インドの独自学術体系

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インドの独自学術体系

概要

インドの独自学術体系とは、インドがイギリスの植民地支配からの独立以来、西洋——とりわけアメリカとイギリス——の学術帝国主義に対抗して発展させてきた、批判的な知的伝統・学術制度・理論体系の総体を指す。

インドは、ポストコロニアル思想の最も重要な発信源の一つであり、西洋の知的覇権に対する批判的言説を世界に向けて発信してきた。ガヤトリ・スピヴァクホミ・バーバ、ディペシュ・チャクラバルティといったインド出身の知識人は、西洋の知的枠組みそのものを批判する理論を構築し、国際的な影響力を持っている。しかし、ここに根本的な逆説が存在する。脱植民地化の理論がアメリカ・イギリスの大学で英語で書かれているという事実は、インドの知的対抗がいかに深くアメリカの学術インフラに依存しているかを示している。

さらに、インドの知的エリートの多くが英語圏の大学に依存する構造は、独立から80年近くを経た現在も根本的には変わっていない。ガンディーが独立運動の段階で警告した「英語で教育されたインド人エリート」による知的支配の構造は、形を変えつつ今日まで持続している。ポストコロニアル思想の発信源であると同時に、その思想自体が西洋の学術インフラに依存するという逆説的状況——これがインドの独自学術体系を特徴づける根本的な矛盾である。

歴史的背景:インド文明の知的伝統

ヴェーダ文明以来の数千年の知的蓄積

インドは、人類史上最も長期にわたる知的蓄積を有する文明の一つである。ヴェーダ文明(紀元前1500年頃以降)に遡るインドの知的伝統は、宗教・哲学・科学・数学・医学の各分野において独自の体系を発展させてきた。

ウパニシャッド(奥義書)は、ブラフマン(宇宙的原理)とアートマン(個的原理)の同一性を探究する形而上学的思索であり、西洋哲学のギリシア起源の伝統とは完全に独立に発展した哲学体系である。六派哲学(サーンキヤヨーガヴァイシェーシカニヤーヤミーマーンサーヴェーダーンタ)は、認識論・存在論・論理学・倫理学にわたる体系的な哲学体系を構成しており、ギリシア哲学に勝るとも劣らない知的精緻さを有している。

仏教ジャイナ教は、ヴェーダの権威に挑戦する形で独自の哲学体系を構築した。特に仏教のナーガールジュナ(龍樹)による中観哲学は、存在と非存在の二元論を超克する「空」(シューニャター)の概念を展開し、西洋哲学には類例のない論理的精緻さを達成した。

古代の学術拠点

ナーランダ大学(5世紀-12世紀)は、世界最古の大学の一つとして知られ、最盛期には1万人以上の学生と2000人以上の教師を擁した。仏教哲学のみならず、論理学、天文学、医学、言語学など広範な学問分野を教授しており、中国の玄奘(三蔵法師)をはじめ東アジア・東南アジア・中央アジアから留学生を集めた国際的な学術拠点であった。ヴィクラマシーラ大学もまた高度な学術拠点として機能した。

これらの古代の学術拠点は、ヨーロッパの中世大学(ボローニャ大学1088年、パリ大学1150年頃)よりも数世紀早く組織的な高等教育を実現しており、インド文明が独自の学術制度を有していたことの歴史的証左である。

サンスクリット語の知的伝統

サンスクリット語は、インドの知的伝統の媒体として数千年にわたり機能してきた言語である。パーニニの文法書『アシュターディヤーイー』(紀元前4世紀頃)は、世界最古にして最も精緻な言語の形式的記述であり、近代言語学の先駆とも評価される。

サンスクリット語による知的蓄積は、哲学のみならず、アーユルヴェーダ(伝統医学)、ジョーティシャ(天文学・占星術)、ダルマシャーストラ(法典)など実践的な知識体系にも及んでいる。

