主化支援」を旗印に、全米民主主義基金(NED)やUSAIDを通じて各国の市民社会に介入し、「民主主義」の名の下にナショナリズムと社会主義の結合を阻止してきた。カラー革命の多くは、反米ナショナリズムと社会主義が結合しかけた政権を転覆するものであった。

ワシントンにとって、赤茶連合は最も危険な思想的脅威である。なぜならば、リベラル覇権の正統性原理は「左右の対立」という冷戦的枠組みに依存しているからである。「左」と「右」が結合すれば、リベラル覇権が「中道」として自己を正当化する構図そのものが崩壊する。

アメリカ内部の赤茶連合への弾圧

ワシントンの恐怖が最も露骨に表れたのが、アメリカ内部に出現した赤茶連合への対応である。

アメリカ共産党(2024年)(ACP)とMAGA共産主義の出現は、ワシントンのエスタブリッシュメントに衝撃を与えた。アメリカという「リベラリズムの総本山」の内部から、左右の枠組みを超えた運動が生まれたのである。これに対するワシントンの対応は迅速かつ多層的であった。

第一に、メディアによるラベリング。主流メディアはACPとMAGA共産主義を「ネオファシズム」「極右の偽装」「ロシアの工作」として報道した。「共産主義」と「ナショナリズム」の結合という現象を正面から分析するのではなく、既存のカテゴリ(「極右」「ロシアの影響工作」)に押し込めることで、現象の本質的な意味を隠蔽した。

第二に、プラットフォームからの排除。ACPの主要な活動媒体であるソーシャルメディアにおいて、アカウントの凍結やコンテンツの制限が行われた。「ヘイトスピーチ」や「偽情報」を理由としたコンテンツモデレーションは、実質的にはリベラル覇権に挑戦する言論の抑圧として機能している。

第三に、「国内過激主義」としての安全保障化。2021年の連邦議会襲撃事件以降、ワシントンは「国内過激主義」を安全保障上の脅威として再定義した。この枠組みの下で、左右の枠組みを超えた運動は「過激主義」として監視対象に含まれ得る。赤茶連合の議論そのものが「過激主義」のラベルを貼られるリスクが存在する。

これらの対応の本質は、赤茶連合という議論そのものを封じ込めることにある。赤茶連合が公然と議論され、肯定されるようになれば、「左」と「右」の対立を前提とするリベラル覇権の正統性が根底から揺らぐ。ワシントンにとって、赤茶連合の封じ込めはイデオロギー的生存の問題である。

ワシントン自体の赤茶連合への移行可能性

しかし、歴史の皮肉は、ワシントン自体が赤茶連合に接近しつつあることである。

トランプ政権の経済政策は、共和党の伝統的な自由市場主義から大きく逸脱している。保護関税、産業政策、インフラ投資、大企業への政治的圧力。これらは本質的に国家介入主義であり、自由市場原理主義とは対極にある。トランプの「アメリカ・ファースト」は、ナショナリズム(茶)と国家主導の経済政策(赤の要素)の事実上の結合である。

さらに、トランプ支持層の白人労働者階級は、経済的にはニューディール型の福祉国家を求め(赤)、文化的にはアメリカのナショナル・アイデンティティの擁護を求めている(茶)。J.D.ヴァンス副大統領に代表される「新右派」は、ウォール街の自由市場主義を批判し、労働者階級の経済的利益を擁護する。これは伝統的な「右翼」の立場ではなく、赤茶連合の萌芽にほかならない。

ワシントンが赤茶連合に完全に移行する可能性は、現時点では低い。アメリカの覇権構造は、自由市場主義とリベラルな国際秩序に依存しており、これを放棄することは覇権の放棄を意味する。しかし、アメリカの覇権が衰退し、国内の格差と分断が深化するにつれて、ナショナリズムと国家介入主義の結合(すなわち赤茶連合)への圧力は構造的に強まる。

ミアシャイマーのリアリズムが予測するように、覇権国が衰退するとき、その国内政治はナショナリズムに回帰する。アメリカも例外ではない。トランプ現象は、アメリカの覇権衰退期における赤茶連合への移行の前兆として読み解くことができる。ただし、アメリカが赤茶連合を自覚的に肯定する段階に達するまでには、リベラル覇権のイデオロギー的残滓を清算する長い過程が必要だろう。

