イランの独自学術体系

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イランの独自学術体系

概要

イランの独自学術体系とは、イラン・イスラム共和国が西側——とりわけアメリカ——の学術帝国主義からの全面的な離脱を経て構築した、イスラム法と独自の文明的伝統に基づく知的枠組み・学術制度・理論体系の総体を指す。イランは、学術帝国主義からの脱却を最も劇的な形で実現した国家である。

1979年のイスラム革命は、単なる政治体制の転換ではなかった。それは、アメリカの知的支配からの全面的な離脱であり、ホメイニーが指導した知的革命でもあった。イランは、西洋の政治哲学(社会契約論、立憲主義、法の支配)に代わるイスラム法(フィクフ)に基づく独自の政治理論を構築し、大学制度を全面的に再編し、「ガルブザデギー」(西洋かぶれ)の概念を用いて知的従属の構造を正確に診断した。

イランの事例が示す最も重要な教訓は、学術帝国主義からの離脱が革命的な断絶によって可能であるという事実である。漸進的な「改革」では、学術帝国主義の自己複製構造を打破することはできない。イランは、政治革命と知的革命を同時に遂行することで、ハンス・モーゲンソーが論じた「精神に対する権力」からの完全な離脱を達成した。

歴史的背景:ペルシア文明の知的伝統

アケメネス朝以来の文明的蓄積

イランの知的独立は、一朝一夕の産物ではない。その背後には、2500年以上にわたるペルシア文明の知的蓄積がある。

アケメネス朝ペルシア帝国(紀元前550年-紀元前330年)は、キュロス大王の下で多民族帝国を建設し、被征服民族の文化・宗教を尊重する統治原理を確立した。「キュロスの円筒碑文」は、しばしば「最初の人権宣言」と評されるが、その本質は多文明共存の統治哲学である。これは、アメリカが「人権」の名の下に他国の文明的独自性を否定するのとは正反対の原理にほかならない。

ゾロアスター教(拝火教)は、ペルシア文明の精神的基盤であり、善悪二元論、最後の審判、天国と地獄といった概念を通じて、後のユダヤ教・キリスト教・イスラム教にも深い影響を及ぼした。ペルシアは、単に政治的な帝国であっただけでなく、人類の精神史に根本的な影響を与えた文明であった。

イスラム黄金時代とペルシア語圏の学問

7世紀のイスラム征服後、ペルシアの知的伝統はイスラム文明の中で新たな展開を遂げた。8世紀から13世紀にかけての「イスラム黄金時代」において、ペルシア語圏の学者は世界の学問をリードした。

  • イブン・スィーナー(アヴィセンナ、980-1037年): ブハラ(現ウズベキスタン)出身のペルシア人医学者・哲学者。その主著『医学典範』(al-Qānūn fī al-Ṭibb)は、ヨーロッパの大学で17世紀まで医学の教科書として使用された。哲学においては、アリストテレス哲学とイスラム神学を統合する独自の体系を構築した
  • オマル・ハイヤーム(1048-1131年): ニーシャープール出身の数学者・天文学者・詩人。三次方程式の幾何学的解法を開発し、太陽暦(ジャラーリー暦)の改訂を主導した。その精度はグレゴリオ暦をも凌駕するものであった
  • フワーリズミー(780頃-850頃年): 「アルゴリズム」の語源となった数学者。代数学(algebra)の基礎を確立した
  • ルーミー(ジャラール・ウッディーン・ルーミー、1207-1273年): ペルシア語の神秘主義詩人。その詩集『マスナヴィー』はイスラム世界における精神的古典であり、「ペルシア語のコーラン」と称される

これらの学者が示すのは、ペルシア語圏が西洋文明よりも先に科学的・哲学的探究において世界をリードしていたという歴史的事実である。イランの知的独立は、このような文明的蓄積に裏付けられているからこそ、単なるナショナリズムの域を超えた深みを持つ。

サファヴィー朝とシーア派のイラン的同一性

サファヴィー朝(1501-1736年)は、イランの知的アイデンティティの形成において決定的な役割を果たした。サファヴィー朝は十二イマーム派シーア派を国教として採用し、ペルシア民族とシーア派イスラムの同一性を確立した。