ムガル帝国時代のペルシア語・イスラム的知の融合

ムガル帝国時代(1526-1857年)には、ペルシア語を媒介としたイスラム的知の伝統がインドの知的空間に流入し、既存のサンスクリット語の伝統と融合した。ムガル宮廷はペルシア語文学、イスラム法学、天文学、歴史叙述の中心地となり、インド亜大陸に独自のイスラム的知の体系が形成された。

この知的融合は、インド文明が外来の知的伝統を吸収しつつ独自性を維持してきたことの証左であり、後のイギリスによる植民地教育がこの多層的な知的伝統を暴力的に断絶させたことの深刻さを浮き彫りにする。

イギリスの植民地教育と知的支配

マコーレーの教育覚書(1835年)

トーマス・バビントン・マコーレーが1835年に提出した「教育に関する覚書」(Minute on Education)は、インドにおける学術帝国主義の起点として、きわめて重要な文書である。マコーレーは、サンスクリット語やアラビア語による伝統的教育を「野蛮」として否定し、英語による教育を通じて「血と肌の色においてはインド人であるが、趣味・意見・道徳・知性においてはイギリス人である」(Indian in blood and colour, but English in taste, in opinions, in morals, and in intellect)階級を養成すべきであると主張した。

マコーレーの教育覚書は、学術帝国主義の原型的表現である。被支配民族の知的伝統を体系的に否定し、支配民族の言語と価値観を通じて被支配民族のエリートを育成し、彼らを通じて支配を維持する——この構造は、アメリカが戦後日本に対して行った知的支配と本質的に同型である。

英語による教育制度の確立

マコーレーの覚書を契機として、イギリスは英語を媒介とする教育制度をインド全土に展開した。カルカッタ大学(1857年)、ボンベイ大学(1857年)、マドラス大学(1857年)の設立は、イギリスの大学制度をインドに移植するものであった。

英語教育制度の確立は、インドの知識人を二つの階層に分断した。英語で教育を受けたエリート層は、イギリスの知的枠組みを内面化し、植民地行政の担い手となった。一方、サンスクリット語、ペルシア語、各地方語による伝統的知識体系は「非近代的」として周縁化された。植民地教育は、インドの知的空間にイギリスの知的覇権を構造的に埋め込む装置であった。

インドの伝統的知識体系の周縁化

イギリスの植民地教育は、インドの伝統的知識体系を体系的に周縁化した。アーユルヴェーダは「非科学的」として西洋医学に置き換えられ、インドの伝統的法体系はイギリスの普通法に従属させられ、サンスクリット学は「古典学」として学術の辺境に追いやられた。

エドワード・サイードが『オリエンタリズム』(1978年)で分析した通り、西洋の東洋学(オリエンタリズム)は、東洋の知識を「研究対象」として客体化し、西洋の知的枠組みの中に従属的に位置づける権力的な知の形態であった。インドの場合、イギリスのインド学者(ウィリアム・ジョーンズ、マックス・ミュラー等)によるサンスクリット文献の「発見」と翻訳は、インドの知識をイギリスの学術的権威の下に再編成する営みであった。インドの知は、インド人自身のものではなく、イギリスの学者によって解釈され、英語で記述されることで初めて「学問」として認められる構造が作り出されたのである。

ガンディーの文明批判

『ヒンド・スワラージ』における西洋近代文明への根本的批判

マハトマ・ガンディーは、『ヒンド・スワラージ』(Hind Swaraj、1909年)において、西洋近代文明そのものに対する根本的な批判を展開した。ガンディーにとって、インドの問題はイギリスの政治的支配にとどまらなかった。より根本的な問題は、インドの知識人が西洋近代文明の価値観——物質的進歩、産業化、議会制民主主義、法の支配——を無批判に受容し、その枠組みの中でしか思考できなくなっていることであった。