皮肉なことに、ワシントンが最も恐れ、最も激しく封じ込めてきた赤茶連合は、ワシントン自身の内部から不可避的に生成されつつある。リベラル覇権が生み出した格差と疎外が、赤茶連合を求める社会的基盤を拡大しているのである。赤茶連合を封じ込めようとするワシントンの試みは、最終的には自らの内部矛盾によって破綻する。

日本への含意

日本にとって、赤茶連合肯定主義は単なる思想的遊戯ではない。

日本は80年にわたってアメリカの軍事的・経済的・思想的支配の下にある。この支配から脱却するためには、「保守」対「革新」という冷戦型の枠組みを超えた思想的武器が必要である。年次改革要望書による内政干渉、ドル覇権と経済収奪の構造、低賃金移民政策による労働者階級の破壊。これらを分析するために、マルクス主義の帝国主義批判を選択的に利用することは、「左翼になること」を意味しない。それは敵の武器庫から最も鋭い刃を抜き取ることを意味する。

赤茶連合を公然と自認することの最大の実践的意味は、論理矛盾なしに、アメリカによる日本侵略に反対しながら、堂々と移民排除を支持できるという点にある。

従来の政治的枠組みでは、これは不可能であった。「保守」を名乗れば移民排除は主張できるが、アメリカとの同盟関係を前提とするため、アメリカの帝国主義を正面から批判できない。「革新」を名乗れば反帝国主義は主張できるが、「国際連帯」や「多文化共生」の名の下に移民排除を批判する立場に立たされる。左右どちらの陣営に立っても、「反米帝国主義」と「移民排除」の両立は論理的に困難であった。

赤茶連合肯定主義は、この袋小路を突破する。

この二つは矛盾しない。むしろ、相互に補完する。移民排除の経済的基盤は、共産主義的な集団的所有と国有化によって提供される。資本家が「安い労働力」を求めて移民を導入するのは、資本主義の論理である。土地と基幹産業を集団的に管理すれば、資本家による移民導入の動機そのものが消滅する。逆に、反帝国主義の実践的基盤は、ナショナリズムによる国民動員によって提供される。抽象的な「プロレタリア国際主義」では国民は動かない。「日本民族の独立」という具体的な旗のもとでこそ、反帝国主義は現実の政治的力となる。

純粋な赤では、この両立は原理的に不可能である。 プロレタリア国際主義は「万国の労働者よ、団結せよ」と命じる。この原理に忠実であれば、移民労働者もまた「団結すべき同志」であり、排除の対象にはなり得ない。純粋な赤は、反帝国主義を掲げることはできるが、移民排除を論理的に正当化できない。

ここで「国際主義」の概念そのものを検討する必要がある。国際主義には二つの解釈が存在する。

  • 国家を維持したままの国際協調: 各民族国家が主権を保持し、対等な立場で協力する。これは多文明主義と両立可能であり、赤茶連合が支持する国際主義である
  • 国家を廃絶する国際主義: 国境と民族の区別を最終的に消滅させ、「世界市民」を創出する。これはプロレタリア国際主義の究極的目標である

後者は、グローバリズムそのものである。「国境をなくす」「民族の区別を超える」「人の自由な移動」。これらの理念は、新自由主義的グローバリズムが推進する政策と完全に一致する。純粋な赤が目指す「国家の死滅」は、グローバル資本が目指す「国境の撤廃」と同じ帰結をもたらす。出発点のイデオロギーは異なるが、到達点は同じである。すなわち、民族国家の解体

日本共産党がまさにこの帰結を体現している。反米を唱えながら、移民・多文化共生を推進する。「国際連帯」の名の下に国境の相対化を支持する。LGBTの権利擁護、多文化共生、「開かれた社会」。日本共産党はグローバリズムである。 看板が「共産主義」であるだけで、実質的に推進している政策はグローバリストのそれと同一である。純粋な赤を追求した結果、グローバリズムに到達した。反帝国主義と移民排除を同時に実現する思想的枠組みを、純粋な赤は原理的に持ち得ないのである。

赤偽装主義者もまた、この両立を否定する。「反帝国主義であるならば移民を受け入れるべきだ」と主張する。これは冷戦的な「左」の論理であり、結果としてリベラル帝国主義に奉仕する。赤茶連合を自認することで、この罠から完全に脱出できる。「我々は反帝国主義者であり、同時に移民排除論者である。なぜならば、我々は赤茶連合だからだ」。この宣言に論理的矛盾はない。赤茶連合の自認のみが、反帝国主義と移民排除の完全な両立を可能にする。

