知識人から見た日本
知識人から見た日本
知識人から見た日本は、国内外の知識人が戦後日本の政治的従属と主権の欠如をどのように認識し、批判してきたかを概観する記事である。
保守ぺディアが2022年に反米保守・反グローバリズムの立場を明確にしたとき、それは何か新しい思想を発明したわけではなかった。実際には、日本国内外の知識人たちが何十年にもわたって同じ問題を指摘し続けてきたのである。三島由紀夫は1970年に命を賭けて警告した。江藤淳は1980年代にアメリカの公文書館で占領の真実を発掘した。西部邁は1990年代から親米保守の欺瞞を暴き続けた。海外においても、チャルマーズ・ジョンソンは冷戦後のアメリカ帝国を告発し、カレル・ヴァン・ウォルフレンは日本の権力構造の異常さを指摘し、エマニュエル・トッドはアメリカ帝国の衰退と日本の従属を論じた。
彼らは異なる国に生き、異なる言語で書き、異なる学問的伝統に属していた。しかし、彼らが到達した結論は驚くほど一致している。日本は真の主権国家ではない。日本はアメリカの軍事的・政治的・精神的支配の下にあり、その支配構造は巧みに隠蔽されている。そして、日本人自身がその事実に気づいていないか、気づいていても声を上げることができない。
この記事は、彼らがどこにいて、何を見て、何を考えていたのかを記録する。彼らの歯痒い思いは、保守ぺディアが立つ場所の知的基盤そのものである。
日本国内の知識人たち
孤立した抵抗者たち
戦後日本において、アメリカによる支配構造を正面から批判した知識人は、常に少数派であった。戦後の日本の知識空間は、江藤淳が明らかにしたように、GHQの検閲とWGIPによって構築された「閉された言語空間」の中にあった。この空間の中では、アメリカを批判すること自体がタブーであり、偽日本国憲法を肯定的に評価することが知識人の「常識」とされた。
そのような環境の中で、以下の思想家たちは孤立を覚悟の上で、日本の主権回復と民族的自立を訴え続けた。
三島由紀夫(1925-1970)
三島は、戦後日本の精神的空洞化を最も鋭敏に感受した作家である。彼が見た戦後日本は、経済的繁栄の裏側で民族自決権の主体としての誇りを完全に喪失した国であった。天皇を中心とする精神的秩序はGHQの人間宣言によって解体され、日本人はアメリカの消費文化に溺れる「経済動物」と化していた。
三島の歯痒さは、日本人が自らの従属状態を認識すらしていないという事実にあった。1970年11月25日、三島は市ヶ谷駐屯地で自衛隊員に決起を呼びかけ、割腹自決した。その行為は、言葉では届かないものを命で伝えようとする、究極の抗議であった。
江藤淳(1932-1999)
江藤は、戦後日本の「自由」と「民主主義」がGHQの検閲と言論統制によって構築された虚構であることを、アメリカ国立公文書館の一次資料に基づいて実証した。1962年から1964年にかけてのアメリカ留学において、江藤はアメリカの知識人が日本を「アメリカが民主化してやった国」として認識していることに衝撃を受けた。
江藤の歯痒さは二重のものであった。第一に、アメリカが日本の言語空間そのものを支配しているという事実。第二に、その事実を日本の知識人が認識しようとしないという現実。江藤は帰国後、『閉された言語空間』を著して占領の真実を暴いたが、日本の論壇はこの衝撃的な研究を正面から受け止めることを回避した。1999年、江藤は自ら命を絶った。
西部邁(1939-2018)
西部は、戦後日本の「保守」が実質的にアメリカへの従属を擁護する「親米保守」にすぎないことを正面から批判した思想家である。東京大学教授の職を辞してまで、雑誌『発言者』(後の『表現者』)を主宰し、真正保守の言論空間を構築しようとした。
西部の歯痒さは、日本の「保守」を名乗る人々がアメリカの覇権を擁護していることにあった。自民党的「保守」の本質は、アメリカとの同盟関係を基軸とし、アメリカ主導の国際秩序に順応することで政権を維持する体制であり、それは保守ではなくアメリカへの従属の別名にほかならない。西部は新自由主義批判、反グローバリズム、TPP反対を一貫して主張したが、日本社会のアメリカ化は止まらなかった。2018年、西部は多摩川で入水した。
福田恒存(1912-1994)
