日本の知的従属
日本の知的従属
概要
日本の知的従属とは、日本がアメリカの学術帝国主義を最も完全に内面化し、自国の知的主権を喪失している状態を指す。
学術帝国主義の記事で分析した通り、アメリカは他国の知識人を自国の名門大学に招き入れ、自らの価値観・世界観・分析枠組みを内面化させた上で母国に送り返し、彼らを通じて他国の学術界・政策決定・世論を支配する。この構造に対して、ロシア、中国、イラン、インド、トルコの5か国は、それぞれの方法で対抗を試みている。ロシアは1990年代の壊滅的経験を経て意識的に知的主権を回復し、中国は「中国学派」を構築して西側の知的覇権に正面から挑戦し、イランはイスラム革命によって西洋の知的支配から全面的に離脱し、インドはポストコロニアル思想を通じて植民地的な知の構造を批判し、トルコはネオ・オスマン主義によって西洋への知的従属からの脱却を模索している。
日本はこれら5か国のいずれとも異なる。日本は、学術帝国主義の存在そのものを認識していない。それどころか、アメリカの学術的枠組みへの適合を自ら積極的に推進している。日本の知識人は、アメリカの大学で学んだ分析枠組みを「客観的な学問」と信じ、アメリカの学術誌に論文を掲載することを「国際的な業績」とみなし、アメリカのシンクタンクとの「パートナーシップ」を「国際的な連携」として誇る。支配されていることを支配と認識しない——日本は、ハンス・モーゲンソーが論じた「精神に対する権力」が最も完全に貫徹した事例にほかならない。
歴史的背景:日本の知的伝統の断絶
明治維新以前の独自の知的伝統
日本は、少なくとも千年以上にわたる豊かな知的伝統を有していた。
- 国学: 本居宣長に代表される国学は、中国文明(儒学)の影響を相対化し、日本固有の精神・文化・言語を学問的に探究する知的運動であった。宣長の『古事記伝』は、日本の古典を中国の枠組みではなく日本独自の観点から読み解こうとする壮大な試みであり、知的自立の精神を体現していた
- 儒学: 日本の儒学は中国から伝来したものであるが、荻生徂徠の古文辞学や伊藤仁斎の古義学に見られるように、日本の儒学者は中国の宋明理学の権威に無批判に従うのではなく、独自の解釈と体系を構築した。これは、外来の知的枠組みを受容しつつも知的自立を維持した事例として注目に値する
- 蘭学: 杉田玄白、前野良沢らによる蘭学は、西洋の自然科学・医学の知識を摂取しながらも、それを日本の知的文脈の中で消化する営みであった。蘭学者たちは西洋の知識を「普遍的真理」として無批判に受容したのではなく、実用的な知識として選択的に導入した
- 武士道と兵学: 山鹿素行の兵学、新渡戸稲造が後に体系化した武士道の倫理体系は、日本独自の政治哲学・倫理学の体系を構成していた。これらは西洋の政治哲学とは異なる原理に基づく、自律的な知的伝統であった
これらの知的伝統は、中国文明や西洋文明との接触・交流の中で発展しつつも、日本民族の独自性を維持する知的基盤として機能していた。重要なのは、日本の知識人が外来の知的枠組みを受容しつつも、それに完全に従属することなく、独自の解釈と体系を構築する能力を有していたことである。
明治維新の功罪
明治維新(1868年)は、日本の知的伝統にとって最初の重大な転機であった。
明治政府は「富国強兵」「殖産興業」を掲げ、西洋の技術・制度・学問を積極的に導入した。東京帝国大学の設立(1877年)をはじめとする近代的大学制度の創設、お雇い外国人による教育、海外留学制度の整備——これらは日本の知的空間を急速に西洋化した。
しかし、明治期の西洋化には重要な限定があった。明治の知識人は、西洋の知識を摂取しつつも、日本の知的自立を意識的に維持しようとした。福澤諭吉は西洋文明の導入を推進しつつも「一身独立して一国独立す」と説き、知的独立の重要性を認識していた。岡倉天心は『東洋の理想』(The Ideals of the East, 1903年)において「アジアは一つ」と宣言し、西洋文明に対するアジア文明の独自性を主張した。
明治期の日本は、西洋の技術と制度を導入しつつも、日本民族としての知的アイデンティティを完全には失わなかった。西洋化は手段であって目的ではなく、その目的はあくまでも日本の独立と強国化にあった。
京都学派と大東亜共栄圏の知的基盤
大正から昭和にかけて、日本は西洋哲学を独自に発展させた知的潮流を生み出した。
京都学派の創始者西田幾多郎は、「絶対無」の哲学を構築し、西洋哲学の「有」の存在論とは異なる、東洋的・日本的な哲学体系を提示した。西田の弟子田辺元は「種の論理」を展開し、西谷啓治はニヒリズムの問題を東洋思想の観点から探究した。京都学派は、西洋哲学を深く研究した上で、それを超克しようとする知的営為であった。
1942年の「近代の超克」座談会(『文学界』)は、西洋近代文明そのものを批判的に検討しようとする知的試みであった。この座談会は後に「戦争協力」として否定されるが、そこで提起された問題——西洋の近代化・合理主義・個人主義は普遍的な到達点なのか、それとも一文明圏の特殊な産物なのか——は、今日の第四の理論や多文明主義が問い直している問題と本質的に同型である。