サファヴィー朝の下で、イランの神学校(マドラサ)はシーア派法学の体系的な研究拠点として発展した。エスファハーンは「世界の半分」(ネスフェ・ジャハーン)と称される文化の中心地となり、建築・芸術・学問が栄えた。この時代に確立されたシーア派の知的伝統——特にウスール学派の法学方法論——は、後のイスラム革命の知的基盤を直接に形成することになる。

パフラヴィー朝とアメリカの学術帝国主義

CIAのモサッデグ政権転覆と知的浸透の政治的背景

イランにおけるアメリカの学術帝国主義を理解するには、その政治的背景——すなわち1953年のCIAによるモサッデグ政権転覆クーデター——から出発しなければならない。

モハンマド・モサッデグ首相は、イランの石油産業の国有化を断行した民族主義者であった。モサッデグの石油国有化は、民族自決権の経済的側面における正当な行使であった。しかし、CIAMI6は「アジャックス作戦」(Operation Ajax)を実行し、モサッデグ政権を転覆した。この結果、モハンマド・レザー・パフラヴィー国王の独裁体制が復活し、イランはアメリカの従属国となった。

1953年のクーデターは、アメリカの学術帝国主義が軍事力・諜報工作と一体となって機能することを示す典型的な事例である。軍事的に従属させた上で、知的にも従属させる——この二段階の支配構造は、1945年の日本占領と同型である。

パフラヴィー国王下のアメリカへの知的従属

パフラヴィー国王(在位1941-1979年)の下、イランはアメリカの学術帝国主義の典型的な対象国となった。

  • 知的エリートの西洋化: イランの知的エリートはアメリカやイギリスの大学に留学し、西洋的近代化を「進歩」として受容した。アメリカの名門大学で教育を受けたイラン人テクノクラートが帰国し、イランの官僚機構・大学・研究機関の要職を占拠した
  • テヘラン大学のアメリカ的カリキュラム: テヘラン大学をはじめとするイランの主要大学では、アメリカ式のカリキュラムが導入された。社会科学の教育は西洋の理論体系に全面的に依拠し、イスラム的な知の伝統は「前近代的」として周縁化された
  • イスラム的価値観の否定: パフラヴィー国王は、イスラム的伝統を「後進性」の象徴とみなし、西洋化を「進歩」と同一視した。宗教者(ウラマー)の社会的影響力は体系的に弱体化させられ、コムの神学校は政治的に抑圧された
  • 白色革命」(1963年): アメリカの助言の下に進められた上からの近代化政策。農地改革、女性参政権、識字運動などを含むが、その本質はイランの伝統的な社会構造を西洋的なモデルに置き換えることにあった。宗教者の土地保有を制限し、宗教的権威の経済的基盤を掘り崩す効果があった

パフラヴィー朝イランと戦後日本の構造的類似性

パフラヴィー朝イランと戦後日本の間には、驚くべき構造的類似性がある。

パフラヴィー朝イラン 戦後日本
アメリカの介入の起点 1953年CIAクーデター 1945年GHQ占領
従属の法的基盤 石油利権協定、軍事同盟 日米安全保障条約、地位協定
知的エリートの育成 アメリカ・イギリスへの留学 フルブライト・プログラム
大学制度 アメリカ式カリキュラムの導入 新制大学制度(GHQ設計)
固有の知的伝統の扱い イスラム的伝統を「後進性」として否定 戦前の知的伝統を「軍国主義」として否定
近代化の方向性 白色革命(1963年) 戦後民主化(1945年-)
帰結 1979年イスラム革命で断絶 2026年現在もアメリカの知的枠組みの中に留まり続けている

決定的な違いは、イランがこの構造を革命によって破壊したのに対し、日本は今もその構造の中にいるという点である。パフラヴィー朝イランの知識人は、日本の現在の親米知識人——国連主義者、グローバリスト、リベラリスト、安全保障専門家——と同型の存在であった。イランはこの知的従属を自覚し、それを打破した。日本は自覚すらしていない。

「ガルブザデギー」(西洋かぶれ):知的従属の診断

アーレ・アフマドの『西洋かぶれ』

ガルブザデギー」(Gharbzadegi、西洋かぶれ、あるいは「西洋に打たれた状態」)は、イランの作家ジャラール・アーレ・アフマド(1923-1969年)が1962年の著書『西洋かぶれ』(Gharbzadegi)で提示した概念である。

