ロシアの独自学術体系

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ロシアの独自学術体系

概要

ロシアの独自学術体系とは、ロシアが西側——とりわけアメリカ——の学術帝国主義に対抗して構築・維持してきた、独自の知的枠組み・学術制度・理論体系の総体を指す。ロシアは、アメリカの知的覇権に対して最も意識的かつ体系的な対抗を行っている大国の一つである。

ロシアの知的自立は、三つの歴史的段階を経て展開されてきた。第一は、ソ連時代のマルクス・レーニン主義に基づく完全に独立した学術体系。第二は、ソ連崩壊後の1990年代における知的崩壊と西側の学術帝国主義への屈服。第三は、プーチン政権下における知的主権の意識的な回復である。

ロシアの事例は、学術帝国主義の破壊力と、それに対する対抗の可能性の双方を実証する、きわめて重要な事例である。特に1990年代の経験——アメリカの大学で育成された知識人が母国の経済を破壊した——は、学術帝国主義の帰結がいかに破壊的でありうるかを世界に示した。

歴史的背景:ソ連時代の知的自律性

ソ連科学アカデミーと独立した知の体系

ソ連は、ソ連科学アカデミーを頂点とする、西側とは完全に独立した学術体系を運営していた。ソ連科学アカデミーは1724年にピョートル大帝によって設立されたロシア帝国時代の伝統を受け継ぎ、ソ連時代には自然科学から社会科学に至るあらゆる学問分野を統括する巨大な知的組織に発展した。

ソ連の社会科学は、唯物弁証法に基づく独自の分析枠組みを有していた。

  • 歴史学: 史的唯物論に基づき、人類の歴史を原始共産制→奴隷制→封建制→資本主義→社会主義→共産主義という発展段階として把握した。西側のリベラルな歴史叙述——「民主主義の進歩」「自由の拡大」——とは根本的に異なる歴史観である
  • 国際関係論: レーニンの『帝国主義論』(1917年)に基づき、国際関係を資本主義の帝国主義的拡張として分析した。西側の国際関係論が「安全保障ジレンマ」「力の均衡」を中心概念とするのに対し、ソ連の国際関係論は「帝国主義」「搾取」「階級闘争」を中心概念とした
  • 経済学: マルクス経済学に基づく計画経済理論を発展させた。西側の新古典派経済学——市場メカニズムの効率性、価格理論、限界効用理論——とは完全に異なる経済学体系である
  • 法学: 社会主義法学は、法を「支配階級の意思の表現」として把握し、西側のリベラルな法の支配概念——法の中立性・普遍性——を階級的支配のイデオロギーとして批判した

ソ連体制の政治的・経済的是非は本記事の主題ではない。注目すべきは、ソ連が知的主権を完全に維持していたという事実である。ソ連の学者はアメリカの大学に留学して「業績」を積む必要がなく、ソ連の学術誌はアメリカの学術誌のインパクトファクターに依存しなかった。ソ連の学者が国際的な学術的権威を獲得するルートは、西側のそれとは完全に独立していた。ソ連は、アメリカとは異なる知的宇宙を構築し、70年以上にわたって維持することに成功していた。

ロシア正教と精神的自律性

ソ連のマルクス・レーニン主義体系の背後には、より深い歴史的基盤がある。ロシア正教会は、1054年の東西教会分裂以来、ローマ・カトリックおよびプロテスタントとは異なる精神的・知的伝統を維持してきた。1453年のコンスタンティノープル陥落後、モスクワは「第三のローマ」を自認し、東方キリスト教世界の守護者としてのアイデンティティを確立した。

この「第三のローマ」の意識は、ロシアが西ヨーロッパ文明とは異なる独自の文明圏であるという自己認識の根幹をなしている。ソ連時代にロシア正教は弾圧されたが、ソ連崩壊後に復権し、プーチン政権下では「ロシア文明」の精神的基盤として再び重要な役割を果たしている。