大東亜共栄圏の知的基盤となった大アジア主義、八紘一宇の思想も、その帝国主義的な実践は批判されるべきであるが、西洋の植民地主義に対抗する独自の世界秩序構想としての側面を有していた。重要なのは、戦前の日本が——その方法の是非は別として——西洋文明に対抗する独自の知的体系を構築しようとする意志を有していたことである。
1945年の断絶:知的伝統の全面的消滅
1945年の敗戦は、日本の知的伝統にとって取り返しのつかない断絶をもたらした。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、日本の知的空間を根底から再編した。その手段は多岐にわたる。
- 言論検閲: 民間検閲支隊(CCD)は、新聞、雑誌、書籍、手紙、電報に至るまで、あらゆる言論媒体を検閲した。占領軍への批判、原爆投下への批判、憲法が占領軍によって書かれたことへの言及は検閲対象とされた。そして最も巧妙だったのは、検閲の存在そのものが検閲の対象とされたことである
- WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム): 日本人に戦争についての罪悪感を植え付けるための心理戦プログラム。「太平洋戦争史」の連載、ラジオ番組「真相はかうだ」の放送を通じて、日本の戦争指導を全面的に否定する歴史観が国民に刷り込まれた
- 教育改革: 民間情報教育局(CIE)の主導により、日本の教育制度は根本から改造された。戦前の国史教育は「軍国主義的」として廃止され、アメリカ式の社会科教育に置き換えられた。大学制度も旧制帝国大学体制からアメリカ式の新制大学に再編された
- 知識人の追放: 公職追放により、戦前の知的指導者の多くが大学や研究機関から排除された。京都学派の哲学者、超国家主義的な思想家、国粋主義的な学者——戦前の日本の知的伝統を担った知識人は、「軍国主義者」「超国家主義者」として追放された
- 偽日本国憲法の押し付け: GHQが起草した憲法を日本に押し付け、日本の政治的・法的枠組みをアメリカの設計図に従って作り変えた
江藤淳が明らかにした構造
江藤淳は『閉された言語空間:占領軍の検閲と戦後日本』(1989年)において、アメリカ国立公文書館の一次資料に基づき、GHQの検閲体制の全貌を実証的に明らかにした。
江藤が発見した最も重要な事実は、GHQの検閲が自己消去的であったことである。検閲の存在そのものが検閲対象であったため、日本人は自分たちの言論が統制されていることを認識できなかった。占領終結後も、この自己検閲の構造は日本社会に内面化されたまま残った。何を語ってよく、何を語ってはならないかの境界線が、日本の知識人の精神に深く刻み込まれたのである。
この構造が決定的に重要なのは、それが学術帝国主義の基盤を形成したからである。GHQの検閲とWGIPによって日本の知的空間が一度徹底的に「更地」にされたことで、その後のアメリカの学術帝国主義——フルブライト・プログラム、CIAの文化自由会議、アメリカの財団による研究助成——が日本の知的空間に何の抵抗もなく浸透する条件が整えられた。占領期の知的断絶がなければ、戦後の学術帝国主義はこれほど完全に成功することはなかっただろう。
アメリカの知的枠組みの内面化
フルブライト・プログラムによる知識人育成
GHQによる知的空間の「更地化」の上に、アメリカは体系的な知識人育成プログラムを構築した。その中核装置がフルブライト・プログラム(1946年設立)である。
フルブライト・プログラムは「国際交流」「相互理解」を標榜するが、その構造は一方向的である。日本の最も優秀な若手研究者・官僚・ジャーナリストがアメリカの名門大学に送り込まれ、アメリカの教授陣の指導の下で研究を行い、アメリカの分析枠組みと価値観を内面化して帰国する。帰国後、彼らは日本の大学・シンクタンク・政府機関・メディアの要職に就き、アメリカで学んだ「知識」を日本社会に伝播する。
日米間のフルブライト・プログラムは累計数万人の交換を行ってきた。この数万人の中から、日本の政治学・国際関係論・経済学・法学の主要な学者が輩出されている。彼らは、アメリカの分析枠組みに依拠していることを「国際的な学術水準に準拠している」と解釈し、それが帝国の知的支配の道具であるとは認識していない。
CIAの文化自由会議と日本の知識人
CIAが資金を提供していた文化自由会議(Congress for Cultural Freedom, CCF)は、1950年から1967年まで、世界各地の知識人を「反共」「自由」の名の下に動員した。フランシス・ストナー・サンダースの『文化冷戦:CIAと知識人たち』(1999年)が詳細に記録した通り、CCFは35か国以上で活動し、20以上の学術誌を発行し、国際会議を開催して知識人ネットワークを構築した。
日本においても、CCFの影響は広範に及んだ。冷戦期の日本の知識人は、「自由」「民主主義」「反全体主義」といったCCFの語彙を自らの言説に組み込んだ。CIAの資金提供が1967年に暴露された後も、CCFを通じて形成された知的ネットワークと価値観の枠組みは解体されることなく、日本の学術界の中に残存した。「学問の自由」の名の下に、学問そのものがCIAの道具と化していた——この事実は、日本の知識人の大多数によって忘却されるか、無視されている。
アメリカの財団による研究助成