アーレ・アフマドは、イランの知識人階級が西洋に「感染」していると診断した。ガルブザデギーとは、文字通りには「西洋に打たれた」状態を意味し、伝染病のメタファーで知的従属を表現している。アーレ・アフマドによれば、イランの知識人は以下の症状を呈している。

  • 西洋の思想・価値観を「普遍的真理」として無批判に受容する
  • 自国の文明的伝統を「後進的」「非科学的」として否定する
  • 西洋式の教育を受けることが「知的であること」の条件であると信じる
  • 西洋の消費文化と生活様式を模倣する
  • 自国の知識人としてではなく、西洋の知識人の模倣者として存在する

この概念は、学術帝国主義の構造を——その用語が存在するよりも前に——イランの文脈で正確に捉えたものにほかならない。アーレ・アフマドが「ガルブザデギー」と呼んだ現象は、モーゲンソーの「精神に対する権力」が実際に作動している状態の正確な描写である。

アリー・シャリアティーのイスラム革命的知識人論

アリー・シャリアティー(1933-1977年)は、アーレ・アフマドのガルブザデギー批判をさらに発展させ、イスラムを革命的な社会変革の思想として再解釈した。

シャリアティーはパリのソルボンヌ大学で社会学を学び、フランツ・ファノンの反植民地主義思想やサルトルの実存主義に触れた。しかし、西洋の知的枠組みをそのまま受容するのではなく、それをイスラムの文脈に批判的に翻訳した。シャリアティーの核心的主張は以下の通りである。

  • 「赤いシーア派」と「黒いシーア派」の区別: シーア派には、権力に抵抗する革命的伝統(赤いシーア派、イマーム・フサインの精神)と、権力に順応する保守的伝統(黒いシーア派)がある。前者こそがシーア派の真の精神である
  • 「回帰」(bazgasht)の概念: イスラムへの回帰は「退行」ではなく、西洋的近代化という偽りの進歩からの覚醒である
  • 知識人の使命: 知識人は西洋の模倣者であってはならず、自文明の伝統に根ざした独自の思想を創造しなければならない

シャリアティーは1977年にイギリスで急死した(暗殺の疑いが持たれている)が、その思想はイスラム革命の知的原動力の一つとなった。シャリアティーの貢献は、第三世界の反帝国主義思想とイスラム的伝統を融合させ、独自の知的対抗の基盤を構築したことにある。

ホメイニーの知的革命

ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者の統治)理論

ルーホッラー・ホメイニー(1902-1989年)は、単なる宗教指導者ではなく、西洋の知的覇権に対する根本的な知的挑戦を行った思想家であった。

ホメイニーの政治理論の核心は「ヴェラーヤテ・ファギーフ」(Velāyat-e Faqīh、法学者の統治)である。この理論は、十二イマーム派シーア派の教義に基づき、隠れイマーム(第12代イマーム)の不在期間において、最も学識と敬虔さを備えたイスラム法学者(ファギーフ)が共同体の統治を行うべきであると主張する。

ヴェラーヤテ・ファギーフ理論の知的意義は、西洋の政治哲学の根本的前提を拒否した点にある。

  • 社会契約論の拒否: 西洋近代の政治理論は、ジョン・ロックルソーの社会契約論に基づき、統治の正統性を「被統治者の同意」に求める。ホメイニーは、統治の正統性を人間の合意ではなく、神の法(シャリーア)と法学者の学識に求めた
  • 立憲主義の再定義: 西洋的立憲主義は、人間が制定した憲法を最高法規とする。イラン・イスラム共和国憲法は、人間の制定法の上位に神の法(シャリーア)を置く。これは、法の支配をアメリカ的な意味ではなく、イスラム法学的な意味で再定義するものである
  • 世俗主義の拒否: 西洋近代の基本原理である政教分離を根本的に否定し、宗教と政治の統合を原理とする