ガンディーは断言した。「真のスワラージ(自治)とは、イギリスの支配をインド人の支配に置き換えることではない。それは、イギリス人が持ち込んだ文明そのものからの解放である」。この洞察は、学術帝国主義の構造——政治的独立を達成しても知的支配の構造が維持される——を、独立運動の段階で既に見抜いていたことを意味する。

スワラージとスワデシの知的側面

スワラージ(swaraj、自治)の概念は、ガンディーにおいて単なる政治的独立を超えた意味を持っていた。スワラージとは、精神的・知的・文化的な自律性の回復を含む全体的な解放を意味した。

同様に、スワデシ(swadeshi、自給自足・自国産品愛用)運動も、経済的自立のみならず知的自立の側面を持っていた。外国製品のボイコットは、外国の知的枠組みへの依存からの脱却の隠喩でもあった。ガンディーは、インドの村落共同体に根ざした知識——農業技術、手工業、伝統医学——が、西洋の「科学的」知識に劣るものではないと主張した。

学術帝国主義への先駆的洞察

ガンディーは、西洋の大学で教育されたインド人エリートに対して痛烈な批判を加えた。彼らは「英語で考え、英語で書き、英語でインドを語る」人々であり、インドの民衆から乖離した「知的植民者」にすぎない、とガンディーは論じた。

この批判は、本記事が主題とする学術帝国主義の構造を的確に捉えている。マコーレーが意図した「趣味・意見・道徳・知性においてはイギリス人である」インド人エリートは、政治的独立後もインドの知的空間を支配し続けた。ガンディーの警告にもかかわらず、独立後のインドの知的指導層は、イギリスの大学で教育を受け、やがてアメリカの大学に重心を移しつつも、英語圏の知的枠組みの中で思考し続けている。ガンディーの文明批判は、独立から80年近くを経た今日においてもなお、その鋭さを失っていない。

ポストコロニアル思想:批判と矛盾

エドワード・サイードの影響

エドワード・サイードの『オリエンタリズム』(1978年)は、西洋による東洋の表象(representation)が権力と不可分であることを暴露し、ポストコロニアル思想の基盤を築いた。サイード自身はパレスチナ出身であるが、彼の理論的枠組みはインドの知識人に甚大な影響を与え、インドにおけるポストコロニアル思想の爆発的な発展を促した。

ランジット・グハとサバルタン研究グループ

ランジット・グハが1982年に創設した「サバルタン研究グループ」(Subaltern Studies Group)は、インドのポストコロニアル思想の最も重要な知的運動の一つである。グハは、植民地期および独立後のインドの歴史叙述がエリート中心であり、農民・労働者・下層カーストなどの「サバルタン」(従属的社会集団)の主体性が構造的に無視されていると批判した。

サバルタン研究は、イギリスの植民地的歴史叙述のみならず、独立後のインドのナショナリスト歴史叙述をも批判の対象とした。エリート・ナショナリズムは、植民地支配からの解放を達成しつつも、エリート中心の知的構造そのものは植民地期の遺産をそのまま引き継いだと分析したのである。

スピヴァクの「サバルタンは語ることができるか」

ガヤトリ・スピヴァクの「サバルタンは語ることができるか」(Can the Subaltern Speak?, 1988年)は、ポストコロニアル思想の最も影響力のあるテクストの一つである。スピヴァクは、サバルタン——とりわけ植民地社会における女性——が西洋の知的枠組みの中でいかに「語る」ことを構造的に不可能にされているかを分析した。

スピヴァクの議論は、西洋の知識人がサバルタンを「代弁する」こと自体が、サバルタンの主体性を奪う権力行為であることを暴露した。この洞察は、学術帝国主義の構造に対する鋭い批判を含んでいる。

ホミ・バーバの「文化の場所」

ホミ・バーバは、『文化の場所』(The Location of Culture, 1994年)において、「混交性」(hybridity)、「模倣」(mimicry)、「第三の空間」(Third Space)などの概念を通じて、植民地的な知の構造を批判的に分析した。バーバにとって、植民地状況における知の生産は、単純な「支配者→被支配者」の一方向的な押し付けではなく、支配者と被支配者の間の複雑な交渉と変容を含むものであった。