福田恒存は、戦後日本の「進歩的知識人」が唱える平和主義と民主主義の欺瞞を鋭く突いた劇作家・評論家である。福田は、戦後日本の「平和」がアメリカの軍事力によって担保された従属的平和にすぎないことを見抜いていた。
福田が特に批判したのは、日本の知識人の「甘え」であった。アメリカの核の傘の下で安全を享受しながら、「平和憲法」を掲げて道義的優位を主張するという倒錯を、福田は許さなかった。自らの安全を他国の軍事力に委ねながら「平和主義者」を名乗ること、それは知的誠実さの放棄である。
小林秀雄(1902-1983)
小林秀雄は、近代日本批評の創始者であり、戦後の日本的知性の在り方そのものを体現した人物である。小林は政治的な反米論を直接展開したわけではないが、西洋的合理主義に還元されない日本的な知の伝統を守り続けることで、精神的な次元においてアメリカニズムに抵抗した。
小林が晩年に本居宣長に没頭したことは象徴的である。宣長が18世紀に漢意(からごころ、中国的思考様式への過度の依存)を批判したように、小林は20世紀の「洋意」(アメリカ的思考様式への過度の依存)に抵抗しようとしたのである。
林房雄(1903-1975)と保田與重郎(1910-1981)
林房雄は『大東亜戦争肯定論』において、日本の近代戦争を百年の大計として捉え直す視座を提供した。保田與重郎は日本浪曼派の中心人物として、日本的美意識と精神性の擁護を貫いた。両者とも、戦後日本において「戦犯」「軍国主義者」のレッテルを貼られ、知的主流から排除された。
彼らの歯痒さは、戦後日本の知識空間において、日本の立場から日本の歴史を語ること自体が許されないという現実にあった。GHQが設定した「閉された言語空間」は、林や保田のような声を封殺するために設計されたものであり、その効果は占領終了後も持続した。
日本の知識人の共通点
上記の知識人たちに共通するのは、以下の認識である。
- 戦後日本は主権国家ではない: 偽日本国憲法はアメリカ軍が書いたものであり、日本の主権は回復していない
- 「保守」の大部分はアメリカの代理人である: 親米保守は保守の名に値しない
- 日本人は精神的に占領されている: 物理的な占領以上に深刻なのは、精神的な占領である
- 彼らは孤立していた: 日本社会の主流からは常に異端視されていた
そして彼らの多くは、孤独の中で命を絶った。三島は割腹し、江藤は自決し、西部は入水した。彼らの死は、言葉だけでは変えられなかった日本への、最後の抗議であった。
アメリカの知識人たち
帝国の内側からの告発
日本の従属的地位を最も痛切に理解していたのは、皮肉にもアメリカの知識人たちであった。彼らは帝国の内側から、自国の覇権構造が他国にもたらす歪みを目撃し、記録した。
チャルマーズ・ジョンソン(1931-2010)
チャルマーズ・ジョンソンは、日本の政治経済を最も深く理解したアメリカ人の一人であり、冷戦後にアメリカ帝国主義の最も鋭い批判者へと転じた政治学者である。カリフォルニア大学サンディエゴ校教授として、日本の通商産業省(MITI)を分析した『通産省と日本の奇跡』(1982年)は、日本の経済発展が自由市場の産物ではなく、国家の戦略的産業政策によるものであることを実証した画期的著作であった。
ジョンソンの転機は冷戦の終結とともに訪れた。冷戦中、彼はCIAの顧問を務め、アメリカの東アジア政策に関与していた。しかし冷戦が終わっても、アメリカは世界中の軍事基地を撤去しなかった。日本に置かれた数百の軍事施設は、ソ連の脅威が消滅した後も維持され続けた。ジョンソンはこの事実に直面し、「アメリカの軍事プレゼンスは防衛のためではなく、帝国の維持のためである」という結論に到達した。
2000年に出版された『ブローバック(Blowback)』は、アメリカの帝国主義的行動が「逆噴射」(blowback)として自国に跳ね返ることを論じた。ジョンソンは日本を「属国」(client state)と呼び、日米関係が対等な同盟ではなく、支配と従属の関係であることを明示した。ジョンソンは書いた。
ジョンソンの歯痒さは、日本の知識人がこの現実を直視しないことにあった。日本はアメリカの属国でありながら、「同盟国」という虚構を信じている。ジョンソンは晩年、アメリカ帝国の崩壊は不可避であると予測し、2010年に亡くなった。