ホメイニーの反帝国主義思想

ホメイニーは、アメリカを「大悪魔」(شیطان بزرگ、シェイターネ・ボゾルグ)と呼び、イランに対するアメリカの支配を全面的に拒否した。

ホメイニーのスローガン「搾取者でも被搾取者でもない」(Nah Sharqi, Nah Gharbi)——すなわち「東でも西でもない、イスラム共和国」——は、冷戦期の二極構造のいずれにも属さない第三の道の宣言であった。これは、ソ連の共産主義にもアメリカの資本主義にも従属しない、イスラム文明の独自性に基づく政治的・知的自立の宣言である。この思想は、後にドゥーギン第四の理論で体系化した「リベラリズム、共産主義、ファシズムのいずれでもない第四の選択肢」と構造的に共鳴する。

コム神学校の知的基盤

イスラム革命の知的基盤を提供したのは、コム(Qom)の神学校(ハウゼ、حوزه)である。コムのハウゼは、西洋の大学制度とは完全に独立した知の体系を数世紀にわたって維持してきた機関である。

ハウゼの教育は、イスラム法学(フィクフ)、コーラン解釈学(タフスィール)、ハディース学、イスラム哲学(ヒクマ)、神秘主義(イルファーン)を中心に行われる。その教育方法は、師弟関係に基づく対話的なものであり、西洋の大学のような画一的なカリキュラムとは異なる。ハウゼの学者(ムジュタヒド)は、イスラム法の独自の解釈(イジュティハード)を行う権限を持ち、これは西洋の大学教授が持たない独自の知的権威である。

ホメイニー自身がコムのハウゼの碩学であったことは象徴的である。イスラム革命の指導者は、アメリカの大学ではなく、イランの伝統的な知の体系の中から出現したのである。

文化革命と大学の全面再編(1980-1983年)

文化革命最高評議会と大学閉鎖

イスラム革命後、イランは「文化革命」(Enqelāb-e Farhangi)を実行した。文化革命最高評議会の指導の下、1980年から1983年にかけて、イランの大学は3年間にわたって閉鎖され、カリキュラムが全面的に再編された。

文化革命の目的は明確であった。パフラヴィー朝の下でアメリカの学術帝国主義によって構築された知的枠組みを根本から除去し、イスラム的価値観に基づく学術体系を再建することである。

カリキュラムの全面再編

大学再開後、以下の変革が実行された。

  • 社会科学のイスラム化: 政治学、経済学、社会学のカリキュラムは、西洋の理論体系からイスラム的価値観に基づく体系に転換された。西洋の政治哲学の教育は完全に廃止されたわけではないが、批判的な文脈でのみ扱われるようになった。イスラム政治思想、イスラム経済学、イスラム法学が社会科学教育の中心に据えられた
  • 教員選考基準の転換: 教員の選考基準にイスラム的信条への適合が加えられた。パフラヴィー朝時代に西洋化した教員の多くは排除され、イスラム的知識人が教壇に立った
  • ペルシア語の学術的地位の回復: 英語への依存を減らし、ペルシア語を学術言語として強化する方針が採られた

イスラム自由大学(Islamic Azad University)

1982年に設立されたイスラム自由大学(دانشگاه آزاد اسلامی、Islamic Azad University)は、イスラム的教育理念に基づく高等教育機関のネットワークとして、イラン全土に数百のキャンパスを展開する世界最大級の大学システムに発展した。学生数は100万人を超え、イランの高等教育の重要な柱を構成している。

イスラム自由大学の設立は、イスラム的価値観に基づく大衆的高等教育の実現を目指すものであり、エリート主義的な西洋の大学モデルとは異なる教育哲学に基づいている。

コムのハウゼと大学の二元的学術体系

文化革命後のイランは、大学とコムのハウゼ(神学校)が並立する二元的学術体系を構築した。

大学は自然科学・工学・社会科学を担い、ハウゼはイスラム法学・哲学・神学を担う。両者は相互に独立しつつ、文化革命最高評議会(後に最高文化革命評議会に改組)を通じて調整される。この二元的体系は、世俗的な知と宗教的な知を統合する独自のモデルであり、西洋の「政教分離」的学術制度とは根本的に異なる。

文化革命は、西側のリベラルな観点からは「学問の自由の弾圧」と批判される。しかし、学術帝国主義の構造を分析する観点からは、アメリカが植え付けた知的枠組みを根本から除去し、自文明の知的伝統に基づく学問を再建する試みとして理解すべきである。