ディペシュ・チャクラバルティの「ヨーロッパを地方化する」

ディペシュ・チャクラバルティの『ヨーロッパを地方化する:ポストコロニアルの思想と歴史的差異』(Provincializing Europe: Postcolonial Thought and Historical Difference, 2000年)は、学術帝国主義の構造に対する最も直接的な理論的挑戦の一つである。チャクラバルティは、ヨーロッパの歴史的経験——啓蒙主義、産業革命、民主主義——が「普遍的な発展モデル」として世界中に適用されてきたことを批判し、ヨーロッパの歴史を「一つの地方(province)の歴史」として相対化すべきであると主張した。

チャクラバルティの議論は、学術帝国主義の知的構造を正面から批判するものである。西洋の社会科学が前提とする概念——「市民社会」「公共圏」「国民国家」「近代化」——は、ヨーロッパの歴史的経験に由来する特殊な概念であり、それを「普遍的」な分析枠組みとして非西洋世界に適用すること自体が、知的覇権の行使にほかならない。

根本的矛盾:脱植民地化の理論が西洋の学術インフラに依存している

しかし、インドのポストコロニアル思想には根本的な矛盾が存在する。スピヴァクはコロンビア大学の教授であり、バーバはハーバード大学の教授であり、チャクラバルティはシカゴ大学の教授である。グハもまたオーストラリアとヨーロッパの大学で活動した。脱植民地化の理論は、アメリカやイギリスの名門大学で、英語で書かれ、英語圏の学術誌に掲載されている

この矛盾は、学術帝国主義の浸透がいかに深いかを示している。西洋の知的覇権を批判する最も鋭い言説ですら、西洋の学術的インフラ——英語、アメリカ・イギリスの大学、西洋の学術出版——に依存せざるをえない。ポストコロニアル思想は、帝国の言語で帝国を批判するという構造的限界を内在させている。

中国が独自の学術インフラ(中国語の学術誌、CNKI、独自の評価基準)を構築し、ロシアがロシア語圏の知的空間を維持しているのに対し、インドのポストコロニアル思想は知的内容においては西洋を批判しつつも、知的インフラにおいては西洋に全面的に依存している。この非対称性こそが、インドの知的対抗の根本的な限界を規定している。

ヒンドゥー・ナショナリズムと知的再編

RSSの知的伝統

RSS(Rashtriya Swayamsevak Sangh、民族義勇団、1925年設立)は、インドにおけるヒンドゥー・ナショナリズムの知的・組織的基盤である。RSSの創設者K・B・ヘードゲーワール、理論家V・D・サーヴァルカル、第二代最高指導者M・S・ゴールワルカルは、インド文明の独自性とヒンドゥトヴァ(ヒンドゥー性)の概念に基づく知的体系を構築した。

サーヴァルカルが1923年の著作『ヒンドゥトヴァ:ヒンドゥーとは誰か』で定式化したヒンドゥトヴァの概念は、宗教としてのヒンドゥー教を超えて、インド文明のアイデンティティを構成する文化的・歴史的・地理的な紐帯の総体を意味する。これは、植民地教育によって植え付けられた「インドは多様性の寄せ集めにすぎない」という認識に対する、文明的統一性の主張である。

