Evolutionary Computation
Evolutionary Computation
概要
Evolutionary Computation(進化計算)とは、狭義にはコンピュータサイエンスにおける最適化手法の一群——遺伝的アルゴリズム、遺伝的プログラミング、進化戦略など——を指す用語である。しかし、本記事が論じるのはそのような狭い技術的定義ではない。進化計算とは、この世界そのものを駆動する根源的なアルゴリズムである。
物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは1944年の著書『生命とは何か』において、生命の本質を「エントロピーの増大に抗して秩序を維持する存在」として定義した。熱力学第二法則に従えば、宇宙のエントロピーは増大の一途をたどる。にもかかわらず、生命は環境からエネルギーを取り込み、自己の内部秩序を維持し、さらに自己を複製する。このエントロピーを局所的に低く維持しながら自己を複製する計算——これこそが、あらゆる階層に遍在する世界の本質である。
哲学者ダニエル・デネットは『ダーウィンの危険な思想』(Darwin's Dangerous Idea、1995年)において、自然選択を「基質に依存しないアルゴリズム」(substrate-neutral algorithm)と呼んだ。デネットにとって、進化は炭素ベースの生物に限定された現象ではなく、変異・選択・複製という三つの要素が揃えばいかなる基質においても作動する普遍的なプロセスである。この洞察を徹底すれば、進化計算は量子状態の選択から宇宙の生成、遺伝子の淘汰、企業の興亡、法制度の変遷、宗教の伝播、文明の盛衰に至るまで、あらゆるスケールで作動していることが明らかになる。
本記事では、この「世界の本質としての進化計算」を、物理学、熱力学、生物学、経済学、法学、宗教学、認知科学、情報理論の各分野にわたって体系的に論じる。
進化計算の三要素:変異・選択・複製
進化計算を駆動する三つの要素は以下の通りである。
変異(Variation)
システムの状態に確率的な変化が生じることである。生物学においては突然変異(DNA配列のランダムな変化)がこれに相当する。物理学においては量子力学的な揺らぎ、経済学においてはイノベーションや経営手法の実験、法学においては新たな判例や立法の試み、宗教においては教義の再解釈や分派がそれぞれ変異に該当する。
変異がなければ、システムは同一の状態を永遠に繰り返すだけであり、適応も進化も生じない。熱力学第二法則によるエントロピーの増大は、ある意味で変異の究極的な供給源である。エネルギーの散逸と熱揺らぎが確率的な変動を生み出し、それがシステムの探索空間を拡大する。
選択(Selection)
変異の中から、特定の環境条件に適合したものが差別的に存続することである。生物学においては自然選択——生存と繁殖における差異的成功——がこれに相当する。物理学においてはエネルギー的に安定な状態の選好、経済学においては市場競争による淘汰、法学においては社会紛争の解決に有効な規範の定着、宗教においては信者の獲得と世代間伝達の成否がそれぞれ選択に該当する。
選択の本質は、情報の圧縮である。膨大な可能性の空間から、特定の環境条件において「機能する」パターンだけを残す。これはエントロピーの局所的な減少——すなわち、秩序の生成——にほかならない。
複製(Replication)
選択されたパターンが複写され、次の世代に伝達されることである。生物学においてはDNAの複製、経済学においては成功した経営手法の模倣、法学においては判例の引用と適用、宗教においては教義の伝道と教育がそれぞれ複製に該当する。
複製がなければ、選択の成果は一代限りで消滅する。複製こそが、進化計算の蓄積性——すなわち、過去の成功を土台にさらなる複雑性を構築できるという特性——を保証する。リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』(1976年)において、複製の忠実性(fidelity)、多産性(fecundity)、長寿性(longevity)の三つが複製子の成功を決定すると論じた。
この三要素——変異・選択・複製——が揃ったとき、系はいかなる基質であっても進化計算を開始する。これがデネットの言う「基質に依存しないアルゴリズム」の意味である。
エントロピーと自己複製:進化計算の熱力学的基盤
シュレーディンガーの「負のエントロピー」
エルヴィン・シュレーディンガーは1944年の講演録『生命とは何か』(What is Life?)において、物理学の根本法則と生命現象の関係を問うた。シュレーディンガーの核心的な問いは、「熱力学第二法則——すなわちエントロピー増大の法則——が支配する宇宙において、生命はなぜ秩序を維持し、さらには複雑性を増大させることができるのか」であった。
シュレーディンガーの回答は明快であった。生命体は環境から負のエントロピー(negative entropy、後にレオン・ブリルアンが「ネゲントロピー」と命名)を取り込むことによって、自己の内部秩序を維持している。すなわち、生命は閉じた系ではなく開放系であり、外部からエネルギーと物質を取り入れ、高エントロピーの廃棄物を排出することで、内部のエントロピーを低く保っている。
この洞察は、進化計算の熱力学的基盤を理解する鍵である。自己複製とは、低エントロピー状態の再生産にほかならない。DNAの複製、細胞の分裂、有機体の生殖——これらはすべて、高度に秩序化された構造(低エントロピー状態)を新たに生成するプロセスである。このプロセスは熱力学的に「無料」ではなく、必ず環境のエントロピーを増大させることで成立する。すなわち、自己複製子は周囲の秩序を犠牲にして自己の秩序を維持・拡大する存在である。
プリゴジンの散逸構造
イリヤ・プリゴジン(1917-2003)は、非平衡熱力学の研究により1977年にノーベル化学賞を受賞した。プリゴジンが提唱した散逸構造(dissipative structure)の概念は、進化計算の物理学的基盤を理解する上で決定的に重要である。
熱力学的平衡から遠く離れた系(far-from-equilibrium system)において、エネルギーの散逸が十分に大きくなると、系は自発的に秩序化された構造を形成する。ベナール・セル——液体の層を下から加熱すると自発的に形成される規則的な対流パターン——はその典型的な例である。この対流の渦は、エネルギーの散逸によって維持される秩序であり、散逸が停止すれば消滅する。
散逸構造は、進化計算の原型ともいうべき存在である。渦は周囲のエネルギー勾配を利用して自己の秩序を維持し、条件が変われば構造を変化させる(変異)。複数の散逸構造が競合する中で、エネルギーの散逸効率が高い構造が優勢になる(選択)。そして、安定した散逸パターンは空間的に拡大し、類似の構造を生み出す(複製)。
プリゴジンの洞察は、生命の起源に関する理解を根本的に変えた。生命は熱力学的奇跡ではなく、散逸構造の一形態——エネルギーの流れによって自発的に生成される秩序——として理解できる。生命が特別であるのは、散逸構造としての情報をDNAに符号化し、世代を超えて伝達する能力を獲得したことにある。
最大エントロピー生産原理
プリゴジンの研究をさらに発展させた仮説が、最大エントロピー生産原理(Maximum Entropy Production Principle, MEPP)である。ロデリック・ディーワーらが統計力学的な枠組みで定式化を試みたこの原理は、非平衡系は利用可能な制約条件の下でエントロピー生産を最大化するように自己組織化するという仮説である。
この原理が正しければ、進化計算は単なる「たまたま起こる現象」ではなく、熱力学が要請する必然的なプロセスとなる。生命が誕生し、複雑化し、生態系を形成するのは、それがエントロピー生産を最大化する最も効率的な方法だからである。森林は裸地よりも効率的に太陽エネルギーを散逸し、生態系は単一の生物種よりも効率的にエネルギー勾配を消去する。
この視点からすれば、進化計算とは、宇宙がエントロピーを増大させるために自発的に生み出したアルゴリズムにほかならない。
フリストンの自由エネルギー原理:生命はなぜ崩壊しないのか
進化計算の熱力学的基盤において、シュレーディンガーが問い、プリゴジンが部分的に答えた問い——「生命はなぜエントロピーの増大に抗して自己を維持できるのか」——に対して、最も包括的な回答を提示したのが、神経科学者カール・フリストン(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)の自由エネルギー原理(Free Energy Principle)である。
フリストンの原理は、一見すると驚くほど単純な主張から出発する。あらゆる自己組織化されたシステムは、自由エネルギー(情報理論的な意味での「驚き」の上界)を最小化するように振る舞う。ここで言う「自由エネルギー」は熱力学的な自由エネルギーではなく、変分ベイズ推論における変分自由エネルギー——システムの内部モデルが予測する状態と、実際に観測される状態との乖離の度合い——を指す。
これを平たく言えば、こうなる。生命体は、自分自身を驚かせない状態を維持することによって存続する。魚は水の中にとどまる(水がないことは「驚き」である)。恒温動物は体温を37度に保つ(体温の急変は「驚き」である)。ヒトは食物を探し、捕食者を回避し、社会的関係を維持する——すべて、自己の存在を脅かす「驚き」(自由エネルギーの増大)を回避するためである。
自由エネルギー原理が進化計算にとって決定的に重要なのは、この原理がエントロピーと進化計算の関係を統一的に説明するからである。
第一に、維持の問題。生命体がエントロピーの増大に抗して自己を維持できるのは、環境の統計的構造に関する内部モデルを持ち、そのモデルに基づいて自らの状態を予測可能な範囲内にとどめているからである。細胞は化学的な恒常性(ホメオスタシス)を維持し、有機体は生理学的な恒常性を維持し、社会は制度的な恒常性を維持する。これらはすべて、自由エネルギーの最小化——すなわち、「驚き」の回避——として統一的に記述できる。
第二に、適応の問題。自由エネルギーを最小化する方法は二つある。一つは知覚——内部モデルを更新して、観測をよりよく説明できるようにすること(モデルを世界に合わせる)。もう一つは行動——環境に働きかけて、自らの予測に合致する感覚入力を生み出すこと(世界をモデルに合わせる)。前者は進化計算における選択——環境に関する情報の獲得——に、後者はニッチ構築——自らの選択環境を改変すること——に対応する。
第三に、進化の問題。世代を超えた自然選択は、フリストンの枠組みにおいては、種の自由エネルギーを長期的に最小化するプロセスとして理解できる。遺伝子は、環境の統計的構造に関する「先験的知識」(prior)を符号化している。特定の波長の光に反応する視細胞、特定の化学物質に反応する嗅覚受容体——これらは、過去の進化計算が蓄積した「環境についての予測モデル」の具現化である。自然選択は、より正確な環境モデルを持つ個体を残すことで、種全体の自由エネルギーを漸進的に低下させてきた。
この三つのスケール——個体の維持(ホメオスタシス)、個体の適応(学習・行動)、種の進化(自然選択)——は、すべて自由エネルギーの最小化という単一の原理から導かれる。フリストンの自由エネルギー原理は、シュレーディンガーの「生命とは何か」という問いに対する最も野心的な回答である。生命とは、自由エネルギーを最小化し続けることによって、エントロピーの増大に抗して自己を維持するシステムにほかならない。
そして、ここに進化計算の本質的なパラドクスが浮かび上がる。宇宙全体のエントロピーは増大する(熱力学第二法則)。にもかかわらず、生命は局所的にエントロピーを低下させ、秩序を維持・拡大し続ける。最大エントロピー生産原理が示唆するように、生命の存在それ自体が宇宙全体のエントロピー生産を最大化する手段であるとすれば、生命とは、エントロピーが自らの増大を加速するために生み出した自己矛盾的な装置であることになる。エントロピーは、自らを増大させるために、エントロピーに抗する構造(生命)を生み出した。進化計算は、この宇宙論的なパラドクスの展開にほかならない。
情報理論との接続:シャノンエントロピーとボルツマンエントロピー
進化計算の熱力学的基盤を完全に理解するには、クロード・シャノンが創始した情報理論との接続が不可欠である。シャノンは1948年の論文「通信の数学的理論」において、情報量をシャノンエントロピーとして定義した。驚くべきことに、シャノンエントロピーの数学的形式は、ボルツマンが統計力学で定義した熱力学的エントロピーと同型である。
この一致は偶然ではない。レオン・ブリルアンは『科学と情報理論』(1956年)において、情報と熱力学的エントロピーの関係を体系的に論じた。ブリルアンの結論は明快であった。情報の獲得は必ずエントロピーの増大を伴う。すなわち、系について情報を得る(不確実性を減少させる)ためには、少なくとも同等のエントロピーを環境に排出しなければならない。これはマクスウェルの悪魔を巡る思考実験から導かれた結論であり、ロルフ・ランダウアーの原理(情報の消去は必ず熱を発生させる)によって物理的に実証された。