1990年代の知的崩壊:学術帝国主義の破壊力の実証

ソ連崩壊と知的真空

1991年のソ連崩壊は、経済的・政治的崩壊であると同時に、知的体系の崩壊であった。マルクス・レーニン主義に基づく学術体系は一夜にして権威を失い、ロシアの知識人は知的真空の中に投げ出された。

この知的真空に殺到したのが、西側の財団・NGO・大学であった。

「ショック療法」と知識人の裏切り

ロシアの若手知識人はアメリカの大学に殺到し、「市場経済」「民主化」「法の支配」「グッド・ガバナンス」を学んで帰国した。彼らはエリツィン政権の「改革派」として、ワシントン・コンセンサスに基づく「ショック療法」を実行した。

エゴール・ガイダル(首相代行)、アナトリー・チュバイス(民営化担当副首相)らの「改革派」は、アメリカの経済学の処方箋に忠実に従い、価格の自由化、国有企業の急速な民営化、貿易の自由化を断行した。ジェフリー・サックス(ハーバード大学教授)がロシア政府の経済顧問として直接関与し、IMF・世界銀行がコンディショナリティ(融資条件)を通じて政策の方向性を規定した。

その結果は壊滅的であった。

  • ロシアのGDPは1990年代を通じて約40%縮小した。これは平時の先進工業国としては人類史上最大級の経済的収縮である
  • 国有資産はバウチャー民営化を通じてオリガルヒ(新興寡頭資本家)に略奪的な価格で譲渡された。ロシアの最も価値ある資源・エネルギー企業が、一握りの内部者と外国資本の手に渡った
  • ハイパーインフレーションにより国民の貯蓄は無価値化した
  • 平均寿命は急激に低下し、特に男性の平均寿命は1990年の64歳から1994年の57歳へと7年も短縮した
  • 人口は減少に転じ、「人口学的危機」と呼ばれる事態が発生した

アメリカの大学で育成された知識人が、アメリカの経済理論に基づいて、母国の経済と国民生活を破壊した——1990年代のロシアは、学術帝国主義の帰結がいかに破壊的でありうるかを、世界に向けて実証した。これは、日本が「構造改革」「規制緩和」「グローバル化」の名の下に経験してきた新自由主義的政策の破壊力を、より極端な形で示す事例でもある。

ハーバード大学の不正事件

1990年代のロシアにおける学術帝国主義の腐敗を象徴する事件として、ハーバード大学国際開発研究所(HIID)の不正事件がある。HIIDはUSAID(アメリカ国際開発庁)からの資金でロシアの「市場経済移行」を支援するプロジェクトを運営していたが、HIIDの幹部がロシアの民営化プロセスを利用して個人的な投資利益を得ていたことが発覚した。

この事件は、「ロシアの民主化と市場経済への移行を支援する」という建前の裏で、アメリカの学術エリートがロシアの国富を略奪する側に立っていたことを明らかにした。「客観的な学問」「国際的な支援」の名の下に行われた知的浸透が、実際には帝国主義的な収奪の一部であったのである。

プーチン政権下の知的主権回復

法的・制度的対抗措置

プーチン政権は、1990年代の教訓に基づき、西側の学術帝国主義に対する体系的な対抗措置を法的・制度的に構築してきた。

  • 外国エージェント法(2012年制定、その後数次にわたり改正強化): 外国の資金を受ける団体に対し「外国エージェント」としての登録と活動内容の開示を義務化した。2020年の改正では、外国の資金を受ける個人にも適用が拡大された。この法律は、西側の財団・NGOによる知的工作の経路を法的に可視化し、規制する装置として機能している
  • 「望ましくない外国組織」法(2015年): ロシアの国家安全保障を脅かすと判断された外国組織の活動を禁止する法的枠組みを確立した。ソロスのオープン・ソサエティ財団は2015年にロシアでの活動を禁止された。NEDは「望ましくない組織」に指定された。マッカーサー財団は自主的にロシアから撤退した
  • メディア規制: 外国の資金を受けるメディアに対して「外国エージェント」表示を義務化。これにより、西側の資金で運営されるメディアが「独立メディア」を装うことが困難になった