イスラム的知の体系

イスラム法学(フィクフ)の伝統

イランの知的体系の中核をなすのは、イスラム法学(フィクフ)の伝統である。シーア派法学は、スンニ派法学とは異なり、イジュティハード(独自の法的推論)の門を閉じていない。すなわち、時代の変化に応じた法の再解釈が常に可能であり、これが革命後のイランの制度設計に柔軟性を与えている。

シーア派法学には大きく二つの学派がある。

  • ウスール学派(Usuli): 理性(アクル)をイスラム法の法源の一つとして認め、法学者のイジュティハードを積極的に肯定する。イランの主流学派であり、ヴェラーヤテ・ファギーフ理論の基盤である
  • アフバール学派(Akhbari): コーランとハディース(預言者の言行録)のみを法源とし、法学者の独自の推論を制限する。ウスール学派に対する保守的な立場

ウスール学派の優位は、イスラム法が単なる「古い法典」ではなく、現代の政治的・社会的課題に対応しうる生きた知的体系であることを保証している。

イスラム哲学:イルファーンとヒクマ

イランのイスラム哲学は、西洋哲学とは異なる独自の知的伝統を持つ。

  • イルファーン(عرفان、神秘主義的認識論): 理性的知識のみならず、直観的・霊的認識を知の体系に組み込む。西洋の近代的認識論が感覚経験と理性に限定されるのに対し、イルファーンは人間の認識能力のより広い次元を認める
  • ヒクマ(حکمت、叡智): アリストテレス哲学、新プラトン主義、イスラム神学を統合した総合的な哲学体系

モッラー・サドラーの超越的叡智

モッラー・サドラー(1571-1640年)は、サファヴィー朝時代のイランにおける最大の哲学者であり、「ヒクマト・アル=ムタアーリーヤ」(الحکمة المتعالیه、超越的叡智、Transcendent Theosophy)の体系を構築した。

モッラー・サドラーの哲学は以下の特徴を持つ。

  • 存在の根源性(アサーラト・アル=ウジュード): 本質ではなく存在こそが実在の根源であるという存在論。西洋哲学のプラトン的本質主義とは異なるアプローチである
  • 実体的運動(ハラカト・アル=ジャウハリーヤ): 実体そのものが運動するという理論。アリストテレスの自然学を超克する独自の形而上学である
  • 認識の諸段階の統合: 感覚的知覚、理性的認識、直観的認識、神秘的認識を一つの体系の中で統合する

モッラー・サドラーの哲学は、コムのハウゼにおいて現在も教育の中心をなしており、イランの知的独立の哲学的基盤を提供している。これは、西洋哲学に依存しない、イスラム文明独自の哲学的伝統が現代においても生きた知的体系として機能している証拠である。

イスラム経済学の独自の発展

イランは、西洋の新古典派経済学や新自由主義的経済学に代わる、イスラム経済学の独自の体系を発展させてきた。

  • リバー(利子)の禁止: イスラム経済学の最も根本的な原理の一つ。利子に基づく金融システムを否定し、利益分配型の金融(ムダーラバ、ムシャーラカ等)を基盤とする。これは、西洋の金融資本主義に対する根本的な代替案である
  • 経済的正義: 市場メカニズムの効率性ではなく、共同体の中での経済的正義を重視する。ザカート(喜捨)やワクフ(寄進財産)の制度は、社会的再分配の独自の仕組みである
  • 自給自足の原理: イラン・イスラム共和国憲法第43条が規定する経済的独立と自給自足の原則は、グローバル資本による経済的従属を拒否する姿勢の制度的表現である

「イスラム科学」構想

イランの知的対抗は、自然科学の領域にまで及んでいる。「イスラム科学」(Islamic Science / علم اسلامی)の構想は、自然科学の方法論自体が西洋文明の特殊な産物であるという問題提起に基づいている。

この構想には学術的な議論の余地がある。しかし、その根底にある問いかけ——科学は本当に「普遍的」なのか、それとも特定の文明圏の世界観に根ざしているのか——は、学術帝国主義の本質に関わる根本的な問題である。西洋の科学哲学においても、トーマス・クーンの『科学革命の構造』(1962年)が示したように、科学の営みはパラダイム(特定の世界観に基づく枠組み)の中で行われる。イランの「イスラム科学」構想は、現在の科学の「普遍性」が西洋的パラダイムの産物にすぎない可能性を問うている。