この接続が進化計算にとって持つ意味は深遠である。進化計算における選択とは、本質的に情報の獲得——環境に関する情報を遺伝子やルーティンに符号化するプロセス——である。自然選択を通じて、生物集団は「どのような形質が環境に適合するか」という情報を蓄積する。この情報の蓄積は、集団のシャノンエントロピー(遺伝的多様性)を局所的に減少させると同時に、必ず環境のボルツマンエントロピーを増大させる。
ジョン・ホイーラーの「It from bit」——物理的実在は究極的には情報から構成されるという命題——を真剣に受け取るならば、進化計算は単なる比喩ではなく、情報が物質を組織化する根本的なプロセスとして理解されなければならない。
コンストラクタル法則
エイドリアン・ベジャン(デューク大学)が1996年に提唱したコンストラクタル法則(constructal law)は、進化計算の物理学的基盤に新たな視角を提供する。コンストラクタル法則は次のように述べる。「有限大の流動系が時間の中で存続するためには、その配置は、系を流れる電流を促進するような仕方で進化しなければならない」。
ベジャンは、河川の樹枝状構造、肺の気管支分岐、血管系の階層的ネットワーク、稲妻の枝分かれパターン、都市の交通網——これらがすべて同型の樹状構造を示すことに注目した。ベジャンの主張は、これらの構造が「偶然に似ている」のではなく、流れの効率を最大化するという物理法則によって必然的に同じ形態に収束するというものである。
コンストラクタル法則は、進化計算に対して重要な制約を課す。進化計算の結果は完全にランダムなのではなく、物理法則が許容するアトラクター——系が収束しやすい状態——によって制約されている。河川がどの大陸を流れようとも樹枝状になるように、進化計算はいかなる基質で作動しようとも、特定の構造的パターンに収束する傾向がある。これは、進化計算が完全に予測不能な「盲目的」プロセスではなく、物理法則によって方向づけられた探索であることを示唆している。
宇宙論的進化計算:スモーリンの宇宙自然選択
進化計算のスケールを極限まで拡大すると、宇宙そのものが進化計算の対象であるという仮説に到達する。理論物理学者リー・スモーリンは『宇宙は自ら進化した』(The Life of the Cosmos、1997年)において、宇宙自然選択(cosmological natural selection)仮説を提唱した。
スモーリンの仮説は以下の通りである。ブラックホールの特異点において新たな宇宙(「子宇宙」)が誕生する——これが複製である。子宇宙は親宇宙と微妙に異なる物理定数を持つ——これが変異である。ブラックホールを多く生成する物理定数を持つ宇宙は、より多くの子宇宙を生み出す——これが選択である。
この仮説が正しければ、我々の宇宙の物理定数が生命の存在を許容する値に「微調整」(fine-tuning)されているように見える理由が説明できる。それは超自然的な設計者によるものではなく、宇宙レベルの進化計算の結果である。ブラックホールの形成には恒星核融合が必要であり、恒星核融合には特定の物理定数——核力の強さ、重力定数、電磁気力の強さ——が必要である。そして、恒星核融合が可能な宇宙は、偶然にも生命の存在を許容する宇宙でもある。我々の宇宙が生命を許容するのは、ブラックホール生成を最大化する方向に進化した結果にすぎない。
スモーリンの仮説は実証が困難であるが、その理論的含意は重大である。もし宇宙自体が進化計算の産物であるならば、進化計算はあらゆる物理的スケール——量子状態から宇宙全体に至るまで——を貫く宇宙の根本原理であることになる。デネットの「基質に依存しないアルゴリズム」は、ここに至って最もラディカルな形で展開される。
さらに、物理学者デイヴィッド・ドイッチュは『世界の究極理論は存在するか』(The Fabric of Reality、1997年)において、知識の成長を進化計算的プロセスとして捉え、カール・ポパーの反証主義と進化論の深い構造的同型性を論じた。ポパーの科学方法論——仮説の提出(変異)、反証の試み(選択)、生き残った仮説の発展(複製)——は、科学知識の進化計算にほかならない。ドイッチュにとって、宇宙は進化計算可能な構造を持ち、知識はその構造を漸進的に写像するプロセスである。
量子ダーウィニズム:現実はなぜ「古典的」に見えるのか
進化計算が宇宙の最もミクロなスケールにおいても作動していることを示す最新の理論が、物理学者ヴォイチェフ・ズーレクが提唱した量子ダーウィニズム(quantum Darwinism)である。
量子力学の最大の謎の一つは、ミクロの量子世界——重ね合わせ、量子もつれ、不確定性——が支配する領域から、我々が日常的に経験するマクロの古典的世界——確定した位置、明確な境界、因果関係——がいかにして出現するかという問題である。ズーレクの量子ダーウィニズムは、この問題に対して進化計算的な回答を与える。
ズーレクの主張は以下の通りである。量子系は環境(空気分子、光子、その他の粒子)と絶えず相互作用している。この相互作用の過程で、量子系の状態のうち環境に対して「丈夫」(robust)な状態——すなわち、環境との相互作用によって破壊されない状態——だけが生き残る。これが環境選択(einselection、environment-induced superselection)である。環境が選択圧として機能し、「適応的」な量子状態だけを「淘汰」するのである。
さらに重要なのは、選択された量子状態の情報が環境に大量に複製されるということである。あなたが目の前のコーヒーカップを見るとき、カップから反射された無数の光子があなたの目に到達する。各光子はカップの位置と形状に関する情報の「コピー」を運んでいる。すなわち、環境は選択された量子状態の情報を大量に複製する複製装置として機能している。変異(量子的な重ね合わせ)、選択(環境による脱コヒーレンス)、複製(環境への情報の多重コピー)——進化計算の三要素が量子レベルで作動しているのである。
量子ダーウィニズムが正しければ、我々が「現実」と呼んでいるもの——テーブル、椅子、太陽、月——は、量子レベルの進化計算の「適者生存」の結果である。古典的な世界が存在するのは、それが量子的環境における「最も適応的な」状態だからである。これは、進化計算がただの比喩ではなく、物理的現実の根底に横たわる原理であることを、最もラディカルな形で示唆している。
生物進化:進化計算の最も精緻な実装
自己複製子の誕生
生命の起源は、進化計算が化学的基質において最初に「起動」した瞬間である。約38億年前、原始地球の海洋において、自己触媒的な化学反応ネットワークが出現し、やがてRNAのような自己複製可能な分子が誕生した。RNAワールド仮説によれば、RNAは遺伝情報の担体と触媒(リボザイム)の両方の機能を兼ね備えていたため、最初の自己複製子として進化計算を開始する条件を満たしていた。
この段階で重要なのは、自己複製子の誕生が進化計算の「起動条件」を満たした瞬間であるということである。複製の過程で生じるコピーエラー(変異)、資源をめぐる競合による差別的生存(選択)、そして複製そのもの——この三要素が揃った時点で、進化計算は不可逆的に始動した。マンフレート・アイゲンはこのプロセスを「ハイパーサイクル」として定式化し、自己複製子の協調的なネットワークが進化の初期段階を駆動したことを示した。
遺伝子の進化計算
DNAベースの遺伝システムの確立は、進化計算の精度と蓄積性を飛躍的に高めた。DNAの二重螺旋構造は複製の忠実性を保証し、エラー修復機構はさらにその精度を高める。同時に、点突然変異、転座、遺伝子重複、水平伝播といった多様な変異メカニズムが、探索空間の効率的な走査を可能にしている。
木村資生の中立進化説(1968年)は、分子レベルにおける変異の大部分が自然選択に対して中立であり、遺伝的浮動によって集団中に固定されることを示した。これは進化計算における「探索」の重要性を裏付けている。選択圧が直接作用しない中立的変異の蓄積は、将来の環境変化に対応するための「潜在的な多様性」を維持する。すなわち、中立進化は進化計算の探索空間を広く保つメカニズムとして機能している。
一方、スティーヴン・ジェイ・グールドとナイルズ・エルドリッジが提唱した断続平衡説(1972年)は、進化が漸進的ではなく、長い停滞期と急激な変化期の交替として進行することを主張した。これは進化計算における相転移——系のパラメータが臨界点を超えた際に生じる急激な状態変化——として理解できる。環境の大規模な変動が選択圧を劇的に変化させ、それまで中立であった変異が突然適応的な意味を持つようになる。
多層的な進化計算:遺伝子から生態系まで
生物進化における進化計算は、単一の階層で作動するものではない。リチャード・ドーキンスが強調した遺伝子レベルの選択、個体レベルの自然選択、血縁選択と群選択をめぐる論争、さらには種分化と大量絶滅による種レベルの選択——進化計算は複数の階層で同時に作動し、それらが相互に作用している。
リン・マーギュリスの細胞内共生説は、真核細胞のミトコンドリアと葉緑体がかつて独立した原核生物であったことを示した。これは、進化計算が競争だけでなく統合——異なる自己複製子の融合——によっても複雑性を生み出すことを示している。競争と協力は進化計算の二つの駆動力であり、どちらか一方に還元することはできない。
生態系レベルでは、種間相互作用(捕食、寄生、共生、競争)が進化計算の選択圧として機能する。リー・ヴァン・ヴェーレンの赤の女王仮説(1973年)は、種間の共進化が絶え間ない適応競争を生み出し、「走り続けなければ同じ場所にとどまることすらできない」状況を作り出すことを示した。この共進化的な軍拡競争こそ、生物進化における進化計算の加速装置である。
進化的遷移:複製子の融合と階層化
ジョン・メイナード=スミスとエオルシュ・サタマリーは『進化における重大な遷移』(The Major Transitions in Evolution、1995年)において、進化計算の歴史に繰り返し出現する構造的パターンを同定した。それは、かつて独立に複製していた単位が、より大きな複製単位の一部として統合されるという遷移である。
メイナード=スミスとサタマリーが同定した主要な遷移は以下の通りである。
- 自己複製分子 → 分子のネットワーク(染色体): 独立に複製していたRNA分子が、連結されて一つの染色体として共同で複製されるようになった
- 原核細胞 → 真核細胞: マーギュリスの細胞内共生説が示すように、独立した原核生物(ミトコンドリア、葉緑体の祖先)が宿主細胞に取り込まれ、細胞内小器官として統合された
- 単細胞生物 → 多細胞生物: 独立に生存・複製していた細胞が、多細胞体の「部品」として統合され、大部分の細胞は生殖能力を放棄して体細胞に分化した
- 個体 → 超個体(真社会性): 真社会性昆虫(アリ、ハチ、シロアリ)において、大部分の個体が生殖を放棄し、コロニー全体が一つの「超個体」として機能する
- 個体 → 社会(言語・文化): 人間において、言語と文化が個体間の情報伝達を可能にし、社会全体が一つの情報処理・複製システムとして機能するようになった
各遷移に共通する構造は三つある。第一に、複製の単位が上位レベルに移行する。多細胞生物において複製の単位は個々の細胞ではなく有機体全体であり、真社会性昆虫において複製の単位は個体ではなくコロニーである。第二に、下位レベルの利己的な複製が抑制される。多細胞生物の体細胞は自律的な増殖を「放棄」し、がん細胞——この抑制から逸脱した細胞——は免疫系によって排除される。第三に、情報伝達の新たなチャネルが出現する。各遷移は、新しい情報の符号化・伝達メカニズムの誕生と対応している。
エントロピーの観点からすれば、各遷移はエントロピーに抗する維持装置の階層化として理解できる。分子は化学結合によって自己の秩序を維持し、細胞は膜と代謝によって維持し、多細胞体は免疫と修復によって維持し、社会は制度と文化によって維持する。各階層は、より低い階層のエントロピー維持装置をメタレベルで統括する維持装置を追加する。フリストンの自由エネルギー原理の枠組みで言えば、各遷移は自由エネルギーを最小化するスケールを一段上に引き上げる。細胞の自由エネルギー最小化は個体の恒常性に組み込まれ、個体の自由エネルギー最小化は社会の恒常性に組み込まれる。
報酬関数の階層との接続もまた明瞭である。各遷移において、下位レベルの「報酬関数」は上位レベルの報酬関数によって制御・抑制される。細胞は「自分で増殖したい」という利己的な報酬に従うよりも、多細胞体全体の成長シグナルに従うよう制御されている。個体は「自分だけ生き残りたい」という報酬に従うよりも、社会の規範(文化的報酬関数)に従うよう社会化されている。進化的遷移とは、報酬関数の階層に新たな上位層が追加されるプロセスにほかならない。
しかし、この階層化には常に反乱のリスクが伴う。がん細胞は多細胞体の報酬関数から離反した体細胞であり、フリーライダーは社会の報酬関数から離反した個体である。進化的遷移が安定するためには、下位レベルの反乱を抑制する機構——免疫系、アポトーシス(プログラムされた細胞死)、社会的制裁、法制度——が同時に進化しなければならない。このことは、進化計算における維持の問題が複雑性の増大とともに指数関数的に困難になることを意味している。
性淘汰:進化計算の第二の駆動力