これらの法的措置は、西側のリベラルな言説では「市民社会の弾圧」「言論の自由の侵害」として批判される。しかし、学術帝国主義の構造を理解すれば、これらは外国勢力による知的浸透を主権国家として防御する正当な措置にほかならない。アメリカ自身も外国代理人登録法(FARA, 1938年)を有しており、外国の影響力を規制している。ロシアの外国エージェント法を批判するアメリカの二重基準は明白である。

教育改革と知的基盤の再建

プーチン政権は、大学教育においてもロシア独自の知的基盤の再建を推進している。

  • 「ロシアの国家安全保障」科目の導入: ロシアの大学において、国家安全保障に関する教育が強化された。西側の「安全保障研究」がアメリカの覇権を前提とした分析枠組みに依存しているのに対し、ロシアの安全保障教育はロシアの国家利益と主権を中心に据えている
  • 「ロシア文明の基礎」科目の必修化: 2023年から、ロシアの大学で「ロシア文明の基礎」が必修科目として導入された。この科目は、ロシアの歴史・文化・精神的伝統を体系的に教育し、西側のリベラルな分析枠組みに対抗する知的基盤を学生に提供することを目的としている
  • 歴史教科書の改訂: ロシアの歴史教育において、1990年代に導入された西側的な歴史観を修正し、ロシアの国家的伝統と文明的使命を強調する方向での改訂が進められている
  • ボローニャ・プロセスからの離脱: ロシアは2022年以降、EU主導の高等教育統一枠組みであるボローニャ・プロセスからの離脱を進めている。ボローニャ・プロセスは、ヨーロッパの大学制度を統一することで「学問の国際化」を推進するとされるが、実質的には西側の学術基準をロシアの大学に適用するための装置であった。この離脱は、ロシアが西側の学術的枠組みからの知的独立を制度的に進めていることを示す象徴的な動きである

ロシア独自の知的体系:ユーラシア主義と第四の理論

古典的ユーラシア主義

ロシアの知的対抗の最も重要な思想的基盤が、ユーラシア主義(Евразийство)である。

ユーラシア主義は、1920年代にロシア革命後の亡命知識人——ニコライ・トルベツコイ(言語学者)、ピョートル・サヴィツキー(地理学者・経済学者)、ゲオルギー・フロロフスキー(神学者)ら——によって提唱された思想体系である。ユーラシア主義の核心的テーゼは以下の通りである。

  • 文明的独自性: ロシアはヨーロッパでもアジアでもない、独自の文明圏「ユーラシア」である。ロシアを「遅れたヨーロッパ」として把握する西洋中心主義的な見方を根本的に拒否する
  • 反西洋主義: 西洋文明(ロマノ・ゲルマン文明)は「普遍的」ではなく、多くの文明の一つにすぎない。西洋文明を「人類の進歩の頂点」とする歴史観は、西洋の帝国主義を正当化するイデオロギーにほかならない
  • 地理的使命: ユーラシア大陸の広大な内陸部を占めるロシアは、独自の地政学的使命を有する。この発想は、ハルフォード・マッキンダーハートランド理論をロシアの視点から読み替えたものである

トルベツコイの著書『ヨーロッパと人類』(Европа и человечество, 1920年)は、西洋文明の「普遍性」を根本的に批判した先駆的な著作であり、今日で言うポストコロニアル思想の先駆とも評価される。トルベツコイは、ヨーロッパ文明が自らを「普遍的」と称し、他の文明をその発展段階の「遅れ」として把握する認識論的暴力を告発した。