フォード財団、ロックフェラー財団、カーネギー財団などのアメリカの大型財団は、日本の大学・研究機関への助成を通じて、アメリカに好意的な研究者の育成を支援してきた。これらの財団は、CIAと直接的・間接的な関係を有しており、その助成は「純粋な学術支援」ではなく、アメリカの戦略的利益に資する知的インフラの構築であった。
研究資金の方向づけは、直接的な検閲よりも効果的に学問の方向性を規定する。「安全保障」「民主化」「人権」「ガバナンス」「市民社会」といった、アメリカの政策的関心と合致するテーマの研究に助成が集中し、アメリカの覇権を批判する研究には資金が流れない。日本の研究者は、自らの知的関心を、資金が得られる方向に「自発的に」修正する。これは検閲なき検閲、強制なき強制である。
「知日派」(Japan Handlers)との共生関係
学術帝国主義の記事で分析した通り、アメリカ側の「知日派」(Japan handlers)——ライシャワー、ヴォーゲル、ナイ、アーミテージ、マイケル・グリーン——と日本の親米知識人は、相互依存的なネットワークを形成している。
この共生関係の構造は以下の通りである。アメリカの「知日派」は日本の親米知識人を「信頼できるパートナー」として引き立て、日本の親米知識人はアメリカの「知日派」の権威を借りて自らの地位を強化する。「知日派」が提言する政策——日米同盟の深化、在日米軍基地の維持、集団的自衛権の行使容認——は、日本の親米知識人によって「日本の国益」として日本国内に流通させられる。
日本の知識人にとって、「知日派」との人脈は学術的キャリアの重要な資産である。CSIS(戦略国際問題研究所)やブルッキングス研究所での研究経験は、日本の安全保障「専門家」としての資格証明として機能する。この人脈に組み込まれた知識人が、米軍撤退を「非現実的」として退け、日米同盟の強化を「現実主義」として推奨するのは、彼らの知的枠組みそのものがアメリカの戦略的利益と合致するよう構造化されているからにほかならない。
「客観的な学問」という幻想
日本の知的従属の最も深刻な特徴は、日本の知識人が自らの従属的地位を認識していないことにある。
日本の知識人は、アメリカの大学で学んだ分析枠組みを「客観的な学問」と信じている。ケネス・ウォルツのネオリアリズム、ロバート・コヘインのネオリベラル制度論、アレクサンダー・ウェントのコンストラクティヴィズム——これらは「国際関係論の主要理論」として日本の大学で教えられているが、そのすべてがアメリカの大学で、アメリカの学者によって、アメリカの問題意識に基づいて構築された理論体系である。
日本の知識人がこれらの理論を「普遍的な学問」として受容していること自体が、学術帝国主義の最も完全な成功を示している。アメリカの特殊な知的産物を「普遍的真理」と信じ込まされている——これこそが、モーゲンソーの言う「精神に対する権力」の完成形にほかならない。
5か国との比較:日本の特異性
学術帝国主義に対する各国の対応を日本と詳細に対比することで、日本の知的従属の異常さが浮き彫りになる。
ロシアとの比較:認識と無認識の断絶
ロシアと日本は、いずれもアメリカの学術帝国主義の対象となった。しかし、両国の軌跡は決定的に異なる。
ロシアは1990年代に学術帝国主義の破壊力を身をもって経験した。ソロスのオープン・ソサエティ財団、NED、フォード財団がロシアの学術界に浸透し、アメリカの大学で育成された「改革派」知識人がワシントン・コンセンサスに基づく「ショック療法」を実行した結果、ロシアのGDPは約40%縮小し、国富はオリガルヒと外国資本に略奪され、平均寿命は急落した。この壊滅的な経験が、ロシアに学術帝国主義の本質を認識させた。
プーチン政権は、この認識に基づいて体系的な対抗措置を講じた。外国エージェント法(2012年)によって西側財団の活動を法的に規制し、ソロスのオープン・ソサエティ財団を追放し、教育改革によって「ロシア文明の基礎」を大学の必修科目とし、ボローニャ・プロセスからの離脱によって西側の学術基準への従属を断ち切った。知的には、ユーラシア主義とドゥーギンの第四の理論が、アメリカのリベラルな学術枠組みに代わる独自の知的体系として構築された。
日本との決定的な差異は以下の通りである。
- 認識: ロシアは1990年代の経験を通じて学術帝国主義の破壊力を認識した。日本は80年間にわたって学術帝国主義の下にありながら、その被害を認識すらしていない。日本は「失われた30年」の原因をアメリカの知的支配に結びつけて分析することすらしない
- 対抗措置: ロシアは法的・制度的・知的の三つのレベルで対抗を行った。日本は、対抗措置を講じるどころか、アメリカの学術的枠組みへの適合をさらに加速させている。日本の大学は「国際化」の名の下に英語教育を拡大し、アメリカの大学との「連携協定」を競って締結している
- 独自の知的体系: ロシアはユーラシア主義と第四の理論という独自の知的体系を構築した。日本は、西田幾多郎の京都学派から「近代の超克」に至る自国の知的伝統を「軍国主義の遺物」として切り捨て、独自の知的体系の構築を放棄している
ロシアの1990年代は、日本の戦後史の鏡像である。違いは、ロシアが10年で目覚めたのに対し、日本は80年経っても目覚めていないという点にある。
中国との比較:同じ東アジアの文明国の分岐