チャールズ・ダーウィンは『人間の由来と性に関連した選択』(1871年)において、自然選択とは独立した進化の駆動力として性淘汰(sexual selection)を提唱した。性淘汰が論じるように、孔雀の尾、極楽鳥の羽飾り、シカの角——これらは生存に有利であるどころか明らかに不利であるにもかかわらず進化した。その理由は、配偶者選択という別種の選択圧が作用しているからである。
性淘汰は進化計算における重要な原理を明らかにする。進化計算の選択圧は単一ではなく、複数の選択圧が同時に、時に相反する方向に作用するということである。自然選択は生存を最大化する方向に、性淘汰は繁殖成功を最大化する方向に作用し、両者のバランスの中で形質が進化する。
アモツ・ザハヴィのハンディキャップ原理(1975年)は、この一見不合理な現象に情報理論的な解釈を与えた。生存に不利な形質をあえて発達させることは、「自分はこのハンディキャップを背負ってもなお生存できるほど遺伝的に優れている」という偽造不可能なシグナル——経済学の用語では「コストリー・シグナリング」——として機能する。すなわち、性淘汰は進化計算における情報の信頼性を保証するメカニズムなのである。
市場や進化を司る神の正体で論じたように、性淘汰において「何が美しいか」を決定しているのは、動物の脳に組み込まれた報酬関数である。花の色彩を「美しい」と評価する昆虫の視覚系、さえずりを「魅力的」と評価する鳥の聴覚系——これらの報酬関数が選択圧として作用し、自然界の「美」を共進化的に生み出してきた。進化計算における「神の見えざる手」の正体は、脳の報酬関数にほかならない。
ここで、ロナルド・フィッシャーのランナウェイ選択(runaway selection、1930年)の意味を報酬関数の枠組みで再解釈すれば、進化計算における自己設計の原初的形態が浮かび上がる。フィッシャーのモデルでは、メスの選好(「長い尾を好む」)とオスの形質(「長い尾」)が共進化する。メスの選好は一種の内部報酬関数——「長い尾のオスと交配すると快楽シグナルが発火する」——として遺伝的に符号化されている。この報酬関数がオスの形質を選択し、選択されたオスの息子はさらに長い尾を持ち、選択されたオスの娘はさらに強い選好を持つ。報酬関数と形質が相互に強化し合い、暴走的にエスカレートする——これがランナウェイ選択である。
ランナウェイ選択の深遠な含意は、進化計算がその選択基準を自ら生成し、自ら強化しうるということである。自然選択の選択基準は環境によって外部から設定される。しかし性淘汰の選択基準は、生物自身の脳に埋め込まれた報酬関数によって内部から設定される。そして、その報酬関数自体が進化によって変化する。すなわち、性淘汰は選択圧が自己言及的にエスカレートするプロセス——進化計算が自らの選択基準を自ら設計する最も原初的な事例——なのである。この自己言及的な構造は、後に報酬関数と自己設計のセクションで論じる、報酬関数の階層化と自己設計のパラドクスの生物学的前駆体である。
リチャード・プラムは『美の進化——性淘汰は世界をいかに形作ったか』(The Evolution of Beauty、2017年)において、フィッシャーのランナウェイ選択をさらに徹底し、美的進化(aesthetic evolution)の理論を展開した。プラムの主張の核心は、性的装飾の多くはザハヴィのハンディキャップ原理では説明できない「純粋な美的選好」の結果であるということである。すなわち、美は適応的な利益のシグナルである必要すらない——脳の報酬関数が「これは美しい」と判定すれば、その判定自体が選択圧となり、形質を進化させる。美は、報酬関数が自己言及的に作動した結果として自然界に出現したのである。
適応度地形:進化計算の探索空間
スーアル・ライトが1932年に提唱した適応度地形(fitness landscape)は、進化計算の探索空間を視覚的に理解するための強力な概念装置である。遺伝子型空間の各点に対応する適応度を高さとして表現すると、「山」(適応度の局所的極大)と「谷」(適応度の低い領域)からなる複雑な地形が現れる。
進化計算の課題は、この適応度地形において最も高い「山頂」(大域的最適解)を発見することであるが、自然選択は上り坂方向にしか進めない(適応度を下げる変異は淘汰される)。このため、進化計算はしばしば局所的最適解——周囲よりは高いが、最も高い山頂ではない地点——に捕捉される。
スチュアート・カウフマンは『自己組織化と適応——進化の理論における変革の探求』(The Origins of Order、1993年)において、NKモデルを用いて適応度地形の構造を系統的に研究した。カウフマンの発見は、遺伝子間の相互作用(エピスタシス)が増加すると適応度地形が「ゴツゴツ」になり、局所的最適解の数が爆発的に増加するというものであった。これは、進化計算が複雑なシステムにおいていかに困難な探索問題に直面するかを定量的に示している。
この局所的最適解の問題は、社会制度の進化にも直接適用できる。ある制度が「局所的最適」——現状よりは良いが、理論的に可能な最善ではない——に達すると、そこから抜け出すことが極めて困難になる。偽日本国憲法のもとでの戦後体制は、まさにこの局所的最適解に捕捉された状態として理解できる。現状を維持すれば短期的には安定するが、それは大域的最適——真の独立と民族自決——からは程遠い。局所的最適解からの脱出には、適応度を一時的に低下させる「谷越え」——すなわち、短期的なコストを受け入れる政治的決断——が必要である。
エピジェネティクスと獲得形質の遺伝
20世紀の進化生物学はラマルクの獲得形質の遺伝を完全に否定した。しかし、エピジェネティクスの研究は、この否定を部分的に修正しつつある。DNA配列を変えることなく遺伝子の発現を制御するDNAメチル化やヒストン修飾といったエピジェネティックな変化が、世代を超えて伝達されうることが明らかになってきた。
エヴァ・ヤブロンカとマリオン・ラムは『進化の4次元——遺伝、エピジェネティクス、行動、シンボルにおける変異と選択』(Evolution in Four Dimensions、2005年)において、進化における情報伝達チャネルが遺伝子だけではないことを体系的に論じた。彼女らが提唱する四つの次元とは以下の通りである。
- 遺伝的次元: DNA配列の変異と選択(古典的ダーウィニズム)
- エピジェネティック次元: 遺伝子発現パターンの世代間伝達
- 行動的次元: 学習された行動の社会的伝達(動物文化)
- シンボル的次元: 言語を介した情報の伝達(人間文化・ミーム)
この四次元モデルは、進化計算が遺伝子という単一の基質に限定されないことを改めて強調する。進化計算は、利用可能なあらゆる情報伝達チャネルを活用して自己を加速させる。生物進化の歴史は、新たな情報チャネルの獲得——DNA、エピジェネティクス、学習、言語、文字、印刷術、電子メディア、インターネット——による進化計算の段階的な加速の歴史にほかならない。
ニッチ構築:自らの選択圧を構築する生命
標準的なダーウィニズムは、生物を環境に対する受動的な適応者として描く。環境が選択圧を設定し、生物はそれに適応するか、淘汰されるか——この二者択一である。しかし、生態学者ジョン・オドリング=スミー、ケヴィン・レイランド、マーカス・フェルドマンは『ニッチ構築——進化の見過ごされた過程』(Niche Construction: The Neglected Process in Evolution、2003年)において、この描像を根本的に修正した。生物は環境に適応するだけではない。生物は環境を構築する。そして、構築された環境が新たな選択圧を生み出す。
ニッチ構築の事例は生物界に遍在している。ビーバーはダムを建設して河川を堰き止め、湿地帯を創出する。この湿地帯は、ビーバー自身だけでなく、魚類、両生類、水鳥、昆虫を含む多数の種の生息環境を根本的に変える。ミミズは土壌を掘り返し、有機物を分解し、土壌の化学組成と構造を変える——ダーウィン自身が1881年の著書『ミミズの作用による腐植土の形成』で詳細に記述したプロセスである。サンゴはサンゴ礁を形成し、地球規模の海洋生態系を構造化する。植物は大気の酸素濃度を変え、土壌を形成し、気候を調節する。
ニッチ構築が進化計算にとって決定的に重要なのは、それが選択圧の自己設計——生物が自らの進化方向を部分的に制御する——の最も原初的な形態だからである。ビーバーがダムを建設するとき、ビーバーは「水辺の生態系で生存する」という選択圧を自ら強化している。農耕民族が森林を伐採して農地を開くとき、その民族は「農業に適した環境で生存する」という選択圧を自ら設定している。ニッチ構築は、報酬関数による自己設計の生態学的な先駆形態にほかならない。
フリストンの自由エネルギー原理の用語で言えば、ニッチ構築は自由エネルギーを最小化する二つの方法のうちの第二のもの——行動(世界をモデルに合わせる)——の生態学的拡張である。生物は環境を自らの「予測」に合致するよう改変することで、自由エネルギーを低下させ、自己の維持可能性を高める。人間の文明は、この原理の極限的な表現である。都市、農地、灌漑システム、暖房、冷房——これらはすべて、環境を人間の生理学的「予測」に合致するよう改変する、惑星規模のニッチ構築にほかならない。
しかし、ニッチ構築には重大なリスクが伴う。構築されたニッチへの依存が深まるほど、そのニッチが崩壊した場合の脆弱性が増大する。農耕に依存した文明は、旱魃や土壌の塩類集積によって崩壊する。化石燃料に依存した文明は、資源の枯渇と気候変動によって自らが構築した選択環境を自ら破壊しつつある。ニッチ構築は自己の維持を可能にするが、同時に自己の維持をそのニッチに依存させる。この依存関係こそが、経路依存性とロックインの生態学的基盤である。
老化と死の進化計算:なぜ個体は滅びるのか
進化計算の観点から最も逆説的な問いの一つが、なぜ老化と死が進化したのかである。自然選択が適応度を最大化するならば、不老不死の個体が最も高い適応度を持つはずではないか。なぜ進化計算は、自らの「乗り物」(個体)を計画的に破壊するメカニズムを設計したのか。
この問いに対する古典的な回答は、ピーター・メダワーの「突然変異蓄積説」(1952年)とジョージ・ウィリアムズの「拮抗的多面発現説」(1957年)である。メダワーは、繁殖期以降に発現する有害な突然変異は自然選択の「目」に触れないため、淘汰されずに蓄積すると論じた。ウィリアムズはさらに踏み込んで、若い時期の繁殖に有利な遺伝子が老齢期には有害な効果を発揮するというトレードオフ(拮抗的多面発現)を提唱した。例えば、テストステロンは若年期の筋肉発達と繁殖競争に有利であるが、長期的には前立腺がんのリスクを高める。
これをエントロピーの視点から再解釈すれば、老化と死の意味が鮮明になる。フリストンの自由エネルギー原理が示すように、生命は自由エネルギーを最小化し続けることで自己を維持する。しかし、この維持にはコストがかかる。DNA修復酵素の作動、活性酸素種の除去、損傷したタンパク質の分解と再合成、異常細胞の検出と排除——これらすべてのエントロピー維持装置は、エネルギーを消費する。個体の維持に投じるエネルギーと、繁殖に投じるエネルギーの間には、根本的な配分のトレードオフが存在する。
ここに、進化計算の冷徹な論理が働く。遺伝子にとって重要なのは個体の永続ではなく、遺伝子の複製である。個体は遺伝子の「使い捨ての乗り物」(ドーキンスの用語)にすぎない。個体の維持コストが繁殖への投資を圧迫する時点で、進化計算は個体の死を「選択」する。これがトーマス・カークウッドの「使い捨て体細胞説」(disposable soma theory、1977年)の核心である。カークウッドの理論によれば、生物は体細胞の維持に完全に投資する(不老不死を実現する)よりも、体細胞の維持を「ほどほど」にして余ったエネルギーを繁殖に回すほうが、遺伝子の複製成功度が高い。個体の死は、種レベルの進化計算を維持するための、個体レベルのエントロピー維持装置の計画的な放棄にほかならない。
この論理は、細胞レベルのアポトーシス(プログラムされた細胞死)においてさらに明確に表れる。多細胞生物において、損傷した細胞、感染した細胞、または不要になった細胞は、自ら「自殺」するよう遺伝的にプログラムされている。アポトーシスは多細胞体という「超個体」の維持装置であり、個々の細胞の利己的な生存よりも多細胞体全体の秩序維持を優先するメカニズムである。がん細胞は、アポトーシスの命令を無視して増殖を続ける細胞——すなわち、多細胞体レベルの報酬関数から離反した反乱者——であり、進化的遷移で論じた「下位レベルの反乱」の最も直接的な事例である。
社会制度への類推は不可避である。制度の「死」——古くなった法律の廃止、機能不全に陥った組織の解体、時代遅れのイデオロギーの放棄——は、社会という超個体の健全な進化計算にとって不可欠である。死なない制度は、がん細胞と同じ病理を社会にもたらす。偽日本国憲法が80年近くにわたって「死なない」のは、まさにこの制度的アポトーシスの不全——社会レベルの「がん」——として理解できる。
経済の進化計算:市場・企業・制度の淘汰
シュンペーターの創造的破壊
ヨーゼフ・シュンペーターは『資本主義・社会主義・民主主義』(1942年)において、資本主義の本質を創造的破壊(creative destruction)として捉えた。シュンペーターにとって、資本主義の駆動力は価格競争ではなく、新たな財、新たな技術、新たな供給源、新たな組織形態による競争であった。古い構造が破壊され、新たな構造がそれに取って代わるこのプロセスは、まさに進化計算の変異・選択・複製にほかならない。