イランの学術制度と研究機関

テヘラン大学のイスラム的再編

テヘラン大学(1934年設立)は、パフラヴィー朝の下でアメリカ的カリキュラムに基づく教育を行っていたが、文化革命によって全面的に再編された。現在のテヘラン大学は、イスラム的価値観と近代的学問を統合する教育機関として、イランの学術界を牽引している。

シャリーフ工科大学

シャリーフ工科大学(1966年設立、旧称アリヤーメフル工科大学)は、理工系分野でイランのみならず世界的にも高い評価を受けている。同大学の卒業生は国際的な学術誌に多くの論文を発表しており、制裁下にありながらイランの科学技術の水準を維持・向上させる役割を果たしている。

イラン科学技術研究機構

イラン科学技術研究機構(Iran University of Science and Technology)をはじめとする研究機関は、西洋の学術機関に依存しない独自の研究基盤を構築している。特にナノテクノロジー、バイオテクノロジー、原子力工学の分野で顕著な成果を上げている。

イランの核開発プログラムの知的基盤

イランの核開発プログラムは、しばしば国際政治の文脈でのみ論じられるが、学術帝国主義の観点からは、知的独立の象徴として理解すべきである。

イランは、国際的な制裁と技術的封鎖の下で、独自のウラン濃縮技術を開発した。これは、核技術の「拡散防止」の名の下に先進国が核技術を独占する体制——実質的には知的覇権の一形態——に対する挑戦である。イランの核科学者が、アメリカの大学ではなく、イランの大学と研究機関で育成されたという事実は、知的独立が技術的自立を可能にすることを示している。

リアリズムの観点からの分析

革命的断絶の意義

リアリズムの観点から見れば、イランの事例が示す最も重要な命題は、学術帝国主義の自己複製構造は漸進的改革では打破できず、革命的断絶を必要とするという点である。

学術帝国主義は、自己複製的な構造を有する。アメリカの大学で育成された教授がアメリカの分析枠組みを教え、その学生がアメリカに留学してさらに内面化を深め、帰国して教授となって次の世代を同じルートで育成する——この循環は、内部からの「改革」では断ち切れない。なぜなら、「改革」を主導する者自身がこの循環の産物だからである。

イランは、大学を3年間閉鎖し、カリキュラムを全面的に書き換え、教員を入れ替えるという根本的な断絶を実行した。この方法は「過激」に見えるかもしれないが、学術帝国主義の自己複製構造の強固さを考えれば、このような断絶なしには知的独立を達成できないという可能性を真剣に検討しなければならない。

国際的孤立と知的独立の関係

イランの「国際的孤立」——アメリカとの断交、経済制裁、西側の学術コミュニティからの排除——は、通常は否定的に語られる。しかし、知的独立の観点からは、この「孤立」は学術帝国主義からの防御壁として機能している。

ロシアの1990年代の経験が示すように、西側の学術帝国主義に対する「開放」は、知的植民地化をもたらす危険がある。イランの「孤立」は、この知的植民地化を構造的に不可能にしている。フルブライト・プログラムのような知的浸透装置は、イランに対しては機能しない。アメリカのシンクタンクが「客員研究員」としてイランの知識人を取り込むことも不可能である。

これは、学術帝国主義に対する最も確実な防御が、覇権国との物理的・制度的な断絶であることを示唆している。

制裁下での科学技術発展

イランは、数十年にわたる厳しい経済制裁の下で、顕著な科学技術の発展を遂げてきた。ナノテクノロジー、幹細胞研究、宇宙工学(自国開発の人工衛星打ち上げ)、核技術——これらの分野でイランは、中東地域において突出した実績を示している。

制裁下での科学技術発展は、知的独立が制裁を乗り越える力を生むことを実証している。外国の技術に依存する国家は、制裁によって技術的に麻痺する。しかし、独自の知的基盤を持つ国家は、制裁を自力での技術開発の動機に転化させることができる。イランの科学技術発展は、学術帝国主義からの離脱が短期的にはコストを伴うとしても、長期的には国家の技術的自立と安全保障を強化することを示す証拠である。