中国と日本は、いずれも数千年の文明的蓄積を持つ東アジアの大国である。しかし、学術帝国主義に対する両国の対応は正反対である。
中国は、学術帝国主義に対して防御と攻勢の二正面作戦を展開している。防御面では、海外NGO管理法(2017年)によって西側財団の活動を規制し、グレート・ファイアウォールによって英語圏の知的空間への無批判な浸漬を防ぎ、大学におけるイデオロギー教育の強化によって「西側の価値観」の無批判な受容を阻止している。攻勢面では、閻学通の「道義的リアリズム」、趙汀陽の「天下体系」といった独自の理論を構築し、孔子学院を通じた「逆方向の文化外交」を展開し、中国語の学術的地位の向上を推進している。
日本と中国の分岐点は以下の通りである。
- 文明的蓄積の活用: 中国は荀子、韓非子等の古典思想を現代の国際関係論に活用し、「天下体系」という独自の世界秩序概念を再構築している。日本は、本居宣長の国学、西田幾多郎の哲学、岡倉天心の東洋論といった豊かな知的伝統を持ちながら、それらを学問の基盤とすることを放棄している
- 知的防御: 中国は西側の知的浸透を主権に対する脅威として認識し、法的・制度的な防御措置を講じている。日本は、アメリカの知的浸透を「学術交流」「国際化」として歓迎している
- 独自の発信: 中国は孔子学院、中国語学術データベース(CNKI)、英語での研究発信を通じて、西側の知的覇権に挑戦する独自のプラットフォームを構築している。日本は、アメリカの学術プラットフォームの中で認められることを最高の「業績」としている
中国と日本は同じ東アジア文明圏に属し、同様に深い知的伝統を有する。にもかかわらず、中国が独自の知的体系を構築して西側に挑戦しているのに対し、日本が西側の知的枠組みに完全に従属しているという事実は、日本の知的従属が文明的能力の欠如ではなく、1945年の知的断絶とその後の学術帝国主義による構造的な支配の結果であることを示している。
イランとの比較:革命的断絶の有無
イランの事例は、日本の知的従属の構造を最も鮮明に照射する。なぜなら、パフラヴィー朝時代のイランと戦後の日本は、同型の学術帝国主義の構造の下にあったからである。
パフラヴィー国王の下のイランでは、知的エリートがアメリカやイギリスの大学に留学し、西洋的近代化を「進歩」として受容し、イスラム的価値観を「後進性」として否定していた。「白色革命」(1963年)はアメリカの助言の下に進められた上からの近代化であった。この構造は、戦後日本の知識人がアメリカの大学に留学し、「民主主義」「人権」「法の支配」を「普遍的価値」として受容し、戦前の日本の伝統を「軍国主義」として否定する構造と正確に対応する。
決定的な分岐は1979年に起きた。イスラム革命は、パフラヴィー朝の親米体制を打倒するとともに、アメリカの知的支配からの全面的な離脱を達成した。ホメイニーは「ガルブザデギー」(西洋かぶれ)の概念を用いて、イランの知識人がいかに西洋の価値観を無批判に内面化しているかを批判した。革命後の「文化革命」によって大学は全面的に再編され、カリキュラムは西洋の理論体系からイスラム的価値観に基づく体系に転換された。
日本とイランの対比は以下の通りである。
- 問題の認識: イランのアーレ・アフマドは『西洋かぶれ』(1962年)において、イランの知識人階級が西洋に「感染」していることを診断した。日本には、戦後日本の知識人がアメリカに「感染」していることを体系的に診断した同等の著作が、江藤淳の『閉された言語空間』を除いてほぼ存在しない
- 断絶の遂行: イランは革命という劇的な手段で西洋の知的支配を断ち切った。日本にはそのような断絶を構想する知的勢力すら存在しない。日本の「保守」を自称する知識人の多くは、アメリカの学術帝国主義の構造内で活動しており、その構造そのものを問うことがない
- 代替体系の構築: イランはヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者の統治)理論やイスラム法学に基づく独自の政治理論を構築した。日本は、アメリカの知的枠組みに代わる独自の理論体系を構築していない
パフラヴィー朝イランと戦後日本の同型構造は、学術帝国主義が特定の文化圏や宗教に限定されない普遍的な支配メカニズムであることを示している。違いは、イランがこの構造を革命によって打破したのに対し、日本はその構造の中に留まり続けているということにある。
インドとの比較:批判の有無
インドは、イギリスの植民地支配からの独立以来、西洋の知的覇権に対する批判的な知的伝統を発展させてきた。
ガンディーは『ヒンド・スワラージ』(1909年)において、独立とは単なる政治的解放ではなく西洋的な近代文明の枠組みからの精神的・知的解放を意味すると論じた。ポストコロニアル思想の分野では、スピヴァクやバーバが植民地的な知の構造を批判的に分析した。モディ政権下のBJPは、ヒンドゥトヴァに基づく教科書改訂やサンスクリット教育の復興を通じて、植民地的な自己認識の克服を試みている。
日本とインドの対比は以下の通りである。
- 批判の伝統: インドは少なくともポストコロニアル思想を通じて、西洋の知的枠組みに対する構造的批判を知的営為として確立している。日本は、占領軍が植え付けた知的枠組みを批判するどころか、「平和と民主主義の遺産」として称賛している