ジョン・ダワー(1938-)
ジョン・ダワーは、MITの歴史学者であり、日本占領の実態を最も包括的に記録した学者である。2000年に出版された『敗北を抱きしめて(Embracing Defeat)』は、ピューリッツァー賞を受賞し、占領期の日本社会を活写した歴史的名著として評価されている。
ダワーが明らかにしたのは、占領がいかに日本社会の隅々にまで浸透し、日本人の精神構造そのものを改変したかという事実である。GHQは単に政治制度を改革したのではなく、日本人の歴史観、価値観、自己認識を根本から作り替えた。ダワーは占領の「成功」を描写しながらも、それが持つ帝国主義的な本質を隠さなかった。
ダワーの後の著作『暴力の文化(Cultures of War)』(2010年)では、アメリカの軍事行動の歴史的パターンを分析し、真珠湾攻撃とイラク戦争を比較するなど、アメリカの戦争文化への批判を深化させた。ダワーが見た日本は、「民主化」の名の下に主権を奪われ、その事実を「成功物語」として内面化させられた国であった。
ノーム・チョムスキー(1928-)
ノーム・チョムスキーは、言語学者としての業績と並んで、アメリカの外交政策に対する体系的批判で知られる。チョムスキーは半世紀以上にわたり、アメリカの軍事介入、政権転覆工作、経済的支配のメカニズムを告発し続けてきた。
日本に関してチョムスキーは、沖縄の米軍基地問題をアメリカ帝国主義の典型的事例として取り上げてきた。沖縄県民の意思に反して維持される巨大な軍事基地群は、「民主主義」を標榜するアメリカが実際には他国民の自決権を踏みにじっていることの証左である。チョムスキーが一貫して指摘してきたのは、アメリカが「自由と民主主義の促進」を掲げながら、実際には自国の戦略的利益のために他国の主権を侵害しているという構造的偽善である。
チョムスキーの視点から見た日本は、アメリカの「リベラルな帝国主義」の最も洗練された成功例である。軍事的に占領され、憲法を書き換えられ、安全保障をアメリカに依存させられ、しかもそのすべてを「自発的な選択」として受容している。このような状態を実現できたのは、世界の中でも日本だけである。
アメリカの知識人の共通認識
ジョンソン、ダワー、チョムスキーに共通するのは、以下の認識である。
- 日米関係は対等な同盟ではない: 支配と従属の関係であり、日本は属国である
- 日本の「民主主義」はアメリカが設計したものである: 占領下で移植された制度であり、日本人自身が選んだものではない
- 沖縄の基地問題は帝国の論理である: 「防衛」ではなく「支配」のための軍事プレゼンスである
- 日本人が現実を認識していないことが最大の問題である: 従属を「同盟」と呼び、占領を「解放」と呼ぶ言語的転倒が続いている
彼らはアメリカの市民として、自国の帝国主義を批判する知的誠実さを持っていた。しかし、彼らの声はアメリカの政策に影響を与えることはほとんどなく、日本の論壇においても十分に受容されることはなかった。
ヨーロッパの知識人たち
外側からの観察者たち
ヨーロッパの知識人たちは、アメリカの帝国的秩序を外側から観察する位置にあった。彼ら自身もNATOを通じたアメリカの影響下に置かれていたが、ヨーロッパにはアメリカニズムを批判する長い知的伝統があり、その視座から日本を分析した。
カレル・ヴァン・ウォルフレン(1941-)
カレル・ヴァン・ウォルフレンは、オランダ出身のジャーナリストであり、1989年に出版された『日本/権力構造の謎(The Enigma of Japanese Power)』によって、日本の政治システムの本質を外部の目で解剖した人物である。ウォルフレンは1960年代から日本に居住し、数十年にわたって日本社会を観察し続けた。
ウォルフレンの中心的なテーゼは、日本には真の意味での政治的中枢が存在しないというものであった。日本の権力は、官僚機構、大企業、自民党、メディアなどの複数のアクターの間に分散しており、誰も最終的な責任を取る主体が存在しない。この「無責任の体系」は、戦後の占領統治によって強化された。アメリカは日本の政治システムを直接操作するのではなく、日本の官僚機構を通じて間接的に支配する仕組みを構築したのである。