モディ政権(BJP)下の教育改革

ナレンドラ・モディ首相率いるインド人民党(BJP)政権は、ヒンドゥトヴァに基づく知的再編を体系的に推進している。

  • 教科書改訂: ネルー時代の世俗主義的・リベラルな歴史叙述を修正し、インド古代文明の科学的・文化的達成を強調する方向での教科書改訂が進められている。ムガル帝国期に関する記述の縮小、古代インドの数学・天文学・医学の貢献の強調は、植民地教育によって植え付けられた「インドは西洋から文明を学んだ」という自己認識を転換する試みである
  • サンスクリット教育の復興: サンスクリット語の教育が奨励され、古典的知識体系の復権が図られている。これは、英語の知的覇権に対する言語的な対抗の一形態である
  • インド古代文明の再評価: インダス文明(ハラッパー文明)の研究において、インド文明の起源をより古い時代に遡らせ、その独自性と先進性を強調する研究が奨励されている

新教育政策(NEP 2020)とインドの知識体系(IKS)

2020年に採択された「新教育政策」(National Education Policy 2020、NEP 2020)は、インドの教育制度を独立以来最も包括的に改革する政策文書であり、学術帝国主義への対抗として注目に値する要素を含んでいる。

NEP 2020は、「インドの知識体系」(Indian Knowledge Systems、IKS)の教育への統合を明確に打ち出した。アーユルヴェーダ、ヨーガ、ヴァーストゥ(建築学)、インドの数学的伝統、冶金術などのインド固有の知識体系を、西洋起源の学術体系と対等な地位で教育課程に組み込むことを目指している。

これは、マコーレーの教育覚書以来約190年にわたって周縁化されてきたインドの伝統的知識体系を、教育制度の中心に再び位置づけようとする試みである。学術帝国主義への対抗という観点から見れば、NEP 2020は、中国の「中国の特色ある哲学社会科学」構築やロシアの「ロシア文明の基礎」必修化と同型の政策であり、植民地教育によって植え付けられた自己認識の構造的転換を目指すものである。

インドの学術制度と独自性

インド工科大学(IIT)と理工系の国際的競争力

インド工科大学(Indian Institutes of Technology、IIT)は、インドの高等教育における最も成功した制度の一つである。1951年にカラグプルに最初のIITが設立されて以来、全国に23校が設置され、世界最高水準の理工系教育を提供している。IITの入学試験(JEE)は世界最難関の一つとして知られ、毎年100万人以上が受験する。

IITは、インドが独自の学術的卓越性を構築しうることを実証している。しかし、ここにも学術帝国主義の構造的問題が潜んでいる。IITの最優秀卒業生の多くは、アメリカの大学院に進学し、シリコンバレーをはじめとするアメリカの産業界に吸収される。インドが育成した最高の知的人材が、アメリカの経済的利益に奉仕するという構造は、学術帝国主義の典型的な帰結にほかならない。

ジャワハルラール・ネルー大学(JNU)

ジャワハルラール・ネルー大学(JNU、1969年設立)は、インドの社会科学研究の拠点として独自の位置を占めてきた。JNUは、マルクス主義的・ポストコロニアル的な批判的知的伝統の牙城として知られ、西洋の知的覇権に対する批判的言説の拠点であった。

しかし、JNUの知的伝統もまた、英語で教育を行い、西洋の理論的枠組み(マルクス主義、ポストコロニアリズム、フェミニズム)を基盤としているという点で、学術帝国主義からの完全な脱却には至っていない。モディ政権下でJNUに対する政治的圧力が強まっているが、その対立の構図自体が、「西洋のリベラルな枠組みに依拠する知識人」対「ヒンドゥー・ナショナリズムに基づく知的再編」という、インドの知的空間の根本的な分裂を反映している。

「頭脳流出」問題

インドの学術帝国主義への従属を最も端的に示すのが、「頭脳流出」(brain drain)の問題である。インドは世界最大の「頭脳流出」国の一つであり、最優秀の知識人・技術者・研究者がアメリカ・イギリスの大学や企業に流出し続けている。

インド社会科学研究評議会(ICSSR)をはじめとするインドの学術機関は、この頭脳流出を深刻な問題として認識している。しかし、英語圏の大学が提供する研究資金・設備・キャリア機会の圧倒的な優位性の前に、効果的な対策を講じることは困難であった。