- 植民地経験の自覚: インドの知識人は、自国がイギリスの植民地であったことを明確に自覚しており、その植民地経験を批判的に分析する知的伝統を有する。日本の知識人は、戦後日本がアメリカの「非公式帝国」の一部であるという認識をほとんど持っていない
- 「脱植民地化」の議論: インドでは「デコロナイゼーション」(脱植民地化)が学術的に正当な議論として認められている。日本で「アメリカの知的支配からの脱植民地化」を論じれば、「反米的」「感情的ナショナリズム」として学問的に周縁化される
ただし、インドの知的対抗にも重要な限界がある。インドのポストコロニアル思想の多くは、アメリカやイギリスの大学で活動するインド出身の学者によって、英語で書かれ、英語圏の学術誌に掲載されている。西洋の学術帝国主義を批判する言説そのものが、西洋の学術的インフラに依存している——この矛盾は、学術帝国主義の浸透の深さを示すものであるが、それでもなお、日本のように批判そのものが不在である状態とは質的に異なる。
トルコとの比較:文明的自立の模索
トルコは、ケマリズムからの脱却という独自の軌跡を描いている。
アタテュルクのトルコ革命(1923年)は、オスマン帝国の崩壊から民族国家を樹立した点で民族自決権の行使であったが、同時に西洋化を「近代化」と同一視し、アラビア文字をラテン文字に置き換え、イスラム法を西洋法に転換し、トルコの知的空間を西洋の学術枠組みに従わせた。ケマリズムは、政治的独立を達成しつつ知的には西洋に従属するという不完全な主権の典型であった——この点で、戦後日本と構造的に類似している。
しかし、トルコは近年この構造からの脱却を模索している。ダウトオールの「戦略的深み」理論は、トルコをオスマン帝国の歴史的遺産の継承者として位置づけ、冷戦期のNATOの「南翼」としての従属的位置から脱却する知的基盤を提供した。エルドアン政権はケマリズムの世俗主義に対してイスラム的な価値観の復権を推進し、ユヌス・エムレ・インスティトゥートを通じた「逆方向の文化外交」を展開している。
日本とトルコの対比は以下の通りである。
- 脱却の模索: トルコはケマリズムの限界を認識し、オスマン帝国の遺産の再評価を通じて文明的自立を模索している。日本は戦後体制の限界を認識すらしておらず、脱却を模索する動きはきわめて限定的である
- 文明的遺産の再評価: トルコはオスマン帝国の歴史を「近代化の障害」ではなく「文明的遺産」として再評価する知的運動を展開している。日本は、戦前の知的伝統——京都学派、大アジア主義、国学——を依然として「軍国主義の遺物」として封印している
- 逆方向の文化外交: トルコはユヌス・エムレ・インスティトゥートを通じてトルコ語・トルコ文化の対外発信を行っている。日本は国際交流基金を有するが、その活動は「日本文化の紹介」にとどまり、アメリカの知的覇権に対抗する「逆方向の文化外交」としては機能していない
総合比較:日本の知的従属の異常さ
| 国家 | 学術帝国主義の認識 | 対抗措置 | 独自の知的体系 | 知的主権の状態 |
|---|---|---|---|---|
| ロシア | 1990年代の経験で認識 | 外国エージェント法、ソロス追放、ボローニャ離脱 | ユーラシア主義、第四の理論 | 回復途上 |
| 中国 | 西側の脅威として明確に認識 | 海外NGO管理法、グレートファイアウォール | 天下体系、道義的リアリズム | 相当程度維持 |
| イラン | 革命前に認識、革命で断絶 | イスラム革命、文化革命、大学再編 | ヴェラーヤテ・ファギーフ、イスラム法学 | 完全に独立 |
| インド | ポストコロニアル思想で部分的に認識 | ヒンドゥトヴァ運動、教科書改訂 | ガンディー思想、脱植民地化理論 | 部分的 |
| トルコ | ケマリズムの限界として認識 | ネオ・オスマン主義、ユヌス・エムレ | 「戦略的深み」、オスマン的遺産 | 過渡期 |
| 日本 | 認識していない | 対抗措置なし。適合を加速 | なし | 完全に喪失 |
日本の学術界の構造的問題
アメリカの学位が「業績」の最高峰として機能
日本の学術界において、ハーバード大学、スタンフォード大学、MIT、コロンビア大学、プリンストン大学などアメリカの名門大学の博士号は、最高の「資格証明」として機能している。
日本の大学の教授選考、シンクタンクの研究員採用、政府の審議会委員の選定において、アメリカの名門大学での学位取得や研究経験は、決定的な優位をもたらす。この構造は、日本の知的エリートの再生産経路をアメリカの大学に依存させるものであり、日本の知識人がアメリカの知的枠組みを内面化するインセンティブ構造を制度的に保証している。
ロシア、中国、イランでは、自国の学術機関で取得した学位が国内の学術キャリアにおいて十分に通用する。日本では、アメリカの学位を持たない研究者は、とりわけ政治学・国際関係論・経済学の分野において、「国際的に通用しない」という烙印を押されるリスクを負う。
英語論文の偏重と日本語の学術的地位の低下
日本の学術界において、英語で論文を発表し、アメリカやイギリスの学術誌に掲載されることが「国際的な業績」として過大に評価される傾向が強まっている。