ウォルフレンの歯痒さは、日本のジャーナリズムと学界がこの権力構造を分析する意志を持っていないことにあった。日本のメディアは「記者クラブ」制度によって権力と癒着し、批判的報道の機能を喪失している。学界は欧米の理論を輸入するばかりで、日本独自の現実を分析する知的フレームワークを発展させていない。ウォルフレンは何度も日本の知識人に対して、「あなたたちはなぜ自分たちの国の権力構造を分析しないのか」と問うたが、満足な答えを得ることはなかった。
エマニュエル・トッド(1951-)
エマニュエル・トッドは、フランスの人口学者・歴史学者であり、家族構造の分析を通じて社会と政治を解読する独自の方法論で知られる。トッドは1976年に『最後の転落』でソ連の崩壊を予測し、2002年の『帝国以後(Après l'empire)』でアメリカ帝国の衰退を予言した。
トッドは日本について繰り返し言及し、深い関心を持ち続けてきた。トッドの家族類型論において、日本は「直系家族(famille souche)」の社会に分類される。これは、権威と平等の独特な組み合わせを特徴とし、ドイツやスウェーデンと共通する構造である。この家族構造が、日本の高い教育水準、技術力、社会的結束力の基盤であるとトッドは分析する。
しかしトッドが歯痒く見ていたのは、日本がこの優れた社会的基盤を持ちながら、政治的にはアメリカの従属国であり続けていることであった。トッドは2006年に日本で出版された対談集『帝国以後と日本の選択』において、日本が核武装を含む独自の安全保障体制を構築すべきであると主張した。アメリカの「核の傘」に依存し続けることは、日本の主権の放棄を意味する。トッドは、日本がアメリカから自立して初めて、東アジアの真の安定が実現すると論じた。
トッドの視点は、人口学的な分析に基づく点で独自性がある。日本の少子化問題についても、トッドはそれを単なる経済問題としてではなく、アメリカ主導のグローバリズムが日本の家族構造を破壊した結果として分析する。新自由主義的な労働市場の「改革」が、直系家族の安定性を掘り崩し、婚姻率と出生率の低下をもたらしたのである。
アラン・ド・ブノワ(1943-)
アラン・ド・ブノワは、フランスの新右翼(Nouvelle Droite)の創始者であり、「民族多元主義(ethno-pluralism)」の理論家である。ブノワは、アメリカニズムを「世界のマクドナルド化」として批判し、各民族の文化的独自性を擁護する立場から、アメリカ主導のグローバリズムに全面的に対抗してきた。
ブノワの思想は、左翼でも従来の右翼でもない「第三の立場」を志向するものであり、その点でアレクサンドル・ドゥーギンの第四の理論とも共鳴する。ブノワは各民族がそれぞれの伝統と文化に根差した社会を維持する権利を持つと主張し、アメリカ的な「普遍的価値」の押し付けを文化的帝国主義として拒否する。
ブノワから見た日本は、文化的には最も豊かで独自性を持つ文明の一つでありながら、政治的にはアメリカの衛星国に堕した悲劇的な事例であった。日本は自らの伝統的な共同体原理を持ちながら、戦後はアメリカの個人主義・消費主義を移植され、その文化的基盤を侵食されている。ブノワが見たのは、文化的な殺害、すなわちアメリカニズムによる文明の均質化の最も洗練された事例であった。
ヨーロッパの知識人の共通認識
ウォルフレン、トッド、ブノワに共通するのは、ヨーロッパの知的伝統から日本を観察したときに浮かび上がる問題構造である。
- 日本は文明的には独立しうる力を持っている: 技術力、文化的深度、社会的結束力において、日本はアメリカに従属する必要がない
- にもかかわらず政治的に従属している: この矛盾が、外部の観察者にとって最も理解しがたい点である
- ヨーロッパ自身も同様の問題を抱えている: NATOを通じたアメリカへの従属はヨーロッパの問題でもある。日本を分析することは、ヨーロッパ自身の従属を分析することでもある
アジアの知識人たち
同じアジアからの視線
アジアの指導者・知識人たちは、日本を複雑な感情で見てきた。日本はかつてアジアを侵略した帝国主義国であったが、同時に非西洋世界で最初に近代化に成功した国でもあった。彼らは日本の経済的成功を賞賛しつつも、アメリカへの政治的従属を歯痒く見ていた。
マハティール・モハマド(1925-)