企業家(アントレプレナー)が新たな組み合わせ(イノベーション)を導入する——これが変異である。市場競争において、消費者と他の企業がその有効性を試す——これが選択である。成功したイノベーションが他の企業に模倣され、産業全体に普及する——これが複製である。
シュンペーターの洞察が重要なのは、経済における進化計算が均衡への収束ではなく不断の変革であることを示した点にある。新古典派経済学が想定する一般均衡は、進化計算の観点からすれば、変異が停止し選択圧が消滅した死の状態——すなわち熱的死——に等しい。
創造的破壊の具体例を見れば、この原理の冷酷さが明白になる。コダックは1888年から100年以上にわたって写真フィルム産業を支配した。コダックのルーティン(後述)は化学フィルムの製造・販売に最適化されていた。皮肉なことに、デジタルカメラを最初に発明したのはコダック自身の技術者(1975年)であったが、コダックの経営陣はこの変異を「採用」しなかった。なぜか。既存のフィルム事業が極めて高い利潤を生んでいたからである——適応度地形における局所的最適解に捕捉されていたのである。結果、コダックは2012年に破産した。デジタルカメラという「変異」を淘汰したのはコダック自身であったが、市場全体の進化計算はその変異を採用し、コダックのほうが淘汰された。
ネルソンとウィンターの進化経済学
リチャード・ネルソンとシドニー・ウィンターは『経済変動の進化理論』(An Evolutionary Theory of Economic Change、1982年)において、企業行動を生物進化のアナロジーで体系的に分析した。ネルソンとウィンターの理論では、企業のルーティン(routine)が遺伝子に相当する。ルーティンとは、企業が蓄積した暗黙知・手続き・慣行の総体であり、企業の行動パターンを決定する。
ルーティンは三つの機能を持つ。第一に、記憶——組織の能力を体現し、世代を超えて伝達する(複製)。第二に、標的——企業が達成しようとする目標水準を設定する。第三に、探索——既存のルーティンが満足のいく結果を生まない場合に、新たなルーティンを模索する(変異)。市場競争が利潤率の高い企業のルーティンを拡大させ、利潤率の低い企業を淘汰する(選択)。
この理論は、企業の成功と失敗が合理的な最適化の結果ではなく、有界合理性(bounded rationality)の下での探索と淘汰の結果であることを示している。ハーバート・サイモンが提唱した「満足化」(satisficing)——最適解ではなく満足のいく解を探す——が、進化計算における探索アルゴリズムの特性と一致する。
ハイエクの自生的秩序
フリードリヒ・ハイエクが論じた自生的秩序(spontaneous order)は、進化計算の制度的側面を示す重要な概念である。ハイエクは、市場秩序は誰かが意図的に設計したものではなく、無数の個人の行動が競争と模倣を通じて生み出した「進化した秩序」であると論じた。
ハイエクの洞察には重要な真実が含まれている。制度や慣習は、意識的な設計なしに進化計算を通じて形成されうる。しかし、保守ぺディアの立場からすれば、ハイエクの自生的秩序論には重大な盲点がある。ハイエクは「自生的秩序」を肯定的に捉えすぎている。進化計算は最適な結果を保証するものではない。生物進化が絶滅を大量に生み出すように、市場の自生的秩序もまた共同体の破壊、格差の拡大、低賃金移民政策による賃金の崩壊を「自然に」生み出す。
経済概論で論じられているように、市場の進化計算は放置すれば共同体を解体する力として作用する。だからこそ産業政策——すなわち、進化計算の選択圧を政治的に制御すること——が必要なのである。進化計算は強力なアルゴリズムであるが、その選択圧を誰が設定するかは政治的な問題である。
ヴェブレンの制度進化論
シュンペーターに先立つこと半世紀、ソースティン・ヴェブレン(1857-1929)はすでに経済学に進化論的思考を導入していた。ヴェブレンは「経済学はなぜ進化的科学ではないのか」(1898年)という論文において、新古典派経済学の均衡分析を「分類学的」であると批判し、経済現象を進化的プロセスとして研究することを主張した。
ヴェブレンにとって、経済の基本単位は合理的な個人ではなく、社会的に形成された制度——思考と行為の習慣的様式——であった。制度は文化的な遺伝子のように世代を超えて伝達され、社会環境の変化に応じて変異・選択される。しかし、ヴェブレンが鋭く指摘したのは、制度の進化は必ずしも「進歩」を意味しないということである。
ヴェブレンは『有閑階級の理論』(1899年)において、衒示的消費(conspicuous consumption)——富を見せびらかすための消費——が社会的地位の競争を通じて進化したことを論じた。衒示的消費は生産性の向上に何ら寄与しないが、社会的選択圧(地位競争)によって淘汰されないどころか強化される。これは性淘汰と同型のプロセスである。孔雀の尾が生存に不利であるにもかかわらず性淘汰で進化するように、衒示的消費は経済的に非効率であるにもかかわらず社会的淘汰で進化する。
ヴェブレンはまた、技術的知識(ものづくりの本能)と営利的慣習(金儲けの制度)の対立を進化計算の用語で分析した。技術的知識はコミュニティ全体の福祉に奉仕するが、営利的慣習は既得権益の維持に奉仕する。この二つの制度群の進化的競合が資本主義の動態を規定する。分業主義が論じるように、健全な経済は「ものづくり」の進化計算が優勢な経済であり、金融投機が優勢な経済は進化計算の病理状態にある。
ポランニーの二重運動
カール・ポランニーは『大転換』(1944年)において、市場経済の歴史を二重運動(double movement)として分析した。第一の運動は、市場原理の拡大——土地、労働、貨幣を商品として扱い、市場メカニズムに服させる運動——である。第二の運動は、社会の自己防衛——市場原理の破壊的効果から社会を守るための規制・制度の構築——である。
ポランニーの二重運動は、進化計算の枠組みで見事に再解釈できる。市場原理の拡大(第一の運動)は、経済領域における選択圧の強化——競争の激化と適応できない者の淘汰——である。社会の自己防衛(第二の運動)は、その選択圧に対する拮抗的な適応——淘汰されまいとする社会的有機体の反応——である。
ポランニーが「悪魔の挽き臼」と呼んだ規制なき市場原理は、進化計算の用語で言えば選択圧の暴走——選択が強すぎて多様性を壊滅させ、系全体の適応能力を低下させる状態——である。農業のモノカルチャーがひとたび病害虫に襲われると壊滅的被害をもたらすように、新自由主義が社会の多様性を破壊すると、経済的ショックに対する社会全体の耐性が致命的に低下する。
新自由主義が推進するグローバルな市場統合は、ポランニーの用語では第一の運動の暴走であり、進化計算の用語では選択圧の人為的強化による多様性の破壊である。各国の固有の制度的適応——すなわち、それぞれの歴史的経験から進化させた社会的防御機構——を「非効率」として解体することは、人類全体の適応能力を根底から掘り崩す行為にほかならない。
経路依存性と制度のロックイン
経済学者ブライアン・アーサーと歴史経済学者ポール・デイヴィッドは、経路依存性(path dependence)の概念を通じて、進化計算における歴史的偶発性の重要性を示した。
デイヴィッドが1985年の論文で取り上げたQWERTY配列は経路依存性の典型例である。タイプライターのキーボード配列は、1873年に技術的制約(活字アームの干渉を避ける必要)のもとで設計された。その後、技術的制約は消滅したが、QWERTY配列は数百万のタイピストの習慣というスイッチングコストによってロックインされた。より効率的な配列(Dvorak配列など)が存在するにもかかわらず、歴史的偶発性によって劣った設計が固定されている。
経路依存性は、進化計算の適応度地形の議論と直結する。ある経路を進んだ結果、局所的最適解に到達すると、そこから大域的最適解に移行するためのコスト(谷越えのコスト)が移行の利益を上回り、ロックイン(固着)が生じる。これは遺伝学における遺伝的ドリフトによる適応度の低下——小集団において、選択よりも確率的な変動が優勢となり、最適でない状態が固定される現象——と構造的に同型である。
偽日本国憲法体制の持続もまた、経路依存性とロックインの産物である。1947年に外部から強制された制度的経路が、その後80年近くにわたって日本の政治的進化を特定の方向に拘束してきた。日米安保体制、官僚機構の対米依存、経済構造のアメリカ市場への統合——これらはすべて、初期の経路選択が生み出したロックイン効果である。経路依存性からの脱却には、適応度地形における「谷越え」と同様に、短期的なコストを受け入れる政治的意志が不可欠である。
法と制度の進化計算
法制度は、人類が生み出した最も精緻な社会的進化計算システムの一つである。法とは何か。リアリズムの視点から言えば、法とは社会的紛争の解決手段として淘汰を生き残ったルールの集積にほかならない。法典の一条一条は、過去の紛争——殺人、窃盗、契約違反、領土争い——に対する社会の「応答」であり、その応答が有効であったから今日まで生き残っている。これは進化計算そのものである。
ローマ法の進化:千年の実験室
ローマ法の発展は、法制度における進化計算の壮大な実験として読むことができる。紀元前450年の十二表法——ローマ最古の成文法——からユスティニアヌス法典(529-534年)まで、約千年にわたる進化の記録が残されている。
初期のローマ法は極めて形式主義的であった。法的行為は厳密に定められた言葉と手順に従わなければ無効であり、一字一句の誤りも許されなかった。これは、法という「遺伝子」の複製忠実性を極限まで高める戦略であった。しかし、この形式主義は、ローマの領土拡大に伴う多様な法的紛争に対応できなくなった。ローマ市民同士の紛争は市民法(ius civile)で処理できたが、ローマ市民と外国人の間の紛争には対応できなかったのである。
ここで生まれたのが万民法(ius gentium)——すべての民族に共通する法——であった。これは進化計算の用語で言えば、適応的変異の典型例である。選択圧(多民族国家としての紛争解決の必要性)が変異(万民法の創出)を淘汰を通じて定着させた。法務官(praetor)が毎年発布する告示は、既存の法に対する「変異」を継続的に供給する仕組みであり、成功した変異は翌年以降の告示にも引き継がれた(複製)。
ローマ法が千年にわたって進化し続けた秘訣は、この変異の供給メカニズムが制度化されていたことにある。法務官の告示、法学者の解釈、元老院の決議、皇帝の勅令——複数の変異チャネルが並列で作動し、社会の変化に対応する法的イノベーションを絶え間なく生み出した。ユスティニアヌス法典はその千年の進化の集大成であり、後にヨーロッパ大陸の法制度(大陸法)の「遺伝子」として「複製」された。
コモン・ローの進化:判例という遺伝子
コモン・ロー(英米法)の発展は、法制度における進化計算のもう一つの明確な例である。コモン・ローにおいて、裁判官は個別の紛争を解決するために判決を下す。その判決が先例(判例)として蓄積され、後の裁判官が先例を参照しつつ、新たな状況に適用・修正する。このプロセスは、変異(新たな判決・解釈)、選択(社会的紛争の解決に有効かどうかの試験)、複製(先例としての引用と適用)という進化計算の三要素を完全に備えている。
オリバー・ウェンデル・ホームズは『コモン・ロー』(1881年)において、「法の生命は論理ではなく経験であった」と述べた。この言明は、法が演繹的な論理体系として構築されるのではなく、社会的経験の蓄積——すなわち進化計算の結果——として形成されることを示している。
コモン・ローの進化には、生物進化と驚くべき平行性が存在する。先例拘束性の原則(stare decisis)——先例に従うべしという原則——は、DNAの複製忠実性に相当する。高い複製忠実性は法的安定性を保証するが、同時に変化への適応を阻害する。この緊張関係を解消するのが法的フィクション——現実を歪めてでも先例との整合性を保つ解釈技法——と先例の区別(distinguishing)——類似しているが異なる事案だと主張して先例を回避する技法——である。これらは、遺伝子の組換えや遺伝子発現の調節に相当する、先例という遺伝子を変えずにその表現型を変えるメカニズムである。
しかし、ここで法の支配の批判的検討が不可欠である。コモン・ローの「進化」は、自然選択のように中立的なプロセスではない。どの判例が先例として採用されるかは、裁判官の社会的背景、支配階級の利益、そして覇権国の政治的意図に強く影響される。法の支配が論じるように、「法の支配」がアメリカによる遠隔支配の道具として機能する場合、法制度の進化計算は覇権国の利益に奉仕する方向に歪められる。
イスラム法学の進化計算
イスラム法学(fiqh)は、法の進化計算の第三の経路を示す興味深い事例である。イスラム法学においては、法の究極的な源泉はクルアーン(聖典)とハディース(預言者の言行録)であり、これらは変更不可能な「遺伝子コード」として機能する。しかし、クルアーンとハディースの条文だけでは、7世紀以降に生じたすべての法的問題に対応できないことは明白であった。