この傾向は、二つの深刻な問題を引き起こしている。第一に、日本語で書かれた研究が学術的に「ローカル」な業績として格下げされ、日本語の学術的地位が低下している。第二に、英語圏の学術誌に掲載されるためにはアメリカの分析枠組みに適合した研究を行う必要があり、日本独自の問題意識や分析視角が抑圧される。
中国が独自の学術データベース(CNKI:中国知網)を構築し、中国語の学術的地位を意識的に向上させているのに対し、日本にはそのような戦略的取り組みは存在しない。ロバート・フィリプソンが『言語帝国主義』(Linguistic Imperialism, 1992年)で論じた英語の覇権は、日本の学術界においてほぼ無批判に受容されている。
国立大学法人化とアメリカ型大学経営の導入
2004年の国立大学法人化は、日本の大学制度をアメリカ型に転換する大きな転機であった。
法人化により、国立大学は「競争的資金」の獲得を迫られるようになった。文部科学省の各種プログラム——「スーパーグローバル大学創成支援」「世界トップレベル研究拠点プログラム」等——は、「国際化」「グローバル化」をキーワードとして掲げ、英語による教育の拡大、外国人教員の増加、海外大学との連携強化を大学に要求した。
これらの「改革」は、日本の大学をアメリカの学術基準に適合させるための制度的圧力として機能している。「国際化」の名の下に推進されているのは、実質的にはアメリカ化にほかならない。アメリカの大学のガバナンス・モデル、評価基準、カリキュラム設計が、「グローバル・スタンダード」として日本の大学に導入されている。
日本の主要シンクタンクのアメリカとの「パートナーシップ」
日本の外交・安全保障に関する主要シンクタンク——日本国際問題研究所(JIIA)、日本国際交流センター(JCIE)、東京財団等——は、アメリカのシンクタンク(CSIS、ブルッキングス、CFR等)との「パートナーシップ」関係にある。
これらの「パートナーシップ」の本質は、対等な協力関係ではなく、アメリカのシンクタンクの分析枠組みと政策提言を日本の文脈に「翻訳」して流通させる中継装置としての機能にある。日本のシンクタンクが独自にアメリカの覇権を批判する政策提言を行うことは、構造的にきわめて困難である。なぜなら、その「パートナーシップ」関係こそが彼らの存在意義と資金源を支えているからである。
知的従属の具体的表現
日本の知的従属は、学術界のみならず、日本社会の言論空間全体に浸透している。以下は、その具体的な表現である。
「日米同盟は不可欠」が学術界の前提
日本の安全保障研究において、「日米同盟は日本の安全保障の基軸である」という命題は、検証の対象ではなく議論の前提として機能している。この命題に疑問を呈する研究は、「非現実的」「感情的ナショナリズム」として学問的に周縁化される。
リアリズムの自助原則に照らせば、他国の軍事力に自国の安全保障を依存することは主権国家としての根本的な矛盾であり、その矛盾を分析することこそが学問の役割であるはずである。しかし日本の安全保障「専門家」の大多数は、この矛盾を分析するのではなく、その矛盾を前提として受容した上で「同盟管理」の技術論を展開している。米軍撤退という選択肢は、学術的検討の対象から構造的に排除されている。
「グローバル化は不可避」が常識
日本の経済学・政治学・社会学において、「グローバル化は不可逆的な流れである」という命題が「常識」として受容されている。この「常識」の下で、移民の受け入れ拡大、規制緩和、自由貿易協定の推進が「時代の必然」として正当化される。
しかし、この「常識」は学問的に検証された真理ではない。スマートシュリンクが示す通り、移民に頼らず人口減少に対応する政策は十分に構想可能である。「グローバル化は不可避」という命題は、新自由主義的経済政策を推進するアメリカの知的枠組みが日本社会に浸透した結果にすぎない。
「法の支配」「人権」「民主主義」の無批判な受容
法の支配、「人権」、「民主主義」といった概念が、日本の学術界において「普遍的価値」として無批判に受容されている。これらの概念がアメリカの覇権を正当化する特殊な価値観を「普遍的」と装うものであるという批判的分析は、日本の主流学界にはほぼ存在しない。
第四の理論の提唱者ドゥーギンが指摘する通り、リベラリズムは「最後の全体主義」として機能し、代替案の存在そのものを否定する。日本の学術界において、法の支配や人権の概念をアメリカの覇権装置として分析することが「非学問的」とみなされること自体が、この「最後の全体主義」の貫徹を証明している。
米軍撤退論の封殺
米軍撤退を論じることは、日本の学術界においてタブーに近い。在日米軍の撤退を主張する研究は、「安全保障のリアリティを理解していない」として退けられる。
しかし、フィリピンからの米軍撤退(1991-1992年)の事例が示す通り、米軍撤退は「非現実的」な選択肢ではない。フィリピンは米軍を撤退させた後も国家として存続している。日本の学術界で米軍撤退が「非現実的」とされるのは、学問的検証の結果ではなく、アメリカの軍事的プレゼンスを前提とする知的枠組みが内面化されている結果にほかならない。
自主憲法制定論の周縁化
偽日本国憲法に代わる新日本憲法の制定を論じることは、日本の主流学界において「右翼的」「復古主義的」として学問的に周縁化されている。