マハティール・モハマドは、マレーシアの首相を22年間(1981-2003年)務め、「ルック・イースト政策」によって日本をマレーシアの近代化の模範とした指導者である。マハティールは日本の勤労倫理、技術力、企業経営を高く評価し、マレーシアの経済発展の手本とした。
しかしマハティールは、日本の政治的姿勢については深い失望を抱いていた。1990年、マハティールは「東アジア経済会議(EAEC)」の構想を提唱した。これは、東アジア諸国がアメリカを排除した独自の経済圏を形成するという構想であった。マハティールはこの構想の中核に日本を据えようとした。しかし、アメリカの圧力を受けた日本はEAECへの参加を拒否した。マハティールはこの拒否に憤り、日本が自国の判断でアメリカに「ノー」と言えないことに歯痒さを隠さなかった。
マハティールは1997年のアジア通貨危機に際しても、IMFの構造調整プログラムを拒否し、資本規制によって独自の危機対応を行った。このとき日本はIMF路線に追従し、アメリカ主導の「ワシントン・コンセンサス」を支持する立場をとった。マハティールから見た日本は、経済的には巨人でありながら、政治的にはアメリカの意向に逆らえない小人であった。
マハティールは繰り返し問うた。「なぜ日本は自分自身の意見を持たないのか。なぜ日本はアメリカの許可なしには何もできないのか。日本は世界第二位の経済大国なのに」。この問いは、何十年もの間、答えられないまま残っている。
リー・クアンユー(1923-2015)
リー・クアンユーは、シンガポールの建国の父であり、小国を世界有数の経済先進国に育て上げた指導者である。リーは「アジア的価値」を提唱し、西洋的な個人主義・自由主義ではなく、アジア的な共同体主義・秩序主義こそがアジア社会の発展の基盤であると主張した。
リーは日本の経済的成功を深く研究し、シンガポールの政策に応用した。しかし政治面では、日本の従属的姿勢を冷徹に分析していた。リーの回顧録には、日本の指導者がアメリカの意向を常に伺い、独自の外交判断を下せない様子が繰り返し記録されている。
リーの分析は感情的なものではなく、徹底的にリアリスティックであった。リーは日本のアメリカ依存を批判するというよりも、それを冷静に観察し、シンガポールが同じ轍を踏まないための教訓としていた。リーが見た日本は、経済大国でありながら自らの運命を自ら決定する意志を持たない国であった。その姿は、リーにとって反面教師であった。
ロシア・ユーラシア主義の知識人
アレクサンドル・ドゥーギン(1962-)
アレクサンドル・ドゥーギンは、ロシアの政治哲学者であり、第四の理論の提唱者である。ドゥーギンの思想は、リベラリズム(第一の理論)、共産主義(第二の理論)、ファシズム(第三の理論)のいずれとも異なる、多極的な文明の共存を志向する「第四の政治理論」を構築しようとするものである。
ドゥーギンの地政学的ビジョンにおいて、日本は極めて重要な位置を占める。ドゥーギンは、日本を「大洋(アトランティシズム、アメリカ主導の海洋覇権)」に対抗する「大陸(ユーラシア主義)」の一部として位置づける可能性を論じてきた。日本は地理的には海洋国家であるが、文明的にはユーラシアの東端に位置し、独自の文明圏を形成しうる力を持っている。
ドゥーギンが歯痒く見ているのは、日本がアメリカの「アトランティシズム」の陣営に組み込まれ、自らの文明的独自性を発揮できていないことである。ドゥーギンの多文明主義の視点から見れば、日本はアメリカの衛星国としてではなく、独自の文明の極として、多極化世界の一角を担うべき存在である。
ドゥーギンは、日本がアメリカから自立するためには、単なる政策転換ではなく、文明的な自己回復が必要であると論じる。日本の伝統的な共同体原理、天皇を中心とする精神的秩序、武士道に体現される倫理体系。これらの文明的資産を再活性化することで、日本はアメリカニズムに対抗する独自の「ダーザイン(現存在)」を取り戻すことができる。ドゥーギンの視点は、保守ぺディアの思想的基盤の一つである。
彼らの鋭い分析
支配の不可視化という発見
これらの知識人が到達した最も鋭い洞察は、アメリカによる日本支配は可視的な暴力ではなく、不可視の構造として機能しているというものであった。