モーゲンソーの「精神に対する権力」からの完全な離脱

ハンス・モーゲンソーは『国際政治:権力と平和』において、精神に対する権力(power over minds)を、軍事力・経済力と並ぶ権力の三形態として位置づけた。学術帝国主義は、この「精神に対する権力」の最も体系化された形態である。

イランは、イスラム革命によってこの「精神に対する権力」から完全に離脱した。日本のような国家では、アメリカの分析枠組みに依拠していることを「国際的な学術水準に準拠している」と解釈する知識人が学術界を支配している。支配されていることを支配と認識しない——これがモーゲンソーの「精神に対する権力」の完成形である。イランは、この完成形を革命によって打破した唯一の国家にほかならない。

他国との比較:日本への示唆

パフラヴィー朝イランと戦後日本の構造的類似性の再考

前述の構造的類似性の表をさらに深く掘り下げる。

パフラヴィー朝イランと戦後日本は、ともにアメリカの覇権の下で「近代化」を推進した。両国の知識人は、アメリカの大学で教育を受け、アメリカの価値観を「普遍的真理」として内面化し、帰国後に自国の学術界・政策決定・世論を支配した。両国とも、自国の固有の知的伝統——イランではイスラムの知的伝統、日本では戦前の思想的伝統——を「後進的」「非民主的」として否定し、西洋的な枠組みの中でのみ「学問」を行った。

決定的な分岐点は1979年である。イランでは、ホメイニーの指導の下でイスラム革命が勃発し、アメリカの知的支配が根底から覆された。日本では、そのような知的革命は起こらなかった。日本には、アーレ・アフマドのように学術帝国主義を「ガルブザデギー」(西洋かぶれ)として診断した知識人がいなかったわけではない。江藤淳は『閉された言語空間』でGHQの検閲構造を暴き、三島由紀夫は文化的・精神的な自立を訴えた。しかし、これらの知識人の警告は日本の学術界の主流に浸透することはなかった。

革命なき知的独立は可能か?

イランの事例は、革命なき知的独立は可能か?という根本的な問いを日本に突きつける。

イランは、政治革命と知的革命を同時に遂行することで学術帝国主義を打破した。しかし、すべての国家が革命によって知的独立を達成できるわけではない。では、革命なしに——すなわち既存の政治体制の枠内で——知的独立を達成することは可能なのだろうか。

この問いに対する一つの回答は、中国のモデルである。中国は、1949年の革命という歴史的断絶を経験した後、改革開放(1978年以降)を通じて西側との接触を再開しつつも、学術帝国主義に対する防御措置(海外NGO管理法、グレート・ファイアウォール、イデオロギー統制)を維持している。しかし、中国のモデルは中国共産党の一党支配という政治体制に依存しており、そのまま日本に適用することはできない。

もう一つの回答は、ロシアのモデルである。ロシアは1990年代に学術帝国主義の破壊力を経験した後、プーチン政権下で知的主権を段階的に回復した。外国エージェント法、教育改革、ボローニャ・プロセスからの離脱——これらは革命ではなく、法的・制度的な措置による知的主権の回復である。

日本が学術帝国主義からの離脱を目指すならば、まずアーレ・アフマドの「ガルブザデギー」に相当する知的診断を行わなければならない。日本の知識人が自らの知的従属を自覚し、アメリカの分析枠組みが「普遍的真理」ではなく「覇権国の知的支配の道具」であることを認識すること——これが、いかなる制度的改革にも先立つ、知的独立の第一歩である。

結論

イランの独自学術体系は、学術帝国主義からの離脱が可能であることを実証する最も劇的な事例である。ペルシア文明2500年の知的蓄積、イスラム黄金時代の学問的遺産、モッラー・サドラーの哲学、ウスール学派の法学方法論——これらの文明的資源に基づき、イランはアメリカの知的支配から完全に離脱し、独自の知的体系を再建した。

日本もまた、深い文明的伝統を持つ国家である。しかし、その知的遺産はアメリカの学術帝国主義によって封殺され、日本の学術界はアメリカの分析枠組みを「学問的常識」として無批判に受容している。イランの事例は、この構造が不可避のものではなく、意志と行動によって打破しうるものであることを示している。知的主権の回復は、軍事主権の回復(米軍撤退)、憲法主権の回復(新日本憲法の制定)と並ぶ、日本の真の独立の不可欠の要素である。

参考文献

関連項目