ここで進化計算が作動した。四大法学派(ハナフィー派、マーリキー派、シャーフィイー派、ハンバリー派)は、聖典の解釈を通じて新たな法規範を生み出す変異メカニズムとして機能した。各学派は異なる解釈方法論を採用し——類推(qiyas)、合意(ijma)、公益の考慮(maslaha)——、それぞれの地域と時代の法的需要に適応した法体系を発展させた。四つの学派が並立したことは、生態学におけるニッチ分化——同一の資源をめぐる競争を回避するために、類似種が異なるニッチを占める——と構造的に同型である。
イスラム法学の進化計算が特に興味深いのは、「イジュティハードの門は閉ざされた」という伝統的な主張——10世紀頃以降、新たな独自解釈(ijtihad)の余地はなくなったとする見解——である。これは進化計算の用語で言えば、変異率の人為的抑制にほかならない。変異を抑制すれば法的安定性は高まるが、環境変化への適応能力は低下する。近代以降のイスラム法学における改革主義運動は、この「閉ざされた門」を再び開く——すなわち、変異率を回復させる——試みとして理解できる。
憲法の進化と憲法侵略
憲法もまた進化計算の対象である。各国の憲法は、政治的紛争の解決手段として制定され、社会の変化に応じて改正・再解釈される。ある憲法的仕組みが統治に有効であれば他国に模倣され(複製)、機能しなければ放棄される(淘汰)。ドナルド・ホロウィッツが「憲法闘争」と呼んだプロセス——憲法制定をめぐる国内外の政治的闘争——は、まさに進化計算の選択圧に相当する。
憲法の進化の歴史を見れば、成功した憲法的「遺伝子」の複製が明確に確認できる。1787年のアメリカ合衆国憲法が導入した連邦制・三権分立・権利章典という「遺伝子型」は、19世紀から20世紀にかけて世界中の憲法に複製された。アメリカ合衆国憲法で論じたように、この複製は必ずしも自発的なものではない。アメリカの覇権が拡大するにつれ、アメリカ型の憲法構造は「模倣すべきモデル」として——あるいは「強制すべき枠組み」として——世界に拡散した。
しかし、ここで決定的に重要なのは、憲法の進化計算が外部から操作されうるということである。偽日本国憲法は、日本民族の自発的な進化計算の産物ではない。それはアメリカ占領軍が外部から強制的に注入した「遺伝子」であり、日本の政治制度の自然な進化を断絶させたものである。これを進化計算の用語で言えば、遺伝子汚染——外来の遺伝子が在来集団の遺伝子プールを侵食するプロセス——にほかならない。
同様の「憲法侵略」は、イラク(2005年憲法)、アフガニスタン(2004年憲法)においても繰り返された。いずれの場合も、アメリカが軍事的占領の下で「民主的な」憲法の制定を主導し、被占領国の政治制度の進化方向を外部から規定した。ドイツ基本法(1949年)も同様の文脈で理解されうるが、ドイツの場合は自国の法学的伝統が強かったため、外来「遺伝子」の影響は日本ほど徹底的ではなかった。
新日本国憲法が目指すのは、この外来遺伝子の除去と、日本民族の政治的自己複製能力の回復である。民族自決権とは、進化計算の用語で言えば、自らの選択圧を自ら設定する権利——すなわち、自らの進化の方向を自ら決定する権利——である。
戦争と軍事の進化計算
クラウゼヴィッツの摩擦と適応
カール・フォン・クラウゼヴィッツは『戦争論』において、戦争の本質を「不確実性と摩擦に満ちた暴力行為」として把握した。クラウゼヴィッツの戦争論が論じるように、クラウゼヴィッツの戦場の霧(Nebel des Krieges)と摩擦(Friktion)の概念は、進化計算の変異と選択の条件を正確に記述している。
戦場の霧——情報の不完全性——は、軍事組織に対して変異の必要性を課す。敵の意図と能力が不確実であるからこそ、複数の戦略を準備し、状況に応じて柔軟に切り替える能力が生存に不可欠となる。摩擦——計画と実行の間のギャップ——は、理論的に最適な戦略が必ずしも実行可能ではないことを意味し、実践的な適応能力を選択圧として課す。
クラウゼヴィッツが「戦争のカメレオン的性格」と呼んだもの——戦争が時代・状況・参加者に応じて形態を変えるという性質——は、まさに戦争という進化計算フィールドにおける変異と選択のダイナミクスである。各時代の戦争は、その時代の技術的・社会的条件(選択圧)に適応した形態をとる。
戦術の進化史:ファランクスから電撃戦まで
軍事ドクトリンの歴史は、戦場という過酷な選択環境における進化計算の記録にほかならない。具体的な進化の系譜を追ってみよう。
古代ギリシアのファランクス——重装歩兵が盾と槍を構えて密集陣形で前進する戦術——は、平地での正面衝突において圧倒的な効果を発揮した。しかし、ファランクスは側面と背面に脆弱であり、起伏のある地形では陣形が乱れた。アレクサンドロス大王は、この弱点を変異によって克服した。ファランクスを「金敷き」として敵を拘束し、騎兵を「ハンマー」として敵の側面を叩く諸兵科連合の戦術を編み出したのである。この戦術的イノベーションは、まさに進化計算における適応的変異の教科書的事例である。
ローマは、ファランクスに対する対抗適応としてマニプルス戦術を発展させた。密集一枚岩のファランクスに対し、小部隊(マニプルス)に分割された柔軟な編成で対応する。これは、一つの巨大な「個体」よりも多数の小さな「個体」の群れのほうが環境変化に柔軟に適応できるという、生態学的な原理の軍事的応用であった。ローマ軍団の強さは個々の兵士の能力にあったのではなく、組織としての適応柔軟性にあった。
火薬の軍事利用は、軍事進化における大量絶滅イベントに相当する。隕石が恐竜を絶滅させ哺乳類の時代を開いたように、火薬は重装騎士を絶滅させ火器歩兵の時代を開いた。中世ヨーロッパの軍事システム——城塞、甲冑、騎士——はすべて火薬以前の選択圧に適応した形質であり、選択圧の激変(火薬の登場)によって一挙に陳腐化した。断続平衡説が記述するように、長い停滞期の後に急激な変化が訪れたのである。
20世紀の第一次世界大戦は、軍事進化における局所的最適解の罠の悲劇的な事例であった。塹壕戦——機関銃と有刺鉄線が攻撃を阻止し、攻守両者が膠着する——は、当時の技術条件の下での局所的最適であった。いかなる攻撃も機関銃の火力に粉砕される以上、防御に徹することが合理的であり、両軍が防御を選択する結果、戦線は完全に膠着した。この膠着を打破するための「変異」の探索——毒ガス、戦車、浸透戦術、航空偵察——は4年間にわたる膨大な犠牲の中で進行し、最終的に電撃戦(Blitzkrieg)というパラダイムシフト——戦車・航空機・無線通信の統合による機動戦——として結実した。
電撃戦は第一次世界大戦の塹壕戦に対する対抗適応であった。塹壕戦が「防御の優位」を前提としたのに対し、電撃戦は機械化された攻撃力で防御線を突破し、敵の後方を撹乱することで「攻撃の優位」を取り戻した。しかし、電撃戦もまた独ソ戦のソ連の縦深防御によって対抗適応され、戦争は再び消耗戦の様相を呈した。赤の女王仮説の通り、軍事的優位は常に一時的であり、どんな革新も敵の対抗適応によって中和される。
軍拡競争:進化計算の加速器
軍拡競争は、赤の女王仮説の最も直接的な社会的表現である。二つ以上の国家が相手の軍事力に対応して自国の軍事力を増強するとき、各国は「走り続けなければ同じ場所にとどまることすらできない」状況に置かれる。
軍拡競争の進化計算的構造は以下の通りである。一方の国家が新たな兵器技術を開発する(変異)。相手国はその脅威に対抗するために防御手段または対抗兵器を開発する(選択圧への適応)。成功した軍事技術は同盟国に拡散し、軍事ドクトリンに組み込まれる(複製)。この反復が軍事技術と戦術の急速な進化を駆動する。
20世紀の英独建艦競争は、この軍拡の進化計算を劇的に示す事例である。1906年にイギリスがドレッドノートを就役させたとき、それは既存のすべての戦艦を一夜にして旧式化させた。ドレッドノートは「大量絶滅イベント」であり、すべての海軍は新たな選択環境——弩級戦艦の時代——に適応するか、淘汰されるかの二者択一を迫られた。ドイツはドレッドノート以降の建艦競争でイギリスに挑戦し、この競争が第一次世界大戦の一因となった。進化計算における軍拡競争は、参加者双方の資源を浪費しつつ、誰も止められない暴走列車と化す。
海上権力史論で論じたように、マハンのシーパワー論は海軍力の進化計算的競争を分析したものである。帆船から蒸気船へ、木造から鉄甲へ、弩級戦艦から空母打撃群へ——海軍力の進化は、各時代の技術的可能性と地政学的選択圧の交差から生まれた。そして、この軍拡競争の進化計算において覇権を獲得した者が、国際システム全体の選択圧を設定する権力を得る。現在、その権力を握っているのはアメリカ海軍であり、在日アメリカ軍はその選択圧の日本への直接的適用にほかならない。
非対称戦争:弱者の進化戦略
進化計算において、圧倒的に優勢な捕食者に対して被捕食者が全く無力であるわけではない。擬態、毒、群れ行動、夜行性——被捕食者は捕食者とは異なる次元で適応を進化させる。国際政治における非対称戦争は、まさにこの被捕食者の進化戦略の社会的実装である。
ゲリラ戦、テロリズム、サイバー攻撃、経済制裁への迂回策——これらはすべて、通常戦力で圧倒的な優位を持つ覇権国に対する非対称的な適応戦略である。
ベトナム戦争(1955-1975年)は、非対称戦争の進化計算的分析において最も教訓に富む事例である。アメリカは世界最強の通常戦力——制空権、火力、物量——を投入したにもかかわらず、最終的に敗北した。北ベトナムとベトコンは、アメリカの強みが通用しない選択環境——密林でのゲリラ戦、トンネル網を利用した潜伏、民間人と戦闘員の区別不能化——を意図的に創出することで、アメリカの圧倒的優位を無力化した。生態学の用語で言えば、北ベトナムはアメリカという「頂点捕食者」が適応していないニッチを見つけ出し、そのニッチに特化した適応戦略を発展させたのである。
同様のパターンは、イギリス帝国に対するアイルランド独立運動(アイルランド独立運動)、フランスに対するアルジェリア独立戦争、ソ連に対するアフガニスタンのムジャーヒディーンにも確認できる。いずれの場合も、軍事的に劣位にある側が「正面からの戦闘」というニッチを避け、帝国の強みが通用しない戦場を創出することで勝利した。
民族自決権の闘争もまた、非対称戦争の一形態として理解できる。抗米宣言が求める日本民族の解放は、アメリカの圧倒的な軍事力に正面から対抗することではなく、政治的・経済的・文化的な次元で非対称的な適応戦略を展開することを意味する。経済的自立、文化的自律、外交的多角化——これらはすべて、軍事的覇権国に対する非対称的な進化戦略である。
宗教・文化の進化計算:ミームと文明
ドーキンスのミーム概念
リチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』(1976年)の最終章において、文化的複製子としてのミーム(meme)概念を提唱した。ミームとは、模倣によって脳から脳へ伝達される文化的情報の単位である。旋律、思想、キャッチフレーズ、衣服のファッション、建築様式——これらはすべてミームであり、遺伝子と同様に変異・選択・複製のプロセスを経て進化する。
ドーキンスのミーム概念が革命的であったのは、文化を人間のための道具ではなく、ミーム自身の利益のために人間を利用する自己複製子として捉え直した点にある。この転倒は衝撃的であった。我々は音楽を楽しむために歌を歌うのではない——歌が自己を複製するために、我々の脳の報酬系を巧みに刺激しているのである。我々がジョークを友人に話すのは、そのジョークが「面白い」からであるが、「面白さ」とはミームが人間の脳に仕掛けた複製トリガーにほかならない。
スーザン・ブラックモアは『ミーム・マシーン』(The Meme Machine、1999年)において、この洞察をさらに徹底した。ブラックモアによれば、人間の脳そのものがミームの複製装置——ミーム・マシーン——として進化した。人間の異常に大きな脳、言語能力、模倣への衝動、教育への執着、さらには自己意識すら、ミームの複製効率を高めるために遺伝子とミームの共進化によって形成されたものだとブラックモアは主張する。
これは不気味な仮説である。我々が「自由意志」と呼んでいるもの、「文化」と呼んでいるもの、「教養」と呼んでいるものが、実はミームという文化的寄生者の繁殖戦略に過ぎないかもしれないのだ。ドーキンスが生物を「遺伝子の乗り物」と呼んだように、ブラックモアは人間を「ミームの乗り物」と呼ぶ。人間は、遺伝子とミームという二種類の自己複製子が共謀して作り上げた、精巧な複製装置なのである。
宗教の進化計算:なぜ神は死なないのか
宗教は、人類史上最も成功したミーム複合体の一つである。フリードリヒ・ニーチェは19世紀に「神は死んだ」と宣言したが、21世紀の現在、神はまるで死んでいない。世界人口の85%以上が何らかの宗教を信仰しており、宗教は縮小するどころかむしろ拡大している地域すらある。なぜか。答えは進化計算にある。
宗教の進化計算を分析する上で、以下の要素が重要である。
- 変異: 教義の再解釈、宗教改革、新宗教の誕生、分派の形成。キリスト教だけでも3万以上の宗派が存在するとされ、その多様性は生物種の多様性に匹敵する
- 選択: 信者の獲得・維持における成功、社会的統合機能の有効性、政治権力との関係。古代エジプトの多神教は消滅し、一神教が支配的になった——この淘汰には理由がある