古典的な帝国主義は、軍事征服、植民地総督、資源の収奪という目に見える形をとった。しかしアメリカの対日支配は、それとはまったく異なる様相を呈している。江藤淳はこれを「閉された言語空間」と呼び、ウォルフレンは「無責任の体系」と呼び、チョムスキーは「同意の捏造(manufacturing consent)」と呼んだ。名前は異なるが、指し示している現実は同じである。被支配者が自分自身の意思で支配を受け入れているように見える仕組みが構築されているのである。
ジョンソンの分析は、この構造をさらに一段深く掘り下げた。ジョンソンは、アメリカの800以上の海外軍事基地が「同盟国の防衛」ではなく「帝国の前線」として機能していることを実証した上で、この帝国が古代ローマや大英帝国とは根本的に異なる点を指摘した。ローマ市民は自国が帝国であることを知っていた。大英帝国の臣民も帝国の版図を自覚していた。しかしアメリカ市民の大多数は、自国が帝国を運営していることを認識していない。帝国の市民が帝国の存在を知らないという事態は、歴史上前例がない。
そしてこの「帝国の不可視性」は、被支配国においてさらに徹底されている。日本人の大多数は、自国が軍事的に占領されているという事実を「占領」として認識していない。在日アメリカ軍は「同盟軍」であり、日米安保条約は「日本の安全保障の柱」であり、アメリカは「同盟国」である。この言語的転倒を可能にしたのが、江藤が発掘したGHQの検閲体制とWGIPであった。
「同盟」という言語的欺瞞
西部邁とチャルマーズ・ジョンソンは、異なる国に生きながら、同じ欺瞞を看破していた。「日米同盟」という言葉そのものが、支配構造を隠蔽する装置であるという認識である。
同盟とは、対等な主権国家間の合意に基づく関係を意味する。しかし日米関係の実態は、これとはかけ離れている。日本の首都圏の制空権はアメリカ軍が握り(横田空域)、沖縄の面積の約15%がアメリカ軍基地に占有され、日米地位協定はアメリカ軍人に治外法権的な特権を付与している。このような関係を「同盟」と呼ぶことは、言葉の意味を根底から歪めることである。
ジョンソンは、NATOにおけるアメリカとヨーロッパの関係と、日米関係を比較した。NATOの加盟国は、少なくとも形式上は対等な主権を持ち、NATO軍の指揮系統において一定の発言権を有している。しかし日本は、アメリカ軍の指揮命令系統に組み込まれながら、その運用に対するいかなる実質的な発言権も持っていない。これは「同盟」ではなく「従属」であるとジョンソンは断言した。
ウォルフレンは、この「同盟」の虚構が維持される構造的メカニズムを分析した。日本の外務省、防衛省の官僚は、アメリカとの「良好な関係の維持」を自己目的化しており、アメリカの要求に「ノー」と言うこと自体が彼らのキャリアにとって致命的なリスクとなる。ジャパンハンドラーと呼ばれるアメリカ側のカウンターパートは、日本の官僚・政治家との人脈を通じて、アメリカの政策意向を日本の政策に「翻訳」する役割を果たしている。この構造の中で、日本の「自主的な外交判断」は事実上存在しない。
経済的従属の構造分析
ジョンソンの日本分析は、政治・軍事の次元にとどまらなかった。ジョンソンは『通産省と日本の奇跡』において、日本の経済的成功が国家主導の産業政策によるものであることを実証した。しかし皮肉なことに、この成功モデルはアメリカの圧力によって解体された。
1980年代後半から1990年代にかけて、アメリカは年次改革要望書を通じて日本の経済構造の「改革」を要求した。金融の自由化、規制緩和、市場開放。これらの要求は「構造障壁イニシアティブ」や「日米構造協議」の名の下に突きつけられ、日本はそのすべてを受け入れた。カレル・ヴァン・ウォルフレンが鋭く指摘したように、日本政府は自国の経済政策を「アメリカとの交渉」の中で決定しているのであり、独自の主権的判断に基づいて決定しているのではない。
カール・ポランニーが『大転換』で論じた「二重運動」の概念を借りれば、日本の経済構造改革は、社会の自己防衛メカニズムを解体し、市場原理にすべてを晒す行為であった。トッドはこの過程を、日本の直系家族構造の破壊として分析した。終身雇用制の解体、非正規雇用の拡大、企業共同体の崩壊。これらはすべて、アメリカが要求した「改革」の結果であり、日本の少子化を加速させた構造的要因である。