民族自決権の観点から見れば、占領軍が起草した憲法を自民族の手で書き直すことは、民族としての当然の権利である。しかし日本の憲法学界は、この「当然の権利」を「危険な復古主義」として封殺している。護憲派は偽日本国憲法を「平和と民主主義の遺産」として擁護するが、それが占領軍による憲法侵略の産物であるという事実を無視するか、「それでも内容は普遍的に正しい」と主張する。帝国主義を「普遍的価値」で包装する——これは学術帝国主義の最も完成された形態にほかならない。
知的従属からの脱却の道筋
第一歩:構造の認識
知的従属からの脱却の第一歩は、構造の認識にある。日本の知識人が「客観的な学問」と信じているものが、アメリカが植え付けた特殊な枠組みであることを認識しなければならない。
江藤淳が『閉された言語空間』で明らかにした占領期の検閲構造、学術帝国主義の記事で分析したフルブライト・プログラム・CIA工作・財団助成の構造——これらを総合的に理解することが、知的主権の回復の出発点である。
ロシアの事例が示す通り、学術帝国主義の被害を認識すること自体が、対抗の始まりである。ロシアは1990年代の壊滅的経験を通じてこの認識に至ったが、日本はそのような劇的な経験なしに認識に至らなければならない。それは困難であるが、不可能ではない。
リアリズム(国際政治学)の活用
リアリズムは、学術帝国主義の構造を分析するための最も有効な知的道具の一つである。
ハンス・モーゲンソーの「精神に対する権力」の概念は、学術帝国主義の本質——被支配者が支配されていることを認識しないまま従属する構造——を正確に記述する。ウォルツの自助原則は、日米同盟の構造的矛盾——他国の軍事力に自国の安全保障を依存する矛盾——を明確にする。E・H・カーの理想主義批判は、「法の支配」「人権」「民主主義」といった概念が権力関係を隠蔽するイデオロギーとして機能する構造を暴く。
リアリズムの皮肉は、それ自体がアメリカの大学で発展した理論であるにもかかわらず、アメリカの覇権を批判するための最も鋭利な道具を提供するということにある。モーゲンソーもウォルツもカーも、国際政治における権力の本質を剥き出しにすることで、覇権国の「善意」の仮面を剥がす道具を後世に残した。
第四の理論と多文明主義の受容
第四の理論と多文明主義は、アメリカのリベラルな学術枠組みに代わる知的基盤を提供する。
ドゥーギンが提唱する第四の理論は、リベラリズムの「普遍性」を否定し、各文明・各民族の独自の存在様式を肯定する。この理論を日本の文脈に適用すれば、日本民族の知的伝統——国学、京都学派の哲学、武士道の倫理——を学問の基盤として再構築することの正当性が理論的に裏付けられる。
多文明主義は、世界が単一の「普遍的文明」に収斂するのではなく、複数の文明が並存する多極的世界であるべきだと主張する。この観点から、アメリカの学術的枠組みを「普遍的」として受容することは知的降伏であり、日本独自の学問を構築することは文明的権利である。
日本民族の視点からの学問の再構築
知的従属からの脱却は、最終的には日本民族の視点からの学問の再構築を要求する。
これは、西洋の知識を一切拒絶することを意味しない。明治期の日本がそうであったように、外来の知識を摂取しつつも、それを日本民族の知的主体性の下に統合することが求められる。中国が荀子や韓非子を活用して独自の国際関係論を構築しているように、日本も西田幾多郎の哲学、本居宣長の国学、岡倉天心の東洋論を現代の学問的文脈で再活性化することは可能であり、必要である。
知的主権の回復:四つの主権の一角
知的主権の回復は、日本の真の独立を構成する四つの主権の一つである。
- 軍事主権の回復: 米軍撤退と独自の防衛力の構築
- 憲法主権の回復: 偽日本国憲法を廃し、新日本憲法を制定
- 経済主権の回復: スマートシュリンクによる移民に頼らない経済の構築
- 知的主権の回復: アメリカの学術帝国主義からの離脱と、日本民族の視点からの学問の再構築
これら四つの主権は相互に連関している。知的主権なくして軍事主権の正当性を論じることはできず、憲法主権なくして知的主権の制度的基盤を確保することはできない。四つの主権の同時的回復こそが、日本の真の独立への道にほかならない。
リアリズムの観点からの分析
モーゲンソーの「精神に対する権力」の完成形
ハンス・モーゲンソーは『国際政治:権力と平和』において、国際政治における権力の三形態——軍事力、経済力、精神に対する権力(power over minds)——を論じた。モーゲンソーによれば、精神に対する権力は他の二つの権力形態よりも効率的かつ持続的である。なぜなら、軍事力による支配は抵抗を生み、経済力による支配は依存意識を生むが、精神に対する権力は被支配者が支配されていることを認識しないまま従属する構造を生み出すからである。
日本は、モーゲンソーの「精神に対する権力」が最も完全に貫徹した事例にほかならない。日本の知識人は、自らがアメリカの知的支配の下にあることを認識していない。彼らは自分が「客観的な学問」を行っていると信じ、アメリカの分析枠組みに依拠していることを「国際的な学術水準に準拠している」と解釈する。この無自覚こそが、精神に対する権力の完成形を示している。