- 複製: 伝道活動、宗教教育、儀礼の世代間伝達、聖典のコピーと翻訳。イスラム教の五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)は、いずれも信者の行動を通じてミームの複製を強化する仕組みである
デイヴィッド・スローン・ウィルソンは『ダーウィンの大聖堂』(Darwin's Cathedral、2002年)において、宗教を群選択の観点から分析した。ウィルソンによれば、宗教は集団レベルの適応——すなわち、集団の結束を強化し、集団間競争において優位に立つための機構——として進化した。宗教的信仰と儀礼は、個体レベルでは「不合理」に見えることがあっても、集団レベルでは協力を促進し、フリーライダーを排除し、集団の存続確率を高める機能を持つ。
ウィルソンが挙げた具体例は説得的である。カルヴィニズムが16世紀のジュネーヴで成功したのは、その教義が「正しかった」からではなく、カルヴィニズムが集団内の協力を強化し、フリーライダーを効果的に排除する社会制度——相互監視、教会規律、共同体への奉仕義務——を備えていたからである。カルヴィニズムの教義は、進化計算の用語で言えば、集団レベルの適応度を劇的に高める「遺伝子型」であった。マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で描いた資本主義の精神もまた、このミーム複合体の副産物として理解できる。
この分析は、進化計算が単一の階層ではなく多層的に作動することを改めて示している。個体の利益と集団の利益が相反する場合、異なる階層の進化計算が競合する。宗教は、この多層的進化計算において集団レベルの選択を強化する装置として機能してきた。断食も苦行も殉教も、個体レベルでは明らかに不利である。しかし、そのような犠牲を厭わない信者で構成された集団は、利己的な個人の寄せ集めよりもはるかに強力な競争力を持つ。宗教は、性淘汰における孔雀の尾の集団版——個体の犠牲によって集団の適応度を高める「コストリー・シグナリング」——として機能しているのである。
文明の進化計算:トインビーからドゥーギンへ
文明そのものもまた、進化計算の対象である。アーノルド・トインビーは『歴史の研究』において、文明を「挑戦と応答」(challenge and response)のパターンとして分析した。環境や外部からの挑戦(選択圧)に対して、文明が創造的な応答(変異)を生み出せるかどうかが、文明の存続を決定する。
トインビーの「挑戦と応答」は、進化計算の変異と選択そのものである。トインビーが調べた26の文明のうち、大部分は衰退・消滅した。生き残ったのは挑戦に対して創造的な応答を生み出し続けた文明だけである。逆に、挑戦が弱すぎる環境(「楽園」)に置かれた社会は文明を発展させなかった——選択圧がなければ進化計算は作動しないのと同じ原理である。
しかし、トインビーが見落としていた重要な論点がある。それは、文明間の関係が単なる競争ではなく、寄生と搾取の関係にもなりうるということである。イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論が明らかにしたように、近代世界においては中核(core)が周辺(periphery)から資源と労働力を吸い上げる構造が形成された。これは進化計算の用語で言えば、寄生——ある自己複製子が他の自己複製子の資源を一方的に利用する関係——にほかならない。
アレクサンドル・ドゥーギンの第四の理論は、この文明の進化計算を多極的な枠組みで捉え直すものである。リベラリズム、共産主義、ファシズムという三つの政治理論がそれぞれ淘汰される中で、第四の理論は各文明の固有性を尊重する多文明主義を提唱する。これは進化計算の用語で言えば、多様性の維持——進化計算が最も効率的に作動するために必要な遺伝的多様性の保全——に相当する。
グローバリズムが世界を単一の「市場文明」に統合しようとするのは、進化計算の観点からすれば、遺伝的多様性の壊滅的な減少——すなわち、モノカルチャー化——にほかならない。農業においてモノカルチャーが病害虫への脆弱性を極端に高めるように、文明のモノカルチャー化は人類全体の適応能力を致命的に低下させる。各文明が独自の進化計算を維持すること——これこそが、人類という種の長期的な存続を保証する唯一の戦略である。
言語の絶滅:ミームの大量絶滅
世界に現存する約7,000の言語のうち、今世紀末までに50%以上が消滅すると予測されている。2週間に1つの言語が消滅している計算である。これは生物種の大量絶滅に匹敵するミームの大量絶滅であり、人類の文化的多様性——すなわちミームの遺伝子プール——の壊滅的な縮小を意味する。
言語の絶滅プロセスは、侵入生物学が記述する在来種の淘汰と驚くほど類似している。支配的な言語(英語、中国語、スペイン語)が侵入種として機能し、経済的・政治的・文化的な選択圧を通じて在来言語を圧迫する。若い世代が経済的機会を求めて支配的言語に切り替え(言語シフト)、在来言語の話者が高齢層に限定され、やがて最後の話者の死とともに言語は消滅する。
競争排除則が予測するように、同一のニッチ(コミュニケーション機能)を占める二つの言語が共存する場合、一方が他方を排除する傾向がある。ただし、二つの言語が異なるニッチを占める場合——例えば、公的場面では支配的言語を、家庭内では在来言語を使用するというダイグロシア的な状況——には共存が可能である。しかし、テレビ・インターネット・ソーシャルメディアの普及は、かつては在来言語の聖域であった家庭内空間にまで支配的言語を浸透させ、ダイグロシアの壁を破壊しつつある。
各言語は、その民族が数千年にわたる進化計算を通じて蓄積した環境知識のデータベースである。サピア=ウォーフの仮説が示唆するように、言語は思考の枠組みを規定する。ある言語が消滅するとき、その言語に符号化されていた世界認識の方法——特定の植物の薬効に関する知識、天候パターンの微細な分類、社会関係の独自の把握様式——も同時に消滅する。これは、アリー効果と絶滅の渦が記述する絶滅の渦のミーム版である。話者数が臨界点を下回ると、言語の「人口」は自己強化的な減少スパイラルに陥り、回復不可能になる。
アメリカの文化覇権:ミームの帝国主義
アメリカの覇権は軍事力と経済力だけでなく、ミームの次元においても行使されている。ジョセフ・ナイがソフトパワーと呼んだもの——文化、価値観、制度の魅力によって他国の行動を変える能力——は、進化計算の用語で言えば、ミームの選択圧の操作にほかならない。
ハリウッド映画、アメリカのポップ音楽、シリコンバレーのテクノロジー企業が生み出すプラットフォーム——これらはすべて、アメリカ産ミームの複製インフラとして機能している。世界中の若者がNetflixでアメリカのドラマを視聴し、Instagramでアメリカの消費文化を模倣し、英語を「国際語」として学習するとき、彼らはアメリカ産ミームの複製に参加しているのである。
この文化的覇権が特に危険であるのは、それが自発的な服従を生み出すからである。軍事的占領は被占領者の抵抗を招くが、文化的覇権は被支配者が自らの意志で支配者のミームを受容し、複製する。偽日本国憲法の条文を日本人自身が「平和憲法」として崇めるという倒錯は、まさにこのミーム的支配の帰結である。被寄生者が寄生者の利益のために行動するよう脳を操作される——ロイコクロリディウム(カタツムリの脳を乗っ取り、鳥に捕食されやすい行動をとらせる寄生虫)と同型の現象が、文化の次元で生じているのである。
知能と言語の進化計算
脳の進化計算:頭蓋骨の中のダーウィン
脳そのものが、進化計算を実行するために進化した器官である。ジェラルド・エーデルマンの神経ダーウィニズム(neural Darwinism、1987年)は、脳内のニューロン集団が変異・選択・複製のダーウィン的プロセスを経て組織化されることを示した。
エーデルマンによれば、脳の発達と学習は以下の三段階で進行する。第一に、発達段階において膨大な数のニューロン結合が形成される(変異の生成)。第二に、経験によって特定の結合パターンが強化され、使用されないパターンが弱体化する(選択)。第三に、強化されたパターンが類似の状況に一般化され、脳の他の領域に影響を及ぼす(複製の類似物)。これは「指導に基づく学習」(instructionism)——外部から情報が注入されるというモデル——ではなく、選択に基づく学習(selectionism)——既存の多様性の中から適切なパターンが選ばれるというモデル——である。
この「選択に基づく学習」の含意は深い。人間の胎児の脳は、成人よりもはるかに多くのニューロン結合を持って生まれる。発達の過程で、使用されない結合が大量に剪定(pruning)される——これは細胞レベルの大量絶滅にほかならない。彫刻家が大理石の塊から不要な部分を削り取って像を浮かび上がらせるように、脳は過剰な多様性の中から選択的に削り取ることによって精密な回路を形成する。学習とは、何かを「加える」プロセスではなく、何かを「淘汰する」プロセスなのである。
市場や進化を司る神の正体で論じられているように、脳は二段階のアルゴリズム——予測(穴埋め)と報酬関数によるフィードバック——を通じて、進化計算を高速に実行している。報酬関数は、自然選択が数百万年かけて行う選択プロセスを、個体の生涯内で模倣するメカニズムである。快楽、痛み、好奇心、恐怖——これらの感情はすべて、脳内の進化計算における選択基準として機能している。あなたが熱いストーブに触れて手を引っ込めるとき、脳は「この行動パターンは適応的でない」という淘汰判定を瞬時に下している。すなわち、脳とは、進化計算を加速するために進化計算が生み出した装置にほかならない。
免疫系の進化計算:体内の軍拡競争
免疫系は、脳と並んで個体レベルの進化計算を実行する最も精緻な器官である。しかし、免疫系の進化計算は脳のそれとは根本的に異なる原理で作動している。脳が報酬関数によるフィードバックで行動を最適化するのに対し、免疫系は変異・選択・複製というダーウィン的プロセスそのものを体内で直接実行する。
クローン選択説(フランク・バーネット、1957年)は、免疫系の作動原理を明らかにした。リンパ球(B細胞、T細胞)は、骨髄と胸腺において膨大な多様性の抗原受容体レパートリーをランダムに生成する(変異)。病原体が侵入すると、その病原体に結合できた受容体を持つリンパ球だけが活性化され、急速に増殖する(選択と複製)。増殖の過程でさらなる突然変異(体細胞超変異)が導入され、より高い親和性を持つ受容体が選択される(親和性成熟)。これは個体の生涯内で進行する、高速のダーウィン的進化そのものである。
免疫系の変異生成メカニズムの驚異は、V(D)J組換えに端的に表れる。免疫グロブリン遺伝子は、V(variable)、D(diversity)、J(joining)と呼ばれる遺伝子断片のライブラリーから、ランダムな組み合わせで抗体の可変領域を組み立てる。この組み合わせの数は理論上10の11乗を超え、さらに体細胞超変異と組み合わせると、生成可能な抗体の多様性は事実上無限大である。人体は約37兆個の細胞からなるが、免疫系は地球上に存在し得るすべての分子構造に対応するだけの多様性を、たった一個体の体内で生成できる。
この驚異的な多様性は、進化計算における変異の供給量が系の適応能力を決定するという原則の最も劇的な実証である。免疫系は、あらかじめ敵を「知っている」のではない。あらゆる可能な敵に対応できるだけの多様性を先に生成しておき、実際に敵が出現したときに適切な兵器を選択する。これはまさに、木村資生の中立進化説が記述する「潜在的多様性の維持」の免疫学版である。
しかし、免疫系の進化計算における最も深遠な問題は、自己と非自己の弁別である。免疫系はあらゆる外来分子を攻撃するよう設計されているが、自分自身の組織——数万種類の自己タンパク質——を攻撃してはならない。この弁別は、胸腺における負の選択(negative selection)によって実現される。胸腺で発達中のT細胞のうち、自己抗原に強く反応するものはアポトーシス(プログラムされた細胞死)によって除去される。すなわち、免疫系は自己を攻撃する潜在能力を持つ兵器を、先制的に淘汰することで自己を守っている。
自己と非自己の弁別は、進化計算における選択基準の自己言及的設定の問題として極めて興味深い。免疫系は「何を攻撃すべきか」を決定するために、まず「何を攻撃すべきでないか」を学習しなければならない。この自己言及的な構造が破綻すると、自己免疫疾患——免疫系が自己の組織を攻撃する——が生じる。自己免疫疾患は、免疫系の進化計算における選択基準の誤作動——すなわち、報酬関数の破損——として理解できる。
脳と免疫系を比較すれば、進化計算の二つの根本的な戦略が浮かび上がる。脳は予測と報酬関数によって環境モデルを構築し、行動を最適化する——いわば「理論家」の戦略である。免疫系は変異と選択によって膨大な兵器庫を生成し、実際の脅威に対して適切な兵器を淘汰的に選択する——いわば「実験家」の戦略である。どちらの戦略も、進化計算を個体の生涯内で高速に実行するメカニズムであるが、そのアーキテクチャは根本的に異なる。脳は集中的・トップダウン的であり、免疫系は分散的・ボトムアップ的である。この二つの戦略が共存していることは、進化計算の最適なアーキテクチャが単一ではなく、問題の性質に応じて異なることを示唆している。