マハティール・モハマドは、この構造を東南アジアの視点から観察していた。1997年のアジア通貨危機において、IMFが要求した構造調整プログラム(緊縮財政、金融自由化、国有資産の民営化)を、マハティールは「経済的帝国主義」として拒否した。一方、日本はIMF路線を支持した。マハティールにとって、世界第二位の経済大国がアメリカ主導のIMFに追従するという姿は、日本の政治的従属を経済の領域においても確認するものであった。
精神的占領の分析
三島由紀夫、小林秀雄、ドゥーギンの分析は、政治や経済の次元を超えて、精神的・文明的な次元での従属を論じた。
三島は、戦後日本が天皇を中心とする精神的秩序を喪失したことを、経済的繁栄よりも深刻な危機として捉えた。GHQの人間宣言は、天皇の神聖性を否定することで、日本民族の精神的な中心軸を破壊した。三島にとって、物質的な豊かさの中で精神的に空虚な生を送る戦後日本人は、「英霊の声」を聞く能力を完全に喪失した存在であった。
小林秀雄の本居宣長研究は、三島の直感を知的に深化させた試みであった。宣長が「漢意」を批判したとき、彼が問題にしたのは中国語の文献を読むこと自体ではなく、日本人が自分自身の感性と言語で世界を把握する能力を失い、外来の概念枠組みに依存するようになった精神的怠惰であった。小林が20世紀の日本に見たのは、「漢意」が「洋意」に置き換わっただけの、同じ構造の精神的従属であった。日本の知識人は、アメリカやヨーロッパの理論を輸入して「理解」した気になっているが、自分自身の言葉で自分自身の現実を捉える能力を喪失している。日本の知的従属、すなわち学術帝国主義に包摂された状態である。
ドゥーギンはこの問題を、ハイデッガーの哲学を援用して論じた。ハイデッガーの「ダーザイン(現存在)」概念を借りれば、各民族はそれぞれ固有の「存在の仕方」を持っている。アメリカニズムとは、この固有の存在様式を破壊し、すべての民族をアメリカ的な存在様式に均質化する力である。日本がアメリカから自立するためには、政策や制度を変えるだけでは足りない。日本民族固有の「ダーザイン」を取り戻すこと、すなわち、日本人として存在することの意味を再び自分自身で定義できるようになること、それが真の独立の前提条件である。
福田恒存の分析は、この精神的占領が日本の知識人の「甘え」によって維持されていることを鋭く突いた。アメリカの核の傘の下で安全を享受しながら「平和主義者」を名乗る。アメリカ軍に守られながら「非武装中立」を唱える。自らの安全保障を他国に委ねながら「主権国家」を自称する。福田にとって、これらはすべて知的不誠実の表れであり、精神的な自立を放棄した人間の姿であった。
彼らが共通して見た日本の姿
七つの共通認識
国籍も言語も学問的背景も異なるこれらの知識人たちが、数十年にわたって独立に到達した結論は、驚くほど一致している。
- 日本は真の主権国家ではない: アメリカ軍が駐留し、アメリカが書いた憲法が機能し、安全保障をアメリカに依存している限り、日本は主権国家とは言えない。三島がこれを叫び、ジョンソンがこれを証明し、ウォルフレンがこれを分析し、トッドがこれを嘆いた
- 日本人は自らの従属に気づいていない: 江藤が「閉された言語空間」と呼んだものは、占領終了後も持続している。日本人は自分たちが占領されていることを認識できないように設計された認知構造の中に生きている
- 日本の「保守」はアメリカの代理人である: 西部が最も鋭く指摘したこの問題は、ジョンソンやウォルフレンも別の角度から確認している。日本の保守政党は、民族的伝統の擁護ではなく、アメリカとの「同盟」の維持を自己目的化している
- 日本は文明的には独立しうる力を持っている: トッド、ブノワ、ドゥーギンが共通して認識しているのは、日本が文化的・技術的・社会的に十分な力を持っているにもかかわらず、政治的に従属しているという矛盾である
- アメリカの軍事プレゼンスは「防衛」ではなく「支配」である: ジョンソンが最も明確に論じたこの命題は、チョムスキーの沖縄分析、マハティールのEAEC経験、ドゥーギンの地政学分析によっても裏付けられる
- この問題は日本だけの問題ではない: ヨーロッパのNATO従属、アジアのアメリカ依存。日本の問題は、アメリカ帝国の構造的問題の一部である