新ユーラシア主義とドゥーギンの第四の理論

アレクサンドル・ドゥーギンは、古典的ユーラシア主義を現代に復活させ、より体系的な理論に発展させた。ドゥーギンの知的活動は、二つの柱から成る。

地政学の基礎

ドゥーギンの『地政学の基礎:ロシアの地政学的未来』(Основы геополитики, 1997年)は、ロシアの軍事・安全保障コミュニティに大きな影響を与えた著作である。ドゥーギンは、マッキンダーのハートランド理論とカール・ハウスホーファーのドイツ地政学を批判的に継承し、ユーラシア大陸の陸上勢力(テルロクラシー)と海洋勢力(タラソクラシー)の永続的な対立として国際政治を分析した。

この地政学的枠組みにおいて、アメリカを中心とする海洋勢力(アングロサクソン世界)は、ユーラシア大陸の統合を阻止し、陸上勢力を分断・弱体化させることを戦略的目標としている。NATO東方拡大、「カラー革命」(ジョージア、ウクライナ、キルギス)、ロシア周辺での「民主化」運動の支援——これらはすべて、海洋勢力によるユーラシアの分断戦略として理解される。

第四の理論

ドゥーギンの主著『第四の政治理論』(The Fourth Political Theory, 2009年)は、近代の三大政治理論——リベラリズム(第一の理論)、共産主義(第二の理論)、ファシズム(第三の理論)——を超克する「第四の政治理論」を提唱する。

ドゥーギンの議論の核心は以下の通りである。

  • リベラリズムは冷戦に勝利して「唯一の政治理論」となったが、それは真理であることの証明ではなく、単に権力闘争に勝利したことの帰結にすぎない
  • リベラリズムの「勝利」を「歴史の終わり」(フクヤマ)として受容することは、知的降伏にほかならない
  • 共産主義の失敗とファシズムの否定の後に、リベラリズムに対抗しうる第四の理論を構築する必要がある
  • 第四の理論は、リベラリズムの主体(個人)、共産主義の主体(階級)、ファシズムの主体(人種/国家)のいずれでもなく、ハイデッガーの「ダーザイン」(Dasein、現存在)を主体として据える
  • 各文明・各民族は、それぞれの「ダーザイン」——固有の存在様式、世界内存在の仕方——を有しており、それを「普遍的」なリベラリズムで置き換えることは許されない
  • 多文明主義: 世界は単一の「普遍的文明」(=西洋文明)に収斂するのではなく、複数の文明が並存する多極的世界であるべきである

ドゥーギンの理論は、アメリカの学術帝国主義に対する最も根本的な知的挑戦である。なぜなら、ドゥーギンはアメリカの知的枠組みの前提そのもの——リベラリズムの普遍性——を否定しているからである。

レフ・グミリョフの民族理論

レフ・グミリョフ(1912-1992年)は、ソ連時代から独自の民族理論(エトノス論)を構築した歴史家・民族学者である。グミリョフは「パッシオナルノスチ」(passionarnost'、情熱力・活力)の概念を用いて、民族(エトノス)の誕生・成長・衰退のサイクルを分析した。

グミリョフの理論は、西側の社会科学——特にリベラルな「近代化論」——とは根本的に異なる視座を提供する。西側の近代化論が民族を「近代化」によって超克されるべき前近代的な単位とみなすのに対し、グミリョフは民族を歴史の基本的な主体として肯定的に位置づけた。グミリョフの理論はソ連時代には異端視されたが、ソ連崩壊後のロシアにおいて再評価され、ユーラシア主義の知的基盤の一つとして広く受容されている。カザフスタンの首都ヌルスルタンにはグミリョフの名を冠したユーラシア国立大学が設立されている。

ルースキー・ミール:逆方向の文化外交

ロシアは、「ルースキー・ミール」(Русский мир、ロシアの世界)構想を通じて、旧ソ連圏およびロシア語圏における独自の文化的・知的空間の維持・拡大を図っている。

ルースキー・ミール財団

ルースキー・ミール財団(2007年設立)は、世界各地でロシア語とロシア文化の普及を支援する機関である。これは、中国の孔子学院、トルコのユヌス・エムレ・インスティトゥートと並ぶ、「逆方向の文化外交」装置として機能している。