シリコンバレーのインド人CEO問題

近年、アメリカのテクノロジー企業のCEOにインド出身者が多数就任していることが注目されている。サンダー・ピチャイ(Google/Alphabet)、サティア・ナデラ(Microsoft)、アルヴィンド・クリシュナ(IBM)——これらのインド出身CEOは、IITやインドの名門大学で基礎教育を受けた後、アメリカの大学院で学位を取得し、アメリカ企業で頭角を現した人物である。

この現象は、インドの教育制度の「成功」として語られることが多い。しかし、学術帝国主義の観点から見れば、これはインドの最高の知的資源がアメリカの企業利益に奉仕している構造の典型的な表現にほかならない。インドが国家の資源を投じて育成した最優秀の人材が、インドではなくアメリカの富を生み出しているのである。これは、植民地時代にインドの天然資源がイギリスに収奪されたのと同型の構造が、知的資源の次元で再現されていることを意味する。

リアリズムの観点からの分析

ポストコロニアル思想の構造的限界

インドのポストコロニアル思想は、学術帝国主義の構造を知的に批判する上で重要な貢献を果たしてきた。スピヴァクの「サバルタンは語ることができるか」は被支配者の声の構造的排除を暴露し、チャクラバルティの「ヨーロッパを地方化する」は西洋の「普遍性」の虚構を批判した。

しかし、リアリズムの観点から見れば、ポストコロニアル思想には決定的な限界がある。第一に、これらの理論は英語圏の学術インフラに全面的に依存しており、批判の道具が批判の対象に帰属している。第二に、ポストコロニアル思想は学術帝国主義の構造を分析する知的ツールを提供するが、その構造を変革する実践的な方法論を持たない。分析は鋭いが、処方箋がないのである。

中国はポストコロニアル的な「批判」にとどまらず、独自の学術インフラ(CNKI、中国語の学術誌、独自の評価基準)を構築し、独自の国際関係理論(道義的リアリズム、天下体系)を発展させている。ロシアはボローニャ・プロセスから離脱し、ロシア語圏の知的空間を制度的に守っている。イランはイスラム革命によって西洋の知的支配から根本的に断絶した。インドのポストコロニアル思想は、知的批判を行っているが、構造的転換には至っていない

ヒンドゥー・ナショナリズムの可能性と限界

ヒンドゥー・ナショナリズムは、ポストコロニアル思想とは異なるアプローチで学術帝国主義への対抗を試みている。NEP 2020によるインドの知識体系(IKS)の再統合、教科書改訂、サンスクリット教育の復興——これらは、知的批判ではなく制度的転換を通じて植民地的な知の構造を変革しようとする試みである。

しかし、ヒンドゥー・ナショナリズムにも限界がある。第一に、IITの卒業生がアメリカに流出し続ける構造的問題に対する有効な対策を持っていない。第二に、ヒンドゥー・ナショナリズムの知的再編は、しばしば歴史の「神話化」(インド古代文明の過度な美化)に傾斜し、学術的な信頼性を損なうリスクがある。第三に、インドの学術界は依然として英語を主要な学術言語として使用しており、ヒンディー語やサンスクリット語による学術体系の構築は緒に就いたばかりである。

非同盟運動の知的遺産

ジャワハルラール・ネルーが主導した非同盟運動(1961年正式発足)は、冷戦期における「第三の道」の模索として、知的な意義を持つ。非同盟運動は、アメリカ主導の資本主義陣営にもソ連主導の共産主義陣営にも属さず、独自の立場を維持しようとする試みであった。

ネルーの非同盟主義は、第四の理論のドゥーギンが提唱する多極化世界の先駆的構想とも位置づけうる。しかし、冷戦終結後、非同盟運動の知的遺産は急速に形骸化し、インドは経済のグローバル化とアメリカとの戦略的接近を進めた。1991年の経済自由化以降、インドは新自由主義的政策を受容し、知的にもアメリカの学術帝国主義への統合を深めている。