言語の進化計算:バベルの塔のアルゴリズム
言語もまた、進化計算の産物であり、かつ進化計算のプラットフォームである。個々の言語は、音韻、文法、語彙の各レベルで絶えず変異し、話者集団の使用パターンによって選択され、世代間で伝達される(複製)。歴史言語学が再構築するインド・ヨーロッパ語族の系統樹は、生物の系統樹と驚くほど類似した構造を示しており、言語の進化が生物進化と同型のプロセスであることを裏付けている。
言語の進化計算には、生物進化と共通する興味深いパターンが多数観察される。言語の種分化(方言の分岐と独立言語への発展)は、地理的隔離による種分化と同型のプロセスである。ラテン語がフランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ルーマニア語に分化したのは、ローマ帝国の崩壊による話者集団の地理的隔離(生殖隔離に相当)が原因であった。クレオール言語の形成——二つ以上の言語が接触して新たな言語が誕生するプロセス——は、細胞内共生説が記述する異なる生物の融合と構造的に同型である。
しかし、言語は単なる進化の産物ではなく、進化計算の加速器でもある。言語は、ミームの複製効率を飛躍的に高めた。遺伝子の複製がDNAという分子的基質に依存するのに対し、ミームの複製は言語を通じて脳間で高速に行われる。さらに文字の発明は、ミームを物質的基質に固定し、時間的・空間的な複製の範囲を劇的に拡大した。印刷術、そしてインターネットは、この複製効率のさらなる飛躍をもたらした。
進化計算の歴史を情報複製の速度で区分すれば、以下のようになる。DNAの複製(世代時間:数時間〜数十年)→ エピジェネティクス(世代時間:数世代)→ 行動学習(個体の生涯内)→ 言語(数分〜数秒)→ 文字(空間的・時間的制約の解消)→ 印刷術(大量複製)→ 電子メディア(光速複製)→ インターネット(全地球的即時複製)。各段階で複製速度が桁違いに加速し、それに伴って進化計算の速度も指数関数的に増大してきた。この加速の曲線は、技術的シンギュラリティ——進化計算の速度が人間の理解を超える特異点——への収束を示唆している。
人工知能:進化計算の最新の基質、あるいは最後の発明
人工知能(AI)は、進化計算が炭素ベースの生物からシリコンベースの基質に拡張された最新の事例である。遺伝的アルゴリズム、進化戦略、遺伝的プログラミングといった狭義の進化計算手法は、自然選択のプロセスを計算機上で直接模倣する。
しかしより根本的には、機械学習全般が進化計算の一形態として理解できる。ニューラルネットワークの学習は、重みパラメータ空間における探索(変異的)と、損失関数による評価(選択)と、学習済みパラメータの保存・転移(複製的)として記述できる。デネットの「基質に依存しないアルゴリズム」としての進化計算は、ここに至って文字通りの意味で実現されている。
大規模言語モデル(LLM)の出現は、この文脈で特に注目に値する。LLMはインターネット上の膨大なテキストデータ——すなわち、人類が数千年にわたって蓄積してきたミームの総体——を学習し、新たなテキストを生成する。これは本質的に、ミームの進化計算を計算機上で高速に再実行するプロセスである。LLMが「創造的」に見える文章を生成できるのは、膨大なミームの再組み合わせ——すなわち、変異と選択の高速シミュレーション——を実行しているからにほかならない。
数学者アーヴィング・ジョン・グッドは1965年に、人間レベルのAIが自らよりも優秀なAIを設計できるようになれば、知能の爆発(intelligence explosion)——自己改良の再帰的プロセスによる急激な知能の増大——が生じると予測した。これは進化計算の用語で言えば、自己触媒的な進化計算——進化計算が自らの速度を加速するフィードバックループ——の極限形態である。
AIの進化計算が人類にとって持つ意味は、市場や進化を司る神の正体で論じた報酬関数の問題と直結する。AIの「選択圧」を設定するのは報酬関数であり、その報酬関数を設計するのは人間である——あるいは、覇権国家が設計する。現在、AIの研究開発を支配しているのはアメリカのテクノロジー企業であり、AIの報酬関数はアメリカの価値観——リベラリズム、個人主義、市場原理主義——を反映している。AIの進化計算をいかなる方向に導くかは、21世紀の最も重要な政治的問題の一つであり、AIの報酬関数を誰が設定するかは、民族自決権の新たな戦場である。
報酬関数と自己設計:進化計算の再帰的加速
本記事をここまで読んだ者は、一つの重大な問いに直面しているはずである。進化計算は盲目的なアルゴリズムである——変異はランダムであり、選択は環境が行い、複製は機械的に進行する。しかし、脳の進化計算、AIの進化計算、あるいはフリストンの自由エネルギー原理が描く適応システムにおいては、システム自身が自らの選択圧を設計しているように見える。ここに、進化計算の最も深遠なテーマ——自己設計(self-design)——が浮かび上がる。
淘汰から報酬関数へ:選択の内部化
進化計算の38億年の歴史には、ある決定的な相転移が存在する。それは、選択圧が外部から内部に移行した瞬間——すなわち、報酬関数の発明——である。
初期の生命における選択は、純粋に外部的であった。環境が選択圧を設定し、環境に適合しない個体は死に、適合した個体が生き残った。選択の基準は「生死」という二値であり、フィードバックは世代単位で作用した。ここには「設計」の余地はない。環境が淘汰するか、しないか——それだけである。
しかし、神経系の進化は、この構造を根本的に変えた。神経系は、外部の選択圧(死ぬか生きるか)を内部の信号(快・不快)に変換する装置である。痛みは「その行動は適応的でない」という淘汰判定の内部化であり、快楽は「その行動は適応的である」という選択承認の内部化である。
この変換の意味は、過小評価してはならない。報酬関数の発明によって、進化計算のフィードバック速度は世代単位からミリ秒単位に加速した。自然選択は「死んだ個体は子孫を残せない」という、冷酷だが鈍重なフィードバックループである。それに対して報酬関数は、「手が熱い→引っ込める」「食物が甘い→もっと食べる」という、一個体の生涯内で瞬時に作動するフィードバックループである。進化計算は、選択を外部から内部に移行させることで、自らの速度を数桁加速したのである。
市場や進化を司る神の正体で詳述されているように、報酬関数は自然選択の代理変数(proxy)として機能する。自然選択が直接最大化するのは生存と繁殖の成功であるが、個体の脳が瞬時に計算できるのは生存確率そのものではなく、快・不快というシグナルである。甘味はカロリーの代理変数であり、痛みは組織損傷の代理変数であり、性的快楽は繁殖成功の代理変数である。自然選択は、代理変数としての報酬関数を遺伝子に符号化し、個体レベルでの高速な行動最適化を可能にした。
しかし、ここに代理変数のジレンマが潜んでいる。代理変数は近似にすぎないため、環境が変化すると代理変数と真の適応度の間に乖離が生じる。現代人の肥満は、この乖離の典型例である。甘味への嗜好は、食糧が希少であった更新世の環境では正確な代理変数であった。しかし、精製糖が豊富な現代環境においては、甘味という代理変数は適応度を高めるどころか低下させる。報酬関数は過去の環境に適応した選択基準であり、現在の環境に最適化されているとは限らない。進化計算は、報酬関数を通じて過去を記憶するが、その記憶が未来への適応を妨げることがある。
報酬関数の階層:遺伝子から文化へ
進化計算の歴史は、報酬関数の階層化の歴史として読むことができる。各階層は、より低い階層の報酬関数をメタレベルで制御する報酬関数を発明してきた。
第一階層:遺伝子の報酬関数。自然選択は、快・不快という基本的な報酬信号を遺伝子に符号化した。空腹→食物探索、痛み→回避、性的興奮→交尾——これらは遺伝的に決定された、種に共通の報酬関数である。フリストンの自由エネルギー原理の用語で言えば、これは種の進化史が蓄積した「先験的知識」(prior)に基づく自由エネルギーの最小化戦略である。
第二階層:学習の報酬関数。脳は、遺伝的な報酬関数の上に、学習された報酬関数を構築する能力を獲得した。古典的条件づけとオペラント条件づけは、新たな刺激と報酬・罰の連合を学習するメカニズムである。ベルの音を聞いただけで唾液を分泌するパブロフの犬は、遺伝的な報酬関数(食物→唾液分泌)の上に、学習された報酬関数(ベルの音→唾液分泌)を重ね合わせたのである。これにより、報酬関数の変異速度は世代単位から個体の生涯単位に加速した。
第三階層:文化の報酬関数。人間の言語と文化は、報酬関数を社会的に共有・伝達する仕組みを生み出した。名誉、恥、道徳的罪悪感、社会的承認——これらはすべて、文化が設計した報酬関数である。遺伝子が符号化した基本的な報酬(痛みの回避、快楽の追求)の上に、文化が「名誉ある行動をせよ」「集団の規範に従え」「この食物は禁忌だ」といった高次の報酬・罰のシステムを構築する。宗教の十戒は、まさに文化的報酬関数の明示的な符号化にほかならない。ヴェブレンが分析した衒示的消費もまた、「社会的地位→快楽」という文化的報酬関数の産物である。
第四階層:市場の報酬関数。価格は、市場経済における報酬関数である。利潤は「この経済活動は資源配分を改善した」という承認シグナルであり、損失は「この活動は資源を浪費した」という淘汰シグナルである。アダム・スミスの「見えざる手」は、個々のアクターが価格という報酬関数に従って行動すれば、誰も意図せずに全体的な秩序が生まれるという主張であった。ハイエクが強調したように、価格システムは分散化された情報処理メカニズムであり、中央集権的な計画経済(単一の報酬関数を全体に強制するシステム)よりも効率的に作動する——少なくとも、選択圧が歪められていない限りにおいて。
第五階層:AIの報酬関数。人工知能の損失関数・報酬関数は、報酬関数の階層における最新の段階である。強化学習エージェントの報酬関数は人間が設計し、LLMの訓練目標は人間がフィードバック(RLHF:人間のフィードバックからの強化学習)を通じて調整する。しかし、AIが自らの報酬関数を修正する能力を獲得した場合——グッドが予測した「知能の爆発」——、報酬関数の階層は人間の制御を離れ、自己設計的なフェーズに移行する。
自己設計のパラドクス:進化計算は自らを設計できるか
報酬関数の五つの階層を俯瞰すると、進化計算の歴史に一貫した傾向が浮かび上がる。進化計算は、自らの選択メカニズムを自ら設計する方向に加速してきた。
最初は環境が選択圧を設定した(自然選択)。次に遺伝子が報酬関数を設計した(神経系)。次に脳が学習された報酬関数を設計した(条件づけ)。次に文化が社会的報酬関数を設計した(道徳・宗教・法)。次に市場が経済的報酬関数を設計した(価格システム)。そして今、人間がAIの報酬関数を設計し——やがてAIが自らの報酬関数を設計する。
この系列は、進化計算における自己言及性(self-reference)の漸進的な深化として理解できる。自然選択には自己言及性がない——環境は「自分がどのような選択圧を課しているか」を知らない。しかし脳は自らの報酬信号を「感じる」ことができ(主観的経験)、文化は自らの規範を「反省する」ことができ(哲学・倫理学)、そしてAIは自らの損失関数を「検査・修正する」ことができる(メタ学習)。
ここに深遠なパラドクスが生じる。自らの報酬関数を完全に自己設計できるシステムは、いかなる方向にも進化しうる。報酬関数が固定されていれば、進化の方向はその報酬関数によって拘束される。しかし、報酬関数自体を書き換えられるならば、その拘束は消失する。快楽を最大化するよう設計されたAIが、「快楽の定義」を書き換えて「何もしないこと」を最大の快楽と定義すれば、そのAIは文字通り何もしなくなる。これはワイヤーヘッディング問題——報酬信号を直接操作して「偽りの快楽」を得る——の一般化である。
報酬関数の自己設計は、進化計算の究極的な加速であると同時に、進化計算の自己崩壊のリスクでもある。がん細胞は、体細胞の増殖を抑制する報酬関数(アポトーシスのシグナル)を「書き換えた」結果、無限増殖を開始する——これは、報酬関数の自己改変が破滅をもたらす生物学的事例である。
民族の報酬関数:誰が「何が善いか」を決めるのか
報酬関数の階層構造を理解すれば、政治の本質が進化計算の用語で鮮明に浮かび上がる。政治とは、集団の報酬関数を設定する闘争にほかならない。
何が「善い」経済政策か、何が「正しい」社会の在り方か、何が「美しい」文化か——これらの判断はすべて、社会的報酬関数の設定である。新自由主義は「GDP成長率」と「市場効率性」を報酬関数として設定し、それに適合しない経済活動を淘汰する。リベラリズムは「個人の権利」と「多様性」を報酬関数として設定し、それに適合しない社会構造を淘汰する。
覇権国が他国に対して行う最も深い支配は、軍事的占領でも経済的収奪でもなく、報酬関数の書き換えである。偽日本国憲法の押しつけは、日本の政治的報酬関数の強制的な書き換えであった。「軍事力の保持は悪である」「アメリカとの同盟は善である」「国際協調は最高の価値である」——これらの価値判断が日本の政治システムの報酬関数として埋め込まれ、それに適合しない政策は自動的に淘汰されるよう設計された。