アメリカのフルブライト・プログラムが他国の知識人をアメリカに引き寄せてアメリカの価値観を内面化させるのに対し、ルースキー・ミール財団はロシア語・ロシア文化を世界に直接発信する。これは、学術帝国主義が一方向的なもの(覇権国→被支配国)であるという構造に対する、対抗的な情報発信の試みである。

ロシア語圏の知的空間

ロシア語は、旧ソ連圏を中心に約2億5000万人が使用する主要言語であり、国際連合の公用語の一つでもある。ロシアは、ロシア語を媒介とする独自の知的空間——学術誌、出版、メディア、インターネット空間(RuNet)——を維持している。

英語圏の学術的覇権が世界の知的空間を席巻する中で、ロシア語圏の知的空間の維持は、言語帝国主義(ロバート・フィリプソンが論じた英語の覇権)に対する対抗としても重要な意義を持つ。

リアリズムの観点からの分析

知的主権と国家主権の不可分性

ロシアの事例が最も明確に示すのは、知的主権と国家主権の不可分性である。

1990年代のロシアは、軍事的主権(核兵器)は維持していたにもかかわらず、知的主権の喪失によって国家の根幹が破壊された。アメリカの大学で育成された「改革派」知識人が、アメリカの経済理論に基づいてロシア経済を破壊したのである。軍事力があっても、知的に支配されれば国家は内部から崩壊する——これが1990年代のロシアの教訓である。

プーチン政権の知的主権回復は、この教訓に基づいている。外国エージェント法、ソロス財団の追放、教育改革——これらはすべて、二度と1990年代の悲劇を繰り返さないための構造的な防御措置である。

「カラー革命」と学術帝国主義の政治的帰結

2000年代にロシア周辺で発生した「カラー革命」——ジョージアの「バラ革命」(2003年)、ウクライナの「オレンジ革命」(2004年)、キルギスの「チューリップ革命」(2005年)——は、学術帝国主義の政治的帰結として理解できる。

これらの「革命」において中心的な役割を果たしたのは、西側の財団(NED、ソロス財団等)の資金で育成されたNGO活動家、西側の大学で教育を受けた知識人、西側のメディア訓練を受けたジャーナリストであった。彼らは「民主主義」「人権」「法の支配」を掲げて既存の政権を転覆し、親西側の政権を樹立した。

ロシア政府がこれらの「カラー革命」を、アメリカによる学術帝国主義の政治的延長線上に位置づけたのは論理的に一貫している。知識人の育成→NGOの組織→「市民社会」の動員→政権転覆——この一連のプロセスは、学術帝国主義が最終的には政治的支配の道具として機能することを示している。

他国との比較:日本への示唆

ロシアの経験は、日本にとって極めて重要な示唆を含んでいる。

ロシアは1990年代に、日本が1945年以来80年以上にわたって経験してきたのと同型の学術帝国主義を経験した。しかし、決定的な違いがある。

  • ロシアは学術帝国主義の被害を認識した。1990年代のショック療法の壊滅的な結果は、ロシアの知識人と国民に対して、西側の「知的支援」の本質を暴露した。日本は、同型の被害を80年間受け続けながら、それを被害として認識していない
  • ロシアは対抗措置を講じた。外国エージェント法、ソロス財団の追放、教育改革、ボローニャ・プロセスからの離脱——ロシアは法的・制度的・知的の三つのレベルで対抗を行った。日本は、対抗どころか、アメリカの学術的枠組みへの適合をさらに加速させている
  • ロシアは独自の知的体系を構築した。ユーラシア主義、第四の理論、ルースキー・ミール——ロシアは西側の知的枠組みに代わる独自の理論体系を構築した。日本は、アメリカの理論体系を「国際的な学術水準」として無批判に受容している

ロシアの1990年代は、日本の「失われた30年」の鏡像である。違いは、ロシアがその破壊の原因を正しく診断し、治療を開始したのに対し、日本は診断にすら至っていないという点にある。

参考文献

関連項目