「多極化世界」におけるインドの知的位置づけ

現在のインドは、「多極化世界」(multipolar world)における独自の位置を模索している。モディ政権はアメリカとの戦略的パートナーシップを維持しつつ、ロシア・中国との関係も維持する「多方面外交」(multi-alignment)を展開している。

しかし、外交的な多極化と知的な多極化は同義ではない。インドの外交は多極的であっても、インドの知的エリートは依然としてアメリカ・イギリスの大学で教育を受け、英語で研究を行い、英語圏の学術誌に論文を掲載することを最高の「業績」とみなしている。外交的主権を行使しつつ知的主権を喪失している——この乖離は、インドの学術帝国主義への対抗が依然として不完全であることを示している。

他国との比較:日本への示唆

インドと日本の共通点

インドと日本は、ともに深い文明的伝統を有しながら、西洋の学術帝国主義からの脱却を完全には達成していないという共通点を持つ。

  • 英語圏の学術インフラへの依存: インドの知的エリートが英語で研究を行い、アメリカ・イギリスの大学に依存する構造は、日本の知的エリートがアメリカの大学で学位を取得し、アメリカの分析枠組みを「国際的な学術水準」とみなす構造と同型である
  • 頭脳流出: インドの最優秀人材がアメリカに流出する構造は、日本にも共通する問題である。日本の場合、人材の物理的な流出に加えて、日本国内にいながらアメリカの知的枠組みに従属するという「精神的な頭脳流出」がさらに深刻である
  • 植民地的知の構造の持続: インドではマコーレーの教育覚書に始まる植民地教育の構造が、日本ではGHQの占領政策に始まる知的支配の構造が、それぞれ形を変えつつ今日まで持続している

インドと日本の相違点

しかし、両国の間には重要な相違点も存在する。

  • インドは批判を行っている。日本は批判すら行っていない: インドのポストコロニアル思想は、学術帝国主義の構造を知的に批判する精緻な理論を構築してきた。日本には、アメリカの学術帝国主義を体系的に批判する知的伝統がほぼ存在しない。江藤淳の『閉された言語空間』のような先駆的著作は存在するが、それはインドのポストコロニアル思想のような体系的な学術運動には発展しなかった
  • インドは制度的転換を試みている: モディ政権のNEP 2020とIKSの再統合は、不十分ではあっても、制度的な次元で学術帝国主義への対抗を試みている。日本の教育政策は、むしろアメリカの学術基準への適合を加速させる方向に進んでいる(英語による授業の増加、「国際化」の推進、アメリカの大学との連携強化)
  • インドには独立の知的運動がある: ヒンドゥー・ナショナリズムの是非は別として、インドにはポストコロニアル思想とヒンドゥー・ナショナリズムという二つの異なる知的運動が学術帝国主義への対抗を試みている。日本には、同等の規模と体系性を持つ知的対抗運動が存在しない

日本への示唆

インドの事例が日本に示唆するのは、以下の点である。

第一に、知的批判だけでは不十分である。インドのポストコロニアル思想は、学術帝国主義の構造を見事に分析したが、その構造を変革する力を持たなかった。日本が学術帝国主義から脱却するためには、批判にとどまらず、独自の学術インフラの構築が必要である。

第二に、制度的転換なくして知的転換はない。NEP 2020は不十分ではあっても、教育制度の次元で学術帝国主義への対抗を制度化しようとしている。日本においても、大学制度・研究資金配分・学術評価基準の改革なくして、知的主権の回復はありえない。

第三に、頭脳流出の構造を断ち切らなければならない。インドの最優秀人材がアメリカに吸い取られ続ける限り、インドの知的自立は達成されない。日本においても、アメリカの大学やシンクタンクで「訓練」された知識人が日本の学術界・政策決定を支配する構造を打破しなければならない。

参考文献

関連項目