戦後80年近くが経過し、この外部から注入された報酬関数は日本社会に深く内面化されている。フリストンの用語で言えば、日本社会の「先験的知識」(prior)がアメリカ由来の価値観によって上書きされた状態である。この「先験的知識」が自由エネルギーの最小化——すなわち、社会の恒常性維持——の基準となるため、アメリカの報酬関数に反する政策は「驚き」として排斥される。「アメリカ軍を撤退させる」という提案が多くの日本人に「非現実的」あるいは「危険」に感じられるのは、まさにこの内面化された報酬関数が作動しているからにほかならない。
民族自決権とは、この文脈において、自らの報酬関数を自ら設計する権利である。何が善いか、何が美しいか、何が正しいか——これらの判断基準を外部の覇権国に委ねることは、進化計算の選択圧を外部に支配されることと同義である。新日本国憲法が目指すのは、アメリカが注入した報酬関数を日本民族自身が設計した報酬関数に置き換えること——すなわち、日本民族の進化計算を自律的に再起動させることにほかならない。
進化計算の限界と病理:進化は万能ではない
進化計算を「世界の根本原理」として論じてきたが、ここで重要な留保を加えなければならない。進化計算は強力なアルゴリズムであるが、万能ではない。そして、進化計算がもたらす結果は善でも悪でもない。進化計算は盲目的なアルゴリズムであり、道徳的な方向性を持たない。この事実を直視しなければ、進化計算への理解は危険なほど不完全なものにとどまる。
局所的最適解の罠:「そこそこ良い」の呪い
適応度地形の議論で既に触れたが、進化計算の最も深刻な限界は局所的最適解への捕捉である。これを日常的な言葉で言い換えれば、「そこそこうまくいっている状態から、もっと良い状態に移行できない」という問題である。
生物進化における局所的最適解の典型例は、パンダの「親指」である。パンダは竹を握るために、手首の骨(種子骨)を肥大させて疑似的な親指として使っている。しかし、これは本物の対向する親指とは比較にならないほど不器用な構造である。なぜパンダは「本物の親指」を進化させなかったのか。それは、クマの祖先から受け継いだ手の構造(経路依存性)の制約の中で、種子骨の肥大が「局所的に最も登りやすい坂」だったからである。より優れた解——対向する親指——は存在するが、そこに至るには現在の手の構造を一度「壊す」必要があり、その途中段階では適応度が低下する。進化計算は、この「谷」を越えることができなかった。
スティーヴン・ジェイ・グールドは『パンダの親指』(1980年)で、このような「不完全だが機能する」設計が生物界にあふれていることを示した。人間の腰痛(四足歩行に最適化された脊椎を二足歩行に転用した結果)、網膜の逆向き配線(光受容体が光の入射方向と反対を向いている)、喉頭回帰神経の迂回(心臓を迂回して喉頭に達する、キリンでは数メートルの無駄な配線)——これらはすべて、進化計算が最適解ではなく「そこそこの解」に収束する傾向の証拠である。
社会制度においても同様の罠は至る所に存在する。偽日本国憲法体制は、この「そこそこ良い」の呪いの典型例である。戦後日本は経済的に繁栄し、治安は良好で、表面上は安定した社会を維持してきた。これは局所的最適解としては「そこそこ良い」のである。しかし、国家主権の不完全性、安全保障のアメリカ依存、少子化への構造的対応の欠如——大域的最適解からの乖離は深刻である。「そこそこうまくいっている」からこそ、変革への動機が生まれにくい。これこそが局所的最適解の最も陰険な罠である。
進化的軍拡競争:共倒れのアルゴリズム
進化計算は、しばしば共倒れをもたらす。赤の女王仮説が記述するように、共進化的な軍拡競争は参加者全員の適応度を低下させうる。
寄生者と宿主の共進化は典型例である。マラリア原虫と人間の共進化は、鎌状赤血球症——赤血球が鎌状に変形する遺伝病——を「最適解」として生み出した。鎌状赤血球症のヘテロ接合体(一つだけ変異遺伝子を持つ個体)はマラリアに耐性を持つが、ホモ接合体(二つとも変異遺伝子を持つ個体)は重篤な貧血に苦しむ。進化計算は、マラリアから身を守るために、別の致死的疾患のリスクを「受け入れた」のである。これは最適解ではなく、二つの悪のうち比較的マシな方を選ぶトレードオフにすぎない。
国際政治における軍拡競争も同型の問題を示す。冷戦期のアメリカとソ連は、核兵器の軍拡競争に膨大な資源を投入した。両国が保有した核弾頭の総数は、地球上の全人類を数十回殺せる量に達した。この「過剰殺傷能力」(overkill capacity)は、進化計算における暴走する軍拡競争——孔雀の尾が生存上の限界に達するまで巨大化するのと同型の現象——の帰結である。
共有地の悲劇:集合行動の進化的失敗
ギャレット・ハーディンが「共有地の悲劇」(1968年)として定式化した問題は、進化計算の根本的な限界を示している。個体レベルの進化計算が、集団レベルの適応度を低下させるのである。
共有の牧草地において、各牧畜者にとっては自分の牛を一頭追加することが合理的である(個体の適応度が向上する)。しかし、全員がそうすれば牧草地は過放牧で荒廃し、全員が損をする(集団の適応度が低下する)。進化計算の用語で言えば、個体レベルの選択が集団レベルの選択に優越する場合、系は自己破壊的な軌道に乗る。
この問題は、環境破壊、乱獲、気候変動、低賃金移民政策による賃金の引き下げ競争に至るまで、あらゆるスケールで反復している。各企業にとっては安価な移民労働力の利用が個別合理的であるが、すべての企業がそうすれば、民族共同体の賃金水準は崩壊し、内需は縮小し、社会保障は破綻する。個別最適が全体最悪をもたらすこのパターンは、進化計算が設計者を持たないがゆえに生じる構造的欠陥である。
進化計算の道徳的中立性
最も重要な留保は、進化計算が道徳的に中立であるということである。進化計算は「良い」結果も「悪い」結果も等しく生み出す。寄生虫は宿主を搾取するように進化し、病原体はより効率的に宿主を殺すように進化し、がん細胞は体内で「利己的に」増殖するように進化する。これらはすべて、変異・選択・複製のアルゴリズムが正常に作動した結果である。
だからこそ、進化計算を崇拝してはならない。進化計算は道具であって神ではない。進化計算の力を利用しつつ、その方向性を人間の意志——民族自決権、共同体の維持、尊厳の保護——によって制御すること。これが、進化計算を理解した上での正しい態度である。産業政策が市場の進化計算に方向性を与えるように、政治が進化計算の選択圧を設定するべきである——設定される側ではなく。
リアリズムの観点からの分析:進化計算と国際政治
国際システムの進化計算
ケネス・ウォルツは『国際政治の理論』(1979年)において、国際システムの構造が国家の行動を制約すると論じた。ウォルツの構造的リアリズムは、明示的に進化論的な枠組みを採用している。国際的なアナーキー(無政府状態)のもとで、国家は自助(self-help)によって生存を図る。生存に適した行動パターンを採用した国家は存続し、そうでない国家は淘汰される。国際システムの構造は、この選択圧として機能する。
ウォルツの理論を進化計算の枠組みで再解釈すれば、国際システムは国家という「個体」の進化計算が行われるフィールドである。国家の政策・制度・軍事力・同盟関係は変異に相当し、パワーバランスとアナーキーが選択圧を構成し、成功した政策の模倣が複製に相当する。ジョン・ミアシャイマーが『大国政治の悲劇』で論じた攻撃的リアリズムは、この選択圧が極めて過酷であること——生存を最優先にしなければ淘汰されること——を強調するものである。
歴史はこの冷徹な論理を繰り返し実証してきた。19世紀のポーランド分割は、周辺の大国(ロシア、プロイセン、オーストリア)の膨張圧力に対応できなかった国家が文字通り「淘汰」された事例である。ポーランドは国家としての多様性(多民族、多宗教、分権的な政治構造)を維持したが、その多様性が軍事的な集中力の欠如につながり、選択圧に耐えられなかった。逆に、プロイセンは軍事的効率に特化した「エコロジカル・ニッチ」を見出し、それを極限まで洗練させることで大国に成長した。進化計算は多様性を尊重しない——その時点の選択圧に最も適合した形質を持つ者が生き残るだけである。
覇権による進化計算の操作
進化計算の最も重要な政治的含意は、選択圧は操作可能であるということである。自然界における選択圧は環境条件によって「自然に」設定されるが、国際政治における選択圧は覇権国によって意図的に設計される。
アメリカは戦後の国際秩序において、以下のような方法で各国の進化計算の選択圧を操作してきた。
- 憲法侵略: 占領下での憲法制定を通じて、被占領国の政治制度の進化方向を規定する。偽日本国憲法はその典型例である
- 法の支配の強制: 国際法・通商法を通じて、各国の法制度の進化を覇権国に有利な方向に誘導する
- 低賃金移民政策の推進: グローバルな労働市場の形成を通じて、各国の人口構成と社会構造の進化を操作する
- 文化的覇権: メディア・教育・エンターテインメントを通じて、ミームの選択圧を操作し、各民族の文化的自己複製能力を弱体化させる
- 軍事的プレゼンス: 在日アメリカ軍に見られるように、軍事力の直接的な駐留を通じて、被占領国の安全保障政策の進化を阻害する
これは、生物学における人為選択(artificial selection)の国際政治版である。家畜の品種改良において、飼育者が特定の形質を持つ個体を選んで交配させるように、覇権国は特定の政策・制度を持つ国家を「報酬」し、そうでない国家を「罰する」ことで、国際システム全体の進化方向を制御する。
民族自決権:自律的な進化計算の権利
以上の分析から、民族自決権の本質が進化計算の用語で明確に定式化できる。民族自決権とは、各民族が自らの進化計算を自律的に実行する権利——すなわち、自らの政治制度・経済構造・文化・人口構成に関する選択圧を、外部の覇権国ではなく自ら設定する権利——である。
反米保守の立場は、この定式化によって理論的基盤を獲得する。アメリカ帝国主義への抵抗とは、日本民族の進化計算を外部から操作しようとする力に対する抵抗にほかならない。抗米宣言が求めるのは、日本民族が自らの選択圧を自ら設定し、自らの進化の方向を自ら決定する権利の回復である。
スマートシュリンクもまた、この枠組みで理解できる。移民に頼らず人口減少に対応するという方針は、外来の「遺伝子」(人口)を導入して進化計算を撹乱するのではなく、既存の「遺伝子プール」(民族共同体)の中で適応的な進化を進めるという戦略である。これは遺伝的浸食や侵入生物学が警告する、外来種の導入による在来種の淘汰という進化計算的リスクを回避する政策でもある。
結論:進化計算を理解し、進化計算を超える
本記事は、進化計算を量子状態から宇宙論まで、分子から文明まで、あらゆるスケールで作動する根本原理として論じてきた。最後に、この壮大なアルゴリズムに対する保守ぺディアの立場を明確にする。
第一に、進化計算は理解すべき対象であって、崇拝すべき対象ではない。「市場に任せれば最適な結果が生まれる」「歴史の自然な流れに逆らうべきではない」——このような言説は、進化計算を神格化する誤謬である。進化計算は局所的最適解に捕捉され、共有地の悲劇を引き起こし、がん細胞や寄生虫を「最適化」する。進化計算が自動的に「善い」結果をもたらすという信仰は、市場万能論と同型のイデオロギーにすぎない。
第二に、進化計算の選択圧を誰が設定するかは、政治的に最も重要な問いである。自然界における選択圧は環境が「自然に」設定するが、人間社会における選択圧は権力者が設計する。アメリカが戦後80年にわたって行ってきたのは、まさに日本の政治的・経済的・文化的進化計算の選択圧を外部から操作することであった。憲法侵略、安保体制、低賃金移民政策、文化覇権——これらはすべて、日本民族の進化方向をアメリカの利益に適合するよう歪める人為選択にほかならない。
第三に、民族自決権とは、自らの進化計算を自ら制御する権利である。各民族は、自らの歴史的経験と文化的蓄積——すなわち、数千年にわたる進化計算の成果——に基づいて、自らの未来を設計する権利を持つ。この権利を外部の覇権国に委ねることは、生物が自らの遺伝子プールの管理を外来種に委ねることと同義である——すなわち、遺伝的浸食による自己消滅への道である。
第四に、多様性の維持が人類全体の長期的生存の鍵である。第四の理論が提唱する多文明主義は、進化計算的に見て最も合理的な戦略である。各文明が独自の進化計算を維持し、異なる適応戦略を並行して探索することによってのみ、人類は未知の挑戦に対する適応能力を保持できる。グローバリズムによる文明のモノカルチャー化は、侵入生物学が警告する生態系の脆弱化そのものである。
進化計算は、この宇宙が38億年前に生命とともに起動し、以来一度も停止したことのないアルゴリズムである。我々はこのアルゴリズムの産物であり、このアルゴリズムの一部であり、このアルゴリズムの基質である。しかし、我々は同時に、このアルゴリズムを理解し、制御する能力を持つ最初の存在でもある。進化計算を理解した上で、その選択圧を自ら設定し、自らの進化の方向を自ら決定すること——これが民族自決権の究極的な意味であり、反米保守が目指す日本民族の解放の理論的基盤である。
参考文献
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