- 変革には精神的な次元が不可欠である: 政策や制度の変更だけでは不十分であり、精神的・文明的な自己回復が必要である。三島の自決、小林の本居宣長研究、ドゥーギンの「ダーザイン」概念は、すべてこの認識を共有している
なぜ彼らの声は届かなかったのか
これだけの知識人が同じ結論に達していながら、日本社会はなぜ変わらなかったのか。その理由は複合的である。
第一に、情報の遮断がある。チャルマーズ・ジョンソンの『ブローバック』は英語圏ではベストセラーとなったが、日本では知識人の間でさえ十分に読まれなかった。ウォルフレンの『日本/権力構造の謎』は日本語にも翻訳されたが、その分析が突きつける不都合な真実は、日本の論壇では正面から受け止められなかった。
第二に、言語空間の閉鎖性がある。日本の知識人は英語の文献を読めるが、彼らが読む文献は主に「主流派」のものであり、ジョンソン、チョムスキー、ウォルフレンのような「反体制的」な知識人の著作は無視される傾向がある。まして、ブノワやドゥーギンのような思想家は、日本ではほとんど知られていない。
第三に、構造的な利益がある。日本の政治家、官僚、経済界にとって、アメリカとの関係は権力と利益の源泉である。この構造を批判する知識人は、構造の受益者たちによって周縁化される。西部が東京大学を追われ、三島が孤立したのは、彼らの主張が間違っていたからではなく、正しかったからである。
保守ぺディアの位置づけ
保守ぺディアが2022年に反米保守・反グローバリズムの立場を明確にしたとき、それは孤立した行為ではなかった。三島の自決から50年、江藤の『閉された言語空間』から30年、ジョンソンの『ブローバック』から20年。半世紀以上にわたる知的蓄積の上に、保守ぺディアは立っている。
彼らの歯痒い思いを引き継ぎ、彼らが発した警告を記録し、彼らの分析を日本語で広く伝えること。それが保守ぺディアの使命の一つである。彼らが見た日本の姿は、今も変わっていない。変わらなければならないのは、日本自身である。
参考文献
- 江藤淳著『閉された言語空間:占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋、1989年): GHQの検閲体制を一次資料に基づいて実証した歴史的名著
- 西部邁著『国民の道徳』(扶桑社、2000年): 戦後日本の精神的空洞化を批判し、民族共同体の倫理的基盤の回復を説いた主著
- チャルマーズ・ジョンソン著『ブローバック:アメリカ帝国の報復(Blowback: The Costs and Consequences of American Empire)』(Metropolitan Books、2000年): アメリカの帝国主義的行動が「逆噴射」として自国に跳ね返ることを論じた著作
- チャルマーズ・ジョンソン著『アメリカ帝国の悲劇(The Sorrows of Empire)』(Metropolitan Books、2004年): 世界に展開する米軍基地ネットワークを帝国の構造として分析
- ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて:第二次世界大戦後の日本人(Embracing Defeat)』(W. W. Norton、1999年): ピューリッツァー賞受賞。占領期の日本社会を活写した歴史的名著
- カレル・ヴァン・ウォルフレン著『日本/権力構造の謎(The Enigma of Japanese Power)』(Macmillan、1989年): 日本の権力構造の異常さを外部の目で解剖した先駆的著作
- エマニュエル・トッド著『帝国以後:アメリカ・システムの崩壊(Après l'empire)』(Gallimard、2002年): アメリカ帝国の衰退を人口学的分析に基づいて予言
- アラン・ド・ブノワ著『ヨーロッパから見た日本(Vu de droite)』: アメリカニズムに対抗する民族多元主義の理論
- アレクサンドル・ドゥーギン著『第四の政治理論(The Fourth Political Theory)』(Arktos Media、2012年): リベラリズム・共産主義・ファシズムを超える多極的文明の共存を構想