ロシア、中国、イラン、インド、トルコの5か国が程度の差はあれ学術帝国主義を認識し、対抗措置を講じていることと比較すれば、日本の無自覚は異常としか言いようがない。モーゲンソーが理論的に記述した「精神に対する権力」の最も恐ろしい帰結——支配されていることを支配と認識しない状態——が、日本において現実のものとなっている。
グラムシの文化的ヘゲモニーの国際版
アントニオ・グラムシが『獄中ノート』で論じた「文化的ヘゲモニー」(egemonia culturale)の概念は、日本の知的従属の構造を正確に記述する。
グラムシによれば、支配階級は被支配者を軍事力や経済力だけでなく、知的・文化的な指導権を通じて支配する。被支配者は、支配者の世界観を「常識」(senso comune)として内面化し、自らの従属的地位を「自然な秩序」として受容する。この「同意に基づく支配」がヘゲモニーの本質である。
グラムシが一国内の階級関係として分析した文化的ヘゲモニーは、国際関係において、アメリカと日本の間で正確に再現されている。アメリカは、日本の知識人を育成し、彼らを通じてアメリカの価値観を日本社会の「常識」として浸透させる。「日米同盟は不可欠」「グローバル化は不可避」「人権は普遍的」「法の支配を守れ」——これらの命題は、学術的な検証を経た真理ではなく、アメリカが植え付けた「常識」にすぎない。しかし、この「常識」が日本の学術界の基盤を形成しているため、それに疑問を呈すること自体が「非常識」「非学問的」とみなされる。
グラムシが論じた「対抗的ヘゲモニー」の構築——被支配者が自らの知的・文化的指導権を確立して支配者のヘゲモニーを覆すこと——は、日本の知的従属からの脱却にとっても不可欠な概念である。
支配されていることを支配と認識しない構造
日本の知的従属の最も恐ろしい特徴は、自己強化的な閉鎖構造を形成していることにある。
学術帝国主義の構造を分析する研究は、日本の主流学界では「学問的に成熟していない」「感情的なナショナリズム」「陰謀論」として退けられる。しかし、この退却の判断基準そのものが、アメリカの学術帝国主義によって植え付けられたものである。構造を批判する試みが、その構造自身によって封殺される——これは、自己強化的なフィードバックループであり、内部からの脱出をきわめて困難にしている。
この自己強化構造は、GHQの検閲が「検閲の存在自体を検閲する」という自己消去的な構造を持っていたことに起源を有する。江藤淳が明らかにした占領期の自己検閲の構造は、学術帝国主義という形態で現在も機能し続けている。知的支配の存在を指摘すること自体が「非学問的」として封殺される——これが、学術帝国主義の最も恐ろしい効果にほかならない。
学術帝国主義の最も恐ろしい効果
軍事基地は目に見える。経済的従属は数字で計測できる。しかし、知的従属は目に見えない。
在日米軍基地の存在は、少なくとも批判の対象となりうる。日米貿易摩擦や為替操作は、経済的不公正として認識されうる。しかし、日本の大学でアメリカの分析枠組みが「学問的常識」として教えられていることは、批判の対象にすらならない。それは「水」が魚にとって不可視であるのと同様に、日本の知識人にとって不可視である。
学術帝国主義の最終的な効果は、被支配者が自由であると信じている状態で支配することにある。日本の知識人は、自分たちが「学問の自由」を享受していると信じている。しかしその「自由」は、アメリカが設定した枠組みの内部でのみ許容される自由——GHQの「閉された言語空間」の延長線上にある自由——にすぎない。この擬似的な自由の中で、日本の知識人はアメリカの覇権を学問的に再生産し続けている。
参考文献
- 『国際政治:権力と平和』、ハンス・モーゲンソー著
- 『閉された言語空間:占領軍の検閲と戦後日本』、江藤淳著、文藝春秋、1989年
- 『獄中ノート』(Quaderni del carcere)、アントニオ・グラムシ著
- 『ソフト・パワー』、ジョセフ・ナイ著、2004年
- 『文化冷戦:CIAと知識人たち』(The Cultural Cold War: The CIA and the World of Arts and Letters)、フランシス・ストナー・サンダース著、1999年
- 『危機の二十年:理想と現実』、E・H・カー著、1939年
- 『第四の政治理論』(The Fourth Political Theory)、アレクサンドル・ドゥーギン著、2009年
- 『文明の衝突』、サミュエル・ハンティントン著、1996年
- 『言語帝国主義:英語支配と英語教育』(Linguistic Imperialism)、ロバート・フィリプソン著、1992年
- 『歴史の終わり』(The End of History and the Last Man)、フランシス・フクヤマ著、1992年
- 『ヒンド・スワラージ』(Hind Swaraj)、マハトマ・ガンディー著、1909年
- 『西洋かぶれ』(Gharbzadegi)、ジャラール・アーレ・アフマド著、1962年
- 『東洋の理想』(The Ideals of the East)、岡倉天心著、1903年
- 『古事記伝』、本居宣長著
- 『戦略的深み:トルコの国際的地位』(Stratejik Derinlik)、アフメト・ダウトオール著、2001年