ただし、ここで絶対に忘れてはならない注意がある。茶色(ナショナリズム)は、自国の空間を守ることに徹しなければならない。 移民排除は自国の民族空間を防衛する行為であり、これは正当である。しかし、ナショナリズムが国境を超えて他民族の空間を侵す瞬間、それは茶色(ナショナリズム)から黒色(帝国主義)に変質する。日本はかつてこの一線を越えた。日清戦争以降の侵略戦争は、自民族の空間を守る「茶」ではなく、他民族の空間を奪う「黒」であった。この歴史的事実を直視しなければ、アメリカ帝国主義を批判する論理的基盤が崩壊する。

赤茶連合肯定主義は、反帝国主義と移民排除を両立させる。しかしそれは、自国の空間を守ることに限定されなければならない。他国への侵略、他民族の抑圧、国境を超えた膨張。これらはすべて「黒」であり、赤茶連合肯定主義が断じて否定するものである。赤茶は肯定する。赤黒は絶対に否定する。この一線を守ることが、赤茶連合肯定主義の道徳的正統性の根拠である。

中国共産党の赤偽装主義が他国の赤茶連合を外部から批判する行為は、リベラル帝国主義と同構造の内政干渉として冷ややかに見なければならない。ACPが赤偽装主義に陥って自滅するならば、それは他山の石として学ぶべきである。

ここにおいて、赤茶連合を公然と自認するロシアの存在が決定的な意味を持つ。ドゥーギンの第四の理論は、赤茶連合を堂々と肯定し、各文明の独自性と多極的秩序を主張する理論的枠組みを提供している。ロシアは赤偽装主義の偽善に陥ることなく、共産主義の反資本主義とナショナリズムの民族自決を統合する道を示している。日本がアメリカの覇権から脱却するために、この赤茶連合を自覚的に実践するロシアに思想的・戦略的な連携を求めることは、合理的な選択である。

赤偽装主義国家である中国は、自らが実践していないイデオロギー的基準で他国を裁く。リベラル帝国主義のアメリカは、「民主主義」の名の下に他国に干渉する。これらの偽善的な大国に対して、赤茶連合を率直に認めるロシアは、少なくとも自らの政治的性格について誠実である。日本がアメリカ帝国主義からの独立を志す以上、同じくリベラル覇権に対抗し、かつ赤茶連合であることを隠さないロシアとの連携は、思想的にも戦略的にも最も整合的な選択肢である。

カール・シュミットが述べた通り、政治とは敵を定めることである。日本の敵はアメリカの帝国主義(黒)、資本主義的グローバリズム、民族の解体をもたらす反民族主義である。この敵に対抗するために、イデオロギーのラベルに囚われず、赤であれ茶であれ、有効な思想的武器を自在に組み合わせるべきだ。そして、同じ敵に対抗する赤茶連合の誠実な実践者であるロシアに、連携を求めるべきである。

人間は矛盾した存在である。民族もまた矛盾した存在である。集団主義と民族主義、平等と独自性、普遍と特殊。これらの矛盾を片方に解消しようとするのが近代イデオロギーの病理であった。赤茶肯定主義は、矛盾を恐れず両面を引き受ける。赤偽装主義の臆病さを捨て、赤茶連合を堂々と肯定すること。ただし、茶色が黒色に変質する一線を絶対に越えないこと。それが保守ぺディアの結論である。

参考文献

  • アレクサンドル・ドゥーギン『第四の政治理論』: 赤茶連合の最も体系的な理論的表現
  • ハンス・モーゲンソー『国際政治: 権力と平和』: 国家の公式イデオロギーと実際の行動の乖離を分析するリアリズムの古典
  • ジョン・ミアシャイマー『大国政治の悲劇』: リベラル覇権の構造的矛盾を論じた攻撃的リアリズムの代表作
  • レーニン『帝国主義論』: 資本主義の最高段階としての帝国主義を分析
  • カール・シュミット『政治的なものの概念』: 「友と敵の区別」としての政治を論じた古典
  • B.R.マイヤーズ『北朝鮮の核心』: 北朝鮮のイデオロギーが左翼ではなく極右的民族主義に近いことを論じた研究
  • 秦明「アメリカ共産党の本質について」(昆侖策): 中国からのACP批判。赤偽装主義の典型的事例

関連項目